長州は新日本プロレス時代、1998年1月4日に引退興行を行っている。このことから今回は『引退』という言葉を使わず、ファイナルマッチやラストマッチという表現にこだわっているという。いかにも長州らしいこだわりである。
長州は2000年7月30日に大仁田厚の熱意に押され、現役復帰。その後、新日本を退団し、新団体WJを旗揚げするなど、精力的に活動してきた。WJ崩壊後も新日本に現場監督として電撃復帰し、“生涯のライバル”藤波辰爾、初代タイガーマスクとトリオを結成。80年代の金曜8時のテレビ朝日を彩ったレジェンド・ザ・プロレスリングを立ち上げるなど、スポット的に試合出場を続け、昔から見続けているファンや、モノマネやバラエティ番組で知った若いファンを喜ばせている。
2015年に“盟友”の天龍源一郎が引退。藤波や藤原喜明といった同世代の選手は“生涯現役”を掲げてリングに上がり続けているが、長州は昨年7月の大会で「リングに上がるのが怖い。トレーニングするのがキツイ」とらしくない弱音を吐いて、残りのレスラー生活が短いことを示唆していた。98年の引退も「動けるうちに(引退したい)」という気持ちがあってのものだったが、長州は当時から首や足首などに古傷を抱えており、あれから20年経ってもリングでパワフルなリラリアットを見舞っている姿は奇跡と言ってもいい。
関係者に話を聞くと「12月の大会がファイナルロードの第1弾で、ファイナルマッチまで開催するのは残り4大会。残り短い期間になりますが、長州さんのファイナルロードを盛り上げたい」と思いを語ってくれた。妥協を許さない性格の長州は現在も古巣の新日本プロレスの道場で汗を流している。ファイナルロードでは長州の希望を取り入れてマッチメイクするようだ。
ちなみに12月28日はライバル藤波の65歳の誕生日である。この2人が最後に組み合うのはいつになるのだろうか?ファイナルロードに参戦する選手も含めて今後の発表が見逃せない。
取材・文 / どら増田
写真 / ©︎リデットエンターテインメント