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消えたジェット機:ヴァリグ・ブラジル航空967便の消失「後編」

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画像はイメージです。

 昭和54年1月30日、ブラジルのピカソとも称された日系人画家「マナブ間部」の絵画を搭載したヴァリグ・ブラジル航空967便が、太平洋上で消息を絶った。懸命の捜索にもかかわらず、機体はおろか漂流物さえ発見できなかった。967便からは救難信号なども全く発せられていないため、消失に至った過程は推測することも困難である。そのため、超自然現象から国家的な陰謀まで、当時から現在に至るまで様々な憶測が流布された。

 しかし、いずれの仮説も決定的とは言えず、またジェット時代の遭難事件で残骸すら発見されなかった完全行方不明事例はなく、航空史上最大の謎として知られている。その967便消失について、新たな仮説が唱えられている。それは、空調装置の不具合もしくは扉などからの空気漏れによる酸素欠乏が、乗員の意識混濁あるいは酸欠死を招いたとの推定である。

 先に書いた通り967便は大量の美術品を搭載しており、積み込み作業に手間取ったことから定刻より30分ほど遅れて離陸している。967便のボーイング707は、貨物室内も地上と同じ空気圧となるように空調装置を備えていたが、その空調もしくは機体の扉に不具合があり、空中で操縦室の酸素が不足して乗員が失神、あるいは絶命した可能性がしてきされている。空調装置の不具合による乗員の失神が事故に至った事例としては、ヘリオス航空522便の墜落があり、けして起こりえない事故ではないのだ。

 ヘリオス航空522便は乗員が失神した後も自動操縦で飛行し続け、最終的には燃料切れで墜落した。967便もまた自動操縦で太平洋を飛行し続け、はるか遠くの海上へ墜落したのであれば、銚子沖をいくら捜索しても残骸や漂流物は発見できないであろう。そして、967便とともに貴重な絵画作品も失われたが、画家のマナブ間部はその多くを再び描き直し、1986年に開かれたサンパウロでの回顧展へ出品したという。(了)

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