NWA王座にまで上り詰めたトップレスラーであることに違いはない。まだNWAが権威を保っていた1989年に、あのリック・フレアーから王座を奪取したのだから、90年代以降のそれとは別格である。
全米各地で30年近くトップを張り続け、ベビーフェイス(善玉)のレジェンドとして今なお信奉者は多いという。しかし、スティムボートが「プロレス史に名を成す超一流か」となったときには、首をひねるマニアも多そうだ。
1976年にAWAでデビュー。すぐにNWAへ移籍すると、正統派のアイドルレスラーとして人気沸騰。とりわけジミー・スヌーカとの抗争は、ドル箱カードとして3年以上にわたって繰り広げられた。
初来日は1980年の全日本プロレス。デビュー4年目ながら『世界最強タッグ決定リーグ戦』にエントリーされたように、破格の扱いであった(パートナーはディック・スレーター)。
翌年にはライバルのスヌーカまでも呼び寄せて米国の人気カードを再現させており、このことからも全日のスティムボートに対する力の入れようが見て取れる。
「試合前、わざわざアメリカでの同カードをテレビで録画中継したのもかなり異例のことで、全日としてはテリー・ファンクやミル・マスカラスに次ぐ、外国人アイドルレスラーの後継者にしようという腹積もりだったのでしょう」(プロレス記者)
母親が京都出身の日本人という出自に、期待を寄せたところもあっただろう。与えられたニックネームは“南海の黒豹”で、大相撲の若嶋津やK−1のレイ・セフォーも同じキャッチフレーズで呼ばれたが、その先駆はスティムボートである(もっともそれ以前、大相撲の琴ケ濱(元大関)が同じく“南海の黒豹”と呼ばれていたようだが…)。
なお、日本における表記では「スティンボート」や「スチムボート」なども見かけるが、アルファベットでは「steamboat」となり、これは“スチームボート=蒸気船”の意味である。
ハワイ出身の名レスラー、サム・スティムボートの甥という触れ込みでデビューしたため、その名を拝借した恰好で、サムの場合は本名が現地語で「汽船」を意味するものであったことから、英語風にスティムボートとされた経緯がある。
実際のスティムボートは、アメリカ出身のアメリカ人であったが、プロレス上の設定としてはハワイ出身とされ、名前の蒸気船というのは、その当時としてもすでにオールドタイプだった。
よって米国のファンがスティムボートに対して抱いたイメージは、“田舎出身の青年が一旗揚げようと懸命に闘っている”というようなものと思われる。
「ところが、日本ではカンフーを使いこなすスタイリッシュな選手として売り出そうとしていた節があり、そのあたりに実際のファイトスタイルとの齟齬があったかもしれません」(同)
そのせいか周囲の期待ほどには、日本においてスティムボートの人気が盛り上がることはなかった。
★“優等生”すぎて人気はいま一つ
ダブルメインイベントの1試合目として組まれたスヌーカ戦のテレビ実況で、「アメリカでは開始早々から観客全員がスタンディングで声援を送っていた」と伝えられたものの、日本では20分を越える熱戦であったにもかかわらず、スティムボートのレフェリー暴行による反則負けという不透明決着。そのため、ファンに強い印象を残すことはなかった。
究極のヒール(悪役)として善玉を輝かせてきたアブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス移籍により、好敵手に恵まれなかったという不運もある。
スティムボート初来日の直前に、やはり日本初参戦となったヒールのオースチン・アイドルをライバルに据えようという案もあったようだが、こちらもすぐにアメリカでの主戦場を全日と提携していない団体へ移してしまった(アイドルの再来日は’87年)。
ただ、問題はそうした周囲の環境だけではない、との見方もある。
「アメリカでのライバルの1人、リック・フレアーはスティムボートのことを『完璧で最高のベビーフェイス』と評しましたが、そこが逆に日本に合わなかった理由でもあります」(プロレスライター)
異形のジャイアント馬場や狂気をはらむアントニオ猪木など、伝統的にどこか毒気のあるレスラーが人気を博してきた日本マット界に、優等生タイプのスティムボートはそぐわなかったということか。
1989年にNWA王者として2代目タイガーマスク(三沢光晴)の挑戦を受けたタイトル戦、1990年には初参戦の新日マットで人気沸騰のグレート・ムタとビッグマッチを戦いながら、いずれも凡戦に終わっている。
そんなスティムボートの日米での人気の差を見るにつけ、いやはやプロレスとはなんとも難しいものだと、改めて思い知らされるのである。
リッキー・スティムボート
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PROFILE●1953年2月28日、アメリカ合衆国フロリダ州出身。身長180㎝、体重107㎏。
得意技/ダイビング・クロス・ボディ、サイクロン・ホイップ、バックハンド・チョップ。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)