スポーツ
-
スポーツ 2016年04月12日 16時00分
友成那智 メジャーリーグ侍「007」 トミージョン手術を受けたメジャーの日本人投手 手術前と手術後の球速比較
トミージョン(ヒジの側副靭帯再建)手術を受けて昨年全休したレンジャース・ダルビッシュ有は、当初5月下旬に復帰する見込みだったが2、3週間早まる可能性が出てきた。最大の要因は一番いい形でヒジの状態が回復しているからだ。 トミージョン手術の大きな特徴は、結果にバラツキが大きいことだ。約40%は以前の球速に戻り、約30%は球速が2、3キロ低下する。最悪のケースは手術の失敗で痛みがとれず再起できない場合で、10〜15%ほどの投手は選手生命を絶たれる。 その一方で、この手術では術後のリハビリなどで体幹が鍛えられ、15〜20%の投手は以前より球速がアップする。表(※本誌参照)にあるように日本人大リーガーはこれまでダルを除いて5人がトミージョン手術を経験しているが、球速がアップしたのはレッドソックスの田澤純一だけだ。和田毅は以前の球速に戻ったものの、松坂大輔と藤川球児は復帰後、球速だけでなく、制球力も低下して苦しい投球が続いた。最悪の結果になったのは大塚晶文で二度トミージョン手術を受けながらともに失敗し、再起できなかった。 このように日本人大リーガーのトミージョン手術の成績は芳しいものではないので、ダルの結果がどうなるか心配されていた。しかし、結論から言うと、ダルは田澤同様、手術のあと球威もアップしており、日本人投手には少ない成功例になる可能性が高い。 ダルがブルペンで本格的な投球練習を開始したのは手術から11カ月が経過した今年2月中旬のことだが、いきなり新任のブロケイル投手コーチと正捕手のチリノスを驚かせている。速球の威力が予想をはるかに超えていたのだ。 それ以降、中3日で数回15〜25球の投球練習を繰り返し、3月下旬からは登板間隔を中1日ないし2日にして投球数も増やしているが、手術した箇所に痛みが走るようなことは一度もない。トミージョン手術明けの投手は投球フォームが安定しないためリリースポイントがバラバラになり、制球に苦しむケースが多いが、ダルの場合はこれも見られない。ブロケイル投手コーチはブレが全く見られない投球メカニズムを「グレッグ・マダックス以外、これほど投球メカニズムの素晴らしい投手は見たことがない」と賞賛。さらにダルのスライダーにも「これほどハイレベルなスライダーは見たことがない」と最上級の賛辞を送っている。 これはダルの今シーズンを占う上で、大きな意味を持つ。なぜならダルは、米国では『ベスト・スライダー・ピッチャー』と見なされており、スライダーのコントロールが生命線の投手だからだ。 復帰の時期が早まりそうなのには、速球とスライダーの威力が凄いことに加え、先発の5番手に人材を欠くチーム事情もある。 「レ軍は先発4番手まではまずまずの陣容だが、5番手で使える投手がいない。オープン戦では若手のAJグリフィンとチチ・ゴンザレスを競わせていたけどどちらも不調。結局、防御率6・00のグリフィンを5番手にしてシーズンを迎えることになったけど、この投手はトミージョン手術がうまくいかなくてメジャーで2年間一度も投げていないんだ。オープン戦では一発病が深刻だったので、開幕後はハイペースで一発を食らうことが予想される。おそらく3、4試合先発しただけでマイナー落ちするだろう。レンジャーズの3Aには、これに代わる人材もいないので、ダルビッシュを待望する空気が広がる可能性が高い」(スポーツ専門局のアナリスト) メジャーでは実績ある投手が復帰する場合、自軍のマイナー選手相手の紅白戦に1、2度登板し、問題がなければマイナーで試運転登板を開始する。通常は1A、2A、3Aでそれぞれ1、2試合投げてからメジャー復帰となるが、球団の事情で早く復帰させる必要が生じた場合はマイナーで2試合投げさせただけで復帰となる場合もある。 レンジャーズは当初、4月中旬に紅白戦、4月下旬か5月上旬にかけてマイナーで4、5試合に先発してから5月下旬にメジャーに復帰させるというタイムスケジュールだったが、5番手が機能しなければ、ダルをマイナーで2試合に先発させただけで4月末か5月上旬にメジャーに引き上げることになるだろう。 ただ、復帰後いきなり大活躍を期待するのは無理がある。トミージョン手術明けの投手は厳格な球数制限を課せられる。始めのひと月は80球前後に制限されるので、5回まで投げて降板というケースが多くなるだろう。 ただ、シーズン後半(7月中旬のオールスター以降)は制限がなくなるので、大いに期待できる。 ダルが欠場していた昨年7月にレ軍は大物サウスポーのコール・ハメルズを獲得してエースに据えたので、ダルは復帰後先発の2番手か、3番手として投げることになるが、後半の踏ん張りで是非エースの座を取り戻して欲しいものである。ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2016」(廣済堂出版)が発売中。
-
スポーツ 2016年04月11日 12時00分
フィギュア・本田真凛ブレイクの陰でオバチャン化に焦る浅田真央
浅田真央(25)の“ロリコン化”計画が始まった。 3月、ハンガリーで行われた世界ジュニア選手権で日本フィギュア女子の新星が頭角を現した。14歳の本田真凜が、SP、フリー、総合スコアとすべて自己ベストを更新して世界チャンピオンになった。 「帰国した3月22日、羽田空港はプチパニック状態でした。早朝6時にもかかわらず、駆けつけた報道陣は約50人。フィギュアファンのオバチャンも大挙して押し寄せ、すごい盛り上がりようでした。彼女は“持っている”のかもしれませんね」(体協詰め記者) 関係者も「持っている」と期待するのは、今回の世界選手権で本田が追い風を受けたからだ。本田の世代はロシア勢が圧倒的な強さを誇り、表彰台独占のシーズンもあった。しかし、今回はそのロシア勢が相次いで棄権。この異常事態に他国選手にも動揺が走ったが、本田だけは平常心を見失わなかったという。 「本田たちの世代が'18年平昌冬季五輪の主役を務めることになるでしょう」(同) 世代交代については、こんな見方もされている。 「演技に関する評価基準は変わりませんが、本田をバックアップしているスタッフは“年齢相応の女性の姿を出せばいい”との戦略で五輪を目指しています。ロシア勢も同様です」(TV局スポーツ部員) 平昌大会は10代の選手が多い“ロリコン・フィギュア”になりそうだ。となれば、27歳で挑む浅田真央が“オバチャン”として浮いてしまう可能性がある。 「浅田は主要大会への参戦を見送りました。体力温存というか体力不足です。ただ、8月までは国内各地でアイスショーを行う予定で、そこでは大会とは異なるパフォーマンスに挑戦するとの話です」(同) 反響次第では平昌五輪を見据えた来季から、浅田の衣装はヒラヒラ系になるという。強敵以外に“若さ”とも戦う浅田の先には、厳しい戦いが待ち受けている。
-
スポーツ 2016年04月10日 12時00分
4年連続開催! 新日本プロレス4・10春のビッグマッチ「INVASION ATTACK」
【3年前、春の両国大会が復活】 新日本プロレスは10日(日)16時から両国国技館で春のビッグマッチ「INVASION ATTACK 2016」を開催する。「INVASION ATTACK」は“春の両国大会復活”と銘打って、2013年に第1回大会を開催。メインイベントでは、「NEW JAPAN CUP 2013」を制したオカダ・カズチカが当時IWGPヘビー級王者だった棚橋弘至に挑戦し、ベルトを奪還した。この大会では田口隆祐とのApollo 55でIWGPジュニアタッグ王座に挑戦したプリンス・デヴィットが、試合後に田口を襲撃。また、海外武者修行中だったキング・ファレが“用心棒”バッドラック・ファレとして乱入しデヴィットに加担。これがバレットクラブの始まりとなった。 翌14年は、そのデヴィットと田口による遺恨清算マッチが実現。試合の途中で、デヴィットがセコンドに付いていたヤングバックスをノータッチトペコンヒーローで蹴散らし、田口と真っ向勝負の末に敗れるも、最後に握手を交わして会場は感動の嵐に包まれた。デヴィットはこの日が新日本ラストマッチだったが、デヴィットと入れ替わるかのように当時のIWGPヘビー級王者、オカダを背後から襲撃し、スタイルズクラッシュでKOしたのがAJスタイルズ。バレットクラブのニューリーダー誕生の瞬間だった。 同年のメインでは「NEW JAPAN CUP 2014」を制した中邑真輔が、棚橋が持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。ベルトを奪われた1・4東京ドームから2連敗中で後がない中邑だったが、ベルトへの執着心が上回り奪還に成功した。試合後には、ダニエル&ホーレス・グレイシーが登場して対戦表明すると、“グレイシーハンター”桜庭和志が中邑のパートナーに名乗りを上げ、5・3福岡国際センターでタッグマッチ、5・25横浜アリーナ大会ではダニエルと中邑のタイトルマッチが実現している。 昨年はメインで「NEW JAPAN CUP 2015」を制した飯伏幸太が、AJスタイルズの持つIWGPヘビー級王座に挑戦。世界最高峰のハイフライヤー対決にファンは歓喜した。終盤、飯伏のパートナーだったケニー・オメガがAJに加担する素振りを見せるも、飯伏と目が合って戸惑う姿が見受けられた。試合後、AJの勝利に沸くバレットクラブの中でも、終始複雑な表情を崩さないケニーが印象的だった。そんなバレットクラブのバッドエンドをブチ壊したのが、この年の1・4ドームで棚橋に敗れてからスランプが続いていたオカダ。オカダはこの日、バッドラック・ファレに完勝し、完全復活をアピール。その勢いでセレモニー終了後に乱入し、AJをレインメーカーでKO。エンディングではオカダがAJを踏みつけながらベルトを肩にかけていた。まさに1年前のお返しをした形だった。【事件が多い4月の両国大会】 このように過去3年を振り返ってみると、乱入、裏切り、王者交代など「INVASION ATTACK」という大会は事件が多い。また、この大会から来年の1・4ドームに向かって走り出す抗争や軍団(ユニット)もあるので、ファンにとっては出来ることならば生で観ておきたい大会と言えるだろう。今年はチケットも前売り発売開始から好調で、春の両国大会が再び定着してきたのは間違いない。今年の全カードは次のとおりだ。「INVASION ATTACK 2016」4月10日(日)16時試合開始1・田口隆祐&ジュース・ロビンソン 対 バッドラック・ファレ&高橋裕二郎2・小島聡&永田裕志&獣神サンダー・ライガー 対 矢野通&桜庭和志&YOSHI-HASHI3・石井智宏&後藤洋央紀 対 EVIL&BUSHI4・IWGPジュニアタッグ選手権試合<王者組>リコシェ&マット・サイダル 対 ロッキー・ロメロ&バレッタ<挑戦者組>5・IWGPジュニアヘビー級選手権試合<王者>KUSHIDA 対 ウィル・オスプレイ<挑戦者>6・NEVER無差別級6人タッグ選手権試合(ヨシタツ復帰戦)<王者組>ケニー・オメガ&マット・ジャクソン&ニック・ジャクソン 対 棚橋弘至&マイケル・エルガン&ヨシタツ<挑戦者組>7・NEVER無差別級選手権試合<王者>柴田勝頼 対 天山広吉<挑戦者>8・IWGPタッグ選手権試合<王者組>真壁刀義&本間朋晃 対 タマ・トンガ&タンガ・ロア<挑戦者組>9・IWGPヘビー級選手権試合<王者>オカダ・カズチカ 対 内藤哲也<挑戦者> 前半戦の注目はIWGPジュニア王座に挑戦するウィル・オスプレイ。既にCHAOSの新メンバーであることが明らかにされている。185cmの長身ながらハイフライヤー。650°スプラッシュやリバース450°スプラッシュ、コークスクリュー・シューティング・スタープレスなど難易度が高い技を簡単に決めてしまう天才肌。5月から開幕する「BEST OF THE SUPER Jr.」、8月に開催される「スーパーJカップ」参戦に向けて猛アピールしてくるのは必至で、KUSHIDAにとっては厳しい試合になるだろう。 後半は、棚橋&エルガンが復帰するヨシタツをパートナーに仕切り直し的な挑戦となるNEVER無差別級6人タッグ選手権。ヨシタツの欠場前最後のパートナーが棚橋だったことから、このトリオに違和感はないが、ヨシタツが復帰後のビジョンをどのように描いているのかが気になるところ。IWGP獲りを諦めていないエルガンも棚橋の引き立て役になる気はないはずで、自らを“エリート”と言っている王者組がその隙を突いてくるのは確実なだけに、王者組の優位は揺るがない。 現在の新日本の軍団勢力図を見ると、一番勢いがあるのはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン。CHAOSとバレットクラブは主力の退団により戦力を落としている。後藤洋央紀とウィル・オスプレイの補強に成功したCHAOSはまだしも、バレットクラブは現在のところタマ・トンガの実弟タンガ・ロアしか補強出来ていない。3・27後楽園ホール大会でリーダーのケニーが「タッグのベルトを狙うために新しいパートナーは決めている」とコメントをしており、バレットクラブに関してはさらなる補強があると見ていいだろう。そして「両国から変わる」と宣言している内藤率いるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンも勢いがあるうちに勢力を拡大したいと思うのは当たり前で、こちらの動きも見逃せない。 4・10両国大会を見ずして今年の新日本プロレスは語れない! 今年はどんなドラマが待っているのだろうか。(増田晋侍)<新日Times VOL.13>
-
-
スポーツ 2016年04月09日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈G馬場“唯一の異種格闘技戦”〉
プロレスの迷・珍試合といったとき、必ず上位に挙がるジャイアント馬場vsラジャ・ライオンの異種格闘技戦(1987年6月9日、日本武道館)。パキスタン出身のラジャは、身長209センチの馬場を大きく上回る身長226センチ。試合前は“東洋一の巨人決定戦”と宣伝されていた。 ところが、バンドー空手の使い手という触れ込みのラジャは(ちなみにバンドーとはミャンマーの武術で、素手のキックボクシング的なもの)、試合前の公開練習でキックを放つと同時にすっ転んだことで、早々に“ズブの素人”であることが露見してしまう。 「実は新橋のカレー屋店員をスカウトしてきた」との噂がまことしやかに語られるほどで、つゆほどの緊張感も見られないまま試合当日を迎えることになった。 それにしてもなぜ、馬場の生涯唯一となる異種格闘技戦が、このような形で行われるに至ったのか。 まず、「猪木の異種格闘技路線に対抗して」というのは、猪木自身が格闘技戦を最後に行ったのがこの3年前で、それにわざわざ対抗する必然性がない。 また、「UWF人気にあやかって」という説も説得力に欠ける。この頃、新日vsUWFの対抗戦は確かに人気ではあったが、それはあくまでもコアなファンの間でのこと。決して広く支持されていたわけではなく、テレビ中継の視聴率も低迷していた。よって、これも“プロレスの王道”を自負する馬場が真似するようなものではない。 「理由は当時の馬場と全日が置かれた状況にありました」(プロレスライター) '85年にPWF王座をスタン・ハンセンに奪われてからは、第一線から退いた状態にあった馬場。ハンセンらが馬場を厳しく攻め立てると、観客から「手加減しろ!」とのヤジが飛ぶようなありさまだった。 しかし、ラッシャー木村との義兄弟タッグ、ファミリー軍団の結成はまだ後々のことで、よく言えば馬場は“一人レジェンド枠”であり、実際のところは現役選手として、中途半端な立ち位置にあった。 だが、そんな馬場を、形ばかりとはいえ異種格闘技戦なる大一番に駆り立てざるを得ない事情が、このときの全日にはあったのだ。その原因とは、長州の新日電撃復帰である。 「興行の目玉の一つだった長州の欠場により、武道館大会はカード編成からして困難な状況でした。長州をアテにしていたため参戦外国人選手の数も少なく、このときの『スーパーパワーシリーズ』のメーンイベンター級は、ロード・ウォリアーズとタイガー・ジェット・シンぐらい。ウォリアーズも初来日時ほどの新鮮味は薄く、ほかにどうしても目玉が必要だったのです」(同) また、テレビ放送の事情もあった。この頃の全日は土曜19時からのゴールデン中継。だが、同枠での放映となったのも、もともとは長州ら維新軍の人気を当て込んでのことであり、長州離脱により代替の話題性あるカードを求められていた。 そんなこんなで話題性のあるカードを求められ、急きょの間に合わせとして浮かび上がったのが、馬場vsラジャの異種格闘技戦だったのだ。 「一流の相手を呼ぶには時間がなく、また、往時の力がない馬場に好試合も期待できない。だったら話題性を最優先しようというわけです」(元全日関係) そして、実際の試合も案の定というべき内容だった。 開始早々から左右のキックを繰り出したラジャは、自らバランスを崩してひっくり返る体たらくで、場内の至るところから冷笑が漏れる。チョップやハイキックもスピードや力感に乏しく、ことごとく馬場に防ぎ返されて、第2ラウンドに入ると早々に、馬場がラジャの腕を十字に極めて試合終了となった。 「凡戦とはいえそれでゴールデン中継が成立し、武道館に客を呼べたのだからマッチメーク的には成功ともいえる。素人のラジャだからギャラも格安で済んだようです」(同) それでも全日は、これに味を占めての珍アングル乱発とはならず、王道プロレスに踏み止まった。 暗黒面に堕ちる寸前の全日を救ったのは、この試合のわずか3日前に結成された天龍源一郎と阿修羅原による“激しいプロレス”であった。
-
スポーツ 2016年04月06日 14時00分
巨人自爆! 金本阪神が「アニキ流虎一新」ぶっちぎり優勝(2)
オープン戦で不振だったヘイグも本番では結果を出した。何よりも新守護神・マテオが「ホンモノだ」と確証できたのが大きい。 「金本監督がキャンプ初日からブルペンで睨みを利かせたのは、秋季キャンプで鍛えた若手が自主トレできちんと体を作ってきたかどうかを確認するためでもありました」(同) しかし、本当の目的はそれだけではない。金本監督は先発5番手以降を自前で育てたいとしており、それは単なる理想ではない。特に3年目の左腕、岩崎優には期待を掛けていた。解説者時代から「ちょっとしたきっかけで変わるのではないか」と見ていた。 「岩崎は昨季10敗(3勝)もしています。だけど、金本監督は『中途半端に負けるより、これだけ負ければふっ切れるだろ?』と声を掛けました。自信をなくしかけていた岩崎が前向きに変わりました」(球団関係者) 開幕一軍に残った榎田大樹に対してもそうだった。榎田は“落伍者第1号”でもあったのだ。 「投手の犠打練習時(秋季キャンプ)、金本監督は一塁までの全力疾走を義務づけました。すると、榎田は足を痛め、強制帰阪となりました」(前出・在阪記者) 榎田がグラウンドに倒れ込んだとき、金本監督は見向きもしなかった。しかし後日、こうも語っていた。 「怪我をしたくなかったら、体を温めるとか冷やすとか意識するはず。怪我をして分かったんじゃないか」 金本監督の言葉はコーチを介し、榎田に伝えられた。見捨てず、再びチャンスも与えた。 キャプテン・鳥谷敬も変わった。どちらかといえば寡黙な選手だったが、積極的に周囲にも声を掛けるようになった。 横一線の競争は副産物を呼んだ。梅野隆太郎と新人・坂本誠志郎による正捕手争いも繰り広げられたが、13年目の岡崎太一が開幕のスタメンマスクを勝ち取った。努力した者を評価するという金本イズムである。 「インタビューを受ける際、監督は今成亮太、ヘイグ、大和、上本博紀、江越大賀らの名前も出した。まだチャンスはある、見ているというメッセージですよ」(前出・球団関係者) 「補強よりもムード作り」というと楽観的だが、金本監督は内部競争を煽り、敗れた者にも配慮する。内部競争は勝敗への執念にも繋がった。今年の阪神はブッチギリVも十分あり得る。
-
-
スポーツ 2016年04月06日 11時13分
死闘の爪痕… DeNA戦に勝ち越したトラの意義
開幕第3節の対DeNA戦を、金本阪神が勝ち越した。このカードを勝ち越すことができたのは、勝負どころとなるペナントレース終盤戦で生きてくるはずだ。 4月1日からの同カードで、金本知憲監督はベンチ入り選手の構成を変えていた。 3月30日を除けば、これまでの金本監督は『ベンチ入り出場メンバー』を「投手8人」で戦ってきた。 「新クローザーのマテオが『やってくれる』と分かったのが大きい。マテオに繋ぐという継投策がオープン戦で完成しました」(プロ野球解説者) そのマテオが3月31日、異例の3イニングを投げたのは既報通り。投手陣を預かる香田勲男投手コーチは「総合的な判断」と、マテオに61球を投げさせた理由を語っていたが、金本監督は「明日と明後日は休ませないと…」と、ちょっと顔をしかめた。 翌4月1日からのDeNAとの3連戦、金本監督はベンチ入りさせる投手構成を変えた。先発投手+8人の救援投手の計9人の投手を登録して臨んだ。 プロ野球は一軍登録28人、ベンチ入りメンバーとして登録できるのは25人までだ。金本監督はこれまで「投手8、捕手2、内野手8、外野手7」で戦ってきた。言うまでもないが、野手の登録人数を減らして、9人目の投手をベンチ入りさせたのは、登板過多になりつつあるマテオを休ますためだ。 「マテオを休ませる旨は投手陣だけではなく、選手全員に伝えられていました」(関係者) その9人目の投手が興味深い。マテオに3イニングを投げさせた翌日の4月1日は、藤浪晋太郎、同2日は岩田稔、同3日はメッセンジャーだった。先発ローテーション投手である。もし、4月1日のDeNA戦も乱打戦か、延長戦突入となった場合、金本監督は先発要員を緊急登板させるつもりでいたのだろうか。 これまで、実際に先発した投手以外のローテーション投手がベンチ入りしたのは3月30日だけだ。同日の先発は岩田で、開幕第3戦に先発した藤川球児もベンチ入りしていた。先の関係者がこう続ける。 「3月26日から29日までの3試合、マテオは3連投しています。ペナントレースは始まったばかりなので、マテオに無理をさせたくない。30日は試合展開によっては、榎田か、歳内、もしくは福原で締めるプランも想定し、延長戦になったら、リリーフでの連投経験もある藤川に1イニングを投げてもらうつもりでした」 阪神はマテオの保険もかねて、もう一人、クローザー候補としてドリスも獲得した。しかし、外国人枠がある。「一軍登録できる外国人選手は4人まで」のルールがある以上、ゴメス、ヘイグ、メッセンジャーのいずれかを二軍落ちさせなければならない。しかも、一度二軍に落としたら、10日間は再登録できない。 「阪神OBは好調なスタートを切った金本監督を好意的に見ています。でも同時に、投手にも盗塁をさせ、攻めの一点張りのスタイルに『息切れしないか?』と心配もしています」(前出・同) 采配批判ではなく、「心配」という点は強調しておきたい。 DeNAとの3連戦は能見、岩貞、藤川の先発陣が6イニング以上を投げ、マテオを休ますことができた。藤浪たちをベンチ入りさせることで他の救援陣を発奮させるのが目的だったとしたら、大成功である。登板過多になりつつあったマテオを休ませ、勝ち越しに成功したこの3連戦は意義深い。もっとも、ペナントレース序盤のこの時期に藤浪たちを“緊急登板”させていたら、OBたちの心配はさらに色濃くなったと思うが…。*写真イメージ
-
スポーツ 2016年04月05日 14時00分
巨人自爆! 金本阪神が「アニキ流虎一新」ぶっちぎり優勝(1)
3連敗はしない−−。これがアニキ阪神を優勝に導くキーワードになりそうだ。 「開幕3連勝を飾った巨人は、たとえ些細なことでも何か起きたら、ガタガタになる可能性があります。一連の賭博事件で4人目の関与者が発覚し、勝ってもチームの雰囲気は一向によくなりません。先発ローテーション投手は全員20代。エース菅野智之にしてもシーズンを通してフル稼働したことはありません。他球団同様、阪神も補強らしい補強はしていませんが、チームの雰囲気、勝つという意識は今のトラが圧倒的に高い」(球界関係者) ヘイグ、マテオらの新外国人選手は獲った。しかし、それはマートンや呉昇桓の退団にともなう“止むを得ぬ”の補強であり、むしろ、「日本球界に適応できるか否か」のリスクを背負う。FAで左腕・高橋聡文も獲ったが、阪神が欲していたのは先発タイプである。ドラフトも投手ではなく、外野手の高山俊を1位指名した。アニキこと、金本知憲監督(48)は現状維持か、それ以下でチームを引き継いだと言っていい。 「藤川(球児)に命運を託したんです。金本監督は外部補強に頼っているうちはたとえ優勝しても真の強さではないとし、現有戦力の底上げを目指していました。ですが、藤川とは旧知の仲。『アテにしていない』と言っていましたが、本心は違うのです」(同) 開幕第3戦、その藤川が先発マウンドに立った。勝ち星はつかなかったが、「先発でイケる」と確信できた。 「藤浪晋太郎、能見篤史、岩田稔、メッセンジャーはともかく、阪神には5番手以降の先発が“いない”に等しかった。藤川が5番目を務められるのであれば、戦況は大きく変わってくる」(在阪記者) 開幕カードの先発はメッセンジャー、能見、藤川。藤川が加わったことにより、藤浪を次節まで温存できた。岩田稔も残っている。つまり、今年の阪神は3連敗する可能性が極めて低いのだ。 「第2節に藤浪が先発するということは4月に2度、巨人戦で先発するローテになります(4月5日〜、同26日〜)。ヤクルト戦にも投げることになり、そうなると阪神はエースで『上位叩き』ができる」(同) 開幕カードの中日戦だが、ネット裏には他のセ球団のスコアラーも陣取っていた。彼らが口にしていたのは「変わった」。それはチームの雰囲気であり、勝利に対する執着心だ。 「開幕スタメンを勝ち取った横田慎太郎はノーヒットでしたが、一塁にヘッドスライディングを見せ、手抜きが多かったメッセンジャーも併殺プレーを成立させようと一塁カバーで全力疾走していました。監督が変わるだけで、選手の気持ちがこんなにも変わるのか、と…」(在京球団スタッフ)
-
スポーツ 2016年04月05日 10時00分
貴乃花親方 理事長選落選で “蚊帳の外”ならぬ“土俵のソト”
3月28日、両国国技館で開かれた理事会で、多数決の結果、八角親方(元北勝海)の理事長再選が決定。貴乃花親方との一騎打ちは、得票数6対2であっけなくケリがついた。 「良識があり紳士的に見られている八角さんは、あれでいて非常に強引なところもあり典型的な権力者。役員会でも議題にないことを決めようとし、年寄の評議員会でもそのヤリ口が痛烈に批判されていたんです。一方の貴乃花親方は“これが最後の勝負で2度と理事長選には立候補しない”と意気込みを語っていましたが、結局は空回りに終わってしまった」(相撲関係者) 日本相撲協会は3月30日、エディオンアリーナ大阪で理事会を開き、各親方の職務分掌を発表した。八角理事長(52=元横綱北勝海)による新体制が発表されたのだ。 処遇が注目された貴乃花親方(43=元横綱)は協会ナンバー3の総合企画部長から代わって巡業部長に就き、協会常勤の執行部から外れた。つまり、“蚊帳の外”に出された形だ。 理事会後は無言だった貴乃花親方は、横綱審議委委員会に出席した後、メディアに対応。「肩の荷が下りました。すがすがしい気持ちです。今日で終わりました。理事長から与えられた役割をまっとうするだけです。仲間たちとこれからの相撲界を支えて、明日を切り開く議論ができたらなと思います。理事職ではありますが、本分は弟子を育てること。日本出身の横綱、大関を1人でも多く輩出することだと思う。そこに集中していきたいです」などと話した 役員会で八角理事長が選ばれることは、最初から分かっていたという。貴乃花親方に票を投じるのは山響親方(元巌雄)と伊勢ケ浜親方(元旭富士)しかいないと見られていたからだ。 相撲評論家の中澤潔氏が言う。 「貴乃花親方の決意表明を読んでみると“相撲道”を貫くというだけで、説得力が非常に乏しいものでした。私はこれでは理事長選をする意味もないと思いましたよ。一方の出羽海(元小城ノ花)、春日野(元栃乃和歌)、境川(元両国)の3親方を説得したという八角理事長の主張は具体的で頷かせるものがあった。たとえば高校生以下の団体割引や、ケガ人続出の土俵対策としてリハビリができるような施設を国技館に作るなど、貴乃花親方との違いを見せつけたのです」 それにしても今回の理事長選を巡っては、何やらキナ臭い騒動が頻発した。 ある外部理事のもとには、右翼を名乗る人物から「貴乃花を応援したら殺すぞ」という旨の脅迫電話があったのだ。この事件は、元東京地検特捜部部長だった宗像紀夫外部理事も把握しており、週刊新潮の取材でも認めている。 さらに、理事長選の背景には八角VS協会の私物化を批判される“裏金顧問”の構図も見え隠れする。 「そんな中、貴乃花親方は焦りもあったのかな、という気がします。というのも、出羽海一門はこれまで12人の理事長のうち半分を出した保守本流。そう見ると、今当選しないと出る幕がなくなってしまう…そうした差し迫ったものがあったのかもしれません。これで今後も理事長選のキャスティング・ボートを握るのは出羽海一門の親方衆でしょう」(前出・中澤氏)
-
スポーツ 2016年04月04日 17時00分
記録訂正 再検証に救われた鳥谷のキャプテンシー
『公式記録の訂正に関するお知らせ』。去る3月31日、日本プロ野球機構(NPB)はセ・リーグ公式記録の訂正を各メディアに報告した。該当試合は、3月29日の東京ヤクルト対阪神。6回裏、ヤクルト・上田剛史の打球に阪神の遊撃手・鳥谷敬(34)が対応。上田が一塁ベースを駆け抜け、NPB記録部員はそのプレーを「鳥谷のエラー」と判断した。しかし、それを「上田のヒット」と訂正し、これによって、鳥谷の失策も取り消された。 「ヒットとも取れるし、鳥谷の失策とするのは厳しいとする声は試合中も(メディア陣のなかで)出ていました」(取材記者) 「ヒットか、エラーか」を判断するのはNPB記録員の仕事。しかし、翌30日、ヤクルト球団が紙面で「再検証」を求めた。記録データ管理部のスタッフが集まり、映像も確かめた結果、『失策』を『ヒット』に訂正することになったのだ。 滅多にないが、こんなふうにNPBが公式記録を訂正することもある。ヤクルト上田は打率を上げ、鳥谷は同日の失策が消滅したのだから、今回の訂正はお互いにとってプラスになったようだ。 昨季、鳥谷は自身4度目のゴールデングラブ賞に選ばれている。同賞は守備力に卓越した選手に与えられる。だが、投票権を持つ野球担当者のなかから「迷った」の声も多く聞かれた。 「2015年、鳥谷は『14』の失策を記録しました。14年は『5』。巨人の坂本勇人は14年13個の失策を11個に減らしており、広島・田中広輔の失策数は『22』。坂本か鳥谷かで迷った記者はかなりいました」(投票権を持つ野球担当記者の1人) 金本知憲監督(48)が就任直後、その鳥谷に喝を入れたのは有名な話。鳥谷に改めてチームを牽引してほしいという意味での喝だった。鳥谷はその期待に応えた。どちらかといえば、寡黙な選手だった。しかし、キャンプ、オープン戦では声を張り上げ、中堅、若手にも自ら声を掛けてまわっていた。 「本人は最後まで認めませんでしたが、昨季は背中の故障や脇腹痛でかなり辛い思いをしていました。練習熱心な性格も変わらずで、連続試合、同フルイニング出場にもこだわっていました」(プロ野球解説者) 鳥谷の故障は前任の和田豊監督が報道陣に漏らしたもの。和田前監督は精彩を欠くとするメディアの鳥谷評に反論するつもりで話したのだが、本人は失策の言い訳にしたくないとし、むきになって否定していた。 「昨季は左翼にマートン、二塁手は上本。2人とも守備に難のある選手でしたから、鳥谷の守備範囲は自ずと広くなっていきました」(前出・同) 開幕第3節のDeNA戦前、阪神の内野守備練習を見ると、北條史也(21)が鳥谷と同じショートでノックを受けていた。秋季キャンプに逆上れば、「守備だけなら一軍で使える」といわれる植田海(19)を、一時的だが、一軍に招集した。関係者によれば、若い遊撃手候補をお披露目するのは、鳥谷に対する無言のプレッシャーも兼ねていたという。金本監督は現役時代、連続試合出場の重圧と戦い、同時に「早く途切れれば」とも思ってきたそうだ。しかし、実際に途切れると、一気に老け込んでしまった。 鳥谷にプレッシャーを掛けることで、金本監督は彼の現役生活を長くさせしようとしているのだろう。 「失策が取り消されたことを聞かされても、鳥谷、金本監督も『だから何?』といった感じでした」(同) 守備の負担も大きい遊撃手での連続試合出場は、並大抵ではない。今回の記録訂正に救われたのは鳥谷のほうかもしれない。
-
-
スポーツ 2016年04月03日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈天国へ舞った天才レスラー〉
プロレスラーのハヤブサ(本名・江崎英治)さんが、3月3日、くも膜下出血のため永眠した。享年47。 2001年、試合中のアクシデントによりケイ椎を損傷。一時は生死の境をさまよい全身不随に至ったが、懸命のリハビリにより、最近では補助付きであれば自力歩行できるまでに回復していた。 リングから離れていた間は“シンガーソングレスラー”として、ライブハウスやプロレス会場での歌手活動を行っていたが、あくまでも目標は現役復帰だった。自ら「'19年にはレスラーとして再びリングに立つ」と宣言していたが、その道半ばでの無念の死となった。 ハヤブサの名が知れわたったのは'94年4月16日、両国国技館で開催された『スーパーJカップ』。当時、インディー団体の勃興により、ことジュニアクラスにおいては新日本プロレス、全日本プロレスにも遜色のないレスラーが頭角を表していた。それらが団体の枠を越えて一堂に会することで、この階級の活性化を図り、ひいてはプロレス人気の底上げにつなげる−−。獣神サンダーライガーの発案により、同大会は開催された。 国内のメジャー、インディーをはじめ、アメリカ、メキシコから全14名が参加したトーナメントの中で、最も知名度の低かったのがハヤブサだった。 '91年、大仁田厚率いるFMWに入団し、期待の新人として将来を嘱望されたが、当時のリングネームは本名の江崎英治。ハヤブサを名乗るのはその後のメキシコ修行中からであり、この大会は一時帰国しての参戦となった。 ハヤブサは1回戦の大トリで、大会の主役であるライガーの相手に抜擢される。 「ライガーが初戦を楽に勝ち上がれるよう、色モノ選手をあてたと見る向きもありましたが、事実はまったく異なります。ハヤブサの才能を見出し、無名だからこその大化けを期待してのマッチメークだったのです」(プロレスライター) その目算はズバリ的中する。ハヤブサは、長じゅばんを思わせる和テイストのロングガウンをまとって入場。マスクは頭頂部が覆われていないフェースガード風で、目の部分が通常よりも広く開かれ、目には歌舞伎のような鋭い隈取りがなされていた。 先に類を見ない斬新なコスチュームでありながら、奇矯なわけではない。初見となる両国の大舞台にも浮ついた様子はなく、その佇まいは一見して「ただ者ではない」と直感させた。 続いて入場したライガーが満員の観衆に向けて大見得を切っているところへ、ハヤブサは高さのあるドロップキックを2連発。場外に落ちたライガーに向けて、コスチュームのままトペ・コンヒーロを放った。 「リングの照明を背に受けて、ラメ入りのガウンがキラキラと光る。その裾を翻しながら宙を舞う姿はまさに千両役者で、日本のプロレス史上でも屈指の美しさを誇る名場面と言えるでしょう。あの一発でハヤブサは次世代のスターと認知されました」(同) 日本初登場から一気にファン、関係者の期待を背負うことになったハヤブサだが、その後のレスラー生活は決して順風満帆なものとはならなかった。 「所属するFMWは良くも悪くも大仁田の邪道色が濃く残り、ハヤブサの華麗なスタイルが必ずしもマッチしていたとは言えなかった。また身長180センチ強とジュニアにしては大型で、空中戦など跳び技を多用したことの負担は大きく、常に故障がつきまといました」(同) それでもハヤブサに対する周囲の期待は変わることなく、'97年からは全日本にも準レギュラーとして参戦する。 「馬場が直弟子である大仁田の願いを聞いて、ハヤブサを受け入れたというのは表向きの話。高い評価をしていなければ、そもそも馬場は相手にすらしません」(元・全日関係者) 全日ではタッグのベルトを獲得し、東京ドーム大会では馬場のタッグパートナーを務めるまでに至った。内々では全日移籍の誘いもあったことは想像に難くない。それでもハヤブサはFMWのエースとして闘うことを選んだ。 今になって何が正解だったかという話ではなかろう。きっとそれこそがハヤブサの人生だったのだ。