スポーツ
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スポーツ 2015年03月11日 11時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈グレイシー柔術が降臨した日〉
最初はごく一部のマニアが気に留めただけ。「マイナーな格闘技大会がアメリカの片田舎で行われたらしい」というほどにすぎなかった。 1993年11月、コロラド州デンバーで開催された『UFC1』。相撲や空手、キック等々の選手による異種格闘技トーナメント−−。“目つぶしとカミツキ以外は何でもアリ”というそのルールからして、どこかマンガチックで、これを“最強”を決める闘いだと考える者は皆無に等しかった。 パンクラスのエース外国人ケン・シャムロックや、極真空手の出身でUWFやRINGSでも試合をしているジェラルド・ゴルドーといった日本で名前の通った格闘家の参戦もあったが、結果優勝したのは無名のホイス・グレイシー。そのバックボーンである『グレイシー柔術』というのもそれまで耳にしたことのないウサンくさい響きで、シャムロックやゴルドーの敗退も「トーナメント制による展開上の紛れ」と受け取るファンがほとんどであった。 「格闘技専門誌などでも、当初UFC大会については“ケンカまがいの試合”というぐらいの情報しかありませんでした。日本では前田日明や佐竹雅昭とやり合ったゴルドーも勝ち上がりの段階で骨折していたというし、勝ったホイスもきっとフロックなのだろうと考えていたのです」(格闘技ライター) 格闘技ファンの反響も優勝したホイスではなく、ゴルドーの狂気…倒れた相手の顔面を全力で蹴り上げ、容赦なく後頭部へヒジを打ち下ろす、そんな一つ間違えば相手を殺しかねない闘いぶりへと向けられた。UFCとは、単に「野蛮で危険なもの」と見られていたのだ。 だが年が明けて3月に開催された第2回大会、ホイスはこれに参戦した日本の市原海樹を1回戦で破ると、全く危なげなくトーナメント連覇を果たす。 「市原は一般的には無名でしたが、所属する大道塾は知る人ぞ知る存在。空手に寝技や投げ技の要素を取り入れた日本の総合格闘技の草分けで、そのトップである市原なら“勝てる”というのが多くの格闘関係者の予想だったのです」(同・ライター) それが完敗したことで“グレイシー強し”との認識が急速に広がっていく。 後になってわかることだが、実はこのUFC大会、グレイシー柔術のプロモーションのために、同一族の長であるホリオンが企画したものだった。つまりホリオンをはじめとする一族全員が、試合をやる前から絶対的勝利を確信していたというわけだ。“何でもアリの試合形式でグレイシー柔術に勝るものはない”と。 これにいち早く反応したのが、このとき修斗を主宰していた佐山聡。 同年7月にバーリトゥード・ジャパンオープン'94を開催すると、そこにホイスの実兄であるヒクソン・グレイシーを招聘したのだ。 UFC1ではホイスのセコンドに就いたヒクソン。同大会優勝後のホイスの「兄は私の百倍強い」なるコメントは当時さほど注目されず、兄への世辞ぐらいに受け取られていたが、しかしそれが全く大げさではなかったことが、このときの試合で証明されることになる。 試合の早々から相手を寝技に引き込むと、マウントポジションを取ってからのチョークスリーパー。打撃や投げ技のハデな攻防のない闘いぶりは、一見すると「いつの間にか勝っている」かのような印象だが、しかしそんなシンプルな戦術に相手はまるで抵抗ができない。 完全なるヒクソンの一人舞台を見せつけられて、どうやらそれが“何でもアリ”の闘いにおける勝利の方程式であることに、ようやく日本の格闘関係者たちも気付かされたのだった。 そうして、その4カ月後。安生洋二の『グレイシー道場殴り込み&返り討ち事件』が勃発する。 UWFインターナショナルへの参戦交渉のためにヒクソン道場を訪れた安生は、そこでのスパーリングで一方的にやられてしまった。 「相手のホームで、そもそも闘うつもりでなかったなど安生にも同情の余地はあるのですが、顔面崩壊状態になるまでボロボロにされたインパクトは強烈でした」(同・ライター) このときの映像を佐山が公開したことにより、「グレイシー最強伝説」はファンの間にも一気に広まっていったのだった。
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スポーツ 2015年03月09日 13時00分
炎上か逆襲か トヨタに捨て身で特攻するF1復帰のホンダ
マクラーレンとの黄金コンビ復活で7年ぶりにF1に復帰するホンダがついにベールを脱ぐ。開幕戦オーストラリアGP(3月13日開幕。決勝は日本時間15日14時から)まであと数日。だが、下馬評では苦戦が伝えられており、開幕直前になっても混乱が続いている。 2月22日のバルセロナでのテスト走行で、フェラーリから年俸48億円で引き抜いた元世界チャンピオンのフェルナンド・アロンソがクラッシュ。そのままヘリコプターで病院送りとなり、4日間の入院。脳や骨の異常はなかったが、開幕戦出場が危ぶまれている。 「事故原因は『予測不能の突風の影響』との説明でしたが、居合わせた関係者に額面通り受け取る人は少ない。事故を起こす前に何らかの事情でアロンソが気を失ってしまうような状況に陥っていた、という情報が囁かれているのです。電気系統のトラブルで感電し、失神したのではと…。現在のF1では、エンジンサプライヤーは以前のような『エンジンだけの供給』ではなく、エネルギー回生システムを複雑に組み合わせた『パワーユニットでの供給』にレギュレーションが変更されており、テスト中に何らかの異常が発生した可能性も否定できない。現地メディアはそのように伝えています」(モータージャーナリスト) 新マシンを投入する直前テストではさまざまなアクシデントは想定内だが、調整が遅れているのを暴露する形となった。26日のテスト走行でも、もう一人の元世界チャンピオン、ジェンソン・バトンの駆るマクラーレン・ホンダはパワーユニットの交換トラブルに見舞われ、7周しか走ることができなかった。参加した8チームの断トツ最下位。トップのフェリペ・マッサ(ウィリアムズ)には最速ラップで8秒近く離され、マシンセッティングが万全でないことを露呈した。 「開幕戦オーストラリアGPを全世界のモータースポーツファンが注目しているだけに、威信を懸けて準備を進めてきた。ホンダは昨年、本業の市販車部門で一人負けの状態でした。F1復帰とジェット機進出で一気に王者トヨタに襲い掛かるはずだったのですが、2013年秋に販売した『フィット』のハイブリッドシステムに不具合が出て1年余りで計5回のリコール。米国で起きたタカタ社の欠陥エアバッグ問題が追い打ちをかけ、トヨタとの差は開く一方。ハイブリッド車の国内シェアはトヨタが半分以上を占め、ホンダはグーの音も出ない状況が続いていた。その悪い流れを変えるターニングポイントこそF1復帰だったのですが…」(自動車評論家) 一方、トヨタは自動車レースでも『ル・マン24時間』に代表されるWEC(耐久レース)に路線を定めた。得意のハイブリッドシステムを駆使し、昨季は参戦3年目にしてドライバー、チームともに年間王者に輝いた。今年は中嶋悟の息子、一貴を擁してル・マン制覇に挑む。 市販車においてもトヨタは昨年12月に究極のエコカーである燃料電池車『MIRAI(ミライ)』の販売を開始した。地球温暖化を招くCO2排出規制の意識の高い欧州市場へも殴り込みを図っている。 この“環境路線”を進むトヨタに対し、ホンダはF1復帰が象徴するように“スーパーカー路線”で勝負に出た。アベノミクスによるバブル再来を先取りすべく、ポスト・フェラーリを目指した『新型NSX』の投入だ。 「日本がバブルに沸いた時代、自動車メーカーにもいきおいがあった。トヨタがベンツをターゲットに初代レクサスLSを投入すれば、日産はポルシェを視野にスカイラインGT−Rを復活製造。そんな中で1988年にF1で16戦15勝したホンダは、フェラーリ何するものぞと排気量3000cc、V6エンジン搭載のNSXを世に送り出した。しかし、バブルがはじけフェードアウト。そのホンダが今年に入り、デトロイトの北米自動車ショーで同社の高級車ブランド『アキュラ』からスーパーカー『新型NSX』の量産モデルを世界初公開したのです。価格は15万ドル(約1800万円)でホンダ史上最高額。もちろん、このNSXの販売の成否はF1の成績にかかっています」(スポーツ紙記者) ホンダは2月23日、伊東孝紳社長に代わって八郷隆弘常務執行役員が社長に就任する仰天人事を発表した。社内の取締役9人を一気にぶっこ抜く大手術。攻めの経営方針をさらに進めた格好だ。 「2020年の東京五輪までは安倍政権との相乗効果で好景気が続き、この5年が勝負と見ている。その間に稼げるだけ稼ぎ、トヨタを猛追する。F1がその旗頭なのです。まあ首尾よく成功すれば万々歳ですが、逆に低迷すれば炎上するもろ刃の剣。あのフェラーリはF1での不振が原因でブランド力を弱めており、そのポジションをNSXが狙っているわけですが、チャンピオンになれなければ絵に描いた餅に終わってしまいます」(同) 現段階ではまだ調子が上がってこないマクラーレン・ホンダだが、ドライバーは2人とも元世界チャンピオン。バトンは人気モデルの道端ジェシカと結婚したばかりだし、アロンソも日本人の元ミスユニバースと交際4カ月。充実の私生活同様“パワード・バイ・ホンダ”スピリッツを見せてくれるに違いない。
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スポーツ 2015年03月08日 15時00分
和田阪神は戦力を扱いきれるのか? 1番鳥谷采配で浮き上がる打線の脆弱さ
選手個々の能力は高い。先発投手のコマ不足は否めないが、勢いに乗れば、手がつけられなくなる−−。これが、球団創設80周年を迎えた2015年の和田阪神に対する評価だ。しかし、いくら見渡しても、チームに勢いをつける起爆剤といえるものが見あたらない。 「チームの浮沈は和田豊監督(52)の采配によるところが大きい」(プロ野球解説者) 阪神といえば、14〜15年オフに、FAでの補強に全敗し、「和田監督がいちばん喜んだのは、鳥谷(敬=33)の残留が決まったとき」といった声も聞かれた。 「和田監督は鳥谷の残留を受け、打線改造を示唆しました。同監督の理想形は1番打者に鳥谷、3番に西岡です。しかし、キャンプを経て、3番福留も思案するようになりました」(在阪メディア陣の1人) オープン戦が終わってみなければ分からないが、キャンプ中には福留の打撃好調を伝える報道も見られた。もともと実績のある選手だ。本来の体のキレが戻ってくれば、ある程度の数字は残せるだろう。 しかし、こんな指摘もある。 「福留の打撃は好調でも、3番を奪うほどではありません。それでも福留3番打者論が起きるのは、西岡のモチベーションが懸念されているからなんです。西岡は二遊間のポジションに強いこだわりを見せたものの、和田監督が三塁固定を本人に宣告しました。4度も話し合い、納得させたことになっていますが、三塁の守備練習に入ったとき、二塁手用のグラブを使うなど、ささやかな抵抗を続けています。打撃に影響が出るようなら、故障の今成が帰ってきた時点で、即座に交代でしょう」(同) 福留を使う利点もある。阪神フロントが最も期待している選手は上本博紀(28)と大和(28)の2人。二塁手の上本は契約更改の席で、「生え抜きとして、チームを引っ張っていく」と決意表明し、フロントスタッフを感動させた。大和は和田阪神が飢えている機動力を秘めた選手で、この2人を中心としたチーム作りに球団幹部も期待している。だからこそ、西岡を三塁へ固定させたいのだ。 「大和は福留を慕っており、外野守備の師匠と思っています。福留は肩の強さが衰えておらず、右翼に固定できれば、守備範囲の広い中堅手の大和も生きてくる。正二塁手に西岡ではなく、上本に決めたのはフロントへのウケもあったようです」(球界関係者) 福留が3番で固定されば、1番鳥谷、2番に上本か大和、4番はゴメスが入り、5番にマートンが予想される。しかし、この打線は与し易いという見方がある。 「鳥谷は、足は速いものの、単独スチールを狙うタイプではない。大和、上本の2番候補は走れますが、その後は鈍足続き。一発狙いの振り回すタイプなので崩しやすい」(ライバル球団スコアラー) 一発狙いで穴だらけのトラ打線は開幕の中日3連戦で連敗するのでは。そんな話も出始めた。和田監督が1番打者鳥谷にこだわりすぎると、80周年が台無しになる危険性もある。
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スポーツ 2015年03月08日 13時00分
井端が元同僚から総スカン 落合政権に怯える中日ナイン
2月19日に行われた巨人対中日のオープン戦の試合前にこんな場面があった。 中日を戦力外になり、巨人で支配下登録を勝ち取った堂上剛裕外野手(29)の元に、元同僚の中日ナインが集まり、「頑張れよ」、「よかったな」と祝福を述べていた。元チームメイト同士の談笑…。ところが、である。この輪に入れない元中日選手がいた。井端弘和内野手(39)だ。 「井端と自主トレを行った高橋周平が一度近づきましたが、挨拶程度しか話をしていません」(スポーツ紙記者) その原因は落合博満GM(61)にあるという。井端と落合GMの蜜月関係は、2013年オフの契約更改で終焉した。この契約更改前年の井端の年俸は1億9千万円だったが、落合GMは野球協約で定められた減額制度(年俸1億円を超える場合は40%)を大幅に越える88%ダウンの3千万円を提示。故障や成績ダウンという正当な理由はあったものの、井端は激怒。落合GMも井端のこれまでの功績も加味せず、一歩も引かなかった。 「いや、2人の関係悪化はそれ以前から囁かれていました」(球界関係者) そもそも、井端は落合シンパの1人だった。しかし、落合が監督を辞めて退団した11年オフ以降、落合派のスタッフ、選手は反対勢力の切り崩しに合い、人がいい井端は彼らとも付き合うようになった。それを伝え聞いた落合氏は、GMとして中日に復帰するなり、井端を信用しなくなったそうだ。 「高橋周平に対しても、『井端と一緒だったことは伏せておいた方がいい』と助言したスタッフもいました」(同) 中日ナインが堂上の周りにだけ集まったのは、落合GMに怯えていたからかもしれない。井端に恨みはない。でも、親しくしたら、変に誤解され、次の契約更改でトバッチリを食う危険性もある…。中日ナインはそう考えたのだろう。 「井端のもとに歩み寄った中日選手がもう一人いました。大島洋平です。大島は落合GMの査定に不満をこぼし、一時は年俸調停も示唆していました。放出の覚悟もできているのでは…」(同) その通りだとすれば、リーグ4連覇を目指す原辰徳監督(56)は手をたたいて大喜びするはず。地元名古屋の野球関係者がこう続ける。 「堂上兄弟は地元愛知県の出身であり、父は言わずと知れた中日OBの堂上照さんです。堂上に期待する地元関係者はいまでも多く、その堂上兄を解雇した時点で、地元との関係を懸念する声も聞かれました。堂上兄を応援していきたいので、名古屋の企業広告の一部が巨人に流れるのではないかと…」 契約更改でモメた時点で、大島放出説も囁かれた。「現職の選手会長という立場を配慮して先送りした」との見方が正しければ、近い将来に大島は第2の井端になるだろう。すでに井端と旧交を温める“熱い握手”を交わした時点で、本人は覚悟が出来ていると見るべきかもしれない。 恐怖の落合政権である。
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スポーツ 2015年03月08日 11時00分
大相撲春場所話題の新弟子
3月8日から始まる大相撲春場所(大阪、ボディメーカー・コロシアム)。自己2度目の6連覇、34回目の優勝を狙う横綱・白鵬は、先場所後、取り直しになった稀勢の里との一番の判定を猛批判したことについて、いまだに謝罪や反省の言葉を公の場で口にしていない。 「本人にすれば『ガタガタ言うな。土俵で勝てば文句ないだろう』という気持ちでいるに違いありません。まさに、トラブルで引退した朝青龍にそっくりになってきました。逆風は強まるばかりで、負ければ『それ見たことか』となるのは必至です」(担当記者) とはいえ、白鵬が強過ぎるのも事実。期待の逸ノ城も先場所負け越して三役から陥落してしまった。 「その逸ノ城に代わって関脇に昇進した照ノ富士が楽しみですね。年齢は2つ上ですが、逸ノ城と同じ飛行機で来日して鳥取城北高に相撲留学し、どちらが先に横綱になるかと期待されるほどの逸材です。同じ部屋に横綱の日馬富士をはじめ、安美錦、宝富士、誉富士らがおり、逸ノ城と違って稽古相手に不自由しないのも強み。ハングリー精神にも長け、去年の夏場所には蜂窩織(ほうかしき)炎にかかり、初日の朝まで入院していながら強行出場して見事勝ち越したエピソードがある。一気に花開くかもしれませんよ」(部屋関係者) この春場所はまた就職場所とも呼ばれ、大勢の金の卵たちが土俵に立つ。中でも学生相撲出身の3人、学生横綱で幕下10枚目格デビューする大道(東洋大、出羽海部屋)、前相撲からのスタートとなるが平成24年の学生横綱の大輝(日体大、八角部屋)、関学大初の入門で居反りや足取りなどの奇手を得意とする宇良(木瀬部屋)からは目を離せない。 果たしてナニワの春を謳歌するのは誰か。
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スポーツ 2015年03月08日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(25)第五部・ゴルフシーズン突入「ゴルフ場の花粉編」
3月、ゴルフシーズン突入! 陽気と共に気分が高まりますね。 ただ、この時期だからこそ、悩まされる問題もあります。それはスギ花粉。毎年2月末から5月のGW終わりまで、「クシュン、クシュン」…この時期のゴルフ場は日本全国、花粉がすごいです。 事実、花粉症を患っている私の友達は大変。実際にあった話ですが、数年前、この友達と春季にゴルフに行った際、いつもは冷静な彼女がこの日は花粉に悩まされてボロボロ。1ホール目からズタズタだった彼女ですが、10ホール目に差し掛かり、目がもの凄く腫れあがりました。この時点で限界でしたが、プレーを続行。そして15ホール目…もう、どうにもならない状態で遂にリタイア…その後はカートの運転係として、最終ホールまで同行することになりました。 彼女はスタート前から涙と鼻水が止まらない状態でした。こうなると集中力は皆無。好スコアは全く期待出来ませんね。とにかくボールを打つ事で精一杯です。 因みに私はというと、ブタクサとヨモギのアレルギーがあります。その為、5〜6月は声が出ないときがあります。スギ花粉の症状とは異なるため、ゴルフそのものには支障は出ません。いや…私が静かになる事で(私も含め)パートナーが淡々とプレー出来ます。スコアが良くなるという「効果」が望めるかもしれません…。 次に、この時期のゴルフ場について−−。 ゴルフ場もスギ花粉の影響が顕著に出ます。グリーンはこの時期、スギ花粉で黄色い膜が張っている様な状態です。当然のことながら、膜は花粉。本当に凄いですよ。 ラッキーなのは、この花粉のお陰で芝が読める。というのは花粉の上をボールが通過。するとそこだけ花粉が取れるので道が出来ます。前の組が残してくれた「足跡」を利用出来ると言う訳です。 冬場は霜が降りるので、霜でも「足跡」が出来ます。が、こちらは気温が上昇すると霜が解凍され、グリーンがグチャグチャになり「足跡」は姿かたちが無くなります。そう考えると、花粉シーズンだけの特権と言っていいでしょう。 昨年…14年12月は0回。15年1月が0回。2月は1回。3月は6回(予定)…数字からも分かる通り、私にとってのシーズンインが3月。12〜2月までは寒く、ボールが飛びません。これは結構辛いです。そればかりか足が寒く歩くことも困難。とにかく頭の中は「寒い」という一言のみ。大変です。 3月になると気分がいいのでカートを使わず、ひたすら歩きます。暖かいので身体が良く回り、ボールが飛ぶ。3月下旬過ぎからはスコアがグッと良くなってきます。 私同様、友達も冬はゴルフをしません。友達がゴルフに行かないと私も足が遠のく。それが3、4月になると一変。こちらから積極的にゴルフを誘う様になります。とにかく花粉症の方にとって、この時期は大変である事は間違いありません。完全防備のメガネを着用。口にはマスク…ここまでやっても辛いのですから…。 スギ花粉、海外には無いので花粉症の方は海外遠征がおススメ!?*写真:カメラマン須田卓馬小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」 http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年03月06日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈山下泰裕 負けなしの美学〉
山下泰裕の名勝負というときに、多くの人がまず思い浮かべるのが1984年ロサンゼルス五輪柔道無差別級決勝、エジプトのモハメド・ラシュワンとの一戦であろう。そして、この試合に対する大方の記憶としては「右ふくらはぎに肉離れを起こし、脚を引きずりながら決勝の舞台に上がった山下。しかしラシュワンは、その負傷箇所を狙うことをよしとせず、正々堂々と勝負に挑んだ」というものではないか。 試合翌日にも、以下のように報じられている。 −−ラシュワンは「ヤマシタが右足をけがしたのがわかっていたので、彼の左側へ技を仕掛けた」と振り返った。「なぜ、痛めた足の方を攻めなかったのか?」の質問にも「それは私の信念に反する。そんなにまでして勝ちたくなかった」と爽やかに胸を張った−−(産経新聞) 他の報道でも同様で、これは“美談”として長く伝えられることにもなった。同年、ラシュワンはこれにより『国際フェアプレー賞』も受賞している。 だが後日、山下が「右脚を攻めてこなかったというのは事実と異なる」と語っていたことは、あまり知られていない。 もちろん「正々堂々と勝負してきた」と認めた上のことではあるのだが、山下のラシュワンへの評価は「相手の弱ったところを攻めてこそ勝負師」というもので、巷間伝わる印象とは大きく趣を異にしている。 では、実際にはどうだったか。 試合開始早々、ラシュワンは山下の右脚を払いに出ている。そこから左払い腰に出ようとしたところを山下が押し潰して寝技に入り、横四方固めで一本勝ち。 時間にしてわずか1分5秒。これがロス五輪決勝の全てである。 山下の言うように、確かにラシュワンは右脚を攻めている。 ラシュワンが嘘をついたのか−−。しかし、それも違うのである。 「この試合に際して、ラシュワンへのコーチからの指示は“最初の1分間は自分から攻めるな”というものでした。持久戦にしてまず山下の故障箇所に負担を与えようというのがゲームプランだったのです。しかしラシュワンはその指示に従わず、最初から攻めに出ました」(スポーツ紙記者) まずこの点において、山下の弱点に付け込もうという意識がラシュワンにはなかったとわかる。 「さらに言うと、最初に出した右の脚払いはあくまでもフェイントであって、そこからの左払い腰がこの試合でのラシュワンの勝負手でした。しかし、本来得意だったのは右払い腰。その意味でも“山下の右脚を攻めなかった”という言葉に嘘はなかったのです」(同・記者) 同じ柔道家であれば、山下もそのあたりには気付きそうなものだが、それがなぜ「右を攻められた」という認識になったのか。 「それは山下が桁外れの天才だからじゃないでしょうか」(同) 引退までに公式戦203連勝(引き分け7)、対外国人選手無敗という圧倒的な強さを誇った山下。そんな“超人”からしてみれば、相手との駆け引きのために持久戦に持ち込もうだとか、フェイントを仕掛けようなどという常人並みの発想は無縁のこと。策を弄さずに己の力を出し切ることこそが、一番の勝利への近道だったのだ。 それだから、前述したラシュワン側の戦略にも思いが至らなかった、ということは十分に考えられる。 高校のころまでは相手とのあまりの実力差からまず寝技にまで至ることがなく、そのため、まともに取り組んでこなかったという。それが本気で練習を始めると、すぐに“寝技のエキスパート”に上り詰めてしまう。 その寝技を使い始めたのも「投げ技で一本勝ちを狙えば隙が生まれるかもしれず、より安全に勝つために」という理由からだった。 山下にとって勝つことは当然。どれだけ取りこぼしをなくすかということを考えていたわけで、他の選手とはそもそもの次元が違ったのである。 その温厚で誠実そうな顔付きや真摯な性格から「努力の人」とも思われがちだがとんでもない。不世出の大天才であったことが、このラシュワンとの一戦からも見えてくるのである。
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スポーツ 2015年03月06日 12時00分
ゴールデン2時間で200万円 白鵬が3月場所引退で芸能界転身
横綱白鵬がタレントに転向する!? 芸能界から改めて注目を集めているのが、大相撲初場所で史上最多33回目の優勝を成し遂げた白鵬(29)だ。 最近の白鵬といえば、審判部に対し批判をしたことで、連日のごとくバッシングの嵐に晒されているのは周知の事実。しかも発言はエスカレートし、最終的には言ってはいけない事を自ら口にした。 「『本当、肌の色は関係ないんだよね。同じこの土俵に上がってマゲを結っていることになれば、日本の魂。みんな同じ人間』と、まるで自分が人種差別を受けているかのようなコメントまでぶちまけた。その場に居合わせた記者の多くがドン引きしていました」(スポーツ番組ディレクター) それにしてもなぜ、白鵬はこのタイミングでバッシングを受けるようなことを口にしたのか。取材を進めてみると、何ともショッキングな情報が飛び込んで来た。なんと今年の3月場所(大阪)で引退を発表するというのだ。 「白鵬が尊敬する大鵬や、平成の大横綱・貴乃花が引退したのは30歳。29歳の白鵬が引退を決意しても何ら不思議ではない。実際、初場所千秋楽の優勝インタビューで『もう目標なくて引退なのかなと、いろいろ考えました』とも語っている。最近の不遜な態度や発言は、角界を去る覚悟で、一気に不満をブチ撒けていた可能性が高い」(事情通) その後はどうするのか。 「楽をしてお金が稼げるタレント転身を本気で考えている。確かに横綱なら出演料は最低100万円〜。ゴールデン帯の番組ともなれば200万円オーバーも可能です。すでに大手芸能プロが接触を始めています」(芸能プロ関係者) 芸能人に転向したとしてもやはり問われるのは品格なのだが…。
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スポーツ 2015年03月05日 12時00分
広島戦を押さえろ! セ・リーグ地上波テレビ中継争奪戦
男・黒田博樹は広島だけでなく、日本のプロ野球界全体の救世主になるかもしれない。 「今季、地上波でのプロ野球中継数が増えると思います。まだハッキリしたことは言えませんが、黒田の帰還でここまで盛り上がるんですから、プロ野球の生中継で、テレビ業界は視聴率も稼げると見ています」(制作プロスタッフ) キーワードはもちろん『広島戦』だ。黒田が帰還した2月16日、広島の地元テレビ局3社がこぞってその会見を生中継するという異例の光景が見られた。チームに合流した18日には40社、150人強の取材陣が広島キャンプを訪れ、ほとんどの媒体がトップニュースとして報じていた。球団も「ここまでスゴいとは…」と、緊急で『黒田専属整備員&広報』を密着させたほどである。 「推定20億円の契約を蹴って古巣に帰って来たというのが泣かせるじゃありませんか。終身雇用、浪花節の日本人のハートをわしづかみにした帰還劇ですよ。それに冷静に見てみれば、今年は阪神の球団創設80周年、V9以来の4連覇を目指す巨人、交流戦では同じく日本球界復帰の松坂大輔や、二刀流の大谷翔平との絡みも実現するかもしれない。黒田の広島を軸にすれば、ウマい商売になり得ますよ」(NPB関係者) 非公式を含め、NPBや広島に“アタリ”を付け始めた局も現れた。まして広島には一大旋風を巻き起こした『カープ女子』も味方に付いている。 「セも予告先発になったので予定が立てやすい。黒田の復帰初戦は、開幕3試合目の3月29日、対ヤクルト戦が最有力。日曜日のデーゲームですが“勝負”できます!」(前出・制作プロスタッフ) 緒方孝市監督はキャンプイン前夜のミーティングで、開幕投手に前田健太を指名した。「両雄並ばず」ではないが、新旧両エースに対する緒方流の配慮であり、こうした若い指揮官の奮闘ぶりも“サイドストーリー”として成り立つという。 そういえば、緒方監督も元アイドル選手だった。 「今、若い女子の観客が目立つのは、広島戦とプロレス。どちらも、かつてはビール片手にヤジを飛ばすオヤジの娯楽でしたが、雑誌でも『カープ女子』と『プロレス女子』の特集記事はよく組まれており、若者の嗜好が変わったことを物語っています。これに対し、Jリーグで観客の年齢層を正式に調査した結果、40代が最も多いことが判明しました。20年前のブームの際にファンになった若者が、そのまま高齢化したわけです。新しい、若い世代を取り込んだのが広島カープとプロレスというから驚きです」(スポーツライター・美山和也氏) 黒田の男気は、通の野球ファンをうならせただけでなく、普段あまり野球に興味のない老若男女の関心もひいている。 「広島戦を押さえろ!」とテレビ各局が慌てているのも当然なのである。
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スポーツ 2015年03月04日 12時00分
球界を救う赤ヘル旋風 4億円復帰の裏真相 広島・黒田「今季引退」
80%もの年俸カットを受け入れて古巣の広島カープに復帰した黒田博樹投手(40)の舞台裏が、にわかにベールを脱ぎ始めた。 キャンプインを迎え、米メディアが「彼こそサムライ」と日本での活躍の様子を紹介するとともに、今回の決断を分析している。2000万ドル(20億円超)のオファーがありながら、4億円で古巣に8年ぶりに復帰を決めたのは「プロスポーツ界の多くの成功者がそうしたようにビジネスマンへの転身が狙い」だという。これまで培ってきた球界人脈とメジャーで学んだマネジメントのノウハウを生かし、監督をスルーして「球団経営を目指している」と見ているのだ。 広島東洋カープの球団株式は、マツダ社創業家の松田家が60%、マツダ社が30%、地元の新聞社とテレビ局が10%といわれる。上場されていないため正確な所有者は明らかにされていないが、市場に出回っていない以上、入手は困難を極める。その球団株が黒田のカープ復帰の決定打になったという。 「快くメジャーに送り出してくれた広島のファンに、最後はカープでの約束を果たしたい−−。男気というのも事実だろうが、そう簡単に10億円を超す大金を義理や人情で捨てられるものじゃない。黒田には、エージェントも弁護士も資産管理のコンサルタントも付いており、そのあたりはしっかりしている。カープ復帰で損出した16億円など十分に回収できる、そう踏んだのでしょう。というのも松田元オーナーの意を受けた広島サイドが、交渉の切り札として松田家が保有する株式の一部を譲渡してもいい、という条件を持ち出したというのです。契約金代わりに球団株の10%超を譲渡したという水面下の情報もある。これが事実なら松田家だけでは過半数割れし、黒田と連合しなければ経営権を維持できない。つまり、共同経営を持ち掛けたのです。たかが10%程度の株式と思うかもしれませんが、その価値は計り知れない。もし上場することになれば、数10億円にバケる可能性があるからです」(大手広告代理店幹部) 黒田はメジャーで通算7シーズンプレーし、この間に8800万ドル(約106億円)を稼いでおり、その気になればカープ株などいくらでも買い増せる。カープ復帰は球団経営の第一歩。米国流でいえば、今シーズンはいかにしてカープに付加価値を付け、投資の対象としての魅力をアピールするかがテーマなのだという。 「昨年来のカープ女子人気で注目度は巨人、阪神に勝るとも劣らない。そこに黒田と新井貴浩が帰ってきた。エースの前田健太は今シーズンを最後にメジャーに転身する。大瀬良大地、野村祐輔の“若鯉3本柱”は今年が最後。つまり、今季のカープはなりふり構わず24年ぶりのセ・リーグ優勝に突き進むことになる。そう思うからこそ年間指定席は早くも完売だし、カープグッズも今年は330種増やし、計600点になった。アベノミクス効果で日経平均株価は約15年ぶりの高値水準にまで回復しており、球団の株上場を検討するにはまたとない好機なのです」(スポーツ紙デスク) 広島といえば、思い出すのがホリエモンだ。球界再編で揺れていた10年前、堀江貴文氏(ライブドア元社長)は亀井静香衆院議員の刺客として2005年の衆院選で広島6区から出馬した。無所属ではあったが、選挙応援に当時の武部勤幹事長や竹中平蔵大臣が駆け付けたように、小泉純一郎首相が放った刺客であるのは明らかだった。 もっとも堀江氏が立候補を決断した真の狙いは、後に読売新聞グループ渡辺恒雄会長が暴露したように“カープ買収”にあった。仙台ライブドアフェニックス構想が霧散したことで、フジテレビ買収で得た1440億円でカープを買収。その足掛かりとして広島県選出の衆院議員を目指したのだ。 「ホリエモンにしても、阪神電鉄の買収に動いた村上ファンド(村上世彰氏)にしても、球団買収の狙いは球団の株式上場にあった。プロ野球は熱烈なファンが多く、例えばファン20万人に『1株5万円』で株を持ってもらえれば、それだけで100億円が調達できる。ファン一人ひとりが“自分がオーナー”だと思えば、これまで以上にその球団を応援する。広島カープは毎年黒字を計上しており、堅実な経営として実績を持つ。東証マザーズなどに上場を申請すれば、すぐさま通るでしょう。球界とは無関係の堀江氏や村上氏とは違い、黒田が経営権を握るのであれば、オーナー会議が球界初の“上場球団”を容認する可能性は高い」(前出・代理店幹部) 上場が長引いたとしても、球団株を所有していれば経営に携わることができる。望めば監督就任は容易。球団トップと現場責任者を兼任できるのだから、思い通りのチームができる。 「いつ壊れてもいい…復帰1戦目で肩が飛んでも…後悔はしない」 復帰会見で語った黒田の意気込みだ。 「昨年、契約選手のアダム・スコットや錦織圭が大活躍し、飛ぶ鳥を落とす勢いのユニクロが次に狙っているのが黒田であり、カープなのです。同社のスタートは広島が1号店で、柳井正会長はカープの地元ともいえる山口県宇部市の出身。黒田同様、カープへの思いは強い。黒田と柳井会長が手を結ぶ可能性も十分にあります」(地元テレビ局) 男気の鎧をまとった黒田の炯眼は、規格外としか言いようがない。
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