流れ着いた客船は「モロ・キャッスル」という名で、キューバのハバナ航路に就航する豪華船だった。というのも、当時のアメリカにおいて最も人気を集めていた保養地はハワイでもフロリダでもなく、キューバをはじめとするカリブ海の島々で、とりわけ賑わっていたのがハバナだった。豪華客船がニューヨークなどの大都市とハバナを行き来し、各界の名士たちが高級クラブやカジノが立ち並ぶリゾート地の娯楽を満喫していた。この「モロ・キャッスル」もそういった豪華船のひとつで、船名もハバナ港のモロ城塞にちなんでいた。
漂着前日の9月8日未明、モロ・キャッスルはアズベリーパーク沖を航行中に船客書斎から出火、たちまち手が付けられないほど燃え広がってしまった。間の悪いことに前日から天候が悪化しており、モロ・キャッスルは激しい波浪に見舞われて消火活動を妨げられたばかりか、風に煽られた炎が急速に燃え広がり、火災の発見からわずか半時間後には総員退船が発令された。しかし、強風波浪に見舞われた荒天下で、しかも深夜の退船だったため、船内は大混乱に陥った。
その上、火災によって船内の電源が停止したこともあり、モロ・キャッスルが救難信号を発したのは退船命令を発した後とされる。それでも、周囲を航行していた船舶などが救助に駆けつけ、多くの人々を救い上げたものの、乗客乗員138名(134名など異説あり)が死亡する大惨事となった。もちろん、当時のメディアは競って惨事の模様を報じ、アズベリーパークには廃墟と化した豪華船を見ようとおびただしい数の野次馬が集まった。そして、船員の多くが乗客を置き去りにしたまま、我先に逃げ出したことが明らかになると、人々の怒りは頂点に達した。
船長はなにをしていたのだ?
残念ながら、船長はなにもできなかった。なぜなら、船長は出火前日に急死していたのである。
(続く)