報道によると森田氏は「宇宙にはたくさん星があるのだから我々の知らない生命体は必ずいるはず」、「僕が生きている間に宇宙人がいることを証明してほしい」と身振り手振りで熱く語っていたという。
往年の青春スター、そして現職の知事である森田健作が若い頃UFO・宇宙人にお熱だったというのは驚きであるが、芸能人のUFO好きは多く「若大将」こと加山雄三氏も自他ともに認めるUFOマニアで、噂によると加山氏も一時期、森田氏と同じ研究会に加入し、「UFOのつくり方」という謎の技術までマスターしたという(ふたりともスポーツマンタイプ青春スターという共通点が。UFO探索は昭和のスポーツなのだろうか…)。
さて、このように有名人がUFOの存在を研究する、または目撃するという事例は非常に多い。今回はその原点ともいうべき、「元祖・日本のUFO事件」をご紹介しよう。
『南総里見八犬伝』で今も親しまれている江戸の小説家・滝沢馬琴。
彼は森田健作・加山雄三両氏と同じく、不思議なものが大好きであり、文政八年に「兎園会」なる世の珍奇なモノを語り合う会を仲間たちと発足させている。
今でいうオタク、当時の言葉で好事家であった滝沢馬琴は、他にも「耽奇会」という文人倶楽部にも顔を出し、日本中の不可解な話を集めていた。
こうして採取した色々な奇談を一冊にまとめたのが『兎園小説』である。
この本に記されているのが日本のUFO談の第1号とされる「うつろ舟の蛮女」である。
1803年(享和3年)、2月22日午後常陸国(今の茨城県、福島県あたり)のはらやどりという浜に奇妙な物体が漂着する。
漁師達がその物体を浜辺まで引き寄せて確認すると、今まで見たこともないような異形の船であった。
香の入れ物やお釜に似た円形で、直径は三間程、上部はガラス張りで、松ヤニか何かを使って隙間なく固めてあった。
しかも、船体には判読不能な蛮字が描かれており、乗っていた女性は眉と髪が赤く、全く言葉が通じなかった。
この女性は、地元住民が協議している姿をのどかに見つめながら、笑顔で二尺四方の箱を大事そうに抱えていたというのだ。
結局、面倒なことになるのを恐れた村人は、この船を女性ごと再び海に押し流してしまったという。
まことに不気味な話であるが、ディティールの細かさ(乗っていた女性は可哀想ではあるが)流れ着いた舟を送り返すという人間心理から考えて100%作り話だったとは考えにくい。
時は流れ、現代のオカルト愛好家達は、妄想を膨らませて、このうつろ舟の女の正体に関して、色々な推理を展開している。
なかでもよく聞かれるのが、「うつろ舟=UFO」説である。
画像のように、うつろ船の船体に描かれている謎の文字(蛮字と文中では表現されている)には、「王」のような文字も見える。20世紀以降に評判となったウンモ星人のマークと非常に似ているのだ。偶然とはいえ、不気味この上ない。
なお、江戸時代の知識人は、不義密通をしたロシアの王族の娘を殺すには忍びないので、船に入れて流したとのではないかと推測している。
穂積昭雪(山口敏太郎事務所)