その後も「悪魔のヴァイオリン」の呪いはさまざまな音楽家に波及していく。
17世紀のヴァイオリン職人ヤーコブ・シュタイナーもこの「悪魔のヴァイオリン」に並々ならぬ興味を抱くが、原因不明の高熱に見舞われた。一命は取り留めるが、異教徒扱いされ投獄され、不幸な晩年を過ごすことになる。
その後、「悪魔のヴァイオリン」は博物館の所蔵品となるが、1809年にフランス兵によって略奪され、ウィーンのゲオルク・レスリー伯爵の愛器となる。だが、レスリー伯爵もまた精神が崩壊し、亡くなってしまう。
また、19世紀の名ヴァイオリニストとして有名だったフランツ・クレメントも、また呪
いの連鎖を受けている。「悪魔のヴァイオリン」を手に入れたとたん、アルコール中毒となり、演奏中に脳出血で倒れ、失意の中で世を去っているのだ。
その後「悪魔のヴァイオリン」は、クレメントの弟子で女流ヴァイオリニストのベリン
ダ・マルギッターを経て、ベリンダの父親の知人・宮廷顧問のウルリヒ・エンツマイヤーが入手する。呪いの伝説を知っていたエンツマイヤーは、「悪魔のヴァイオリン」を鎮魂するために、ノルウェーの音楽家オーレ・ブルに託すことにした。彼は牧師でもあり、日々「悪魔のヴァイオリン」に祈りを捧げ、最期の演奏をした。自身の死後、ノルウェーのベルゲン博物館に寄贈している。
これが、「悪魔のヴァイオリン」伝説の概要だが、この伝説には矛盾する点がいくつかある。最初に「悪魔のヴァイオリン」を製作した2人だが、共同作業ができないほど生きた時代がずれている。ガスパロの生没年は1540〜1609年、一方チェリーニは1500〜1571年だった。
なんと年の差は40である。60代の名工チェリーニに、20代のガスパロが仕事を依頼できたのか。そもそも、アルドブランディーニが枢機卿であった期間は1585〜92年。これはチェリーニの死後であり、都市伝説の前提条件が崩れてしまう。二代目チェリーニだという説もあるが、どうにも苦しい。
どうやら「悪魔のヴァイオリン」は”あくま”で架空の都市伝説のようだ。
(山口敏太郎)