最初に事件が報告されたのは1930年代。この時は噴霧した犯人が逃げ去った現場に女物の靴が残されており、犯人は女性ではないかと言われた。
次に出現したのは1944年9月。イリノイ州のマトゥーンという小さな町をパニックに陥れた。アーリーン・カーニーという主婦は甘いにおいをベッドで嗅いだ。自分の娘が病気にでもかかったのかと思い、立ち上がりベッドから下りようとしたが、なぜか体の自由がきかなくなった。
家にいたアーリーンの姉妹がこの状況を証言しており、事実であることは確認されている。自宅に帰ってきたタクシー運転手の夫は、ベッドルームの窓の外で不審者を発見し、逃走するところを追跡したが、不審者は逃げ切ったと言われている。
この事件後、ナチス工作員が”一般大衆への毒ガス攻撃”を計画しているという情報も入ってパニックが広がっていき、恐れた市民たちは自警団を結成し警戒体制に入った。
10人のイリノイ州警官が動員され、FBIも2人のエージェントを派遣。犯人の割り出しにあたった。ファーリー・ルウェリンという名の男性が容疑者として浮上、彼の自宅の周辺で事件が起こっており、科学の知識がある上、同性愛者の仲間グループから追放されるなど、社会を恨む状況は多々あることが分かった。
しかし、この容疑者を管理下に置いた後も事件は置き続け、真犯人は別にいることが分かった。その後事件は迷宮入りし、真犯人はわからずじまいである。一説には、米軍の特殊部隊の実験であったとか、カルト教団のイニシエーション(儀式)であったという説も唱えられているが、真相はいまだ霧の中、いやガスの中である。
(山口敏太郎)