その名は元力士でプロレスラーの安田忠夫。
安田は孝乃富士のしこ名で小結まで昇進するも、28歳の若さで大相撲を廃業。プロレスに新天地を求め、93年に新日本プロレスに入門。日本人としては、類まれな190cmを越える長身で周囲の期待も大きかったが、生来のナマクラな性格が災いして伸び悩み中堅レスラー止まり。さらには、根っからのギャンブル好きが高じて、借金グセが直ることはなく、妻とは離婚し家庭も崩壊。新日本からも追われた。
その後、アントニオ猪木の勧めで総合格闘技にチャンレンジ。01年の大みそかに開催され、TBSで放映された「INOKI-BOM-BA-YE 2001」ではメーンイベントに抜てきされ、K-1の強豪であるジェロム・レ・バンナから勝利を挙げた。同年のファイナルを飾った安田は、時の人となり、古巣・新日本に出戻り。02年2月には新日本の至宝であるIWGPヘビー級王座を奪取。戴冠期間はわずか、1カ月半と短かったが、この時期が安田が最も輝いた時だった。
素行不良が原因で、05年1月に新日本から再度追われてからは、苦難の道を歩むこととなる。インディー団体や猪木が会長を務めるIGFなどでファイトするも精彩を欠いた。07年10月には自室で練炭自殺を図って救急車で搬送され、別の意味で話題となった(本人は自殺を否定)。
08年10月より、プロレス界の同僚であるケンドー・カシン(石澤常光)の実兄が岩手県八幡平市で営む養鶏・養豚場で働き始めるも、この7月にクビになったという。
日本にいるかぎり、ギャンブルの誘惑から逃げられず、借金グセも直らないと判断した安田は、この度、日本を脱出し、ブラジルに渡って相撲を教えることを決断。金がない安田は、引退興行を行なって、その収益金を渡航費に充てる腹づもりだ。
開催日時は来年2月4日、東京・後楽園ホール。大会タイトルは「日本とプロレスにおさらばします」。プロレスに未練はないという安田は、「最後の試合は必死でやりますので、2月4日の後楽園ホールに来てください。安田の最後のお願いです」とコメントを寄せた。
まさしくギャンブルで身を滅ぼした安田。地球の裏側での更正を祈るばかりだが、引退興行が赤字になったらどうするのであろうか? 興行も水モノ。つまり、ギャンブルなのである。
(最強プロレスサイトBATTLENET ミカエル・コバタ)