今でこそ、俳優の故大杉漣さんらがいたと言われ、それなりに下町として有名になっているが、筆者が少年時代のころは、あまり県内でも有名ではなかった。出身の筆者が言うのもなんだが、ひどく閑散した町であった。
その街で祖母は花屋を営んでいた。某寺の門前町として栄えていた通りで花屋を開いていたのだ。無論、お客は日々、墓参りの客である。
当時、父はサラリーマンとして、八万町という新興住宅地にマイホームを建て、高度経済成長の波に乗っていた。そんな中で、筆者は週末、祖母の花屋に泊まりに行った。
現代チックなマイホームと対照的な祖母の花屋は、筆者の脳髄を刺激した。なんとなく二軒屋に、レトロな日本風景を感じたのである。
ある時、筆者は風邪をひき、扁桃腺を腫らせた。
苦悶する筆者。とにかく、小さいころからやたらに喉がはれる子だったのだ。それを見た祖母は筆者を強引に連れ出した。
「しんどいけん、婆ちゃん、やめて、どこ行くん」
「黙ってついて行きい、咳で死んだおばあさんに頼みに行くけんな」
「せっ、咳で死んだばあさん」
筆者は気が動転した。確かに、咳で死んだおばあさんと祖母は言った。
死人にあいさつに行くとはどういうことだろう。口を開けて、あわあわ言っている筆者はいつの間にか小さな祠(ほこら)の前にいる。ちょうどオッパショ石の斜め前にある祠だ。
「この祠にお参りしとき、風邪から助けてくれるけん」
祖母が言った。
この祠は旅の途中、咳で死んだ人を埋めた祠で、咳に苦しむ人がお参りすると症状が改善するとされている。
「うん、分かったわ」
筆者は神妙に手を合わせた。すると、不思議なことに翌日、筆者の風邪は見事に回復した。
(咳で死んだおばあさんのおかげやな)
この時、筆者は怪異と不思議を初めて実感した。
(山口敏太郎)