スポーツ
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スポーツ 2015年04月18日 13時00分
顧客激減で踏んだり蹴ったりオリックス40億円補強の大誤算
こんな調子では、とても補強費は回収できないだろう。開幕からまだ15試合、対戦カードが一巡したばかりとはいえ、「超」の付く大型補強を敢行したオリックス・バファローズが、いまだ2勝しか挙げていない(4月13日現在)。強力打線に火が付くのはこれからだとしても、気になるのは“観客数の激減”だ。 「首位と8ゲーム以上引き離されてのダントツ最下位。一人負け状態ですよ。今季初の主催ゲームとなった対日本ハム3連戦は計10万人強を集めましたが、続くロッテ3連戦では合計で4万人を超えた程度。劣勢がはっきりするや、さーっとファンが離れて行った格好です」(ベテラン記者) オリックスの補強費用は総額40億円以上とも伝えられている。中島裕之(前アスレチックス)、小谷野栄一(前日本ハム)、ブランコ(前DeNA)、バリントン(前広島)とビッグネームを次々と獲得。国内FA権を行使していたエース・金子千尋、クローザー・平野佳寿両投手の引き留めにも成功し、優勝候補にも挙げられていた。 「今のプロ野球は女性客をいかに取り込むか、広島のカープ女子がその成功例であり、それに次ぐのがオリックス女性ファンの『オリ姫』といわれていました。パ・リーグでは千葉ロッテの観客数が伸び悩んでおり、主催2節目ではその影響を受けたようですが、カープ女子は対戦カードに関係なく、応援席を満員にしています」(同) 『オリ姫』には“仕掛け人”がいた。大手芸能プロが営業として煽ったもので、自然発生したカープ女子とは根底からして違うのだ。 とはいえ、昨季の観客動員数は前年比18%増。伸び率は広島に次いで12球団中2位。営業努力もあっただろうが、勝敗や対戦カードに関係なく観客が集まるところまで成長していない。 カープ女子はファンが自主的に情報誌を作り、ネット上でも情報交換が行われている。目下、広島も出遅れているが、こちらは「負けているときこそ、みんなで応援する」の心境。作られたファン像をあざ笑っているのではないか。
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スポーツ 2015年04月18日 11時00分
東洋大・桐生祥秀が日本人初100メートル9秒台へ5つの根拠
19歳のショートディスタンスランナーが“4・19革命”を起こす−−。 桐生祥秀(東洋大)が織田幹雄記念国際陸上(4月18、19日/エディオンスタジアム広島)に出場する。桐生と言えば、去る3月28日、アメリカ・オースティンで行われた『テキサス・リレー』の男子100メートルに出場し、9秒87をマーク。追い風参考ながら、現地専門家は「公認記録となる追い風2メートル以下であったとしても9秒台が出ていた」と試算しており、この織田記念大会で“日本人初の100メートル10秒切り”が見られるかもしれない。いや、桐生には『夢の9秒台』への追い風が吹きまくっているのだ。 「9秒台に耐えられる体ができてきた。自分の走りをすれば(新記録が)出ると思う」 これは、テキサス・リレー後に聞かれた桐生のコメントだ。桐生は洛南高校時代に『10秒01』をマークしている。以後、故障などに泣かされた時期もあったが、この強気な発言を聞くと精神的な成長がうかがえる。 「本人も語っていますが、昨年はガチガチになっていた。周囲の期待の大きさ、喧騒に自分をコントロールできませんでした」(体育協会詰め記者) 東洋大学に進み、桐生の考え方も少し変わった。進学後の共同会見で「まだ大学1年生になったばかり。2年生、3年生、4年生と力を付けていけばと考えているので、そんなに急ぐ必要はない」と話していた。 きっかけは、指導内容にあった。 「桐生はスターティングブロックの位置設定を変えました。以前はほぼ平行に左右のブロック位置を設定していましたが、それを前後に大きくずらすスタイルに変えたのです。ブロックの設定幅を前後に大きくするとスタートダッシュをかけるには有効です。しかし、中盤でスピードに乗れない。反対に、平行型はスタートダッシュが悪い。桐生はスタートダッシュが苦手で50メートル付近からトップスピードに乗るタイプでしたが、9秒台を出すには、苦手も克服しなければならない。そういう練習を積み重ね、スタートダッシュからトップスピードに乗れる走り方を習得しつつあります」(スポーツ紙記者) 進学後、桐生を指導する土江寛裕コーチは「歩幅を広くする走り方」にも改造させた。高校時代は意図的に避けてきた下半身の筋トレも解禁。その結果、蹴る力がたくましくなった。 「股関節の可動域も広くなりました。臀部がひと回り大きくなってきた」(同) こうした改造による練習が精神的安定につながり、苦手のスタートダッシュを克服させたのだ。 「短距離ランナーは反射神経の良しあしがタイムを左右します。これだけは鍛えるのは難しく、桐生には天性のカンがある」(スポーツライター・飯山満氏) 土江コーチは桐生にこうも伝えているという。 「陸上競技は順位を争うもの。まずは世界のラウンドを積み重ねていこう」 9秒台を出すためのトレーニングを続けているが、「記録にこだわり過ぎるな」と言って聞かせることで、余裕を持たせようとしているようだ。 また、大会オフ期間は10秒00の日本人100メートル記録保持者でもある伊東浩司氏に師事し、股関節に加え肩甲骨の周辺も柔軟にするストレッチを取り入れた。 「エディオンスタジアム広島は“記録の出やすい会場”としても有名です。高速トラックと称され、風向きも走者に有利な方向に吹く地形です。さらに、スパイクも桐生の体に合わせたものをメーカーが用意しています。一時はレアな4本ピンスパイクを好んでいましたが、故障を機に従来の6本ピンに変更しました」(前出・飯山氏) 桐生はテキサス・リレーで9秒台を出したことで、世界から標的にされる存在になった。これまで10秒01を出してはいても、海外のトップ選手からは“無視”に近かったが、4人×100メートルリレーでも日本チームがアメリカに迫る2位になったことを機に、海外メディアの反応も変わってきた。 「桐生は最終走者で出場しました。現地入りした特派員によれば、近年、アメリカを凌駕する活躍を見せているジャマイカの報道陣が驚いていたようです」(前出・飯山氏) 海外も桐生の存在を報じ「来年のリオ五輪のダークホース」として要注意マークを付けた。これまでの桐生はそんな過度な期待に負けていたが、今は違う。大学での新しいトレーニングで結果を出したことでさらに自信を深め“本来の姿”を取り戻した。 「桐生は『期待される中で記録を出すのがトップアスリート』という考え。けがに泣かされた時期、そんな自分なりのアスリート像を語ることもできませんでしたが、また堂々と、そう言えるようになってきました」(前出・体協詰め記者) 昨年の織田記念大会は、100メートル決勝を棄権した。故障が理由だが、その棄権が桐生の成長でもあった。 「桐生はクソマジメなのか、高校の運動会でリレーに駆り出されて、本気で走っていました。棄権する度胸というか、『できない、やれない』と言える大人になったんです」(JOC関係者) 非ネグロイドの人種が9秒台を出せば、史上3人目の快挙。トレーニング、精神面、天性、スタートダッシュ、スパイク−−。この5つの根拠を得て、4月19日、桐生祥秀が歴史を作る。
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スポーツ 2015年04月17日 13時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈WWE 第1回レッスルマニア開催〉
3月29日、7万6976人の観衆を集める大盛況の中で行われた『レッスルマニア31』。いまやWWEは全世界にファンを持つビッグプロモーション。その年間最大の“祭典”ともなればインパクトや影響力は絶大で、米国内スポーツイベントの頂点『スーパーボール』にも決して引けを取るものではない。 日本でも今大会は、元ノアのKENTA(WWEではヒデオ・イタミを名乗る)の参戦や、前日セレモニーでの藤波辰爾WWE殿堂入り顕彰などが話題となった。 毎年の生中継PPV購入数は100万件超が当たり前。ちなみに日本でのPPV売り上げ記録はDynamite!(2002年)の約10万件で、これだけを見てもいかにビッグなイベントかがわかろうというものだ。 そんなレッスルマニアの記念すべき第1回大会は1985年3月31日、格闘技の聖地マディソン・スクエア・ガーデンで開催された。 それまではNWA、AWAと並ぶ世界3大プロレス団体とはいわれながらも、その実、ニューヨークを拠点とする地域限定プロモーションにすぎなかったWWF(2002年、WWEに改称)。だが'82年、ビンズ・マクマホン・ジュニアが父親から団体の実権を奪うと一躍全米制覇に乗り出す。 各地の人気スター選手を引き抜き、地上波やケーブルテレビの放送枠を積極的に利用するなど事業拡大路線を進めると、これが功を奏し、売り上げは増加の一途。ファン層も全米に広がって、その集大成として開催されたのがレッスルマニアであった。 元ボクシング世界王者モハメド・アリに歌手のシンディ・ローパー、ニューヨーク・ヤンキース元監督のビリー・マーチンなど著名人がゲスト参加する華々しさは、それまでの米国プロレス界においては見られなかったもので、従来のファン以外からもメジャーイベントとして認知されることになった。 なおレッスルマニアなる名称は、当時人気絶頂だったハルク・ホーガンのファンを総称する“ハルカマニア”にちなんだもの。 よって、当然この第1回大会のメーンイベントもホーガンが務めている。 「ホーガン&ミスターTvsロディ・パイパー&ポール・オンドーフという対戦カードは、当時の状況を知らない人にはピンとこないかもしれません。だけどミスターTはロッキー3や特攻野郎Aチームに出演していた有名俳優で、レスリング経験があり身体もゴツい。ホーガンを交えてのリングに上がるまでの特訓風景も随時テレビで放映され、試合当日のファンの期待度は相当なものでした」(プロレス記者) ホーガンの入場曲『リアルアメリカン』が会場に流れ始めると同時に、会場は割れんばかりの大歓声に包まれる。 試合自体は日本的な技の応酬とは程遠く、ミスターTも相手選手との絡みはごく限られたもの。フィニッシュも相手の同士討ちを誘ってホーガンがフォールするという呆気なさではあったが、それでも興奮し切った観客たちの表情は、このイベントが大成功に終わったことを証明していた。 それから回を重ねること31回。レッスルマニアに向けてストーリーが展開され、選ばれたスーパースターのみが出場できる最高かつ最大の舞台として、今では完全に定着している。 今年メーンに出場したブロック・レスナーは、WWEとの契約継続と総合格闘技への再進出を天秤にかけて前者を選んだ。リアルファイトに劣らぬ地位と名誉が、エンターテインメントを追求するWWEのリングにはあるのだ。
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スポーツ 2015年04月16日 13時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 今季の予想は“12〜13勝”!? 少ない得点援護に泣かされそうな田中将大
4月5日メジャーリーグが開幕した。 米国の2大スポーツメディアであるESPNとFOXスポーツが予想する日本人大リーガーの今季成績は表(本誌参照)のようになっている。 日本のメジャーリーグ・ファンが一番気になるのは、田中将大の予想勝利数が、ESPNで13勝、FOXスポーツで12勝と、かなり控えめな数字になっていることだろう。 ESPNは昨季開幕時、まだ1球も投げていない田中の勝ち星を16勝と予想しているので、13勝という数字はあまりにも低い印象を受ける。なぜこれほど予想される勝ち星が少ないのか。理由の四つある。 理由1:ヒジの故障が再発する恐れがあるため、今季は「90球」の球数制限を課せられる可能性が高い。そのため5〜6回までしか投げられない試合が多くなる。 理由2:昨季のヤンキース打線は得点力が「中の下」レベルだったが、オフに補強がほとんどできなかったため今季は得点援護がさらに減少し、好投しても味方打線に見殺しにされるケースが多くなる。 理由3:クローザーのロバートソンがチームを去り、昨年セットアッパーとして大化けしたべタンセスも今季は速球のスピードが大幅にダウン。そのためリリーフ陣の弱体化が顕著で、田中が勝ち投手の権利を持ってマウンドを降りても、終盤に逆転されるケースが多くなることが予想される。 理由4:チームが早い段階で優勝戦線から離脱する可能性が高いため、シーズン中盤以降、モチベーションの低い状態で投げることになる可能性が高い。 ヤンキースはメジャーきっての金満球団で、資金力にものを言わせてFAになった一流選手を買い漁るチームというイメージが強い。年俸総額は約2億3千万ドル(約280億円)でヤ軍は依然メジャーではドジャースに次ぐ高年俸球団だ。 それにもかかわらず、ヤ軍は今オフ、ほとんど補強ができなかった。年俸総額の4割を占めるアレックス・ロドリゲス、CCサバシア、タシェアラ、ベルトランの「不良資産カルテット」が今季もチームに居座っているため、補強に回せるカネがほとんどなかった。 そのため開幕時の主要メディアの予想はFOXスポーツとCBSスポーツがア・リーグ東地区の5チーム中4位、ESPNは最下位と予想している。 田中は今季、この程度の評価しかされないチームのエースとして投げることになるので、試練の年になるのは必至である。 和田毅はキャンプ前半に右太腿の筋肉を痛めてDL入り。今後は4月中旬にマイナーで投げ始めて4月下旬ないし5月上旬のメジャー復帰というスケジュールになる可能性が高い。 予想成績に関してはESPNとFOXスポーツの数値に開きがある。 ESPNが5勝6敗、防御率4.04という低調な数字を予想しているのは今季カブスの先発ローテが充実しているため、復帰してもローテーションに復帰するのに時間がかかり、しばらくはロングリリーフで使われると見ているからだ。一方、FOXスポーツの方は、復帰すればカブスは昨季後半好投を続けた和田をすぐにローテーションに入れて使うと見ているので好意的な数字が並んだ。 筆者は、和田なら二けた勝利は十分可能とみている。 5月中にローテーションに復帰できれば、今季のカブスは攻撃力・守備力とも格段にアップしているため、昨年並みのピッチングを見せれば、コンスタントに勝ち星が付く可能性が高いと思われるからだ。 一方、藤川球児は'13年6月にトミージョン手術を受けているため、今季が本格的なカムバックイヤーになる。昨年8月にカブスでメジャーに復帰し、苦しいピッチングを見せていた藤川をレンジャーズがメジャー契約で迎え入れたのは、手術のダメージから順調に回復していれば、今季、阪神時代の球威と制球が甦り、大きな戦力になりうるという期待があったからだ。 しかし、レ軍首脳はキャンプで、その期待が幻想だったことを知る。速球のスピードが145キロ程度しかなく、キレもよくなかったからだ。それでもレ軍はリリーフ陣がかなり弱体なので、オープン戦で好投を続ければ開幕メジャー入りの可能性もあった。 だが3月31日のオープン戦で、大事な場面で起用されたが大炎上。股関節痛を理由にDL入りして、キャンプ地で調整をしながら、球威が戻るのを待つことになった。 ESPNが今季の予想成績を出さなかったのは、球威は戻らず、マイナー落ちしたまま終わる可能性が高いと見ているからだ。 しかし、そこまでひどいことにはならないだろう。レ軍は毎年リリーフ陣に多くの故障者が出て入れ替えが激しくなるチームなので、マイナーでそこそこの成績を出せば、メジャー復帰の機会は必ずあると思うからだ。 ただ、藤川の今の球威ではとてもフルシーズン、メジャーにとどまることは不可能であることも事実だ。今後、マイナーでの調整でどこまで球威を取り戻すことができるか注目したい。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年04月16日 11時45分
中畑DeNAに消し去った? グリエル問題にNPBはどう対処するのか
中日ドラゴンズ戦との接戦を振り切り、中畑DeNAが再び単独首位に立った。チーム防御率は4点台だが、チーム打率2割8分7厘は12球団トップ。4番筒香も開幕から好調をキープしているせいか、中畑清監督(61)もさらに輪をかけて饒舌になっていた。 「もし、このままグリエルがヤンキースに入団するようなことになったら、日米協定にも影響するのではないか…」(ベテラン記者) ユリエスキ・グリエル(30)が故障を理由に来日を拒否し、そのまま解雇された。日本の自主トレ期間にあたる1月から、「来日が大幅に遅れる」との一報はDeNAにも届いていた。キューバ国内リーグで在籍するチームが勝ち進み、カリビアンリーグやプレーオフを戦うためで、その全ての日程を消化するのは「2月下旬から3月上旬になる」と告げられていた。そこから、若干のオフを挟んでからの来日となれば、開幕ゲームには間に合わない。中畑監督もグリエル合流は4月半ばと覚悟していたはずだが、 「グリエルが来日しないショックは、選手たちはさほど感じていないと思う。キャンプ、オープン戦を一緒に戦っていないからね。仮にチームが開幕ダッシュに失敗していたら、グリエルに対する恨み節も出たかもしれない。ただ、政治的駆け引きに発展しかねないので、球団内部は今も慎重に事の推移を見守っています」(球界関係者) との声も聞かれた。 『政治的駆け引き』とは、グリエルが今シーズン中にメジャーリーグチームと契約した場合のこと。日米協定でも事前交渉は禁止されている。DeNA球団はすでにグリエルの契約を破棄した。しかし、グリエルは米ヤフーニュースで「世界最高峰のレベルでプレーすることは、全選手の夢」と語り、希望球団としてヤンキースの名前も挙げていた。 「アメリカとキューバが国交正常化に向け、政治的話し合いも進んでおり、キューバ選手のメジャーリーグ移籍が加速するのは必至です。こうした動きにグリエルが“心変わり”したのでしょう」(前出・関係者) グリエルはいったん、DeNAと年俸3億5000万円で契約した。「怪我がどうの…」とダダをこねだしたのは契約締結後だった。 仮にグリエルが日米双方のシーズン終了を待ってメジャーチームと交渉したとしても、日本球界が黙って見過ごすべきではない。日米協定違反、タンパリングの疑念を米球界側にぶつけるべきである。 「2003年、マーリンズのケビン・ミラーが中日と契約した後、『日本に譲渡することを対象としたウェーバー公示に対し、米球団は応札しない』という日米紳士協定をレッドソックスが破り、結局、ミラーはレ軍にかっさらわれてしまいました。そういう過去もあるだけに、有事の際、日本球界は毅然とした態度を取るべき」(前出・ベテラン記者) DeNAの快進撃が止まるようなことになれば、大砲・グリエルの名前がクローズアップされる。そのとき、DeNA球団はどう対処するだろうか。
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スポーツ 2015年04月15日 18時20分
理想と現実…トラが抱える2番打者問題
4月13日、阪神・和田豊監督(52)が打線変更を決断した。チーム打率2割2分5厘はリーグワーストであり、本拠地・甲子園で開幕4連敗と低迷していたのが理由だが、連敗脱出後の和田監督は意味シンなコメントも残している。 「もっと(打線が)活性化できるように変えていきます」 低迷の理由は打線の不振だ。先発投手が先制点を許し、それと同時に敗戦ムードが漂う。得点能力が低いためで、活気が出て来ないのだ。しかし、13日は違った。和田監督は「1番西岡、2番大和、3番鳥谷」の新打順で臨んでいる。 「和田監督は『1番鳥谷、3番西岡』の打順が理想形だと公言しています。でも、しばらくは13日の打順を固定させた方が良いと思う」(プロ野球解説者) いろいろな打順のパターンをテストしていくと話す和田監督の構想とは対照的な指摘だ。しかし、「固定せよ」と指摘する声はむしろ多い。先のプロ野球解説者がこう続ける。 「打線低迷の原因は、1番鳥谷と3番西岡を繋ぐ2番打者の不振です。和田監督は上本でスタートしましたが、2番打者は右方向への進塁打、犠打、走者の二盗サポートなど“制約”が多い。上本は2番打者の役割を考えすぎたのか、打撃不振に陥ってしまいました」 和田監督は、昨季は主に1番で使っていた上本を2番でスタートさせた。鳥谷を1番で使いたいとした理由は、主に2つ。鳥谷は出塁率が高い。また、走れる選手でもある。阪神は盗塁数が少なく、和田監督は機動力アップを求めて打線改造に着手したのだが、鳥谷が出塁しても、上本が送れないという失態が続いた。 「昨季は『1番上本、2番大和』の打順でした」(在阪メディア陣) その後、和田監督は俊介を2番でテストしてみたが、13日からは昨季と同じ『2番・大和』に戻した。 阪神は状況に応じ、打撃スタイルを変える2番打者タイプよりも、「自由に振り回した方が活きるタイプ」の方が多いチームでもある。大和は数少ない前者のタイプとも言える。 「鳥谷は打率も高い。でも、今のところ、阪神打線は下位の出塁も低いため、走者を置いた場面で鳥谷にまわすという展開にならない。そうなると、鳥谷を1番に置いておく意味も薄れてしまう」(前出・プロ野球解説者) 3番でスタートし、1番にコンバートされた西岡も勝負強いバッターであり、走れる側の選手だ。 相手チームからすれば、昨季チームトップの犠打数をマークした大和が2番にいるだけで脅威に思う場面もあるだろう。また、打順を下位に落とされた上本は打率1割台に低迷している。上本にも本来の打撃を取り戻してもらわないことには打線の復調はないだろう。 「昨季、上本、大和の1・2番コンビが機能していたのだから、ヘタに改造しなくても良かったのではないか?」(同) 連敗脱出後、阪神はナゴヤドームに乗り込んだが、サヨナラ負けを喫している(14日)。『1番西岡、2番大和、3番鳥谷』の打順だったが、西岡、大和ともに「安打ナシ」で終わった。打順改造の是非を論じる前に、根底から見直すべき点があるようだが…。
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スポーツ 2015年04月15日 13時00分
球界激震スクープ! 「新神宮球場」本拠地に東京ジャイアンツ ヤクルトは新潟移転へ
ヤクルトスワローズの本拠地であり、大学野球の主要球場でもある神宮球場が、2020年東京オリンピック後、隣接する秩父宮ラグビー場と場所を交換する形で建て替えることになった。これで、噂が絶えなかったスワローズの地方移転は消滅、と安堵するのは早計。新球場の“城主”は、何と巨人という情報が…。 東京都は五輪・パラリンピックへ向け、神宮外苑地区の再整備を協議してきた。先ごろその計画がまとまり、都庁で明治神宮など地権者6団体が覚書を交わした。 それによると、2020年東京五輪後に神宮球場の取り壊しに着工し、'22年度末までにラグビー場跡地に新球場を建てる。早ければ'23年から“新”神宮球場がオープンする。 この内容に神経を尖らせていたのがヤクルトファン。当初の計画では、東京五輪に合わせて新国立競技場とともに老朽化が進む神宮球場も建て直す、とされていたからだ。そうなれば、新しい神宮球場が完成するまでの間、本拠地を失うヤクルトはかつてのロッテのようにジプシー球団にならざるを得ない。そこで検討されていたのが、地方への本拠地移転だった。 「建て替えになれば2シーズンは使えない。そこで緊急避難先を協議していたのです。候補地はプロ野球がまだ進出していない、金沢、新潟、長野、静岡、岡山、松山。しかし、どこもまとまらなかった。全面移転ならともかく、新球場ができるまでの“腰掛け”なら結構というわけです。しかし、球場の取り壊しが東京五輪後に決まったことで、事態は大きく動き出しました」(ヤクルトOBの解説者) この先5年間、スポーツ界は“五輪競技”が花盛りとなり、野球の人気低迷が進む。毎年20億円近い赤字を垂れ流すスワローズの維持には、筆頭株主の仏ダノン社が不快感を示しており、経営陣は球団売却も含めて経営改善を求められている。 そこで、球団に愛着を持つヤクルト首脳は「本拠地を地方に完全に移す」ことで生き残りを模索していた。とても東京五輪の後まで待てないのが現実なのである。 「最終的には新潟と静岡にターゲットが絞られた。しかし、静岡市は市民からサッカーの新スタジアム建設の要望が出され、プロ野球の誘致をほぼ断念。残るは新潟市。こちらは立地的に中国に近く、球団誘致は訪日中国人促進にもつながると歓迎している。日本海を挟んで新潟は極めて近距離にあり、日本との架け橋の拠点にしようとしているのです。これには賛否両論あるが、中国から富裕層のプロ野球観戦者が計算できれば新潟の経済効果は計りしれず、ヤクルトの本拠地移転に期待する動きがあるのは確かです」(地元紙記者) 中国は'10年、新潟市に総領事館を開設。市の中心部にある市立万代小学校跡地や信濃川沿いに広大な土地を手に入れるなどして、経済面から交流を深めている。'05年に北朝鮮の羅津(ラジン)港を租借したことで、中国から新潟までが一直線となり、新潟の土地所有を希望する富裕層が引きも切らないのだという。 実は、ヤクルトの新潟移転を虎視眈眈とうかがっていたのが巨人。東京ドームもまた立て直しの時期に来ており、故障者の続出で足腰に負担がかかる人工芝を見切っている。開放的な空の下、天然芝の上でプレーできる新しい神宮球場は願ったりかなったりなのだ。 チーム名も読売色を薄め『東京ジャイアンツ』にすることで、舛添要一・都知事の支援も取り付けているという。新球場完成に合わせて「松井秀喜監督」の青写真も透けて見える。 グラウンド外の巨人は、一足先に絶好調のようだ。
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スポーツ 2015年04月15日 12時00分
【甦るリング】第3回・悲運ながらファンに愛された真“デスマッチの祖”ラッシャー木村の晩年
晩年、ユーモラスなマイクパフォーマンスで人気を博したラッシャー木村(2010年5月24日没=享年68)は、とても悲運なプロレスラーだった。若いプロレスファンにとって、木村は「マイクで面白いことを言うコミックレスラー」的な印象だろうが、古くは“金網デスマッチの鬼”と呼ばれた男だ。 日本プロレス界において、“デスマッチの祖”といえば、“邪道”大仁田厚のイメージが強いだろうが、デスマッチを世に知らしめたのは紛れもなく木村だ。大相撲・宮城野部屋の幕下力士だった木村は、十両昇進まであと一歩に迫っていたが、1964年9月場所を最後に廃業。同年10月、力道山没後の日本プロレスに入門した。 ところが、66年、豊登の付き人を務めていた関係から、アントニオ猪木をエースに推した新団体・東京プロレスに移籍。ここから、木村の悲運なプロレス人生がスタートしたといえる。いかつい顔をしている木村だが、とにかく温厚で人が良く、何かを頼まれると「NO」とは言えない性格だったといわれている。 しかし、その東プロはあっけなく67年1月末に事実上崩壊。日プロに戻ることが許されなかった木村は、東プロと提携していた国際プロレス・吉原功社長に誘われるがまま、同団体に移籍。プロレス入りから、わずか約2年半で、3つ目の団体に所属するハメになる。東プロからのオファーを断っていれば、後に日プロのスター選手になっていたかもしれない。そう考えると、「NO」と言えなかった木村の悲運を感じる。 国際プロ移籍後、頭角を現した木村は69年4月、サンダー杉山とのタッグでTWWA世界タッグ王座を奪取。同年8月には米国武者修行のチャンスをつかむ。70年8月に凱旋帰国すると、同年10月、ドクター・デスを相手に日本初の金網デスマッチを敢行した。今でこそ、大日本プロレスなどのインディー団体では当たり前のように行われているデスマッチだが、当時は画期的で、全国のプロモーターから要請が殺到。以降、木村は頻繁にデスマッチを闘い、“金網デスマッチの鬼”が、その代名詞となる。 そんな木村にチャンスが巡ってきたのは、国際プロの絶対的エースだったストロング小林の離脱だった。74年2月、新日本プロレスの猪木に挑戦するため、小林が同団体から去ったのだ。エースが不在となり、吉原社長は当初、小柄なマイティ井上をエースに指名した。だが、75年4月、井上がマッドドッグ・バションに敗れて団体の至宝であるIWA世界ヘビー級王座を奪われると、木村がバションを破って同王座に初戴冠。以降、81年9月に団体が解散するまで、6年半にわたってエースとして君臨した。しかし、常に全日本プロレスのジャイアント馬場、新日本の猪木と比べられる立場になり、損な役回りとなってしまった感は否めなかった。 国際プロと全日本との交流関係から、75年12月に全日本が開催した「オープン選手権」に出場した木村は、馬場とシングルマッチで初対決。両団体のエース同士の対戦とあって、当時は大変な話題となったが、試合と関係ないアブド−ラ・ザ・ブッチャーが乱入し、木村を流血させると、そのダメージが響いて木村が敗れるという不運な結末となった。両者は78年2月に再戦したが、この際は馬場に足四の字固めを掛けられた木村がロープエスケープするも、なぜかレフェリーがブレイクを認めず、不可解なリングアウト負け。 時を経て、2人は85年6月に3度目の一騎打ちをしたが、木村の足がロープに掛かっていたにもかかわらず、レフェリーが3カウントを叩き、またしても悲運な敗退。木村は馬場戦に関しては、ほとほと運がなかったのだ。国際プロが81年9月に解散すると、吉原社長は新日本との全面対抗戦を画策。しかし、井上ら多くの選手は全日本への参戦を選択。吉原社長の意向に従ったのは木村、アニマル浜口、寺西勇の3人だけだった。 そして、同年9月23日、忘れられることはない伝説の東京・田園コロシアム大会。木村は新日本に宣戦布告するため、リングに上がったが、律儀にも「こんばんは」とあいさつし、ファンの失笑を買った。まさしく、木村の人の良さが垣間見られたシーンだったが、これは「こんばんは」事件として、後世に語り継がれることになる。木村は浜口、寺西と「国際はぐれ軍」を結成し、新日本に乗り込んだ。当時の新日本はブームの真っただ中とあって、木村は究極のヒールに仕立て上げられた。国際プロはマイナーな存在であったため、新日本で猪木と抗争を繰り広げていた期間は、木村にとってプロレスラーとしてのピークといえたが、ヒールとしての役回りは決して本意ではなかったであろう。 その国際軍団も、浜口、寺西が長州力率いる維新軍に加入したため解散。1人になった木村は84年、新日本のお家騒動のさなか、営業本部長だった新間寿に誘わるまま旧UWFの旗揚げに参加。同団体は「後から猪木が行く」との前提での設立だったが、猪木は新日本に残留。前田日明を中心とした格闘路線となり、木村は元国際プロの剛竜馬とともに離脱。新日本に戻る道もあったが、木村は自身の意思で全日本移籍を決意。後に木村は「自分の意思で動いたのは、これが初めてだった」と語っている。同年暮れの「世界最強タッグ決定リーグ戦」で馬場のパートナーとして参戦した木村は、馬場を裏切って、剛らと国際血盟軍を結成。以後、馬場らと抗争を繰り広げていくことになる。 だが、時を経て、馬場にタッグ結成のラブコールを送ると、馬場を「アニキ」と称して、義兄弟コンビを結成。百田光雄らとのファミリー軍団と、永源遙らの悪役商会との試合は全日本の前座の名物となり、アットホームでユーモラスなマイクパフォーマンスで沸かせるようになる。 馬場の死後、三沢光晴らに追随し、00年にノア旗揚げに参加。03年3月までファイトしたが、体調不良により長期欠場に入り、04年7月、ビデオレターで引退を表明した。引退後は体調を崩し、車イス生活を余儀なくされていたという。お人よしなばかりに周囲に誘われるがまま、団体を転々とした木村の流転のプロレス人生。国際時代はエースの座を張り、新日本では猪木の敵役を務めたが、木村が最も「らしさ」を発揮できたのは、ベビーフェイスに転向し、マイクパフォーマンスでファンを喜ばせていた時期かもしれない。 確かに不器用でファイトスタイルは地味なプロレスラーであったが、その実力は本物だった。プロレス界のトップを獲ることはできなかったが、ラッシャー木村という偉大なプロレスラーがいたことを忘れることはできない。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年04月14日 13時00分
球界激震スクープ! 広島・黒田博樹「右腕に異変」(2)
こうした初登板での異変に気付いたチーム関係者は少なくない。トレーナーチェックがされ、『異常ナシ』が報告されるまで、緒方監督も生きた心地がしなかったのではないか。 「営業のことだけを考えれば黒田を日曜日に登板させ、集客数を増やす選択もある。しかし、あえて中5日での登板に踏み切ったのは、メジャー時代の中4日の登板間隔に近い状況を作ってやるためでしょう。球団は『黒田弁当』なる商品も緊急発売させ、例の復帰会見のDVDもリリースしました。経済効果はやはり絶大です」(ベテラン記者) こうした“黒田効果”は球団が当初に想像していた以上だ。しかし、こんな声も聞かれた。 「黒田とバッテリーを組む難しさを実感しているカープ選手がいます。黒田の武器は変化球・ツーシームですが、右打者の外角にボールからストライクになる“バックドア”、左打者なら内角にボールからストライクになる“フロントドア”があり、かつ、カーブ、スライダーなど、どの変化球のクオリティーも高い。従って対戦打者に打たれた場合、自動的に『捕手のリードが悪い』という図式になる」(同) 黒田は基本的に捕手のサインには首を振らない。正捕手の會澤翼は試合後、黒田に「ちょっといいですか」と自身の出したサインの是非を確認している。 「好投手が捕手を育てる」という話もあるが、変化球全てが高品質という次元の高さだ。広島捕手陣は前例のないハイレベルな学習を強いられているわけだ。 「GW突入前には、広島の逆襲が始まるはず。打線低迷がスタートダッシュに失敗した最大の原因だが、他投手も『黒田教室』で配球の妙を学んでおり、その学習効果が表れるのはこれからでしょう」(広島OBのプロ野球解説者) 一方、対戦チームは単純に黒田人気にあやかろうとしているようだ。 「パの3球団から恨み節が出ています。今季から交流戦が18試合に縮小され、『1カード3試合ずつ』となりました。昨季まではホーム&ビジター2試合ずつで対戦4試合を行ってきましたが、今季から『毎年どちらかのホームで3連戦』ということになり、2年でホーム&ビジターを完結させます。つまりパの各球団は何が何でも広島戦の主催権が欲しかったのですが、抽選によりロッテ、日本ハム、楽天が外れてしまったのです」(在京球団職員) あやかろうとしているのは、パ・リーグだけではない。40歳の黒田が『侍ジャパン』に招集される可能性も高まっている。 「侍ジャパンのテレビ視聴率が伸び悩んでいます。小久保体制になって以来、どういうわけか、視聴率が2ケタに届いていません。3月に行われた欧州代表戦は読売グループが必死にチケットを売り、かつタダ券をまいて、何とか2万人台の観客を確保させました」(前出・ベテラン記者) 観客動員の真相は定かではないが、テレビ視聴率の伸び悩みは、確かに今後のスポンサー契約にも影響しかねない。しかも、欧州戦の舞台裏では12球団がオープン戦を戦っており、全球団が開幕投手と主力バッターを派遣することができなかった。 「興行の在り方を見直す必要性もあるが、まずは黒田招集で不人気ぶりを打開したいのでしょう」(同) 黒田は勝っても負けても、表情ひとつ変えようとしない。そんな日本人が忘れている“サムライの心”を持った黒田ならジャパンのユニホームが似合わないはずがない。しかし、前述した通り、もしも右腕に広島首脳陣にも明かしていない秘密があったとしたら…。 まるで球界全体の救世主のように期待される“オトコ黒田”。何事もないことを祈らずにいられない。
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スポーツ 2015年04月13日 13時00分
球界激震スクープ! 広島・黒田博樹「右腕に異変」(1)
“オトコ黒田”は復帰第2ラウンドを白星で飾ることができなかった(4月4日)。しかし、敵地ナゴヤドームで見せた投球は7回3失点。メジャーリーグの基準で評すれば「クオリティースタートを達成」し、先発投手としての責任は十分に果たしたことになる。 クオリティースタートとは、6回以上を自責点3以下に抑えることである。 「広島打線が打てなかっただけ。開幕早々、打線は不振に陥っており、チーム打率は2割4分1厘(6日時点)。黒田の投球も、相手打者を打ち取ったと思った小飛球が野手と野手の間に落ちたり、不運な場面もありました」(スポーツ紙記者) 試合後の緒方孝市監督も淡々としていた。開幕カード3節を終え、黒星先行状態だが、黒田博樹、前田健太、大瀬良大地の3本柱の投球内容は決して悪くない。「早々に巻き返せる」と思っているのだろう。 「いや、4日の試合は“黒田の健在”を再確認する意味で、重要な一戦でもあったんです。緒方監督は安堵したのではないか…」(球界関係者) 実は、黒田の右腕に“異変”が起きていたのだ。広島ベンチが凍り付いたのは、初登板の3月29日だった。 同日、日本テレビは巨人対DeNAを放送したが、地元・広島の中国地区では独自に黒田初登板の対ヤクルト戦を中継。日曜日の昼間としては異例の平均視聴率34.9%をはじき出した。 メジャー球団の21億円オファーを蹴っての帰還、大金よりも古巣への愛を選んだ黒田の人気を再認識させられたが、渡米前を知る関係者は違う印象を抱いていた。“異変”を最初に口にしたのは、同日のテレビ解説を務めた野村謙二郎・前監督だ。 「水を差すようだが、一度、間を取った方がいい。あ、畝投手コーチがマウンドに行きましたね。良いタイミングです」 黒田は走者をためても“即、ピンチ”とはならない。むしろ、走者を背負ってからが真骨頂で、メジャー仕込みのツーシームやバックドア、フロントドアを繰り出し、内野ゴロで併殺プレーを積み重ねていく。当然、マツダスタジアムのファンやテレビ視聴者はそれをわかっており、野村氏も「水を差すようだが」と前置きしたわけだ。 「何事もなければいいんですがね…」 野村氏はさらにそう言った。畝コーチがマウンドから引き上げ、プレー再開。 「黒田がいつもと違う“間”を取り始めたんです。腕や腰を動かしたり」(前出・関係者) 野村氏が「マウンドに行った方がいい」と指摘した理由もそれだった。黒田は前イニングで打席に立っており、「腰を痛めたのではないか?」というのが、この時点での“異変”だった。 メジャー在籍の7年間、黒田は指名打者制のア・リーグに在籍していた。日本復帰後、打撃練習はキャンプに入ってからしていたが、本番とは違う。 こうした心配を払拭するように黒田はその後も投げ続けたが、広島ベンチはそうは見ていなかった。 「黒田が右腕をグルグルと回すなど、今まで見せたことのない間合いを取り始めました」(同) 畝コーチは何度もマウンドに行く。「大丈夫か?」「大丈夫です」と判で押したような会話が繰り返され、緒方監督は7回を投げ終えたところで交代を告げた。 「黒田は痛くても『痛い』とは絶対に口に出さないオトコです。無理をしていないか、広島首脳陣は慎重に確かめていました。万が一のことがあれば、チームに与える影響は計り知れないので…。黒田の性格なら、自分の右腕を代償にしてでもチームの優勝を選択しかねない」(前出・関係者)
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