スポーツ
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スポーツ 2017年06月27日 16時00分
“稀勢高ブーム”到来! 名古屋場所は「田子ノ浦部屋」同士での優勝決定戦が現実に…
相撲ファンは、1990年代の“若貴ブーム”をもじって、同じ田子ノ浦部屋所属の稀勢の里と高安を合わせ、“稀勢高(きせたか)ブーム”と呼んで盛り上がっているが、互いを思いやる兄弟弟子は、今後、どうなるのか…。 新大関の高安(27)が7月9日から始まる名古屋場所での“優勝宣言”をして、注目を集めている。 高安の魅力の一つに、向こうっ気の強さがある。これは、力士の基礎を叩き込んだ先代師匠(元横綱隆の里)に、「土俵の中では、たとえ相手が誰だろうと気を使うな」と教えられたからだそうで、その手加減や遠慮なしの相撲には定評がある。平幕時代には、横綱日馬富士の横面を思い切り張ってみせた。 「畳の上では横綱に敬意を払わなくてはいけないけど、土俵の上では(番付の)上も下もありませんから」 平然とこのように答えていたくらいだから、優勝宣言ぐらいで驚いてはいけないのかもしれない。 6月11日、茨城県水戸市にある名横綱常陸山の銅像の前で、兄弟子・稀勢の里が奉納土俵入りを披露。その際、大関としては異例の太刀持ちを務めた高安は、最後の太刀持ちとあってこんなリップサービスをした。 「(この4カ月半)横綱の太刀持ちをさせていただき、とてもいい経験をした。(身近に)土俵入りを見られて刺激になった。今度は自分も違う形でこの場に戻って来られたらと思います」 “違う形”とはつまり、優勝者であり、横綱を意識しての発言だ。だが、高安のビッグマウスは、これにとどまらない。大関昇進前の記者会見で、次なる目標を問われたときのこと。 「優勝です。上(横綱)に這い上がるには優勝しないとできませんから」 こうなると、気になるのが稀勢の里との関係だ。先場所、途中休場してファンをがっかりさせているだけに、失地回復には優勝しかない。本人もその気十分で、6月15日には千葉県習志野市の阿武松部屋に、休場以来、初めて出稽古を敢行し、先場所、新入幕で敢闘賞を獲得した阿武咲を相手に指名した。 「見ての通り。いいんじゃないですか」 左肩にテーピングもせずに15番を取り、笑顔を見せていた。翌日には高安との稽古も再開。だが、もしこの2人が優勝決定戦にもつれ込むような事態になったらどうなるか。 「自分のために一生懸命やりたい」 高安は、兄弟子に遠慮する気はサラサラない。ガチンコでぶつかっていくだろう。モンゴル勢も指をくわえて見ているはずはない。土俵は「暑く、熱く、篤く」名古屋場所が盛り上がることは間違いない。
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スポーツ 2017年06月26日 17時00分
日ハムが大谷翔平に「無理」をさせた本当の理由…
大谷翔平(22=北海道日本ハムファイターズ)が一軍復帰した。交流戦明けの最初のカードとなる首位・東北楽天戦から一軍登録されたが、その出番はなかった。 「大谷が一軍に合流したのは6月20日。23日、栗山(英樹=56)監督が様子を見て、ようやくゴーサインが出ました。一軍登録にさえ慎重になったところを見ると、大谷の怪我は完治していないのでしょう」(取材記者) 一軍合流した20日だが、ランニングのときは天然芝の別グラウンドに向かわせる配慮もみせた。下半身への負担を軽減するためとはいえ、このシーンを見たとき、取材陣は「楽天3連戦でのスタメン出場はない」と直感したそうだ。 「栗山監督の心境からすれば、もうしばらくは大事を取って休ませたいはず。今の大谷は怪我が治っただけであって、実戦感覚を取り戻したわけではありません。二軍戦に出して、試合カンを取り戻させ、そのあとで一軍復帰させる方法もあったんですが」(取材記者) 去る6月19日、オールスターゲーム・ファン投票の最後の中間発表があった。大谷は指名打者部門で35万0070票を獲得。2位に約7万票の差をつけており、球宴出場はほぼ確実となった。 「今オフの入札制度によるメジャーリーグ挑戦は、長期欠場後も否定されていません。今年の球宴はWBCメンバーがセ、パに別れて対戦するので、例年以上に盛り上がるのは必至。大谷はWBCを辞退した引け目もあるのか、『球宴に出たい』との気持ちを強く持っています」(球界関係者) 日ハムのユニフォームを着ての出場が“最後”となれば、なおさらだろう。また、その気持ちを、早い時期に「球団が汲んでいた」とも解釈できる。 球宴のファン投票だが、今でこそ、インターネットでの投票が主流になっているが、マークシートの投票用紙も使われている。球団ごと、各ポシションのレギュラー選手を塗りつぶして選ぶ形態になっているが、NPBはその用紙を印刷発注する前に確認もしている。確認先は言うまでもなく各球団だ。その時期は4月下旬。大谷が左太ももを故障したのは4月8日。つまり、怪我の状況を把握していた日ハム球団が「大谷を出場させたくない、無理をさせたくない」と判断すれば、指名打者の欄からその名前を消すこともできたわけだ。 ルールによれば、野手部門での球宴出場の資格は「10試合以上の出場、もしくは20打席以上」となっている。大谷は故障離脱前に32打席に立っているので、その資格はある。 「球宴のことがなければ、栗山監督は大谷を二軍戦で調整させ、夏場以降に復帰させたと思います」(前出・同) 今年の球宴は7月14、15日。大谷の「球宴に出たい」との気持ちを球団がサポートしたことを受け、今オフのメジャー挑戦を確実視する向きも強まってきた。大谷がこれまでの遅れを取り戻そうと無理をすれば、故障再発のリスクも生じてしまう。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2017年06月25日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND55 〈大巨人が初のギブアップ〉 快挙の裏に隠された猪木の思惑
さすがのアントニオ猪木も1986年頃になると、ファンから“前田日明との対戦から逃げている”などの声が上がり、その衰えを指摘され始めた。そんな中で成し遂げたアンドレ・ザ・ジャイアントからのギブアップ勝利は、世界初にして唯一の快挙となった。 「故郷の田舎町に新日本プロレスの巡業が来た翌日、通っていた中学校での話題はアンドレ・ザ・ジャイアント一色でした。皆が口々に『パンフレットには身長223センチとなってるけど3メートルはあった』『近くで見たら校舎の2階ぐらいの高さだった』と、生で見る大巨人はそれほどインパクト絶大でした。このときはMSGシリーズで、ほかにも豪華外国人がそろっていたはずなんですけどね」(プロレスライター) テレビ放送では日本人選手をクローズアップしなければならず、その存在感を伝え切れない部分もあっただろう。しかし、生身のアンドレはやはり格別の存在であり、'74年のギネスブックに“年俸世界一のプロレスラー”と記載されたのはダテではない。 なお、このときの年俸は40万ドル(当時は1ドル=300円換算で約1億2000万円)とされ、同時期、メジャーリーガーの平均年俸が4万ドル程度だから、その10倍も稼いでいたことになる。 世界中のどこに行ってもアンドレ見たさに人が集まるのだから、ファイトマネーの高騰も当然のこと。基本的にベビーフェース(善玉)側のゲストとして各地をサーキットしており、新日参戦時のヒール(悪玉)役はむしろ例外だった。 しかし、「ベビー、ヒールに関係なく、ただただ大巨人の勇姿を見たい」というのが、ファンの本音であったろう。 そんなアンドレとの対戦にあたって、格闘技的意味での勝負を求めたのが、誰あろうアントニオ猪木だった。 今にしてみればこれを無粋と感じるファンもいるだろうが、当時“キング・オブ・スポーツ”を掲げてストロングスタイルを標榜した新日においては、いくら世界的人気者のアンドレが相手でもそこは譲れない一線であった。 「これはファンに対して、エンターテインメントではない“勝負”を見せたかったということであって、単なる勝敗とは別の話。星取りでいえば両者はまったくの五分で、最初の対戦では猪木がフォール負け(マネージャーが場外から足を引っ張ったところにジャイアント・プレス)を喫しています」(プロレス記者) そんな中で、猪木が勝ちにこだわった試合もあった。一つは'76年に行われた格闘技世界一決定戦である。 「その3カ月前、モハメド・アリとの闘いを世間から凡戦と酷評されたことで、猪木としては負けられない一戦となりました。この試合で猪木は、アンドレを一本背負いやリバース・スープレックスで投げ飛ばした上に、大流血に追い込んでTKO勝ちしています」 “格闘技世界一を名乗るなら俺を倒してみろ”というアンドレの挑発に応えて、プロレス界のナンバーワンを決めるという意味付けの試合でもあった。 そしてもう一つが'86年6月17日、愛知県立体育館で行われたIWGPチャンピオンシリーズの公式戦だ。 「この大会の直前、猪木は写真誌に不倫現場を撮られて懺悔の丸坊主にしていました。そのため、このアンドレ戦における勝利を“スキャンダルの汚名返上のため”と見る向きもあるようですが、事実は少し異なります」(新日関係者) 新日は前年10月にWWF(現WWE)との業務提携解消を発表しており、WWF主要キャストであるアンドレの新日参戦も、これがラストとされていた。 「そのため猪木としては、最後のアンドレ戦で完全勝利を果たしたかったわけです」(同) とはいえ相手は、'73年に前名のモンスター・ロシモフからアンドレにリングネームを変更し、それから10年以上にわたって一度たりともフォール、ギブアップでの負けを喫していない世界的スーパースター。 勝敗はプライドの問題であり、ファイトマネーを積めば何とかなるという話ではない。 「そもそもアンドレ側がクリーンな負けに納得するだけの金額は、低迷期にあった当時の新日には用意できなかったでしょう」(同) それでも交渉の結果、アンドレの合意を得て猪木は腕固めでギブアップ勝ちを収める。その後、WWFでヒールに転じてからは、ハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーにフォール負けを喫したものの、ギブアップを奪ったのは猪木が世界初にして唯一となった。 では、なぜアンドレは猪木の要求を飲んだのだろうか。 「アンドレは猪木がアリと闘った同日、異種格闘技戦でボクサーのチャック・ウェップナーと対戦(ヘッドバットから場外に投げ落としてリングアウト勝ち)しています。それで、同じくボクサー相手に闘った猪木に、何かしら尊敬の念のようなものがあったのでは? もうアンドレは亡くなっているので、あくまでも想像に過ぎませんが…」(同)
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スポーツ 2017年06月25日 12時00分
飯伏幸太電撃参戦!新日本プロレス今年の『G1』は、日本全国 闘いサマー!!
「自分の感情がコントロールできるのか 大爆発してしまうんじゃないか」 新日本プロレス6.20後楽園ホール大会で、『G1 CLIMAX 27』エントリー選手が場内のスクリーンで次々と発表される中、最後の選手が発表される前に、その選手の背中とともにこんなメッセージが流された。その選手とは、“ゴールデン★スター”飯伏幸太である。 飯伏は2013年10月に日本プロレス界初の2団体所属(もう1団体はDDTプロレス)として、新日本に入団したが、頸椎椎間板ヘルニアの影響で、2015年11月より長期欠場。昨年2月に両団体を退団後、復帰を果たし飯伏プロレス研究所の所属として国内外の団体に参戦。新日本マットには約1年8か月ぶりの復帰となる。 飯伏は過去にジュニアヘビー級時代の2013年と、ヘビー級に転向を果たした2015年の2度『G1』に出場しているが、いずれも4勝5敗と決勝進出はおろかリーグ戦で勝ち越せてもいない。注目のブロック分けは6.26後楽園大会で、各大会の公式戦は翌6.27後楽園大会で発表されるが、飯伏の参戦が発表されるとブロック分けやカード発表を待たずして、各大会の前売り券の売り上げが伸びており、完売の席種も目立ってきた。優勝決定戦が行われる8.13両国国技館大会をはじめ、チケットが残りわずかという大会も少なくない。飯伏の『G1』参戦、新日本マット復帰のインパクトは、悲鳴にも似た大歓声があがった後楽園ホールだけではなく、新日本プロレスワールドなどで生中継を見ていたファンもSNSで一斉に発信したため、プロレスファンのSNSのタイムラインがしばらくの間、飯伏一色となるといったパニック状態だった。 「悪くなってしまったので、闘いたいですね」 今年の3月12日に放送された『現役・OBレスラー200人&ファン1万人がガチで投票!プロレス総選挙』(テレビ朝日系)の中で、15位にランクインしたかつての盟友ケニー・オメガを前に、ゲスト出演した飯伏はこんなコメントを残している。オンエア後、このコメントに対してケニーが反応したことで、ファンも「いつかはまた2人の試合が見たい」という声が高まっていた。また、飯伏の口からは節々に同級生である内藤哲也を意識する発言も飛び出しており、飯伏退団後にヒールとして大ブレイクを果たした両選手との対戦が、今年の『G1』で実現するのか、非常に注目される。 他にも激闘を繰り広げたオカダ・カズチカや、飯伏が神と仰ぐ棚橋弘至、そして3年ぶりに出場する鈴木みのるには勝ったことがない。また飯伏退団以降に新日本マットに登場したSANADAや、凱旋帰国したEVIL、ザック・セイバーJr.との対戦も実現すれば新鮮だ。 今年の『G1』のキャッチコピーは“日本全国 闘いサマー!!”とつけられた。猛暑が予想されている今年の夏。“鬼軍曹”故・山本小鉄さんの言葉を借りるなら、リング上が40℃を超えるのは間違いない。 ゴールデン★スターが電撃復帰を果たす今年の『G1』は、9月から来年1.4東京ドーム大会までの新日本マットを占う上で、大きな意味を持つ大会になる。新日本マットの中心に飯伏は再び割り込んでくるのか?全試合を見逃すな!■『G1 CLIMAX 27』出場メンバー棚橋弘至【16年連続16回目の出場(※2007年&2015年優勝)】真壁刀義【14年連続14回目の出場(※2009年優勝)】マイケル・エルガン【3年連続3回目の出場】オカダ・カズチカ【6年連続6回目の出場(※2012年&2014年優勝)】後藤洋央紀【10年連続10回目の出場(※2008年優勝)】石井智宏【5年連続5回目の出場】矢野通【11年連続12回目の出場】YOSHI-HASHI【2年連続2回目の出場】ケニー・オメガ【2年連続2回目の出場(※2016年優勝)】バッドラック・ファレ【4年連続4回目の出場】タマ・トンガ【2年連続2回目の出場】内藤哲也【8年連続8回目の出場(※2013年優勝)】SANADA【2年連続2回目の出場】EVIL【2年連続2回目の出場】小島聡【2年ぶり15回目の出場(※2010年優勝)】永田裕志【19年連続19回目の出場(※2001年優勝)】ジュース・ロビンソン【初出場】鈴木みのる【3年ぶり7回目の出場】ザック・セイバーJr.【初出場】飯伏幸太【2年ぶり3回目の出場】 全20選手が、AブロックとBブロックに10選手ずつ分かれて、7.17北海きたえーる大会から8.12両国大会までの18大会で総当りリーグ戦を開催。両ブロックの1位選手が、8.13両国大会で優勝決定戦を行う。(どら増田)【新日Times vol.71】※写真:飯伏幸太選手 (C)新日本プロレス
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スポーツ 2017年06月24日 17時30分
阪神糸井復活のウラで金本監督が球団社長と極秘会談!
金本阪神が敵地・マツダスタジアムでリーグ戦を再開させた。注目は左太もも裏を負傷していた糸井嘉男(35)のスタメン復活だが、金本知憲監督(49)はチームにカンフル剤も注入していた。 「糸井の欠場前は『左翼・福留、中堅・高山、右翼・糸井』の布陣でした。この布陣に戻すのなら、糸井の欠場中に奮闘した中谷(将大=24)が弾き出されてしまう。中谷を使い続けるとすれば、彼が他に守れるのは一塁。そうなると、今、一塁を守っている原口(文仁=25)を引っ込めなければなりません」(22日時点/プロ野球解説者) さらに、金本監督は二軍からドライチルーキーの大山悠輔(22)を昇格させた。大山は外野も守れるが、二軍では主に三塁を守ってきた。したがって、三塁手の鳥谷敬(35)もウカウカしていられなくなる。 チーム全体に緊張感を与え続ける金本采配が今季の好調さに結びついたわけだが、同監督は敵地・広島入りする直前の6月21日、坂井信也オーナー、四藤慶一郎球団社長らと“極秘”の食事会に招かれていた。 「オーナー、球団社長側が金本監督を招きました。話題は当然、ペナントレースの今後についてです」(球界関係者) 阪神球団は経営陣がチーム状況の報告を受ける会合を定期的に設けている。チームも好調なだけに会話も弾んだと思われるが、気になる点もあった。 「金本監督の契約任期が分からなくなりました。就任当初、任期に関する正式な発表はされませんでした。でも、『3年』と見る向きが強くあって」(前出・プロ野球解説者) 当時の金本監督は関西系テレビに何度か出演し、阪神ファンのタレントたちから「向こう2年は最下位でも構わないから、若手を育ててくれ。3年目に優勝してくれたら」なる激励も多く受けていた。これが不確定な3年契約説を広めた一因だろう。 四藤社長は一部の関西系メディアの取材を受け、金本監督と会っていたことを認めている。キナ臭い話題はなかった旨も強調していたが、「来季以降のチーム展望の話か?」の質問には言葉を濁している。 「金本監督が糸井のFA獲得をフロントに要請したのは、昨年8月のスカウト会議の席上でした。この時期、阪神に限らず、来季について話し合うのは珍しいことではありません」 球団社長が言葉を濁した理由だが、金本監督の今後、つまり契約任期の話も含まれていたのではないだろうか。3年契約だとしても、単なる3年ではなく、「3年目の契約は2年目の成績次第」との条件付きだったとすれば、四藤社長の言動にも合点がつく。 「シーズン途中に監督の去就問題が騒がれれば、たとえ任期延長であっても、チームはざわついてしまいます。その典型例が3年前のDeNAです。前半戦を好成績で終え、フロントは中畑清監督(当時)に続投を要請しましたが、DeNAは一気に失速してしまいました。来季も指揮官が代わらないとなれば、出場機会の少ない中堅、若手は使ってもらいたい一心で余計な力が入り、レギュラーは妙な安堵感を持ってしまいます」(前出・プロ野球解説者) 四藤社長はDeNAの二の舞を防ぎたかったのだろう。 リーグ戦が再開された23日、糸井は2安打と気を吐いたが、注目の大山は代打で起用され、空振りの三振。先発のメッセンジャーも初回から3点を失い、金本監督が注入したはずの“緊張感”は効果が見られなかった。経営トップとの会食が金本監督に余計な緊張感を与えたとすれば、皮肉なものである。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2017年06月24日 15時00分
熱き侍たちが躍動!! メジャーリーグ Times 泥沼の田中将大に関する9つのQ&A
今週は極度の不振にあえぐ田中将大にスポットを当てる。いくつかの疑問を提示しながら彼の置かれた状況に理解を深めていきたい。 Q1:現在の防御率と被弾率(9イニング当たりの被本塁打)は全体の何位か? A:6月9日時点の防御率6.55はア・リーグの規定投球回数に達した42人の先発投手中42位(ワースト)。被弾率2.32は同42投手の中で40位だった。ちなみに、昨年は防御率が3.07で38投手中3位。被弾率も0.99で38投手中9位だった。 Q2:今季、頻繁にホームランを食らうようになった理由とは? A:最大の要因は多投する3つの球種(スプリッター、ツーシーム、スライダー)が浮いて甘いコースに行くことが多くなったことだ。特に、スプリッターが落ちずに打ち頃の高さに来ることが多い。そのため、昨年までメジャー最高と評価されたスプリッターは、一挙に平均レベルまで評価が下がってしまった。 Q3:先発ローテーションを外される可能性は? A:防御率次第だ。田中が5点台前半をキープできれば、ヤンキースはローテーションから外さずに使い続けるだろう。'15年にC.C.サバシアが復活した時も、防御率5点台がずっと続いたが、辛抱強く使い続けた。しかし、防御率が5点台後半から6点台に高止まりしているようだとローテを外され、マイナーから引き上げられた有望株にとって代わられることになる。 最初に呼ばれるのはチャンス・アダムズだろう。今季開幕時は2Aに在籍していたが、4勝0敗、防御率1.03という抜群の数字を出して5月上旬に3Aに昇格。ここでも3勝2敗、防御率2.17というハイレベルな数字を出している。アウトピッチ(傑出した球種)は高速スライダー。強烈なスピンがかかったフォーシームも威力抜群で、高速スライダーを低目に、フォーシームを高目に投げ分ける制球力もあるので、ハイペースで三振を奪える。 このアダムズ以外にも、ヤンキースのマイナーには逸材がひしめいているので、興味のある方は表をご覧いただきたい。 Q4:一度ローテーションから外されると、復帰に時間がかかる? A:ドジャースのようにハイレベルな投手がローテにひしめいているチームだと、ローテ復帰は容易ではない。しかし、ヤンキースのように故障リスクの高いベテランとスタミナに不安がある若手が同居するローテだと、欠員が生じやすく、比較的短い時間で復帰できる。 Q5:ローテーションから外れたあと、セットアッパーとして起用される可能性は? A:リリーフで使われることはないだろう。DL入りしてしばらく投球フォームの見直しを行ったあと、先発投手として復帰する準備に入ると予想される。 Q6:極度の不振は、中4日で投げなくてはいけないことと関係するのか? A:NO。今季、田中は中5日が基本だ。ヤンキースの先発陣は中4日が基本だが、特別扱いを許された田中は、中5日が基本になるようスケジュールが組まれている。そのため、今季先発した12試合で、中4日で先発したのは3試合だけ。9試合は中5日か、それ以上の登板間隔だった。それなのに防御率が6点台というのは理解に苦しむ。 Q7:ベテラン捕手のブライアン・マッキャンが昨季終了後、トレードで出た影響はあるのか? A:田中はマッキャンと相性がよくなかった。そのため、昨年8月以降は大型新人捕手ゲーリー・サンチェス、および第2捕手のオースティン・ローマインと組んで好結果を出していた。 今季はこの2人のうち、強気のリードをするサンチェスと組むと長打をたて続けに打たれてKOされるため、ローマインと組むことが多くなっている。 数字を比較しても、ローマインとバッテリーを組んだ7試合は、防御率が3.19であるのに対し、サンチェスと組んだ6試合は11.59。その差は歴然としている。 Q8:以前に比べると、速球系の威力が落ちているように見える。これは、ヒジや肩に故障があるのを隠して投げているからではないか? A:たしかに、田中の速球は威力がイマイチで被打率も高い。しかし、スピードは昨年に比べると平均2キロくらいアップしている。もしヒジや肩に故障があれば、球速が増すことはなかったはずだ。 Q9:先発陣のリーダー役になることを期待されている理由は? A:大ベテランのサバシアは今季限りで契約が切れるため、シーズン終了後チームを去る。来季はその役回りを田中が担うことになる。サバシアは面倒見がよく、人望があったので、ちょっとやりづらいかもしれないが、田中はユーモアのセンスは抜群なので、周囲からはいつも笑いが絶えない。親しみやすい兄貴分になるだろう。スポーツジャーナリスト・友成那智(ともなり・なち)今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2017」(廣済堂出版)が発売中。
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スポーツ 2017年06月23日 16時00分
引退・宮里藍に協会が五輪コーチ要請でも不安な若者のゴルフ離れ
今季限りでの引退を表明した女子プロゴルファー宮里藍(31)が、“オヤジの玩具”になるしかない? 去る6月7日、日本ゴルフ協会は定例の理事会を開き、その後の会見で、五輪競技対策本部強化委員長・倉本昌弘氏が、「(宮里に)東京五輪での女子担当コーチを要請したい」と打ち明けた。 同日のその時間、宮里はサントリーレディスの試合会場にいた。だが、倉本氏は「五輪競技対策本部の総意」とも言い切った。 「宮里は引退後の人生プランについて『ゴルフに関わっていきたい』とは言っていましたが、曖昧にしているところもある。ただ、担当コーチについては、宮里の今季全日程終了後の正式要請を前に、すでに水面下で承諾の意志確認もされていたと見るべきでしょう」(専門誌記者) 突然の引退表明については、米メディアも取り上げていたが、冷静に捉えており、各競技のトップ選手の年齢が若くなっている点についても触れていた。 「若くして頂点に立つと、燃えつき症候群のようになると懸念していました。同時に、若者のゴルフ離れが深刻だとし、米国ゴルフ市場調査会社『ナショナル・ゴルフ・ファンデーション』のデータを紹介。ゴルフ人口そのものが減少傾向にあるとも指摘している」(海外特派記者) 同データによれば、趣味でゴルフをする愛好家も、5年間で200万人も減少したという。 そもそも若者のゴルフ離れの最大要因は、プレー時間が長いことにある。テレビ中継もしかりで、スポーツでありながらスリリングな展開もなく、無言の心理戦が延々と流されているだけ。その奥深さを理解し、楽しめるのは、やはり人生経験の豊富な年長者に限られてしまうのだろう。 「昨夏のリオ五輪からゴルフ競技が復活しましたが、日本はゴルフの中継を見送っている。しかし、東京五輪となるとそうもいかない。そこで協会は、宮里がコーチになれば、普段、ゴルフに興味を持たない人たちにアピールでき、視聴率にもつながると踏んだわけです。コーチにはリオ五輪で男女双方を指導した丸山茂樹氏も残留する。しかし、笑顔と実力でオジサンたちのアイドルだった宮里が加わったところで、根本的なゴルフの若者離れの歯止めにつながるとは思えません」(ゴルフ関係者) 五輪本番まで、どこまで注目を集められるか。
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スポーツ 2017年06月22日 16時00分
侍ジャパン 松井秀喜監督、清宮幸太郎代表入りビッグ構想
清宮幸太郎(早稲田実業3年)が6月4日、愛知県で行われた招待試合で高校通算100号アーチを放った。早稲田大学への内部進学という進路予想も強まりつつあるが、プロのスカウトによる評価はさらに高まった。 「100本打ったからではありません。打撃が進化しました。少し前なら、得意の低めを意識するあまり、内角高めのストレートに振り遅れるか、外に逃げていくスライダーに対応できませんでした。でも、トップに構えてからのスイング軌道が少し変わった。高めに意識を置いても、低めの甘いボールを見落とすことがなくなりました。独学でここまで修正できるのだから、大学、社会人を含め、ドラフト候補の野手ではナンバー1でしょう」(在京スカウト) 昨秋の東京都大会で左投手のスライダーに5打席連続5三振を喫した“悪夢”は、完全に払拭したというわけだ。そんな清宮を追うネット裏のスカウト陣にも変化が見られた。 昨年度、早実の学生387人中377人が早大に進学している。この流れに逆らえないとする進学説に何かしらの裏付けを得たのだろう。視察からフェードアウトした球団も出ており、「まだ、決めつけるのは早い」と、プロ入りへの希望的観測で見守り続ける球団もないわけではない。 「RKK招待試合(5月14日)で、前打者が敬遠される屈辱に見舞われました。清宮を見たいとするファンを意識したプレーが学生野球に相応しいか否かは別として、これまで清宮は、まともにストライクを投げてもらえなかった。かつて、松井秀喜氏が敬遠事件を機にプロ入りを決心したように、清宮の心境にも変化があったようです」(前出・在京スカウト) いずれにせよ、清宮が進路を明確にするときは近い。その時期についても状況が変わってきた。「日本一を意識しているので、今夏の甲子園後」と見られていたが、最終ステージは「カナダ」になったという。 世界野球ソフトボール連盟主催『U-18ワールドカップ』が、9月1日からカナダ・サンダーベイで開催される。夏の甲子園の出場如何に関わらず、清宮が日本代表入りするのは間違いない。 「カナダで彼の本心を聞くつもりです。'06年、夏の甲子園大会後、12球団スカウトは国際大会に招集された斎藤佑樹の説得には失敗しましたがね」(球界関係者) 清宮が将来についてハッキリと明言したのは1回だけ。「東京五輪に出たい」との夢だ。野球・ソフトボールは、プロ、アマチュアの協力体制によって、東京五輪での追加競技の当確を勝ち取った。次の侍ジャパン監督は、「東京五輪の指揮官」とも位置づけられているが、7日に開かれた強化委員会では、候補者を絞り込むことはできなかった。 「決まらなかった理由? この委員会がプロ・アマ合同で組織されていますからね。アマチュア側の意見も聞き入れなければなりませんし、プロ側の意向だけを通すわけにもいきません。一応、強化本部長を置くことは決定しました」(同) 同委員会は、事実上のゼネラルマネージャーとなる強化本部長を「代表監督よりも先に決めること」を確認した。今後、代表選手の選考は監督ではなく、強化本部長がイニシアチブを握っていく体制となる。 「この新体制が候補者の原辰徳氏に二の足を踏ませたようです。原氏は巨人監督時代、GMと衝突していましたので」(ベテラン記者) 他にも候補者の名前は出ているが、決定打がない。中畑清氏はアテネ五輪でミソを付けている。栗山英樹氏は日ハム指揮官としての“今後”が不透明で、「兼任の可能性」が懸念されたという。落合博満氏もいるが、先の委員会でプロ側出席者だった井原敦氏(NPB事務局長)は会合後、「経験と世代交代の両論があった」と、打ち明けた。 委員会の出席者が内情を明かす。 「もう、井原さんと全日本野球協会理事・山中正竹氏の2人に決めてもらうしかない。出席者が10人いれば、最低でも3人の候補者が出て、意見がまとまらない」 アマ側は東京五輪の代表チームに「アマチュア選抜枠を確保してくれ」と要望している。ともにロビー活動を行ったプロ側も「今後も友好関係を」と考えており、この要望を受け入れるつもりだ。 「松井秀喜氏なら、アマ側も納得するはず。最低でも打撃コーチで入閣させたい。五輪を戦うのはメジャー中継を見て育った世代ですからね」(前出・球界関係者) 井原局長は「7月末まで」と監督選出の目処を語っている。松井氏は自身が代表を務める組織のイベントに出席するため、6月下旬に帰国する。日程的に、「松井氏に交渉して最終判断」というのは可能だ。 「清宮がアマ枠で五輪チーム入りすれば、“新旧怪物”のツーショットが実現します。プロ・アマ友好の象徴ともなるはず」(同) 現場スカウトたちは、新代表監督の意向を聞き、カナダで清宮の『進路』を確かめるつもりだ。 とにかく、プロ・アマ友好もけっこうだが、大事な“怪物”の将来を政治的な厄介事に巻き込んではならない。
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スポーツ 2017年06月21日 16時00分
30億円補強失敗 巨人に浮上する「落合GM、川相監督」論
12球団で最古となる83年の歴史を誇る読売巨人軍で、球団ワーストの13連敗を喫した高橋由伸監督。球界の盟主を自負する巨人は契約の順守にこだわり、これまでシーズン途中の監督解任は1度も行っていない。今季もシーズン終了を待っての「辞任説」が早くも囁かれているが、連敗脱出後、すぐにまた連敗で雲行きが怪しくなってきた。 そんな暗雲たれ込める6月13日、都内で巨人の株主総会と取締役会が開催された。関係者によれば、俎上に上がったのは、3年ぶりのV奪還をお題目にFA選手3人を含む総額30億円もの巨費を投じた大補強の失敗。親会社の読売新聞グループ本社代表取締役である渡辺恒雄主筆もひどく立腹しており、チーム編成でトップを務める堤辰佳GMをはじめ、担当取締役の責任追及は避けられない。 「グループ内で、堤GMの解任を求める声が日増しに強まっていたのは事実です。監督を切れないのなら、編成部門のトップが責任を取るのは当然だと。しかし、堤GMは慶大野球部の出身で、高橋監督とは先輩・後輩の間柄。後ろ盾といってもいい関係で、高橋監督は堤GMをクビにするなら自分も辞める、と言い出した。そのため、『シーズンオフまで現体制で臨むしかない』というが、どうなるか…」(スポーツ紙デスク) そこで浮上しているのが、川相昌弘三軍監督を一軍に昇格させて、ヘッドコーチに抜擢する案だ。 川相氏は'04年、巨人から中日に移籍し、落合博満氏の下で「オレ流」野球を吸収。'11年に指導者として巨人に戻った経緯がある。そのキャリアが今こそ生きるという期待で、やはり巨人OBの広岡達朗氏がバックアップしているという。 背景にあるのが、次期監督が約束されている松井秀喜氏の去就だ。球団ワースト記録の更新に加えて、FA選手と外国人選手頼みのチーム体制に難色を示しているという。一方で、生え抜きの好素材を数多く抱えながら育てきれず、今季も他球団に放出し、魅力的な若手不在の現状に「とてもじゃないが、受けられない」と固辞しているというのだ。 「川相氏の一軍昇格は、オフの高橋監督解任を見据えた調整が狙いだが、暫定監督の可能性もある。どうにもならないチームを2年で立て直し、松井氏にバトンを渡すのが使命。巨人が三軍制を敷いたのも、川相氏に次期主力を育成してもらうのが狙いだった」(巨人OBの野球解説者) 巨人のGMは、代々ユニホーム組ではなく、読売新聞社出身の幹部社員が務めてきた。しかし、今回の失敗で、球界出身の実力者へのスイッチが確実視されている。そこで白刃の矢が立っているのが、川相氏の師匠に当たる落合氏。チーム編成同様、コストカットの手腕はピカイチだ。 落合氏はれっきとした巨人OBであることに加え、渡辺主筆の覚えもめでたい。以前は「監督としての手腕は原監督以上」と高く評価されていた。中日にも逆転されて5位に転落した巨人、“劇薬”が必要だ。
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スポーツ 2017年06月21日 12時30分
ロッテ井口「突然の引退表明」でも語られなかった“今後”
千葉ロッテマリーンズの井口資仁(42)が今シーズン限りでの現役引退を表明した(6月20日)。 「長いプロ野球人生を振り返って…」の問いに、「(今季は)まだ70試合以上残っているわけだから、少しでもチームに貢献して、活躍できるように」と語っていた。常に前向きな井口らしいコメントだった。 「シーズン半ばで引退を表明するのは、メジャーリーグでは珍しいことではありません。メジャーを経験した新庄(剛志)氏もシーズン途中で引退を表明しており、井口と球団は正式発表のタイミングを見計らっていたのでは」(プロ野球解説者) しかし、この井口の引退会見を知らされていた者とそうでない者がいた。ダイエー時代の恩師でもある王貞治氏にはかなり早く報告していたらしく、井口本人が「悔いのないよう、しっかり頑張ってのお言葉をいただいた」と話している。 対照的なのが、伊東勤監督だ。伊東監督は「突然のことで『えっ!?』という感じ」と話していた。 一般論として、選手が引退を決めたとき、最初に報告するのは、直属の指揮官だ。次年度以降のチーム編成に影響するのを避けるためで、今季の後半戦にしても、千葉ロッテがクライマックスシリーズ進出圏に浮上してくれば、「本拠地最終戦」を引退セレモニーとして提供できなくなる可能性もある。先の「知らなかった」発言を額面通りに受け止めれば、伊東監督は蚊帳の外ということになるが…。 「今季の千葉ロッテは下位に低迷(6月19日現在5位と7.5ゲーム差の最下位)しています。優勝圏外のままでは後半戦の観客動員数にも影響してきます。穿った見方かもしれませんが、井口の引退表明は営業的には大きなプラス材料です」(球界関係者) チーム低迷の原因は、戦力補強の失敗に尽きる。また昨年オフ、伊東監督自身も4季のロッテ指揮官生活に納得ができたのか、進退を“白紙”にした状態でフロントと17年シーズンの話し合いに臨んだとも言われている。 「チーム低迷の敗因は伊東監督のせいではないとはいえ、今オフは首脳陣の入れ替えを含めたチーム改革がされるはず」(前出・プロ野球解説者) 井口が千葉ロッテのユニフォームを着たのは、09年。古巣帰還を選択しなかったのは、ダイエー球団要人としてそのスカウティングにも関わった当時の千葉ロッテ球団代表・瀬戸山隆三氏の存在があったからだという。 「当時、現役引退後についても何かしらの条件提示がされたと言われています。もっとも、瀬戸山氏はすでにロッテ球団を退社していますが」(前出・関係者) 瀬戸山氏の退社後も、井口は精神的支柱としてチームを牽引してきた。引退会見では今後について「全く考えていない」と語っていたが、これから着手されるチーム改革に携わって行く可能性は捨てきれない。(スポーツライター・飯山満)
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