そこで、昔の「埋蔵金伝説」をひもといてみよう。1月20日の原稿では明智光秀の埋蔵金について紹介したが、他にも埋蔵金の伝説は数多くある。
勢力の大きな有名武将には埋蔵金伝説はつきものであった。例えば武田信玄にも埋蔵金伝説がある。武田信玄は日本で初めて金貨を造り、金脈を開発する集団「金山衆」を抱えた。この金山衆、平時は金脈を見つけるための作業に従事し、戦の際には工兵として城の石垣を崩したり、敵の井戸の水源を絶ち、敵の城内へと至る地下道を掘るなど活躍した。まさに武田軍の強さは「金」のおかげだった。
また、軍用金は甲斐の各地に隠したと言われる。有力な候補地が、現在甲州市塩山にある黒川金山だ。最盛期には1000人以上の坑夫がおり遊郭まで存在した場所で、信玄にとって重要な資金源だったところである。幕末にはこの地を旅行で訪れた夫婦が、偶然埋蔵金を発見したが、何者かに惨殺されるといった逸話も。明治の終わりには金山近くの谷で転落死した男の遺体の脇にあった荷物から金の延べ棒10本と、水に濡れて判別できない一冊のノートが発見されている。どうやら、この男は信玄の埋蔵金を発見し、一部だけ持ち出したものの、非情な最期を遂げてしまったものと推測されている。
かっての黄金の国・ジパングと呼ばれたわが国の地下には、まだまだ未知の埋蔵金が眠っているのかもしれない。
(山口敏太郎)