スポーツ
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スポーツ 2016年11月21日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND27 〈限界説を払拭した死闘〉 馬場vsハンセンPWF世界戦
1981年暮れ、全日本プロレスが誇る看板シリーズ『世界最強タッグ決定リーグ戦』決勝のリングサイドに、突如として“不沈艦”スタン・ハンセンが現れた。これに立ち向かうは御大のジャイアント馬場。全盛を迎えたハンセンと下り坂の馬場では、ミスマッチとも思われたのだが…。 数多の来日外国人の中で最もファンに愛された選手の1人、スタン・ハンセン。全日と新日の両団体で長く活躍し、それぞれにファンがいることを考えると、ジャイアント馬場やアントニオ猪木以上の人気レスラーとすら言えるかもしれない。 その代名詞が一撃必殺のウエスタン・ラリアットだ。自らの左腕を勢いよくブチかますだけという明快さで、少年ファンが容易に真似できることも人気を後押ししていた。 もとはアメリカン・フットボールにおける相手の首に腕を引っ掛けて倒す反則行為で、米マットではクローズラインと呼ばれるこの技が、日本でのみ“ラリアット”と称されるのは、もちろんハンセンの影響があってのこと。 ラリアットを和訳すれば“投げ縄”であり、本来、カウボーイと縁のない日本人選手にはふさわしくない技名なのだが、それほどにハンセンのインパクトは絶大だったわけである。 「ハンセン自身も、これをフィニッシュホールドとして非常に大切にしていた。一見すると力任せの単調なラフファイターのようですが、実際にはフェイントをかけてラリアットへの期待を高めるなど、試合の組み立てもしっかりとしていた。なによりこの技を乱発しなかったことで、ハンセンのラリアットだけは“別格”と印象付けました」(プロレスライター) 初来日となった'75年9月の全日参戦時には、馬場から「馬力だけの不器用なレスラー」と酷評を受けたハンセンだが、その後、WWWFでの王者ブルーノ・サンマルチノとの連戦、そして新日参戦を経て大きく成長を遂げていた。 「新日では“ブレーキの壊れたダンプカー”の印象も強いが、のちのザ・ロード・ウォリアーズに代表される“ハイスパート・レスリング”とは異なり、この頃のハンセンはすでに緩急をつけた試合運びをしており、相手の攻めに対するバンプ(受身)もしっかり取っていた。巨躯から繰り出されるエルボーやストンピングの一発ずつが重くて激しいために、そうしたテクニカルな面が目立たなかっただけです」(同) 相手によってスタイルを変える巧さがあったからこそ、多くの名勝負を生み出し、ベテランになってからも第一線で闘い続けることができたのである。 また、凶器などの反則攻撃に頼らず、自らの肉体によって相手を追い込む、その真面目な試合ぶりと強靭さから、ヒールでありながらベビーフェース的な人気を博した。 '81年5月のアブドーラ・ザ・ブッチャー移籍に端を発した新日と全日の引き抜き合戦で、新日のトップ外国人だったハンセンも全日へと移籍することになる。 「ハンセンが移籍を決意した理由の一つに、ブッチャーを獲得した新日への不信感があった。新たにトップヒールが参戦したことで、自分の働き場所が減らされると考えるのは当然です。さらに加えて、プロモーターとしての馬場への信頼もあった。当時の全日は、世界的に見ても金払いのしっかりした優良団体でしたから」(専門誌記者) かくして、ハンセンの全日参戦が決まった。'81年12月、世界最強タッグの決勝戦において、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のセコンドを務め、全日再登場を果たしたハンセン。それに対して試合後に乱闘を仕掛けていったのが、引き抜きの張本人である馬場だった。 そうして翌年2月には、自ら保持するPWF王座を懸けてのハンセンとの一騎打ちが決まる。この当時、すでに衰えを指摘されていた馬場だけに、ファンからは「ハンセンに壊される。いや、殺されるのでは…」と、悲痛な声も聞かれたものだった。 「とはいえ、馬場が新日経由の選手と闘って“猪木より格上”をアピールするのは、かつてのビル・ロビンソン戦や大木金太郎戦でもあった常套手段。それでも当時、両者の勢いの差から馬場の善戦は予測し難かったのですが…」(同) そんな中で迎えたシングル初対戦。結果的には場外乱闘時に、レフェリーを巻き込んでの両者反則に終わったが、試合では終始、馬場がリードする展開となる。 不意打ちの十六文キックに始まり、逆十字固めや肩越しのアームブリーカーなど、猪木を思わせる左腕殺しを徹底してハンセンを完封。その試合ぶりにファンやメディアからは、一転して“馬場復活”の声が多々聞かれることとなった。 「馬場の奮闘を意外に思う人は多かったが、むしろ馬場がロビンソン戦のように“完勝”しなかったことが、ハンセンの商品価値を高く見積もっていたことの証明と言えます。また、同年代のジャンボ鶴田ではなく自ら相手を務めた裏には、ハンセンに常連参戦させる価値があるか、そのレスラーとしての姿勢やスキルを見定める意図もあったようです」(同) この試合でめでたく馬場の眼鏡にかなったハンセンは、馬場の新たなライバルという形で全日に定着する。 馬場との直接対決は都合12回。4勝4敗4分け(ピンフォール決着はハンセン2勝、馬場1勝)の結果を残すこととなった。
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スポーツ 2016年11月20日 16時00分
友成那智 メジャーリーグ侍「007」 メジャーリーガーの見本市WBCは「大谷・菅野」に注目!
来年3月に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催される。小久保裕紀監督率いる侍ジャパンは、大会に向けて11月10日から4日間、メキシコ及びオランダ代表チームと強化試合を行い戦闘モードに入る。 今回の小久保ジャパンには他国のチームにはない強みが存在する一方で、明らかな弱点もいくつかある。●強み (1)先発投手 (2)機動力 (3)守備力 最大の強みは先発投手だ。決勝ラウンドに勝ち上がった場合、準決勝が3月20日、決勝は3月22日に行われるため、先発の1・2番手にトップレベルの投手を擁しているチームはがぜん有利になる。小久保ジャパンの先発1・2番手は大谷翔平と菅野智之になる可能性が高い。他国を見回してもこの2人を凌ぐ1・2番手を擁しているところは、どこにもない。 他に、終盤に1点が欲しい場面で機動力をフルに発揮できる点、センターラインの守備力が高い点も日本の強みといっていい。●弱点 (1)監督 (2)リリーフ投手 (3)打線の中軸 最大の弱点は'13年の第3回大会に続き今回も現役日本人大リーガーの参加が見送られ、メジャーの野球に精通した人間が1人もいないチームになったことだ。 WBCで決勝ラウンドに進出すると、現役メジャーリーガーやマイナーリーガーで固めた北米や中南米のチームと戦うことになる。理に叶った投球フォームで投げる韓国や台湾の投手と異なり、個性的な投球フォームでクセ球を投げ込んでくる投手が多くなる。 前回大会で日本チームはプエルトリコ投手陣が投げ込む手元で動く速球に対処できず、3対1でよもやの敗戦を喫した。今大会でも、決勝ラウンドに進めば、個性的な投球フォームでクセ球を投げ込む投手と対戦する可能性があるが、メジャー流の投球に精通した人間が不在ということから、4年前と同じことが繰り返されるかもしれない。 もう一つの弱点は、監督として采配を振るった経験の少ない小久保監督。采配ミスのリスクが付きまとうことだ。昨年11月に行われたプレミア12の準決勝では、1安打ピッチングを続けていた大谷翔平を7回で交代させた後の継投に失敗。それまで仮死状態だった韓国打線を甦らせ、楽勝ムードだった試合で手痛い黒星を喫した。 その時、厳しい批判にさらされたことで、状況に応じた細かい投手起用ができるようになったと思われるが、肝要なのはギリギリの判断が求められるWBCの本番でそれが出来るかどうかだ。できないようだとマスコミから、またも痛烈な批判にさらされることになるだろう。 予選ラウンドで、日本代表にとって怖い存在になりそうなのは、選手の大量亡命で戦力ダウンが著しいキューバではなく、前回大会の雪辱に燃える韓国だ。 第1回大会の韓国は、予選ラウンドで宿敵日本相手に2戦2勝する大健闘。3度目の対戦となった決勝ラウンドでは敗れて順位は3位だったが、大会成績は通算6勝1敗で、勝率だけなら5勝3敗だった日本を凌いでいた。第2回大会でも韓国は予選ラウンドで日本チームと4度対戦し、2勝2敗と健闘。しかし、決勝戦では力及ばず5対3(延長)で敗れ準優勝に終わった。 このように韓国は第1回、第2回のWBCでは大きな存在感を示したが、前回の第3回大会では初戦でオランダに完封負けしたのが響き1次予選敗退の屈辱を味わった。そのため、今回は何が何でも決勝ラウンドに勝ち進み、日本を倒して優勝カップを手にするつもりだ。 韓国はモチベーション次第で、実力以上の働きを見せるチームだ。日本も気持ちで闘うタイプの選手が多いので、今回のWBCでは久々に、日韓の死闘が見られるかもしれない。 日本が決勝ラウンドに勝ち上がった場合、怖いのは有名選手をずらりと揃えた米国代表やベネズエラ代表ではない。この2チームは、選手のモチベーションが低いうえ、まだ調整段階の選手が多いため、くみしやすい相手だ。逆に嫌なのは、戦力では劣りながら士気が高い小国のチームだ。 その典型が前回大会、日本が準決勝で敗れたプエルトリコ。代表チームが日本に完勝し、準優勝したことは400万のプエルトリコ国民を熱狂させた。優勝が期待される今回は、士気の高さでは群を抜いている。 だが、日本の最大の敵となるのは、前回優勝のドミニカ共和国だろう。 前回のWBCで優勝したドミニカでは、国民の間にそれを誇る感情が広がり、第4回大会で連覇を願う声が高くなってる。それに押されて選手のモチベーションも上がっており、ドミニカ・チームはバリバリのレギュラー級を揃えて、パワー野球で勝ち進むつもりだ。それに対抗できるのは大谷、菅野を擁する日本だけ。火花が散る対決が見られるかもしれない。ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2016」(廣済堂出版)が発売中。
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スポーツ 2016年11月20日 12時00分
新日本プロレスがアミューズとのタッグでシンガポール大会を成功! メディア露出強化で木谷オーナーの公約が大前進!
今年の1・5後楽園大会で発表された新日本プロレスとアミューズの業務提携。木谷高明オーナーは「リング以外のメディア露出をさらに強化していく」と力強く語っていたが、その言葉どおり、今年はリング以外でも様々なメディアで選手それぞれが新しい活躍を見せ始めている。 “新日本プロレスのエース”棚橋弘至は、今年はクイズ番組やトーク番組などバラエティだけでなく、時代劇初挑戦となったドラマ「石川五右衛門」準レギュラーでの出演や、選手としても一個人としても多大な影響を受けリスペクトして止まない「仮面ライダー」シリーズの映画版に敵幹部役として登場。IWGPヘビー級王者の“レインメーカー”オカダ・カズチカはドラマでの実名登場からファッション誌などでも特集され、さらにはTBS「マツコの知らない世界」より「キュンキュンするプロレスの世界」と題して“六本木 VICE”ロッキー&バレッタを相手にしたタッグマッチに挑み、見事、マツコ・デラックス氏に勝利を捧げた。 さらに写真家・篠山紀信氏もオカダに注目する一人。表紙を務めたムック本「NEW WORLD」での撮影をきっかけに、原美術館にて開催中の篠山紀信展「快楽の館」では191cmの見事な肉体美が投影されている撮り下ろしヌード写真が本企画ただ一人の男性として展示されており、10・10両国大会の試合後には王座防衛に成功したオカダの祝福に篠山氏が駆けつけている。また、独特な食レポが話題を呼ぶ“スイーツ真壁”としても活躍中の“暴走キングコング”真壁刀義は、テレビではユニットGBHの盟友で、ガラガラ声でおなじみ“みんなのこけし”本間朋晃を引き連れ、各バラエティ番組を多方面からにぎわせているが、スイーツの食レポやトークだけでは飽き足らず、大好物のモンブランをカルビーとの共同開発でなんとポテトチップスにしてしまうなど、スイーツ界でも暴れまくっている。さらに、広島東洋カープが優勝すると、以前からファンであることを公言している“トランキーロ”内藤哲也に取材が殺到するなど、今年は新日本プロレス所属レスラーの適応能力がいろいろなメディアで発揮された一年になった。 新日本は、現地時間11月15日(火)夜、シンガポールにて初となる単独興行「WRESTLING WORLD 2016 IN SINGAPORE」をマリーナベイサンズで開催。会場では多くの観客がオープンと同時に物販ブースに殺到。早々に売り切れるグッズも多数出る中、新日本プロレスのオリジナルグッズを全身にまとい、大きな拍手と声援が掛け合わさる熱気の渦の中心で試合が行われた。当日は1,300人を超える現地観客たちを“世界トップクラス”と言っても過言ではない試合内容で存分に魅せつけ、大会は大成功のうちに幕を閉じた。 今回の興行は、新日本がアジア進出を見据えた拠点の一つとしてシンガポールを選択。業務提携先であるアミューズのシンガポール支社との共催という形で今回の実現に至ったという。現地での模様は、東京から来たテレビ朝日のカメラクルーが、日本のビッグマッチと同様の体制で映像を制作し、動画配信サイト「新日本プロレスワールド」で世界に生配信され、約10,000人がその行く末を見届けた。新日本とアミューズとの提携は“世界戦略”という旗印のもと、芸能部門以外でも効果を発揮している。 シンガポール大会の成功は来年の1・4東京ドーム大会へも繋がってくる。なぜならば同大会も「新日本プロレスワールド」を通じて世界配信されることが決定しているからだ。木谷オーナーは「新日本プロレスワールドは海外からの視聴者が多い」ことを明らかにしており、シンガポールに拠点を置いているオーナー自身もリアルタイムで大会をチェックしているという。これに関してはオーナーとは“天敵”の関係にある内藤哲也にも「会場に来ない」ことに対し、皮肉を込めて度々指摘されている。 アミューズの関係者は「将来的な可能性のひとつ」と前置きをした上で、「所属アーティストとのコラボレーションはあり得る話」と提携時にコメントしていただけに、アミューズも新日本とのタッグで、海外進出を狙っている所属アーティストやタレントを投入し、世界戦略に乗り出す可能性は十分にあるだろう。 「まずは新日本プロレスを知ってもらいたい」「新日本プロレスが生活の中で目に入る存在にしたい」「世界戦略」これはブシロードが新日本を買収した時から、木谷オーナーがファンやマスメディアに対して言い続けてきている公約。アミューズとの業務提携によるメディア露出強化や海外大会の成功により、その言葉は現実味を帯びてきた。(どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times VOL.44】
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スポーツ 2016年11月19日 16時00分
早実・清宮幸太郎獲りで早大VSプロ12球団ドラフト攻防戦
日本シリーズも終わり、FA権を行使する選手との交渉が解禁となった。「選手が動く」のは、オフの風物詩。だが、そんなオフシーズン真っ只中にあって、12球団の一部幹部の目はすでに来季に向けられているという。今秋のドラフト会議で指名された選手たちと仮契約も結んでいないのに、すでに'17年のドラフト会議に向けて水面下で動き出しているのだ。 「清宮クンですよ。来年は大変だよ」(在京スカウト) 11月3日、秋季東京都高等学校野球大会で清宮幸太郎内野手(2年)のいる早稲田実業が優勝し、来春のセンバツ大会出場を確実なものとした。高校通算本塁打は、すでに74本。1年夏の甲子園で2本塁打、打率4割7分4厘を誇ったスタープレーヤーが戻ってくる。 昨夏、甲子園だけにとどまらず一般メディアを巻き込んでのブームは、“異常”ともいえるものだった。あのブームが再び…。この人気が12球団スカウトを悩ませているのだ。 「彼が来秋ドラフトの主役になります。でも、清宮は早大に進学するのではないか、との見方も強まってきました」(同) 清宮は初等部から早稲田で学んできた。また、現在はラグビートップリーグ・ヤマハ発動機ジュビロの監督を務めている父・克幸氏も早大出身のスター選手で、後に早大監督として、3度も大学選手権を制した“早稲田のカリスマ”でもある。早大側も「今度は、(清宮の)息子が東京六大学野球を盛り上げてくれる」と期待していたとしても、決しておかしくはない。 しかし、大学に進んで素質を開花させた選手も多いが、その反対もまた多い。同じ早実・早大出身の斎藤佑樹(日本ハム)がその典型だ。 斎藤が夏の甲子園大会を制した'06年当時、12球団のスカウト間でこんな言葉が交わされていた。 「最強のスカウトは巨人でもソフトバンクでもない。早大を始めとする有名大学」 球児の親とすれば、通用するか分からないプロの世界に進むよりも、安全パイとして大卒の学歴を望む。「プロの世界はいつクビを切られるか分からない。4、5年でクビになるよりも、『学士』として堅実な人生を」と考えるのだ。こうした学歴志向は中学球児にまで及んでいる。 「有望中学生がどの高校に進むかを決める際、進学に有利かどうかをはっきり確認してくる親御さんも少なくありません。進学を意識して、付属校や系列校を選ぶ家庭もあります」(スポーツライター・飯山満氏) 硬式野球部を持つ大学は、8月から10月の間、翌年入学の高校3年生を対象としたセレクションを行う。『自己推薦制』とも呼ばれており、有望球児はここで大学合格の内定を取る。セレクションはどのスポーツ競技でも行われており、重要な戦力補強の場となっている。 野球で進学できる、それも有名大学なら…。すでにプロでやっていける力を持った高校球児でも、『大学ブランド』にグラついてしまう者は多いという。 「清宮クンを獲った球団がプロ野球報道の主役になるのは必至です。『清宮見たさ』で球場を超満員にできるはずですし、大学に進んだとしても、大学側にとってはこれ以上ない学校宣伝になります。早大グループ校の早実も『東京六大学リーグで勉強してからでもプロ入りは遅くない』と勧めてくるでしょうね」(前出・スカウト) 先の東京都大会決勝で、清宮は5打席5三振を喫している。 「対戦した日大三高の左投手、桜井周斗クンもプロ注目の逸材です。一級品の左腕に適応できないとなれば、清宮クンもプロ入りに怖気づいてしまうかも」(球界関係者) 昨年8月、清宮はU-18W杯の壮行試合で大学代表チームと対戦している。そのとき、「清宮対田中正義(創価大)」の“真剣勝負”が実現した。清宮は「ちょっと詰まった」と言いながらも、センター前に適時打を放った。田中はプロ交流戦で二軍選手をキリキリ舞いさせた男。12球団スカウトは清宮の素質を再認識させられた。 「清宮クンの通算74本塁打のうち、左方向に打ったのは1本だけ。スピード、パワーは一級品でも、トップクラスの左投手や変化球への対応は『これから』です。一時期、センターを守っていたけど、守備は二流。ですが、たとえ一塁しか守れなくても、あの人気はすごい。プロ側は是が非でも欲しい逸材なんです」(同) その課題を、格下の大学生投手相手に克服するか、プロ相手に揉まれるか。清宮にとっては人生の岐路となる。 「父・克幸氏の意向も大きい。清宮家と交流もあって、早大グループにも顔が利くとなれば、ソフトバンクの王貞治会長しかいません。王会長を信頼してプロ入り表明となれば、他11球団は手が出せなくなってしまうが…」(同) 大谷投手流出が避けられない日本ハム、スター不在の巨人は二重丸を付けている。阪神も「高山俊、大山悠輔、そして清宮」のクリーンアップで超変革を完成させたいはず。早大も手放したくない。この熾烈な争奪戦、果たしてどうなるか。
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スポーツ 2016年11月18日 16時00分
巨人・太田泰示トレード裏に日本ハムの「ポスト栗山」体制
日本ハムが巨人・大田泰示外野手(26)をトレードで獲得した。巨人のドラ1野手のトレードは史上初。表向きは「打線強化」とされるが、実は「ポスト栗山監督」への布石との声−−。 巨人の「未完の大器」大田、公文克彦投手(24)と、日本ハム・吉川光夫投手(28)、石川慎吾外野手(23)の2対2のトレードが11月2日に成立し、両球団が発表した。大田は'08年のドラフト1位、吉川は'06年の高校生ドラフト1巡目で'12年のパ・リーグMVP左腕。先発左腕の補強を目指す巨人と、右打者の強化を狙う日ハムの思惑が合致。今オフ最初のトレードとなった。 大田は原辰徳巨人前監督(58)が惚れ込み、肝入りで巨人に入団させた逸材だ。中学2年時に野球教室で原氏に才能を見い出され、故郷広島から原氏の母校・東海大相模高に野球留学。原氏の父である名将・原貢氏に育てられ、高校通算65本塁打を記録し、「辰徳の高校時代より上」と評価されるまでに成長した。巨人入団後は、「ポスト松井秀喜」との思いから背番号55を用意するほどの入れ込みようだった。しかし、入団後は伸び悩み、背番号も55を剥奪され'14年から44に変更。毎年「今年こそレギュラー定着を」と期待されたがその思いは叶わず、今季も62試合出場で打率2割2厘、4本塁打に終わっていた。 このトレードについて、巨人の堤辰佳GMは「彼を出すことにはいろんな意見があったが(中略)北海道で花を咲かせてやってくださいと伝えた」と説明した。泣いて馬謖を斬り、環境を変えることで覚醒することに期待を込めたわけだ。 スポーツマスコミによると、このトレードは「吉川を獲得した巨人が得だ」と報じるが、本誌が入手した情報によると、やや異なる。 実は、今なお「世界でも通用するポテンシャルを秘める打者」と惚れ込む原氏が仕掛け人だという。その狙いは、ハムの主砲・中田翔とコンビを組ませ、「平成のON砲」を構築。エース大谷翔平を擁して巨人、ソフトバンクを打ち負かす「スーパーチーム」を指揮するためだという。 それを裏付けるかのような発表が、実はトレードの発表の同日に行われていた。今季で契約満了となる日本ハムの栗山監督は2日、都内の日ハム東京支社を訪れ、末澤壽一オーナーにシーズン終了を報告。その席で同オーナーから10年ぶり3度目の日本一達成の手腕を労わられ、来季続投を要請された。栗山監督はこれを受諾。しかし、契約は予想外の「1年間の延長」にとどまったのだ。 今季はソフトバンクとの最大11.5ゲーム差を跳ね返して逆転優勝を飾り、広島との日本シリーズも4勝2敗で制した。しかしこれは、一時的とはいえ独走を許していたことの裏返し。栗山監督の評価は盤石ではない。 今回の大型トレードは、決して国内FA権を取得した陽岱鋼外野手の移籍を織り込んだだけのものだけではない。その意味するものは、「次期原政権の布石」にある。
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スポーツ 2016年11月17日 16時00分
吉田沙保里 “副学長就任”は五輪回避の大義名分か
女子レスリングの吉田沙保里(34)が、母校・至学館大学の副学長に就任。これに“事実上の引退”との見方が強まっている。 「副学長就任の辞令が手渡されたのは11月1日午前11時1分。創立111周年を迎えた同大は“1並び”に吉田を迎えた。選出した理由は、『手本となる人物像』とのことです」(体協詰め記者) 一般論として、スポーツ、芸能、政財界の著名人を迎えて、学校の宣伝に一役買ってもらうことは多々ある。その場合、肩書きだけの“名誉職”というケースが多いが、吉田は違う。主に広報・渉外を任されるそうだが、“副学長”である以上、それなりの責任は負わされ、かつ学校経営にも携わっていかなければならない。 「吉田は『突然の話でビックリした』と話していましたよ。これまでの彼女の言動を聞く限り、学校経営、教育問題に強い関心があったようには思えません。就任会見では『母校の監督が(肩書きで)下になったので、どうしようか…』と冗談交じりに語っていましたが、見るからに戸惑っている様子でした」(同) 大学側はリオデジャネイロ五輪前から検討していたとのことで、吉田も「9月に打診された」と話していたが、発表が遅れたのは“1並び”にこだわっただけではないという。 「吉田の今後を考えると、悲観的にならざるを得ない。東京五輪の時、彼女は38歳。普通の選手なら五輪出場で目標達成となるでしょうが、彼女は無敗記録を作ったカリスマです。今回のリオ五輪同様、金メダルを獲らなければ周りが納得しない。そのため選手としては、副学長であることを名目にフェードアウトしていく可能性が高い」(関係者) JOC理事就任後に引退した室伏広治氏、参議院議員となった後に引退した谷亮子氏が思い出される。レスリング協会も「バラエティータレントになるよりはマシ」と思ったのか。
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スポーツ 2016年11月16日 17時00分
2016年「12球団合同トライアウト」 再起を目指す男たち(鶴直人編)
ドラフト1位の重圧は当事者しか分からない。ひょっとしたら、その過度な期待に応えようとし、自分を見失ってしまったのかもしれない。今年の『12球団合同トライアウト』(11月12日/甲子園球場)では、ドラフト1位選手の姿が例年以上に目立った。元ソフトバンク・巽真悟(29)、元阪神・鶴直人(29)、元オリックス・白仁田寛和(31)、元DeNA・北方悠誠(22)などがそうだ。過去の故障はともかく、大きなケガを抱えているわけではない。 「ちょっとしたきっかけがあれば、きっと…」 周囲がそう思っているうちに、歳月ばかりが過ぎてしまったのではないだろうか。 05年度高校生ドラフト1巡目指名、元阪神の鶴直人は17組目で登板した。打者3人に対し、奪三振1、ノーヒットに抑えてみせた。タテジマの背番号46、開放された内野スタンドを埋めつくした1万2000人のファンがひと際大きな拍手を送っていた。 そんなファンの後押しもあったからだろう。鶴の安堵の笑顔で報道陣の前に現れた。 −−今日のピッチングを振り返って? 「緊張した。メチャ緊張した。でも、腕はしっかり振ろうと思って。まあ、なんとか」 −−ファンの応援もあったが? 「緊張が和らいだというか…。タイガースのユニフォームを着て、応援してもらって、本当に幸せだと思いました」 −−NPBで再スタートしたいという思いで間違いありませんか? 「そうですね。今後は色々な選択肢のなかで(どれを選ぶか)悩んで決められたら…。プロ(NPB)でやれるのなら、その気持ちは強い」 鶴によれば、家族、両親も球場に来ていたと言う。「結果はどうであれ、思いっきり腕を振る」、それを心がけて今日まで調整を続けたそうだ。バックスクリーンに表示されたスピードガンは144キロ。キャリアハイとなった12年シーズン同様、キレのあるストレートを軸にスライダーとシュートを投げ分け、内外角を広く使っていた。 「(今季は)覚悟はしていたので。とにかく悔いの残らないよう…」 トライアウトに懸ける意気込みをそう語っていた。 12年以降、成績は下降線を辿った。高校最後の夏は右肘の故障で満足に投げられなかった。その故障もまだ癒えていなかったが、地元阪神が1位で指名した。中日・平田良介らと「浪速の四天王」と称された潜在能力を評価されたからだが、プロ入りしてからの2年間はほとんど投げていない。それでも、将来の先発候補としての期待は変わらなかった。そして、結果を残せずに悶々としていたとき、リリーバーへの配置換えとなった。そのキャリアハイとなった12年は、43試合に登板している。翌13年はリリーバーでスタートしたが、不振とチーム事情が重なり、先発に再転向する。高い潜在能力を持っていたからだろうが、その後も先発か、リリーフかで起用法が定まらず、今日に至ってしまった。 「1位だからということで、今日のために調整してきたのではありません。1位指名選手の緊張はたしかにありました。入団して2年は怪我で投げられず、戦力になれなかったことは申し訳なく思ってきます。後輩たちに負けたくない一心で頑張ってきました。ドラフトは良い思い出ですが」 43試合に登板した12年に一軍投手コーチを務めた藪恵壹氏も球場を訪れていた。自身が出演するテレビ局の取材を兼ねていたようだが、鶴を見つけるなり、「まだ若いんだから」と懸命に励ましていた。 通算成績は9勝8敗。115試合に出場した。このままでは終われない、その強い思いを秘めているはずだ。(了/スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2016年11月16日 12時15分
2016年「12球団合同トライアウト」 再起を目指す男たち(久保裕也編)
11月12日、『12球団合同トライアウト』が甲子園球場で行われ、投手42人、野手23人の計65人がそれに臨んだ。今さらだが、トライアウトを受けて、他球団との再契約を勝ち取った選手は決して多くない。だが、「オマエにはまだ現役を続けてほしいんだ!」と仲間たちに思わせる選手はもっと少ない。 取材する側から言わせてもらうと、有名選手のコメントが欲しい。実績もあるベテランから「再起に懸ける思い」を聞かせてもらいたいのだが、リップサービスしてくれる選手ばかりではない。過去には、報道陣を避けてこっそりと別ルートから帰る選手もいた。そんなコメントを聞かせてほしいと思っていた選手の一人に、今年は久保裕也(36=元DeNA)がいた。巨人時代は主にリリーバーとして活躍し、球宴出場2回、通算100ホールド以上をマークした好投手である。その久保は2組目に登板した。しかし、出番を終えてから2時間近くが経過しても、報道陣の待つ通路には現れなかったのだ。 「ひょっとしたら、別ルートから…」 そんな声も出始めたころだった。久保がひょっこりと姿を表したのだ。 −−今日の登板を振り返って? 「(実戦式登板は)久しぶりなんで緊張して、思い切ってやろうと思ったのが良かった。今後に関しては、今はNPB一本で考えています。今後、第二の人生がどうなるのか分かりませんが、野球ができるところがあれば…」 −−しっかりとアピールもできたようだが? 「カウント1ボール1ストライクから始まるので、そんなに球種は投げられないし、チェンジアップとか真っ直ぐを。あと、フォークボールも使いました。1-1から始まるので、早いカウントでフォークを投げたり。バランス良く投げられたと思います」 トライアウトはカウント1ボール1ストライクから始まる。投手は打者3人としか対戦できない。限られたチャンスのなかで自己アピールをするには、久保の言う通り、持ち球を制限しなければならない。ベテランらしい自己アピールの戦略を聞かされたあと、2時間近くもこちらに来なかった理由を尋ねてみた。 「ああ。萬谷(康平=29/元DeNA)が残っていたから。萬谷もキャッチボールとかをやってもらったし。来年また一緒に、皆で野球ができたら…」 久保は受験するチームメイトの全員が投げ終わるまでベンチで待機し、他選手にも檄を飛ばし続けたという。 「萬谷もキャッチボールとかをやってもらったし。来年また一緒に、皆で野球ができたら…」 そんな久保の人柄をさらに印象づける出来事がもうひとつあった。実は、球場控室に巨人時代の同僚・長野久義も駆けつけ、見守っていたのである。 「(巨人時代の同僚から)激励のメールとかももらって。自分の出番の後、(巨人の)坂本(勇人)とラインして、『カトケン(加藤健=35/元巨人)に打たれちゃった』って教えたら、笑ってました」 同日夜、坂本やDeNAの同僚・筒香嘉智らは侍ジャパンのユニフォームを着て、国際試合を戦っていた。久保自身にも「このままでは終われない」の思いは強く持っていたはずだ。広島・黒田博樹、DeNA・三浦大輔、千葉ロッテ・サブローなど、自身の現役生活に納得してピリオドを打ったベテランもいる。一方で、トライアウトを受験せず、東北楽天からのオファーを得た細川亨(36)のようなベテランもいる。野球人生は人それぞれだが、プロ野球の世界では「強いチームになればなるほど、ベテランが必要」とも言われる。 修羅場を潜ってきたベテランだからこそ、若手に掛けてやれる言葉もある。若手に響く言葉も言えるのだ。生き残りを懸けたトライアウトの会場で後輩を思いやるベテラン。彼を必要とするチームは必ずあるはずだ。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2016年11月15日 16時00分
博多陥没事故も支障なし 大相撲九州場所「給料100万円から無給に…」幕下転落した豊ノ島の試練
JR博多駅前の道路で大規模な陥没事故が起きた11月8日、現場から約2キロの大相撲九州場所(13日初日)の開催が心配されたが、設備や運営面を担当する三保ケ関親方(元幕内栃栄)は「陥没の状況は心配だが、会場に特に影響はない」と話した。 福岡国際センターで始まる九州場所。最大の注目は、先場所の覇者、豪栄道(30)の“綱取り”だが、この、今年最後の場所に復活をかける力士たちからも目が離せなくなっている。 横綱白鵬の状態はどうか。 「先場所、右足や左ひざに負ったケガの影響で、横綱になって初めて全休。あと3勝に迫っている史上3人目の1000勝達成を狙って稽古に励んでいますが、新入幕の石浦にあっけなく負けるなど、いまだ完治には程遠い状態です。『豪栄道の壁になる』と意気込んでいますが、厳しいでしょうね」(担当記者) 同じモンゴル出身の逸ノ城も、復活を期す力士の一人。 「逸ノ城は、腰痛で先場所全休し、十両落ち寸前の幕尻まで番付を下げました。出場は明言しているものの、いまもって関取との稽古はできない状態。ぶっつけ本番で挑むことになりそうですが、モンゴルの怪物と呼ばれたかつての活躍はとても望めそうにありません(同) これら力士の中で、とりわけ悲壮感に溢れているのが、幕内の優勝決定戦に進出した力士では平成16年春場所の北勝力以来、史上2人目の幕下転落力士となる豊ノ島だ。 「左のアキレス腱を断裂して2場所連続全休し、幕下に転落した豊ノ島も厳しい闘いになるのは必至です。年齢もすでに33歳。若い力士たちに交じってどこまで踏ん張れるか。肉体面だけでなく、精神面も試されそうです」(同) との評価を受けても、 「復活を遂げて幕内優勝を狙うという気持ちでいっぱい。大相撲史に残るようなドラマチックな力士になってやろうと思っています」 と前向きな姿勢を見せる豊ノ島。 だが、現実は過酷だ。先場所までは100万円を超える給料が出たが、幕下になれば無給。付け人もつかず、個室ももらえず、若手力士たちと大部屋暮らしだ。食事も風呂も関取たちの後で、まわしすら黒の木綿製になる。 「長い間、関取でいたので、いろんな面で厳しいと感じる。でも、こうなった以上、受け止めてやるしかない。このまま終わるような自分ではない、と信じている」 そう自分に言い聞かせる豊ノ島は、10月30日に福岡入り後、徐々に稽古も再開。この意気込みで、弱った足腰や、鈍った相撲勘をどこまでカバーできるか。 陥没事故の復旧も着々と進んでいるようだし、九州場所では白熱した取り組みを期待したい。特に幕下の土俵が面白そうだ。
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スポーツ 2016年11月14日 14時00分
プロレス解体新書 ROUND26 〈長州復帰と大仁田劇場〉 電流爆破で“邪道”退治の舞台裏
老舗メジャーの新日本プロレスに、たった1人で闘いを挑んだ“邪道”大仁田厚。迎えるは現役引退したものの、大仁田の挑発に乗って復帰した長州力。新日の総帥・アントニオ猪木の反対を押し切り、禁断の電流爆破マッチが始まった。 「店に行くと“あの人”の顔がズラーッと並んでてさあ。それ見ると『この野郎!』って熱くなっちゃうんだよ」 大仁田厚が取材記者に対し、そんなふうにこぼしたことがあったという。パチンコ、パチスロ店にアントニオ猪木をモチーフとした機種が、多数設置されていた頃のことだった。 大仁田が猪木戦を口にしたのは2000年の前後からだが、実はそれ以前から水面下での交渉が持たれていた。 '94年に二度目の引退を表明した大仁田が、新日に猪木戦を要求すると、翌年1・4東京ドームの目玉カードとしてこれが内定。対戦に向けてのアングル作りで、東京スポーツにあおり記事が掲載されたりもした。 「猪木自身も対戦にOKを出したものの、最終的に頓挫したのは大仁田がバーターで猪木のFMW参戦を強く要求したからだと聞いています。新日にしてみれば『猪木と対戦できるだけでもありがたく思え!』ということだったようです」(スポーツ紙記者) その後、大仁田は引退となるも1年後に復帰。しかし、大仁田不在の間にFMWを支えたメンバーからの反発に加え、ディレクTVからの放映権料(年1億円、3年契約)が期待できたこともあり、大仁田は不要と見なされ、'98年11月に団体追放の憂き目に合う。そこで再度持ち上がったのが、新日参戦計画だった。 新日としても同年4月に猪木の引退興行を終え、次の目玉を探していたところで、以前の決裂などなかったかのように話は進展したという。'99年の1・4東京ドームでの佐々木健介戦に始まり、蝶野正洋戦、グレート・ムタ戦では大仁田がグレータ・ニタに扮し、神宮球場大会のメーンを担うまでになった。 だが、ここで横槍が入る。 「引退後、世界格闘技連盟UFOを設立した猪木は、エースの小川直也を新日でも主軸にしたかった。そんな猪木にとって“邪道”大仁田は目障りだったのです」(新日関係者) 一度対戦が決まりながら、決裂したことへの不信感もあったのか…。 「大仁田の新日参戦が決まった当初から、猪木は『あいつの毒は一度飲んだら消せないぞ』と反対の姿勢でした。自分ならともかく、他の選手では大仁田に食われてしまうと危惧していたのです」(同) そのため大仁田はいったん新日リングを離れるが、それに不服を唱えたのがテレビ朝日だった。同局の『ワールドプロレスリング中継』での“大仁田劇場”が人気を博していたことから、その継続を望んだのだ。 さらに、新たな事情も絡んでくる。大仁田参戦の1年前、'98年の1・4東京ドームで引退し、現場監督に専念していた長州力の復帰問題である。 「大仁田は参戦時から『狙うは長州の首ひとつ!』と言ったものの、その時点で長州はまだ復帰には否定的でした。ただ、もともと“自分も引退するから猪木さんも”というのが引退の主目的だったわけで、再度、新日を牛耳ろうとする猪木への反発が復帰を決意させたようです」(同) 両者の利益が一致したことで、話はトントン拍子で進み始める。 「またぐなよ!」(道場に電流爆破マッチ直訴の手紙を持ってきた大仁田に対し、リングに近寄るなという意からの長州のセリフ)の名言が飛び出すなど、大仁田劇場も絶好調。大仁田とテレ朝・真鍋由アナの関係が、敵対から同志へと深化していく感動ストーリーも生み出された。 そうして'00年7月30日、ついに長州と大仁田が電流爆破マッチで相まみえる。 メーン以外は闘魂三銃士も外国人も参戦しない、もちろん猪木も来場しない。長州派の選手だけの大会ながら、会場の横浜アリーナは超満員。プロレスでは初となるPPVも実施された。 同年5月にはPRIDEが東京ドームでの初のグランプリ大会を成功裏に終え、また、8月5日には全日本プロレスから独立した三沢光晴らによるプロレスリング・ノアの旗揚げが予定される中にあって、長州と大仁田それぞれの存在感を見せつけるかたちとなった。 『ワイルドシング』の流れる中、観客をあおりながらゆっくりと入場する大仁田。続いて『パワーホール』が鳴り響くと、会場全体から大歓声が沸き上がる。 入場する長州の腕には、この直前に試合中の事故で亡くなった福田雅一選手の遺影があった。 「長州の肝いりで入団させた福田への想いは当然ありながら、復帰に否定的なファンがブーイングしづらくする意図もあったのでは」(プロレスライター) 試合は計5回の被弾で血まみれになった大仁田に、サソリ固めを決めた長州のTKO勝ち。長州は一度自ら有刺鉄線の反動を利用してラリアットを放つも爆破はなく、勝敗では一方的となったが、それでも水と油に思われた両者が、それぞれ持ち味を発揮した好勝負であった。
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