スポーツ
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スポーツ 2015年02月13日 15時00分
プロ野球キャンプに異変 最強・広島カープを大警戒する巨人・阪神ベンチ裏(2)
対照的に、広島はキャンプ入り前日の1月31日から明るい話題を振りまいていた。 「マエケンが緒方監督から開幕投手に指名されました。帰ってきた黒田をいい意味で意識しており、現エースとしての意地を見せようと気合いが入っています」(前出・スポーツ紙記者) 黒田博樹の帰還は、阪神にとって最大の脅威となるかもしれない。個人成績では福留孝介が日米通算3割強と相性の良さを見せているが、チーム全体ではむしろ悪い。『黒田対トラ打線』は打率2割6分8厘。通算アーチ15。この15本塁打はリーグワーストである(本誌計算)。チーム関係者によれば、黒田は「けん制球のクイックターンが速い」という。そのため、ヒットで走者を置いても一塁ベースにくぎ付けにされてしまい、得点できないのだ。 阪神の機動力は“無い”に等しい。昨季の総盗塁数「55」は12球団ワースト。ライバル巨人の半分くらいしか走っていない。けん制のうまい黒田の帰還は、細かい部分でもトラを脅かしているようだ。 「新井貴浩の広島復帰も厄介ですよ。好機で凡打を繰り返していましたが、チームの中枢にいた選手です。内野守備のサイン、藤浪、能見、メッセンジャーなど主力投手の情報も広島ベンチに流れるはずです」(前出・在阪記者) 和田豊監督は関西系メディアのインタビューで、昨秋の『阪神・巨人連合対MLB』を指し、「巨人選手は試合中に声が出ていた。そういうチーム一丸の姿勢がウチには少し足りない」と虎ナインのおとなしさも嘆いていた。 その巨人も、新主将・坂本勇人が腰痛で出遅れた。坂本は「やってしまったものは仕方ない」と切り換えていたが、リーグ4連覇に向け、いきなり水を差された格好だ。 「昨季は交流戦で大きく勝ち越し、中日をお客さんにしたから優勝できたようなもの。対広島は13勝10敗1分けですが、シーズン序盤は負け越していました。マエケン、大瀬良にてこずっていたところに黒田の帰還。ベテランの多い巨人が今季もスロースタートなら、投手陣を再整備した広島に追い付けないかもしれません」(ベテラン記者) 原辰徳監督がチームの命運を託したのは、やはり阿部慎之助だ。一塁コンバートの真意は、これまでの『主将・4番・守備の要』の3役の負担を減らすためで、阿部が打たなければ、たとえチームが勝っても盛り上がらない状況を見てきたからである。 正捕手の座は2年目の小林誠司とFA加入の相川亮二で争うが、投手陣に対する阿部の影響はむしろ強まりそうだ。 「阿部はブルペン捕手を務めながら、打者として必要な投球への目線を養ってきました。一塁手に専念する今季からはブルペン入りする必要はなくなったのですが、『バッターボックスに立って投球を見たい』と言っています」(担当記者) 菅野智之はハイペースで調整している。だが、年長の杉内俊哉、内海哲也らはそれほどでもない。小林、相川も阿部の目線が気になるだろう。阿部のブルペン訪問が余計な重圧を掛けなければいいのだが…。 「新人の戸根千明、高木勇人が一軍スタートとなりましたが、原監督のゴリ押しだったんです。DeNAの中畑監督は、高校時代『ハマのゴジラ(横浜高校)』として注目を浴びていた'09年のドラ1筒香嘉智を一人前に成長させましたが、原監督は母校の東海大相模高校出身で松井氏の『55』を一時引き継いだ大田泰示を、後一歩のところまで引き上げただけ。自分が手塩にかけて育てた選手も作りたいようです」(同) 巨人は今さらながら、マエケンや藤浪晋太郎など速球派投手に対応するため160キロに設定した打撃マシンを導入したという。補強惨敗の阪神ともども、これではポジティブな話題満載の緒方カープがぶっちぎる予感しかしない。
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スポーツ 2015年02月12日 15時00分
プロ野球キャンプに異変 最強・広島カープを大警戒する巨人・阪神ベンチ裏(1)
「広島さんがうらやましい。もう少し売れてほしい」 阪神タイガースの坂井信也オーナーが定例報告会後、そうこぼしていた。何がうらやましいかと言えば、広島東洋カープはマツダスタジアムでの年間指定席8300席分が即完売。それに対し阪神は『球団創設80周年』のメモリアルにもかかわらず、甲子園球場(主催試合)の年間指定席が売れ残ってしまったのだ(2月1日時点)。 「黒田効果で完売したとの見方が支配的です。黒田、マエケン、大瀬良の3人で40勝の計算も立ち、かつ外国人選手の補強にも成功しました。広島を優勝候補と見る関係者も多く、地元ファンも24年ぶりの胴上げに期待しているのでしょう」(スポーツライター・美山和也氏) 日本野球機構の発表によれば、昨季の広島の年間観客動員数は190万4781人。前年比21.7%増で、球団史上最多をマークした。一方、阪神はリーグ2位の268万9593人だが、前年比では3%のダウン。セ・リーグ全体では前年比3.4%増の1261万人強を集めた。その内訳は、巨人、DeNAも観客動員数を増やしたが、前年比の数値は広島が突出して高い。『カープ女子』の一大旋風を巻き起こした広島が、リーグ全体をけん引したと言っていいだろう。 「'14〜'15年オフ、FA市場の主役は金子千尋(=オリックス残留)でしたが、広島は堅実に外国人選手を補強しました。左の先発候補として前ツインズのクリス・ジョンソンを、同じく左腕のマイク・ザガースキーは救援で使えるめども立っている。好打者のヘスス・グスマンが加入したことで、エルドレッド一人に集中していた対戦投手のマークを分散することができ、投打ともに広島は戦力アップしています」(美山氏) さらに、ドラ1の野間峻祥外野手は緒方孝市新監督の肝いりで指名したスピードプレーヤーだ。 「彼は昨夏、巨人二軍とのプロアマ交流戦で活躍しており、一軍で通用するのは立証済み。原監督も一目置いています」(スポーツ紙記者) だが、阪神はオフの補強で全敗…。水面下で先発タイプの投手をトレード獲得しようとパ・リーグ各球団に“探り”を入れているが、色よい返事は聞かれない。しかも、自主トレ中の1月に“大誤算”も起きていた。「トラのドラ1は大幅な出遅れとなりそう」(球界関係者)だというのだ。 新人合同自主トレでのこと。初日の1月8日、1位左腕投手・横山雄哉だけが別メニューとなった。球団は12月の『21U野球ワールドカップ』で横山が投げていたことを指し、「大事を取って」と説明していたが、実際は違った。一週間が経過してもキャッチボールすら始められなかった。 「新人全員が参加したノックでも、横山だけは送球なしでした。他の新人投手がブルペン入りしても、18日になってやっとキャッチボールを始めたくらい。それも、20メートルほどの距離です」(同) ドラフト指名後のMRI検査で左胸鎖関節の炎症が判明。球団は補強全敗で消沈したムードに追い打ちを掛けまいとし、「大事を取って」と報道陣に真相を語らなかったのだ。しかし、横山の回復具合が芳しくなく、隠しきれなくなったのである。 「“レジェンド”江夏豊氏のキャンプ臨時コーチが決定した際、同じ1位左腕ということで、横山とのツーショットを撮らせてファンの期待もあおりたかったんですが…」(在阪記者) 江夏氏には、伝統球団特有のプレッシャーをはねのける心構えも説いてもらう予定だったという。その前に戦線離脱となってしまったわけだ。
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スポーツ 2015年02月11日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈アントニオ猪木vsウィレム・ルスカ〉
モハメド・アリとの格闘技世界一決定戦をぶちあげたアントニオ猪木。その前に立ちはだかったのがウィレム・ルスカであった。1972年ミュンヘンオリンピックの重量級&無差別級金メダリスト。これまで五輪柔道において、同一大会で2階級を制覇したのはルスカただ一人であり、その意味において、史上最強の柔道家と称しても決して過言ではないだろう。 柔道との出会いは10代も後半と遅かったが、生まれ持った強靭な肉体と人並み外れたパワーをもって一足飛びに頂点にまで上り詰めた。 「俺を差し置いて格闘技世界一などとは、しゃらくさい」と猪木アリ戦に割り込んだルスカ。そんな勇ましい宣言にふさわしいだけの実力と実績があったことに疑いの余地はない。 だが、その試合の契約書には「猪木に勝ってはならない」との条項があった。決して「格闘技最強」を目指したわけではなく、ファイトマネー目当ての参戦だったのだ。 ルスカと同じオランダ出身の柔道金メダリストに、東京五輪無差別級のアントン・ヘーシンクがいる。そのヘーシンクが国民的英雄として讃えられた一方で、ルスカが生活に困窮するまでに至った理由の一つには所属団体の違いがあった。主流派のへーシンクに対し非主流派のルスカは競技引退後、酒場の用心棒に身をやつしたりもしたという。 では、そうした経緯で行われた猪木とルスカの“プロレス”が“真剣勝負”ではないから価値がないのかといえば、決してそうではない。むしろ猪木の数多くの試合の中でも上位に挙げられる名勝負といえよう。 1976年2月6日、日本武道館。後に続く異種格闘技戦の第1戦−−。試合開始早々からルスカは払い腰で何度も猪木をリングに叩きつけ、裸締めや袈裟固め、腕十字で攻め立てる。対する猪木も柔道にはないエルボーやナックルパートの打撃技で逆襲すると、リング中央、コブラツイストで締め上げてみせる。 一進一退の攻防の続く中、倒れたルスカの頭部に容赦なく蹴りを放った猪木。これに対して怒ったルスカが柔道着を脱ぎ捨てると、その北欧人独特の白肌は真紅に染まっていた。 この試合前、ルスカは同門のサンボ王者クリス・ドールマンを伴って新日本プロレスの道場に出向き、猪木と手合わせをしたという。 「猪木の真剣勝負はアリ戦とパキスタンでのアクラム・ペールワン戦、韓国でのパク・ソンナン戦の計3戦だけ」などとまことしやかにいわれるが、その一方で「結果は決まっていても試合自体はナチュラルだった」との関係者の証言も多い。試合展開の筋書きを完全に作り上げることは猪木自身が好まなかったし、弟子たちにもやらせなかったというのだ。 そんな猪木が予行演習までしたというのだから、それほどにこのルスカ戦は、アリ戦に向けて決して失敗することのできない試合であり、猪木からしてみればこれこそが“真剣勝負”だったともいえるだろう。 そして、そんな猪木の意気込みは見事に成就する。バックドロップ3連発でルスカをTKOに下すまでは見せ場の連続。20分35秒というプロレスとしてはいささか長めの試合中、観客はひとときも飽きることなく歓声を送り続けることになった。 “結果が決められていない”という意味での真剣勝負、アリ戦と比べてみたときに、どちらの価値が高いかとなると意見も分かれようが、試合中の観客の熱狂度合でいえば明らかにルスカ戦が上回っていた。 大目標であるアリ戦の前に突如現れた大物刺客・ルスカ。これを見事討ち果たし大舞台へのステップを一段上がった猪木。 そんなストーリーラインから試合内容まで、全てが完璧にそろったという点で、やはり猪木vsルスカは日本格闘興行史でも屈指の名勝負といえよう。 激闘の末にバックドロップに沈んだルスカを見て、リングにタオルを投入したのはセコンドに就いたドールマンであった。そのドールマンは後に「オランダ格闘技界のドン」と称され、前田日明のRINGSを盛り立てるなど格闘史にページを刻むことになる。 アントニオ猪木とウィレム・ルスカ。それぞれの格闘遺伝子は、今なお脈々と受け継がれている。
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スポーツ 2015年02月10日 15時00分
逸ノ城・遠藤の不甲斐なさ
最強の横綱・白鵬に、思わぬ批判が集中している。 大相撲初場所は前人未到、史上最多単独33回目となる白鵬の優勝で幕を閉じた。それも13日目に優勝を決めるというぶっちぎり、10場所ぶり11回目の全勝優勝というおまけ付きだった。 北の湖理事長も絶賛を惜しまず、「これで終わるような横綱じゃない。次は40回の優勝という目標に向かってがんばってほしい」と激励したが、千秋楽から一夜明けて会見した白鵬は、祝宴のアルコールが残っていた影響か、その優勝を決めた一番、13日目に同体取り直しとなった大関・稀勢の里戦について「子供が見てもわかる相撲。もう少し、緊張感を持ってやってもらいたい」などと協会の審判部を痛烈に批判した。 この発言に対し、ファンから苦情の電話が殺到。北の湖理事長から師匠の宮城野親方を通じて厳重注意を受けるはめになったのだ。 この騒動に隠れてしまった格好だが、初場所でファンの期待を大きく裏切ったのは、逸ノ城と遠藤も同じだ。逸ノ城は積極さ不足と周りから攻略法や弱点を研究され、序盤から苦戦の連続。とうとう一度も白星が先行することなく、入門して初の負け越しを喫した。 遠藤もこれまでと同じように圧力負けが目立ち、唯一、存在感を発揮したのは14日目の琴奨菊戦だけ。 「最近の遠藤は支度部屋でも、負けるとほとんどノーコメント。勝った日も小さな声でしか話さない。相撲っぷりもそうだけど、幕内に上がってきたころの伸びやかさが消えてきたのが気になる」(担当記者) 相撲人気がV字復活し、連日、国技館は超満員だったが、この2人のどちらかでも勝ち越していればもっと盛り上がったはず。強過ぎる白鵬は、そのあたりを慮って“悪役”に徹しようとしているのかもしれない。
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スポーツ 2015年02月09日 15時00分
管理野球を掲げた工藤公康監督 おせっかいが過ぎてチーム空中分解の危険も
新生工藤ホークスがスタートを切った。 前年に日本一になっているチームを率いることになった工藤公康ソフトバンク新監督(51)に課せられているのは、常勝軍団の構築。キャンプインした際に早くも工藤カラーが見てとれた。 「工藤監督自ら投球フォームを指導する場面が見られました。ウォーミングアップは昨年よりも長い80分間が費やされたのも、工藤監督の方針です」(現地取材陣) だが、工藤監督はキャンプ前のスタッフ会議で、各担当コーチにこう通達もしていた。 「選手には自己管理の徹底を…」 それはグラウンド外においても、睨みを利かしていくことを意味している。今季から、ソフトバンクは『茶髪・金髪』が禁止となり、練習場所を移動する際には気分転換のためにガムを噛むこともNGとなった。『自己管理』には食生活も含まれており、遠征中にハメを外しすぎた選手がいれば、容赦なく二軍落ちを通告するという。 「昨年のいまごろ、伊原春樹監督が選手たちの髪型や服装を厳しく注意していました。年配の世代からすれば、伊原監督の主張は間違っていませんが、これが現代っ子気質の選手たちからの求心力を失うきっかけとなり、後のシーズン途中解任にも繋がりました」(ベテラン記者) 工藤監督は解説者時代に理想の監督像を聞かれ、広岡達郎、森祇晶両氏の名前を挙げていた。両氏は人材育成に優れた指揮官であり、工藤監督は若手時代に鍛えられた経験がいまの自分に繋がったと考えているそうだ。 「新人監督は自分が最も影響を受けた指導者のやり方を踏襲すると言われています。そこに自己流のアレンジを加えたり、チーム状況に適したやり方に改良し…」(同) 工藤監督、伊原氏は西武ライオンズの出身だ。伊原氏はコーチとして黄金期を築くのに一役買い、工藤はエースとしてチームを牽引してきた。広岡、森のイズムを継承したとしても決しておかしくはないが、当時はこの2人のやり方が管理野球とも揶揄され、生活面にまで及ぶ指導法は息苦しいものでもあった。 伊原氏が失敗したのは、管理野球を若い選手に適した現代風にアレンジできなかったためだ。工藤監督も単に選手を縛りつけるだけなら、同じ轍を踏むことにもなりかねない。あるプロ野球解説者がこう言う。 「監督は、担当コーチに役割を任せ、あまり動き回らない方がいい。工藤監督は若く、選手を直接教えるだけの体力もあります。自分の意に沿わぬ意見が担当コーチから出たとしても、それを受け入れる度量のある指揮官は成功しています」 一部では、投手育成のスペシャリストでもあり、年長の佐藤義則コーチ(60)と大学講義で理論を習得した工藤監督との折り合いを懸念する声も聞かれた。 このキャンプの最大の懸案事項であり、工藤監督と佐藤コーチが着手しなければならないのは、松坂大輔(34)の蘇生だ。いまのところ、松坂本人に調整を任せるが、2人が理論を戦わせることになるかもしれない。ホークスのキャンプは色々な意味で厳しいものになりそうだ。
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スポーツ 2015年02月08日 15時00分
巨人・松井監督誕生を潰す東海大学の中学硬式野球クラブ設立
今号の特集記事でも触れているように、巨人キャンプに異変アリ、だ。 次期監督候補、松井秀喜氏の宮崎入りが決まったが、今回は後輩たちを見守るだけ。「読売グループが拝み倒し、何とか顔を出してもらえることになった」(関係者)という。そんな情報を聞くと、監督就任を固辞する本人の意思とは、どこまでも裏腹なように見える。 一方で、巨人フロントは任期満了後も、原辰徳監督をむげに扱えない事態が起きている。 原監督の母校・東海大学が中心となって運営する『東海スポーツコミュニティクラブ』が、中学硬式野球クラブを創設した。チーム名は、湘南平塚北リトルシニア。手っ取り早く言えば、東海大が中学校の軟式野球とは別に、硬式チームを立ち上げたのだ。将来、有望な野球少年が集まるだろう。硬式チーム結成によって、中学・高校・大学の“10年一貫野球教育”も可能となったわけだ。 「リトルシニアの強豪チームは多々ありますが、東海大のチームはかなり本格的です。監督は大学野球のコーチと監督を経験した伊藤栄治氏が、またトレーニングコーチとして元五輪選手の高野進氏が着任することが決定しています」(スポーツライター・飯山満氏) 10年一貫教育は、アマチュア野球界にとって“革命”でもあるという。 「中学クラブの指導者、高校野球の監督は、遅咲きの選手の成長を見届けずに卒業させてしまうことを悔やんでいます。中・高校野球は体の成長が早い子にとって有利ですが、20歳前後で体が完成する球児がブレイクするのは高校卒業後。10年指導なら、早熟の球児、遅咲きの球児の両方をフォローできます」(同) 東海大グループ校卒の野球指導者が日本中に散らばっている。その人脈で、原監督の下にはスカウト顔負けのナマ情報が寄せられてきた。今回の10年教育により、原監督が巨人スカウト陣にさらに強い影響力を持つのは必至。 どうやら原監督の推す高橋由伸兼任コーチが、後継者の座をすんなりゲットすることになりそうだ。
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スポーツ 2015年02月08日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(21)第四部・100を切るゴルフ実践編「ゴルフの基本マナー・ボールマーク編」
2月も2週目に入り、今が一年で一番寒い時期。プレーするには、少し厳しいですね。 こういった時は実践から少し離れて、「マナー」について再確認してみては如何でしょうか。 今回は「基本マナー編」の中で意外に疎かにしがちな「ボールマーク」について再認識していこうと思います。 グリーン上にボールが落下した時、小さな穴があくことをボールマークと呼びます。又、補足として、ショットやアプローチした際、芝が剥がれる事をディポットと呼びます。ボールの落下で穴があくのはグリーンだけ。フェアウェイ上は落下で穴があく事は滅多にありません。 ここからが今日の本題。グリーン上にボールマークが出来たら必ず、修復する「義務」が生まれます。マナー最優先のスポーツですから、ここでは敢えて「義務」としました。その位、重要です。 グリーン上にボールマークがあると厄介で、特に私のライン上に穴があると集中力が切れてしまう。もっと言えばラインに穴があるとパッティングが難しくなります。穴の上をボールが通過するとスピード減は否めませんし、最悪の場合、ボールが変化してライン通りに球が転がらないという事態に陥ってしまいます。 私はボールマークにかなり敏感で、自分が作った箇所は勿論、すぐに修復しますが、プレー中にボールマークを見つけると私の「義務」では無いのですが、それも修復してしまう。クセなのか神経質なのか分かりませんが、皆が気持ち良くプレー出来る環境が一番ですよね。 最近、ボールマークを直さないプレーヤーが続出しています。これは絶対、改善して欲しい。ボールマークの修復は、「義務」最低限のマナーです。 ボールマークの修復は、グリーンフォーク(一見、熊手…みたいな器具)があるので、剥がれた箇所を軽く掘り、その後、土や芝を穴に埋め、パターの底を利用して均します。軽く「トントン」と押す感じで均すと綺麗に元通りになりますよ。 剥がれた芝や土がきれいに残っているボールマークはそれをそのまま戻します。 最後に、補足として触れたディポットについて…土や芝がバラバラに飛び散った時は常備してある予備の砂を使い修復します。この砂は大体、カート内に用意されています。 ボールマーク・ディポットは必ず、修復する心掛けを作って下さい。これもゴルフを円滑に楽しむ重要な“義務”です。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」 http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年02月07日 15時00分
まさかの炭谷残留でポジションがない! 打撃はレギュラーレベルの西武・森友哉
埼玉西武ライオンズの森友哉(19)がプロ2年目で一軍キャンプメンバー入りした。昨季、森は高卒新人ながら、3戦連続本塁打でファンの度肝を抜いた大型捕手候補。将来の四番候補でもあるが、田辺徳雄監督(48)はその起用法を決めかねているようだ。 「FA退団が確実視されていた正捕手の炭谷銀仁朗(27)が、一転して西武残留を選択しました。炭谷が退団したら、捕手として課題は多いものの、森を試合に出しながら育てていくと目されていました」(スポーツ紙記者) 炭谷が西武残留を決めた理由は森にある。炭谷が「森の捕手能力なら、正捕手の座を奪われることはない」と判断したからだ。 「2013〜14年オフに炭谷は減給査定を食らいました。14年シーズン中にFA権を取得するのはわかっていましたが、西武フロントは厳しく、マイナスの評価を下しました。当然、炭谷は面白くない。正捕手不在に泣く中日が獲得に乗り出すとされ、炭谷のFA退団は規定路線のように捉えられていました」(同) 森はルーキーイヤーの昨季、24試合に捕手で起用された。しかし、それはシーズン終盤であり、首脳陣がAクラス浮上は不可能と判断してのこと。だったら、森を勉強させてやろうと思っただけだ。結果、捕手としてはまだまだ勉強不足ということが明らかになった。 「打者としての素質、将来性を考えると、一日も早く試合に出すべき」(プロ野球解説者) 打者の森を高く評価する声は少なくない。しかし、守るところがないのだ。 「一塁かDH(指名打者)をやらせろって? そこは中村剛也とメヒアの定位置です。この二人は昨季本塁打王のタイトルを分け合った選手。どちらかだけを外すことはできない」(前出記者) しかし、一塁手とDHの定員オーバーは建前にすぎない。森がそのどちらかを掴み取る可能性はゼロどころか、むしろ大いにあると言っていい。 そもそも、西武は14〜15年オフの補強ポイントとして正三塁手候補を探していた。FA宣言した前日本ハムの小谷野栄一(34)、アスレチックス2Aの中島裕之(32)の獲得に乗り出したが、ともにオリックスとの争奪戦に敗れている。現時点では新外国人選手を起用する予定だが、同時に「メヒアが2年連続で活躍できるのか」といった不安の声や、「故障続きの中村はフル出場できない」という考え方もある。森は、一塁、DHの控え選手一番手でもあるのだ。 「捕手の森との相性のよさをアピールしているのは、相内誠(20=登録名は誠)などの若手投手たち。しかし、炭谷のような臨機応変のリードはできませんし、配球面が課題です。年長の投手たちも森にいろいろと教えていますが…」(前出解説者) 炭谷も森にアドバイスする場面があるという。プロの世界で先輩がアドバイスするということは、「コイツには絶対抜かれない」と見下されているのも同じ。炭谷は、捕手の能力で森に負けているところなどないと思っているはずだ。 森は、プロで捕手としてやっていきたいのであれば、首脳陣が起用法で迷っているいまだからこそ、バットで炭谷に圧倒的な差を付け、マスクを奪い取る必要がある。
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スポーツ 2015年02月06日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈第1回K-1グランプリ決勝戦〉
最後までリングに残ったのは、それまで日本では全く無名の2人だった。 1993年4月30日、東京・代々木第一体育館で開催された第1回K-1グランプリ。“10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント”とサブタイトルのついたこの大会で、参戦した8名の中でも本命視されていたのは、まず8年間無敗を誇ったキック界の帝王モーリス・スミス。そのスミスを直近の試合で破った悪童ピーター・アーツ。そして日本期待の新星・佐竹雅昭の3選手であった。 「当日のトーナメント表を見ると、同じブロックのスミスとアーツが準決勝でつぶし合い、そこを別ブロックで勝ち上がった佐竹が決勝で倒して優勝、というのが大会をプロデュースした石井和義館長(正道会館=当時)の描いた青写真だったのでしょう」(格闘技ライター) そんな“もくろみ”通り、第1試合で佐竹がKO勝利を飾る。相手のトッド・ヘイズは11戦11KOを誇る強豪ではあったが、その戦績はローキックを使わない試合でのもの。そこに付け入る隙があるのは事前から織り込み済みのことだった。 続く佐竹の2回戦、ムエタイ最強とはいうものの体格でひと回り以上劣るチャンプア・ゲッソンリットなら佐竹で勝てるというのが大半の見方であったが、勝ち上がってきたのは予想に反してブランコ・シカティック。 「正直なところ、シカティックはアーツが当時所属していたドージョー・チャクリキからのバーターで呼ばれたようなもので、もちろん前評判はアーツ以下。単なる員数合わせの選手だったのです」(同・ライター) プロフィール資料すらまともに用意されておらず、当時、実年齢37歳のところをテレビ中継では「34歳」と紹介されていたほど。チャンプア戦での勝利も、たまたま出合い頭に大振りのフックが当たっただけで、佐竹の勝利は揺るがないはずだった。 ところがその乱暴に振り回すようなパンチが、佐竹の顔面をも撃ち抜く。 どよめく会場。 「後にPRIDEでイゴール・ボブチャンチンがKOの山を築いた必殺“ロシアン・フック”。シカティックのパンチもそれと同質のものだったのですが、当時はみんな、それがわからなかったから、佐竹に勝ってもなおフロック視されていました」(同) さらに波乱は続いた。アーツ、スミスの2強を、これまた無名のアーネスト・ホーストが破って決勝に勝ち上がってきたのだ。 目玉選手がそろって敗退となると、どうしてもシラけたムードになりそうなものだが、しかしこの日の会場は違っていた。埋め尽くす超満員1万2000人の大歓声に決勝のリングが包まれる。 この当時、コアな格闘技ファンたちは“真剣勝負”に飢えていた。かつて熱狂した第2次UWFも崩壊から3派に分かれ、さらに“実はUWFもプロレスだった”などと囁かれ始めていた。そんな眼前で次々と繰り広げられた予想外の展開。しかもKO連続のド迫力。真剣勝負ならではの醍醐味に観衆は酔いしれた。 芸術的なハイキックでスミスを下したホーストか、超絶パンチのシカティックか。技とパワーがぶつかり合ったとき、一体どんな結末が訪れるのか−−。この日、会場に集まった全員が、格闘技の新ジャンルとして産声を上げたばかりの『K-1』に心躍らせていた。 観客の興奮がMAXに達したところで決戦のゴングが鳴らされる。 開始早々から前蹴りとローキックで攻勢に出るホースト。対するシカティックはジャブで相手との距離を測りつつ、眼光鋭く反撃の機会をうかがう。 そうして1R終了直前、佐竹を葬ったのと同じ右フックが唸りを上げた。あおむけに倒れたホーストは、そのままピクリとも動かない…。 衝撃的な結末への感嘆と、勝者シカティックへの称賛が場内に渦巻いた。 「出場選手の豪華さ、試合内容、結果の意外性、そしてニュースターの誕生。そんな全てがそろった第1回K-1グランプリこそは、過去のさまざまな格闘技興行の中でもベスト1でしょう」(同) 以後、K-1が10年以上にわたって格闘技ブームの主役となったのも、この奇跡の大会があったからこそであろう。
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スポーツ 2015年02月05日 15時00分
横浜DeNA 球界初の女性オーナー断行か 「本拠地移転」「身売り」「合併」3つの噂(2)
ところが新潟県側に目立った動きはない。代わって南場氏の就任を待っていたかのように、静岡県が1月21日、浜松市西区の市総合水泳場『トビオ』近くに3万人規模の野球場を整備することを決めた。浜松市と連携した事業で経費の一部を浜松市に負担させ、市県を挙げて津波発生時などに住民が避難できる施設を兼ねて新球場を造る計画だ 「以前から政令指定都市の静岡市と浜松市が連携してプロ野球球団を招致する計画を進めていたのですが、本拠地が静岡市ではなく、浜松市が本筋に変わったということ。静岡市の田辺信宏市長は'11年の市長選で『プロ野球球団誘致』を掲げて当選した手前、政府筋に精力的にロビー活動をしていた。しかし、静岡市民はやはりサッカー熱の方が強い。そこで浜松市の鈴木康友市長がバトンを受け継いだのです」(地元紙記者) 南場氏は総合的な判断で新潟ではなく浜松を選択したという。そこには“次のシナリオ”が秘められているからだ。球団売却である。 「実はこの浜松市の野球場建設計画に、地元のスズキが既に1億円を市に寄付しているのです。表向きは2020年の東京五輪で野球が復活するのを視野に入れ、世界企業であるスズキとしても協力したいということですが、同社の鈴木修会長の視線の先には“球団招致”がある。DeNAには静岡市出身の山下大輔二軍監督や浜松市出身で野球解説者の鈴木尚典氏がおり、本拠地移転の方策を探って話し合っているそうです。鈴木会長は星野仙一氏の後援者で、以前は中日ドラゴンズを支援していた。しかし、落合博満氏が監督、GMになってからは反りが合わず、支援を控えている。今後はDeNAに加担するようですよ」(同) 地元の横浜市にとっては驚愕の噂だが、もう一つ囁かれている話もある。カジノ運営で注目を集めているセガサミーとの連携・合体説だ。こちらは何とも雄大な計画である。 1月3日付けの一般紙に「カジノ横浜有力候補」という記事が掲載された。最有力視された候補地の沖縄は、昨年12月に就任した翁長雄志知事がカジノ導入に反対。お台場カジノも東京都の舛添要一知事がオリンピックを最優先させる方針を打ち出したことで頓挫。結果、「政府は横浜を候補地として検討し始めた」というものだ。 「この横浜カジノは林文子横浜市長が横浜港の山下ふ頭に建設を計画しているもので、京浜急行が母体となって運営する計画。しかし、もう一つ『みなとみらい21カジノ構想』が急浮上してきた。こちらは安倍晋三首相が後ろ盾となり、セガサミーが三菱地所と連携して事業参加する構想です。DeNAもここに一枚かみ、統合型リゾート整備の一つとして新球場を建設して加わろうとしている。みなとみらい21カジノが決まれば、南場社長が横浜の地で球団経営に本腰を入れるのは確実です」(球団関係者) 才女で知られる南場氏は津田塾大を卒業後、米ハーバード大に留学、MBA資格を得た。そのハーバード留学の同窓である楽天の三木谷浩史社長は南場氏の経営センスに舌を巻き、最もライバル視する関係にある。旧ベイスターズ売却時「プロ野球の名前を使い、課金システム問題のあるモバゲーをプロモーション化していいのか」と、11球団の中で唯一、DeNAの球界参入に猛反対していた。 そんな三木谷氏が「超ヤリ手」と評する南場氏は、果たしてベイスターズをどこにランディングさせるのか。球春に吹き渡る噂から“耳”が離せない。
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