これは、『とんねるず』の石橋貴明が持ってきた「爆発するケーキ」の生クリームに足を滑らせたもので、太田は頭からクリームだらけのスタジオの床に頭を打ち付けた。その転び方は出演者も観客も思わず心配するほどで、太田は翌日のテレビレギュラーであるTBS系『サンデー・ジャポン』を欠席するなど、いくつかの仕事に影響が出た。
結果、太田は命に別状はなく、4月2日放送のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』で仕事復帰した。
半年に一度の演芸の祭典『ENGEI グランドスラム』で発生した痛ましい放送事故であるが、頭から受身も取れずに転倒する太田の姿を見て、古くからのお笑いファンの中には、今から20年前に発生した「あの」放送事故が思わずオーバーラップする人も多くいたという。
それは、1999年に5月8日に発生した「岡村隆史骨折事故」である。
20代後半で若手のトップを走っていたお笑いコンビナインティナインは、自身が司会を務めるテレビ東京系の番組『ASAYAN』の収録に挑んでいた。この日のゲストは、当番組がきっかけで誕生した、つんく♂プロデュースのハロプロユニット「太陽とシスコムーン」(後にT&Cボンバーと改名)だった。
軽快にトークが進むナイナイと太陽とシスコムーンだったが、途中、岡村隆史がスタジオを飛ぶハエの存在に気がついた。
「なんか、このあたり(ハエ)おるな」と岡村は回し蹴りでハエを追い払おうとしたものの、誤って腕から転倒。岡村のマイクから「ゴキッ」という鈍い音が集音されており、どうもこの時点で骨折していたようだ。
岡村は当初、苦笑いを浮かべていたものの、腕は上がらず次第に額に脂汗が流れ始めた。最初は「アホや!アホや!」と野次を飛ばしていた相方の矢部浩之も、只ならぬ事態が発生したことを察知し、岡村に処置へ向かうことを提案していた。結果、岡村は右肩を骨折しており、その後の仕事に影響が出た。
なお、今となっては信じられないのだが、『ASAYAN』はこの岡村の骨折する映像をカットせずにそのまま放送。高視聴率を叩き出したという。
1999年といえば、テレビ規制もそこそこに厳しかったはずだが、ナイナイも『ASAYAN』も相当な勢いがあったため、あえてそのまま放送したのではないかと思われる。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)