スポーツ
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スポーツ 2015年03月25日 13時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン〉
1981年5月、アブドーラ・ザ・ブッチャーの移籍に端を発した新日本VS全日本の“引き抜き合戦”。だが、一口に引き抜きと言っても両者の内情は大きく異なっていた。 「言うならば“行き当たりばったり”だったのが新日本です。ブッチャーとの契約は、当時タイガーマスクの版権絡みで関係の深かった梶原一騎の関係者からの紹介を受けたもの。ブルーザー・ブロディにしても、全日本と契約でもめていたのを知ってから手を出しただけ。いずれも新日としての長期的な展望や戦略があったわけではありません」(スポーツ紙記者) ところが、全日本は違った。ブッチャー移籍の直後には、まず新日の悪役エース、タイガー・ジェット・シンを獲得したが、これはブッチャーの抜けた穴を埋めて陣容を整えるためだけのこと。あくまでも本命は“その次”にあった。ブッチャーの新日登場から半年が過ぎた'81年末。最強タッグリーグの決勝戦という最高の舞台に、ブロディ&スヌーカ組のセコンドとして登場したスタン・ハンセンである。 「その直前まで新日のシリーズに参戦していただけに、ファンはもちろん関係者の多くも全く予想していなかった。何しろブロディですらギリギリまで知らされていなかったというほどの極秘事項だったのです。ブッチャー引き抜き事件の直後には既にハンセンと接触していながら、最も効果的な登場のタイミングをしっかりと計っていたわけです」(同・記者) 新日に特大のダメージを与えると同時に、全日のエース外国人として育て上げる。綿密な計画の下に準備された引き抜き劇だったのだ。 その結果、ハンセンの移籍は全日、新日双方のファンに強烈なインパクトを与えることになった。 新日では既に猪木を凌駕したとの評もあり、善悪の枠を超えた人気を誇っていたハンセンが一体、全日のリングでどんな試合を見せるのか−−。そんな期待感と同時に、一種の戸惑いを覚えるファンも少なくなかった。 「ハンセンとやったら、馬場は殺されるんじゃないか?」 ハンセン初登場時の乱闘で、馬場はハンセンをチョップで撃退するなど互角に渡り合ってみせたものの、それでも不安はつきまとった。 当時の馬場は同年春のチャンピオンカーニバルで優勝を果たすなど、まだまだ一線級にはあったが、しかし、そのスローモーな動きをお笑いのネタにされるなど衰えも顕著だった。ブロディら大型選手とも互角の闘いぶりを見せてはいたが、ハンセンはそれらとは異質な存在。ブレーキの壊れたダンプカーとも評されるそのスピードとパワーを兼ね備えたブルファイトは全日にはなかったもので、しかも全盛期を過ぎた馬場が相手では試合のリズムから何から到底かみ合うようには思えなかった。 そんな期待と不安の中で迎えた翌年2月の初対決。“圧倒的ハンセン有利”の下馬評を覆し、馬場は試合開始早々から伝家の宝刀16文キックで攻勢に出る。 ハンセンも持ち前の荒々しいファイトで応戦するが、腕折りの連発など馬場のペースで試合は進み、ついには32文ロケット砲までも炸裂。 10分を過ぎたあたりでハンセンもラリアットを繰り出したが、これはロープ際で両者場外に転落。もみ合う中、レフェリーのジョー樋口が巻き込まれたところで試合は終了となり、12分39秒、両者反則の引き分けに終わった。 新日時代と変わらぬハンセンのスタイルと、これに闘志むき出しで対抗した馬場。初対戦での白黒こそはつかなかったが、両者の闘い模様は予想外の好勝負となり、同年のプロレス大賞(東京スポーツ新聞社制定)で年間最高試合賞を受賞することになる。 既にこのころには鶴田への“主役禅譲”を視野にマイペースな試合ぶりの目立っていた馬場が、真正面から闘ってみせる。これこそハンセンへの精一杯のもてなしであったともいえよう。 ハンセンもまた、そんな馬場の心遣いに応えるかのごとく、馬場との抗争の後も鶴田、天龍らのライバルとして、またキャリア晩年には若手の壁として、引退の時まで全日にその身を捧げることになった。
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スポーツ 2015年03月23日 13時00分
本誌独占 ヤンキース特別顧問就任・松井秀喜「五輪イヤー」の巨人監督シナリオ
今年のシーズンオフにも巨人監督就任が予想された松井秀喜氏(40)が、ヤンキースの特別アドバイザーに就任にした。これで「読売と決別」と考えるのは早計。そこには五輪イヤーの巨人監督シナリオという秘策が隠されていた−−。 小久保裕紀監督率いる侍ジャパンが日本代表強化試合で格下の欧州代表に2-6で敗れた3月11日、ニューヨークから耳を疑うようなニュースが飛び込んできた。ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGM特別アドバイザーに松井氏が就任と発表があったのだ。契約は1年。シーズン中、同GMやゲーリー・デンホ選手育成担当副社長とともに傘下のマイナー球団の試合を巡回視察し、直接指導するなどして若手野手の打撃のレベルアップに取り組むのだという。 「巨人・原監督の契約は今シーズン終了まで。読売首脳は続投させるのか、松井、あるいは高橋由伸兼任コーチに代えるのか。白石オーナーを中心に将来の設計図作りの真っ最中です。長嶋茂雄終身名誉監督の意向は“今秋に松井監督”にあり、その方向で進んでいたのですが、突然のヤンキース入り。これで最下位にでもならない限り、原監督の続投は決定的です」(スポーツ紙デスク) 不思議なのは読売陣営に悲壮感などサラサラなく、むしろ「将来へ向けて、しっかり勉強をしてきてほしい」と歓迎していることだ。いや、ヤ軍に送り込んだのは巨人サイドという情報さえある。 「今やMLB傘下のマイナー球団は宝の山なのです。北中米選手に加えて、ちょっと前までは野球の不毛地帯に思えた欧州各国が一気に力を付け、日本の若手を凌駕する選手がゴロゴロ出てきた。侍ジャパンの苦杯がそれを象徴している。プロが参加するようになった2000年シドニー五輪以降、日本代表のトップチームが欧州のチームに負けたのは今回が初めてですが、これは不運とかいう類いの話ではない。ヤクルトのバレンティン、楽天のジョーンズはオランダ人。そのオランダ以上に野球熱の高いイタリアからもオリックスにマエストリ投手が加わり、外国人選手の勢力地図を塗り替えている。松井氏がヤ軍の巡回コーチを買って出たのは、宝の山から本物の宝石を見つけ出し、巨人に連れてくる狙いもあるのです」(巨人OBの野球解説者) 松井氏の特別アドバイザー就任のニュースはスポーツ専門チャンネルESPNで「ヒデキ・マツイがヤンキースのフロント入り」、CBSテレビでも「この男を覚えていますか、そうあのゴジラです」と紹介するなど、米メディアでも大きく取り上げられている。松井氏は「引退してからずっと声を掛け続けていただいて、今回、このような機会をいただけたことに感謝しています。若い選手たちを指導し、少しでも組織の力になれるように力を尽くします」と謝意を表した。トップチームのコーチより、マイナーでの指導を望んでいるのは明らかだった。 「松井に託されたミッションは巨人の若手選手を受け入れる環境作りです。現在、ヤンキースには2013年ドラフト2巡目で指名された加藤豪将内野手(20)がいる。両親ともに日本人で3歳から6歳まで神奈川県で育ち、移住先のサンディエゴで野球を始め、現地の高校で打率4割1分1厘、25本塁打、114打点を記録。日米親善高校野球大会で、甲子園で春夏連覇した興南高校の島袋洋奨(昨年、ソフトバンクがドラフト5位指名)を打ち崩した逸材です。日本人選手がメジャーのドラフトで上位指名されたのは彼が初めて。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)入学が決まっていたのを、ヤンキースが非凡な才能を見込んで指名した。本人はWBCや五輪で侍ジャパンの一員としてプレーすることを望んでおり、松井氏は長嶋さんに教わったように、マンツーマン教育を考えているようです」(NY在住ライター) 実は名門中の名門ヤンキースは今年から、ある試みを始めた。15人の未来のスター候補生を集め、『キャプテンズ・キャンプ』という英才教育プログラムを実施する。そのメンバーの1人に抜擢されたのが加藤であり、打撃コーチが松井氏なのである。 「この先、巨人は松井氏を通じて、このエリート養成キャンプに有望選手を送り込み、2020年東京五輪へ向けた強化プログラムを実施する考えです。これまで海外留学というと、技術面よりハングリー面を学ばせるのが主目的だった。しかし、巨人は米国、中米、欧州の超一流の若手と競わせようというのです。松井氏はこのキャンプで育て上げたスター候補生とともに巨人に戻り、監督就任というシナリオ。それがしやすいように、コーチではなく、フロント入りしたのです。国際派だけに、東京五輪の侍ジャパン監督も兼任できる。もちろん、原監督に異論はなく、すんなりと政権交代が進むことになる」(前出のOB解説者) どうやら背景に透けて見えるのが、テニス世界ランク4位まで上りつめた錦織圭の存在。松岡修造氏が開催する強化合宿『修造チャレンジ』に参加し、ソニー創業者の盛田ファンドの奨学金制度を受けて渡米。ニック・ボロテリー・テニスアカデミーで世界のエリートと切磋琢磨し、実力を付けた。巨人はこれを野球に応用し、ヤンキースの松井氏の下で実行しようとしているのである。 5年後が実に待ち遠しい。
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スポーツ 2015年03月23日 11時45分
依然ふがいない横綱・大関陣… 白鵬の独走阻止した照ノ富士は春場所の“救世主”
大相撲春場所(3月8日〜22日=大阪・ボディメーカーコロシアム)は、横綱・白鵬(30=宮城野)が14勝1敗で自身2度目の6連覇を達成し、34度目の優勝を成し遂げた。 初場所、白鵬は独走で13日目に優勝を決め、ファンはドッチラケとなってしまった。今場所もまた独走で初日から12連勝。2差で追走する新関脇・照ノ富士(23=伊勢ヶ濱)との直接対決(13日目)を制すれば、2場所連続13日目に優勝が決まる惨状になるところだったが、照ノ富士がそれを止めた。 照ノ富士は真っ向勝負で白鵬から初勝利を挙げ、両者の星の差は1に縮まった。照ノ富士は14日目のライバル・逸ノ城(21=湊)戦を水入りの末、勝利すると、千秋楽も大関・豪栄道を破って、13勝2敗で終えた。 結びの一番で、白鵬が横綱・日馬富士に敗れれば、優勝決定戦に持ち込まれるという状況になった。その結果、白鵬が日馬富士に辛勝したため、優勝決定戦は露と消えたが、最後の最後まで優勝争いへの興味をもたせた照ノ富士は、今場所のまさに救世主だった。 一方、白鵬以外の横綱は鶴竜が休場、日馬富士は10勝(5敗)で辛うじて2ケタ勝利。大関に至っては、稀勢の里の9勝(6敗)が最高で、琴奨菊と豪栄道はともに8勝(7敗)どまりで、勝ち越すのが精いっぱいで、誰ひとり大関の責任といえる2ケタ勝利を挙げられなかった。 北の湖理事長(元横綱)は「3人とも白鵬に勝てない上に2ケタ勝利もいない。ふがいないと言われても仕方ない。番付が大関とはいえ、照ノ富士の陰に隠れてしまった」と苦言を呈した。 依然ふがいない白鵬以外の横綱、大関陣をシリ目に、希望の光となりそうなのが、照ノ富士と逸ノ城だ。照ノ富士は来場所、優勝でもすれば、一気に大関昇進の声も挙がるだろうし、2ケタ勝てば、7月の名古屋場所が大関獲りの場所となる。先場所、初土俵以来、初の負け越しを喫した逸ノ城は日馬富士、稀勢の里、琴奨菊を破るなどして、9勝(6敗)をマークし、三役返り咲きが濃厚となった。 あいにく、人気ナンバー1で、実力をつけてきた遠藤(24=追手風)が5日目に、左ヒザ前十字じん帯断裂及び左ヒザ外側半月板損傷の重傷を負った。遠藤は来場所休場する可能性があり、手術を受けた場合は長期離脱となるだけに、当分期待はできそうにない。 それだけに、“大関候補”である照ノ富士と逸ノ城にかかる期待は大きくなりそうだ。(落合一郎)
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スポーツ 2015年03月22日 17時00分
大相撲春場所連日満員御礼でも力士客激減でガッカリの大阪色街
「大阪の春は大相撲から」と言われるが、今年は少々様相が違っている。夜の街に“本場所の賑わい”が感じられないというのだ。 力士にとって部屋を離れる地方場所は、羽を伸ばせる絶好の機会ともいえる。 「顔がバレんようにさえすれば問題はないんで、楽しみにしている力士は多い。以前から愛好家の力士が多い風俗といえば、飛田や九条などの“ちょいの間”だった。短時間で済むのと、出入りも人目に付きにくいのがその理由。場所前、場所中の深夜に見かける大男が巨体を隠すようにして乗っているバンは、春の風物詩でしたよ(笑)」(地元風俗関係者) 戦前にまで遡るという“お得意様”としての長さも、安心感につながっているという。 「ガールズバーやキャバクラは力士との付き合い方を知らん娘が多いから、どうしても揉め事の元になる。かといって、若い力士は北新地の高級クラブでは遊べない。結局、ミナミの色街での遊びになるわけです」(元力士) ところが、ミナミのある飲食店主はこう語る。 「いつもの年なら、2月末には夜ともなれば力士が現れ華やかな雰囲気になるんやけど、今年は少ない。取り組みが始まってからはなおさらや。風俗どころか飲食店も寂しい限りですわ」 その原因の一つには、いまだ残る大阪場所中止を招いた4年前の八百長問題の影響もあり、「地元にもそのイメージが強く残っていて、力士を見る目が厳しい。それで各部屋でも、力士に自制を求めているところが多い」(関係者)という。 さらにここへ来て、外国人観光客の急増も力士の外出が減る理由になっている。 「力士との付き合いを知らない点では、外国人観光客は若いキャバ嬢よりひどい。特にアジア系の観光客は道端で見かければ背中を叩いたり行く手を塞いだりとやりたい放題。それでトラブルになったら洒落になりません。その点でも、力士たちは外出時の行動に関して厳しく言い渡されています」(前出・元力士) 力士も草食化が進みそうだ。
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スポーツ 2015年03月22日 13時00分
阪神・和田監督が悩む西岡の起用法
阪神の和田豊監督が“サード西岡剛”に悩んでいる。 「和田監督自ら説得に当たりました。それも、4回も。西岡は二遊間の守備にこだわりが強く、自主トレのころ『正二塁手争いでもし負けたらベンチスタートでいい』とまで言い切っていました」(在阪記者) 和田監督の理想は『1番・鳥谷敬、3番・西岡』だ。二塁を守る上本博紀は失策も多く、好守でガチンコ勝負した場合、西岡に軍配が上がるだろう。しかし、フロントにも配慮しなければならなかった。 「フロントが上本と中堅手の大和を高く買っています。上本は契約更改の席で『生え抜きとして、自分がチームを引っ張っていく』と言い、その意気込みに、フロントは『頼りになる生え抜きが育ってきた』と喜んでいました。その上本を外すとなれば、和田監督のウケは悪くなるだけ」(同) 西岡の三塁コンバートは、さかのぼれば昨季終盤、外野に転向させる案も出ていた。「西岡の三塁守備はうまくない」と一軍首脳陣が判断したが、西岡はこの話を直接ではなく報道陣から教えられ、カチンときた。それが二塁固執発言につながった。 直接通達が遅れたのは、鳥谷の去就がハッキリしなかったことに尽きる。 しかも、和田監督が下手に出た経緯をバラしたのは、西岡だという。西岡はおとなしく三塁でノックを受け始めたが、グラブは二塁手用。こうした態度が反感を買わなければいいのだが…。 「阪神は先発投手のトレード補強を模索中です。和田監督が評価していても、トレードはフロント主導で進むもの。交換要員に西岡が加わったとしてもおかしくはありません」(同) ここにきて西岡の調子自体が上がらず、和田監督は「新井もいい状態でいるし…」と三塁・新井良太もあることを示唆しだした。 阪神はベテランが多く、交換トレードはまとまりにくい。生え抜きではない西岡は放出しやすいだけに、ひと波乱起こりそうだ。
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スポーツ 2015年03月22日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(27)第五部・ゴルフシーズン突入「好きなゴルフ場(千葉県)編」
3月も終わり、4月に入ります。桜の季節で、スギ花粉の飛散もそろそろ終了。本当にいい季節になりました。 ゴルフ日和という事で、今回から私がお気に入りのゴルフ場をご紹介したいと思います。あくまで「個人的な意見」ですが、もしかしたらお役に立てるかもしれません。参考になると嬉しいです。 私の主戦場は主に千葉県。平坦あり、トリッキ−ありの多彩なコースが楽しめます。コースの選定は、メンバーで決まります。上手いメンバーですと、平坦よりトリッキ−なコースに行く事が多い。その逆に100切りを目指すメンバーの場合は、スコアの出やすい平坦なコースをチョイスします。 コースの選定権は、暗黙の了解でメンバーの中で一番上手い人が持っています。ただ、私が千葉のコースを好むので、基本的に千葉のコースは覆りません。ゴルフは上達するにつれて、トリッキ−なコースが好きになります。難しいコースで、ベストスコアを出すと気分がいいですからね。 その逆で平坦なコースの場合、まあまあのスコアでも納得出来ない事が多い。ただ、100切りという明確な目標を持っている人にはもってこい。こういうコースで目標を達成し、自信を付けてトリッキ−なコースに挑む−−これが理想ですね。 私は12月〜2月までのシーズンオフやシーズン始め、不調の時に平坦なコースを利用します。フォームの確認もありますが、「自信を付ける」という意味合いも含んでいます。勿論、これは諸刃の剣で、スコアがまとまらず散々だった時は、「自信を無くす」結果になります。 一般的なゴルフ場は傾斜があったり、1つ1つのホールが男性仕様に設計されている事から距離が長かったりします。ところが、私の通う平坦なゴルフ場は、傾斜が無いのは当然で、男性仕様にあるような距離でも無い。つまり、真っ平らで距離が短いコースなのです。 ここで寄り道。通常、女性はレディースティーという場所から第一打を放ちます。一方、男性はレギュラーティー。この距離を18ホール合計すると、トータル2000ヤードは違います。ゴルフの上手いコはレギュラーティーで勝負する事も珍しくありません。 それはさておき、今はネットでコースが見られる時代。私は、メンバーと事前にコース確認をしてから予約を入れます。コースは、ゴルフ場のHPに掲載されているので、皆さんもゴルフに行く前には必ず、確認して下さいね。とはいえ、慣れているコースの場合、コースマネジメントがしやすい。私は割と同じゴルフ場に通いますね。 千葉県のほか、ゴルフ留学時代によく行っていたゴルフ場は、海外のニューカレドニア。ニューカレドニアには通算で50〜60回は行っています。それだけ通っているので、コースマネジメントは完璧。全てのホールを記憶しています。「ここが落ちていて」、「ここにOBの杭があって」、「180ヤード地点に池があって」…などなどです。 次回は、ニューカレドニアのゴルフ場での楽しみ方などをご紹介していきたいと思います。●3月28日・1stトレーディングカード(発売元:ヒッツ)発売、発売記念イベントもあり!小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」 http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年03月21日 17時00分
逸ノ城を追い抜く照ノ富士の実力
「すでに実力で照ノ富士は逸ノ城を上回っている。春場所前、稽古をしない逸ノ城とは対照的に、照ノ富士は同じ部屋の日馬富士、宝富士、安美錦らと連日の猛稽古。今後は大関への足固めをするはずです」 こう語るのは相撲関係者。 照ノ富士と逸ノ城。毎場所、力相撲となる両者は鳥取城北高校の先輩後輩だ。2人は同じ飛行機で来日したことでも知られる。 「先輩の照ノ富士は人懐っこくて素直。しかし、報道陣から逸ノ城の話を振られると嫌がる。それだけライバル心が強い証拠です」(スポーツ紙記者) いずれも素質は折り紙付き。しかし最近は稽古量に差が表れているという。 「逸ノ城は自分の素質、実力に絶対の自信を持っているのでしょう。しかし、幕内はそんなに甘くはない。稽古で手を抜くと当然ながら勝ち星も挙がらず、すぐに忘れられてしまいますよ」(前出・相撲関係者) 一方の照ノ富士は伊勢ヶ濱部屋の所属だが、元は間垣部屋の力士だった。 「最初の四股名は若三勝(わかみしょう)でした。師匠の間垣親方は自身の若三杉(後に二代目若乃花)の名前の一部を取って命名したつもりだった。ところが、その師匠は脳出血の後遺症で稽古場に姿を現せず、女将は亡くなっており、ちゃんこも大嶽部屋で食べさせてもらっていたんです」(同) 結局、間垣親方は部屋経営が困難となり廃業。照ノ富士は伊勢ケ濱部屋に拾われたのだった。 「稽古ができる環境となると、照ノ富士はガ然、力を発揮しだした。新弟子時代の苦労があればこそです。その点、鳴り物入りでデビューした逸ノ城は新入幕で優勝争いに絡む活躍をした。その油断が今、稽古量に表れている」(元力士) 春場所の2人に注目だ。
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スポーツ 2015年03月21日 13時00分
ウチの試合で投げさせて! 黒田効果を期待するセ5球団
広島カープの2015年ペナントレースのキーマンは、広島愛に溢れた漢、黒田博樹(40)で間違いなさそうだ。 戦力面はもちろんのこと、メジャーリーグでの活躍を経ての帰還で知名度は抜群。その証拠に、有料放送『スカパー!プロ野球セット』の全国CMに登場することが決まった。さらには、地元広島TV局3社が生中継した復帰会見のDVDが発売されることも決定。昨年からのカープフィーバーも加えて、広島戦がドル箱カードになるのでは、とソロバンを弾いている関係者が多いという。 「黒田の公式戦初登板は開幕3試合目の3月29日日曜日と予想されています。同日のヤクルト戦を生中継すれば、ある程度の視聴率も期待できます。裏番組で巨人戦とぶつからなければの話ですがね」(TV制作スタッフ) 予告先発がファンに告知されるのは前日。ローテーション通りに先発投手が回れば、次回の黒田先発日も分かるのだが、広島の場合はそうはいかない。 「野村謙二郎監督の時代が特にそうだったんですが、先発ローテーションに外国人投手が入ると、変則になりがちなんです。前田、大瀬良らは『中6日』できっちりまわしていきますが、外国人投手は米球界の習慣で『中4日』を求めてきます。野村監督の時代、中4日でまわす外国人投手と、中6日の日本人投手の2パターンが存在し、そのしわ寄せでローテーションを1回飛ばされる投手も出たり、後半戦はスクランブル体制で中5日の投手も現れたりと、広島の先発は読みにくいんです」(プロ野球解説者) コーチとして前任者を支えた緒方孝市新監督も、外国人投手の心境は分かっている。したがって、プロ野球中継を行うTV局側は「この日に、確実に黒田が出てくる」という保証を得ないまま、準備に入らなければならない。 「できれば、黒田が投げるという確実な情報があれば、宣伝を打つこともできますし…。シーズン半ばになれば、40歳の黒田が『中6日』ではなく、もっと間隔を明けて登板する可能性も出てきます」(前出制作スタッフ) 対戦するセ5球団も“黒田効果”に期待している。真剣勝負のペナントレースを戦っている以上、対戦相手の球団は広島側に黒田の登板日を尋ねることはできない。また、対広島戦を放送するTV局側にしても、「黒田が投げる、投げないでスポンサーの反応も違ってくる」という切実な事情もある。集客にしろ、視聴率にしろ、営業サイドの本音は「できれば、黒田の登板日を早めに教えてほしい」というわけだ。 「黒田がいれば、地上波から消えつつあるプロ野球中継の放送回数を回復させることも可能です。黒田がV9以来となる4連覇を目指す巨人打線に立ち向かう姿、球団創設80周年を迎えた阪神に挑む熱投…。黒田が投げるのなら、広島対阪神を放送しても、東京圏でも視聴率を稼げると思う」(同) 投げれば注目の的となるのは間違いない黒田だが、その効果にあやかるのは運頼みになりそうだ。
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スポーツ 2015年03月20日 13時00分
期待はずれのオリックス中島にチャンス到来 結果を出してレギュラー奪取か? それとも二軍か
大型補強に成功し、パ・リーグのV候補筆頭にも上げられていたオリックスバファローズに異変が起こった。3月14日に行われた広島とのオープン戦。その前の守備練習で、小谷野栄一(34)が左手親指付け根に打球を当て、そのまま試合を欠場。「長期化する怪我ではない」(チーム関係者)とのことだが、開幕前の最も重要な最終調整段階の時期の怪我である。これによって小谷野が開幕スタメンから外れる可能性も出てきた。 「これで、中島(裕之=32)の名前が再浮上してきました」(スポーツ紙記者) 同日、中島は5番三塁でスタメン出場したが、3打席で無安打。3打席目に四球を選んだところで代走を送られた。 オリックスは小谷野、中島以外にも、前DeNAのブランコ、FA市場の主役だった金子千尋の残留にも成功するなど、大型補強によって一気に優勝候補の戦力を有するチームになった。しかし、計算外だったのが、中島だ。 3年ぶりの日本球界復帰となった中島に期待する声は多かった。阪神や西武を交えての争奪戦になったことからもそれは窺い知れる。だが、5日の対ヤクルト戦とのオープン戦では、高いバウンドのゴロに合わせられず、内野安打を許す始末。打つ方でもいまだ快音が聞かれない。好守の主軸となるはずだったが、“13億円強の余剰戦力”に甘んじている。 「小谷野が間に合わないとなれば、三塁のレギュラーで使うでしょうね。小谷野にも申し訳ないが、中島の出番というか、働き場所がやっとできたというか…」(同) 中島の定位置は遊撃手だ。しかし、中島の体たらくを予感していたのか、キャンプ中は三塁、一塁の守備練習にまわされることも多く、この時点からスタメン落ちが噂されていた。 「理想をいえば、スタメンは固定したい。でも、いざというときのために複数ポジションを練習させている。中島がどこを守ることになるかは、小谷野との兼ね合い」 オリックス福良良一ヘッドコーチはそう語っていた。 そもそも、オリックスが遊撃手としての中島にオファーを出したのは、二塁の守備に入ることの多かったユーティリティープレーヤーの平野恵一が故障で開幕に間に合わないと伝えられていたからだ。三塁、もしくは一塁を予定して獲得したのは小谷野の方だった。しかし、平野に早期復帰のメドが立った。ここまで、中島は打てない守れないときていて、余剰人員となってしまった。小谷野の怪我がなければ開幕二軍も十分にあり得た状態だったのだ。 「打てない以上、代打でベンチに置いておくこともできませんからね。オープン戦終盤から開幕1、2節で結果を出せなければ、中島は二軍暮らしでしょう」(ベテラン記者) 優勝を争う以上、ファンも中島には厳しい目を向けるはず。しかし、結果を出すためのチャンスが転がってきた。強運としか言いようがないこの状況を、中島は活かすことができるだろうか。
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スポーツ 2015年03月17日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈栃錦vs若乃花〉
「昭和30年代から40年代前半あたりの大相撲の映像を見ると、むしろ今よりも力感にあふれスピードも豊か。技も多彩であったことに驚かされます。残されている映像は名場面の総集編ですから良いのが当然とも言えますが、そこを割り引いてもやっぱり昔の相撲の方が面白かったように思えます」(スポーツ紙記者) 格闘技に限らずスポーツ全般においては、実戦での技術もトレーニング法も進歩した現代の方が過去に比べて優れているものだが、こと大相撲においてはそうとばかりも言えないようだ。 「昔はそれこそ村一番の運動神経の持ち主たちが相撲界に集まったのでしょうが、今の日本人力士はそうじゃない。才能どころか、親が“引きこもりの息子を何とかしてほしい”と部屋に連れてくる例も珍しくなく、それでは力士のレベルが下がるのも当たり前。もともとの能力値の高い外国人力士が活躍するのも仕方がありません」(同・記者) そんな大相撲の歴史の中にあって、最も国民的人気を集めたうちの一つが栃錦と若乃花のいわゆる『栃若時代』である。 テレビ放送が始まった当初のころ−−。両者ともに体重は100キロ程度と当時としても小柄な部類。その俊敏な動きと多彩な技で巨漢力士を次々となぎ倒す姿は、多くの視聴者を魅了することになった。 ちなみに現在、大相撲協会が相撲の決まり手として定める82種の技のうち、反り技の多くは栃錦が使ったことからこれに定められたともいわれている。また小技が利くだけではなく、ともに腕力も人一倍。相手を引き込んで体を浮かせたところをひねり倒す“呼び戻し(仏壇返し)”を得意とした土俵の鬼・若乃花。そして、一度相手のまわしに食らい付けば絶対に離さないマムシの栃錦。 力と技とスピード、三拍子そろったそんな両者の闘いが面白くないわけがない。 実力伯仲の対戦では水入り取り直しとなることも多く、1953年3月場所ではあまりの熱戦から栃錦のまげがほどけ、いったん土俵下で結い直してからの再開という珍事も起きたほどである(結果は栃錦の勝ち)。 通算対戦成績も34戦中栃錦19勝に対して若乃花15勝(うち栃錦の不戦勝1)とほぼ互角。ともに横綱となった'58年3月場所からの10度の対戦では、まるで計ったかのごとく交互に白星と黒星を重ねている。 千秋楽での両者による優勝決戦も5回を数え、まさしくライバルと呼ぶにふさわしい関係だった。 そんな両者の最後の取組となったのが'60年(昭和35年)の3月場所。史上初となる全勝同士の横綱による千秋楽対決。 決戦前夜、あまりの緊張感から若乃花が気を紛らわすため映画館へ行くと、前の席に栃錦がいて「相手も緊張していたのか」と落ち着きを取り戻したというエピソードも残るこの一戦は、立錐の余地もない大阪府立体育館で行われた。 場内のみならず全国のテレビの前からも両者の一挙手一投足に注目が集まる。 ボルテージが最高潮に達したところで軍配が返ると、まずはそれまでの取組と同様に、両雄がっぷりの左四つ。そこから、先に若乃花が寄って出るが、栃錦はつり身で応戦。足を掛けての反撃に出たものの、これは若乃花がかわして残す。両者呼吸を計る中、栃錦は左の差し手を抜いて、若乃花の上手を切る一か八かの勝負に出る。 しかし若乃花はこの機を逃さず、右も差し込んでのもろ差しで一気に寄って出る。土俵際で懸命にこらえる栃錦であったが、ついに精根尽きて左足が土俵を割った。若乃花、初の全勝優勝達成の瞬間だった。 だが、そんな栃若時代は一転して幕が下りる。全勝対決の翌場所、栃錦が初日から連敗を喫したところで引退を表明したのだ。このときまだ35歳。 「衰えてから辞めるのは本意ではない」との師匠の教えを守った引退劇は、その潔さから「桜の花の散るがごとし」と評された。 一方の若乃花も栃錦の引退直後には3場所中2度の優勝を果たしたものの、同年末からは衰えが目立ち始め、'62年、こちらも34歳の若さでの引退となった。 時代は奇しくも、栃若全勝決戦と同じ'60年に初対決となった柏戸・大鵬『柏鵬時代』へと移っていったのだった。
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ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
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大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
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珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
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スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
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スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
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スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
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スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
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スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
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スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
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岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
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野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
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豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
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宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
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元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分