スポーツ
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スポーツ 2016年06月11日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND5 〈究極の兄弟弟子対決〉 流血ファイトの末に涙の抱擁
“原爆頭突き”の大木金太郎。やはりヘッドバットを得意とするボボ・ブラジルですら思わず顔をしかめたという必殺技を、アントニオ猪木は自ら頭を突き出すようにして受けてみせた。 新弟子時代からの互いの思いがリング上で交錯した。 力道山=日本プロレスの正統後継者というときに、まず名前が挙がるのはジャイアント馬場であろう。 力道山亡き後の日プロでエースの座を担い、また独立して全日本プロレスを旗揚げした後も、日プロゆかりのインター王座やアジアタッグなどのベルトを発展継承していった。 だが、力道山への思慕の強さ、精神面において最もその背中を追い続けたのは、大木金太郎ではなかったか。 力道山に憧れて韓国から密入国しての日プロ入門。 「朝鮮人はパッチギ(頭突き)が強い」と、当時、広くいわれていたイメージからこれを鍛えるよう力道山に命じられると、昼夜を問わず一心不乱にサンドバッグめがけて前頭部を打ち込んだ。 力道山の死後は、帰国して『大韓プロレス』を旗揚げ。韓国では本名のキム・イルとして闘った大木の人気は、師の力道山に迫るものがあったという。 試合のテレビ中継が始まると、街中に設置された白黒テレビの前に大勢の人が押し寄せたものだった。 ちなみに、この頃の敵役は欧米人のほかに日本人を名乗る選手もいたようで、その詳細はよく分かっていないが、多くは日本人を名乗る日系選手か、レスラーとは名ばかりの素人であったと思われる。 まっとうな日本人プロレスラーとしては、1965年にソウルで行われた『5カ国親善プロレス』に、大熊元司が参戦した記録が残っている。 なお、このときの大熊は、相撲から転向してデビュー3年目だった。それでいて日本代表とされた上に、大木と並ぶ韓国のスター選手・張永哲を過度な攻め(逆エビ固め)で潰したとして、セコンドが大挙乱入。あわれ大熊は報復の集団リンチを受けるハメになった。 ともかく、韓国でスターの座を獲得しつつあった大木であったが、'66年には日プロに復帰することになる。 アントニオ猪木が東京プロレスに参加したため、その穴埋めとして日プロからの要請を受けてのことだった。 大木が韓国でのエースの座を捨ててまで、日本で馬場の二番手になることを選んだ動機は、やはり「力道山先生の創った日プロを潰すわけにはいかない」という点が大きかった。 その後、日プロに猪木が復帰して、中堅に甘んじた大木に対し、国際プロレスからトップ待遇でのスカウトがかかった際も、結局は残留を選んでいる。 日プロ崩壊寸前の最末期に、NET(現在のテレビ朝日)が坂口征二を介して新日本プロレスとの合併を持ち掛けた際も、大木は坂口を「裏切者」呼ばわりして追放し、日プロ単独での生き残りを図った。 これらは、すべて師・力道山のためであった。 大木のそんな思いも空しく日プロが崩壊すると、当初は馬場の全日へ身を寄せたが、待遇への不満から早々に離脱する。大木の保持していた、力道山から続くインターヘビー、アジアヘビーの防衛戦が組まれなかったことが、大きな原因の一つだった。 しかも韓国においては、先に大熊に潰された張が「プロレスはショーである」と暴露したことの影響で、人気が急降下。興行の規模は縮小し、テレビ中継も打ち切り状態となって、大木は日本に活路を求めるしかなかった。 そこに声を掛けたのが、猪木の新日本プロレスである。日プロを飛び出したという点では猪木もまた裏切者だが、大木の猪木への思いは、馬場や坂口に対するものとはやや異なる。 新弟子時代の2人は、入団当初からスターを約束された馬場と違って、師匠の力道山からイジメにも近いしごきを受けていた。また大木は猪木が当初、日系ブラジル人とされていたプロフィールを信じ込み、“在日仲間”として親しみを感じていたともいう。 「猪木にしても、大木が晩年に体調を崩して長期入院していた頃、最初にテレビ番組の企画で訪れた後も、何度か韓国まで見舞いに訪れていて、100万円の見舞金まで渡していたそうです。猪木の人情味あるエピソードは珍しく、やはりどこか大木への特別な思いがあったのでしょう」(プロレス記者) そんな2人の対戦は、勝った猪木はもちろん、敗れた大木にとっても生涯屈指のベストバウトとなった。 '74年10月10日、蔵前国技館。 序盤のヘッドバットをめぐる攻防から、徐々にペースをつかんだ大木が頭突きを連発。これを受けきった猪木がバックドロップで大木を下すと、両者はリング上で固く抱き合い、人目もはばからずむせび泣いた。このときの両者の心情はいかばかりであったか。 なお、大木はこのときの新日参戦で、因縁深き坂口とは感情むき出しのセメントマッチを繰り広げている。それだけにいっそう猪木との好勝負は、裏に秘められた互いの情感を想起させるのだ。
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スポーツ 2016年06月10日 16時00分
“オバサンなでしこ”をナデ切った 高倉新監督への不協和音
「なでしこジャパン」の新監督は女性初のフル代表監督となった。米国遠征に向かう選抜選手20人が発表されたのは5月20日。U-18、20など、これまで若い世代を指導してきた高倉麻子新監督(48)の経歴からして“若手中心”の人選になることは分かっていた。 しかし、まだ衰えるには早い20代後半の選手までバッサリ切り捨てた“大胆選出”は、新たな火ダネとなってしまったようだ。 「高倉氏がなでしこの監督に選出された後、これまで彼女が指揮してきたU-20の後任人事は発表されませんでした。協会に確認したところ、『しばらくは高倉監督に兼任させる』と。高倉監督はフル代表とU-20の戦術の一本化を目指していくのでは」(専門誌記者) 今回なでしこに選出された選手の最高年齢は28歳。大野忍(32)、川澄穂美(30)、鮫島彩(28)といった主力メンバーが外れ、佐々木繭(23)、高木ひかり(22)、千葉園子(22)、中里優(21)など、高倉監督の指揮下でラ・マンガ国際大会を戦ったU-23の中核選手がフル代表に滑り込んだ人選となった。 「主将を務めた宮間あやは故障のため招集を辞退しました。宮間には故障という大義名分がありますが、大野、川澄らはショックでしょうね。彼女たちはなでしこの主力としての自負も強いので」(同) 彼女たちは代表監督が誰になっても、「チーム再建は自分たちが担っていく」とも考えていた。高倉監督がそれでも招集しなかった理由は、「オバサンだから」のひと言に尽きる。 「経験豊富な大野たちは、たとえばセットプレー一つで勝つこともできる老獪さを持っています。高倉監督が求めているのは計算されたプレーだけではなく、U-23以下で培った技術をそのまま日本代表に持ち込める環境作りのようです」(関係者) なでしこの世代交代が遅れたのは、老獪なプレーに若手が付いていけなかったから。そのあたりの風通しをよくしようという発想が、選出された代表メンバーに反映されている。
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スポーツ 2016年06月09日 16時00分
友成那智 メジャーリーグ侍「007」 ダルビッシュ有に関する7つのQ&A
先月29日(日本時間)、ダルビッシュ有がようやく復帰した。5月1日から22日までの間に2Aと3Aで計5度も先発してからようやくメジャーに呼ばれたのは、レンジャーズの先発投手陣がいつになく好調だったからだ。6人ローテーションでまわす可能性もあったが、結局先発5番手のラモスをロングリリーフにまわして、通常の5人ローテでいくことになった。 そのダルビッシュに関しては、いくつか懸念されていることがある。■トミージョン手術のダメージはどれくらいあるか? マイナーでのピッチングを見る限りでは、手術のダメージは予想よりずっと少ない。逆に速球のスピードが平均2キロくらいアップしている。 ダルビッシュ以外の日本人投手でトミージョン手術を受けたのは大塚晶文、田澤純一、松坂大輔、和田毅、藤川球児の5人だが、復帰後に球速がアップしたのは田澤だけだ。 田澤は20代前半で同手術を受けたので、復帰後スピードがアップする可能性は多分にあった。しかし、ダルビッシュは手術時にすでに28歳になっていたので、球速がアップするよりダウンする確率の方がはるかに高かった。球速がアップしたことは大きな幸運に恵まれたとしか言いようがない。■球数制限は100球? オールスター休みに入る7月中旬までは90球を目安にし、極力100球を超さないような使い方をされるだろう。それ以降は100球の枠が外れ、好調時は115球くらいまで投げることもあるだろう。レンジャーズはリリーフ陣が弱体で、先発陣になるべく長いイニングを投げて欲しいからだ。 楽しみなのはオールスター休み以降のピッチングだ。トミージョン手術から復帰後、球速が上がった投手でも、ダルビッシュのように初めから2キロもアップするケースはそう多くない。田澤純一は復帰後、球速が5キロくらいアップしたが、復帰当初は以前と同じレベルのスピードで、シーズン終盤に近付いてから少しずつ球速がアップした。それを考えると、ダルビッシュの速球はポストシーズンが始まる頃、今以上に球威が増している可能性がある。■投球スタイルが変わる可能性は? メジャーでのダルビッシュの評価は「スライダー王」だ。曲がりの大きいものと小さいものを使い分け、三振の山を築くというイメージがあるからだ。マイナーでの登板では、速球で押していくケースが多く、スライダーの比率を減らしていた。しかし、これはテスト登板の意味合いが強いからで、ハイレベルなメジャーの打者を封じるには、要所要所でスライダーを使う必要がある。スライダーで空振りを誘うには、見せ球で使う速球に威力がないとダメだ。球速が平均2キロアップしたことは大きな意味を持つ。■エースとして扱われるか? レンジャーズはダルビッシュが長期欠場している間にコール・ハメルズを獲得してエースに据えた。ハメルズは通算126勝の実績があるフィリーズの元エースで、今季も5勝0敗、防御率2.83というハイレベルな数字をマークしている(5月26日現在)。よって当分エースはハメルズで、今季、ダルビッシュが21回か22回の先発で12勝以上と2点台の防御率を出せば、右のエース・ダルビッシュ、左のエース・ハメルズという言い方になるだろう。■中4日で投げることに? レンジャーズはダルビッシュの復帰に合わせて6人ローテーションにすることができたが、それをやらなかった。そのため基本的に中4日で使われることになる。ただダルビッシュは夏場にバテてくる可能性が高いので、1度か2度、登板を飛ばす措置が取られるだろう。レンジャーズは先発3番手で36歳のコルビー・ルイス(元広島のルイス)が終盤へばることが予想されるので8月以降、6人ローテに移行する可能性がある。■ずっとレンジャーズで投げるのか? レンジャーズとの契約は2017年までだ。メジャーでは長期契約が切れる前年の7月末にトレードされるケースがあるが、ダルビッシュに関してはそうなる可能性はほとんどない。レンジャーズが終盤まで優勝争いをするのは確実だからだ。 レンジャーズと'18年以降も長期契約を交わすか否かは予測が難しい。ダル自身はチームへの愛着があるように見えるが、テキサス州ダラスは日本人選手が暮らしたがるところではない。来年の早い時期に下交渉が始まるだろうが、ダルが残留の意思を見せなければ、シーズン終了を待たず、来年7月末のトレード期限前に放出される可能性が高くなる。■最大の課題は何か? ダルビッシュは同地区のアスレチックスとマリナーズを苦手にしている。今季はマリナーズとレンジャーズが最後まで優勝を争う可能性が高くなっているので、マリナーズ戦では結果を出さないといけない。ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2016」(廣済堂出版)が発売中。
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スポーツ 2016年06月09日 11時00分
他球団が熱視線 ライバルチームが欲しがる意外なトラ選手
「使わないのなら、くれ!」−−。超変革で今年の阪神は多くの若手が頭角を表した。そんな金本タイガースの“意外な選手”にトレードの申し込みが殺到していたという。 「岡崎(太一)に対する他球団の評価は高い。まあ、以前からそうでしたが…」(球界関係者) 捕手・岡崎は今シーズン、33歳になる。2004年ドラフト会議の自由枠でプロ入りしたが、12年目の今年、初の開幕マスクを勝ち取った。 「昨年の秋季キャンプの時点で、矢野コーチも評価していました」(前出・同) 矢野燿大作戦兼バッテリーコーチ(47)に託したのは、近年のチーム課題だった『正捕手不在』を解消すること。矢野コーチは「横一線の競争」を掲げたが、関西メディアは16年シーズンに3年目を迎える梅野隆太郎とドラフト2位指名の坂本誠志郎の一騎討ちになると見ていた。しかし、今春のキャンプまでの守備練習を見た限り、岡崎の肩の強さ、スローイングの正確さでは若い2人を上回ってきた。 「矢野コーチが岡崎を選んだ理由は、ここまで積み重ねてきた『実績』ですよ」(前出・同) 実績とは、出場試合数のことではない。33歳を迎えるベテランは二軍にいても、常にチームのことを考えて行動していたという。コーチに指示されなくてもブルペンに行って、各投手の投げ込み練習の相手をし、フリー打撃で外野に散らばったボールの回収まで手伝っていたという。裏方のスタッフに任せてもいい仕事である。二軍戦で出場機会がなければ、ブルペンに行く。あるいは室内練習場で黙々とバットを振っていた。チームの役に立つには…。こうした姿勢を矢野コーチは実績として評価したのである。 「岡崎はここ数年、オフになる度に『解雇』の恐怖と戦っていました。去年だって危なかったんです」(関西メディア) チーム関係者によれば、金本知憲監督(48)はドラフト会議、球団上層部に『選手リスト』を手渡されたという。阪神に限った話ではないが、新任指揮官は「いらない選手名」を聞かれるそうだ。金本監督は「秋季キャンプを見ただけでは分からない」との理由で、その“権限”を放棄した。これによって生き残ることのできた選手がいたとしたら、意を決したはずだ。 育成4年目の原口文仁も結果を出した。阪神スカウト陣には「キャッチャーコレクター」という、有り難くないニックネームもある。たしかに、毎年のように高校、大学、社会人の有望捕手を指名してきただけに、「正捕手不在」に陥るのはおかしい。正捕手争いはもう暫く続きそうだが、他球団が陰で努力してきたベテランを評価していると聞くと、トラの再建は決して遠くないだろう。
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スポーツ 2016年06月08日 16時00分
日本ハム新球場は北海道大構内 早まる大谷翔平メジャー移籍
日本ハムが北海道大学構内に屋根付きの開閉式新球場建設を計画していることが分かり、それに合わせて大谷翔平投手(21)の周辺が慌ただしくなった。完成は7年後の2024年。この間にメジャーに挑戦してもらい、完成に合わせて日本復帰してもらうというシナリオだ。 昨年、投手として15勝。今季は打者として4番打者の中田翔と並ぶ8本塁打(5月30日時点)。打者としてもブレイクしている“二刀流・大谷”の使い方に頭を悩ませているのが、他ならぬ日本ハム球団。 「球団は大谷を二刀流で売り出してはみたものの、ここまでの使い手になるとは想像していなかった。本音で言えば打者のほうは客寄せ狙いで、本業はあくまで最速163キロの投手。しかし、今季は4番中田の状態が上がってこないだけに大谷を使わざるを得なかったが、起用してみたらこの大活躍。ところが、今度は投げるほうがさっぱり。理由は打者としての出場が続き、疲労が蓄積していることに尽きる。練習量が減り、筋力が低下。このままでは“共倒れ”になりかねない」(日本ハムOBの野球解説者) 入団時、ポスティングシステムでのメジャー移籍を容認するという密約があったとされ、その時期をめぐって現在も話し合いが続いているという。今季4年目の大谷が海外FA資格を得るのは5年後。あと4年は日本ハムにとどまらせ、海外FA資格を得る前に入札金20億円をせしめようというもの。 その動きの中で起こったのが、今回の新球場建設計画だ。では、なぜ日本ハムは札幌ドームから新球場に移転しようとするのか。 札幌ドームは札幌市が所有しており、管理・運営は第三セクターの「札幌ドーム」が行っている。日本ハムは公式戦などの興行を行う際に、1日につき800万円の基本料金を支払う必要がある上、入場者が2万人を超えると、1人につき400円が加算される。年間の出費は約13億円で、これが年間27億円にのぼる球団の赤字の半分を占めており、かねてより球団と球場の経営を一体化し、収益力を高める狙いがあった日本ハムとしては、今年1月に秋元克広札幌市長に札幌ドームからの撤退を申し出たという。 「これに慌てたのは札幌市です。これまで札幌ドームは全国でも珍しく運営自体は黒字でした。しかも、日本ハムは出ていくばかりか、市内外の15〜20カ所を候補地に自前球場建設を検討しているという。仮に札幌市を去られた時の経済的な損失は計り知れず、残されたJリーグ・コンサドーレ札幌に負担のしわ寄せが及び、こちらにも逃げられかねない。そこで、札幌駅に近い北海道大学構内への建設を落とし所に、日本ハムの札幌市内への引き留めに躍起なのです」(道庁担当の地元記者) 実は、突然降ってわいたかに思える新球場問題は、大谷のメジャー移籍と大きく関わっている。先にも書いたが、海外FA資格取得には9年が必要。高卒で1年目から活躍している大谷は、順調にいけば5年後の'21年オフ、27歳で資格を取得する。新球場の完成はその3年後の'24年。そこで球団内の意見が真っ二つに割れているという。 一つは、新球場のお披露目時に大谷に日本ハムにいてもらい、30歳でメジャーに行ってもらおうという意見。もう一つが、すぐにでもメジャーに送り出し、新球場の落成に合わせて戻ってもらおうという意見だ。前者は球団にとっては都合はいいが、入札金の20億円は捨てることになる。一方、後者は肩やヒジなど、故障リスクがつきまとう。 「結論から言えば、早期のメジャー挑戦に絞ったようです。このまま日本で二刀流を続け、宙ぶらりんになるのは本人にとってもよくない。メジャーに行けば、投手一本の契約。そこでバンバン活躍するもよし、和田毅(現ソフトバンク)のように力を残して帰国するもよし。万一、肩を壊すようなことになっても、日本ハムの看板打者として再スタートすればいいと…。どっちみち新球場が出来るのは、選手として脂の乗った30歳。まだまだ絶頂期でファンを十分集められる」(日本ハム本社関係者) 早期挑戦には、もう一つの大きな要因がある。'13年に日米で合意した現行のポスティングシステムは、来年度から毎年見直しが行われることになっており、いつ廃止になってもおかしくない状況。しかも、今秋の米大統領選で共和党のドナルド・トランプ氏が選ばれれば、この日米不均衡協約の撤廃は確実なのだ。 ダルビッシュ有、田中将大投手はともにプロ7年目のオフ、25歳でポスティングシステムを行使しメジャー移籍しており、大谷も同じ足跡を辿るものと予想されてきた。しかし、トランプ旋風で大幅な前倒しを迫られている。新球場の完成に合わせて戻ってもらうためにも、渡米する可能性があるのは今オフしかない? 新球場の完成時、北海道に縁の深い田中将大投手は35歳。OBのダルビッシュ有投手は37歳。彼らの獲得も視野に入れた、天然芝で開閉式屋根付き新球場建設計画には、日本ハムの膨大な戦略が秘められている。
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スポーツ 2016年06月07日 16時00分
金本阪神に忍び寄る次期監督候補・岡田彰布氏の現場関与
巨人に連勝して2位浮上(5月28日)。その巨人3連戦の初戦、急成長した岩貞祐太が最多勝、奪三振のタイトルを争う菅野智之に投げ勝ったのは大きい。 「今季は頭角を現した若手が大勢います。特に岩貞はエース級の活躍を見せていますが、キャンプで臨時コーチを務めた下柳剛氏など、各方面からアドバイスを受けていました。ウケ狙いなのか、若手成長の恩人を自称するOB、関係者もいます(笑)」(在阪記者) “厄介なご仁”もいる。それが影響力を持つ大物OBともなれば、今後の金本采配にも響いてきそうだ。 「やっぱり、岡田(彰布=58)さんの眼力は凄い」 そんな声が多く聞かれた。 岡田氏は関西系メディアに定期的にコメントを寄せている。和田監督時代は古巣を愛するあまり、采配批判や投手交代のタイミングを酷評していたが、金本知憲監督(48)になってからは“提言”も多くなってきた。予言が現実になったものもある。シーズン開幕前、「中日はブキミよ」と訴えていた。ハッキリ言って、開幕前の中日はノーマークに近かった。しかし、岡田氏は昨年オフにベテランが揃って引退したことを指し、「全く違うチームに生まれ変わった。もっとも警戒すべき」とし、実際、アニキは開幕戦を落としている。 「新加入のビシエドにやられました。一時期、阪神戦で5割以上の打撃を誇り、トラ偵察隊は緊急で対策を練ったほど」(関係者) そのとき、チーム関係者の脳裏に『岡田氏の竜警戒令』がよぎったという。また、4季ぶりに帰還した藤川球児が手薄だった先発陣の救世主となった序盤戦、 「球児の先発転向は来季でエエんと違う?」 と発言。チームは好スタートを切っていただけに、「なに言ってんだ、このおっさん!?」という雰囲気だったが、目下の藤川は見事(?)リリーフに戻っている。 「金本監督は自身を阪神に招いてくれた星野(仙一)氏よりも岡田氏に強い影響を受けています。『岡田氏はブレない』と、監督だった当時の采配にも一目を置いている。その岡田氏は球団、OB会にも強い影響力を持っています」(同) 岡田氏は真弓、和田の両監督が退陣するとき、『次期監督』の有力候補に挙がっていた。歯に衣着せぬ発言もあり、距離を置きたがるスタッフもいないわけではないが、チームが低迷し、窮地に陥ると、「最後の優勝経験監督」として、必ずカムバックコールも沸き起こる。鳥谷敬を1年目から使い、鉄壁の救援陣・JFKを作った実績は、岡田嫌いの関係者も認めている。 「故・中村勝広GMの後継がシニアディレクターの肩書を与えられた和田豊前監督です。和田氏はスカウト方面をサポートしていますが、チーム指揮の助言役はいません。OB会長の川藤幸三氏は高齢。金本監督が岡田氏とチーム構想で話し合ったとしても決しておかしなことではない」(同) 岡田氏は生え抜き。カープ魂も持つアニキが“人間関係”で岡田氏にアプローチせざるを得ないようだ。
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スポーツ 2016年06月07日 12時55分
世界王者・武尊、IT会社に入社!? 初代王者・卜部功也にお姫様抱っこされるレア写真公開
K-1の会場を満員にする王者として今注目をあびている、現K-1・55kg世界王者・武尊選手が7日、オフィシャルブログを更新し、初代K-1・60kg王者の卜部功也選手にお姫様抱っこをされている写真を公開し、「このツートップのお姫様抱っこはヤバい!」「日本一強い会社ですね!笑」と反響を呼んでいる。 「サイバーエージェントさんに入社!?」と題したブログには、現役のK-1選手たちが普段では見られないスーツ姿で「入社というのは嘘で、昨日はAbemaTVの勉強会に参加してきました!」とコメント。 世界王者・武尊選手も「久しぶり学校で授業を受けた感じですごく楽しかったです!」と感想をつづり、勉強会後には、会社前で撮影した初代K-1・60kg王者の卜部功也選手にお姫様抱っこをされているレアな写真も公開。 ファンからも「ほんとかっこいいいい! 皆さんスーツがお似合いですね」、「チャンピオン勢揃い!! かっこ良すぎる!! 日本一強い会社ですね!笑」、「このツートップのお姫様抱っこはヤバい!」と豪華なK-1選手たちのレア写真に興奮したコメントが寄せられている。
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スポーツ 2016年06月05日 12時00分
新日ジュニアに新時代の到来! リコシェとオスプレイが奏でた16分47秒の神試合!
5月27日に後楽園ホールで行われた「BEST OF THE SUPER Jr.XXIII」公式戦。メインイベントには、リコシェとウィル・オスプレイによる外国人対決がラインナップされた。世界を代表するハイフライヤー同士の対決に戦前から注目が集まっていたが、ゴングが鳴ると両選手はいきなり立体殺法を繰り出し、お互いにヘッドシザースドロップで着地しただけで後楽園ホールは大爆発。スワンダイブ式フライングボディアタックセカンドロープからのトルニージョ(きりもみ回転式のプランチャ・スイシーダ)ハンドスプリング式スピンキックスワンダイブ式フライングフォーアームトルニージョ式サスケスペシャル変型カナディアンハンマーリバースフランケンシュタイナーその場飛びスパニッシュフライ 次々に飛び出す難易度が高い技の数々に対してファンは「This is awesome!!」(これは凄い)チャントを送るなど、盛り上がりが尋常ではなかった。気がつけば、リコシェのパートナーであるマット・サイダルも客席の後ろから目を輝かせながら2人の攻防に一喜一憂している。他にヘビー級の選手も含め、多くのレスラーたちがインタビュールーム前に設置されているモニターの前に椅子を並べてこの試合を見ていたそうだ。 試合はリコシェがオスカッターをキャッチして変型のジャンピングパワーボムで叩きつけてから一気に仕掛け、変型ノーザンライトボムからのブレーンバスター、その場飛びシューティングスタープレスを敢行。さらにトップロープからの630°スプラッシュを放つも自爆し、高角度の変型DDTを喰らってしまう。最後はコークスクリューキックからの必殺オスカッターでオスプレイが勝利を収めた。試合時間は16分47秒。 試合の途中からは勝敗のことなど吹っ飛んでいたファンが多かったのではないだろうか。試合後、リコシェが再戦をアピールし、オスプレイが握手で応えると大きな拍手と歓声がリング上の2人を包み込んでいた。さらに印象的だったのは、選手が退場しても観客がなかなか帰ろうとしなかったこと。私がインタビュールームから戻った時には、リングの撤収作業が行われていたのだが、まだ残っているファンが多数見受けられた。何人か話しかけてみると「あまりにも凄いものを見てしまったので呆然としてしまいました」「もう少しこの余韻に浸りたい」「今年のベスト興行」といった賞賛の声を聞くことができた。リコシェとオスプレイによる16分47秒の闘いは、新日ジュニアに新時代の到来を感じさせるには十分な内容だったのだから、当然だろう。 ここ数年、KUSHIDAを中心に築き上げてきた新しい新日ジュニアのブランドは外国人選手にもしっかりと根づいている。かつての新日ジュニアも獣神サンダー・ライガーを中心に築き上げ、外国人選手が広げていくことでブランド化した。 この試合は新日本プロレスワールドを通じて世界に同時配信されたが、これを見た元新日本プロレスのエース外国人だったビッグバン・ベイダーや、元新日本の常連外国人で現在WWEのウィリアム・リーガルなどがTwitter上で賛否両論を唱えており、世界中のプロレスラーにインパクトを与えた試合になったようだ。反響が大きいことを受けて新日本は、スーパーJr.の決勝が行われる6月7日までの限定ながら、新日本プロレスワールドとYouTubeで同試合の完全ノーカット版を無料配信することを決定。YouTubeでは6月1日現在、6万回を超える再生を数えている。良いものはより多くの人に見てもらいたいという新日本の柔軟な姿勢は評価するべきだろう。実況が入っていないこともあり、当日の会場の熱い雰囲気がストレートに伝わってくるのもポイントが高い。 試合後、敗れたリコシェが「俺たちは何回も闘ったことがあるから、お互いの技をわかっているんだ」と言えば、勝ったオスプレイは「リコシェは新しい時代を切り開いたハイフライヤーだが、俺は乗り越えてみせる」とコメント。この2人がアリーナクラスや東京ドームで対戦したらどんな試合になるのだろうか。こんなワールドクラスのカードが新日本マットで見られる幸せを噛み締めた5・27後楽園大会だった。(増田晋侍)<新日Times VOL.20>
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スポーツ 2016年06月04日 15時23分
「レッドブルエアレース」強風で初日の中止が決定
4日、千葉県で開催中の「レッドブルエアレース」が高波と強風のため、初めて中止となった。 本日のレースでは、午前中から風が強めとなっていたが、昼から2.5メートル以上の高波も発生する状況となり、競技に使用するパイロンが強風によって安定性を保てなくなった。その結果安全に運行ができないとレース委員会が判断し、チャレンジクラスとマスタークラスの予選レース運営を停止することとなった。 レース・ディレクターのジム・ディマッテオ氏は「これは真剣に考えた結果です」「現在の海面の状況を見て、レーストラック運営、会場チーム全員の安全を確保することが最優先です」と述べた。 会見に出席した、マスタークラスで唯一のアジア人選手である室屋義秀氏は「飛べなかったのは残念ではありますが、勇気ある判断をしてくれて、パイロットたちも非常に感謝をしています」と心境を語った。 なお、5日は現在のところレースを通常通り開催する予定だ。予選のタイムアタックは中止とし、これまでのポイントランキングによるマッチアップで、ノックダウン式の決勝トーナメントが組まれる。(斎藤雅道)
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スポーツ 2016年06月04日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND4 〈日米王者の友情物語〉 “東洋の巨人”と“人間発電所”
ジャイアント馬場の好敵手であると同時に真の友人だったともいわれるのが、“人間発電所”の異名を取ったブルーノ・サンマルチノだ。 自身が王者のWWWF(現WWE)が新日本プロレスと提携してもなお、ライバル団体である馬場の全日本へ参戦を続けていた。 米国における英語のニックネーム“パワーハウス”も、やはり発電所を意味する単語ではあるが、これはサンマルチノの力自慢と“パワー”の部分を掛けたニュアンスからのもの。 日本のプロレスマスコミはこれを直訳して“人間発電所”としたが、まさに無尽蔵に力が生み出されるかのごときサンマルチノの肉体を象徴する、秀逸なニックネームといえるだろう。 身長182センチと当時のプロレスラーとしては決して長身ではないが、分厚い胸板から繰り出される明快なパワーファイトは説得力十分。 1963年、初代WWWF王者のバディ・ロジャースをわずか48秒で下して2代目王者になると、以後は通算10年以上の長きにわたって王座に君臨し、“MSGの帝王”とも称された。 試合開始からパワー全開、短時間のうちに相手を叩き潰すというファイトスタイルは、のちのハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーらにも受け継がれる伝統様式とまでなっている。 重爆ストンピングからベアハッグ、あるいはカナディアン・バックブリーカーで締め上げて勝ち名乗りをあげる。そんなパワー一辺倒の戦いぶりは、カール・ゴッチらレスリング巧者からは「ニューヨーク以外では通用しない」と軽んじられた。 しかし、こと日本においては、とりわけ馬場との試合でその色合いを異にしている。 '67年、ファン待望の初来日を果たしたサンマルチノは、馬場の持つインターナショナル選手権に2度挑戦。いずれも結果は引き分けであったが、蔵前国技館での2戦めは時間切れのドロー。 「腰痛のためバックブリーカーを使えなかったというが、それでもベアハッグとパンチ、ストンピングで試合を組み立て、フルタイムを戦ってみせた。もともとは重量挙げの選手でレスリング技術はなかったかもしれないが、それでも存在感は抜群。観客に魅せる技術はやはりトップクラスだった」(ベテラン記者) 日本での馬場とのシングル対決は計10戦。中でも名勝負といわれるのが、2度目の来日時、やはり馬場のインター王座に挑戦した'68年8月7日、大阪球場での試合だ。 雨天順延となりながら1万4000人の大観衆を集めて行われたこの一戦。 サンマルチノがバックブリーカー、馬場が32文ロケット砲とそれぞれの必殺技で1本ずつを取り合うと、3本めは場外乱闘から馬場がサンマルチノを鉄柱へぶつけて、カウントアウト直前にリングイン。勝利を収めた。 「リングアウトとはいえ、現役世界王者のサンマルチノに完全勝利を収めたことは、当時としてはとんでもない快挙。力道山ですらNWA在位中のルー・テーズには勝てなかった。これ以降、馬場自身はもちろん、インターベルトに対しても、メディアやファンからの評価はグンと上昇することになった」(同) プロレス界において、今とは比較にならないほど世界王者の価値が高かった時代。これを成し遂げたのは、もちろん馬場の政治力があってのことだが、加えて両者の信頼関係というのも重要なポイントだろう。 '74年にWWWFと新日本プロレスが提携した後、王者サンマルチノが単独で全日のリングに上がり続けたのも、それがあってのことといわれる。 「新日の敵対団体である全日に参戦するなどは、新日からすれば重大な契約違反。ただ新日としては、それを黙認してもWWWFの外国人ルートを必要としていたし、またサンマルチノも長年の功績からわがままを言えるだけの存在だった」(同) “東洋の巨人”として米マットを席巻した馬場の武者修行時代、キャリアが同等だったことからサンマルチノとの間に友情関係が芽生えた−−というのがプロレス界の定説。サンマルチノが馬場に、自前のキャデラックをプレゼントしたとのエピソードもよく知られたところだ。 馬場も自著で、数少ないレスラーの友人の一人としてその名を挙げている。 ただし、馬場は後年まで英語がつたなく、両者の会話は通訳を介して行われていたというから、いわゆる純粋な友情となるとどうだったか…。 「馬場は全日旗揚げ時、外国人選手を確保するために相当な金をアメリカマット界にばらまいたともいわれている。サンマルチノにしても、新日に出れば所属団体と新日の契約。でも、全日なら個人の契約だから、そのぶん実入りが多くなるというのはあったんじゃないか。もちろんその根底には、馬場への信頼があったことには違いないのだろうけどもね」(同)
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