スポーツ
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スポーツ 2016年06月04日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND4 〈日米王者の友情物語〉 “東洋の巨人”と“人間発電所”
ジャイアント馬場の好敵手であると同時に真の友人だったともいわれるのが、“人間発電所”の異名を取ったブルーノ・サンマルチノだ。 自身が王者のWWWF(現WWE)が新日本プロレスと提携してもなお、ライバル団体である馬場の全日本へ参戦を続けていた。 米国における英語のニックネーム“パワーハウス”も、やはり発電所を意味する単語ではあるが、これはサンマルチノの力自慢と“パワー”の部分を掛けたニュアンスからのもの。 日本のプロレスマスコミはこれを直訳して“人間発電所”としたが、まさに無尽蔵に力が生み出されるかのごときサンマルチノの肉体を象徴する、秀逸なニックネームといえるだろう。 身長182センチと当時のプロレスラーとしては決して長身ではないが、分厚い胸板から繰り出される明快なパワーファイトは説得力十分。 1963年、初代WWWF王者のバディ・ロジャースをわずか48秒で下して2代目王者になると、以後は通算10年以上の長きにわたって王座に君臨し、“MSGの帝王”とも称された。 試合開始からパワー全開、短時間のうちに相手を叩き潰すというファイトスタイルは、のちのハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーらにも受け継がれる伝統様式とまでなっている。 重爆ストンピングからベアハッグ、あるいはカナディアン・バックブリーカーで締め上げて勝ち名乗りをあげる。そんなパワー一辺倒の戦いぶりは、カール・ゴッチらレスリング巧者からは「ニューヨーク以外では通用しない」と軽んじられた。 しかし、こと日本においては、とりわけ馬場との試合でその色合いを異にしている。 '67年、ファン待望の初来日を果たしたサンマルチノは、馬場の持つインターナショナル選手権に2度挑戦。いずれも結果は引き分けであったが、蔵前国技館での2戦めは時間切れのドロー。 「腰痛のためバックブリーカーを使えなかったというが、それでもベアハッグとパンチ、ストンピングで試合を組み立て、フルタイムを戦ってみせた。もともとは重量挙げの選手でレスリング技術はなかったかもしれないが、それでも存在感は抜群。観客に魅せる技術はやはりトップクラスだった」(ベテラン記者) 日本での馬場とのシングル対決は計10戦。中でも名勝負といわれるのが、2度目の来日時、やはり馬場のインター王座に挑戦した'68年8月7日、大阪球場での試合だ。 雨天順延となりながら1万4000人の大観衆を集めて行われたこの一戦。 サンマルチノがバックブリーカー、馬場が32文ロケット砲とそれぞれの必殺技で1本ずつを取り合うと、3本めは場外乱闘から馬場がサンマルチノを鉄柱へぶつけて、カウントアウト直前にリングイン。勝利を収めた。 「リングアウトとはいえ、現役世界王者のサンマルチノに完全勝利を収めたことは、当時としてはとんでもない快挙。力道山ですらNWA在位中のルー・テーズには勝てなかった。これ以降、馬場自身はもちろん、インターベルトに対しても、メディアやファンからの評価はグンと上昇することになった」(同) プロレス界において、今とは比較にならないほど世界王者の価値が高かった時代。これを成し遂げたのは、もちろん馬場の政治力があってのことだが、加えて両者の信頼関係というのも重要なポイントだろう。 '74年にWWWFと新日本プロレスが提携した後、王者サンマルチノが単独で全日のリングに上がり続けたのも、それがあってのことといわれる。 「新日の敵対団体である全日に参戦するなどは、新日からすれば重大な契約違反。ただ新日としては、それを黙認してもWWWFの外国人ルートを必要としていたし、またサンマルチノも長年の功績からわがままを言えるだけの存在だった」(同) “東洋の巨人”として米マットを席巻した馬場の武者修行時代、キャリアが同等だったことからサンマルチノとの間に友情関係が芽生えた−−というのがプロレス界の定説。サンマルチノが馬場に、自前のキャデラックをプレゼントしたとのエピソードもよく知られたところだ。 馬場も自著で、数少ないレスラーの友人の一人としてその名を挙げている。 ただし、馬場は後年まで英語がつたなく、両者の会話は通訳を介して行われていたというから、いわゆる純粋な友情となるとどうだったか…。 「馬場は全日旗揚げ時、外国人選手を確保するために相当な金をアメリカマット界にばらまいたともいわれている。サンマルチノにしても、新日に出れば所属団体と新日の契約。でも、全日なら個人の契約だから、そのぶん実入りが多くなるというのはあったんじゃないか。もちろんその根底には、馬場への信頼があったことには違いないのだろうけどもね」(同)
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スポーツ 2016年06月01日 16時00分
先発で使ってほしい! 藤川球児と本拠地・甲子園の不思議な相性
先発でスタートした藤川球児(35)がリリーフに配置転換された。5試合に先発したものの、防御率は6点台(当時)。二軍での再調整も経験し、守護神マテオやセットアッパーのドリスの不振などもあって、慣れ親しんだリリーバーに帰って来た。 目下、リリーバーとしても目覚ましい結果は出していない。 「マテオが不安定なので、藤川はリリーフで使わざるを得ないでしょう」(ベテラン記者) 藤川の4季ぶりの帰還が決まったころから、金本知憲監督(48)の口ぶりも“曖昧”だった。「先発で使う」と言った後、「先発で調整しておけば、途中でリリーフに配置換えされても投げられる。リリーフで調整していたら、先発はできないし」と付け加えていた。 「金本監督は『藤川がどれだけ投げられるのかまだ分からない』とも言っていましたが、その言葉の通りでしょう。2年連続セーブ王の呉昇桓を失い、新加入のマテオがどれだけ投げられるのかも分かりませんでしたし」(プロ野球解説者) しかし、序盤戦の先発でのピッチングを見て、「先発ローテーション投手としてやってくれる」と思ったファンも多かったはず。先発・藤川が通用しなかった理由を、先のプロ野球解説者がこう分析する。 「メジャーに挑戦する前の藤川は150キロ強のストレートを投げ、ボールが浮き上がってくるようなスピンが掛かっていました。もうちょっとでいいから、ボールのキレが戻ってくれば…」 マテオが復調したら、藤川を先発に戻すという単純な配置転換にはならないようだ。 藤川のこれまでの記録を調べ直してみたら、興味深い結果が出た。 若手時代の藤川は先発登板もしている。過去5回、本拠地・甲子園球場で先発しているが、勝ち星は1つも挙げていないことが分かった。 02年7月28日 5回3分の1 3失点「●」 同8月3日 6回 無失点「-」 同8月30日 6回3分の0 3失点「-」 同9月23日 7回 3失点「●」 同10月6日 4回3分の1 7失点「●」 今季も甲子園球場で先発としての勝ち星は挙げていない。リリーバーで覚醒したとはいえ、15年を迎えるベテランが「本拠地での勝ち星ナシ」なのだ。チーム事情もあり、藤川はリリーバーを続けていくことになりそうだ。甲子園で勝てないデータを見てしまうと、先発で再調整してほしいと思うのだが…。
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スポーツ 2016年06月01日 15時00分
友成那智 メジャーリーグ侍「007」 ドジャース「前田健太」
好調レッドソックスのリリーフ陣で、現在もっとも貢献ポイント(WAR)の高いのがセットアッパーの田澤純一だ。 田澤は昨季後半、炎上が続いた後、「腕の疲労」を理由にシャットダウン(登板なし)してしまった。 そのため今季、復調できるか注目されていたが、セットアッパーとしてフルに機能している。今シーズン目立つのは奪三振率(9イニング当たりの奪三振数)の高さだ。奪三振率10.91という数字はメジャーでもトップレベルで、奪三振力の高さがウリの上原浩治をしのいでいる。 好調の要因は、キャンプでカール・ウィリス投手コーチからアドバイスを受け、速球と変化球の軌道を改善したことが大きい。ウィリス投手コーチが田澤に求めたのは、打者の近くに来てからホップするフォーシーム(直球)と、打者の近くに来てから鋭く変化するフォーク、スライダーである。昨季後半は、体が開き気味になることや球離れが早いことなどで、フォーシームは定規で引いたようなストレートボールになり、フォークやスライダーは早い時点で軌道が読める鈍い変化球になっていた。 それを改めるため、田澤は肩の開きが早くならないことと、球持ちをよくすることを意識して投球フォームの改良を行った。 ウィリス投手コーチはメディアにも「昨シーズン後半の田澤の乱調はあいつが悪いんじゃない。酷使され過ぎて腕の振りが鈍くなったのが原因だったんだ」とコメントし、田澤への気遣いを見せた。 この軌道の改善は、開幕からの好調につながった。 田澤の今季の投球内容を示す諸データの中で、大きな変化が見られるのは「ボール球スイング・パーセンテージ」だ。これはボールゾーンに外れる投球を打者がどれだけ振ったかを示す指標で、昨年田澤はこれが平均レベルの32.4%だった。しかし今季はトップレベルの42.1%にアップしている。 投球が打者の近くに来てから鋭く動くため、打者はバットが出てしまうのだ。 今後の課題は、なんといってもシーズン終盤に息切れしないことだ。終盤に息切れするかしないかは、これからのピッチャー人生を左右することになる。なぜなら田澤は今季中にFA権を取得するため、レッドソックスに残留する場合でも、他球団に移る場合でも、成績が良ければ複数年契約をゲットできるからだ。 「最近は、セットアッパーでいい働きができる投手は、3年契約をゲットできるようになった。'14年の序盤に不調でレッドソックスをあっさり首になったトニー・シップがアストロズで復活してオフに1800万ドル(20億円、3年契約)の契約をゲットした。もし、田澤が今シーズン、例年以上の成績を出せば、複数年契約になるのはほぼ間違いない。昨シーズンのような展開になれば1年契約になるだろうけどね」(地方紙のレッドソックス番記者) 田澤の例年並みの成績というのは防御率3.00、WHIP1.20レベルの数字である。今年は5月18日現在、防御率1.72、WHIP0.83という素晴らしい数字をマークしている。 一番望ましいのは、このレベルの数字をずっとキープし、防御率1.99以内、WHIP0.90以内をマークすることだ。それなら3年2500万ドル(27億円)レベルの契約をゲットできるだろう。 後半戦、多少息切れして防御率が2点台前半、WHIPが1.00〜1.10前後の場合は2年1300万ドル(±200万ドル)になる。防御率が2点台後半でWHIPが1.11〜1.20の場合は2年1000万ドル(±200万ドル)くらいか。 現在メジャーには日本人クローザーがいないので、田澤にはクローザーとして迎えてくれる球団と契約してもらいたいが、その可能性はあるのだろうか? 好成績を出してもクローザーの座を確約する球団はないだろうが、クローザーの第一候補として獲得に乗り出す球団はあるだろう。 田澤の最大のリスク要因は、一発を食いやすいことだ。それを考えれば田澤はマリナーズ、ジャイアンツ、パドレスなど本拠地球場が広いチームに向いている。この3球団は今オフ、クローザーの獲得に動くと思われるので狙い目と言っていい。 ただ本人は、トミージョン手術で投げられなかった間もしっかり面倒をみてくれたレッドソックスに恩義を感じており、残留を優先する可能性が高い。その場合でも、レ軍は好条件を出してくるだろう。トップセットアッパーの上原浩治は41歳なので、今季限りでチームを離れる可能性が高い。クローザーのキンブレルが故障したときの代役も確保しておく必要があるので、2点台前半の防御率を出せば3年契約をオファーしてくるかもしれない。ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2016」(廣済堂出版)が発売中。
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スポーツ 2016年05月31日 15時00分
虎スクープ 金本阪神が断行する鳥谷と藤川「超変革」非情采配
『超変革野球』は第二章に突入する−−。アニキこと金本知憲監督(48)によって、若手の台頭が著しい今季の阪神タイガース。高山俊、横田慎太郎、北條史也、江越大賀、原口文仁、岩貞祐太らが代表格に挙げられるが、「若手が出てきた」ということは、代わりに誰かが消える必要がある。その標的が鳥谷敬(34)と藤川球児(35)だというのだ。 「鳥谷の衰えは明らかで、後継者問題がチーム内外で囁かれています。スカウト編成部は例年以上に『ポスト鳥谷』の獲得に熱心です。徹底マークしている中京学院大・吉川尚輝、日大・京田陽太の2人は鳥谷と同じ右投左打の遊撃手。和田豊前監督(シニアディレクター)を現地派遣させ、複数体制で追い掛けています」(球界関係者) 鳥谷が名指しで金本監督に喝を入れられたのは、5月17日の対中日戦にさかのぼる。9回表、同点に追い付かれ、なんでもない内野フライを鳥谷がポロリ。打ち取ったはずがピンチ拡大となり、しかも「キャプテンの凡ミス」というのが大きく響いた。中日に逆転負けを喫し、金本監督の怒りは爆発した。 「恥ずかしい。高校生に笑われるわ!」 “戦犯の鳥谷”に対し、「芝生で足を取られた」と擁護する関係者も多かった。しかし、鳥谷は今季リーグ2位タイの6失策をすでに記録。'14年は5つだったのが、'15年はその3倍近い14失策に急増。数字だけで見れば、今季も45試合で'14年シーズン以上のエラーを記録したことになる。そのうえ打撃不振で、21日の広島戦では7年ぶりに打順が8番に降格。金本監督の「喝」は不振で苦しむキャプテンを立ち直らせるためのものでもあったのだが…。 「実績のあるベテランですから、少々打てなくても我慢して使っていくつもりでした。今季は打順が6番でスタートしたので、本人の中では『なぜ?』の悔しさと、モチベーションが低かったのかも」(在阪記者) そうなると、鳥谷が現在も継続中の『連続試合出場』の記録まで危なくなってくる。ドラフト1位候補の遊撃手はもちろん、4年目・北條の成長も著しい。故障離脱中の西岡剛も近日中に一軍復帰する。窮地の鳥谷の連続試合出場について、二通りの意見が聞かれた。 「昨秋キャンプで高卒1年目の植田海(当時)が呼ばれたのは、『鳥谷は長くない』と首脳陣が見ていたから。金本監督が鳥谷に引導を渡すのは時間の問題」(前出・在阪記者) 現在、鳥谷の連続試合出場記録は「1656」(5月23日時点)。金本監督の同記録(1766)を来年追い抜く計算であり、「是が非でも達成させてやりたいと金本監督は思っているはず」との声が多かった。 「守備負担の多いショートでの連続試合出場は物凄く価値がある。でも、金本監督は現役時代、この記録がストップした際、『安堵した』と話しており、解説者時代も『その呪縛から解き放たれた、解放感のような』とも話していました。記録達成のために他のナインに迷惑を掛けていたという、引け目があったんだと思う。鳥谷をギリギリまでサポートし、心身ともに限界と分かったら、金本監督自らが引導を渡すはず。連続試合出場の重圧が分かる金本監督にしかできない仕事」(前出・関係者) サードやセカンドにコンバートして記録を“延命”させるよりも、「終わらせてやったほうが」という見方もあるようだ。 「金本監督が現役時代から可愛がっていた後輩は鳥谷と藤川。その『後輩愛』は周りも分かっているだけに、今は逆に厳しく接しようとしているようです」(前出・在阪記者) 5月18日、その藤川が阪神帰還後初めてストッパーとして登板した。往年のスピードはなかったが、全球ストレートで中日打線を押しまくり3者凡退。“初セーブ”を挙げた後輩を満面の笑みで出迎えたが、単なる復活劇ではなかったのだ。 「藤川は先発で使う予定でした。金本監督の就任当初、先発投手の頭数が不足しており、それを補ってもらう予定で、『先発の調整をしていればリリーフもできる』と含みのある言い方がされていました。ですが調べたら、先発・藤川は甲子園球場で一度も勝ったことがないんです」(チーム関係者) 本誌も調べ直したが、藤川の甲子園初先発は'02年7月28日。今季の5月7日まで、計8回も先発で甲子園のマウンドに立っているが、勝ち星ゼロ(リリーバーとしての勝ち星は除く)。 「リリーフとして単なる偶然かもしれませんが、今季36歳になるベテランが、本拠地で一度も勝っていないとなれば…。リリーフで再スタートしていなければ、間違いなく戦力外」(同) マテオが一軍に戻ってくれば、どちらに守護神を託すのか、金本監督は即決できないだろう。 「打撃陣の調子が落ちているので、藤川が本当に中継ぎで使えると分かれば、ドリスを降格させ、ヘイグを一軍に戻せます。打線不振の一因は鳥谷にもあり、両ベテランは責任重大」(同) 交流戦までは様子見、アニキが後輩愛もない冷酷采配を振るうことになってこそ“超変革”だ。
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スポーツ 2016年05月31日 12時00分
阿部慎之助がヨシノブを救う? 「早期一軍」が内定した真相
阿部慎之助(37)が帰ってくる。右肩痛で今季開幕戦を二軍で迎えた“主砲”が、埼玉西武との二軍戦で2本塁打を含む4打数4安打と爆発し(5月29日)、31日の交流戦から一軍復帰することが決まった。 「もともと打つほうは問題がなかったから。打撃の調子も挙がってきたところでの昇格が決まり、良いタイミングだと思う」(プロ野球解説者) 指名打者での試合出場が有力視されている。「捕手」としての出場に関しては、本人も球団も曖昧な言い方をしていた。万全ではないのだろう。しかし、今の巨人は阿部を一軍昇格させなければならないのだ。 「もともと、高橋(由伸=41)監督の構想は『4番阿部』でした。右肩の故障でオープン戦終盤に二軍に落とし、以後、新加入のギャレットが代役を務めてきましたが、守備難でチームの足を引っ張り、マジメな性格が災いし、バットのほうにも影響が出てしまいました」(前出・同) 高橋監督がそのギャレットの二軍降格を決めたのは同23日に逆上る。左肘手術から復帰したアンダーソンを代わりに昇格させたが、チーム打率12球団ワーストの打線は相変わらず…。ライバル球団のスコアラーがこう言う。 「ギャレットも24日の二軍戦で本塁打を打っています。対戦投手は三浦大輔でした。阿部が打ったのは成長過程の投手ばかり。ギャレットを交流戦序盤に呼び戻す選択肢もあったと思うんだが…」 いったん二軍に落とすと、ルール上、10日間は再昇格できない。外国人選手枠の問題もあるが、『ギャレットの再昇格論』と阿部の復帰が決まった理由は同じだ。交流戦には、守備に着かなくて済む指名打者制の試合があること。ギャレットは一軍投手のスピード、キレに対応できている。その守備難のギャレットを指名打者で「打つこと」に専念させたら、ここまで一軍戦に出ていない阿部よりも「怖い」というわけだ。 「交流戦で結果を出さなければ、阿部の今後の使い方が難しくなってくる」(前出・プロ野球解説者) 「難しい」とは、一軍での働き場がないという意味。阿部の代役としてマスクをかぶってきた小林誠司(26)も“違和感”がなくなってきた。 「おそらく、阿部がマスクを被る試合も出てくると思います(29日時点)。リードはこれまでの実績、投手陣からの信頼もあるので大丈夫だと思いますが、二軍で5イニングしかマスクをかぶっていません」(前出・スコアラー) しかし、阿部にはチームを統率する力がある。高橋監督が求めたものは打撃よりもこちらのほうではないだろうか。 「たとえ代打でも、阿部がバットで結果を出し続ければ、その言葉に説得力が出てきます」(前出・同) 阿部が交流戦で高打率を残せば、たとえマスクをかぶれなくても一軍定着が決まる。ひょっとしたら、阿部のバットが中盤戦以降の巨人の命運を決めるのではないだろうか。
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スポーツ 2016年05月31日 11時08分
金本監督が鳥谷の記録を止める日がくる?
不振の鳥谷敬(34)に、アニキが引導を渡す−−。 キャプテン・鳥谷敬が攻守ともに不振に喘いでいる。打率2割3分5厘はリーグ28位、併殺打は同ワースト2位、守備でも失策数6をカウント(5月28日時点)。近年の守備成績を逆上ってみると、2014年のトータル失策数が「5」、昨季が「14」。今季はペナントレースが始まってまだ2か月だが、すでに一昨年以上のエラーを記録したことになる。 「エラーでカウントされなかったミスもありました。数字以上の『衰え』があると見たほうがいい」(在阪メディア陣) キャプテン・鳥谷は本当に衰えてしまったのだろうか。 4年目の北條史也の成長、身体能力の高い大和、故障離脱中の西岡剛も復帰までさほど時間が掛からないという。昨秋キャンプで守備能力の高さを認められた2年目の植田海もいる。今なら“鳥谷ナシ”で内野布陣を再構成するのは決して難しいことではない。 「就任当初の金本監督がレギュラーとして名前を挙げた数少ない選手の1人。鳥谷に対しては厳しいことも色々と伝えてきた。チームの牽引として、そして、本人や周囲にも『まだ出来る』と思わせる狙いもあったはず」(プロ野球解説者) 不振の原因についても色々聞かれた。「勤続疲労で体のキレを失っている」との声がもっとも多かったが、こんな声も聞かれた。 「開幕オーダーは6番でした。これまで、1番かクリーンアップを打ってきた選手なので、精神的なショックもあったのではないか。不振が長引き、『喝』を入れるためでしょう。金本監督は打順を8番まで落としています」(前出・同) 8番の打順。このあとは「スタメン落ち」しかないというわけか…。とはいえ、鳥谷は『連続試合出場記録』を更新中である。金本知憲監督が持つプロ野球記録『1766』には17年シーズン中に追い抜く計算。現役時代からの弟分でもあるだけに、「新記録樹立を後押ししてやりたい」というのが、金本監督の胸中だろう。 「鳥谷がチームの足を引っ張っていると判断すれば、スタメン落ちもあるでしょう。その前に守備負担を少なくするため、ショートからサードかセカンドにコンバートするのでは」(前出・同) コンバートは記録達成の後押しである。選手の現役生活を一年でも長くしてやりたいという親心でもあるようだ。 「スカウト編成部は『ポスト鳥谷』の獲得に本腰を入れているようですね。中京学院大・吉川尚輝、日大・京田陽太をマークしており、2人とも鳥谷と同じ右投左打の遊撃手です。和田豊前監督(シニアアドバイザー)も直接視察しています」(球界関係者) しかし、金本監督の『連続試合出場記録』が止まった2011年4月15日のことだ。試合後の金本監督はむしろ上機嫌だったという。記録がストップした背景に人為的ミスもあり、その当事者を庇うためとも思われたが、「本当にホッとしていた」と、当時を知る関係者たちも証言している。 「連続試合の記録更新が重圧になっていたようですね。記録が止まったことで安堵し、むしろ、ハツラツとしたような…」(当時を知るプロ野球OB) 金本監督の理想は鳥谷が復調すること。しかし、記録更新が呪縛になっていたとする自らの経験から考えると、復調の兆しが見えなければ、“延命のためのコンバート”はしないのではないだろうか。
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スポーツ 2016年05月31日 10時00分
日本人横綱がそんなに欲しいか? 「綱取りは来場所も継続する」協会の“えこ贔屓”
稀勢の里(29)の連敗で日本人力士の綱取りは今場所もならなかった。 まるで再生しすぎて、擦り切れたビデオでも見ているよう。大相撲春場所は横綱白鵬(31)の2場所連続、37回目の優勝が千秋楽を待たず、14日目に決定。またしても初優勝と綱取りの期待がかかった稀勢の里の悲願は叶わなかった。 「今度こそ、と胸を高鳴らせたファンも多かったんじゃないでしょうか。初日から12連勝し、その相撲内容も力強く、安定していましたから。ところがまた、これまで何度も煮え湯を飲まされている白鵬の壁を突き破れずに完敗。さらに翌日も横綱鶴竜にいいところなく敗れ、白鵬の逃げ切りを許してしまいました。館内は失望のため息が充満し、新横綱誕生で大相撲人気をさらに盛り上げようと目論んでいた関係者はガッカリですよ」(担当記者) それにしても、白鵬戦の負け方はひどかった。わざと稀勢の里が得意な左四つで挑まれたにもかかわらず、横綱に土俵中央で豪快に叩きつけられた。 「今日の一番は、『勝つなら勝ってみい、それで横綱になってみろ』という感じだったんだけど、勝たなかった。何かが足りないんだろうね。横綱白鵬を倒すには日頃の行いが良くなければ。それしか思いつかない、今は」(白鵬) このショックをひきずり、翌14日目の鶴竜戦も完敗した稀勢の里。この2連敗で慌てたのは場所前に「14勝か、全勝かのハイレベルの優勝でしょう。優勝しなきゃいかん」と話していた審判部幹部。その裏には、協会関係者の驚くべき心変わりがあったと明かす。 「実は二所ノ関部長(元大関若嶋津)を中心に、優勝しなくても14勝したら横綱に推す、ということが話し合われ、ほぼ決まっていたんです。これに対して硬派の藤島副部長(元大関武双山)が『私は不同意です』と席を立ったそうですが、二所ノ関部長は稀勢の里と同じ一門。いわゆる身びいきというヤツで、新しい目玉が欲しい協会の意向と相まって“14勝でも”となったようです」 しかし、残念ながら稀勢の里の2連敗で、この横綱強行昇格はご破算。それでも諦めない二所ノ関審判部長は、千秋楽に日馬富士を破り、なんとか13勝したことで「綱取りは来場所も継続する」と笑顔で宣言した。それも「とにかく優勝してくれればいい」と星数は問わないことにしている。 ここまで気を使われる稀勢の里の胸中は複雑だろうが、それにしても情けない日本人大関の面々だ。
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スポーツ 2016年05月29日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND3 〈ジャンボ鶴田の偉業〉 AWA王者として全米ツアー
本場アメリカで最も活躍した日本人レスラーは誰か。人によって評価の基準は異なろうが“格式”という点ではジャンボ鶴田だ。 世界三大タイトルAWAのメジャー王者としてベルトを巻いただけでなく、米国内でツアーまでこなした日本人は、これまでに鶴田ただ1人なのである。 鶴田ほどに現役当時の実力と人気が乖離していたレスラーはいないだろう。 アメリカにおいての人気や知名度ではグレート・ムタやババ・ザ・ジャイアント(ジャイアント馬場)に引けを取るかもしれないが、鶴田はメジャー王者だったのだ。王者として巡業することは、つまり団体の命運を握ることであり、その責任の重さは計り知れない。 そのAWAのベルトを奪取したのが1984年2月23日、蔵前国技館でのニック・ボックウィンクル戦。鶴田の持つインターナショナルヘビー級王座とAWAの二冠戦として行われた。 鶴田がそのインター王座を獲得した前年8月のブルーザ・ブロディ戦で、師匠の馬場は「今日からおまえがエースだ」と勝利を讃えている。 それでも当時は、まだまだ“馬場の全日本”であり、タイガーマスクや維新軍などの新風に沸く新日本とは、大きく水を開けられていたのが実情だった。 鶴田を確固たるエースとしてファンに認めさせるには、それまでの海外一流選手と好勝負はしても勝ちきれない、“善戦マン”との評価を変える必要があった。 そのためにまず行われたのが、ルー・テーズによる“へそで投げるバックドロップ”の伝授であり、続いてのインター王座獲得。そうして迎えたAWA戦は、鶴田にとって必勝が義務付けられていたといっても過言ではない。 「ただし、いくら世界戦とはいえ、ニックと鶴田で大会場を埋めるのは難しいというのが会社の判断で、特別レフェリーには前年に引退試合を行ったテリー・ファンクが配された。さらに、セミファイナルでは、天龍源一郎とリッキー・スティムボートのUN世界王座決定戦も組まれました」(元・全日関係者) ちなみにこのUN王座はデビッド・フォン・エリックが保持していたが、防衛戦のため来日した直後に急死。急きょ決定戦に変更されて、天龍悲願の初タイトル獲得となっている。 メーンの鶴田vsニックは30分を超える熱戦となった。ニックの執拗な腕攻めなど老獪なテクニックに翻弄されながらも、鶴田は随所にパワーを発揮し、最後はテーズ直伝のバックドロップで仕留めてみせた。 鶴田の完勝によるAWA奪取と、その3日後の大阪での防衛戦は、ファンにとって意外なものだった。 「たとえ鶴田が勝っても、特別レフェリーのテリー絡みのトラブルで“タイトル移動がなくなるのでは?”との予測が外れたのがまず一つ。さらに2度試合が組まれていることから、馬場のNWA王座と同様、もし獲っても“すぐに陥落するレンタル王者に終わるのでは?”との見方です。いずれも杞憂に終わりました」(プロレスライター) この直後からアメリカに渡って3度の防衛戦をこなすと、帰国してさらに3戦。再度アメリカでツアー参戦し、5月にリック・マーテルに敗れるまで計16度の防衛を重ねることになる。 今に至るまで日本人プロレスラーの誰も成し遂げたことのない、まさに偉業である。 この米国防衛ロード、全日本側には鶴田格上げのためとの明確な理由があったが、ではAWA側が、なぜ未知数の日本人を王者に迎えたのかといえば、それにも理由はあった。 「80年代に入り激しさを増したWWFの攻勢に、AWAは大きな危機感を覚えていた。それでテリトリーを日本にも拡大しようという意図から、鶴田を王者に抜擢したわけです」(同) ところが、そんな両者の目論見はもろくも崩れる。 まず、当初の予定で鶴田は日米を股にかけ、長期王者として君臨するはずだったが、あまりのアメリカでの不人気で、その予定を変更せざるを得なかったのが誤算だった。 「異国人の鶴田ではベビー(善玉)は張れないし、かといって分かりやすいヒール(悪玉)でもない。アメリカの試合ではレフェリーの隙をついたラフファイトを見せたり、それを注意されるとリック・フレアーばりの『NO! NO!』もやりましたが、やっぱりそれだけでは受け入れられませんでした」(同) さらに国内では、長州力率いるジャパンプロレスの全日参戦が始まり、そちらに注目が集まることになる。その長州とのシングル戦で、鶴田は余裕の戦いぶりで格上感を見せつけたものの、逆に“本気を出していない”とファンの反感を招いたりもした。 また、AWAもWWFの大量引き抜きにより弱体化。日本では新日本とも提携するなど存続を模索したが、1991年には事実上の活動停止を余儀なくされた。
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スポーツ 2016年05月29日 13時13分
新奪三振王・岩貞「覚醒」にアノ人のアドバイスが!?
セ・リーグ奪三振(70個)、防御率(0.88)ともにリーグ2位(5月27日時点)。対戦チームのスコアラー、プロ野球解説者がこぞって『成長』を認めるのが、3年目の阪神・岩貞祐太投手(24)である。 「前年オフの台湾ウインターリーグで好投したので、阪神首脳陣はある程度は期待していたはず。金本監督(知憲=48)が就任した当初、チームの弱点は先発投手の頭数が不足していたことでした。5人目の先発ローテーション投手として期待していたのは、岩崎(優=24)だったはず。岩貞の成長は良い意味で計算外でした」(球界関係者) 岩貞は昨年、一昨年ともに1勝しか挙げていないが、今年はすでにチームトップの4勝を挙げている。投手出身のプロ野球解説者がこう言う。 「(対戦打者の)外角にキレのあるストレート、チェンジアップ系の変化球を決め込んでいる。緩急と、外角球のコントロールがバツグン」 岩貞の外角球が成長の証とも言えそうだ。 春季キャンプで臨時コーチを務めた下柳剛氏が『腕の振り』についてアドバイスを送っていた。矢野燿大作戦兼バッテリーコーチはストライクカウントを想定し、実戦を意識させた投球練習を課していた。 しかし、その外角球が『一流の武器』と化したのは、岩貞自身が「外角球の脆さ」を痛感したからだという。矛盾するような話だが、岩貞は外角球を生かすため、内角球を磨いたのだ。話は昨年9月15日の二軍戦に逆上る(対福岡ソフトバンク戦)。同日、岩貞は登板のチャンスをもらったが、ものにできなかった。松中信彦に2打席連続の本塁打を食らったのである。 関係者によれば、その松中が岩貞に直接電話を入れたそうだ。 「左バッター(を攻める)には内角球も必要」 おそらく、知人を介して岩貞の連絡先を調べたのだろう。岩貞がどう返したかは分からない。しかし、一般論として、インコースを攻めるときの投手心理では「ぶつけないように」と考えてしまい、どうしても腕の振りが悪くなる。腕の振りが悪くなれば、ボールのスピード、キレが落ちる。外角にどんなに優れたボールを投げられたとしても、一辺倒では相手打者は踏み込んできて強打する。その後、岩貞は投球練習ではインコースを意識するようになったという。 下柳氏、矢野コーチの助言や指導は、内角を意識していた岩貞に合致したのである。 4月2日の初登板だった(対DeNA)。6回裏二死走者なし。打席には筒香嘉智が立っていた。前の2打席はともに安打を許している。カウントは3ボール1ストライク、岩貞は捕手のサインに首を振ってから内角球を放り、最後は得意の外角球で見逃し三振に仕留めた。内角球があったから、外角球が生かされた。松中と同じ左打者の筒香を抑えたことが、自信につながったのだろう。(一部敬称略)
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スポーツ 2016年05月29日 13時05分
超変革野球で救われた阪神フロント
『超変革』をスローガンに掲げた金本阪神は“初づくし”である。<プロ初安打> 高山俊 3月25日 横田慎太郎 同26日 岩貞祐太 4月2日 北條史也 同3日 陽川尚将 同15日 原口文仁 同27日 板山祐太郎 5月1日<プロ初勝利> 横山雄哉 5月4日 初安打、初勝利を見ただけでも、若手の台頭は明らかだ。このほかにもプロ初本塁打などもあるのだが、北條の成長が興味深い。 北條史也(21)は2012年ドラフト会議で2位指名された。同年1位は藤浪晋太郎である。2人を比べるつもりはない。しかし、北條が指名された12年オフ、阪神は西岡剛(31)を獲得している。正遊撃手・鳥谷敬(34)も健在であり、二塁手、三塁手の控え選手層にしても決して薄いわけではなかった。高校屈指の好打の遊撃手を育てる気が本当にあるのか…。坂本勇人(27=巨人)がプロ2年目の08年に開幕スタメンで起用され、チームの中核選手に成長した前例も、ファンの脳裏に過った。まして、坂本と北條は同じ光星学院高の出身である。 ライバル球団のスカウトが「阪神全般」と前置きし、こう評していた。 「磨けば光る原石をしっかり指名してくるチームなんです。ただ、他球団が4位以下での指名を予定していた選手を上位指名することもあるので…」 “将来性重視”の指名方針は間違っていないが、選手の補強はドラフトだけではない。阪神がトレードを仕掛けると、相手球団から「交換要員で欲しい選手がいない」と断られることも少なくなかったという。将来性重視のドラフトを続けた代償だろう。 一方で、こう評する声も聞かれた。 「実は、阪神にはオフの度にトレードが殺到する控え選手がいたんです。今季プロ12年目で初の開幕マスクを任された岡崎太一ですよ。二軍暮らしが長かったとはいえ、岡崎は練習態度もマジメで、ブルペンに毎日入り、投手の練習相手も務めてきました。決して肩も弱い方ではないし、『使わないのなら』と水面下で探りを入れる球団も多かった」(在阪球団スタッフ) 北條は入団と同時に、対鳥谷という『大きな壁』を与えられた。西岡加入により、遠回りも余儀なくされたが、30代のこの2人が故障や不振で苦しんでいる今季、その存在がクローズアップされた。レギュラーとは与えられるものではない。とはいえ、実戦に放り込んでやらなければ成長しない。金本知憲監督の超変革によって、スカウト・編成部門のスタッフも「俺たちは間違っていなかった」と安堵しているのではないだろうか。