スポーツ
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スポーツ 2015年04月22日 16時00分
監督代行・川相ヘッドが示した巨人の近未来像
川相昌弘ヘッドコーチ(51)の手腕をもっと評価しても良いのではないだろうか。 去る4月14日、DeNA戦が雨天中止となった。原辰徳監督(56)がインフルエンザに感染した件が発表されたのは同日夜のことで、球団は各メディアに伝えるのと同時に、川相ヘッドにも監督代行を要請していた。川相ヘッドも前日までインフルエンザでチームを離れていた。 「川相ヘッドは原監督と入れ代わるようにしてチームに復帰しました。復帰と同時に監督代行を務めることになりましたが、戸惑いは全く感じられませんでした」(ベテラン記者) 川相ヘッドの監督代行は初めてではない。同14日以降、奇しくも巨人は“常勝街道”に入り、首位戦線に浮上した。 川相采配による初黒星は15日の阪神戦だが、その試合を指して、年長のプロ野球解説者がこう評していた。 「7回表、先頭打者の村田が四球を選ぶと、迷わず、代走のスペシャリストである鈴木を投入しました。次打者の犠打失敗もあり、得点には繋がりませんでしたが、早めに仕掛けた作戦は間違っていない」 対戦チーム・阪神には、クローザーの呉昇桓がいる。9回最後の攻撃になれば、得点のチャンスは少なくなる。実際に『対呉昇桓』となった9回表も、相手の失策に付け込み、阪神ベンチをヒヤヒヤさせてみせた。川相采配を高評価するプロ野球解説者も少なくない。ひょっとしたら、この堅実な采配が巨人の監督後継問題にも影響してくるのではないだろうか。 原監督は今季で契約任期が満了する。経営陣がゴジラ松井にラブコールを送り続けているものの、色好い返事は帰って来ない。渡辺恒夫・球団会長は開幕前に催された巨人の応援組織『燦々会』で、「来季以降も」といったニュアンスを含む発言をし、“再々続投”も示唆したのは、松井氏を説得できていない事情も影響していたはずだ。 「いや、この状況で松井クンに次の監督をお願いするのは申し訳ない。有力候補である高橋由伸に対しても同様です。野手陣は世代交代のはざまにあり、若手はまだ一人前に育っていない」(関係者の1人) 原監督の続投が“ゼロ”になっていないのも、そのためだろう。 「松井待望論」が尽きないのは、人気回復のため。巨人は2年連続で主催ゲームの観客数を増やしたが、地上波でのナイター中継数は激減したまま。営業面で期待する向きがあるのは仕方ないとしても、チームの課題は野手陣の世代交代を進めること。松井氏に人気回復、世代交代、優勝の3つを課すのは気の毒な話であり、大田泰示、橋本到、岡本和真らの若手を一人前に育て上げた後に「松井氏か、高橋由伸を監督にし、長期政権を」というのが、もっとも自然な流れだろう。 そこでクローズアップされてきたのが、川相代行の堅実な野球だ。同ヘッドコーチは二軍監督を務めた経験もあり、大田、橋本らの性格も分かっている。『原-川相』の継承ラインもあり得るのではないだろうか。 また、ポスト原が内部昇格ならば、「次はゴジラ松井」というファンの期待も継続できる。 「近年、巨人監督に選ばれたOBは読売新聞スポーツアドバイザー職を務めてきました。その図式から考えると、現在、その職にある鹿取義隆氏も候補の1人です」(前出・ベテラン記者) 本命・ゴジラ松井を招聘する前に、巨人は世代交代という課題をクリアすべきである。
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スポーツ 2015年04月22日 12時00分
【甦るリング】第4回・はかり知れない強さを秘めていた悲運のエース・ジャンボ鶴田
R30世代以降のプロレスファンにとって、ジャンボ鶴田は決して忘れることができないプロレスラーの一人だろう。日本人離れした196センチの長身ながら、抜群の身体能力、運動神経、プロレスセンス、スタミナを持ち合わせ、ジャイアント馬場が第一線を退いた後のエースとして全日本プロレスをけん引した鶴田。その強さは半端なものではなかったが、マイペースな性格からか、なかなか試合で熱くなることはなく、本当の強さが垣間見られた試合はあまり多くなかった。その点では、鶴田はふしぎなプロレスラーであったかもしれない。 1951年3月25日生まれ、山梨県東山梨郡牧丘町(現山梨市)出身の鶴田は、ブドウ農園を営む家で育つ。山梨県立日川高等学校を経て、中央大学法学部政治学科に入学。当初はバスケットボールの選手だったが、アマチュアレスリングへ転向。抜群の運動能力を発揮し、短期間で急激に力を付け、71、72年には全日本選手権のフリースタイル、グレコローマンで2連覇を果たし、ミュンヘン五輪(72年)に日本代表として出場した。 体格、レスリングでの実績を馬場に見込まれた鶴田は、全日本プロレスへの入団を決意。同年10月、入団会見の際には、「全日本プロレスに就職します」との名言を吐いた。入団後、米テキサス州アマリロのザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)のもとへ修行に行き、翌73年3月、米国でデビュー。 同年10月に凱旋帰国し、いきなり、馬場と組んで師であるファンクスの持つインタータッグ王座に挑戦。60分3本勝負で行われた試合は1-1で時間切れ引き分けだったが、鶴田はテリーからピンフォールを奪う殊勲の星を挙げ、入団1年にして、馬場に次ぐ全日本ナンバー2の座を確保するスピード出世ぶりをみせる。75年2月、米テキサス州サンアントニオで、ファンクスを破り、インタータッグ王座を奪取。76年8月には復活したUNヘビー級王座の決定戦で、ジャック・ブリスコを下し、初のシングル王座を獲得した。 以後、全日本ナンバー2の座を確固たるものにするも、当時、世界最高峰といわれたNWA世界ヘビー級王座や、AWA世界ヘビー級王座に何度挑んでも、タイトルを獲れないことから、“善戦マン”のありがたくないニックネームが付けられた。83年8月、ブルーザー・ブロディを破り、インターヘビー級王座を奪取すると、馬場から全日本のエースの座を禅譲されることになる。 84年2月には、そのインター王座を懸け、AWA世界ヘビー級王者のニック・ボックウインクルとのWタイトル戦を行い、この試合を制して、日本人初のAWA世界王者となる。AWA王座は日米を股に掛けて、16度の防衛に成功。同年5月にリック・マーテルに敗れて王座陥落するまで、3カ月間保持した。 その後、全日本に長州力率いるジャンパン・プロレス軍団が参戦。長州といえば、鶴田と同様、ミュンヘン五輪に出場したレスリングの猛者だったが、85年11月、大阪城ホールでシングル初対決。試合は60分時間切れ引き分けとなったが、体格、スタミナに勝る鶴田は長州を圧倒。鶴田の強さをまざまざと見せつけたこの試合は、今でも語り草となり伝説となっている。 ジャパン軍が新日本プロレスにUターンした後の88年6月、谷津嘉章とのコンビでPWF世界タッグ王座だった鶴田は、インタータッグ王者のロード・ウォリアーズとのWタイトル戦を制し、王座を統一し、初代世界タッグ王者となる。さらに、89年4月、インター王座を保持していた鶴田は、PWF&UN両ヘビー級王者のスタン・ハンセンとトリプルタイトル戦で勝利。見事、3冠を統一し、初代3冠ヘビー級王者となる。これを機に、名実ともにプロレス界のトップとして君臨した。 当時、全日本ではナンバー3の扱いであった天龍源一郎が正規軍に反旗を翻し、天龍同盟を結成。鶴田に牙をむいた天龍との一連の抗争はヒートアップ。ふだんは沈着冷静なファイトをする鶴田だが、こと天龍戦に関しては熱くなり、鶴田がもつ本来の強さが引き出された。その意味で、天龍の功績は大きい。この頃の鶴田は天龍に負けることもあったが、とにかく恐ろしいほど強かった。しかし、90年4月、天龍が新団体SWSへの参画のため離脱。両者のライバルストーリーは突如、終止符が打たれ、後輩の三沢光晴が天龍に代わって、全日本のエースの座を狙う存在となる。 92年8月、三沢が初めて3冠王座に就いた直後の同年11月、鶴田はB型肝炎を発症したことを告白し長期療養に入る。93年10月に復帰したものの、第一線を退き、前座試合にスポット参戦するようになる。その後はプロレスと並行して、学問の道に進み、筑波大学大学院修士課程体育研究科でコーチ学を学び、慶應義塾大学、桐蔭横浜大学、母校の中央大学で講師を務めた。 99年1月に全日本社長の馬場が死去すると、同年2月に取締役を辞任し、引退を発表。同年3月6日、日本武道館で引退セレモニーを行い、全日本を去った。同月、米オレゴン州ポートランド州立大学に客員研究員として留学し、スポーツ生理学を学ぶが、肝臓の状態が悪化。肝移植を受けることを決意し、オーストラリアに渡り臓器提供を待っていたが、フィリピンでドナーが現れ、マニラで移植手術を受けたが、00年5月13日、手術中に大量出血し、49歳の若さで死去した。 プロレス界に大きく、その名を残した名選手の海外での最期は、あまりにも寂しく悲しいものだった。肝炎を患った後の晩年の鶴田の前座でのファイトは、全盛期を知る者にとっては、見るに忍びなかったが、本気になった時のはかり知れない強さをもった鶴田は、紛れもなく、日本プロレス界のトップ中のトップだった。だが、勝負論にこだわると、師・馬場とは直接対決の機会も少なく、一度もピンフォールを奪えないまま、全日本のエースの座を譲られたという点では、“悲運のエース”といえるのかもしれない。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年04月21日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第1回・ヘディングで一躍その名を全国にとどろかせた中日・宇野勝
日本プロ野球界は王貞治、長嶋茂雄、野村克也ら多くの偉大な選手を輩出してきた。彼らは数々の凄い記録を残したが、本項では、主に80年代、90年代に活躍した“記憶”に残るレジェンドたちを取り上げていきたい。 第1回は「ヘディング事件」で、あまりにも有名になった宇野勝(56=中日→ロッテ)だ。事件が起きたのは81年8月26日、後楽園球場で行われた巨人対中日戦でのこと。2-0と中日リードで迎えた7回裏二死一塁、巨人の打者・山本功児はショートへのフライを打ち上げて、3アウトチェンジかと思われた。 ところが、宇野は平凡なフライを捕球できず、ボールは宇野の頭を直撃。大きく跳ね上がったボールはレフトフェンス側へ転がり、一塁走者は生還。本塁を狙った打者走者はアウトとなり、同点になるのは防いだ。 当時投げていたのは、後に中日の監督となる“闘将”星野仙一。宇野のエラーで狙っていた完封がならなくなった星野は、激怒しグラブを叩きつけたのだった。試合はそのまま、2-1で中日が勝って、星野は勝利投手になって、ことなきを得たが、この「ヘディング事件」は、“世紀の珍プレー”として終生語り継がれることになり、宇野は一躍その名を全国にとどろかせた。 ちなみに、その年、宇野は128試合に出場し、25本塁打、70打点、打率.282をマーク。それまでで自己最高となる成績を収めている。 宇野の珍プレーはそれだけではない。打った後、前の走者を追い抜いてアウトになったり、ユニフォームを忘れて、コーチのユニフォームを借りて試合に出場したりで、まさに“天然”なプレーヤーだった。 「ヘディング事件」があまりにも有名な宇野だが、その実力はかなりなものであった。千葉・銚子商業時代に甲子園に出場。76年のドラフトで3位指名され、中日に入団。意外な気もするが、宇野は強肩で、当時は遊撃手としての守備が評価されての指名だったという。 3年目の79年に頭角を現し、遊撃のレギュラーを奪取。持ち前の長打力を生かして、82年には初の30本塁打をマーク。84年には37本塁打を放ち、掛布雅之(阪神)と並んで、初めて本塁打王のタイトルを獲得。翌85年には41本塁打を記録したが、これは遊撃手としてのシーズン最多記録だ。 元来、本塁打が多い反面、三振も多く、通算1306三振は歴代18位(4月8日現在)。打率は決して高くはなかったが、89年には1度だけ3割(.304)を打った。92年、若手の台頭で出場機会が減り、成績も下がってしまい、同年オフ、交換トレードでロッテに移籍。ロッテでの2年間は出番も少なく、94年オフに戦力外通告を受けた。獲得する球団はなく、宇野はこのシーズンかぎりで現役を引退した。 実働18年間で打った本塁打は338本で、堂々の歴代32位タイ。中日在籍時に放った334本は、同球団の最多本塁打記録として今でも残っている。現状、中日にホームランバッターがいないため、この宇野の球団記録は当分破られることはないだろう。遊撃手として3回ベストナインを受賞しているが、守備面ではファインプレーが多かったものの、平凡な打球をエラーすることも多く、ゴールデングラブ賞を受賞したことは一度もない。 引退後は名古屋のメ〜テレ(旧名古屋テレビ)や東海テレビで解説者を務めていたが、04年に落合博満が中日の監督に就任すると、宇野はその打撃理論を買われ打撃コーチに抜てきされた。08年までの5年間、コーチを務めて2度のリーグ制覇、1度の日本一に指導者として貢献した。 退団後、再び、東海ラジオやメ〜テレで解説の仕事をしていたが、12年、中日に第2次高木守道政権が誕生すると、コーチに復帰。2年間、務めたが、高木監督の退任とともに退団。14年からは再度、メ〜テレ、東海ラジオで解説者として活動している。「ヘディング事件」で伝説のプレーヤーとなり、一連の珍プレーで笑わせてくれた宇野は、まさに“記憶”に残る選手だった。しかし、残した成績はホームランバッターとして立派なもので、実力も伴った選手だった。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年04月20日 16時00分
絶好調!? 横浜DeNAで急浮上したイチロー次期監督
春の珍事では済まされなくなってきた中畑ベイスターズの快進撃。開幕から15試合を終えて9勝6敗(4月13日現在)。チーム打率.280、64得点、13本塁打はともにリーグトップ。1998年に権藤博監督の下で優勝したあのマシンガン打線に、バズーカ砲をトッピングしたような猛攻軍団だ。 17年前の元祖マシンガン打線は石井琢、鈴木尚がけん引し、谷繁、ローズの主軸が返す高性能銃器。大魔神・佐々木の超ストッパーもいた。それに比べて2015年型は当初、地味な印象だったのは否めない。昨年22本塁打した筒香嘉智は別格としても石川雄洋、梶谷隆幸、倉本寿彦といずれも“無印優良品”。抑えも小魔神、今春に亜細亜大を卒業したばかりのルーキー山崎康晃だ。これでなぜこうも勝てるのか不思議。なにより指揮官はあの天然キャラの中畑清監督だ。 「ワガママ助っ人のおかげですよ。総額5億円で獲得したグリエルに開幕直前にドタキャンされ、チーム構想が大崩壊した。下馬評では今年も最下位候補に挙げられていたのですが、深追いせず、逆に契約解除したことが良かった。予想外の効果をもたらしています。というのも球団はこの5億円をなかったものとして、優勝ボーナスに計上しようとしているのです。昨年の巨人は82勝61敗でリーグ優勝している。今季も優勝ラインは80勝前後でしょう。そこで1勝あたり600万円の特別査定枠を設け、その勝利試合の貢献度に応じて選手個々に年俸とは別にボーナス支給ということのようです。もっとも球団からすれば、あくまで優勝が前提だから支払わないで済む可能性の方が高い。逆転の発想で、グリエルに逃げられた痛手を勝利のエネルギー源にしているのです。万年Bクラスのチームが快進撃を続けるのは、この5億円のおかげです」(スポーツ紙デスク) もう一つ。ベイスターズ急上昇の理由はグラウンド外にもある。任天堂とDeNAの合体だ。 オープン戦真っただ中の3月17日、ゲーム界を揺るがす出来事があった。任天堂とDeNAが資本・業務提携を発表したのだ。 「これで任天堂が誇るマリオやポケモンがスマホで楽しめるようになる−−。市場に与えた衝撃は非常に大きかった。発表翌日の両社の株価はともにストップ高です。任天堂の時価総額は一夜にして4000億円増え、DeNAは売りに対して買いが150倍に達し、1300億円以上の買い注文を残して取引を終了したほど。球界一の巨人の年間選手総年俸は45億円ほどですから、スケールが桁外れに違う。その物差しでプロ野球を経営するのですから、ベイスターズが変身するのは至極当然なのです」(大手広告代理店) アベノミクスに背中を強烈に押され、兜町は日経平均2万円を突破し、経済界はバブル再来に沸いている。自社株を大量に保有するIT企業のオーナーたちはわが世の春、資産をさらに増やした。ソフトバンクの孫正義社長の資産総額は1兆6300億円、楽天の三木谷浩史社長は3900億円。今年からベイスターズの球団オーナーに就いたDeNAの南場智子取締役も400億円で、あのトヨタ自動車・豊田章男社長を上回っている。これだけみても、巨人や阪神が伸び悩むのが理解できる。 今回の業務提携を受け、ベイスターズの若手選手の目の輝きが変わってきたという。シアトル・マリナーズの筆頭株主は任天堂の米国法人。これでメジャー挑戦の夢がぐんと膨らみ、大きな刺激となっているのだ。 いわば、DeNAが米国でも球団を所有するようなもので、この先、どのようにも展開できる。相互の交換留学のような形で、本来認められていないレンタル移籍も事実上可能になる。メジャー進出で先行していた巨人、ソフトバンクはまとめて追い抜かれた格好だ。今後、メジャーを目指す有力選手はベイスターズを無視できなくなる。 その任天堂と切っても切り離せないのがイチロー(41)なのだ。マリナーズ時代の年俸14億円の一部は、現役引退後に備えて任天堂の株式で得ていたともいわれ、結果としてDeNAともつながった。そこで急浮上してきたのが、中畑清の後任監督だ。 今年で監督4年目を迎えた中畑監督だが、支えてくれた春田真前オーナーが退任。ハーバード大学ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得した“女傑”南場オーナーは任天堂との絡みもあり、イチローの監督招聘を強く望んでいるという。 「横浜は今、大きく変わろうとしています。2020年五輪・パラリンピックを最優先する東京都がお台場のカジノ誘致にブレーキをかけたことで、横浜市の山下ふ頭地区にカジノ場建設が確実になった。そのIR(統合型リゾート)の一環として、同地区に新しいドーム球場の建設計画が持ち上がっているのです。メジャーで活躍した“イチロー監督”なら海外からもプロ野球ファンを呼べ、興行的にも期待できる。この計画を前へ進めるためにも、横浜市の経済界にイチロー待望論が広まっているのです。横浜をプロ野球のメッカにしようということです」(地元記者) もう忘れてしまったかもしれないが、DeNAは今年のオープン戦で“セ・リーグ優勝”。おそらく、ここでも実弾が飛び交っていたのだろう。 ハマのニンジンは半端ではない。
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スポーツ 2015年04月19日 15時00分
周囲も戸惑う白鵬の優等生ぶり
白鵬の改心は、果たして本物か−−。 初場所の一夜明け会見で白鵬がぶちまけた稀勢の里戦の取り直しの裁定に対する不満以来、報道陣との対立は尾を引いたままだったが、ここに来て雪解けムードが漂っている。 「春場所千秋楽、日馬富士を破って優勝を決め、支度部屋に戻って来ても口をつぐんだままでした。そのくせ大勢の観衆が見ている土俵下のインタビューではペラペラですからね…。あれでは支度部屋の取材を主とする活字媒体が憤然とするのも無理ありません。案の定、翌日の新聞の扱いは針を含んだものでした」(担当記者) 一夜明け会見も開始時間を自分勝手に午後にズラして夕刊の時間帯を無視し、問題についても「もう終わったこと」と突っぱねた。 これでは、わがままのし放題で大相撲界を追われた朝青龍と大差ない。そう周辺から冷ややかな視線を向けられ、さすがにこのままというわけにはいかないと思ったか、3月29日から伊勢神宮を振り出しに近畿、関東周辺を回る春巡業が始まると態度を一変させた。 何と巡業初日には春場所とは手のひらを返したように報道陣の質問にもていねいに答え、「巡業中はできるだけ汗をかいていきたい」と抱負まで熱く語ったのだ。 翌日には力士たちを集め、尾車巡業部長(元大関琴風)に志願して、「春巡業の日程は土日中心で不規則で大変だけど、力を合わせて頑張ろう」とあいさつまでした。これには尾車巡業部長もびっくりで、「こんなこと初めてだよ。稽古も先頭に立ってやっているし、まだまだヤル気十分だな」と目を細めていた。 4月4日の神奈川・藤沢市巡業では、報道陣からも対戦相手を求めたほど上機嫌。この優等生ぶり、どこまで続くか見ものである。
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スポーツ 2015年04月19日 13時00分
北島康介を襲う「東京五輪キャスターで出場もムリ」の声
「選手としてできることをやりたいから、キツイ思いをしてきたけど、桜が散った」−−。4月8日、東京辰巳国際水泳場で開催された『競泳日本選手権』男子100メートル平泳ぎで、五輪2大会金メダルの北島康介(32)が“惨敗”を認めた。順位は3位だが、タイムは1分0秒18。国際大会に出場するために必要な派遣標準記録(1分0秒04)にも届かない平凡な記録である。 「他選手も『北島の今後が気になる』と心配しています。大会前、米国で高地合宿を行うなど、北島は復活に懸けていました。今年9月で33歳です…。来年のリオ五輪はもちろん、東京五輪出場はとてもムリでしょう」(体育協会詰め記者) 北島が日本の競泳界に与えた功績は記録だけではない。水泳連盟が前回ロンドン五輪で「金メダル獲得なら3000万円」という、他競技と比べても桁違いな報奨金を用意できたのも、北島人気で協賛スポンサーがゴマンと集まったからだという。好感度の高い北島を競泳界に踏みとどまらせておく方法はないものか…。 そこで真っ先に思い付くのは解説者だが「昨夏のパンパシ水泳での解説を聞いたでしょ? 初めてとはいえ、『スゴい』しか連呼できないようでは…」(同)と、かなり悲観的な声が聞かれた。確かにフィギュアの織田信成のような“三枚目キャラ”とも違い、松岡修造のような“熱血漢”でもない。解説者・北島はテレビ受けしそうにない。 「2009年にマネジメント会社を立ち上げ、ビジネスマンとしての活動も始めています。今年3月から米国企業の日本法人の代表取締役にも就任しており、実業家に専念するつもりなのでは? リオ五輪、東京五輪では、協賛金を出す側にまわるかもしれません」(テレビ局スタッフ) 北島は「来年、桜を咲かせたい気持ちはある」とも話しており、一部で「引退後の収入源は確保しているから、トコトンまで現役にこだわる」との見方もないわけではない。 競泳界は、果たして北島を手放さない“ちょー気持ちいい!”策を思い付くことができるだろうか。
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スポーツ 2015年04月19日 11時00分
高齢化が止まらない“おじん軍” 巨人から若手野手が出てこない理由
巨人のプロ2年目左腕、19歳の田口麗人(2013年ドラフト2位)が一軍デビュー戦を先発登板し、見事に勝利で飾ってみせた。試合後のお立ち台では自己紹介をし、その初々しい姿に、巨人投手陣の選手層の厚さと若い世代の台頭を実感したファンも多かったことだろう。しかし、巨人というチーム全体を見渡せば、野手を中心に高齢化を辿っている。 「田口が先発デビューした4月11日、スタメンの野手で20代は坂本勇人だけでした。主力選手の故障と不振が相次ぎ、坂本が4番打者に入ったため、『第62代巨人4番打者誕生』みたいな騒がれ方をしましたが、20代のスタメン野手が坂本だけでは先が思いやられます」(プロ野球解説者) 巨人の一軍登録野手を見渡してみても、20代は坂本と小林誠司(25)のみ。 レギュラー野手の高齢化といえば、ここ数年ずっと中日も指摘されてきた問題だ。しかし中日は、昨秋のドラフト会議で社会人野球出身の野手を大量指名し、若干ではあるが若手野手がスタメンに名を連ねるようになりはじめた。 それに対して巨人は、1番打者にDeNAを解雇された金城龍彦(38)を起用し、捕手の相川亮二の故障離脱によって一軍登録されたのは34歳の実松一成。捕手は他にも23歳の河野元貴と鬼屋敷正人がいるが、若い選手を抜てきする度量を見せることはできなかった。 「高い実績を残した選手が多いので、そういう選手を差し置いて実力が未知数であったり、使ってみるまで分からない若手選手を気軽に使うというわけにはいかないんです。FAで野手補強も続けてきたので、若手、中堅の出場機会は自ずと少なくなってしまう」(同) 阿部慎之助(36)を捕手へ復帰させた際にも、空いた一塁へ入ったのは井端弘和(39)だった。 「井端は今季、二塁手としてレギュラーの座を掴みました。井端の守備能力は高く、寺内や藤村といった中堅どころの選手とは比べものになりません。その井端を一塁へ回したときに、二塁手には彼らではなくベテランの片岡を選択した。その理由は、打線全体が低迷していたからです。片岡は寺内、藤村より打撃がいい。20代の控え内野手は打撃の実績が乏しい選手ばかりだからです」(スポーツ紙記者) これが一塁手井端、二塁手片岡の布陣を選択した理由だが、他にも井端が一塁手を任された理由がある。通常だと二遊間の選手や捕手が出しているバントシフトなどのサインを、巨人では一塁手が出す場面があるため、野球偏差値が高い選手でなければ一塁手が務まらないのだ。そうなると、経験値の豊富なベテランが重宝される。巨人の中堅、若手が一塁手で試合に出るためには、長打力といった打撃はもちろんのこと、高い守備能力も求められるというわけだ。 「言い換えれば、巨人では一度レギュラーを掴んだら、5年は安泰になるという図式です」(前出解説者) 原監督に近い関係者によれば、不振の村田修一(34)をスタメンから外すとき、高卒ルーキーの岡本和真(18)を大抜てきすることも考えているという。しかし、二軍首脳陣は守備難をクリアしていないことを理由に猛反対しているそうだ。日本社会同様に巨人も高齢化が止まりそうにない。これでは、巨人軍ではなく、“おじん軍”だ。
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スポーツ 2015年04月19日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(31)第六部・世界のゴルフ場「タイ編」
間もなく大型連休…GWですね。今年は最大で8連休(4月29日〜5月6日)。一般的には5連休でしょうか。 今回は「海外のゴルフ場」の部ですが、実はGWを狙っての企画。まだ、大型連休に予定が立っていない方は、海外でのゴルフをおススメします。 これは私に限った事ではありませんが、国内よりも海外でプレーした方がスコアはいい。「気分が高揚して…」など、メンタル的な理由もあるのでしょうが、決定的な違いは「習慣」。これだと感じています。 というのも、海外のゴルフではハーフタイム…いわゆる「ランチタイム(飲酒タイム?)」はありません。1番ホールから18番ホールまで一気に回ります。 ここが大きく異なるところ。日本では前半、好スコアであっても「飲酒タイム」が入り、後半グダグダになるケースはよくあります。又、中休みで集中力が切れて後半、雑になる事も多々ありますね。 海外でのゴルフは休んでいる暇は無いので、「流れが変わる」という事は原則ありません。 しかも、前述の通り「気分が高揚している」為、ハイテンションでプレー出来る。こういった場合はスコアがいい。環境が変わり、気分が前向きになる為、冷静に「攻めのゴルフ」が出来るからなのです。 ベストを狙うなら海外。騙されたと思って一度、挑戦してみては如何でしょうか−−。 私は豪州にゴルフ留学をしていた関係で、海外のゴルフ場はよく知っていると思います。その中で、「面白かった」と思えるのはタイ。ここはかなり、楽しかったですよ。 タイでは、プレーヤー一人につきカートが1台。つまり、1組で4代のカートが出動します。それもフェアウェイ走行が可能なのでコース中にカートが“散乱”している状態。冗談抜きで「カート渋滞」があります。 カートが4台出動すると言う事はキャディーさんも4人。プラス料金でサブのキャディーさんも雇えます。サブは傘持ちがメインですが、時には団扇でパタパタと煽って頂ける事もあり、女王様気分が味わえます。 タイのゴルフ場は、カートも多ければキャディーさんも多い。「御一行様」の移動となります。 最近では、日本のゴルファーが数多く訪れる事もあり、キャディーさんは基本、日本語が話せます。勿論、片言の場合もあるので、「話が伝わらないな」と思った時は英語で話してあげると喜ばれますね。 私はタイ語をかじっているので、キャディーさんにはタイ語で話しかけます。グリーン場でキャディーさんに「ラインを教えて」と尋ねると、よく「トントン」という返事がきます。これはタイ語で「まっすぐ打て」という意味。妙に日本語の上手なキャディーさんがいて、これは痛快でした。そのキャディーさんは「右ニチョット、ヒネルヨ…」。間違いではないですが、「捻る」は想定外。思わず吹き出しました。 プレー代は日本と同じくらい。ただ、キャディーさんの手配料は格安で、一人辺り約2000円。こちらはチップなので「気持ち」ですが…。キャディーさんの待機場所には大勢(のキャディーさんが)いらっしゃいますが、セレクトは出来ません。事前に担当が決まっている様です。 以前、やたら「おにぎり」を持っているキャディーさんがいてビックリしました。タイでもご飯が主食なので、「おにぎり」そのものは問題ないのですが、その数の多さは仰天。「何十個単位」です。それを「ゴハンタベナ」とむやみやたらと勧めてくる。プレーどころではありませんでした。 これはレアケースで、一般的には「どこから来たの?」「何才?」といったテーマですね。 それ以外の仰天エピソードは動物。ラウンド前、売店でチキンを購入した時の事です。さくさく食べてプレー開始。調子が良く、浮かれ気味に2ホール目に入ったその時…。私の目の前には数え切れないほどの鶏が出現したのです。 「もしかしたら、あのチキンは…」 これまでの「ウキウキ感」は何処へやら。一気に興醒めでホールアウトまで「あのチキンは、あの鶏?」が脳裏を駆け巡っていました。 それにしてもタイは「自然」です。ビックリするくらい野良犬が多く、彼らはゴルファーを気にしない。こちらがビビっているのに彼らは泰然自若。これが意外と厄介でしたね。さらに山に生息する大きなトカゲ君ともよく遭遇します。これは予期していないので、眼と眼が合った時は飛び上がってしまいます。恐らく皆さんも、そうなるでしょう…。 ゴルフどころではなくなってしまい、近年、タイでのプレーは写真に撮りまくり。この間は、何故か馬が走っていました。この馬は「野馬」なのでしょうか? ナゾです。 最後にタイの暑さは強烈です。女性は日焼けを意識して長袖シャツを着用しますが、これは「熱中症」と直結。私自身、一度、それで熱中症になり、39度の高熱に悩まされました。くれぐれも、ご注意くださいね。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年04月18日 18時00分
正捕手を決めない緒方カープの舞台裏
正捕手問題で揺れているのは、原巨人だけではなかった。相川亮二(38)の故障離脱を受け、原辰徳監督(56)は「99パーセントない」と語っていた一塁手・阿部慎之助を捕手に“再コンバート”させ、ファンを驚かせた。相川復帰までの「一時的な措置」だろうが、オープン戦でも見られなかった「捕手阿部、一塁井端、二塁片岡」なんて布陣を見せられると、「開幕早々からスクランブル体制か!?」と思ってしまう。 しかし、緒方カープの正捕手争いはちょっと様相が違う。 「新加入のジョンソンが石原(慶幸=35)捕手との相性の良さを見せつけています。広島は正捕手を決めず、複数の捕手を使い分けていくことになりそう」 これはライバルチームのスコアラーの言葉だ。各球団とも対戦カードが一巡したばかりであり、各チームのスコアラーはライバル球団の状況を再チェックしている最中だという。当然、どの球団も、キャンプ、オープン戦にスコアラーを派遣し、対戦チームの主力選手の好不調、新戦力の分析を終えている。今はペナントレース前にまとめた対策が間違っていないかどうかを確認しているのだが、緒方孝市監督(46)が捕手を固定しなかったことに、他チームスコアラーは驚いていた。 広島の正捕手は會澤翼(27)が掴む−−。そう思われていた。會澤は65試合に出場し、3割7厘の好打率も残した。爆発的な打撃力はないが、本塁打数は10本。昨季、2ケタアーチをマークした広島の日本人野手は菊池涼介(11本)、丸佳浩(19本)とこの會澤の3人だけだ。菊池と丸は144試合全て出場していることを考えると、會澤は「打撃能力の高い捕手」とも言える。背番号も『27』に昇格したが…。 「前田、黒田など他投手は『捕手は誰がいい』といった注文はつけていません。ジョンソンも會澤にダメ出ししたわけではないが、石原の方が投げやすいとの印象を抱いており、緒方監督は先発投手との相性や、一軍登録した3人の捕手の状態を見ながらスタメンを決めていくのではないだろうか」(前出・同) 14試合を終えた4月14日時点で、會澤は9試合、石原は5試合、倉義和が1試合に出場している。当たり前の話だが、捕手は守備のかなめだ。「正捕手の定まったチームは最下位にならない」と言い切るプロ野球解説者もいるほどで、緒方監督の『捕手を使い分ける策』は近年では珍しい。 「黒田の帰還により、広島捕手陣は良い意味で苦労すると思います。黒田は変化球全てのクオリティが高い。つまり、連打で失点されたら、捕手の配球ミスという図式になる。捕手陣は配球面で相当鍛えられると思いますよ」(プロ野球解説者) また、こんな情報も聞かれた。 広島は日本球界に適応できる外国人選手を見つけて来る。実は敏腕の外国人エージェントと契約しており、契約段階で、その実力を発揮させるためのサポートも球団に約束させているそうだ。 「昨季まで在籍していたバリントンは、日本球界式の『中6日』での登板を嫌い、メジャーリーグと同じ『中4日』での登板を要望していました。野村謙二郎監督(当時)はバリントンの要望を聞き入れ、彼だけ中5日や中4日で先発登板させていました」(関係者) その通りだとすれば、前任者・野村監督はローテーションのやり繰りに苦労させられたのではないだろうか。先発ローテーションを託す6投手のなかに登板間隔が変則になる投手がいれば、他投手にもしわ寄せが来る。昨季までコーチを務めていた緒方監督も、その苦労は見てきたはずだ。 クリス・ジョンソン(30)は、今のところ、登板間隔には注文をつけていない。完封勝利デビューしたように、頼りになる左腕である。 「石原、倉も守備能力の高い捕手です。會澤と競り合うような今の起用法なら、緊張感を持ってシーズンを戦ってくれるでしょう」(前出・プロ野球解説者) 緒方監督のホンネは、「ローテーションが変則になるよりもマシ」ということか…。
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スポーツ 2015年04月18日 15時00分
「そら、低迷の原因はあれよ」 岡田彰布元監督が阪神に意味深コメント
本拠地の甲子園で開幕4連敗という、最悪のスタートを切った阪神タイガース。阪神は今年、球団創設80周年というメモリアルイヤーを戦っているが、その華やかしさとは逆に、和田豊監督(52)は最下位争いを演じてしまっている。 こんな阪神のチーム状況に関して、優勝経験のある元監督の岡田彰布氏(57)は、一部メディアから激励と立て直し案を求められた。その際に、「15試合くらいがメドになる」と答えたという。 一見、何の話をしているのかよく分からないが、分かる人にはこの言葉は非常に意味深いものだという。 「阪神の過去のデータを見ると、開幕から15試合くらいを勝率5割前後で戦った年は好成績をおさめ、反対に負け越した年は年間成績でも惨敗しています。監督経験のある岡田氏はそのことを指して、早く建て直せとエールを送ったのでしょう」(在阪球団に詳しいプロ野球解説者) 開幕15試合という数字は、他のセ・リーグ5球団と一通り対戦したことも指す。対戦カードが一巡した時点で和田阪神の成績は6勝8敗(1試合中止)で、借金2。近年のデータを見てみると、同時期に借金3だった2012年は最終順位が5位に低迷している。 岡田氏は取材中にいきなり脈絡のない話を切り出し、質問者を混乱させることもあるという。しかし、それは言い回しが独特なだけであって、勝敗のターニングポイントを的確に言い当てていたことも多いそうだ。要するに岡田氏の前述の言葉は、「ペナントレースは始まったばかりであって、まだ先が長い。だが、15試合を終えた時点でもたついているようなら、この先は大変なことになる」とし、「早く建て直せ」とエールなのだろう、というわけだ。しかし、別の見方もあるという。 「誰でもいいから、和田監督に『早く進言しろ』という意味も込められていたのでは?」(同) 低迷の理由は、打線の不振にある。和田監督は1番打者に鳥谷、3番打者を西岡と、打順を改造した。出塁率の高い鳥谷を活かすためだと和田監督は意図を説明しているが、この打線が機能していないのだ。 「鳥谷と西岡を繋ぐ2番打者を見誤ったからです。上本が2番打者に起用されていましたが、連敗を止めた4月12日の試合で2番打者を務めたのは大和です。昨季の1番上本、2番大和の打順がいまの阪神には最も適していることが改めて証明された」(ベテラン記者) しかし、連敗脱出後に和田監督は「もっと(打線が)活性化するように変えていきます」と語っている。この日の1番西岡、2番大和、3番鳥谷に変更した打線は固定するつもりがないということか。 こういう状況を考えて岡田氏は、『1番鳥谷、3番西岡』にこだわる和田監督に、コーチスタッフが進言すべきと言っていたのかもしれない。前出のプロ野球解説者がこう続ける。 「連敗を脱出した12日の試合ですが、8回に逆転しての勝利でした。それは鳥谷の2ランで逆転したものであって、進塁打や犠打を絡めて得点したものではありません。阪神打線は『打ってナンボ』ですから(笑)」 岡田氏は監督再登板も噂される阪神の有力OBだ。だが、古巣を思うあまり、現場に感情移入しすぎるという点も指摘されている。岡田氏の心配は的確だったかもしれないが、「とにかくバットを振り回せ」と言ってやった方が選手にも分かりやすいのかもしれない。いまは「2番打者がどうの…」と論じるチーム状況ではないようだ。
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