新日本
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スポーツ 2018年09月12日 17時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「長州力」生の感情を爆発させて飛躍した“革命戦士”
先頃、来年中の引退を宣言した長州力は「リングに上がるのが怖い、トレーニングがつらい」と、その理由を語った。“革命戦士”として一世を風靡。日本プロレス界の中心に立ち、さまざまなストーリーの主役を担ってきた昭和のビッグスターが、また1人リングを去ることになる。 ※ ※ ※ 高校時代の数々の実績から、長州力(本名・吉田光雄)はレスリングの名門・専修大学に特待生として入学した。 大学3年生でミュンヘン五輪に出場。4年になるとキャプテンを務めて、全日本選手権(1973年)のフリースタイルとグレコローマン100㎏級を同時に制覇している。 まさにアマレス界のスーパーエリートであり、大学を卒業すると鳴り物入りで新日本プロレスに入門する。 やはりミュンヘン五輪に出場し、先にプロレス界へ入ったジャンボ鶴田が全日本プロレスの次期エースと目されたように、長州もまた入団時から将来を嘱望されていた。 デビューから5年ほどで、当時、アントニオ猪木、坂口征二に次ぐ3番手という評価だったストロング小林から、シングル戦で勝利を収め、さらには坂口のパートナーとして北米タッグ王座を獲得するなど、着実に格上げしていった。 だが、この頃の新日では猪木の人気が飛び抜けており、2番手格の坂口ですら活躍の場は少なく、その次位とあってはさらに注目度は低い。 デビュー時からサソリ固めというオリジナルホールドはあったものの、無骨なルックスと時代錯誤のパンチパーマゆえか、30歳手前にして早くもファンからは“地味な中堅どころ”と見なされていた。 その一方でグングン人気を高めていたのが藤波辰巳(現・辰爾)だった。猪木とは異なるジュニアヘビー級というジャンルの先頭に立ち、スピーディーで華やかな闘い模様は多くのファンを魅了することになる。 この時期の長州は、猪木と藤波の影で完全に埋もれていた。'82年のメキシコ遠征においても、団体としては再浮上のきっかけづくりの思いもあったろうが、長州本人にはまったくその気がなく、メキシコでの最大の目的は“国際運転免許の取得”であったという。 同じ五輪代表の鶴田は、この時期にはすでにUNヘビー級王座を獲得しており、NWAやAWA王座にも挑戦するなど完全にメインイベンター格となっていた。また、新日の内部でも藤波がヘビー級への転向を宣言。WWFインターナショナルヘビー級王座を獲得するなど、着々と次期エースの座に近づいていた。 「2人に比べてくすぶっている自分に嫌気が差した長州は、この頃、本気で引退まで考えたそうです」(プロレス記者) 転機となったのはメキシコから帰国直後、タッグを組んだ藤波に対抗心をあらわにした、いわゆる“噛ませ犬事件”である。 「俺はおまえの噛ませ犬じゃない」というのは、長州の雑誌インタビューでの発言を拾った実況・古舘伊知郎によるいわば造語であったが、それが本音であったことには違いない。 「猪木が『辞める前に一度、自分の思うがままにやってみろ』と焚きつけたとも言われるこの一件。長州にしてみれば常々“アマレスエリートの俺が、練習生上がりの下でなんてなれるか”という意識を強く抱いていたのでしょう」(同)★名勝負か凡戦か己の気持ち次第 受け取りようによってはマンガやドラマの敵役のような高慢さにも映るが、これを境に長州人気は爆発することになる。「実況で“下剋上”と称されたことで、長州への判官びいきが生じた部分もありますが、それ以上に生の感情を爆発させたことがファンの心に響いたのではないでしょうか」(同) この“生の感情”というのが、実のところ長州最大の特徴であった。同じく感情をさらけ出すタイプの猪木や天龍源一郎は、それでもファンの目線を意識しているが、長州の場合はあくまでも自分の気の向くままに、己のスタイルを貫き通す。 前向きに挑んだときには、藤波との“名勝負数え唄”や一連の猪木に挑んだ闘い、UWFインターナショナルとの対抗戦のような名勝負を生み出すが、その一方で、トム・マギーとの異種格闘技戦やW−1での佐々木健介戦など、気の乗らない試合では思わぬ凡戦となったりもする。 そもそも長州は、プロレスならではの演出自体に興味がないとの評もある。「新日を退団してWJを旗揚げした際、フロント側は健介との師弟対決アングルを組もうとしたが、長州は『そんな必要ない』と一蹴しています。長州なりのプロレスを見せればファンは満足するという考えが、根本にあるんですね」(スポーツ紙記者) ハッスル出場時には、長州に“ハッスルポーズ”をさせることをアングルにしようとしたものの、東京スポーツ紙上で「そんなもんいつでもやりますよ」と、あっさり披露して関係者を激怒させたこともあった。 素のままの感情で素のままの試合をする。それでスター選手となったのは長州の才能ゆえなのか、それとも時代や周囲に恵まれた結果なのか…。判断の分かれるところであろう。長州力***************************************PROFILE●1951年12月3日、山口県出身。身長184㎝、体重120㎏。得意技/サソリ固め、リキラリアット、バックドロップ。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2018年09月11日 21時15分
新日本ケニー・オメガと石井智宏、5度目の対決はIWGP戦!オスプレイの動向も注目!
新日本プロレス『Road to DESTRUCTION』▽7、8日 東京・後楽園ホール 観衆 1,712人(7日)、1,715人(8日) ※両日ともに札止め 新日本プロレス9.15『DESTRUCTION in HIROSHIMA』広島サンプラザホール大会で行われるIWGPヘビー級選手権試合、ケニー・オメガ対石井智宏を前に今シリーズでは連日、前哨戦が繰り広げられている。 ケニーと石井はこれまで4度シングルで対戦しており、対戦成績は2勝2敗のイーブン。9.15ではIWGPヘビー級王座という最高峰のベルトを懸ける。今回、石井がタイトルに挑戦することになったのは、石井が『G1クライマックス28』で、全勝中だったケニーを大会ベストバウト級の試合で破ったことがきっかけだった。8.12日本武道館大会で6人タッグマッチで再び激突した際、石井はケニーに挑戦表明。ケニーは「G1で俺に一番ダメージを負わせたのはイシイ」と受諾したのだ。さらに「今度勝ったほうが地球上で一番強い男になる」とまで言い放った。両者の対戦は毎回“超”がつく激戦になっているが、今回もかなり期待できそうだ。 前哨戦でも連日激しい絡みを見せている2人だが、その中で光を浴びている男がいる。前哨戦で石井のパートナーを務めるウィル・オスプレイだ。ジュニアヘビー級のオスプレイだが、7日の後楽園大会では石井と組み、ヘビー級のケニー&飯伏幸太のゴールデン☆ラヴァーズを相手に大奮闘した。最後は憧れの存在でもある飯伏にフォールを許したが、インタビューブースでは「次はお前を捕まえてやる」と目を光らせた。 翌8日の後楽園大会でもゴールデン☆ラヴァーズ&高橋裕二郎と6人タッグで対戦。チームの勝利に貢献し、試合後には素直に飯伏への熱い思いをコメントしている。オスプレイに対してケニーは「まだ早いが、今シリーズ何度でもトライすればいい」と言うと、飯伏も「オスプレイとやってみたい」と前向きな発言をした。 今シリーズ、ゴールデン☆ラヴァーズの2人が参戦するのは15日の広島大会まで。しかし広島大会でもオスプレイは飯伏と6人タッグで相まみえる。メインのIWGPヘビー級選手権とともに注目の一戦だろう。もちろん今のオスプレイの目標は、9.30ロサンゼルス大会からスタートするIWGPジュニアヘビー級王座決定トーナメントを制し、再びジュニアのベルトを巻くこと。これはジュニアから新日本に参戦したケニーも、飯伏も通った道だ。今後のオスプレイの動きには注目していきたい。取材・文・写真 / どら増田、萩原孝弘
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スポーツ 2018年09月10日 21時15分
「権利証の露出を増やす」新日本 棚橋弘至、精神的な余裕をG1後初シリーズで示す!
新日本プロレス『Road to DESTRUCTION』▽7日、8日 東京・後楽園ホール 観衆 1,712人(7日)、1,715人(8日) ※両日ともに札止め 新日本プロレスは5日、名古屋国際会議場・イベントホール大会で新シリーズ『Road to DESTRUCTION』をスタートさせた。今シリーズは史上最多の観客動員に成功した『G1クライマックス28』後、初のシリーズ。新日本ではこのシリーズから来年の1.4東京ドーム大会に向けた闘いが一気に進んでいく。 その中心人物はもちろん、G1優勝者の棚橋弘至である。 棚橋は9月23日の『DESTRUCTION in KOBE』神戸ワールド記念ホール大会で、G1では30分時間切れ引き分けとなったオカダ・カズチカと対戦する。この試合は1.4ドーム大会のメインイベントでケニー・オメガのIWGPヘビー級王座に挑戦できる「挑戦権利証」の防衛戦だ。『Road to DESTRUCTION』では連日、オカダとの前哨戦が組まれた。 G1から「笑顔」をテーマに掲げイメージチェンジしたオカダは、今シリーズも引き続き、タンクトップ姿で風船を配りながら入場する新スタイルを継続。G1優勝を逃し、元のレインメーカースタイルに戻すのか注目されていたが、どうやら今後もこのスタイルを貫くようだ。 後楽園2連戦で行われた前哨戦は1勝1敗に終わったが、棚橋のコンディションはG1が終わっても良いようだ。今後、オカダのあか抜けたスタイルがどのような形で変化するのかは分からないが、現時点では棚橋が精神的にも優勢に立っていると言えるだろう。 「守ることが大前提だけど、この権利証の注目度を上げたいじゃん。これから権利証の露出を上げていくから」 棚橋は権利証を手に入れたときから、過去に権利証が1.4ドーム大会まで一度も移動していないことに触れていた。最初の防衛戦の相手にオカダを選んだ理由のひとつに「注目度を上げたい」ことがあるのは、棚橋の発言から考えても明らかだ。21日には主演映画『パパはわるものチャンピオン』の上映も控えており、棚橋自身のメディア露出も増えることだろう。 1.4ドーム大会が「最後」ではなく「始まり」であることを証明する意味でも、権利証の防衛ロードに注目していきたい。取材・文・写真 / どら増田、舩橋諄
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スポーツ 2018年09月09日 21時15分
Codyがヤングバックスとの自主興行で、あのNWA世界ヘビー級王座を奪取!
日本時間9月2日にシカゴ・シアーズセンターアリーナにて開催された、Codyとヤングバックスによる自主興行『ALL IN』。同大会には新日本プロレスからもIWGPヘビー級王者のケニー・オメガらバレットクラブELITEのメンバーをはじめ、オカダ・カズチカ、飯伏幸太、そしてレイ・ミステリオ・Jr.らが参戦。1万枚のチケットが早々にソールドアウトになるなど、話題になっていた。 CodyはNWA世界ヘビー級王者のニック・アルディスに挑戦。流血してピンチに陥ったが、最後はうまく丸め込み第131代王者に輝いた。現在のNWA世界ヘビー級王座は、世界最高峰と呼ばれていた頃とは違いローカルタイトルレベルの別モノになってしまったが、歴史は継承されている。Codyの実父であるダスティ・ローデスは同王座が世界最高峰と言われていた時代に2度王者に就き(第61代、第69代)、今回Codyが戴冠したことで、親子での戴冠となった。現在のベルトは、デザインもダスティが巻いていた頃と同じもの(レイスベルト)になっているので、32年ぶりにローデス家にベルトが戻ってきたということになる。 数年前までは日本でも天山広吉、小島聡ら第3世代が挑戦し、ベルト奪取に成功していたNWA世界ヘビー級王座だが、再び日本で防衛戦が行われることはあるのだろうか?新日本プロレスは日本時間の10月1日に、ロサンゼルスのロングビーチ、WALTER PYRAMIDで『FIGHTING SPIRIT UNLEASHED』を開催する予定。ここでCodyはジュース・ロビンソンのIWGP USヘビー級王座に、NWA世界ヘビー級王者として挑戦する。 ベルトの乱立は好ましいことではないが、レスラーとしてのステータスが高いCodyが王座を奪還したことは良いことだ。NWA世界ヘビー級王座が再び輝きを取り戻すのならいいだろう。棚橋弘至の「プロレスはつながってますからね」という言葉通り、また面白い新たな展開が見られるかもしれない。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.22】
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スポーツ 2018年09月07日 21時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「T・ジェット・シン」常識が通用しない“インドの狂虎”
放埓な悪役ファイトで長きにわたり日本マット界を震撼させてきたタイガー・ジェット・シン。 観客席にまでなだれ込みサーベルを振り回す、その型にはまらない試合ぶりは、ライバルのアントニオ猪木にも多大な影響を与えることになった。 ※ ※ ※ 日本マット界における歴代“最凶”外国人といえば、アブドーラ・ザ・ブッチャーかタイガー・ジェット・シンのいずれかということになるだろう。 機械的に反則を繰り返すブッチャーと予測不能のシン。前者が静なら後者は動。凶悪という点では一致しながらも、その個性は両極でいずれも甲乙付け難い。 「一般的には“観客から人気のあったブッチャーと観客に怖がられたシン”という評価もありますが、ブッチャーの人気が高まったのは、モデルになったマンガ『愛しのボッチャー』の連載が少年マガジンで始まって以降のこと。ファンクスとの抗争の頃は完全なる嫌われ者でしたから、一概に“人気者”とするのは正確ではない。それよりも両者の大きな違いとしては、アメリカ仕込みか否かという点が大きいのではないか」(プロレスライター) シンが初来日に臨んでヒールに転向したというのはよく知られたところで、それ以前はカナダのトロント地区でベビーフェイスとして活躍していた。 「デビュー直後はヒールでしたが、トロントにはインド系移民が多かったため、ヒールらしからぬ人気があったようで、程なくベビーターンしています」(同) しかし、人気といってもあくまでも地元限定で、日本ではまったく無名の存在だった。そこで新日本プロレスへの参戦時に、心機一転ヒールを志したのだ。そして、ヒール体験が希薄だったことは、自由な発想による新たなヒール像を創出することにつながった。 「新日に送られた最初のプロフィル写真がナイフをくわえたもので、それを見た猪木がナイフをサーベルに変更させたという有名なエピソードがありますが、そもそもナイフをくわえるという発想が異端そのもの。実際の試合でナイフを凶器に使えば、生き死にの問題となり明らかに既存のプロレスの範ちゅうを越える。それをアピールするのは、本職のヒールにはない感覚でしょう」(同) 本来は武器であるはずのサーベル(正確にはフェンシング・サーベル)を振り回すというのも、いかにも日本式のヒール像。のちにシンは、ナイフも実際の試合で使用している。 「70年代のアメリカでそれをやったら観客がヒートアップしすぎて、やったレスラーの身に危害が及びかねない。しかも、シンのように観客席で暴れること自体が危険な行為であり、最悪の場合、観客から刺されたり、撃たれたりということもあり得たでしょう」(同) 1973年の新宿・伊勢丹前での猪木襲撃事件は、今では新日サイドの仕組んだアングルというのが定説とされているが、このときシンに同行した他の2人の外国人選手は、「プロレス的な乱闘のつもりで行ったのに、シンだけが本気になった」と述懐している。 街中で流血乱闘を繰り広げることが、プロレスラーとしての仕事ではないという“常識”は、シンには通用しなかったというわけだ。 ちなみに、この件を報じた東京スポーツ紙上で、全日本プロレスのジャイアント馬場社長や国際プロレスの吉原功社長は、「これで次の猪木vsシンは満員になる」と脱帽のコメントを寄せている。★シンに触発され猪木も変わった また、そんなシンの姿勢に触発されて、猪木の方も変わっていったことは見逃せないポイントだ。 それまでの猪木といえば、売り文句は“神様カール・ゴッチの弟子”であり、ドリー・ファンク・ジュニアとのNWA世界王座戦に代表されるようなテクニシャンとしての面が色濃かったが、シンとの流血抗争により、いわゆる“過激なプロレス”に目覚めることになった。 路上襲撃にとどまらず、リング上でも火炎攻撃やサーベルでのめった打ちなど、シンのルール度外視の暴走があったからこそ、猪木の過剰な“腕折り制裁”が生まれ、これが以後のスタイルのベースとなった。 そのあたりの自覚は、猪木にもあるのだろう。引退後のテレビ番組で自身のベストバウトを問われた際に、番組側の用意した候補として先のドリー戦やビル・ロビンソン戦が挙がるのを見て、「こういうときに、なぜかシン戦というのは出てこない」と軽くボヤいたものだった。 型破りなヒールのシンとの闘いの中で、型破りなプロレスをつくり上げた猪木。だからこそ、定型ヒールのブッチャーといまひとつ手が合わなかったのも、当然のことと言えるだろう。 地元カナダでのビジネスの成功をもって、「実は常識人」とシンを評する声がある。しかし一方で、いったんリングに上がったときのシンが、まったくの常識外れであったことに異論はあるまい。 「世の中には二通りの人間しかいない。殴る人間と殴られる人間だ。だから俺はプロレスを選び、殴る人間になった」というシンの言葉は、ヒールとしてのポーズだけではなく、きっと多分に本音も含まれていたに違いない。T・ジェット・シン***************************************PROFILE●1944年4月3日、インド出身。身長190㎝、体重120㎏。得意技/凶器攻撃、コブラクロー、ブレーンバスター。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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その他 2018年09月05日 13時00分
本好きリビドー(218)
◎快楽の1冊『長州力 最後の告白』 長州力、聞き手・水道橋博士 宝島社 1500円(本体価格)★沈黙の“革命戦士”がすべてを語る 本書はまず編集のセンスが光る。「聞き手・水道橋博士」とはあるが、格闘技愛あふれる博士のプロレス史と自分史とを重ね合わせた解説的地語りと、長州のコメントを交互にした構成がまるで活字で読むドキュメント番組のような雰囲気を醸し出しお見事。 長州小力のネタの影響で「キレてないですよ」(正しくは「キレちゃいないよ」)ばかりがクローズアップされがちだが、筆者など世代的に長州語録といえば反射的に「俺はお前の噛ませ犬じゃない」「あのヤローがくたばって墓建ったら、俺はクソぶっかけてやる」、そしてやはり「俺の一生にも、一度くらい幸せな日があってもいいだろう」。数々の名言が耳に刻み込まれたクチだが、もちろん本書中の随所でも、その独特のフレーズはラリアット同様の切れ味を炸裂させて(「インパクトの粉」など、昔より風味を増した印象)まこと興が尽きない。 かつてジャンボ鶴田が全日本プロレスへの入団を“就職”と表現したのと同様に、憧れて入ったのではなく、あくまで「メシを食うために」新日本へ、とサラリと語る姿にむしろ限りなく「プロ」を感じてしまう。下積み時代に本気でやったら自分の方が強いのに、と歯がゆい思いでリングを見上げていた時、アントニオ猪木の試合ぶりを見て「強さを出す相手は(対戦相手のレスラーでなく)観客だ」と気付くあたり、名優の芸談を聴くようだ。 テレビ好きのお笑いファンを自認し敬意を持って芸人を論じる長州と、プロレスへの絶大なリスペクトでそれに応える博士の応酬がすばらしい。馬場・猪木がビッグ3(たけし・タモリ・さんま)なら早逝した橋本真也はダウンタウンと例える長州。では、自身を誰になぞらえるのか、無いものねだりでも尋ねたい。(敬称略)_(居島一平/芸人)【昇天の1冊】 東京の源となった「江戸」は100万人が住んでいた都市だったといわれる。実際に定住していた大衆は50万人半ば(1853年頃)だったらしいが、その他にも参勤交代などで絶えず武士が出入りしていたため、実数は確定できていない。 いずれにせよ、徳川幕府初代将軍の家康が江戸城に入城した頃は関東の辺境にすぎず、人口も徳川家臣団を中心の約5万人だった。それが約250年の間に飛躍的に増えたのだから、治安・衣食住環境・政治機能に至るまで整備された、世界でも類を見ない巨大都市だった。 そんな大都市で暮らす庶民の生活にスポットを当てたのが『サライの江戸 CGで甦る江戸庶民の暮らし』(小学館/1700円+税)。長屋の構造とそこに住む人々や、湯屋(銭湯、なんと混浴だった!)の内部をCGで再現したり、庶民が従事していた「棒手振り(魚や野菜などの商品を天秤棒にぶら下げて売り歩く商人)」の稼ぎ、寿司・うなぎ・蕎麦・天ぷらの“江戸四大食”の歴史と特徴など、当時の暮らしが生き生きと甦る。 また、両国橋の花火大会、江戸歌舞伎や相撲、落語の隆盛など、現代の東京に連綿と受け継がれた娯楽の紹介も充実している。 「江戸っ子は宵越しの銭はもたない」などという。それだけ貧しかったワケだが、毎日の暮らしは充実していたことがうかがわれ、もしかしたら現代人より心豊かだったかもしれない…そんなことまで想像させる1冊だ。(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)
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スポーツ 2018年09月04日 21時15分
「もし悩んでる人がいるなら...」プロレスラー・小島聡が子供の「夏休み明け自殺」を憂う
「いっちゃうぞ、バカヤローッッ!!!」のフレーズで知られる、プロレスラーの小島聡。現在主戦場とする新日本プロレスでは、鍛え上げられた肉体から繰り出す「剛腕ラリアット」などの技でファンを沸かせているが、そんな彼が憂いを感じていることがあるようだ。3日に更新された小島のツイッター。そこには「こないだニュースで、夏休み後の学生の自殺が一番多いと言ってました。もし悩んでる人がいるなら、思い留まってほしい。学校なんて長い人生の、ほんの僅かな時間でしかないし、無理やり行く必要もない」という、小島の心境がつづられていた。 近年、深刻な社会問題となっている子供の「夏休み明け自殺」。人間関係、学業、家庭に問題を抱える子供が、休み明け前後のストレスを理由に自ら命を絶ってしまうこの問題は、テレビ・ネットを問わず数多くのメディアによって取り上げられている。おそらく、今回小島が目にしたのも、その中のひとつであったのだろう。 小島はこの問題を憂うとともに「私にできる事は…プロレスを通じて、学校以外の世界も楽しいということを伝えたいです」と自分なりの対応策を表明している。今回のツイートに対し、コメント欄には「私も、学校が全てではないと思っています」、「社会人みたいに、ある意味逃げ道を用意してあげたいものですね」、「プロレスを見て、そう言うストレスを吹っ飛ばせる人が増えるといいですね」といったコメントが寄せられている。 こうした声を受け、小島はその後「学校についての貴重なご意見、ありがとうございます。私の学生時代は、『とにかく行け』とか『嫌な奴がいるならブン殴れ』とかいう世界だったけど、今は色んな選択肢もあるから…とはいっても簡単ではないし、その辺を大人がサポートしてあげられるような感じになれば…とは思います」と改めて自身の考えを表明している。問題の解決に向け、それぞれのやり方で子供たちを守っていくことが、大人たちには強く求められていると言えるだろう。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年09月03日 17時30分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「大仁田厚」毀誉褒貶を顧みない“邪道”のプロレス哲学
昨年10月31日、正式に引退(7年ぶり通算7度目)しながらも、いまだ復帰を取り沙汰される大仁田厚。毀誉褒貶が激しいそのプロレス人生は、ファンの間でも評価の分かれるところであろう。 大仁田に対する評価は、人それぞれにより大きく分かれる。一挙手一投足に心酔する“大仁田信者”がいる一方、蛇蝎のごとく忌み嫌う者も少なくない。 ファンのみならずメディアなどの関係者の間でも、これは同様だ。「現場の記者からすると実にありがたい存在で、批判的な記事にもまず怒ることはないし、逆にこういうふうにしたら面白いんじゃないかと、提案までしてくれる。親分肌でいながら変に威張ることもなく、時にこちらを頼って甘えるようなかわいらしいところもあって、心情的に大仁田シンパの記者は多いですよ」(スポーツ紙記者) しかし、一方でキャップやデスクになると、スポーツ性に乏しい大仁田の記事は「紙面が汚れる」とこれを嫌がることになり、各所で「日本のプロレス界を衰退させた元凶」との声も聞かれる。 大仁田が旗揚げしたFMWの成功により、インディー市場が開かれたことで、現在、日本には100を超えるプロレス団体が存在するともいわれる。だが、そうなると当然、業界全体におけるレベルの低下は避けられない。 「大仁田にできるなら俺だって」と独立する選手が増えたことは、メジャー団体の力を削ぐことになった。 しかし、その反面でプロレスの裾野を広げたとの評価もある。電流爆破など過去に例を見ない新奇なデスマッチ形式を生み出したことで、新たなファン層をつかみ、ハードコア・スタイルとしてアメリカマット界にまで影響を与えることになった。 闘龍門出身のオカダ・カズチカやDDT出身の飯伏幸太ら、今をときめくトップスターも、大仁田以後のインディー団体が活況を呈していなければ、現在のように日の目を見ていたかどうかは分からない。 さらに、レスラー間における大仁田の評価となると、単に好き嫌いにとどまらず、互いのプロレス哲学までもが絡んだ話になってくる。“プロレス=八百長”という世間の目に反発してきたUWF勢にとって、闘いよりも刺激や話題性を優先する大仁田のスタイルは目に余るものがあった。 高田延彦などは「大仁田なんて同業者とは思っていない」「ああいうのがいるから一生懸命やってる人たちがプライドを持てなくなる」と、かつて雑誌のインタビューで罵倒している。 FMWの旗揚げ当初、先に成功していたUWFを意識して格闘技路線を掲げたことも、嫌悪の理由であろう(FMWの「M」はマーシャルアーツ=格闘技の意味)。 しかし、同じUWF系でも船木誠勝などは大仁田を受け入れ、リングで肌を合わせている。 「いわゆる真剣勝負を求めてパンクラスを立ち上げた船木が、大仁田と電流爆破マッチで闘ったことには驚かされました(2016年と翌年に2度闘って1勝1敗)。ヒクソン・グレイシー戦後にさまざまな経験をして、人間が丸くなったということでしょう」(プロレスライター)★大仁田に対する猪木の“拒否感” また、大仁田は、新日本プロレス時代に一度もフォール負けしたことがなかった初代タイガーマスク(佐山聡)から、タッグマッチながらピンフォール勝ちを収めている。 プロレスを舐められることが大嫌いな佐山からすると、大仁田とは水と油になりそうなものだが、どこかで認める部分があるのだろう。「プロレスと並行して武道を追求する佐山もそうですが、プロレスと他競技をまったく別の物と捉えている人の方が、大仁田のパフォーマンスや集客力、知名度を評価しているように見えますね」(同) プロレスにおける痛みや強弱、善悪などを過度にデフォルメする大仁田の手法を「まさにプロレス的で面白い」と受け取るか、「プロレスを馬鹿にしている」と捉えるかの違いとも言えようか。 “プロレス最強”を唱えてきたアントニオ猪木が、大仁田を激しく嫌うのも、そうしたところから来ているのかもしれない。 「基本的に誰でもウエルカムな人なのに、大みそかの猪木祭への大仁田の参戦要求だけは、かたくなに受け入れなかった。長州力戦へ向けての新日参戦の際も強硬に反対したようですし、その拒否感たるや相当なものです」(同) 大仁田と、これを激しく嫌う高田と猪木。3人にはいずれも国会議員を目指したという共通点がある。 また、この3人はプロレスラーとしてだけでなく、大仁田と高田はタレントとして、猪木は事業家として一般社会から認められたいという承認欲求が強いという面でも似ている。そういう意味では同族嫌悪というところもありそうだ。大仁田厚***************************************PROFILE●1957年10月25日、長崎県長崎市出身。身長181㎝、体重100㎏(全盛時)。得意技/サンダー・ファイヤー・パワーボム。ノータッチ・ヘッドバット。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2018年08月31日 21時15分
新日本プロレス棚橋弘至、完全復活ストーリーが9.23神戸から始まる!
「挑戦権利証の初防衛戦はオカダとやりたいですね」 新日本プロレス真夏の最強戦士決定戦『G1クライマックス28』で3年ぶり3度目の優勝を飾った棚橋弘至。翌日には“慣例”に基づいて、来年1月4日の東京ドーム大会メインイベントでの「IWGPヘビー級王座挑戦権利証」が棚橋に授与された。この挑戦権利証には王座同様、防衛義務が課せられている。ただ、2012年に権利証が発行されてから、1.4ドーム大会までにIWGPヘビー級王座が移動したことはあったが、権利証の保持者が移動したことはない。 今年のG1では7勝1敗1分という好成績で決勝に駒を進めた棚橋。暴走ファイトで唯一棚橋に土をつけたジェイ・ホワイトを「ジェイの出方次第で」と後回しにして、8.10日本武道館大会で30分時間切れ引き分けだったオカダ・カズチカを挑戦者に逆指名したのは「オカダに勝たなければ東京ドームのメインに上がれない」「オカダに勝たなければ復活はできない」という強い思いがあるからだ。オカダも棚橋の心理を察しているよう。ショックを隠しきれずノーコメントでインタビューブースを後にした10日の試合後からは一転、翌日の試合後には「決勝はAブロック、棚橋推しで!」とG1後の巻き返しを見据えた発言を残している。 棚橋がG1で優勝したとしたら、聞いておきたいと思っていたことがあった。棚橋は5月4日の福岡国際センター大会で、当時IWGPヘビー級王者だったオカダに挑戦し敗れたものの、それ以降、棚橋の動きやキレが欠場前よりもはるかに良くなっていった。あのオカダ戦で本来の棚橋弘至を取り戻したのではないか?そんな質問を本人にぶつけてみると… 「あるかもしれないですね」と本人は答えた。「“試合勘”もそうなんですけども、あの日は負けましたけど、十分オカダに対して、そのときの(IWGPヘビー級)チャンピオンに対して十分動けてる、一方的にやられなかったっていうところが、『まだまだ行ける』っていう気持ちになったし。そして、『さらにコンディションが良くなれば、棚橋、まだまだ十分行けるぞ』と(思った)。そうなんですよ…。もう年齢に捉われないレスラーになると。それはどうすればいいかって言ったら、より動けて、いまよりもビルドアップされた体を作って、笑いジワとかをこうケアしてですね(笑)。若々しくあればいいかなと思ってます」 最後は冗談も交えていたが、私の目を見て「ありがとうございます!」と答えてくれた。この姿はかつて引退を賭けて藤波辰巳(当時)と60分時間切れ引き分けの試合を行ったアントニオ猪木が「まだやれる」と確信したときの心境と似ているのではないだろうか。今年2月のシリーズを全休し、満身創痍の体をできる限りケアして復帰を果たし、オカダに挑戦したものの敗れた棚橋。しかし、この夏、1年で最も過酷なG1を制して、今度は上の立場でオカダを迎え討つことになった。 決戦の舞台は9.23神戸ワールド記念ホール大会。棚橋完全復活の第一歩となるか?取材・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年08月30日 21時15分
ノア凱旋直前のヒデオ・イタミ&WWE大阪公演凱旋直前の戸澤陽が好調をアピール!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間29日、カナダ・オンタリオ州トロントで軽量級ブランド205 Liveを開催した。 日本時間31日に開催されるWWEエディオンアリーナ大阪公演には戸澤陽が、翌9月1日のプロレスリング・ノア両国国技館大会にはヒデオ・イタミが205 Liveからそれぞれ参戦することが決定しており、両選手にとっては日本凱旋直前の収録となった。 まず元ドラゴンゲートの戸澤陽が、ゼロワンや新日本プロレスなどにも来日経験があるブライアン・ケンドリック(withジャック・ギャラハー)とシングルで対戦。先週の205 Liveでケンドリックとギャラハーに乱入されて試合を潰された戸澤は、騙し討ちパンチからセントーンで先制。スープレックスやサブミッションなど、ケンドリックのテクニシャンぶりに苦戦する場面もあったが、戸澤はケンドリックの右足に狙いを定めて集中攻撃。最後はコーナートップから必殺のダイビングセントーンを見事に決めて3カウント。先週試合を潰された雪辱を果たすとともに、大阪凱旋に向けて順調な仕上がりをアピールした。 205 Liveでムスタファ・アリと抗争中のヒデオ・イタミは、地元出身のマイケル・ブレイズと対戦。ヒデオは格下相手にビックブーツで吹き飛ばしてファルコンアローで沈めたが、ターザン後藤のように自らカウント2で相手の頭を掴み上げて3カウントを自ら阻止した。さらにドラゴンスリーパーの体勢から強烈なヒザ蹴りを食らわせカバーに入った。しかしここでもカウント2で相手を持ち上げた。 まさにヒデオはターザン後藤が乗り移ったかのように、相手を痛みつけて不敵に笑っていた。すると、そこに突然抗争中のアリが登場。ヒデオはアリがリングに上がるとすぐさま場外に退散。リング上からヒデオを挑発するアリをあざ笑うと、ヒデオはバイバイポーズをしながらリングを後に。来週以降に遺恨を残す結果となった。 ヒデオは古巣のノア9.1両国で開催される『丸藤正道デビュー20周年記念興行』のメインイベントで、丸藤正道とシングルマッチを行うことが決定している。KENTAのリングネームで、丸藤とともに三沢光晴亡き後のノアを支えてきたヒデオがノアを電撃退団したのは2014年4月30日。あれから4年4カ月が経ち、WWEや205 Liveのヒデオ・イタミとして、生涯のライバル丸藤の対角線に立つというのはとても興味深い。ヒデオの立場からすれば今後このカードが実現する可能性は極めて低いだろう。 大阪では関西を拠点にしていた戸澤が、両国では古巣のリングでヒデオが、それぞれ飛躍する姿を目に焼き付けながら楽しみたい。文 / どら増田写真 / ©2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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