ちゃん
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芸能ネタ 2017年11月29日 12時20分
「もう一度めちゃイケに」三中の甘さに批判が殺到
2016年2月に『めちゃ×2イケてるっ!』(フジテレビ系)を卒業した、“三ちゃん”ことお笑いコンビdボタンの三中元克が27日、「よしもと47シュフラン2018」の記者会見に登場した。三中はめちゃイケ終了をネットニュースで知り、スタッフへ確認の連絡をするも、いまだ返事はないという。そして、「最終回までに一回、出して欲しい」とラブコールを送った。 この発言にネット上では、「自分がクビになった理由わかってないんだろうな」「できれば出てほしくないわ」といった厳しい意見が多い。果たして、来年3月の最終回へ向けて“シュー活”を行う「めちゃイケ」に、三中の出演は叶うだろうか。「三中は2010年に行われた新レギュラーオーディションで、唯一の素人メンバーとして選ばれます。もともと、ナインティナインの岡村隆史の大ファンというのがウリでした。その後、番組の企画でプロレス団体に入団するも途中で逃亡。そして、友人とコンビを組み、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の“プロ芸人”となるのを受け、自作漫才で再オーディションに挑むも、視聴者投票で不合格となりました」(放送作家) この企画では、50万人以上が投票。多くの視聴者が三中を認めなかったことになる。さらに、『岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)では、新人のスタッフに横柄な態度を取るなど、「三中の悪い部分を隠しきれなくなったので再オーディションを行った」と岡村が暴露している。「今回の終了は、元レギュラーの極楽とんぼ山本圭壱にも伝えられていません。仮に『めちゃイケ』に登場するならば、ちょろっと顔を出すくらいのお茶を濁すような企画は認められないでしょう。逃亡したプロレス団体にもう一度入門するくらいの覚悟は必要だといえます。果たして、彼にその根性があるのかといえば疑問符がつきますし、視聴率につながるとも思えません。甘えは許されないでしょう」(前出・同) 三中の復帰は誰も望んでいないのが確かだろう。
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芸能ネタ 2017年11月28日 22時43分
『めちゃイケ』スタッフから完全無視されている三中元克 番組復帰の可能性は?
お笑い芸人の三中元克が27日、都内で開かれたイベント『よしもと47シュフラン2018』の開催発表記者会見に出席。その席で自身が6年間出演した『めちゃx2イケてるッ!』(フジテレビ系)の終了について語った。 三中は『めちゃイケ』終了について、何も知らなかったそうで、「僕には連絡がなかった」と嘆く。ネットで終了を知り、番組スタッフに自ら連絡を取ったが、返信がなかったという。 続けて、『めちゃイケ』関係者の誰からも連絡がないことを告白。取材陣に対し、「最終回までには出して欲しい」「出られるように頑張るのでお願いします」などと訴えた。 2010年に素人枠で『めちゃイケ』メンバーとなった三中だが、番組出演をきっかけに、スタッフに高慢な態度を取るようになり、次第に周囲から距離を置かれるようになった。 岡村隆史がラジオ番組で告白したところによると、靴紐を結ぶことができず、ADに結ばせたうえ、お礼を一言も言わず、「偉そうに」していたそうで、岡村から厳しく注意されたことがあるという。いずれにしても、かなり高慢な態度で撮影に臨んでいたようだ。 そのような状況の中、彼をなんとかしようと始まったのがプロレス企画。三中をみちのくプロレスに入団させ、レスラーとしてデビューさせる計画だった。 しかし、三中は厳しい修行に耐えきれず、脱走。一度は周囲の説得で戻ったものの、2015年に二度目の脱走。スタッフの説得に頑として応じなかったうえ、番組に無断で芸能事務所に書類を送るなどしていたといわれる。 結局、『めちゃイケ』内で再オーディションが行われ、国民投票の末、「不合格」となり番組を降板。その後、表舞台から姿を消すことになる。 降板後、『めちゃイケ』メンバーからは、三中に対して厳しい発言が噴出。岡村が「根っこに黒い部分があった」とラジオ内で発言したほか、濱口優も痛烈に批判。人間性などが問題視されていたことが明るみになった。以降、三中には常に「高慢」なイメージがつきまとうことになる。 そんな三中は、地道な活動を続け、2017年には芸人活動に加え、舞台俳優としても活躍。さらに、放送作家・鈴木おさむプロデュースのちゃんこ屋でアルバイト中であることも判明。信頼回復に努めている状況だ。「三中を痛烈批判していた濱口は、三中が出演中の舞台を観覧に訪れ、一緒に写っている画像をInstagramで公開しています。雪解けムードなのかもしれません。今後、スタッフに謝罪するなどすれば、出演する可能性もゼロではないでしょう。ただし、視聴者がそれを望んでいるかは疑問です」(芸能関係者) 三中が『めちゃイケ』に再び出演する日が来るかもしれない。
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ミステリー 2017年11月28日 22時03分
怖い話『死を招く黒い物体』
Gさんの実家は北陸の某所にある。 江戸期から続く名門で、その屋敷は築百年を越えていた。庭も大きく、その屋敷は付近でも豪邸と呼ばれていた。 しかし、昭和五十年代の石油ショックに巻き込まれ、Gさんの父は破産。どうにか、屋敷は残ったものの、両親が共働きで莫大な借金を返さねばならなくなった。 坊ちゃん生活から困窮生活への暗転。だが、Gさんはめげることはなかったという。それからのGさんはいつも学校から帰ると、夜まで1人で過ごした。 広大な屋敷を1人で留守番するのは、少年にとって恐怖以外の何物でもなかった。だが、父や母の働く姿を見て、自分も負けてはならぬと心に決めたのである。 ある夜の事、Gさんがテレビを見ていると、突然テレビが映らなくなった。「なんだ、こんないい場面で、まったく酷いな」 Gさんは、違法電波の影響だと思った。少年時代からハム無線にはまっていた彼は、当時北陸で度々確認されていた奇妙な電波の影響だと思ったのだ。事実、付近には違法電波の発信源と思われる箇所があった。 だが、それは大きな勘違いだとわかる。「ふおーい。ふおーい」 地底から響くような低い声が、聞こえた。魔物が泣いている、そんな感じの声だ。鳥肌が立つぐらい不気味である。なんともいえない程の寒気が襲ってくるが、この声の主を確認せねば気が治まらない。 ひょっとして、父が呑んで帰ってきたのか。「父さん、また、お酒を呑んで帰ってきて、困ったもんだな」 Gさんは無理に自分に言い聞かせると、玄関に向かった。しかし、誰もいる様子はない。薄暗く、静まりかえっている。ガランとして、無人の玄関。 突如、静寂が破られた。「ふおーい。ふおーい」 再び、不気味なうめき声が聞こえたのだ。よく聞くと、声は縁側の方から聞こえてくるようだ。おかしい、いつのまに庭の方に廻ったのか。Gさんは、ぶつぶつ言いながら庭に廻った。「うわっ」 そこに、奇妙な物体があった。黒くてぶよぶよと動いている。庭と縁側の間を仕切る為に設けられたサッシで異物を目撃したのだ。「なっ、なんだあの物体は」 絶句し、立ちつくすGさん。確かに自分の視界に信じられない物体が写り込んでいる。全身真っ黒で、どろどろと溶けた塊がサッシにへばりついている。どう見ても、この世のものではない。 そして、サッシの隙間から僅かに匂う異臭。まるで、生魚が腐ったような臭いだ。「なんだ、この動物の死体が腐ったような臭いは」 そして、その物体は、こう叫ぶのだ。「ふおーい。ふおーい」 背中に冷や水を浴びせられたような悪寒と恐怖を感じた。見てはいけないものを見てしまった。口はがくがくと震え、上と下の歯が噛み合わない。「あああわわっ」 口を開けたまま、腰を抜かした状態でそこから逃げ出す。どうしても、腰が立たない。虫のように這いずりながら、逃げ出した。「たっ、助けて」 2階の自室に閉じこもり、ドアにカギをかけると、布団をかぶって震えていた。「あの異物は、いったい、なんなんだ」 何度もあの異様な姿を考えてみる。しかし、今まで見たどんな生物にも当てはまらない。震えながら、自分の体に付着しているあの物体の匂い。自分は確かにあの異物と遭遇したのだ。「この臭い、とても生きている物体ではないぞ」 脳の中で更に恐怖がリピートされた。彼の心に、あの黒い異物が何度も襲いかかる。恐怖と混乱でいつしか彼は失神してしまった。何時間か過ぎた頃。彼は深夜に帰宅した父に起こされた。「どうしたんだその顔。まるで幽霊でも見たみたいだぞ」 父は背広を脱ぎながら、軽口を聞いた。「化け物だよ、黒くて臭い化け物を見たんだ」「おいおい、冗談だろ」 父は笑っている。Gさんは父に詳細に目撃談を説明したが、いっこうに信じてもらえず、笑われてしまった。「そんな馬鹿な。夢でも見たんだろう」 父はそう言うと、笑いながら風呂に入ってしまった。すると、翌日、不気味な出来事が起こった。 ちょうど庭を接している隣家のおじさんが、脳溢血で亡くなったのだ。あの物体は死の前兆なのか。彼の恐怖は再び強く強く心を締め付けた。 以来、黒い物体は、知人や肉親など、身近な死に付随して現れた。まるで、死に便乗して姿を現す死神のように。 黒い物体と人間の死はセットのように、何度も彼の前で展開された。「あいつは、死神だ」 Gさんは自分が見た黒い物体をそう思ったという。監修:山口敏太郎事務所
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芸能ネタ 2017年11月27日 22時59分
故・hideの愛用ギターを持っているタッキーの家は、X JAPANグッズだらけ
タッキー&翼・滝沢秀明が、18年2月3日スタートのフジテレビ系『家族の旅路〜家族を殺された男と殺した男〜』で、弁護士役に初挑戦することが発表された。あわせて、主題歌もソロで担当。4月には主演する和ミュージカル『滝沢歌舞伎』も控えており、ファンには明るいニュースが続く。 滝沢といえば、昨年から今年にかけて、ジャニーズ初の金字塔をいくつも打ち立てている。昨年12月、ジャニーズデュオでは初のディナーショーを大阪と東京で開催、チケットは即日完売した。また、今年2月、ホーユーの白髪染め『メンズビゲン ワンタッチカラー』の新CMキャラクターにジャニーズタレントで初めて起用。現在は、新シリーズがオンエア中だ。ひと昔前まで、アイドルと白髪は無縁で、そこに貴公子キャラの滝沢が参入したのだから、これはちょっとしたニュースだった。 昨年好評だったディナーショーは、今年12月、地元である東京・八王子を皮切りに、愛知、東京・品川、兵庫、福岡の全国5か所に拡大。一流アーティストの証明といえるディナーショーの成功は、滝沢個人のステイタスをおおいに高めた。 そんな滝沢。最近愛しているのは、もっぱら“さくらちゃん”だという。どこの女と思いきや、これは桜の盆栽。夏あたりに購入するや、心を奪われてしまい、溺愛している。自身がパーソナリティーを務めるラジオでは、「さくらちゃん」というコーナーをはじめてしまうほどだ。来年6月、愛知・御園座のこけら落とし公演で『滝沢歌舞伎』が催される際には、枯らさないように連れて行くという。 そんな“彼女”と双璧をなすほど心血を注いでいるのは、意外なことにX JAPANだ。というのも、小学生くらいから大ファンなのだ。芸歴22年で当然、仕事で一緒になる機会はあったものの、ライブに行ったのは今年が初めて。グッズを大人買いして、使用分と保存用で2個買った。いつもは購入されている側の人間が、まさかの爆買い。おかげで、「とにかくファンの方の気持ちわかる」ようになったという。 自室は、Xミュージアム館さながら。玄関には、尊敬すべき故人・HIDEが愛用していたギターを飾っているという。プライベートタイムでは、弾き愛でることがあるようだ。 現在、タキつばは無期限の活動休止中。音楽的なチャートでは芳しい数字を残せていないが、滝沢単体の仕事は絶好調。彼を支えているのは、愛する2つのアイテムなのかもしれない。
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ミステリー 2017年11月27日 22時04分
怖い話『泳ぐ首』
鉄道ファンから念願叶って駅員となったものの、職業柄度々霊現象にも遭遇するというWさん。 彼はこんな体験をしたという。 ある駅に勤務していた時の事、病人が連続で発生した近くの駅に応援に行かされた事があった。 あまり良い噂の無い駅だったのであまり気乗りしなかったのだが、上の指示は絶対である。 Wさんはその駅でマグロ処理の応援にあたった。 だが、どうしても礫死体の頭部が見当たらないのである。 仲間と何度も付近を捜索したが発見できなかった。 上司の命令で通常の倍のエリアで頭部の捜索が続けられたが、とうとう断念せざるを得なかった。 悲惨なのは、礫死体の遺族である。 礫死体は地元でも評判のスポーツ女子高生であった。 何しろ水泳部の有力選手だったらしく、朝に事故が起こったというのに、夕方には水泳関係者は現場に押し掛けて大変な騒ぎとなった。「○○ちゃん なんで自殺しちゃったの〜」「○○先輩、水泳に行き詰まってたんですか」 同じ水泳部員は皆一様に泣いている。 それはそうである。 チームのエースがいなくなったのである。 瞬く間に現場は花で飾られた。(まさか、頭がみつかってない、なんて言えないよな) Wさんがそう思っているのとは裏腹に、現場に集まり泣きじゃくる生徒や、うなだれる教師は去ろうとはしなかった。 そんな時、駅に一本の電話が入り駅の職員が応対した。 電話主は駅付近の学校の教頭である。「今日の朝、おたくの駅で人身事故がありましたよね。話によると、たしか〜女子高生が飛び込み自殺したとか…あの、つかぬ事お伺いしますが…その礫死体の首ってみつかりましたか?」「いえ、具体的には申し上げられませんが、何故そんな事を聞くのですか」「ええ〜、実はうちのプールに女性の生首が浮いているんです」「…!!」 バラバラになった女子高生の首は、線路沿いにある学校のプールに浮いていたのだという。 ぷかぷかと水面を漂う女子高生の首。 それからしばらくその界隈は首の噂で持ちきりであった。 生首になっても水泳を続けた女の子の話題で…。監修:山口敏太郎事務所
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芸能ネタ 2017年11月27日 12時21分
真野恵里菜がサッカー日本代表候補・柴崎と熱愛!
まのえりこと元ハロー!プロジェクト出身の女優の真野恵里菜が、来年のサッカーW杯ロシア大会の日本代表入りを目指すスペイン・ヘタフェのMF柴崎岳と交際中であることを、25日付の一部スポーツ紙が報じた。 記事によると、2人は共通の知人を介して知り合い、1年ほど前に交際に発展。約1万キロ離れたスペインと日本を互いに行き来して愛を育んできたそうで、結婚を視野に入れた真剣交際だという。 柴崎は今年の試合中、左足第5中足骨を骨折し戦線を離脱。10月に手術を受けた後、日本でリハビリを行っていたが、真野が献身的にサポート。 真野は07年からハロプロのフットサルチームで活躍。サッカーに詳しく、柴崎と共通の話題も多く、現在もプライベートでチームを組んでいるほど。料理も得意だというから、サッカー選手の妻にピッタリだ。 各メディアによると、同日、真野は都内の映画館で、出演映画「覆面系ノイズ」の初日舞台あいさつに登場。退場時、報道陣から「交際は順調ですか?」などと交際に関する質問が飛んだが、スタッフにブロックされ何も答えず。ほほ笑みながら一礼し、そのまま会場を後にしたという。 「ハロプロ時代はいまいちブレークしきれなかった真野だが、このところ、NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』、TBS系『逃げるは恥だが役に立つ』で好演し、女優として波に乗っている。しかし、柴崎ほどの選手で、海外でプレーするとなると、現地に渡ってのサポートが必要。結婚を選ぶか、仕事を選ぶかの選択を迫られそうだ」(芸能記者) 現状での代表入りはなかなか厳しそうだが、柴崎が日本代表のメンバーとして、ロシアのピッチに立てるかどうかは、真野のサポートにかかっているようだ。
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芸能ネタ 2017年11月27日 12時20分
川口春奈が盗撮に苦言…一方、木下優樹菜は一般人を盗撮?
23日、女優の川口春奈がブログを更新し、知らない人に写真を撮られて勝手にインターネット上にアップされることに対して苦言を呈した。 川口によると、「仕事中もそうでないときも」勝手に写真を撮られるそうで、「わたしはそれは嫌なんだよな。すごくすごくすごくすごくね」と思いを吐露。「撮らないでって言わないとわからないのかな?」と皮肉を込めることも忘れなかった。 だが、川口にとっては、この盗撮被害を訴えることは苦渋の決断であったよう。「言わないと伝わらないもんは伝わらないからこんな内容なのは申し訳ないけどここに残させてください」「へぇーそうなんだー。でもいいからそう思ってるってことを知るだけでもいいから、どうかご理解ください」とファンを思いやった。 過去にはダレノガレ明美やきゃりーぱみゅぱみゅなども、止まない盗撮に苦言を呈していた。今回のこの川口の発言に関しては、一部で批判があるものの、「よく言ってくれた」や「ものすごく同感です」といったおおむね理解を示すコメントが寄せられている。 だが一方で、「一般人」からモラルがないと指摘を受けたのは木下優樹菜だ。木下は先日、親友である青山テルマとの動画をインスタグラムにアップしたのだが、そのバックにいる一般の人たちの顔が隠しきれていなかったのだ。一応、周りの人にはキラキラの星のスタンプをつけて加工がされており、木下としては顔が分からないように配慮はしたつもりなのだろう。しかし、それが完璧とは言い難く「キラキラずれてる」「ちゃんと顔隠しなよ」といった非難が殺到したのだ。 確かに芸能人のSNSを見ても、そこにいる一般人の顔が隠しきれていないショットもよく見かける。たまたまそれが明るみになったのが、批判を受けやすい木下のインスタグラムであったというだけだ。 要するに、芸能人だからというのではなく、一般人も芸能人も“互いにマナーを守る”ということが大切なのだろう。
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社会 2017年11月27日 10時00分
天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 大平正芳・志げ子夫人(中)
大平正芳という政治家は、のちに「鈍牛宰相」と言われたように、派手さとは無縁の男、その本質は、「哲人」「求道者」に近かった。 したがって、政治家に愛人の一人くらいいても、世間はとやかく言わなかった時代にして、そうした噂は皆無であり、妻・志げ子“一筋”であった。旧大平派担当記者の証言がある。 「総理のときです。玄関前がざわつき大平が私邸に戻ってくると、大平の“第一声”は『おかあさんは?』というものだった。家人が留守を伝えると、決まって機嫌が悪かった。一方、家にいればいるで、そうかといった感じ、何やらホッとした表情を浮かべるのが常だった」 二人は、折から日中戦争の火ブタが切られる直前の昭和12年(1937年)4月15日、見合い結婚をした。大平は、旧制高校当時、クリスチャンとしての洗礼を受け、東京商大(現・一橋大学)に進み卒業とともに大蔵省に入った。結婚は、その翌年。 一方の志げ子は「三木証券」創立者の鈴木三樹之助の二女で、「貞淑有馬の婦人を育成する」がモットーだった松陰女学校を出たばかりであった。大平の見合いは、3回目。前2回のそれは、大平が相手を気に入らなかったことによる。大平の知遇を得ていた古参の政治部記者の、こんな証言が残っている。 「大平によれば、見合いの席で志げ子さんがお茶を運んできたとき、手がぶるぶる震えていたのを見、これが好印象に残ったから決めたということだった。それにしても、見合いから挙式までわずか1カ月という“スピード婚”で、慎重さ人一倍の『アーウー宰相』などとも言われた大平にしては、なかなか素早いところを見せた。結婚までのデートは、なぜか新宿の伊勢丹デパート家具売り場が多く、大平いわく『ああいうところなら、あまり目立たんだろうと思ったからだ』ということだった。志げ子さんのほうは、口数の少ない誠実な男に映ったようだった」 晴れての新居は、東京・杉並区内に構えたが、大平は志げ子に最初の給料袋を渡すとき、こう言って新妻を慌てさせたのだった。 「僕は学生時代、カネがなくて育英資金のお世話になったんだ。毎月、ちゃんと返済しておいてくれ」 志げ子は、大蔵省1年生の安月給の中から、毎月、定められた日に郵便局へ通い、きちんと払い続けたのであった。ために、生活は楽ではなく、なんとか志げ子の“手腕”で切り抜けたのだった。一方で、当時、大蔵省入省から10年ほど経った大平は、苦学生のためにと大日本育英会(現在の日本育英会の前身)設立に心血を注いだという経緯がある。 結婚から3カ月後、大平は横浜税務署長に赴任したのだが、その1年後、今度は仙台税務監督局部長としての辞令が出た。このときの仙台へ向けての赴任の日のエピソードがある。 「その日、折り悪しく京浜地帯の多くは台風による豪雨と洪水に見舞われた。当時、大平は横浜近くの磯子に住んでいたのだが、東京-横浜間の交通も途絶してしまって、これでは決められた日までに着任ができない。一計を案じた大平は、やむなくパンツ一つでトランクを頭にくくりつけ、川の渡しもかくやの格好で増水した六郷川(註・川崎と蒲田の間を流れる)を泳ぎ切って、からくも東京へ出たんです。その際、尻にバイ菌が入ったらしく、仙台着任後まもなく“痔”になり、入院するはめになった」(前出・古参の政治部記者) この仙台税務監督局部長には、ドブロク密造の摘発も仕事の一つだったが、ここでは大日本育英会の設立に心血を注いだのと同様の根の優しさを見せている。大平自身が自著『私の履歴書』(日本経済新聞社)の中で、こんな告白をしている。 「税務署の密造監視班は、未明から起きてその摘発にとりかかるのが常だった。そして、ようやく東の空が明るくなる頃、ドブロクの入ったカメが発見され、ただちに調書がとられて即決の処分が行われる。若者は働かねばならないので、大体、老人がその責任を取るようになっていた。時折、その現場に立ち合った私は、『権力』と『民草』と『被治者』の悲しい関わりについて、何かしら割り切れない、やり場のない気持ちに沈んだものである」 その後も、昭和19年の東京財務局関税部長時代、戦時中の国民生活に思いを致す大平の姿が浮び上がる。「戦局の一層の悪化に伴う厳しい耐乏生活の中で、一般大衆が一日の仕事が終わったあとビヤホールで一杯飲んで疲れをいやすとか、一合の酒でうさ晴らししてもらう必要があるのではないか」(前出『私の履歴書』)として、ナント都内に300軒の「国民酒場」なるものを作ってしまった“泣かせる男”でもあったのである。 この頃、大平は大蔵省の先輩でのちに総理となる池田勇人の知遇を受けることになる。やがて政治家への転身、志げ子の新たな“戦い”が始まることになる。=敬称略=(この項つづく)小林吉弥(こばやしきちや)早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。
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その他 2017年11月26日 13時00分
日本軍の正式コンドームの名称は『突撃一番』
戦地ではケガや病気がつきもの。戦闘による負傷はもちろん、衛生環境が悪化しやすい前線で感染症を患ったリ、慣れない地での任務では風土病に悩まされることも多かったであろうことは、現代に生きる我々でも容易に想像がつく。しかし、そんな我々が見落としがちなのが、戦地における性病の流行だ。 不謹慎な話に感じる読者もいるかもしれないが、なにせ危険な戦闘地域には女性があまりいないので、相手をしてくれる女性にはどうしても男が集中する。そんな環境で性病が発生すれば、たちまち部隊の大部分が性病もちになりかねず、衛生環境や兵士たちの健康状態が一気に悪化しかねない。実際、ベトナム戦争中に米軍や韓国軍が利用したとされる慰安所も、軍医の定期的な検診を行っていたにもかかわらず感染率は1000分の200に達し(1966年)ていたらしい。つまり5人に1人は感染していたというのだから、戦地における性病予防がいかに大変なことかが分かるだろう。 そうした事情は、もちろん第二次世界大戦中の日本とて同じこと。当時の日本軍は性病から兵士たちを護る目的で、公式のコンドームを支給していたという。その名も『突撃一番』。その名の由来については一説によれば、戦地で突撃の際には頭に「鉄帽」をかぶることと、女のアソコに突撃する前にアソコにコンドームをかぶせることをかけたものといわれている。誰が決めたか知らないが、ずいぶん粋なネーミングを考えたものである。 そんな冗談のようなネーミングからは想像もつかないが、このコンドームの使用はかなり厳格に定められていたそうで、性交の際には性病予防薬『星秘膏』と併せて用いるルールになっていたといわれている。真偽不明ではあるが、性病に感染した際には慰安所に行ったことよりもコンドームをちゃんと着けなかったことの方が怒られたという話もある。 ちなみに、突撃一番は陸軍専用で、海軍では同様に『鉄兜』という名前のコンドームが支給されていたといわれている。しかし、もっぱら話題にのぼるのは突撃一番ばかりなのは、やはりそのネーミングの妙によるものだろうか…。
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芸能ネタ 2017年11月25日 22時43分
チュートリアル・徳井の幼少期の行動にドン引き
11月23日に放送された『アメトーーク!』(テレビ朝日系)は、「幼なじみとコンビ芸人」という括りで、チュートリアルやオアシズなど、幼なじみで今もコンビを組み続けている芸人たちが、相方の幼少期のエピソードを披露。番組内では、チュートリアル・徳井義実が、相方の福田充徳に幼少期にとった恥ずかしい行動をバラされ、出演者をドン引きさせた。 蛍原から「福ちゃんの知ってる徳井は?」と話題を振られた福田は、「これ小学校1年か2年の時なんですけど、学校の近所に徳井の好きな人がいたんですよ」「女の子の家の前に行くとかなら、なんとなくわかるじゃないですか? こいつ、その子が家出てる間に、勝手にその子の家の中に侵入したんですよ」というエピソードを披露。幼少期の話とはいえ、徳井のとんでもない行動に会場内が凍りつく。 聞き手として出演していた大石絵理も「キモチ悪いっ」と、両腕を抱きながらドン引きのコメント。「7歳の淡い恋心ですからね、それは。素敵な物語として捉えてください」「変態のおっさんが忍び込んだわけじゃないからね」と徳井は必死に弁明した。 しかし、徳井は「それが(忍び込んだことが)影響しているのか、その子、その後に転校したんですよ」と、徳井の行動がキッカケで一人の少女を転校に追いやってしまった可能性に触れ、今度は自らの手で会場をザワつかせてしまう。 大石はさらに「今も、そういう変なのないんですか? 好きな人できたら」と質問。徳井は「ないし、あっても絶対言わへん」と返し、蛍原に「ないで良いやん」とツッコまれ、会場内は笑いに包まれた。 過去に「女の子大好き芸人」の括りで出演した際、女性への異様なこだわりを見せた徳井。女性への探求心は経験で培われたものではなく、幼少期からすでに備わっていたのかもしれない。
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GI朝日杯FS マイネルレーニア 血の魔力で勝つ
2006年12月07日 15時00分
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GI朝日杯FS オースミダイドウ V4で2歳王者 クラシックヘ 無敗街道
2006年12月04日 15時00分
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GI阪神JF 藍子 イクスキューズ
2006年12月02日 15時00分
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GI阪神JF 古谷自信の本命 イクスキューズ
2006年12月01日 15時00分
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GI阪神JF 新阪神コース大歓迎 ルミナスハーバー強襲
2006年11月30日 15時00分
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GI阪神JF追い切り速報 ぶっちぎった前走からさらに上昇 アストンマーチャン鋭伸
2006年11月29日 15時00分
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GI阪神JF 藤沢和師が岡田繁幸氏が素質大絶賛 日本一の相馬眼にかなった逸材 イクスキューズ
2006年11月28日 15時00分
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GI阪神JF アストンマーチャン 2歳女王へ
2006年11月27日 15時00分
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GIジャパンC 世界最強へ ハーツ 2度目のディープ狩りだ
2006年11月21日 15時00分
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マイルCS確定 古谷指名 大穴 ロジック
2006年11月17日 15時00分
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マイルCS メジャーGI連覇だ
2006年11月13日 15時00分
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GII AR共和国杯 ドラゴンキャプテン嵐呼ぶ
2006年11月04日 15時00分
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JBCマイル バトラーV4で決める ダート界制圧
2006年10月30日 15時00分
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GI天皇賞・秋追い切り速報 バランスオブゲームまた固まった
2006年10月25日 15時00分
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GI天皇賞・秋 注目は黄色と黒の縦ジマ勝負服 狙え!社台ファーム2頭 ダンスインザムードとローエングリン
2006年10月24日 15時00分
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GI菊花賞追い切り速報 フサイチジャンク反撃
2006年10月18日 15時00分
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GI秋華賞 藍子 キス&キッス軸
2006年10月14日 15時00分
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GII毎日王冠 テレグノシス花道V
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よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分