新日本
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スポーツ 2018年10月30日 06時15分
「どうなるかわからない」棚橋弘至とオカダ・カズチカ、オカダ凱旋後“初の”握手!
新日本プロレス『Road to POWER STRUGGLE 〜SUPER Jr. TAG LEAGUE 2018〜』▽27日 東京・後楽園ホール 観衆 1,740人(札止め) オカダ・カズチカを裏切り、CHAOSからバレットクラブに移籍してから、暴挙が止まらないジェイ・ホワイトと邪道&外道。この日も試合後に、ヘビー級のメンバー総出で、試合後のオカダをリンチ。後楽園が悲鳴とブーイングに包まれる中、さっそうと現れたのは棚橋弘至だった。棚橋は8日の試合後、オカダに救出され、17日に「借りは残したくないから」という理由で、オカダを救出している。 しかも今回は倒れているオカダに「オカダ!」と声をかけると、2人でタマ・トンガをロープに振ってバックエルボーで蹴散らした。続いてジェイもロープに振るが、場外に退散。2人に罵声を浴びせながら、控室に戻っていった。リングに残された2人。そのまま帰ろうとした棚橋だが足を止め、オカダも棚橋の方へ歩み寄った。棚橋が振り返ると場内は“あり得なかった光景”に大爆発した。 それもそのはずだ。2012年にオカダが凱旋帰国をしたと同時にCHAOSに入ったため、2人は常に対峙してきた。もっとさかのぼれば“岡田かずちか”のリングネームで、棚橋と壮行試合を行った試合後も握手は拒否している。 棚橋は人差し指と人差し指を交差させながら何やら話し、手を差し伸べると、オカダもニヤリと笑みを浮かべながら同じ仕草を見せて、ガッチリ握手を交わした。棚橋と中邑真輔がユニットの枠を超えて握手を交わしたことはあった。ただ、オカダが現在のキャラクターになってからは、お互いにライバルとみなし、握手することはなかった。まさに歴史的な握手だった。 先に控室に戻った棚橋は「自分でもどうなるかわからない。プロレスは裏切りだけじゃないから」と言葉少なめにコメント。続いて現れたオカダは「棚橋さんに初めて友達ができたんじゃないですか」と冗談を放つ。棚橋の「レスラーに友達はいらない」という言葉を引き合いに出したのだろう。「友達として『ありがとう』って言ってやるよ。でも今の俺はかわいい後輩(ジェイ)をかわいがらなきゃいけない。棚橋さんもケニーとやるんでしょ」と話す。「これでタッグを組むわけじゃない」と2人のタッグ結成は否定しつつも「何が起こるかわからないよプロレスは」と含みを残して控室に入っていった。 オカダは翌28日に行われたビッグパレットふくしま大会でも「俺のパートナーはYOSHI-HASHIさんだけだ」とコメントしている。アクシデントで頭部を負傷して欠場中のYOSHI-HASHIは先シリーズ、オカダとたびたび仲間割れを起こし、「俺のところに来いよ」と呼びかけられていた棚橋に急接近していただけに、この3人は今後どのような人間模様を展開していくのか興味深い。また、さらにこの流れに合流する選手が出て来るのか?新日本では長い間なかった、超党派的な動きが見られるかもしれない。 11.3大阪大会で何らかの動きがあるのか注目される。取材・文 / どら増田写真 / ©︎新日本プロレスリング
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スポーツ 2018年10月29日 21時45分
新日本11.3大阪で英国の王座を懸け対決、石井智宏と鈴木みのるが危険すぎる前哨戦!
新日本プロレス『Road to POWER STRUGGLE 〜SUPER Jr. TAG LEAGUE 2018〜』▽26日 東京・後楽園ホール 観衆 1,662人(満員) 新日本プロレスの今シリーズ最終戦となる『POWER STRUGGLE』11.3エディオンアリーナ大阪大会が近づいてきた。11.3でブリティッシュヘビー級王座を懸けて対戦する王者の石井智宏と挑戦者の鈴木みのるが26日、矢野通とTAKAみちのくをそれぞれパートナーに従えて、前哨戦を行った。 “プロレスの王様”鈴木みのるが次に狙うのは、石井智宏が持つRPWブリティッシュヘビー級王座の再奪還だ。このベルトは、柴田勝頼、ザック・セイバーJr.、石井智宏、鈴木みのると受け継がれてきた。英国時間14日に開催されたイギリスRPWロンドン大会で、石井がリターンマッチを制して新王者になったばかりだ。 みのるとしてはザックとのタッグで、RPWブリティッシュタッグ王座も獲得しているだけに、RPWマットを鈴木軍が制圧する意味でもこのベルトは離したくない“宝物”だったのだろう。石井は初防衛戦として、英国時間11月9日にRPWが開催するロンドン大会で、デイビッド・スターの挑戦を受けるとRPWから発表された。それにもかかわらず、「11.3大阪大会で挑戦する」と強引に割り込んできた。この強引な手法は9月の内藤哲也戦などでもあった。みのるが得意としている手法である。 そんな中、行われた前哨戦が凄かった。 2人が向き合えば誰も止められないエルボー合戦。何発打ったのか数え切れないほど、お互いにエルボーを叩き合った。その姿に会場の温度もどんどん上がっていく。何十発打ち合ってもお互いに倒れないのだから、我慢比べの域を超えて意地以外の何者でもない。みのるにとっては“天敵”である矢野ですら、この2人の危険すぎる打ち合いの中に入っていくことはできなかった。 ただ、試合は2人がやり合っている間に、矢野が冷静にコーナーポストを外し、むき出しになっているコーナーの金具にTAKAを自爆させると、そのまま丸み込んで3カウント。CHAOS軍が勝利を収め試合は成立させた。しかし、ここからが大変だった。試合に敗れたこともあり、みのるが大荒れ…ここまではいつもと変わらないのだが、珍しく石井も激しく突っかかっていったため、乱闘が止まらない。みのるだけではなく、石井も制止に入ったヤングライオンを突き飛ばすほど、感情を止められない様子。何とか矢野が止めに入り、石井とともに控室に帰ろうとするが、みのるも石井を追いかけて行き、乱闘したままバックステージへ向かった。 先に階段を降りた石井に対してみのるは「やるか?今すぐ!」と挑発。石井も「待っててやるから来いよ!」と応戦したため、控室入り口前のインタビューブースで再び乱闘を始めるとそのまま控室に入っていった。典型的なジャパニーズスタイルの試合に、イギリスのベルトが懸けられ、そもそもこの試合がそのままイギリスマットでも行われているのはとても興味深い。 この2人は11.3大阪まで連日、エルボーを打ち合っていくはずだ。当日はどちらの意地が上回るのか楽しみだ。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年10月28日 21時15分
新日本マットで完全復活を目指すのは棚橋だけじゃない!小島聡の肉体から溢れる思い
1ヶ月以上経っても忘れられない言葉がある。 「この48歳にして、今、プロレスに携わっていること。そのカラダからわき出るエネルギーだったりとか、喜びだったりとか、その全てが俺の全てなんじゃないかと思いました」 「第3世代の4人(天山広吉、小島聡、永田裕志、中西学)で試合をしてきて『もっといろんなことをしたいな』とか『もっともっと俺には何かできるんじゃないか?やらなきゃいけないんじゃないか?』と考えて試合をしてきた。自分からは言わないけど、ファンや会社の人間が『第3世代に何かしなきゃ面白くないんじゃないか?新日本プロレス』というような流れに持っていくしかない。『そういう闘いを普段のリングの中でしていくしかないんじゃないかな』と痛感しました」 「これだけのファンが俺たちに声援を送ってくれる。それは俺たちが積み上げてきたもの。だからこそファンが喜んでくれる。だったら、カラダが元気に動くうちに、それを活かしたい。活かす機会がほしい」 小島聡は「会社に不満があるわけではない」と前置きした上でそう語った。 永田裕志プロデュースの新日本プロレス9.9東金アリーナ大会で8ヶ月ぶりに復帰を果たした小島が上記の発言を口にしたのは、シリーズ最終戦の9.23神戸ワールド記念ホール大会だ。そのとき私は小島の右腕の前あたりにいたのだが、腕が明らかに復帰前よりも大きくなったことに気づく。これは小島なりの完全復活に向けた決意表明だったのではないか。 左膝前十字靭帯の再建手術で長期欠場を余儀なくされた小島だが、上半身のトレーニングは欠かさなかったのだろう。他団体の選手や関係者と話をすると「小島さんはハートもいいし、他団体に行けばまだまだトップを張れる選手」という声をよく耳にする。あのカラダを見る限り、私は現在の新日本マットでもトップを張る力は十分にあると思う。 棚橋弘至が欠場した際には、棚橋のカードに小島が入ったこともあった。今年は遂に第3世代から『G1クライマックス』に誰も出場しなくなったが、小島はフリー時代、G1史上初めて、反体制の立場でかつ所属外選手としては初の優勝(2010年)を果たした選手。全日本プロレス時代には天山広吉を破り、三冠ヘビー級とIWGPヘビー級の4冠王者になった。2005年にはプロレス大賞にも輝いている。天山とのタッグチーム、テンコジのイメージも強いが、シングルプレーヤーとしても団体を背負う器がある選手なのだ。 まだ左膝に不安もあるようだが、先日は海外にも遠征、現地のファンにも認知されていたという。「シリーズを完走できた安堵感はあるが、やはりレスラーとして欲が出てきてしまう」という小島。小島のツイッターを見ていると、頻繁に「トレーニング」という言葉が出てくる。そして棚橋や真壁刀義といった後輩に対しても「(彼らのように)『考えさせる言葉を発するレスラー』になりたい」と素直に認め、何かを吸収しようという気持ちをストレートに表している。 棚橋がケニー・オメガに「お前は賞味期限切れだ」と言い放ったことに関しては、自分自身と重ねてしまったよう。ただ、このままトレーニングを続けて、いつでもイケる準備をしていれば必ずまたチャンスがやって来るはず。あの腕を見たら「賞味期限なんかあるんですか?」と聞きたくなってしまう。もちろんプロレス界において世代交代は必要だが、実力がありプロレスラーとして欲がある選手にはチャンスが与えられる世界であってほしい。そういう選手を乗り越えてこその世代交代ではないか。 新日本では棚橋が完全復活に向けてあと一歩までたどり着いたが、小島の復活ロードは始まったばかり。小島には「まだあいつがトップにいるようじゃなぁ」ではなく、「小島がトップにいるのは新日本の強みだよね」と思われるぐらいの完全復活を期待したい。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.28】
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スポーツ 2018年10月25日 22時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ディック・マードック」日本を愛した気まぐれな天才
何かにつけてコンプライアンスだのガバナンスだのが問われる今日この頃。その一方で米国トランプ大統領が、無軌道でいい加減にも映る言動をメディアから総攻撃されながら一定数の支持を保っているのは、現代社会の堅苦しさへの反動があってのことなのか…。 一口に「いい加減な人」と言っても大きく2種類に分かれる。そもそもの能力が足りず、何をやろうにも中途半端になってしまうタイプと、何が起きても対応できるだけの高い実力があった上で、普段のことは適当に済ませているタイプだ。 トランプ大統領がどちらに当たるかはそれぞれの判断に任せたいが、ことプロレス界においては、後者の“実力十分タイプ”としてディック・マードックを思い浮かべるファンは多いだろう。 次期NWA王者の最右翼と目されながら「がっちりスケジュール管理されてネクタイ姿でツアーを回るのは嫌だ」「好きなビールが自由に飲めなくなる」と、そのベルトに固執することはなかった。全日本プロレス参戦時の1979年5月に、同王者のハーリー・レイスに挑戦したこともあるが、結果は1本ずつ取り合っての60分時間切れ引き分けであった。 この内容についてジャイアント馬場は「常にこの試合のようにピーンと張り詰めた試合をやっていれば、マードックのマット界における評価もまた違ったものになってくるだろう。持って生まれた好素質を遊ばせているような惜しい男だ」と、自著に記している。 新日本プロレスで対戦した前田日明も、マードックを「やれるんだったら何でもやって来いよ、みたいな感じ」「アントニオ猪木と並ぶプロレスの天才で、何をやってもプロレスにしちゃう」と高く評価する。 '86年4月、熊本で行われた前田とマードックのシングル戦では、UWFスタイル寄りのシビアなせめぎ合いから徐々に前田が関節技で攻勢に出るが、マードックはカウンターの顔面エルボーで逆襲。コーナーからカーフ・ブランディングを決めている(結果はフェンスアウトで前田の勝利)。 「UWFとは水と油のアクロバティックな技でも、平気で決めてみせるのがマードックの真骨頂。そもそもカーフ・ブランディング自体が、他に使い手がほとんどいない難しい技ですからね」(プロレスライター) コーナーにもたれさせた相手の背後に回り、膝を背中に押し付けながら相手の顔面をマットに打ち付ける。深く極まりすぎれば頸椎骨折などの大事故にもなりかねない危険な技だが、極めが浅ければ何だかよく分からないことになってしまう。 コーナーポスト最上段の不安定な足場で自分と相手の体をコントロールするバランス感覚が求められ、その使い手ということからもマードックのプロレスセンスがうかがえよう。★来日54回を数え 夜は屋台で一杯 急所を的確に狙う鼻っ柱へのパンチやエルボーは、いかにもケンカ慣れしており「ストリートファイトでは実力ナンバーワン」「複数人のヘビー級プロボクサーをKOした」との逸話もまことしやかに伝えられる。 そのことを裏付けるように'85年11月、IWGPタッグリーグ戦の最中に組まれたブルーザー・ブロディとのシングル戦で、テレビ解説の山本小鉄は一聴すると不思議な発言をしている。「マードックがどれだけブロディをいじめるか…」 外国人エース格だったブロディをマードックが“いじめる”とは、ファンからすれば奇妙な話だが、関係者の間ではそれが真の実力評価だったのだろう。 試合では開始早々に気合十分のドロップキックを見せたマードックが、判官びいき的な声援を受けながら奮闘。終始互角に渡り合った末に、両者流血のノーコンテストとなっている。 こうしてたまに実力の片鱗をうかがわせながらも、普段のマードックは藤波辰爾との対戦時に定番ムーブ(場外から戻る際、藤波にタイツを引っ張られて尻を出す)を楽しみ、あるいは試合もそこそこに夜の街へと繰り出していた。「アメリカでトップを張りながら54回も来日した一番の理由は、日本の巡業システムが快適だったからです。当時のアメリカでは移動や宿泊を自分で手配していましたが、日本では全部会社が用意してくれる。気ままに試合だけをして、夜は屋台の焼き鳥で一杯ひっかけるという生活が性に合っていたのでしょう」(同) '96年に急逝する直前には、地元アマリロで新団体の設立準備をしていたという。根っから自由人のマードックは、いったいどんなプロレスをプロデュースしたのだろうか?ディック・マードック***************************************PROFILE●1946年8月16日〜1996年6月15日。アメリカ合衆国テキサス州出身。身長190㎝、体重126㎏。得意技/垂直落下式ブレーンバスター、カーフ・ブランディング。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2018年10月25日 06時15分
女子プロレス団体を中心に12団体が協力!Rayさん追悼興行の第1弾カード発表!
悪性の脳腫瘍と闘病の末、8月30日に亡くなった女子プロレスラーRayさんの追悼興行が開かれる。生前、Rayさんと親交が深かった吉田万里子、コマンド・ボリショイ、GAMIが発起人になる形で、Ray追悼興行実行委員会を組織。11月30日に『Ray追悼興行』を新木場1stRINGで開催すると発表された。 この大会には、アイスリボン、PURE-J女子プロレス、息吹、プロレスリングWAVE、我闘雲舞、センダイガールズプロレスリング、SEAdLINNNG、Marvelous、ワールド女子プロレスディアナといった女子プロレス団体をはじめ、Rayさんが上がっていた超戦闘☆プロレスFMW、WNCも協力を表明。23日にはREINA女子プロレスも協力すると発表した。現時点で協力団体は12となっている(プロモーション含む)。Rayさんと絡みがあったフリーの女子選手や団体として協力関係にない女子選手も個人として出場するという。 実行委員会は23日に第1弾カードを発表。スペシャル6人タッグマッチとして、バンビ(K-DOJO)&チェリー(フリー)&佐藤綾子(ディアナ)対DASH・チサコ(センダイガールズ)&松本浩代(フリー)&大畠美咲(WAVE)のカードが組まれた。この試合は吉田が主宰、プロデュースしていた若手選手育成をテーマにした大会『息吹』プレゼンツだ。この試合の特別レフェリーは『息吹』のレギュラーだった南月たいよう(SEAdLINNNG)が務める。南月は引退してしまったが、Rayとはかつてベルトを争った好敵手だった。適任と言えるだろう。 2003年9月に我闘姑娘の舞台で「零」のリングネームでデビューしたRayさんは、デビューからマスクを被るという、女子プロレスでは珍しいミステリアスなレスラーだった。しかし、持ち前の空中殺法や数々のトリッキーかつスピード感のあふれるプロレスと、マスクの中から見えるきれいな瞳、ファンサービスの際に見せる笑顔は多くのファンの心をつかんでいた。 2007年に『息吹』を運営するエスオベーションに移籍すると、リングネームをRayに改名。『息吹』の大会数が少なかったこともあり、覆面レスラーで“飛べる”Rayの存在は女子プロレス界において貴重な存在だった。ここから他団体から引っ張りだこの選手へと成長していった。現在WWEで活躍しているASUKAとも対戦している。 2011年にフリーを経て、我闘姑娘時代の仲間がいるアイスリボンに移籍。アイスリボンに移籍してからも他団体で引っ張りだこの状況は変わらず、REINAでは初代CMLL-REINAインターナショナルジュニア王座の初代王者になり、念願のメキシコ遠征も実現。新日本プロレスと業務提携していることで有名なメキシコの老舗団体CMLLマットに登場している。 2012年5月にアイスリボンを退団。その後はJWP(現PURE-J)でLEONとのマスクウーマンタッグを中心に活動。REINAにも継続参戦し、LEONとREINA世界タッグ王座も奪取するなど、精力的な活動を続けた。2014年8月にはアントニオ猪木が代表を務めていたIGFの北朝鮮大会にも出場している。 2016年2月17日、都内で会見を開いたRayは自身の左目の視床付近に悪性の脳腫瘍が見つかり、グレード(ステージ)3であること、摘出が困難な状態であることを衝撃告白。闘病生活に入り「経過が順調」と報じられたこともあったが、再びリングに上がることはできなかった。なお、デビューからマスクウーマンだったこともあり、本名、年齢は非公表。 笑顔が似合う華やかな選手だっただけに、明るく楽しい追悼興行に期待したい。取材・文 / どら増田写真 / ©︎Ray追悼興行実行委員会
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スポーツ 2018年10月24日 21時45分
馬場、猪木、ファンクスと死闘!アブドーラ・ザ・ブッチャーが来年2月日本で引退
平成最後のプロレスオールスター戦として話題となっている『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』(2019年2月19日、東京・両国国技館)に大きなイベントが加わる。昭和の日本プロレス界で、ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木ら日本人のトップ選手や、ドリー・ファンクJr.、テリー・ファンクのザ・ファンクスらを相手に血で血を洗う抗争を繰り広げ、凶器攻撃や毒針エルボーで苦しめた“呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーが行われることが決まった。 ブッチャーは馬場さんのライバルだった。2001年に東京ドームで開催された『ジャイアント馬場三回忌興行』ではジャイアント・キマラとタッグを組み、テリー・ファンク&大仁田厚と対戦。試合後には「ブッチャー、バーバー、ブッチャー、バーバー」と叫び馬場さんを偲んだ経緯もある。運営サイドは今大会に『アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念〜さらば呪術師〜』というタイトルを付け加えた。 ブッチャーは2011年にWWE殿堂入りも果たしており、アメリカやカナダ、プエルトリコなど、日本以外にもゆかりの国はたくさんある。ブッチャーは日本を引退の地に決めた理由について「来年2月にミスター馬場のメモリアルショーをやるから来日してほしいという要請を受け、ぜひ参加したいと返事をした。それと同時に、あと何度、自分が大好きな日本に行けるのかという事も考えてしまった」という。 「それは、長年アブドーラ・ザ・ブッチャーというレスラーをサポートしてくれた日本のファンに、感謝の言葉を直接伝える機会が何度このあとやってくるのか、ということだ。このビジネスを始めて57年。日本に初めて行ってから48年。そろそろコスチュームとフォークを置いて、リタイヤする時が今回のタイミングなのでは、と思ったのだ。来年2月、また日本に行けるのなら、アメリカでもカナダでも行っていない、アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーを行う機会を与えてほしいと、実行委員会、馬場ファミリーに伝え、了承してもらった」と経緯を明かしてくれた。「もう試合はできないし、ミスター馬場を追悼する大会だというのは、もちろん理解しているが、日本のファンに心を込めた感謝のメッセージを送りたいという気持ちも理解してもらいたい」と呼びかけている。 ブッチャーは過去の対戦も振り返った。「1970年の真夏に日本へ初めて行き、ミスター馬場と大きなスタジアムで初めてシングルマッチをやったことを、今でも昨日のことのように思い出すよ」とポツリ。 「ミスター馬場とはそれから20年以上にわたり、日本中どころか、シカゴやプエルトリコでも闘い、暴れすぎてミセス馬場には何度も怒られたな。ジャイアント馬場と一番血を流しあって闘ったのが俺なのは間違いない。それも500試合以上。詳しい数なんて覚えていない」という。 「だが、ミスター馬場は俺にとって最強の敵ジャイアント馬場であり、最高に信頼できるプロモーターであった。馬場夫妻にとっても、アブドーラ・ザ・ブッチャーという存在は、最高のドル箱レスラーだったはずだ。いつかあの世でミスター馬場と再会したら、2人で試合して、試合後は最高級キューバ産葉巻をくわえながら、昔話をしたいもんだ。でも俺はまだまだこっちの世界で人生をエンジョイするつもりなので、あの世でトレーニングを続け、待っていてくれと伝えたい」と馬場との思い出を振り返っている。 そんなブッチャーだが、全日本から新日本に電撃移籍をして、世間を騒がせたことがあった。しかし、新日本とは水が合わず、猪木とのシングルマッチも凡戦に終わったことから、全日本にUターン。タイガー・ジェット・シンとの最凶コンビで大暴れをして再び馬場さんの対角線に立った。新日本に移籍した選手は使わない方針の馬場さんがブッチャーと故ブルーザー・ブロディに関してはUターンを認めていたのである。 こんなブッチャーに対して、実行委員会に名を連ねている天龍源一郎は「馬場さんの没20年追善興行に、くしくもブッチャーが引退セレモニーをやりたいという気持ちが芽生えたというのも不思議な感じです」と語る。 「僕が全日本プロレスに来たときは馬場さんとブッチャーがメインを張っていたというのが感慨深い。たぶん、馬場さんの追善興行だということでブッチャーの中で『俺も踏ん切りをつけよう』と思ったのではないかと思います。それくらい、日本プロレス時代からの縁のようなものがあって、同じ日に引退セレモニーをやれるというのはブッチャーにとって最高のもの。日本のファンの前で最後に引退セレモニーがやれれば、僕もいいと思う。彼にも満足してリングを降りてほしいと思っています」と感慨深げにコメントしている。 主催者はブッチャー・シートの設置を企画した。このシートは最前列で大会当日、ブッチャー引退セレモニーで、リング上で本人に花束贈呈ができるという特典付きだ。価格はなんと20万円!昭和のプロレスファンなら奮発するかもしれない。 また1954年2月19日は日本プロレスの国際試合初興行として、力道山・木村政彦組対 シャープ兄弟の試合が蔵前国技館で行われたことから、2月19日を「プロレスの日」としている。実行委員会の緒方公俊氏は「この日を馬場さんの築いた“明るく楽しく激しい”プロレスをもとに1980年、90年代のプロレス熱を再燃させる日にしたい。またファンの方々にとっても、家族、仲間、仕事の同僚たちにとっても久々に再会して、大同窓会になればいいなと思っています」とファンが再び集う場にしたいと抱負を述べている。 当日はブッチャーとも因縁深い“不沈感”スタン・ハンセンも特別ゲストとして来日。他にもレジェンドの登場を予定しているという。全日本、新日本、大日本、ノア、W-1ら参加団体や選手には、現在進行形の試合をオールドファンに見せてもらいたい。逆に最近のファンには歴史を振り返るキッカケになる大会になればいいと思う。 きっと新日本プロレスの棚橋弘至が口にしている「プロレスは繋がっている」という言葉の意味がわかるはずだ。取材・文 / どら増田写真 / ©︎H.J.T.Production
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スポーツ 2018年10月24日 21時15分
平成最後のプロレスオールスター戦!来年2月にジャイアント馬場追善興行開催!
力道山の弟子としてアントニオ猪木とともにプロレスの発展に尽力した“世界の巨人”ジャイアント馬場さん(享年61)が亡くなってから20年が経つ。特別興行『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』が2019年2月19日、東京・両国国技館で開催されることが発表された。 実行委員会には、坂口征二(新日本プロレス相談役)、天龍源一郎(天龍プロジェクト)、秋山準(全日本プロレス代表)、H.J.T.Productionといった今は亡き馬場さん夫妻とゆかりのあるメンバーが名を連ねた。現在の運営会社は違うものの、馬場さんが設立し旗揚げをした全日本プロレスをはじめ、新日本プロレス、大日本プロレス、プロレスリング・ノア、WRESTLE-1からの参加が決定。参加団体やフリー選手は今後も増えることが予想される。来年は日本武道館で開催された『プロレス夢のオールスター戦』(1979年8月26日)から40年を迎えるが、平成最後のオールスター戦にふさわしい大会になりそうだ。 今年4月に馬場さんを公私にわたって支えてきた元子夫人(元全日本プロレス社長)が亡くなったが、元子さんは姪の緒方理咲子さんに「来年は馬場さんの没後20年よね。馬場さんの没後20年をきっかけに、またみなに馬場さんの存在を見ていただきたい。来年、どうしたらよいかなあ。馬場さんはどうしたら喜んでくれるかなあ。馬場さんにまつわる方々にたくさん来ていただいて何かできたらいいなあ」と亡くなる前日まで話していたという。今年7月に馬場夫妻ゆかりのキャピタル東京で行われた元子さんのお別れ会でその話が話題となり、今大会を開催する運びとなったという。 坂口氏は「51年前、25歳の時に柔道界からプロレスへ転向しまして、そのまま馬場さんと一緒にハワイに行き、プロレス修業をしました。その間、馬場さんには弟のように可愛がってもらいました。一時は袂を分かちましたが、その後も本当に可愛がってもらいました。今、私がノウノウと生きていられるのも馬場さんのおかげと感謝しております」と振り返る。 「先般、元子さんのお別れ会にOBがたくさん集まってくれて、緒方さんから『来年は没後20年だから、それにふさわしいイベントをやりたい』と、話が盛り上がりました。プロレスファンが喜んでもらえるような、そしてプロレスがますます隆盛になるイベントになってほしい」と坂口氏は力を込める。 さらに坂口氏は「プロレス界は山あり谷ありで、きつい時代も随分味わってきました。苦しい時代があって、またいい時代になるというのがプロレス界。そういう中で、このような明るい話題がありますと、プロレスが世間的にも認められ応援してくれる方も多いと思います。ぜひとも大会を成功させていきたいと思います」とコメントした。 坂口氏は新日本の社長就任直後の1990年2月、東京ドーム大会に出場予定だったリック・フレアーが団体の都合でドタキャンしたため、当時は鎖国を貫いていた全日本の社長だった馬場さんに選手の貸し出しを直訴。馬場さんは「お前の社長就任祝いだ」と主力選手を5人も新日本に派遣した。一時的ではあったがその後も新日本と全日本が外国人選手を行き来させるなどしていた。馬場さんが亡くなった際には新日本から坂口氏と藤波辰爾だけが弔問を許された。 馬場さんの弟子である天龍は「20年というのは実感として胸に迫る思いがあります。馬場さんの追善興行を両国国技館で、新日本をはじめ多くの他団体の方が協力してくれるというのもまた、僕たちにとってもプロレス界にとってもうれしい。僕が相撲からプロレスに転向した時、世の中のしきたりとか物事を教わったのも馬場さんであります。陰になっていつも馬場さんを支えておられた元子さん。微力ではありますが力添えできれば幸いと思っております」と改めて馬場夫妻に感謝した。 「今はプロレスがスポットライトを浴びている時。プロレスを継続する力を与えてくださったのが馬場さんだと思っています。若いファンの人、最近プロレスを見るようになった人にもジャイアント馬場という人がいて、今、これだけプロレスが隆盛になっているんだなと思ってもらえるためにも、この大会はいい機会だと思ってます」と天龍は強調。 最後に「馬場さんはアメリカンプロレスに日本のプロレスを織り交ぜた、最初のキッカケを作ってくれた人だと思っています。みなさんの中で回顧していただければ幸いだと思う」と呼びかけた。2015年に引退し、現在はタレントとして活躍している天龍は、1990年に全日本を電撃退団。馬場さんと袂を分かっているが、2000年に選手が大量離脱しピンチに陥った古巣に元子さんの依頼で復帰した過去がある。 また会見では『ジャイアント馬場20thメモリアルイベント〜ジャイアント馬場展』が12月29日から2019年1月7日まで、渋谷東急百貨店本店3階イベントサロンで開催されることも発表された。入場無料。展覧会では馬場さんの愛用品、直筆の油絵、チャンピオンベルトが飾られる。また馬場展開催記念として、スペシャルゲストのトークショーや、福袋、記念品グッズの販売も行われるとのこと。 来年は2月にかけて、平成最後のオールスター戦とともに、“明るく!激しく!楽しい!”プロレスを独占したジャイアント馬場というレスラーが再評価されることになるだろう。取材・文 / どら増田写真 / ©︎H.J.T.Production
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スポーツ 2018年10月22日 21時45分
来夏のファイナルマッチへ向けて…長州力の革命戦士最終章が12.28後楽園から始まる!
最近ではバラエティ番組への出演も増えているプロレスラー“革命戦士”長州力が、来夏に東京で“ファイナルマッチ”を行うことが明らかになった。今年12月に67歳を迎える長州は『POWER HALL 2018 イヤーエンドスペシャル』(12月28日、東京・後楽園ホール)を皮切りに、来年は長州とゆかりのある山口県、沖縄県の宮古島で2大会を行い、夏ごろに東京都内の会場で、リングシューズを脱ぐ意向だ。 長州は新日本プロレス時代、1998年1月4日に引退興行を行っている。このことから今回は『引退』という言葉を使わず、ファイナルマッチやラストマッチという表現にこだわっているという。いかにも長州らしいこだわりである。 長州は2000年7月30日に大仁田厚の熱意に押され、現役復帰。その後、新日本を退団し、新団体WJを旗揚げするなど、精力的に活動してきた。WJ崩壊後も新日本に現場監督として電撃復帰し、“生涯のライバル”藤波辰爾、初代タイガーマスクとトリオを結成。80年代の金曜8時のテレビ朝日を彩ったレジェンド・ザ・プロレスリングを立ち上げるなど、スポット的に試合出場を続け、昔から見続けているファンや、モノマネやバラエティ番組で知った若いファンを喜ばせている。 2015年に“盟友”の天龍源一郎が引退。藤波や藤原喜明といった同世代の選手は“生涯現役”を掲げてリングに上がり続けているが、長州は昨年7月の大会で「リングに上がるのが怖い。トレーニングするのがキツイ」とらしくない弱音を吐いて、残りのレスラー生活が短いことを示唆していた。98年の引退も「動けるうちに(引退したい)」という気持ちがあってのものだったが、長州は当時から首や足首などに古傷を抱えており、あれから20年経ってもリングでパワフルなリラリアットを見舞っている姿は奇跡と言ってもいい。 関係者に話を聞くと「12月の大会がファイナルロードの第1弾で、ファイナルマッチまで開催するのは残り4大会。残り短い期間になりますが、長州さんのファイナルロードを盛り上げたい」と思いを語ってくれた。妥協を許さない性格の長州は現在も古巣の新日本プロレスの道場で汗を流している。ファイナルロードでは長州の希望を取り入れてマッチメイクするようだ。 ちなみに12月28日はライバル藤波の65歳の誕生日である。この2人が最後に組み合うのはいつになるのだろうか?ファイナルロードに参戦する選手も含めて今後の発表が見逃せない。取材・文 / どら増田写真 / ©︎リデットエンターテインメント
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スポーツ 2018年10月22日 21時15分
「まだやりたい思い出の選手はいる」藤波辰爾と対戦のカネックが33年振りに握手!
ドラディション『THE REVENGE TOUR IN TOKYO』▽19日 東京・後楽園ホール 観衆 1,562人 WWE殿堂入りしているレジェンドレスラー“炎の飛龍”藤波辰爾のプロレス団体ドラディションが19日、東京・後楽園ホールで『THE REVENGE TOUR IN TOKYO』を開催した。 ドラディションは昨年4月の“皇帝戦士”ビッグバン・ベイダー(今年死去)を皮切りに、昨年10月に“仮面貴族”ミル・マスカラス、今年4月には“ニューヨークの帝王”ボブ・バックランドと、新日本プロレス時代の藤波と縁があった選手を次々と来日させオールドファンを喜ばせてきた。マスカラスは1979年に開催されたプロレス夢のオールスター戦で、全日本プロレスの故ジャンボ鶴田とともに夢のトリオを結成している。今回はかつてのライバル“仮面の魔豹”エル・カネック(メキシコではカネック)が来日。日本とメキシコで抗争を繰り広げてきた2人が約30年ぶりに試合を行った。 カネックはかつてメキシコの人気団体だったUWAの世界ヘビー級王者に長らく君臨。“帝王”として当時UWAと提携していた新日本の選手をはじめ、WWF(現WWE)からメキシコにやってくる選手を相手にしてきた。ルード(ヒール)であったにもかかわらず、愛国心が強いメキシコ国民の声援を受けて、“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント、“超人”ハルク・ホーガンとのシングル戦でも負けることはなかった。“アンドレをボディスラムで投げたレスラー”という素晴らしい記録も残されている。 今回の来日に際して、藤波とのWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級選手権試合を、当日になってドタキャンした敵前逃亡事件(1978年)ばかりがクローズアップされたのはとても残念だった。ドタキャンの理由は諸説あるが、カネック本人は「覚えていない」という。しかし当時は「敵前逃亡」と発表されていた。当時は、今話題となっているジュリー(沢田研二)レベルの事件に発展。大プロレスブームだったこともあって、当時はかなりの話題となっていた。 しかし、前述のようにカネックはその後、メキシコで輝かしい実績を残した。再来日を果たすと初代タイガーマスクとのシングルも両者リングアウトに持ち込むなど新日本マットでも実力を見せつけるように。藤波のヘビー級転向とともに、カネックは日本でもヘビー級の選手として頻繁に来日。第1回IWGP決勝リーグ戦にはメキシコでの予選を勝ち抜いて、エンリケ・ベラとともにメキシコ代表として出場を果たすなど、事件で出た悪評をかなり前に払拭している。むしろその後の藤波との激しい抗争をクローズアップするべきだろう。 現在66歳となったカネックだが、まだ引退はしていない。レジェンドの域に達すると「衰えた肉体を見せたくないから」と、Tシャツを着て試合をするレスラーも多い。しかし、カネックはあの当時と変わらぬ肉体を披露して見せた。これには藤波伽織夫人も「彼のプライドなんでしょうね。あの体をキープするには練習しないとできない。しっかりと仕上げて来たのはすごい」と感心していた。来日は約7年ぶりだそうだが、永遠のライバルである藤波との再会はカネックに刺激を与えたようだ。 試合は6人タッグマッチ(藤波&越中詩郎&丸藤正道対カネック&藤原喜明&KAZMA SAKAMOTO)ということもあり、お互いに先発を買って出てロックアップからの攻防を繰り広げた。ただ、藤波の攻撃をカネックがカットする場面など、2人が対峙する場面は数えるほどだった。しかし、丸藤をジャベ(メキシコの関節技)で苦しめるなど、動きのキレはイマイチではあったがテクニシャンぶりを発揮。これに発奮したのか丸藤と藤原の間に因縁も勃発した。試合は越中のヒップアタックから藤波がドラゴンスリーパーを決める“ドラゴンボンバーズ”の連携がKAZMAにさく裂し、藤波組の勝利。試合後、今年亡くなられたマサ斎藤さん、ビックバン・ベイダーさんを追悼する10カウントゴングが鳴らされ大会は幕を閉じた。 笑顔でインタビューブースに現れた藤波は「やっぱり組み合うと蘇りますよ。お互いに飛び技が出せずじまいでしたけど、隙あらば飛んでやろうという考えがよぎるんだよね。まだまだやりたい思い出の選手はたくさんいますから、呼んでいきたいですね」と話していると、カネックが現れガッチリ握手を交わした。「こうして握手するのも何年ぶりだろう?昔は考えられなかったからね」と話す藤波に私が、「藤波さんが(アントニオ)猪木さんからフォールを取って優勝した第1回IWGPタッグリーグ戦の閉会式以来です」と言うと「あっそうなんだ」とポツリ。33年ぶりの握手に感慨深げな様子だった。 カネックは「われわれは日本でもメキシコでも40年以上戦いを続ける“生ける伝説”だ。ルチャドールとして、プロレスラーとして一番大切なことは何かと言えば、技ではなく経験だ。われわれにはそれが40年もあるのだから、いつ闘っても満足する試合ができる。藤波さんは本当に素晴らしいレスラーで、日本では特別なアイドルだった。ここで再会できたことは本当にうれしい。きょうはまだ来日したばかりで、50%から60%。次はもっと激しくやりたい」と試合を振り返り、自身と藤波のキャリアについて熱弁した。今度はIWGPタッグリーグ戦に出場したときのパートナーだった“飛鳥仮面”ドスカラスとのタッグも見たくなった。 藤波が次に招聘する“かつてのライバル”は誰だろうか?ある意味“時間との勝負”にもなってくるだけに、人選も年々絞られてくるのが寂しいところだが、まだまだ昭和のプロレスファンが喜べるような大会を期待したい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年10月19日 21時15分
棚橋弘至が描く美意識の高いプロレスとは?1.4ドーム観客動員4万人突破へGO ACE!
棚橋弘至の“謎かけ”が止まらない。棚橋は新日本プロレスが来年1月4日に開催する東京ドーム大会のメインイベントで、ケニー・オメガのIWGPヘビー級王座に挑戦することが決定している。 16日に開幕した新シリーズ『Road to POWER STRUGGLE 〜SUPER Jr. TAG LEAGUE 2018〜』にケニーは最終戦の11.3エディオンアリーナ大阪大会まで参戦しない。連日にわたり、ケニーのパートナーである飯伏幸太や、バレットクラブELITEの高橋裕二郎&チェーズ・オーエンズとのタッグマッチや6人タッグマッチがラインナップされている。 「もう来年の1月4日東京ドームが決まったんだから、この権利証はなくてもいいでしょ?けど、あえて持ち歩いてアピールする。なんでか分かりますか?分かりやすいから!俺が持ってた方が『あれ、何?』ってなるでしょ?」 16日に行われた開幕戦の後、棚橋は挑戦権利証のケースを入退場時に持ち歩いている理由を説明した。棚橋のSNSを見れば分かるが、撮影などが行われた際には、その後ケースを持ちながら街を移動することもある。これには「王者が不在の中でも1.4ドーム大会のPRになれば」という気持ちが含まれているのは明白だ。実際、権利証を獲得した当初に棚橋は「これ(挑戦権利証のケース)の露出を高めていく」とも話しており、これを1.4ドーム大会当日まで継続するようだ。 「いろいろ言いたいことはあるよ。一番言いたいことを言っとこうかな。俺は、プロレスラーである限り、この業界に友だちはいらないと思ってる。仲間はいっぱいいる。同じ志を持つ仲間はいっぱいいる。けど、友達?俺が知ってるプロレスラーは、みんな一番になりたい奴の集まりだから!」 さらに16日には「一番言いたいこと」として、レスラー間の“トモダチ関係”を真っ向から否定。明言していないが、これがケニーと飯伏を指しているのは明らか。この発言にはファンからの反響も多く、賛否両論を呼んでいる。 「答えのない答えを探してる。毎日が禅問答だね。答えはないと言ったけど、俺の中には答えがある。いかにその答えにたどり着くかを今、毎日考えてる。きのうは一番言いたかった『同じ業界に友だちはいらない』ということを言ったから、次は二番目に言いたいことを言おう。品があるか、品がないか。品があるのか、品がないのか。これは国とか年齢とかじゃなくてね。何だと思う?プロレスに品というものが存在するならば、それはプロレスの試合に対してどういう絵を描きたいかという…美意識!」 17日の試合後のコメントは、棚橋らしい“謎かけ”。棚橋がニヤリと笑みを浮かべながら控室に入っていく中、われわれ報道陣は「?」状態だった。しかしその直後、ひとつヒントになるような事件が起こる。次の試合に出場したオカダ・カズチカに試合後、バレットクラブが攻撃を加えていた。ここでなんと棚橋が控室からダッシュでリングに駆け込みオカダを救出したのだ。 10.8両国国技館大会ではオカダが棚橋を救出しており、今後の2人の関係性も注目されるところだが、棚橋は「何だろうね…借りは残したくないから」とコメント。棚橋からすれば凶器の使用やセコンドの介入、試合後の暴行も辞さないバレットクラブのプロレスも“美意識”に反するはず。そう考えるとオカダを救出したのは自然な流れだったのかもしれない。 挑戦権利証が入ったケースを持ちながら、時には“謎かけ”を投げかけつつ、今シリーズを走り続けるエースがチャンピオンと交わるのは11.3大阪大会でのタッグマッチ。ケニーのパートナーは“トモダチ”の飯伏。ここまではエースが思い描いた展開となっている。 そんな棚橋の一連のコメントや活動を見ていると、棚橋にとって一番の“美意識”高めのプロレスとは、試合に限ったことではないことに気付く。棚橋はケニーに対して「“Why?”が多い」と言いつつ、棚橋もいくつもの“謎かけ”、つまり、“Why?”を投げかけている。 棚橋の“Why?”の終着点は、最近のファンが目にしたことがない外野席までギッシリ埋まった東京ドームの光景なのではないだろうか。ドーム当日に「“何”これ?こんなに入ってる東京ドーム見たことない」「“何”だスゲェな。こんなに入った東京ドーム見るの久々だよ」…。ファンにそういう思いをさせたい気持ちは、棚橋がどの選手よりも強い。 棚橋が初めてIWGPヘビー級王者になった直後の後楽園ホールは、今では考えられないほどの不入りだった。そのとき棚橋が「絶対にまた後楽園を埋めて見せるから」と言って、ファンにベルトを触らせたのは今や伝説の話。その後、棚橋の全力プロモーションなどがキッカケになり、後楽園はもちろん、両国国技館や日本武道館、大阪城ホールといったアリーナクラスの会場もチケットが完売する時代が戻ってきた。そんな中、今の棚橋は東京ドームのスタンドにも“美意識”を求めている。 「クソー!俺の力で4万人入れたかった!」 これは今年の1.4ドーム大会の会見終了後に思わず棚橋が吐いた言葉。木谷高明オーナーによると、新日本プロレスは現在動員数を実数で発表しているが、東京ドームが札止めになった場合「観衆は4万5000人前後になると思う」という。来年は金曜開催。7日が仕事始めという会社も多いことが予想され、4日が仕事始めであっても午前中までという会社がほとんどだろう。 今年は34,995人を動員した。木谷オーナーは「来年は4万人は超えると思います」と話していた。棚橋が東京ドーム大会に求める“美意識”はもっと高いはずだが、実数4万人突破というのは、新日本のスタッフや関係者にとって、長年思い続けて来た悲願で、大きな目標。それを叶えるのはエースである棚橋の使命だ。このチャンスを生かしたとき、エースも新日本プロレスも“完全復活”と胸を張れるときがやってくるのだ。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.28】
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