スポーツ
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スポーツ 2015年04月06日 16時00分
中日ドラゴンズの観客動員に異変! ドル箱の巨人戦でも閑古鳥鳴いたのに“黒田効果”で大入り
“男気”を貫き、メジャーからの20億円超のオファーを蹴って、8年ぶりに古巣・広島東洋カープに復帰した黒田博樹投手が大きな経済効果をもたらしそうだ。 復帰登板となった3月29日の本拠・マツダスタジアムでは3万1540人の大観衆を動員。2戦目はビジター(中日ドラゴンズ戦)で4月4日、ナゴヤドームでの登板だったが、球場内は敵地でありながら、カープのイメージカラーである“赤”で染まる異常事態で、3万6240人を動員した。中日球団にとっては、まさに、黒田様々の展開。 13年、14年と2年連続Bクラスに沈み、チームが低迷するなか、中日は観客動員でも苦労している。13年にはナゴヤドーム開場(97年)以来、初の200万人割れ(199万8188人)を喫した。14年は200万912人で辛うじて200万人を突破したものの、一時の勢いはない。 とはいえ、巨人戦は特別だ。ありがたいことに、今季の本拠開幕カードはドル箱の巨人戦だったのだが、観客動員は初戦(3月30日)こそ、3万83人で3万人を超えたものの、第2戦(同31日)は2万5634人、第3戦(4月1日)は2万4589人と閑古鳥が鳴いてしまったのだ。 いくら平日とはいえ、本拠開幕カード、かつ巨人戦だ。昨年の巨人戦ではいい時で3万7000〜3万8000人を動員していただけに、球団が受けたショックは大きかった。 ところが、土曜日という好条件も手伝ってか、黒田が投げた4月4日の広島戦では巨人戦を大きく上回る観客を動員できたのだから、ウハウハだ。 次の黒田の登板は再びビジターで、10日からの甲子園での阪神戦とみられる。当分、“黒田フィーバー”は続きそうで、本拠であるマツダスタジアムだけではなく、敵地での観客動員にも大いに貢献してくれそうだ。観客動員に苦しむセ・リーグの他球団にとって、営業的には黒田の登板を願うばかりだろう。(落合一郎)
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スポーツ 2015年04月06日 13時00分
プロ野球ハイジャック! 広島・黒田が巻き起こす256億円赤ヘル旋風
今年の開幕戦で各チームの勝敗とともに話題を集めたのが、プロ野球と他競技との人気の対決。日本テレビが巨人-DeNA戦を地上波でナイター中継したのに対し、TBSはハリルジャパン初戦となるサッカー日本代表のチュニジア戦。フジテレビもソチ五輪金メダルの羽生結弦が出場する世界フィギュア選手権の男子ショートプログラムを、それぞれ自信を持って生放送したからだ。 下馬評ではライバル局の挟み撃ちに「巨人戦の開幕戦視聴率は史上初の1ケタ必至」とされ、巨人ファンにとどまらず、球界関係者が神経を尖らせていた。 結果は高橋由、井端の“アラフォーコンビ”の活躍で3-2で勝利した巨人戦が10.7%、岡崎、本田のゴールでハリルジャパンの初陣を勝利で飾ったサッカーが13.6%、男子ショートプログラムで羽生が首位に立ったフィギュアが15.7%。何とか2ケタ視聴率は獲得したものの、面目躍如とはならなかった。 「巨人戦の商品価値が値崩れしているのは確かですが、サッカー日本代表や他のスポーツにコンテンツ的に劣っていると考えるのは早計。球界の人気勢力地図で巨人が急激に衰えていることの方が大きい。Jリーグの発足以来、スポーツ全般で本拠地制度が確立し、どの競技も各地に根を下ろした。プロ野球もしかりで九州はソフトバンク、北海道は日本ハム、東北は楽天が人気を支配しており、大阪、名古屋、広島はとっくの昔に阪神、中日、広島が牙城を築いている。巨人もようやくそのことに気付き、東京ローカルに徹する戦術にスイッチした。ユニホームの胸に『TOKYO』の文字を入れたのはそのためです。しかし、同じローカル路線なら地道にファンを育て上げてきた実績を持つ広島カープには勝てない。日本ハムも楽天もお手本はカープです。広島の人気が爆発的に上がり、巨人人気が衰退するのは自然の流れなのです」(大手広告代理店) オープン戦を3勝7敗3分の最下位で終えた広島だが、球団に営業的な不安は微塵もなかった。3勝全てを米大リーグから8年ぶりにカープに復帰した黒田博樹投手が挙げたからである。ファンは十二分に満足し、あらためて球団に感謝の意を表した。 その黒田は開幕3戦目の3月29日、対ヤクルト戦に先発。7回96球、5安打5三振1四球、無失点に抑え、2740日ぶりとなる日本での白星を挙げた。スタンドには3万1500人を超えるファン。これで日米通算183勝となり、200勝へのカウントダウンもスタートした。過去、日米200勝投手は野茂英雄氏(201勝)しかおらず、カープファンは今季中の野茂超えを願って黒田フィーバーはバージョンアップしている。 中国電力(広島市)のシンクタンク『エネルギア総合研究所』が先に公表した経済効果は256億円。8300席が用意(9万8700円〜36万7500円)された年間指定席は完売。黒田効果で今季の主催試合の総入場者は、昨年を36万人も上回る226万人と試算している。それに伴いグッズの売れ行きや飲食店のにぎわい、他府県から訪れる観戦者の宿泊費、交通料金など、何やかやで広島県内での前年比経済効果は39億円増加するとはじき出した。 「カープの経営手腕は球界一です。メジャーの20億円オファーを蹴飛ばさせて推定年俸4億円プラス出来高で呼び戻し、これで15億円超の含み益。その黒田で年俸の何倍も稼がせ、ファンからも地元経済界からも感謝される。戦力も増し、人気も上がった。あの大塚家具の父娘に会社経営の処方箋をプレゼントしたいほどです」(スポーツ紙デスク) アベノミクスならぬ“クロダミクス”を当て込む広島の商魂は凄まじい限りだ。マツダスタジアムの巨人戦では、オレンジに染まる東京ドームをまねして外野スタンドを赤タオル一色にする作戦。同じくヤクルト戦では、赤いビニール傘でスタンドを埋めようと関連グッズを販売。あの手この手の黒田便乗商売は花盛りだ。 「黒田効果は全国にも波及している。中でも恩恵にあずかっているのが入場者が激減しているナゴヤドーム。今季は巨人戦、阪神戦を上回る人気になっており、今や救世主です。カープ女子の来襲でそっち目当ての“カープ男子”が急激に増えている。ナゴヤドームで出会ったカップルが夜の街に繰り出し消費する。まさしくカープさまさまです」(ドラゴンズ球団関係者) 東京ドームと甲子園では別の現象も起きている。巨人、阪神戦はチケットの入手が困難なこともあり、カープ女子がCSで広島戦をテレビ中継する居酒屋に集結。生ビールと枝豆でテレビ観戦するスタイルは、まさに昭和のオヤジそのままで、そんなカープ女子会も各地で大人気。目ざとい店は「カープが勝った日はドリンク半額」。これが業界の今年のトレンドだという。 ついには貸し切り新幹線まで登場した。広島は5月16日の対横浜DeNA戦に合わせ、球団が東京駅から広島までの片道1便を貸し切り(2200万円)、東京、横浜などから1300人のカープファンを乗せるという太っ腹企画も用意した。参加費の5000円は必要だが、これで試合観戦料(球団グッズのお土産付き)と広島までの片道新幹線料金は無料となる。超プラチナチケットだ。 スタンドから始まった赤ヘル旋風が、他球団のグラウンドをも席巻。まさに球界ハイジャックである。
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スポーツ 2015年04月05日 13時00分
阪神の救援投手陣に新星登場 巨人の山口鉄也のような存在になれるか?
阪神タイガースのブルペンに救世主が誕生か? 昨秋、育成選手から支配下登録された島本浩也(22=左投左打)が開幕一軍の切符をもぎ取った。春季キャンプでも臨時コーチを務めた江夏豊氏も一目置いていた選手だ。貴重な左のセットアッパーであり、育成出身ながら阪神の救世主になってくれる可能性がある。 「阪神の救援陣を支えてきたのは、今季38歳になる安藤優也と、39歳になる福原忍です。今季もこの2人は構想から外せませんが、年齢的に見て、シーズンを通して働ける保証はない。島本と榎田大樹の2人が今季のキーマンになる」(在阪記者) 昨年の秋季キャンプで臨時コーチを務めた大野豊氏も一軍での活躍を示唆していた。 島本は身長176センチで体重67kgと華奢な体型。そのため、他球団は指名を見送った。強豪校の福知山成美高(京都府)の出身だが、あまり名前は知られていなかった。 「島本は高校3年時、学校の不祥事で対外試合に出られませんでした」(球界関係者) 阪神も体が細いため育成での指名にも難色を示したという。しかし、チーム内からこんな意見も出たそうだ。 「対外試合に出られなかったということは、肩、肘がすり減っていない。投球フォームもキレイだし、むしろ指名すべき逸材ではないか」 対外試合禁止という高野連の重い処分が島本の評価を好転させたようだ。 「感情を表に出すのではなく、内に秘めるタイプです。二軍の遠征メンバーに選ばれず、鳴尾浜球場での居残り練習をしているときなどは、黙々と走り続けていた。そういう闘志がいまに繋がった」(同) 育成選手制度が始まって以来、その後支配下登録され、シーズンを通して活躍した阪神の選手はまだいない。しかし、和田監督も左の救援投手を欲しており、島本にはチャンスが与えられる可能性が高い。 「島本が結果を残せば、ドラフトの基準が少し変わるかもしれません。対外試合禁止の処分を受けた高校の選手は、指名が見送られるのが慣例。ですが、肩、肘の消耗を防いでいるという考え方が定着するかも」(同) 当然ながら対外試合禁止は褒められた話ではない。しかし、団体責任で巻き添えを食った側の球児に「試合がなくても、頑張ればきっといいことがある」と希望を見せられる。 阪神はオフの補強に失敗し、若手の選手を上手くやりくりして成長させながら使わなければならない。島本の指名にこぎつけた阪神のスカウトは、一軍で通用するまでに5年は掛かると考えていた。今年がその5年目。巡り合わせの運は持っていそうだ。
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スポーツ 2015年04月05日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(29)第五部・ゴルフシーズン突入「ゴルフスタイル編」
今回で第5部は終了。次回から第6部に入ります。 そこで、今回は私のゴルフスタイルについて綴っていこうと思います。このところ、「好きなコース」が続きましたが、今回も“それ(好きなコース)”を踏まえつつ、私なりのこだわりを披露。少しでも皆様のお役になれば−−と思います。 今年最初のラウンドは成田。3月始めに行ってきました。このコース、平坦で難しくはありませんが、如何せん距離が長い。いわゆる、レディースティーがないのです。それと私たちには「苦」だった事はカートがなかったところ。オール歩きでした。とにかく寒く、辛かった! 話は変わりますが、スギ花粉の飛散がおさまる4月から5月にかけての週末…土曜日、日曜日は物凄く込みます。混雑する日はパス。私は今の時期、土曜日、日曜日はコースに出ません。 土曜日、日曜日の混雑がひと段落する夏は敢えて、週末にゴルフをします。主に長野が主戦場ですね。長野といえども暑くなるのでスタートは朝6時! 超早朝です。そうすると10時には終了。完全に「朝練」ですね。お陰で一日を有効に使えます。 夏場のゴルフに限った事ではありませんが、ゴルフとダイエットは一体。体重の増減が激しい私にとって、ゴルフはダイエット目的であったりします。 「ダイエットゴルフ」で一番注意する事は集中力。空腹の中、プレーするので血糖値が下がり集中力が途切れがちになります。そういう時は飴が一番。「ヤバいな」と思った時は必ず、飴を舐める様にしています。 「ヤバいな」の兆候はパターで分かります。自分では慎重に打っているつもりも煩雑になってしまい、簡単なパットも入らなくなる。ここで飴の出番です。 私のこだわりとは「春期の週末はゴルフをしない」「夏場は長野で早朝ゴルフ」「ダイエット中の必需品は飴」です。 「何だ、大した事ないな!」と思うなかれ。こう言った、些細なこだわりが実は一番大事なのです。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年04月04日 16時00分
大挙して高校野球視察に訪れたメジャースカウト団の本当の目的
第87回センバツ高校野球大会は、ネット裏も盛り上がっていた。プロ野球全12球団のスカウトが追い掛けたのが今大会の目玉、県立岐阜商業の高橋純平投手。中には複数態勢でチェックしていた球団もあったが、「やはり」というべきか、メジャーリーグ・スカウトも熱い視線を送っていた。 「タカハシは本当に良いピッチャーですね。米国の高校生の中に入っても、上位にランキングされると思います。日本の高校生はいきなり米球界に挑戦することにまだ抵抗があるようなので、今回の視察は先行投資のようなものです」 米中部地区チームのスカウトがそう語っていた。 しかし、“視察以外の目的”で球場入りした米スカウトも見られた。 「うがった見方ですが、スカウトした後の自身の言い訳作りで高校野球を見ている者もいるようなのです」(球界関係者) 今さらではあるが、米球界関係者とアメリカのメディアは「日本の高校生投手は投げ過ぎだ」と思っている。田中将大、ダルビッシュ有の2人が続けて右肘靱帯を故障したこともあるだろう。アジア地区担当の米スカウトは、日本人投手の故障をより綿密に調べ始めるようになった。 当たり前だが、大型契約を交わした後に故障すれば、その責任は担当した米スカウトも負わされる。メディカルチェックをした後に契約する段取りになってはいるが、田中やダルビッシュの故障の遠因も、高校野球にあるというのだ。 「要するに、高校時代にこんなに酷使されてきたから、メジャーリーグに来てから故障したんだと言いたいんですよ」(前出・関係者) ダルビッシュもお世話になった肘の靱帯修復のためのトミー・ジョン手術の患者数は、米国人投手が圧倒的に多い。メジャー独自の『中4日』での登板の方が肩肘に悪い影響があり、日本の高校野球を標的にするのは言い掛かりにすぎない。 だが、高橋純平がベスト4進出を逃した際、酷使を回避できて安堵した日本のスカウト陣がいたのも事実。高校野球はプロ野球の品評会ではないのだが…。
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スポーツ 2015年04月04日 13時00分
2015巨人にずっと付きまといそうな次期監督人事の裏側
好調な開幕スタートを切った原巨人だが、今年は悩ましい問題がついて回る一年になりそうだ。その問題の種は原辰徳監督(56)の後任を巡る人事問題のことだ。 「渡辺恒雄(読売新聞グループ本社)会長が、あえて『13年目、14年目』と口にしたのは原続投の空気を作る意味もあったのでしょう」(ベテラン記者) 原監督は今季、指揮官として通算12年目のシーズンを迎えた。2013年オフに交わした再々契約の任期は2年。つまり、今季が2年契約の最終年であり、後任人事の問題も解決しなければならない。 今季、原巨人はV9以来となるセ・リーグ4連覇を目指す。だが、一昨年は日本シリーズで敗れ、昨季もクライマックスシリーズで敗退。チーム打率もVチームとは思えないような低い数字だった。チームの戦力は右肩下がりでありながら、めぼしい補強もしていない。長期政権によるマンネリ感もあってか、チームの士気もさほど高まっていないのが現状だ。 「昨季終盤、大田泰示を四番打者に抜てきし、今季開幕第3戦で新人の高木勇人を先発デビューさせたのは、マンネリ感を打破するため。長期政権による弊害は原監督も自覚しているようです」(同) 原監督自身も長期政権ゆえの弊害は分かっている。進退問題は意識しているはずだ。だが、まがりなりにもセ・リーグ3連覇を果たしたチームの後任監督、ましてや巨人の監督を任せられる人間は少ない。 「プロ野球OBには監督志望者は掃いて捨てるほどいるはず。巨人OBも例外ではありません。でも、いまの巨人ならば二つ返事というわけにはいかないでしょうね」(プロ野球解説者) 後任として常に真っ先に名前の挙がる松井秀喜(40)は時期尚早と考えているのか、答えを煙に巻いたままでいる。 「ゴジラ松井は答えを曖昧にしたまま。兼任コーチとなった高橋由は時期尚早。阿部を兼任監督にする状況でもない。あとは川相ヘッドの昇格、もしくは、OBの桑田真澄氏を呼び戻すくらいしか思い浮かびません」(前出記者) 渡辺会長の「13年、14年発言」が出たのは、開幕直前に催された『燦々会』でのこと。燦々会は財界人による巨人応援組織であり、人事を含めた悲観的な話が出ると、その後の球場広告やテレビ放送時のスポンサー問題に影響しかねない。渡辺会長は「(過去の)11年間で7回優勝して3回日本一になっているんですよね」とも語ったのは、まさに原続投を意識してのことだが、指揮官の実績を語ることで財界要人も抱いている原巨人のマンネリ感を吹き飛ばすためでもあったようだ。 「適当な後任も目の前にはいないわけだから、そういうことになってもしようがないですね。まあ、原君。がんばってくれよ」 そんな渡辺会長の締めの言葉に、当の原監督は苦笑いを浮かべていた。巨人の今季のスローガンは『新成』。読売グループの状況を考えると、『新成』ではなく、『親政』がお似合いだろう。問題をこじらせることにならなければいいが。
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スポーツ 2015年04月02日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈不屈のファイター アンディ・フグ〉
今では広く使われるようになった“リベンジ”という言葉。そのきっかけとなったのは、1994年9月に開催された『K-1 REVENGE』であった。 同年4月のK-1グランプリ、優勝候補の一角と目されながら決勝トーナメント初戦でよもやの1ラウンドKO負けを喫したアンディ・フグ。このときの勝者パトリック・スミスとの再戦に冠せられたタイトルが「リベンジ」であり、国内スポーツイベントで初めてこの言葉が使われている(もっとも、アメリカではモハメド・アリの時代からボクシング業界の宣伝文句として使われていたフレーズで、日本で広まったのも、後の1999年、西武時代の松坂大輔が使ってからではあるのだが)。 そのリベンジマッチでスミスに快勝したフグ。1分足らずでの膝蹴りによるKO劇という鮮烈さも相まって、一躍K-1のトップスターとなった。 そうして迎えた翌'95年のグランプリ。もはや優勝候補筆頭とも評されたフグであったが、再度一敗地にまみれる。 1回戦の相手は日本では無名だったマイク・ベルナルド。その前年にジェロム・レ・バンナと好勝負した(結果は0-3の判定負け)というだけの実績しかなく、大半の見方は“かませ犬”にすぎなかった。 ゴングと同時に攻勢に出たフグは前評判通り、1ラウンド終了間際、左ハイキックをガードして空いたベルナルドの顔面に左ストレートを打ち込みダウンを奪う。そのまま順当に勝利を得るかと思われた第3ラウンド。フグのハイキックに合わせるように繰り出したベルナルドの左フックをカウンターで食らいダウン。そのままラッシュに持ち込まれてTKO負けを喫してしまった。 さらに同年9月、先年に続いてリベンジマッチが組まれたものの、ここでフグは返り討ちに遭う。前回試合と同様、キックにカウンターパンチを合わされてのKO負けだった。 「踵落としに代表されるハデな上段蹴りを多用するフグの戦法だと、キックをガードされた瞬間ノーガードになってしまう。だからどうしても距離を詰めて闘うボクサータイプの選手とは相性が悪かったのです」(格闘技専門誌記者) まさにそれが'94年のスミスであり、'95年のベルナルドだった。 この敗戦により「顔面パンチに慣れていない空手出身選手はK-1に向いていない」と言われることにもなった。 体重100キロ超、身長2メートル近い巨漢選手がそろう中、体重は90キロ台、身長180センチと小柄なことも不利に働いた。 だが、フグは諦めなかった。 年が明けての'96年グランプリ。KO連勝で準決勝に進むと難敵アーネスト・ホーストも判定で下す。 そうしてたどり着いた決勝のリング。対峙するのは因縁深きベルナルドであった。 ゴングと同時に剛腕を振るうベルナルドに対し、フグは距離を取ってローキックを当てていく。フグは従前から「ファンが高いチケット代を払って試合を見に来てくれるのは非日常を見たいからだ。アマチュアでもできるありきたりの技でなく、難しい技に挑戦する姿を見たいんだ」と語っていたという。 「ローキックでの攻めはそうした信条に反するようですが、フグはもうこのときK-1の人気を背負う存在。ファンからもまず勝利が求められていることをフグ自身感じていたからこそ、あのような戦法を採ったのでしょう」(前出の記者) ローキック攻めは奏功し、3ラウンドに入るとベルナルドは脚を引きずり始め、ついにダウン。これには何とか立ち上がったが、互いにファイティングポーズをとったその刹那、フグの下段回し蹴りがベルナルドの両脚をなぎ払った。 フグトルネード。 後にそう命名された大技は、実は極真時代からの得意技でもあった。 この優勝により名実ともにK-1のトップに立つことになったフグ。時にハデなKO負けを食らいながらも、その度に復活してみせる姿は多くの格闘技ファンの胸を打った。だが、その最後の敵…急性白血病との戦いにはついに勝てなかった。 2000年8月24日永眠、享年35。
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スポーツ 2015年04月02日 11時45分
あるぞ! 原巨人があのオトコをデビューさせる
開幕カードは勝ち越したものの、第2節の中日戦で連敗…。まだ公式戦5試合とはいえ、原巨人が波に乗れない。 「投打ともに、本調子ではない主力選手が多すぎる。とくに打率1割台の村田(修一=34)が心配です」(プロ野球解説者) 村田の打率は1割4分3厘。規定打席に到達している巨人選手のなかで、ワーストだ。オープン戦から本来の打撃を見失っていただけに、この不振は長引きそうである。 だが、原辰徳監督(56)は不振の村田をスタメンで使い続けている。途中交代もさせていない。実績のあるベテランに対する信頼だろうが、「4番も務めた男に恥をかかせるべきではない。気分転換で休ませ、再調整させてやるべき」(前出・同)の声もないわけではない。 こんな見方もある。 「村田のほかにも三塁を守れる選手はいるが、一発の期待できる控え選手は見当たりません。阿部、坂本、高橋由、片岡も本調子ではないので村田も使わざるを得ないのでしょう。めぼしい控え選手はいない」(球界関係者) 選手層が厚いようで、レギュラー陣と控え選手の力量差が大きい。村田の代役が務まる選手も見当たらないというわけだ。 そんなチーム状況を物語るようにして浮上してきたのが、1位指名ルーキー・岡本和真内野手(18)の大抜てき案だ。 「原監督がオープン戦後半、岡崎郁・二軍監督と岡本の状況について話し合っています。原監督は岡本に経験を積ませたいとし、一軍昇格に前向きですが、岡崎二軍監督は反対しました。時期尚早だと…」(前出・関係者) 岡崎二軍監督以外にも、時期尚早を唱える者は少なくないという。理由は岡本の守備難だ。岡本は智弁学園時代、主に一塁を守ってきた。高校時代から守備がイマイチなのは伝えられてきたが、巨人は「将来の4番候補なのだから、華のあるポジションで」と、三塁でスタートさせることを決めた。 キャンプ中も懸命に守備練習を重ねてきたが、二軍公式戦で2つのエラーを記録している(5試合)。守備に関する不安が、持ち前の打撃にも影響しかねないというのが、岡崎二軍監督以下、反対派のコーチ陣の主張だ。 「巨人は育った補強をしていない。原政権は通算12年目に入り、チームに停滞ムードもある。村田の代役というより、起爆剤として高卒ルーキーを一軍デビューさせたいようだ」(前出・関係者) 前出のプロ野球解説者がこう言う。 「高卒ルーキーの力を借りなければならないチーム状況が、まずおかしいんです。しかし、のちに一流と称されるスター選手の大半は1年目から一軍を経験しています。代打、勝敗の影響のないところで途中から守備に着くくらいなら、少しの間、一軍を経験させてやるのも悪くないと思います」 岡本の一軍昇格の時期が本格的に検討されるのは、巨人が危機的状況にあるか、独走態勢に入ったときのいずれかだろう。 俊足内野手の大累進(24)、岡本の1年先輩で右のスラッガー候補・和田恋(19)、昨秋U18侍ジャパンに招集された辻東倫(20)、中日から戦力外を通告され、巨人に拾われた吉川大幾(22)もいる。今季の戦況によって、岡本の一軍デビューの内容が変わってくるようだ。
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スポーツ 2015年04月01日 14時00分
広島・黒田とマエケン盃を交わした師弟の密約(2)
黒田がメジャーに渡る前の'07年、前田は新人だったため、接点は“無”に等しかった。一軍と二軍に別れていたためだが、しかし、黒田は自身の後継者として前田に一目置いていた。 「黒田門下生という言葉を使うなら、一番弟子は前田です。前田は今季の帰還を球団よりも早く聞かされていた可能性もある」(同) それだけではない。マエケンは大瀬良たちに対し、「こんなふうに質問しないと、ダメだ」と、黒田との接し方を教示していたようだ。「わからないから教えてほしい」と聞いても、黒田は答えてくれる。しかし、「自分はこう思っているのですが」「こんな練習をしていますが」と突っ込んだ聞き方をしなければ、黒田の教えを自分流にアレンジできないと説いていた。 マエケンは黒田帰還の今季、別の方面でも“異変”を見せている。それは、自主トレ期間中から「開幕投手を狙う」と、ハッキリ口にしていたことだ。これまでは内に秘めていたタイプだが、黒田に「オレに遠慮するようでは成長はない。狙え!」とハッパを掛けられたようだ。 「前田が大炎上した20日のピッチングですが、途中から決め球のスライダーを使わなくなったんです。開幕でぶつかる東京ヤクルトの偵察隊もネット裏にいたはずですし、オープン戦特有の『手の内を隠した』配球だったのかも」(前出・スポーツ紙記者) 黒田の『カープ愛』は25歳の野村祐輔にも伝わっている。野村がまだ明治大学に在籍していたときのことだ。明治大学は米アリゾナのスポーツ施設で新規リーグ戦前のキャンプを行った。そのジム施設で偶然、黒田が練習していたのである。 「明大野球部の一行を見つけると、黒田の方から歩を進め彼らを激励しました。広島県出身の野村の経歴を知っていたらしく、『カープで会おう』と握手を交わしていました」(前出・関係者) そのとき野村は恐縮し、両手で握り返したという。黒田帰還の一報を聞かされたとき、「本当に帰ってくるんだ」と感激していた。 「黒田はオープン戦で好投を続けたものの、日本の軟らかいマウンドに対する感覚をまだ完全に取り戻してはいません。ツーシームと独自の魔球・フロントドアが本領を発揮するのは夏場以降です」(同) 緒方孝市監督は、前任者の野村謙二郎氏が不振でも起用し続けた堂林翔太に対し、あっさりと二軍落ちを命じた。打率2割を切る低迷では当然だが“野村カラー”がなくなり、むしろチームは一丸となったという声も聞かれる。 黒田とマエケンの“男の契り”.新生カープが、Vロードをバク進する。
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スポーツ 2015年04月01日 12時00分
【甦るリング】第1回・長州力が藤波辰巳に下克上宣言した1982年10月8日
プロレスのテレビ中継がゴールデンタイムから消えて久しい。 今の10代、20代の若者にとって、プロレスはマニアックなファンに支えられたジャンルにしか思えないだろう。しかし、かつてプロレスはゴールデンタイムで高視聴率を獲っており、当時の若者にとっては、人気娯楽のひとつだった。 多くのR30、R40世代にとって、少年期に見たプロレスは、それこそ今の人気バラエティー番組を見るかのごとく、日常生活のなかで、欠かせない熱く燃えさせてくれた“テレビ番組”だったに違いない。また、プロレス会場に足を運んだ人も少なくないだろう。 そこで、本項では、特に80年代、90年代を彩ったレジェンド・プロレスラーの「あの日あの時」を記していきたい。第1回で取り上げるのは長州力(63)。いまだに現役を続けている長州だが、昨今ではバラエティー番組で、すっかりおなじみだ。バリバリの頃の長州を知るファン、関係者にとって、今の姿は意外というほかない。 長州は専修大学でレスリングに励み、72年ミュンヘン五輪に出場したトップアスリートだった。同五輪で同じレスリングで出場したジャンボ鶴田(故人)は、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入団した。一方、長州は鶴田をライバル視するがごとく、オポジションの新日本プロレスに入団した。 74年、国内でデビュー戦を行った長州は海外武者修行に出発。その後、帰国するも、パッとせず、中堅選手の域を脱せず。全日本で、馬場と並ぶトップスターとして活躍していた鶴田との立場の差は明らかだった。 そんななか、長州はメキシコ遠征に出た。決して、団体の期待があってものとはいいがたかった。現地で長州はメキシコのトップ選手であるエル・カネックを破って、UWA世界ヘビー級王座を奪取して、勇躍凱旋帰国した。しかし、団体内での“序列”は変わるものではなかった。時は82年10月8日、東京・後楽園ホール。長州はアントニオ猪木、藤波辰巳(現・辰爾)と組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー&バッドニュース・アレン&SDジョーンズと対戦した。 入場時、今まで通り、長州は藤波より前を歩き、リングアナのコールは藤波より先。プロレスでは格上が後ろから入場し、選手コールは後にされるのが慣例。メキシコで実績をつくって帰ってきたのに、なんら変わらない団体の扱いに、長州は「切れた」のだった。 試合中にもかかわらず、長州は藤波に食ってかかり、下剋上。当時、マスコミでは「藤波、俺はオマエの噛ませ犬じゃない」と発言したとして、2人の抗争が勃発。後に、長州は「このままでは絶対にこいつより上に行けない。絶対に、俺の方が上だと思っていた」といった主旨の発言をしている。 2人の闘いは“名勝負数え歌”として、後に語り継がれることになり、一介の中堅レスラーにすぎなかった長州は一気に大ブレイク。革命軍、維新軍を結成して、2人のライバルストーリーは、新日正規軍との軍団抗争に発展した。今でこそ、日本人による軍団同士の闘いは当たり前となっているが、正規軍と維新軍による抗争は当時のプロレス界では画期的で大ヒットとなった。“革命戦士”と称された長州は時代の寵児となり、金曜夜8時に放送されていた「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日)は常に視聴率20%を超え、興行的にも満員御礼が続いた。 その後、長州は84年、新日本を離脱し、新団体ジャパン・プロレスに参画し、ライバル団体の全日本に事実上移籍した。しかし、長州は87年、全日本との契約を解除し、新日本に出戻った。ライバル・藤波との立場は対等となり、長州は団体の象徴であるIWGPヘビー級王座を奪取したり、猪木を破ったりして、文字通り、新日本のトップに君臨することになり、復帰は成功だったといえる。だが、紛れもなく、長州が最もギラギラと輝き、プロレスを見ていた者たちを熱く燃えさせてくれたのは、藤波に牙をむき体制に反旗を翻した82年〜84年のあの頃であったのは間違いない。 基本的にマスコミには一切媚を売らず一線を画して、ファンサービスにも無縁だった長州が、後にバラエティー番組で活躍するとは、いったい誰が想像したか? 60歳をすぎても、なおリング上がっただけで、その発するオーラはただならぬものがある長州。その現役生活は残り少ないものであろうが、限られた時間のなかで、そのファイトをファンの目に焼き付けてほしいものだ。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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