新日本
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スポーツ 2019年06月11日 22時30分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「リッキー・スティムボート」善玉に対する日米の“視点の違い”
リッキー・スティムボートと聞いたときに、みなさんはどのようなイメージを抱くだろうか。 NWA王座にまで上り詰めたトップレスラーであることに違いはない。まだNWAが権威を保っていた1989年に、あのリック・フレアーから王座を奪取したのだから、90年代以降のそれとは別格である。 全米各地で30年近くトップを張り続け、ベビーフェイス(善玉)のレジェンドとして今なお信奉者は多いという。しかし、スティムボートが「プロレス史に名を成す超一流か」となったときには、首をひねるマニアも多そうだ。 1976年にAWAでデビュー。すぐにNWAへ移籍すると、正統派のアイドルレスラーとして人気沸騰。とりわけジミー・スヌーカとの抗争は、ドル箱カードとして3年以上にわたって繰り広げられた。 初来日は1980年の全日本プロレス。デビュー4年目ながら『世界最強タッグ決定リーグ戦』にエントリーされたように、破格の扱いであった(パートナーはディック・スレーター)。 翌年にはライバルのスヌーカまでも呼び寄せて米国の人気カードを再現させており、このことからも全日のスティムボートに対する力の入れようが見て取れる。「試合前、わざわざアメリカでの同カードをテレビで録画中継したのもかなり異例のことで、全日としてはテリー・ファンクやミル・マスカラスに次ぐ、外国人アイドルレスラーの後継者にしようという腹積もりだったのでしょう」(プロレス記者) 母親が京都出身の日本人という出自に、期待を寄せたところもあっただろう。与えられたニックネームは“南海の黒豹”で、大相撲の若嶋津やK−1のレイ・セフォーも同じキャッチフレーズで呼ばれたが、その先駆はスティムボートである(もっともそれ以前、大相撲の琴ケ濱(元大関)が同じく“南海の黒豹”と呼ばれていたようだが…)。 なお、日本における表記では「スティンボート」や「スチムボート」なども見かけるが、アルファベットでは「steamboat」となり、これは“スチームボート=蒸気船”の意味である。 ハワイ出身の名レスラー、サム・スティムボートの甥という触れ込みでデビューしたため、その名を拝借した恰好で、サムの場合は本名が現地語で「汽船」を意味するものであったことから、英語風にスティムボートとされた経緯がある。 実際のスティムボートは、アメリカ出身のアメリカ人であったが、プロレス上の設定としてはハワイ出身とされ、名前の蒸気船というのは、その当時としてもすでにオールドタイプだった。 よって米国のファンがスティムボートに対して抱いたイメージは、“田舎出身の青年が一旗揚げようと懸命に闘っている”というようなものと思われる。「ところが、日本ではカンフーを使いこなすスタイリッシュな選手として売り出そうとしていた節があり、そのあたりに実際のファイトスタイルとの齟齬があったかもしれません」(同) そのせいか周囲の期待ほどには、日本においてスティムボートの人気が盛り上がることはなかった。★“優等生”すぎて人気はいま一つ ダブルメインイベントの1試合目として組まれたスヌーカ戦のテレビ実況で、「アメリカでは開始早々から観客全員がスタンディングで声援を送っていた」と伝えられたものの、日本では20分を越える熱戦であったにもかかわらず、スティムボートのレフェリー暴行による反則負けという不透明決着。そのため、ファンに強い印象を残すことはなかった。 究極のヒール(悪役)として善玉を輝かせてきたアブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス移籍により、好敵手に恵まれなかったという不運もある。 スティムボート初来日の直前に、やはり日本初参戦となったヒールのオースチン・アイドルをライバルに据えようという案もあったようだが、こちらもすぐにアメリカでの主戦場を全日と提携していない団体へ移してしまった(アイドルの再来日は’87年)。 ただ、問題はそうした周囲の環境だけではない、との見方もある。「アメリカでのライバルの1人、リック・フレアーはスティムボートのことを『完璧で最高のベビーフェイス』と評しましたが、そこが逆に日本に合わなかった理由でもあります」(プロレスライター) 異形のジャイアント馬場や狂気をはらむアントニオ猪木など、伝統的にどこか毒気のあるレスラーが人気を博してきた日本マット界に、優等生タイプのスティムボートはそぐわなかったということか。 1989年にNWA王者として2代目タイガーマスク(三沢光晴)の挑戦を受けたタイトル戦、1990年には初参戦の新日マットで人気沸騰のグレート・ムタとビッグマッチを戦いながら、いずれも凡戦に終わっている。 そんなスティムボートの日米での人気の差を見るにつけ、いやはやプロレスとはなんとも難しいものだと、改めて思い知らされるのである。リッキー・スティムボート***************************************PROFILE●1953年2月28日、アメリカ合衆国フロリダ州出身。身長180㎝、体重107㎏。得意技/ダイビング・クロス・ボディ、サイクロン・ホイップ、バックハンド・チョップ。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2019年06月11日 06時00分
新日本札止めの大阪城ホールで『G1クライマックス』参戦希望選手が続出!KENTA参戦へ
新日本プロレスは9日、初夏のビッグマッチ『DOMINION 6.9 in OSAKA-JO HALL』を大阪・大阪城ホールで11,901人(札止め)の大観衆を集めて開催した。この動員数は、初夏のビッグマッチ『DOMINION』シリーズ最多を更新。実数発表以降に関西で開催した新日本プロレスの大会の中でも最多となっており、2連戦や、京セラドーム大阪での開催を望む声も多い。 試合はメインイベントで、オカダ・カズチカがクリス・ジェリコを破り、IWGPヘビー級王座の防衛に成功するも、試合後、ジェリコがオカダを急襲しKO。テレビのゲスト解説を務めていた棚橋弘至が救出に入り、ジェリコと睨み合いを繰り広げたが、ジェリコは花道でオカダのレインメイカードルを拾うと額につけて退場。オカダは棚橋の肩を借りながら退場するという、王者として屈辱を味わう結果となった。エンディングなき『DOMINION』は珍しい。セミファイナルでは、内藤哲也が飯伏幸太にリベンジを果たし、IWGPインターコンチネンタル王座を奪回。NEVER無差別級選手権試合は石井智宏がタイチを破り、5度目の戴冠を成し遂げた。 この日最大のサプライズは、今年2月にWWEを退団したヒデオ・イタミこと、日本ではプロレスリング・ノアで活躍したKENTAの登場だろう。KENTAは“ソウルメイト”である柴田勝頼が誘導する形で、第6試合終了後に登場。札止めのファンがどよめく中、柴田に続いてマイクを握ると「オレは自分の本能に従ってここに来ました。KENTAのプロレス、お見せします。『G1』でお会いしましょう」と、真夏の最強戦士決定戦『G1クライマックス29』(7月6日アメリカ・アメリカン・エアラインズ・センター〜8月12日東京・日本武道館)に参戦することを高らかに宣言。柴田とともにポーズを決めて、リングを後にした。 『G1』参戦をアピールしたのはKENTAだけではない。リング上では、第1試合に出場した元WWEのディーン・アンブローズ改めジョン・モクスリー、第2試合で“ヘビー級”の小島聡を破った鷹木信悟が、バックステージでは、ドラゴン・リーからIWGPジュニアヘビー級王座を奪回したウィル・オスプレイと、ジェリコが『G1』参戦を口にしている。ちなみに、昨年出場して現在新日本プロレスと契約を結んでいないのは、ケニー・オメガ、マイケル・エルガン、ハングマン・ペイジの3選手。アピールした5選手が全員参戦となると、日程上、今年も20選手が2ブロックに分かれて総当たりリーグ戦を行う可能性が高く、契約選手から2選手が入れ替えとなる。 正式な参加選手やブロック分け、各会場の対戦カードなど、『G1』の詳細は近日中に発表される予定だが、5選手が入れ替わり、フル参戦はしないと思われていたジェリコやモクスリー、そして、新日本のヘビー級の主力とはほとんど絡みがないKENTA、鷹木の絡みは非常に興味深い。全大会でドリームマッチが組まれるのは間違いないだろう。 来年1.4、1.5の東京・東京ドーム2連戦に向けて、新日本は新たな陣容を固めつつある。文 / どら増田写真 / 広瀬ゼンイチ
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スポーツ 2019年06月10日 22時30分
星野源とCM・『行列』出演、何かと話題の中邑真輔がWWE史上最大50人バトルに出場!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間8日、PPV『スーパー・ショーダウン』(キング・アブドゥッラ・スポーツシティ・スタジアム=サウジアラビア・ジェッダ)を開催した。WWEは近年イスラム圏内のファン拡大に力を入れており、昨年のサウジアラビア興行ではクリス・ジェリコらが出場している。 今年はWWE史上最大の男子50人出場のバトルロイヤルに日本人スーパースター、中邑真輔と戸澤陽が出場した。50人入り乱れたバトルロイヤルがスタートすると、体格に劣るシン・ブラザースや戸澤が投げ飛ばされて脱落。中邑はパートナーのルセフと協力しながらチャド・ゲイブルやアポロ・クルーズを脱落させたものの、キンシャサを狙ったシン・カラから延髄斬りを食らって脱落。日本人スーパースターは全滅した。 その後、アライアス、セザーロ、マンスールの3人が残ると、地元サウジアラビア出身のマンスールが躍動。隙を突いてセザーロをリング外に落とすと、襲いかかるアライアスにエプロンまで追い詰められたが、間一髪のところでアライアスを抱え飛ばしてマンスールが逆転優勝。マンスールが50人バトルロイヤルを制し、地元のファンから大きな声援が送られた。 バトルロイヤルでは結果を出せなかった中邑だが、16日放送の日本テレビ系『行列のできる法律相談所』に初出演することが明らかになった。今年2月、『日経ビジネス』の“世界を動かす日本人50”に大谷翔平、大坂なおみらとともに選ばれ、普段はアメリカを拠点に生活する中邑だが、今回、番組出演のために一時帰国。WWE所属後、日本のバラエティ番組出演はこれが初めてだという。 スタジオではMCの東野幸治らレギュラー陣やゲストらとの絶妙な掛け合いトークを披露。生“イヤァオ!”も飛び出し、試合では決して見られない中邑の貴重な一面を見せているようだ。 番組では、実は“スイーツ大好き”な中邑へ、8席しかないカウンターを設ける超人気モンブラン専門店『Mont Blanc STYLE(モンブラン スタイル)』でおもてなしロケを実施。和栗のモンブランで人生初の“食レポ”にも挑戦した。新日本時代の先輩・真壁刀義と比較されるのは間違いない。 さらに、スタジオでは意外にもお笑いが大好きなことを告白!「友達になりたい人」として挙げたのは関西が誇る人気芸人池乃めだか。幼い頃から憧れていた池乃との感動の初対面や、お決まりの“あのギャグ”の共演が実現するのか注目だ。 中邑は現在、歌手の星野源と『日清どん兵衛』のテレビCMにも出演中。28、29日には、WWE日本・東京公演が東京・両国国技館で開催される。WWEの現役スーパースターが日本のバラエティ番組やCMに出演するのは、極めて異例なだけに注目だ。文 / どら増田写真 / 垪和さえ
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スポーツ 2019年06月10日 18時00分
REBELS日菜太、辛勝も東京ドーム参戦を改めて直訴!江幡塁の相手は大野貴志!
『REBELS.61』▽9日 東京・後楽園ホール キックボクシング団体REBELSが、ブシロード傘下・キックスロード運営のキックボクシングイベントKNOCK OUTと提携以来初の大会を開催。満員の観衆を集め熱気あふれる大会となった。 休憩前には新日本プロレスでおなじみのバロン山崎がナレーションを務めたKNOCK OUT8.18大田区総合体育館大会『K.O CLIMAX 2019〜summer kick fever〜』のCMが初公開。このCMはテレビ朝日系列『ワールドプロレスリング』の枠内でも流される。▼第10試合 『K.O CLIMAX 2019』KING OF KNOCK OUTスーパーバンタム級王座決定トーナメント出場者決定戦 55.5kg契約 3分3R(延長1R)●KING強介(判定 0-3)大野貴志○ 休憩明けに組まれたこのカードは、トーナメント1回戦・江幡塁の対戦相手を決める試合。抽選の結果、“オランダの超獣”レダ・ナラインと1回戦で対戦することになった小笠原瑛作はテレビのゲスト解説として、江幡はリングサイドからこの試合を見守った。 KNOCK OUT参戦というチャンスを逃すまいと、両者は1Rから飛ばしていくが、大野がフットワークでKINGを翻弄。強介の左フックに大野がショートの左フックを合わせダウンを奪った。2Rになるとアグレッシブにプレッシャーをかける作戦に変更した強介だが、今度は大野の右ストレートを食らい足もとが不安定に。最終ラウンドも激戦になったが、大野優勢は変わらず。判定3-0で完勝し、トーナメントの残り1枠に入った。 試合後、リングに上がった江幡は「きょう、新日本キックとREBELSの対抗戦で新日本が負けました(2敗1分)が、8月18日のKNOCK OUTで大野選手に勝って、決勝に勝ち上がってくるREBELSの小笠原瑛作選手に勝って、借りを返させてもらいます。たくさんの団体で交わって、キックボクシング新時代を盛り上げていきます」とアピールした。 大野は「みなさんの応援のおかげでつかみ取ったKNOCK OUTの出場権です。江幡選手は小笠原選手と決勝と言いましたが、僕が勝ちます」と応戦。ここでキックスロードの原田克彦社長がリングに上がり、改めてREBELSとKNOCK OUTの提携を発表、両者によるトーナメント1回戦を正式に決定した。▼第11試合 REBELS対シュートボクシング REBELSルール 71kg契約 3分3R〔延長1R)○日菜太(延長判定 2-0)坂本優起● KNOCK OUT8.18大田区総合体育館大会『K.O CLIMAX 2019〜summer kick fever〜』で、ジョムトーン・チューワッタナとのビッグマッチを控える日菜太が思わぬ苦戦を強いられた。 1Rから前へ積極的に出る“人力車シュートボクサー”坂本に、パンチを叩き込む日菜太だが、打たれ強い坂本はひるむことなく前に。日菜太がロープを背にする場面が目立った。最終ラウンドでは坂本の右ストレートで、日菜太があわやダウンとも見えるふらつきを見せた。これに場内からは日菜太コールが怒った。判定は日菜太が1-0で延長戦へ。延長戦ではここまで控えめだったキックを日菜太が多用。坂本も打たれ強さを最後まで発揮していたが、手数の差で日菜太が制した。 何とか勝てた日菜太は苦しげな表情を浮かべながらマイクを握ると、「すいません。坂本選手、すごい体力があって本当疲れました。見ての通りほとんど蹴れなかったんですけど、怪我が多くなって、パンチばっかりの勝負になりました。残された時間は少ないですが、次の東京ドーム、応援してください」と頭を下げた。日菜太は先日の会見でも表明した新日本プロレス東京ドーム2連戦(1月4、5日)への出場を改めて明言、続けて「木谷さん!きょうはすみませんでした。8月いい試合をするので、よろしくお願いします!」と、リングサイドで観戦していた新日本プロレスとKNOCK OUTの木谷高明オーナーに直訴。これには木谷オーナーも苦笑いしていた。 REBELSとKNOCK OUTによるキックボクシング新時代の幕開けは、熱のある大会となった。この熱を8.18大田区総合体育館大会、そしてそれ以降の大会につなげていくために、どのような展開を見せていくのだろうか。新生KNOCK OUTのテーマに、木谷オーナーは「ストーリーとキャラクター」を、山口元気プロデューサーは「選手の発掘と育成」をそれぞれ掲げている。 原田社長によると、現在募集中の『K.O TRYOUT』には多数の応募が集まっているそう。こちらの展開も期待したい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年06月10日 13時20分
【追悼】アントニオ猪木と格闘技世界一決定戦で死闘を繰り広げたWウィリアムス氏死去
“熊殺し”の異名を持つ空手家のウィリー・ウィリアムスさんが7日、祖国アメリカで病気のため亡くなられたと海外メディアが報じた。67歳だった。 極真会館米国コネチカット支部で空手を学んだウィリーさんは、故・梶原一騎氏が製作した映画『地上最強のカラテPart2』(1976年公開)で、巨大な熊と対決。以降、熊殺しの異名を持つことになる。その後、空手の世界大会で優秀な成績を収めたが、アントニオ猪木が掲げた「プロレスこそ最強の格闘技」という全格闘家に対する挑発に乗る形で、1980年2月に蔵前国技館で猪木と、『格闘技世界一決定戦』として、プロレス対極真空手の異種格闘技戦を行うことになった。当時の極真空手は他流試合を禁じていたため、ウィリーさんは破門にされたが、当日ウィリーさんのセコンドには極真勢が付いており、後にウィリーさんも破門を解かれていることから、梶原氏が仲介したものと思われる。 試合は、猪木対モハメド・アリ以来の緊張感溢れる闘いになった。両者一歩も引かぬまま同体でリング下に落下。両陣営のセコンドが入り乱れる中、4R1分24秒、両者ドクターストップのドロー判定ながらも、一連の猪木による異種格闘技戦シリーズの中でベストバウトの呼び声の高い、後世に伝えられる試合の一つであった。実際、DVDマガジン化された際には売り上げが良かったという。 1994年に師匠の故・大山茂氏が設立したUSA大山空手に移籍。正道会館(初期K-1の前身)で佐竹雅昭と対戦したり、リングスで前田日明と対戦したが、既に全盛期は過ぎており、かつての殺伐感はなかった。1997年の新日本プロレス1.4東京ドーム大会では、猪木引退ファイナルカウントダウンの相手として、17年ぶりに猪木と対峙したが腹が出ており、決め技限定マッチで猪木の決め技コブラツイストにギブアップ負け。1999年にはFMWに参戦。BAD BOY 非道と対戦し、敗れた非道が弟子入りを志願。ウィリー高山にリングネームを変更している。 ウィリーさんの全盛期は70年代後半から80年代前半だったが、猪木が掲げた「プロレス最強」と闘うことで、簡単に認めさせなかった数少ない一人として、格闘家としての功績はいつまでも語り継がれることだろう。猪木の好敵手がまた逝ってしまった。合掌。文 / どら増田写真 / ©︎H.J.T.Production
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スポーツ 2019年06月07日 22時30分
新日本6.9大阪城決戦全カード決定!リー対オスプレイ、小島対鷹木、モクスリーも参戦
新日本プロレスは6日、『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.26』(BOSJ、5日、両国国技館)最終戦の結果を受けて、『DOMINION 6.9 in OSAKA-JO HALL』(9日、大阪城ホール)の全対戦カードを発表した。 既にオカダ・カズチカ対クリス・ジェリコ(IWGPヘビー級選手権試合)、飯伏幸太対 内藤哲也(IWGPインターコンチネンタル選手権試合)、タイチ対石井智宏(NEVER無差別級選手権試合)の3カードが発表され指定席は完売。当日券は立ち見のみ若干数の販売が予定されている。 今回追加で発表されたのは6試合だ。 5日の両国大会で鷹木信悟を破り、BOSJを制したウィル・オスプレイは、IWGPジュニアヘビー級王者のドラゴン・リーに挑戦する。BOSJでは同じブロックの鷹木に独走を許したリーはチャンピオンとして、心中穏やかではないはず。長期欠場中のライバル高橋ヒロムが戻ってくるまでは、ベルトを守りたい気持ちが強いだけに、ここは負けられない。 一方のオスプレイは、1.4東京・東京ドーム大会で憧れだった飯伏を破り、NEVER無差別級王座を獲得し、ヘビー級にも通用することを証明。鷹木に続いて「2匹目のドラゴン」を狩りに行く。東京ドームのメインでIWGPジュニア王座戦を開きたいオスプレイにとって、このチャンスを逃すわけにはいかない。 また全勝で勝ち進んだものの決勝でオスプレイに敗れ、準優勝に終わった鷹木は、6.9大阪城大会で「ヘビー級選手とのカードを組んでくれ」とリクエスト。これが通り、IWGPヘビー級王座、三冠統一ヘビー級王座、『G1クライマックス』優勝、『チャンピオンカーニバル』優勝と申し分がない実績を持つ小島聡とのシングルマッチが組まれた。もし鷹木が勝利するようなことがあれば今年の『G1』出場の可能性も十分に考えられるだろう。 またIWGPタッグ選手権試合、タマ・トンガ&タンガ・ロア対EVIL&SANADAのタイトルマッチも決定した。 5.12アメリカROHシカゴ大会でブリスコブラザースの挑戦を退け、ROH世界タッグを防衛したG.o.Dの前に現れたEVIL&SANADAは、「We are next challenger……」と次期挑戦者に名乗りを上げた。タマは「アイツらは俺らがブリスコブラザーズをボコボコにしたのを見てなかったのか?ヤツらより弱っちいくせに俺らに敵うわけがない!お前ら、どうなるか分かってるのか? 」と怒り心頭ながらも挑戦を受諾している。 棚橋弘至はジュース・ロビンソン&田口隆祐とともに、ジェイ・ホワイト&チェーズ・オーエンズ&石森太二と6人タッグマッチで対戦する。復帰戦となった5日の両国大会ではジェイに敗れ、屈辱を味わった棚橋がここからどんな復活ストーリーを見せてくれるのか期待したい。 おそらく最後の大阪城ホールとなる獣神サンダー・ライガーは、YOSHI-HASHIとの本隊&CHAOS越境タッグで、鈴木みのる&ザック・セイバーJr.と対戦。ライガーとみのるのシングルはいつ実現するのか?YOSHI-HASHIもザックのブリティッシュヘビー級王座に狙いを定めており、興味深いカードになった。 オープニングマッチではディーン・アンブローズ改め、ジョン・モクスリーが5日の両国大会に続いて参戦する。両国大会ではジュースのIWGP USヘビー級王座に挑戦し、エクストリームファイトを披露。王座を奪取しただけではなく、ファンに強烈なインパクトを与えた。さすがはバリバリの元WWEスーパースターである。 今大会はノンタイトルマッチだが、海野翔太とのシングルマッチが組まれた。いわゆるヤングボーイ相手にモクスリーはどんなファイトを見せてくれるのだろうか。オープニングからメインイベントまで、東京ドーム級の豪華なカードが9試合出そろった。初夏の大阪を新日本プロレスがさらに熱くなるのは間違いない。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年06月04日 22時30分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ラッシャー木村」金網からマイクまで “塞翁が馬”のプロレス人生
ラッシャー木村と聞いてイメージするのは金網デスマッチか、はぐれ国際軍団としての悪党ぶりか、はたまたファミリー軍団か。 いずれも毛色の異なる役割ながら、すべて自然にこなしたことは、人間性も含めたプロレスラーとしての能力の高さを証明していると言えよう。※ ※ ※“人間万事塞翁が馬”という言葉がある。中国の故事にちなんだもので、大意としては「幸運が不運につながることもあれば、その逆もしかり。何事につけても一喜一憂せず、自然の流れに身を任せるべし」ということになろう。 ラッシャー木村のプロレス人生は、まさに“塞翁が馬”を地で行くものであった。少年時代からプロレスラーを志望していた木村だが、高校を中退して大相撲の宮城野部屋に入門。稽古を見学に行った際に親方から誘いを受けたことがきっかけで、木村本人は「ちゃんこをごちそうになった手前、断れなかった」と当時を振り返っている。 期待の若手として幕下まで昇進したものの「十両に上がったら辞められなくなる」と廃業を決意。1964年、日本プロレスに入門する。 24歳にして念願のプロレスラーとなった木村だが、デビューから2年後の1966年、付き人をしていた豊登が東京プロレスを旗揚げしたのに付き添うかたちで日プロを離脱。翌年、東プロが崩壊すると吉原功社長の誘いを受けて、旗揚げ間もない国際プロレスに移籍することになる。 「誘われたと言うと聞こえはいいが、実際は選手が余剰気味だった日プロ側が受入れを拒んだという面もあったようです」(スポーツ紙記者) 国プロではグレート草津やサンダー杉山、ストロング小林らに次ぐ格付けとされるが、海外武者修行を経て凱旋帰国した1970年10月、大阪府立体育館において覆面レスラーのドクター・デス(のちにジャンボ鶴田の国内デビュー戦で相手を務めたムース・モロウスキーが正体)と、日本初となる金網デスマッチで闘ったことが転機となる。 木村の額から血が流れ落ちる凄惨な試合内容は、この頃に国プロを放映していたTBSが「二度と金網戦は放送しない」と断じたほどであった。しかし、事前の告知が少なかったためにテレビ中継を見逃したファンも多く、それがかえって評判を呼ぶ。 これを受けて同年12月、東京・台東体育館において“狂牛”オックス・ベーカーとの金網戦が組まれることとなった。長らく中堅に甘んじてきた木村がようやく日の目を見た格好だが、その試合で木村はベーカーの椅子攻撃により左足を複雑骨折。試合はなんとか勝利で終えたものの、入院生活を余儀なくされた。 だが、話題性に乏しかった国プロにおいて長期療養できる余裕はなく、わずか3カ月後にはギプスで故障箇所を固めて金網戦に復帰。 「このときの無理がたたって、以後、木村は左足の踏ん張りが利かなくなったようです」(同) かのルー・テーズが(国プロ参戦時のリップサービスもあっただろうが)「レスリングと相撲をマスターしている木村はジャイアント馬場やアントニオ猪木よりも強い」と語ったように、実は関節技やグラウンド技術にも長けていたというから、左足の故障がなければまた違ったレスラー人生となっていたかもしれない。★故障を押しての金網デスマッチ 動きが限られたことでデスマッチに専念せざるを得なくなった木村だが、金網戦では無敗の偉業を打ち立て“金網の鬼”の異名を取るまでになった。 1981年に国プロが崩壊すると、木村はアニマル浜口、寺西勇と「国際軍団」を結成して、新日本プロレスに乗り込むこととなる。 ただし、これも木村が望んだわけではなく、国プロ倒産前に企画されていた新日との対抗戦実現のため、吉原社長に義理立てしたものであった。 初登場時の「こんばんは」のあいさつは新日ファンの失笑を買ったが、後年、全日本プロレスでのマイクパフォーマンスにつながったことを思えば、これも“塞翁が馬”の一例と言えよう。 新日においては猪木との1対3変則マッチなど屈辱的なマッチメークをされたものの、悪名とはいえ知名度は格段にアップ。旧UWF設立時には新間寿氏からエース格として招かれる。「当初は猪木が移籍して、新たにテレビ局からカネをせしめようという計画でした。そこで遺恨再燃を狙ったわけです」(同) テレビ局獲得に失敗して新間氏が離れると、木村はUWFに居場所がなくなり全日へ移籍。その人柄を馬場に認められて“義兄弟コンビ” を結成すると、また新たな人気を獲得する。 馬場亡き後、三沢光晴からプロレスリング・ノアの旗揚げメンバーに迎えられると、一線を引いた後も終身名誉選手会長として遇されたのであった。ラッシャー木村***************************************PROFILE●1941年6月30日〜2010年5月24日(68歳没)。北海道中川郡出身。身長185㎝、体重125㎏。得意技/クロス・チョップ、ブルドッキング・ヘッドロック。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2019年06月04日 22時30分
新日本6.5両国大会メインは鷹木信悟対オスプレイのBOSJ決勝戦!全カード決定!
新日本プロレスは4日、『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.26(BOSJ)』最終戦(6.5東京・両国国技館)の全対戦カードを発表した。 メインイベントは連日各地で激闘を繰り広げたBOSJ優勝決定戦だ。 Aブロック代表は9戦全勝の鷹木信悟。昨年10月の両国大会でロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに加入以降、一度もフォール、ギブアップで負けていない。今シリーズでも快進撃を見せた。ジュニア離れしたパワー、そして15年のキャリアに裏打ちされた試合運びで他を寄せ付けず、念願の両国のメインを勝ち取った。このまま全勝優勝し、IWGPジュニアヘビー級王座に挑戦したいところ。 Bブロック代表のオスプレイは持ち前の空中技をベースに好勝負を連発し、7勝2敗で公式戦を1位通過。2位に6勝3敗で4人が並ぶ大混戦となったが、最後に田口隆祐を破り、執念で勝ち抜いた。今年は1.4東京ドーム大会で飯伏幸太からNEVER無差別級王座を奪取したのを皮切りに、『NEW JAPAN CUP』参戦などヘビー級戦線でも結果を残したオスプレイ。2016年以来の2度目の優勝を狙う。 3日の岡山・ジップアリーナ岡山大会でオスプレイが優勝決定戦進出を決めた直後、両者は対峙。鷹木はオスプレイを称えつつも「今のオレ、誰にも負ける気がしねえ!お前の自信満々な鼻っ柱をへし折ってやる!」と宣戦布告すると、オスプレイも「アイ・ラブ・ニュージャパンプロレス。オレこそがお前を最初に倒す男だ。オレがドラゴンを成敗する!」と挑発合戦を繰り広げた。BOSJ初となる両国での優勝決定戦に向けて、ジュニアの枠を超えたまさに『スーパーJr.』が見られるのは間違いない。 セミファイナルでは、王者のジュース・ロビンソンに、ジョン・モクスリー(元ディーン・アンブローズ)が挑戦するIWGP USヘビー級選手権がラインナップされた。WWEのトップスーパースターが離脱後、AEWと契約したことに世界のファンは驚いたが、新日本参戦はさらなる驚きを与えた。関係者の話によると世界の大物の参戦が決まり、両国大会のチケットの売れ行きも一気に伸びたという。2階席は完売。1階のマス席も残りわずかだ。セミ前では、棚橋弘至が因縁のジェイ・ホワイト相手に復帰する。両者とも9日に開催される大阪城ホール大会のカードは決まっていない。 6.9大阪城大会でクリス・ジェリコの挑戦を受けるIWGPヘビー級王者、オカダ・カズチカはロッキー・ロメロとのタッグで、ブロディ・キング&マーティー・スカルと対戦。6.9大阪城大会で対戦が決まっている飯伏と内藤哲也、タイチと石井智宏もそれぞれユニットでチームを編成し、飯伏・内藤は8人タッグ、タイチ・石井は10人タッグで激突する。CHAOS&本隊連合のメンバーには獣神サンダー・ライガーが名を連ねており、鈴木軍としてタイチと組む鈴木みのるとの絡みにも注目だ。 第2試合では、田口隆祐&SHO&YOH対石森太二&エル・ファンタズモ&ロビー・イーグルス、第1試合は、ドラゴン・リー&ティタン&海野翔太対バンディ―ド&ジョナサン・グレシャム&成田蓮のBOSJスペシャルタッグマッチがラインナップされた。ファンタズモとイーグルスは関係にヒビが入っているだけにスムーズにいくのだろうか。 新日本にとって今年初の両国大会は激闘必至である。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年06月04日 14時40分
【訃報】全日本プロレス青木篤志選手が急逝 世界ジュニアヘビー級の新王者になったばかり
ショッキングなニュースが飛び込んできた。全日本プロレスの青木篤志選手が3日夜、交通事故に遭い東京都内の病院に搬送されたが、死亡したことがわかった。4日、所属団体の全日本プロレスが発表した。通夜、告別式は未定とのこと。 ジュニアヘビー級選手として活躍した青木選手は、自衛隊から2005年にプロレスリング・ノアに入団。2009年には新日本プロレスの『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.』にノアを代表して参戦し、ベスト4に入る快挙を見せている。シリーズ中に三沢光晴さんが亡くなるという悲しみとも戦いながらの健闘劇だった。新日本は青木選手のファイトスタイルを気に入っており、ノアと交流している際には度々参戦していた。2010年には丸藤正道と組んでGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得。2012年末に秋山準らとともにノアを退団。全日本に参戦し、その後入団している。今年5月20日に世界ジュニアヘビー級王座になったばかり。今月18日には東京・後楽園ホールで防衛戦も決まっていた。2日の神戸サンボーホール大会が最後の試合になってしまった。 ツイッターでは生前、青木選手と交流があった丸藤正道、杉浦貴、鈴木みのる、永田裕志、TAKAみちのく、高木三四郎、里村明衣子らが、突然の死にショックを隠せない追悼のコメントを発信している。41歳とまだ若く、ハードヒットにも参戦するなど、ユーティリティなプロレスラーとしてこれからさらなる活躍が期待されていただけに残念でならない。合掌文 / どら増田
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スポーツ 2019年05月31日 22時30分
新日本6.9大阪城ホール大会、指定席が発表カード3カードのみで完売の快挙!
新日本プロレス毎年恒例、上半期最大のビッグマッチ『DOMINION 6.9 in OSAKA-JO HALL』6.9大阪城ホール大会の前売り指定席券が完売したと5月31日、新日本プロレスが発表した。現在は立ち見券を販売しているが、こちらも残りわずかだという。これで今年も札止めになることは確定的だ。 『DOMINION』は2009年に6月の大阪のビッグマッチとして、大阪府立体育会館でスタート。2013年ごろから『DOMINION』のブランド力が定着し、府立では収容できないほど、前売り券が猛スピードで売れる大会に成長したことから、2015年からアリーナクラスの大阪城ホールに会場を変更。2016年以外はいずれもチケットは完売しており、昨年も11,822人を動員している。最初のころはリターンマッチが多く組まれていたが、近年では1.4東京ドーム大会に劣らないカードが惜しみなく組まれており、関東からの遠征組も多い。 関西はテレビ朝日系列のABC朝日放送が『ワールドプロレスリング』を流しているが、放送は日曜の深夜と、関東や名古屋の1日遅れ。東京ドーム大会や、『G1クライマックス』の特番も放送されていない。しかし、昭和の時代から新日本が大阪大会を重視してきた歴史が引き継がれているのは確か。大阪大会の盛り上がりは、東京よりも熱狂的だと毎年、第1試合から感じる。 今大会は6.5東京・両国国技館大会との東西連続ビッグマッチになっていることもあり、まだ組み合わせには謎も残る。IWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカ対クリス・ジェリコ、IWGPインターコンチネンタル選手権試合、飯伏幸太対内藤哲也、NEVER無差別級選手権試合、タイチ対石井智宏の3カードしか発表されていないのだ。残るカードは6.5両国大会が終わってからになりそうだが、これでアリーナクラスの会場が完売するのだから、大阪の新日本熱は本物だ。 京セラドーム大阪への再進出を望む声も多いが、新日本の流れを見ていると大阪城2連戦の方が可能性は高いのではないだろうか。来年以降の展開にも期待したい。取材・文・写真 / どら増田
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