特に多くの犠牲者を出したのは、自ら「魔女狩り将軍」と名乗り(Witchfinder Generalなので将軍と訳されるが、魔女狩り実施本部長のほうが実態に近い)、わずか1年半の間にイングランドで最も多くの魔女を処刑したマシュー・ホプキンスである。
ヨーロッパ大陸で魔女狩りの嵐が吹き荒れた15世紀から16世紀にかけて、イングランドではさほど盛り上がること無く、魔女を取り締まる法律も制定されたり廃止されたりしていた。しかも、魔女の取り調べに際しては身体を傷つける拷問が禁じられたため、法律ができても処刑される魔女はあまり多くなかった。ところが、フランスやドイツで魔女裁判が苛烈を極めた17世紀になって、魔女裁判の管轄を牧師が裁く教会裁判所から一般裁判所へ移し、刑事裁判とほぼ同様の手続きで審理を進めることとなった。
そして、その変更を最悪の形で利用したのが、この魔女狩り将軍マシュー・ホプキンスなのだ。
ホプキンスは王党派と議会派が内戦を繰り広げている17世紀のイングランドで、言葉巧みに地域の有力者へ取り入り、政府から「魔女狩り将軍」へ任じられたと信じさせた上で、周囲から孤立した老婆を魔女に仕立て上げ、処刑した挙句に魔女探索手数料をせしめていたのである。ホプキンスが魔女に仕立てて処刑した犠牲者の数は230〜300人に達し、それはイングランドで魔女狩りが始まった15世紀からホプキンスが活動を開始するまでの160年間に処刑された魔女の総数を上回ったばかりか、さらに魔女狩りが終わるまでの犠牲者総数の半数から6割にも達しているのだ。
しかし、それほどの大罪を犯しながら、ホプキンスは官憲に囚われることもなく、社会的な非難を浴び始めると、身の危険が迫る前にそそくさと姿を消した。ホプキンスはどこから来て、どこへ消えていったのだろうか?