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魔女狩り将軍マシュー・ホプキンスの謎(前編)

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画像はイメージです。

 現代の日本において「魔女狩り」もしくは「魔女裁判」といえば、謂れ無き罪を被せられて理不尽な糾弾や裁きを受けるというイメージが定着している。それは根拠なきイメージではなく、魔女狩りや魔女裁判の資料や研究などからも理不尽なことは明らかで、当時のヨーロッパがモラル・パニックと呼ばれる攻撃的な道徳恐慌状態にあったのは間違いない。また、社会の恐慌状態に乗じて罪なき人々を魔女として陥れ、多くの犠牲者を生み出した人物も存在している。

 特に多くの犠牲者を出したのは、自ら「魔女狩り将軍」と名乗り(Witchfinder Generalなので将軍と訳されるが、魔女狩り実施本部長のほうが実態に近い)、わずか1年半の間にイングランドで最も多くの魔女を処刑したマシュー・ホプキンスである。

 ヨーロッパ大陸で魔女狩りの嵐が吹き荒れた15世紀から16世紀にかけて、イングランドではさほど盛り上がること無く、魔女を取り締まる法律も制定されたり廃止されたりしていた。しかも、魔女の取り調べに際しては身体を傷つける拷問が禁じられたため、法律ができても処刑される魔女はあまり多くなかった。ところが、フランスやドイツで魔女裁判が苛烈を極めた17世紀になって、魔女裁判の管轄を牧師が裁く教会裁判所から一般裁判所へ移し、刑事裁判とほぼ同様の手続きで審理を進めることとなった。

 そして、その変更を最悪の形で利用したのが、この魔女狩り将軍マシュー・ホプキンスなのだ。

 ホプキンスは王党派と議会派が内戦を繰り広げている17世紀のイングランドで、言葉巧みに地域の有力者へ取り入り、政府から「魔女狩り将軍」へ任じられたと信じさせた上で、周囲から孤立した老婆を魔女に仕立て上げ、処刑した挙句に魔女探索手数料をせしめていたのである。ホプキンスが魔女に仕立てて処刑した犠牲者の数は230〜300人に達し、それはイングランドで魔女狩りが始まった15世紀からホプキンスが活動を開始するまでの160年間に処刑された魔女の総数を上回ったばかりか、さらに魔女狩りが終わるまでの犠牲者総数の半数から6割にも達しているのだ。

 しかし、それほどの大罪を犯しながら、ホプキンスは官憲に囚われることもなく、社会的な非難を浴び始めると、身の危険が迫る前にそそくさと姿を消した。ホプキンスはどこから来て、どこへ消えていったのだろうか?

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