生まれは大阪・港区だが、育った場所は鹿児島・奄美大島。島人らしく豪放磊落な性格の持ち主だが結果として、それがアダとなってしまった。
1987年、ドラフト外で鹿屋中央高から阪神タイガースに入団した亀山。当初、内野手(主に三塁手)であったが、入団2年目、89年に外野へコンバート。それが、小柄で俊足の亀山にハマり同年6月11日、対大洋戦で1軍デビューを果たす。また、その年はファーム・ウエスタンリーグの首位打者にもなった。
その後、ライトの定位置を奪取し、キャリアハイの92年シーズンは打率287打点28盗塁15を残し、ゴールデングラブ賞を獲得。オールスターゲームにも出場した。
「その年の亀山にファンは酔いしれました。何でも無いゴロを打ったのに一塁へもうダッシュでヘッドスライディングを試みる。アウトになってもスタンドは大喜び。アウト、セーフなんてどうでもいいのです。亀山の魅せるプレーはまさしく“これぞプロ”だったのです」と、スポーツ紙阪神担当記者は懐かしむ。
彼は果敢なスライディングで『平成のスライディング王』という異名を取ったが、この頃から『問題児・亀山』と側面も露呈し始めた。前述の豪放磊落な性格がマイナス作用したのだ。
前出・トラ番記者が続ける。
「レギュラーを掴んだ事から気が緩んだのです。亀山は以前から寝坊癖があったのですが、この頃から、それがさらに悪化。一説には“目覚まし時計が10個一斉になっても起きなかった”と言われているのです。寝坊の原因は学生時代にした喧嘩の代償で鼻が曲がってしまい、睡眠時に無呼吸状態に陥り、熟睡できないからだとか」
さらに巷間伝えられているのが「肥満傾向」による睡眠時呼吸不全。いずれにしても「豪快な遅刻」が球団の顰蹙を買った事は間違いのない事実であった。原因はどうであれ、亀山の体内にあった「島時計」(主に時間にルーズな沖縄在住人に対して使う皮肉だが)が覚醒したのだ。
結局、亀山は最後まで「遅刻」と縁を切れず97年オフ、球団から解雇通告を受けてしまった。通算9年、実働8年という儚いプロ野球生活であった。しかも、ピーク時の92年頃から、細身の亀山が一転、肥満の傾向に陥り晩年は小柄でスリム、俊足のイメージからかけ離れてしまったのだ。
「亀山の解雇通告を受けて、当時、近鉄の監督であった佐々木恭介が亀山獲得に動いたのです。秋季キャンプでテストまでしたのですから。しかし近鉄球団は寝坊癖、肥満の情報を掴んでおり、監督の懇願を却下したのです。その後、亀山は韓国、台湾でプレー続行を画策したのですが、肥満が深刻化して、思うように身体が動かない。断腸の思いで現役引退を決意したのです」(前出・トラ番記者)
引退後はご存じの通りタレントをメーンに活動。運動しなくなったせいか、今では現役時代の面影は乏しく「デブ」ばかり際立つようになってしまった。ちなみに現役時代の公式発表は身長176センチ、体重77キロ。現在は推定だが身長176センチ、体重110キロ。当時より33キロ増はさすがに太り過ぎだろう。
尚、双子の弟・忍も「肥満」が売りのタレントである。兄弟揃って「デブキャラ」…二人とも調理師の免許を所持しているという「特技」はあるが、何より心配なのはウェート。健康であり続けることが亀山つとむと忍の最重要テーマだ。