スポーツ
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スポーツ 2010年01月26日 13時00分
菊池雄星は第二の江夏豊だ!
2月1日から始まるプロ野球12球団キャンプの主役は、リーグ4連覇、2年連続日本一を目指す巨人ではなく昨年4位の西武だ。 20年に1人の逸材と言われるドラフト1位ルーキー菊池雄星(花巻東)の一挙手一投足に、全国のファン、マスコミの注目が集まるからだ。 西武第2球場で行われた新人合同自主トレーニングを視察した、野球殿堂入りしたばかりの東尾修氏(元西武監督)がこう手放しで絶賛している。「剛の大輔に対して柔プラス強の雄星。体幹を中心とする馬力は大輔だが、柔軟性と安定性では雄星が上だ。雄星は今の時点で勝てる」「柔らかさと強さを兼ねている点では江夏豊さんだろうか。雄星の投げ方なら江夏さんのような投球ができると思う」。 甲子園を沸かせた同じスーパールーキー、平成の怪物と呼ばれた松坂大輔(現レッドソックス)をエースに育て上げた東尾氏が、こう即戦力投手の太鼓判を押すのだから、何よりも説得力がある。松坂はルーキーイヤーに16勝5敗、防御率2.60の成績で最多勝と新人王を獲得している。黄金左腕・江夏氏の1年目は12勝13敗、防御率2.74。225奪三振は両リーグトップという快記録だった。2年目の1968年にはシーズン401奪三振という、いまだに破られない驚異的なプロ野球記録を樹立。途中から抑えに転向しても成功。生涯成績206勝、193セーブの成績をあげている。 東尾氏によれば、入団時の松坂を超えて、球界に名を残す同じ左腕の大投手・江夏氏クラスだというのだから、20年に1人の逸材と言われる菊池の評価は誇大表示ではないことになる。松坂、江夏氏同様に高校生ルーキーながら二ケタ勝利が期待できる。後藤オーナーは「1年目から無理させない。時間をかけても大きく育てる」と熟成栽培を強調。渡辺監督も「最初は中継ぎから」と慎重な育成方法を口にしている。が、自ら名球会入り、歴代10位の251勝を記録している、殿堂入りしたばかりの東尾氏のお墨付きがあるのだから、放っておいても二ケタ勝利で新人王最有力候補になるだろう。二ケタでも10勝すれすれでなく、どこまで上積みがあるか。松坂の16勝を超えるかどうかが、ファン、マスコミの関心事になってくる。 「できれば、宮崎で雄星を見てみたい」。巨人・長嶋茂雄終身名誉監督はこう語っているが、内心地団駄を踏んでいるだろう。ドラフト前に「なぜ巨人は菊池を指名しないのか」と球団関係者に疑問を投げかけていたからだ。松坂争奪戦の時には巨人監督で松坂ファンを自任していたが、球団側が早くから大体大・上原(現オリオールズ)を逆指名で囲い込みしていたために、泣く泣く松坂獲得を断念している。 そんな過去の経緯もあるだけに、巨人キャンプ視察の際に、同じ宮崎で西武・菊池雄星狂騒曲が奏でられているのを目の当たりにして、長嶋氏は切歯扼腕することになる。
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スポーツ 2010年01月25日 15時00分
やる気なし? 朝青龍が優勝でどうなっちゃうの相撲界
大相撲初場所は14日目に横綱、朝青龍が25回目の優勝を決めるも、千秋楽では白鵬に完敗。さらにこの取り組みでは恒例の気合入れポーズも忘れるほど。やる気がまったく感じられない取り組みに各方面から大ブーイング。16日の未明に都内の飲食店で泥酔状態となりマネージャーを小突き、パトカー2台が駆け付けるなどの騒ぎを起こしたこともあり、土俵の上で“反省の態度”を示すと思いきや、最後は恒例のピースサインで観客の声援に応えた。 「そもそもそんな朝青龍を優勝させてしまうのが問題です。日本人力士はもちろん、白鵬だってなさけないです」。多くの問題を起こす朝青龍。ただ本人だけを責めるべきではないと語るのはスポーツ紙の相撲担当記者だ。確かにいくら問題があるとはいえ、優勝されてしまっては彼への説教も説得力はない。相撲ファンからも「横綱の品格がない朝青龍は許せない」(60代・男性)との意見もあることはあるが、「もう“横綱の品格”なんて言わないで自由にやらせてあげればいんじゃない。そうしないと朝青龍がモンゴルに今の外国人力士をみんな連れていって向こうで本当に強さだけを競う“大相撲”の団体を立ち上げちゃうんじゃないのかな。そうなったら日本の“大相撲”なんてどんどん縮小していって、最後には年に1回、伊勢神宮あたりで開催される小さなイベント程度の規模になっちゃうよ」(スポーツライター)。 品格うんぬんは別にして国技館でも朝青龍人気は結構高い。彼の人気と話題で相撲界が潤っているのも事実。「だから協会も最終的には朝青龍に譲歩しちゃうんですよ」(前出のスポーツ紙記者)。 今後の話題は日本相撲協会の理事選へとうつる。貴乃花親方動向が気になるところだが、“平成の大横綱”といわれる親方にも写真週刊誌で暴力団とのかかわりが取りざたされている。真実かどうかはともかく、なんとも悲しい話だ。
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スポーツ 2010年01月25日 13時00分
“ストレイト”なガチバカ一直線!? 貴乃花と船木誠勝に相通ずる“マッドネス”
大相撲の貴乃花親方が、日本相撲協会の互助会体質に一石を投じるべく、二所ノ関一門から離脱し、無所属で協会理事選に立候補して、大きな波紋を呼んでいる。現役時代は、通算22回の優勝をすべてガチンコで成し遂げた“平成の大横綱”として名を馳せ、引退後も「八百長相撲の撲滅」の理想に燃える“若き過激派”として、相撲協会の守旧派からは常に恐れられ、煙たがられる存在、それが彼なのだ。 革命のためなら孤立も厭わないのが貴乃花親方の信条だが、プロレス界にも、彼とよく似た軌跡を辿ってきた男がいる。 ハイブリッドレスラー・船木誠勝である。 船木と貴乃花親方、この二人の天才の生き方はよく似通っている。まずは両者とも、中学卒業と同時にプロの世界に身を投じ、格闘士として純粋培養されて育ったことが挙げられる。結論づけるにはいささか早計かもしれないが、両者の良くも悪くもな頑固さ、偏屈さ、融通の利かなさは、社会人生活を経験しないままスターになったプロアスリート特有のものに見える。いわゆる“世間ズレ”を知らないピュアネスこそが、彼らの最大の共通点なのだ。 そして両者ともに、その“マッドネス”すれすれのピュアネスを抱えたまま、相撲界、プロレス界、それぞれの道で、旧態依然の体制をブチ破らんとする危険分子と化す。貴乃花親方が現役時・引退後と、ともに“ガチンコ革命”を角界に起こさんと独りぼっちの闘いを続けているのは先述の通りだが、船木も80年代末期にマット界を席巻した『第2次UWF』において、当時のトップ・前田日明にUWFの全ガチンコ化を迫り、前田に「5年待て」と諭された過去を持つ。 前田の「5年待て」発言に我慢ならなかった船木は、後に秒殺集団『パンクラス』を旗揚げし、90年代の格闘技ムーヴメントを牽引した。その姿は、二所ノ関一門の親方衆からの「2年待て」という説得に耳を貸さずに一門を離脱し、相撲協会に弓を引く道を選んだ、現在の貴乃花親方に被って見える。 現役引退後の船木は、俳優業転向、パンクラス離脱と、波瀾万丈の浮沈を繰り返しながらも、現在はプロレスに復帰。かつて“マッドネス”と称された狂気の片鱗をわずかには残すものの、パンクラス時代と比較すると、だいぶ憑き物が取れたような弾けっぷりを見せている。 一方の“ガチンコ革命”に懸ける貴乃花親方の今後の相撲人生も、さらなる迷走を続けることになるのだろうか。そして、迷いに迷い続ける彼の人生に、一筋の光明が差す日はやって来るのだろうか。(鶴岡忠勝 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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スポーツ 2010年01月23日 13時00分
菊池雄星の一軍キャンプ帯同は営業絡み!?
菊池雄星(18=埼玉西武ライオンズ/登録名『雄星』)の一軍キャンプ帯同が発表されたのは、1月20日午後。渡辺久信監督は「主力メンバーに入っても体力的にやっていける」と語っていたが、“本心”ではなかったようだ。 西武は宮崎県南郷町でキャンプを行う。二軍は西武第二球場でスタートし、2月9日に高知県高知市に移動する。 「球団は南郷町側と警備態勢について、かなり早い時期から打ち合わせをしていました。雄星を連れて行けば、ファンやマスコミが殺到するのは必至です。キャンプ報道で西武が主役を務めるのは、松坂が入団した99年以来ですからね」(在京球団職員) 雄星の公式戦デビューは2月26日のオープン戦、それも原巨人との対戦が有力視されている。西武球団が「スター誕生のお膳立て」に力を入れているのが分かるが、その同様の話が「高知側にもあった」というのだ。 つまり、球団は二軍でじっくり育成するプランも選択肢にあり、『一軍帯同』を最初から決めていたわけではなかったのである。 「3年前、日本ハムが中田翔を一軍キャンプでスタートさせました。『スター候補生』であり、お披露目の意味合いもあったんですが、中田の場合は一軍選手とのレベルの違いを痛感し、精神的に潰れてしまいました。とくに守備面で」(前出・同) 西武関係者によれば、雄星を一軍に帯同させるか否かで球団は二分したという。渡辺監督以下、現場コーチ陣は『慎重論』を唱えたが、営業サイドは聞く耳を持たなかったそうだ。登録名の『雄星』にしても、営業サイドの強い意向により、渡辺監督は押し切られた格好だ。 「『菊池』より、『雄星』の方が親しみ易く、グッズも売れると営業サイドは見ています。また、西武選手の宿泊施設は系列グループのホテルです。南郷町は空港からクルマで約1時間半の移動時間を要するし、雄星目当てが集まるファン、マスコミも関連業者の施設、交通機関を使わざるを得ませんので」(地元関係者) 球団にとって、雄星は『カネの成る木』でもあるようだ。 渡辺監督が『慎重論』を唱えた理由は、彼のマジメさにある。一軍選手は独自の調整方法を習得している。全体練習の終了後、ベテランはその独自メニューに則って自主的に練習をし、開幕に備える。だが、雄星に限らず、高校球児は学校監督から「やれ!」と命令された練習をこなしてきただけであり、『大人の調整法』を知らない。 「西武選手はゲーマーが多いんですよ。菊地君は選手寮に私服さえ持って来なかったマジメ人間ですよ。先輩たちとの付き合いでゲーム機での遊びにも誘われるでしょうし、工藤,西口といったベテランの助言を聞いても消化できないかもしれない」(前出・在京球団職員) 雄星が“ゲーマー軍団の悪い誘い”に誘われたら…。マジメな性格ゆえ、断れないだろう。渡辺監督は宿舎に引き上げた後も『監視の眼』を光らせなければならない。
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スポーツ 2010年01月22日 14時00分
甲子園スターの伸び悩みで高井雄平が投手再転向
報われない努力ほど、虚しいものはない。東京ヤクルトスワローズが『元エース候補』に対し、特異な育成方法を行おうとしている。『元エース候補』とは、2002年ドラフト1位選手、高井雄平(25=東北高)のことである。 高井はルーキーイヤーの03年4月の巨人戦でデビューしたが、その後は一軍に定着できず、苦しいシーズンが続いている。原因は制球難だ。 「変化球でストライクが確実に取れない。ボールカウントが先行し、真っ直ぐを狙い打ちされています。せめて『縦の変化球』をマスターできたら…」(イースタンリーグ首脳陣) 150キロを越す左腕は貴重だ。しかし、『制球難』と『変化球不足』の課題はルーキーイヤーからで、昨シーズン、ヤクルト首脳陣は『打者転向』を命じた。 「高井は打者として一生懸命練習しています。昨年11月25日に第二次トライアウトが神宮球場で行われたんですが、そのとき、第二球場でバットを振っているところを見掛けました」(TV局員) ヤクルト首脳陣はそんな『打者・高井』を投手に再転向させようとしているという。 理由は簡単だ。他にめぼしい若手投手がいないからである。近年、ヤクルトは佐藤由規、村中恭兵、増渕竜義、赤川克紀などの有望高校生投手をドラフト指名してきたが、一軍ローテーション入りさせていない。由規(登録名)、村中は健闘した方かもしれないが、他球団の首脳陣の言葉を借りれば、「この程度の投手ではなかったはず」。投手育成の部門に問題があると言わざるを得ないのだ。 チーム関係者の1人がこう反論する。 「高井はピッチャーに再転向させるつもりで、打者をやらせたんです」 前例はある。左腕・石井弘寿(32)は制球難を克服するため、外野ノックを徹底的に走らせる『下半身強化』を行い、再コンバートしたという。 しかし、高井が必死にバットを振る姿は筆者も目撃している。投手再転向を前提としたコンバートだったら、あそこまでバットを振る必要があるだろうか。 ヤクルトの二軍本拠地・戸田球場での試合を観戦したことがある。 スタンドはバックネット後方だけで、一塁側ネットのすぐ隣がテニス場、三塁側は土手だ。荒川河川敷の総合グラウンドのため、球団の意向だけでは改築工事は行えないのは分かるが、ライト側のネットを越えた打球は雑木林に消えてしまう。ホームランが出る度に出番のない若手が“タマ拾い”に行き、野球好きのオヤジが「兄ちゃん、アッチ」と指をさす。若手は慣れた様子で「どうも!」と雑木林に入って行ったが、そのなかにはかつてのドライチ・増渕の姿も…。 高田繁監督(64)が「少しでも投手の底上げができれば、十分に戦える戦力だと思っています」と挨拶したのは、1月12日のヤクルトOB会でのこと。その際、出席者の眼は荒木大輔・一軍コーチに向けられた。 高井を再転向させるべきか否かの最終判断は同コーチが下す。高井の必死な姿を見ていると、二軍環境だけでなく、思いつきのような育成プランが悔やまれる。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2010年01月22日 12時30分
貴乃花の“造反”の陰に、北の湖の“復讐”あり!?
相撲界の火薬庫(?)こと貴乃花親方(元65代横綱・貴乃花)の周囲が、またしても揺れに揺れている。初場所後の2月1日に行われる日本相撲協会理事選挙に、自身が所属する二所ノ関一門から離脱して出馬を表明した貴乃花親方の行動が、またまた角界に波紋を呼んでいるのだ。 通常、理事選とは、角界に厳然と存在する「一門」同士が事前協議によって、そのポストの割り振りを決するもの。いわば、相撲協会の“互助会体質”の最たるものが理事選なのだ。その協会の旧態依然体質に、ガチンコな“過激派”貴乃花親方が弓を引いた。今回の理事選において、二所ノ関一門に割り振られた理事のポストは3つ。すでに一門内で、理事候補には二所ノ関(元関脇・金剛)、放駒(元大関・魁傑)、鳴戸(元第59代横綱・隆の里)の3親方の選出が内定していた。角界改革のために燃える貴乃花親方はそれを良しとせず、慣習を断ち切って断固立ち上がるが、周囲の親方衆からは「2年待て」と猛反発を受ける。その2年も待てぬとばかりに一門離脱、無所属出馬と相成った。 角界のガチンコ改革に燃える若きプリンス、立ち上がる! と捉えれば響きはよいだろうが、実は今回の貴乃花親方の周辺に、あるキナ臭い噂が流れている。なんと、彼の行動を後押しし、裏で糸を引いているのが、前協会理事長の北の湖親方(元55代横綱・北の湖)だというのだ! 北の湖前理事長といえば、時津風部屋リンチ死事件やロシア人力士大麻騒動などの一連の角界不祥事の責任を負い、自ら理事長職を辞した印象がある。しかし実情としては、在任末期には理事会で堂々と退任要求を突きつけられるなどのクーデターに遭い、石もて追われるような引き際であった。 そして今回の貴乃花親方の造反劇を裏で操っているのが、己を追い出した現行の理事会に強い恨みを持つ前理事長…という噂が今流れている。クーデターに破れた者が、クーデター返しを目論む−−。本当ならば初場所の大相撲に水を差す“泥試合”であるが、真相が明るみになる日は来るのだろうか…。
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スポーツ 2010年01月21日 14時00分
今年は寅年 阪神の行方は? そして意外なライバルが!?
「寅年」に「今年はどうなる」とくれば、阪神タイガースを思い浮かべる方は多いことだろう。少なくとも関西圏での確率は大幅アップに違いない。 しかし残念ながら昨年は4位。真弓体制1年目はまさかのBクラスに転落した阪神だが、実力はまだまだ底知れないものがある。寅年の今年こそ、と全国のトラキチが期待するのは当然だ。 そこで気になるのが、これまで寅年に阪神は優勝したのか、ということ。はるか戦前の1リーグ時代にまでさかのぼって見てみよう。 阪神が優勝したのは、戦前の1リーグ制時代も含めると1937年秋、38年春、44、47、62、64、85、2003、2005年の9回あるが、そのうち最初の寅年は38年だ。37、38年は春秋の2シーズン制で、どちらの優勝もチームの優勝回数にカウントされる。そして、両シーズンの1位同士で年間総合優勝決定戦を行っていた。38年、阪神は巨人との年間総合優勝決定戦に勝利ししている。阪神は見事、過去に寅年に日本一になっていたのだ! しかも前年の37年も、春=巨人、秋=阪神での優勝決定戦で阪神が勝ち、2年連続のチャンピオンだ。強い阪神と強い巨人の「伝統の一戦」は、プロ野球発足時から始まっていたのだ。次の寅年の優勝は62年。2リーグ制後初優勝だが、日本シリーズでは東映フライヤーズに敗れている。残念ながら、寅年の優勝はこの2回だけだった。 他の寅年における阪神の成績はというと、以下の通りである(括弧内はその年のセ・リーグ優勝チーム)。50年=4位(松竹ロビンス)、74年=4位(中日)、86年=3位(広島)、98年=6位(横浜)…と、Aクラスは1度だけという有様だ。 ちなみに38、62年以外で阪神が優勝した年の十二支は、37年=丑、44年=申、47年=亥、64年=辰、85年=丑、2003年=未、2005年=酉。寅年と同じく丑(うし)年に2回優勝している。となると、丑年の昨年は優勝の可能性が高かったことになるのだが…。しかし、毎回優勝チームが違うことからも、寅年で2度優勝(セリーグでは1度だが)の阪神が優勝する確率は依然高いといえよう。 だが、ここに思わぬ伏兵がいた。 それが昨年最下位の横浜ベイスターズだ。50年セ・リーグ優勝の松竹ロビンスは、後に太洋ホエールズと合併している。そう、現在の横浜ベイスターズだ。これを合わせれば横浜も阪神同様、寅年に2回優勝ということになる(かなり無理やりだが)。 さらに、前回の寅年には日本シリーズで優勝、日本一になっている。横浜の寅年の順位は、チーム結成の50年から順に5位、2位、5位、4位、優勝(98年は日本シリーズも優勝)と浮き沈みが激しいが、2位と優勝があるのは見逃せない。 横浜は寅年に急に強くなる? ちなみに、巨人が2リーグ制導入後、寅年の優勝がないのが面白い。というわけで、干支から見ると、今年は阪神と横浜の一騎打ちになるのか?(もう一度言う。かなり無理やりだが)。 まあ、シーズンオフにあれこれデータを引っ張り出しこねくり回し、ああだこうだと考えて楽しむのがプロ野球ファンというもの。これも座興と許されたい。今年もキャンプインまであと少し。また胸躍る野球の季節が始まる。(横浜 六太 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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スポーツ 2010年01月20日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元・阪神の亀山つとむさん
現在、関西系メディアで活躍中の亀山つとむ(現役時代は努)と言えば、真っ先に思い浮かぶのが「ヘッドスライディング」。通算8年間という短いプロ野球人生であったが、ファンの記憶には今も色褪せること無く輝いている。 生まれは大阪・港区だが、育った場所は鹿児島・奄美大島。島人らしく豪放磊落な性格の持ち主だが結果として、それがアダとなってしまった。 1987年、ドラフト外で鹿屋中央高から阪神タイガースに入団した亀山。当初、内野手(主に三塁手)であったが、入団2年目、89年に外野へコンバート。それが、小柄で俊足の亀山にハマり同年6月11日、対大洋戦で1軍デビューを果たす。また、その年はファーム・ウエスタンリーグの首位打者にもなった。 その後、ライトの定位置を奪取し、キャリアハイの92年シーズンは打率287打点28盗塁15を残し、ゴールデングラブ賞を獲得。オールスターゲームにも出場した。 「その年の亀山にファンは酔いしれました。何でも無いゴロを打ったのに一塁へもうダッシュでヘッドスライディングを試みる。アウトになってもスタンドは大喜び。アウト、セーフなんてどうでもいいのです。亀山の魅せるプレーはまさしく“これぞプロ”だったのです」と、スポーツ紙阪神担当記者は懐かしむ。 彼は果敢なスライディングで『平成のスライディング王』という異名を取ったが、この頃から『問題児・亀山』と側面も露呈し始めた。前述の豪放磊落な性格がマイナス作用したのだ。 前出・トラ番記者が続ける。 「レギュラーを掴んだ事から気が緩んだのです。亀山は以前から寝坊癖があったのですが、この頃から、それがさらに悪化。一説には“目覚まし時計が10個一斉になっても起きなかった”と言われているのです。寝坊の原因は学生時代にした喧嘩の代償で鼻が曲がってしまい、睡眠時に無呼吸状態に陥り、熟睡できないからだとか」 さらに巷間伝えられているのが「肥満傾向」による睡眠時呼吸不全。いずれにしても「豪快な遅刻」が球団の顰蹙を買った事は間違いのない事実であった。原因はどうであれ、亀山の体内にあった「島時計」(主に時間にルーズな沖縄在住人に対して使う皮肉だが)が覚醒したのだ。 結局、亀山は最後まで「遅刻」と縁を切れず97年オフ、球団から解雇通告を受けてしまった。通算9年、実働8年という儚いプロ野球生活であった。しかも、ピーク時の92年頃から、細身の亀山が一転、肥満の傾向に陥り晩年は小柄でスリム、俊足のイメージからかけ離れてしまったのだ。 「亀山の解雇通告を受けて、当時、近鉄の監督であった佐々木恭介が亀山獲得に動いたのです。秋季キャンプでテストまでしたのですから。しかし近鉄球団は寝坊癖、肥満の情報を掴んでおり、監督の懇願を却下したのです。その後、亀山は韓国、台湾でプレー続行を画策したのですが、肥満が深刻化して、思うように身体が動かない。断腸の思いで現役引退を決意したのです」(前出・トラ番記者) 引退後はご存じの通りタレントをメーンに活動。運動しなくなったせいか、今では現役時代の面影は乏しく「デブ」ばかり際立つようになってしまった。ちなみに現役時代の公式発表は身長176センチ、体重77キロ。現在は推定だが身長176センチ、体重110キロ。当時より33キロ増はさすがに太り過ぎだろう。 尚、双子の弟・忍も「肥満」が売りのタレントである。兄弟揃って「デブキャラ」…二人とも調理師の免許を所持しているという「特技」はあるが、何より心配なのはウェート。健康であり続けることが亀山つとむと忍の最重要テーマだ。
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スポーツ 2010年01月19日 19時00分
腹心・小林繁コーチを失った梨田監督は前途多難…
北海道日本ハムファイターズ・投手コーチ、小林繁氏の訃報が飛び込んできたのは17日未明。前日、親会社のイベントで顔を合わせた梨田昌孝監督(56)は「信じられない」と繰り返していたが、2月1日のキャンプインの日程は変更できない…。指揮官として、故人に代わって、残した職務を全うしなければならない。 「小林さんは今季から一軍コーチに昇格することが決まっていました。この人事は梨田監督の要請によるもの。入れ替えで二軍担当に就く予定だった吉井(理人)コーチを、再び一軍に呼び戻すことになるでしょうね」(チーム関係者の1人/1月18日時点) 一軍コーチへの昇格は、梨田監督の一存で決められた。 「吉井コーチとの折り合いが好くないみたいで…。小林コーチは梨田監督、吉井コーチの両方と巧くやっていたから、小林コーチが一軍に昇格し、梨田監督と二軍(吉井コーチ)のパイプ役になるのは、人事異動として決して悪い話ではなかった」(同) 梨田監督と故人との信頼関係は、近鉄時代からである。 こんな逸話も残っている。巨人から近鉄に移籍した石毛博史が制球難で喘いでいたときのことだ。近鉄投手陣を任されていた故人は、「10球連続でストライクが入るまで、投球練習を終わらせない!」と眼を釣り上げた。石毛はそれに従ったが、8球、9球とストライクが続いた後の「ラスト1球」が決められなかった。何度も何度も「ゼロカウント」に戻り、200球を越えたころだった。石毛が「許してくれ」という目線を向けた。 「そういう甘えた気持ちがあるから、勝てないんだ!」 普段の語り口はソフトで、理論派のイメージも強いが、本当は“武闘派”だったのである。 「近鉄コーチ時代の故人を知る野球人は、『怒ると怖い』と言っています。吉井コーチが兄貴的な指導者なら、小林コーチは選手に厳しいことも言い、憎まれ役も辞さないタイプでした」(在阪球団職員) 梨田監督にとって、頼もしい腹心であったことは間違いないが、小林、吉井両コーチの一、二軍の配置換えに全スタッフが賛同したわけではなかったという。 「日本ハムの監督に招聘されたとき、同じく近鉄時代のパートナーだった真弓明信・現阪神監督にも『一緒に日本ハムに行かないか?』と声を掛けています。真弓監督が断り、袂を分けたんです」(在阪球団職員) 梨田監督にとって、日本ハムとの『縁』はなく、『外様指揮官』だ。外部招聘されたプロ野球指揮官は多かれ少なかれ、旧在籍チームのパートナーにも声を掛ける。王貞治ソフトバンク会長がダイエーホークスに招かれた際は、巨人関係者を1人も連れて行かなかった。どちらが正しいかではなく、吉井コーチも二軍担当の準備を始めていた。一、二軍の選手振り分けなど、故・小林コーチと詰めていた話もあるだけに、梨田監督は吉井コーチと再審議しなければならない課題も出てきた。吉井コーチも新しい二軍コーチと引き継ぎを行わなければならないだろう。 「自分の一派でコーチスタッフを固めてしまうのは、組織として宜しくない。そういう懸念もないわけではありませんでした」(前出・チーム関係者) いすぶれにせよ、キャンプイン直前のこの時期に、『腹心』を失うことは、ダメージが大き過ぎる…。同関係者はさらにこう続ける。 「昨季の日本シリーズ登板後に骨折が判明したダルビッシュに、春先は無理をさせたくありません。若手投手が頭角を現さないことには首位戦線を戦えません。今季の一軍投手コーチの責任は大きいですよ」 梨田監督にとって、辛いシーズンが始まりそうだ。
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スポーツ 2010年01月19日 13時30分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元柔道選手・山口香さん
人気漫画『YAWARA!』(浦沢直樹原作)のモデルと言われた山口香は1964年12月28日、東京・豊島区で生まれた。当時では珍しく、幼少の頃から、柔道を極め、黎明期の女子柔道界において、早くから注目される存在となった。別名『女三四郎』はあまりにも有名だ。 中学時代の78年、13歳で『全日本体重別選手権』のタイトルを奪取し87年まで10連覇。84年には『第3回世界選手権』金メダルと、19歳にして世界の頂点に立つなど、視界良好であった。 「しかも山口は『全日本〜』で分かる通りクラス(体重別)が殆ど変らなかった(1〜2回は50キロ級で3〜10回は52キロ級)。思春期で体質が変わりやすい時期も徹底的に自分を追い込みウェートコントロールしたのです。まさに“柔道命”であった訳です」と、当時を知るスポーツデスク者は語る。 とはいえ、高校時代…「お年頃」の山口には、実は周囲に言えない悩みを抱えていたという。 「日本の柔道女王と言っても、その“肩書”は同年代の男子は無関心で興味が無い。しかも当時、山口は美人で結構、モテたのです。勿論、彼女には意中のオトコがいました。“いっそ、柔道を止めて普通の女の子に戻り、キャンパスライフをエンジョイした方が私の為になるのでは…”と、本気で考えていたようです。何と人知れず柔道を続けるか、止めるかの岐路に立っていた時期があったのです」(週刊誌記者) 意外にもストイックではなくミーハーな一面があった山口だが、このフランクさが、彼女を世界のトップにさせた要因では無いだろうか。「決して気負わず、決して焦らず」−−彼女のスタイルは今、行き詰っている日本スポーツ界において、もっとも必要な心構えだろう。 それはさておき、10代後半から20代前半はまさに、山口のピーク時。前述の『全日本〜』10連覇をはじめ、『世界選手権』は80年の第1回(第4回大会まで変則開催)から87年の5回大会まで銀メダル4回(前述したが83年第3回大会は金メダル)と驚異的な成績を残す。 そして、全国民の期待を一身に背負って出場した『ソウル五輪』(88年)…国民の多くは彼女の実績から「金」を期待したのだが、結果は「銅」。23歳といっても、10代から女子柔道をけん引してきた山口にとって、この頃は、競技人生の晩年。当時、柔道関係者が「2年前に五輪があれば、間違いなく金メダルを獲っていた」と嘆いていたのが印象深かった。 翌89年、筑波大学大学院体育学修士課程修了が決定すると現役引退を表明。その後は、柔道界のみならず、タレント活動まで進出、マルチな活躍を遂げている。 その最たる例が山口自らモデルとなった漫画『YAWARA!』の劇場版作品への出演だ。89年公開の同作品で山口本人が登場したのだ。 「山口は現役時代の87年にも『アメリカ横断ウルトラクイズ』でウイニングアンサーを務めた過去があります。こう考えると、今の田村亮子が歩んでいる道を山口が開拓したと言っても過言ではないでしょう」(事情通) 98年、武蔵大学人文学部助教授になった山口は07年、同大学の教授に昇格。08年には母校・筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授に就任。全日本柔道連盟女子強化委員も兼務し、現在に至っている。
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ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
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大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
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珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
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生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
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猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
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スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
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スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
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スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
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スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
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岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
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野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
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豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
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宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
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元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分