スポーツ
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スポーツ 2017年05月29日 16時00分
金本阪神を援護射撃する巨人体たらくとラミレス横浜の筒香塩対応
この“意外な戦況”は、長く続きそうだ。セ・リーグ首位戦線は大方の予想を覆し、金本阪神が優勢を保っている。 だが、それと同時にチーム関係者の中からも「今のうちだから…」と、消極的な声も聞かれた。 「勝因は、最大の懸念材料とされていた救援陣がナンヤカンヤ言われながらも、しっかりと結果を出していることです。ドリスがリーグトップの17セーブを挙げ、セットアッパー役のマテオが稼いだ17HPもリーグトップ。昨季、一軍登板のなかった桑原謙太朗は、すでに40試合中19試合に登板し、防御率は0点台です」(ベテラン記者) V候補の広島、大型補強の巨人が追撃態勢を整えられず、DeNAにしても、侍ジャパンの4番・筒香嘉智(25)が不調に、体調不良も重なってスタメン落ちしてしまった。 「広島は昨季の沢村賞投手、ジョンソンがいまだ二軍調整中です。WBC出場選手の不振が指摘されていますが、一番重症なのは筒香です。筒香の打席で一打同点、一発が出れば逆転という場面が何度もありましたが、気持ちばかりが焦って、凡打の山を築いています。筒香が復活すれば、セ全体の勢力分布図も大きく変わってきます」(同) 今風の言葉でいえば、筒香の周辺では“塩対応”が続いている。アイドルがファンの前で素っ気ない態度を見せることを言うのだが、大声援に応えられない筒香の態度は、まさにそれ。 また、ラミレス監督も「筒香を信じている」とするコメントを重ねていたが、「悩んでいて、中途半端なスイングをするだけなら、スタメンを外すか、打順を下げるのも一策」と、病気欠場を押し、4番スタメン起用一辺倒だった采配に疑問を呈する声も多い。「見守る」のラミレスの采配も“塩対応”のように映る。 前半戦の山場は、5月30日から始まるセ・パ交流戦だろう。 阪神には'08年、最大13ゲーム差をひっくり返された「メークレジェンド」のトラウマもある。 「金本知憲監督の采配も変わってきました。昨季はどんなに批判が続いても、若手を優先して起用するスタンスだけは絶対に変えませんでした。でも、今年は北條史也をスタメンから外し、高山俊もベンチスタートとなる試合がありました。不振の若手を外したきは、勝利を意識しているからです」(球界関係者) メークレジェンドの引き立て役にされた'08年、金本監督は現役だった。雪辱の思いが強い。 「仮に優勝できなかったとしても、クライマックスシリーズに進出すれば、金本体制は安泰となり、発言力も強まってきます。昨年オフ、金本監督は鳥谷敬を放出することまで考えていたとされます」(スポーツ紙トラ番記者) チーム改革を“大義名分”に、金本監督がベテラン勢をリストラしないとも限らないのだ。 有事の際、混乱は必至。チームは好調でも、トラのお家芸は変わらないようだ。
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スポーツ 2017年05月29日 15時00分
東京六大学史上最強 法政三羽ガラス裏面史
東京六大学野球は戦前から“国民的スポーツ”として人気を集めてきた。1957年には長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾の“立教三羽ガラス”と呼ばれる3人が活躍し、チーム初となる春秋連続優勝を達成したほか、大学日本一を果たすなど、東京六大学野球は大いに盛り上がっていた。 当時の立教大・砂押邦信監督(故人)は、ナイター設備のない夜のグラウンドで石灰を塗ったボールを使う「月夜の1000本ノック」という伝説的な猛練習が有名だったが、その砂押監督と並ぶスパルタで知られていたのが、'65年に法政大学の監督に就任した松永怜一氏だった。 就任前の松永氏は法政大学附属第一高校の監督を長く務めていた。同高の野球部にいた私や田淵幸一も、松永監督版「月夜のノック」の体験者だ。 もっとも、田淵は当時から「プロ入り確実」と将来を期待される正捕手。同級生だった私は控えキャッチャーだった。 高校時代から間近で見てきた田淵の圧倒的な才能は私に挫折感を味合わせたが、その一方では大きな希望も抱かせてくれた。自分は選手としてはどこかで上を目指すことを諦めることになるかもしれない。それでも私が大好きな野球の世界で、田淵という男がどこまで上にいけるのかを見てみたい――そんな想いも抱くようになっていた。 1965年、田淵と私は共に法政大学へ入学、野球部に入部した。 田淵は経済学部、私は文学部哲学科だ。とはいっても、勉強した記憶などほとんどない。私たちの生活は、どこまでいっても野球が中心だった。 当時、法政大学野球部の合宿所(寮)は神奈川県川崎市中原区木月にあった。木造平屋建てで、あちこちにへこみがある廊下を歩くとミシミシと音がした。 寮には中央の廊下を挟んで6畳の部屋が5室あった。一部屋に入れるのは5人で計25人。ベンチ入りする選手だけが寮に入ることを許された。廊下の一番奥がマネージャー室になっており、松永監督が着替えなどをする事務室兼用になっていた。 部屋では、上級生が一番窓側横に布団を敷き、下級生は入口に足を向けて寝る。体格のいい若者ばかりのため、寝る体勢はいつもギリギリで足の踏み場もなくなる。夜中に上級生が共同便所に行くたび、寝ている下級生は顔や足を踏みつけられたものだ。 野球部の上下関係は今とは比べ物にならないほど厳しく、4年生と3年生は「神様」、2年生は「天皇」で、1年生は便所や風呂を掃除する雑用係も兼任しなければならなかった。 田淵の自宅は東京だったが、レギュラーに抜擢されたため、1年生からこの寮に入ることになった。下級生にとっては地獄のような環境だが、それでもベンチ入りメンバーになれたということのほうが、はるかに重要だった。 この年、法政大野球部の監督が田丸仁士氏から松永氏に代わっている。その松永新監督は、法大一高時代の教え子でもある田淵をレギュラー捕手に抜擢した。 田淵と私の同学年には、甲子園出場組で関西の有名高校から来た捕手が2人もいた。そのため、「あいつは松永さんが来たから寮(=ベンチ)に入れたんだ」と田淵を妬む者もいた。 大阪の興國高校で4番を打っていたスラッガー・富田勝も、入学当初は田淵にいい感情を持っていなかった。残念ながら富田は一昨年5月に他界してしまったが、生前、よく私にこんな話をしていた。 「モヤシのようなブチ(田淵)と出会って、『こんなひ弱なお坊っちゃまに負けられるか!』と思ったよ。ブチも先頭に立って人を引っ張るような強い性格ではなかったからな。でもあるとき、俺が練習を終わってからグラウンドを走っていると、後ろからブチがついてきたんだ。すぐヘバるだろうと思ったけど、最後までついてきた。高校時代にスパルタ練習の松永さんにしごかれたと聞いていたから、見かけよりスタミナがあることは分かった。それに、なんといってもバッティングを見て参った。俺も飛ばすことにはかなり自信があったが、あのリストアクションは天才だった」 まだ寮に入ることができず、木月グラウンド近くの新丸子に借りた下宿から練習に通っていた富田だが、田淵の実力を認めると、こうも言っていた。 「俺はケンカっ早いが、ブチは争い事が嫌いな性格だ。だからこれからは、俺が体を張ってブチを守るぞ!」 そしてもう1人、広島県立廿日市高校から投手として法政大野球部に入部していた山本浩二。彼も、もがいていた。 高校時代の浩二の評判を聞いた南海ホークスの鶴岡一人監督が、「今プロに入っても通用しない」と大学進学を勧めたというが、当時は富田と同じ一般野球部員でしかなく、無名で目立たなかった。浩二も寮には入れず、神奈川県にいた実兄の元から練習に通うというスタートだった。 田淵は1年生の春から試合に使われ始めた。チームの内外からは、「松永監督は田淵をえこひいきしている」と言うバッシングの声が日に日に増しており、田淵本人にもそれとなく耳に入っていた。 「監督に申し訳ない。早く結果を出さないと」 田淵は焦りまくっていたが、春から秋の2シーズンで4本の本塁打を放ち、自らのバットで批判の声を打ち消してみせた。 田淵は1年生で唯一、この年に開催された第6回アジア野球選手権大会の日本代表にも選ばれている。代表には早稲田大学の八木沢荘六(元ロッテ)、三輪田勝利(元阪急)、慶應義塾大学の広野功(元巨人)、明治大学の高田繁(元巨人)など、錚々たるメンバーが選ばれていたが、田淵は彼らに引けをとらない活躍を見せた。 大会初戦、田淵は3回裏に回ってきた第2打席でカウント2-1からのカーブを叩いて特大のアーチを放ってみせた。推定飛距離145メートルの場外ホームランだ。 試合が行われたフィリピンのマニラ・リサール球場には、あのベーブ・ルースと並んで、今でも「K・TABUCHI」の名前が刻まれている。 後で聞いた話だが、この試合の前日、田淵は代表の先輩たちからしこたま酒を飲まされており、ひどい二日酔いで試合に臨んでいたそうだ。 3年ほど前に、横浜DeNAの高田繁GMと話す機会があった。高田GMはこの遠征の記憶を懐かしそうに振り返りながら、こう話してくれた。 「フィリピンに行く前に早稲田大学の安部球場で打撃練習をやったんだけど、田淵はレフトに張ってあった数十メートルはある高い金網を越える打球を何発も放り込んでいた。そんな打球は誰も打ったことがなかったようで、近所の住民にお叱りを受けていたよ(笑)。あの広いリサール球場で打ったアーチも凄かった。アイツは天才だ。田淵のホームランは美しかった」 '66年の春、法政大学には新たに2人の有望投手が入部してきた。大分県立佐伯鶴城高校の山中正竹と、高知商業の江本孟紀だ。 特待生としての推薦入学だった江本は、田淵と同じく1年生から合宿所入りしたエリートで、法政のエースとなることを期待されていた。 もっとも、江本の“ひと言多い”性格は当時から変わっていない。高校時代の江本は部員が起こした不祥事によって、選抜甲子園出場('65年)を決めていたにもかかわらず辞退。同年夏も出場停止処分で参加すらできなかった。 結局、甲子園出場の夢はかなわず、この裁定を下した日本高等学校野球連盟(高野連)への不満を、誰憚ることなく口にしていたが、当時からどんな権力者であろうと簡単に屈するような男ではなかった。 そんな性格のため、江本は松永監督の方針にも再三にわたって反抗した。合宿所を飛び出し、同僚の捕手の自宅に閉じこもることもしばしばだった。 松永監督はエースとして山中正竹を試合に起用することを決意する。バッテリーの関係を密にするため、合宿所入りした山中は田淵と同室になった。玄関を入ってすぐ左側がこのバッテリーの部屋だった。 「田淵さんは私の思い通りに投げさせてくれました。後輩なのに、いつも『チビ、お前の好きなように投げろ』と言ってくれて…」 山中は投手としては小柄で、仲間からは「チビ」のあだ名で呼ばれていた。 一方の田淵も「チビは頭がいいから全部任せた。それだけバッティングに集中できた」と話している。 田淵はプロ入り後も、最後までリード面では高い評価を得ることはできなかったが、それも大学時代に優秀過ぎる投手と組んだからなのかもしれない。 昨年、野球殿堂入りを果たした山中は温厚な性格で、トガりまくっていた江本ともいい関係を築いていた。 後に山中は「江本がいなかったら、48勝(東京六大学通算最多勝記録)もできませんでした。彼が投げてくれたおかげで、48勝もできたんです」と同級生ならではのユニークなほめ方をしていた。 どういうことかというと、東京六大学は対戦カードが2勝先勝方式。2連勝すれば3戦目はない。つまり、江本が投げて試合に負け、3戦目までもつれ込む。山中の登板数も増え、勝ち星が稼げたというわけだ。 ちなみに、歴代2位は江川卓(法政)の47勝だ。 山中の入部は、山本浩二の野球人生も大きく変えることになった。山中と江本の加入によって、投手・山本浩二は必要なくなってしまったのだ。 松永監督の頭には、以前から浩二の外野手転向というプランがあった。コンバートされた浩二は猛練習によって打撃の才能を開花させ、2年生時にクリーンナップの一角に抜擢され、レギュラーの座を掴んでいる。 山中は今でもこんな冗談を口にする。 「僕が浩二さんの野球人生を開花させたんですよ! 僕がいなかったら外野手転向はなかったんですから」 この年の春、富田勝も念願の合宿所入りを果たしていた。当初は1番打者として起用されていたが、後に3番に昇格。こうしてクリーンナップに3番・富田、4番・田淵、5番・浩二という“法政三羽ガラス”が誕生し、投手には山中、江本…法政大学はいよいよ黄金時代を迎えることになる。(次号へ続く)【スポーツジャーナリスト:吉見健明】1946年8月24日生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。野球一筋50年目。法政一高では田淵幸一と正捕手を争い、法政三羽ガラスとは同期で苦楽を共にした。著書に『ON対決初戦 工藤公康86球にこめた戦い!』(三省堂スポーツソフト)等がある。
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スポーツ 2017年05月28日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND51 〈フルタイム涙の師弟対決〉 IWGP王者の藤波に猪木が挑む
1988年5月にビッグバン・ベイダーを下し、2代目IWGP王座に就いた藤波辰爾(当時は辰巳)。その3カ月後、師匠であるアントニオ猪木を相手に運命の防衛戦を迎えた。 今年になって、新日本プロレスでは本間朋晃と柴田勝頼が、また、DDTに参戦していた“帝王”こと高山善廣も、それぞれ首や頭部に重傷を負うリング禍に見舞われている。 「今はメジャー団体でも年間100試合程度。それでいて年間250試合をこなしていた時代よりも、目立って大きな事故が増えている。'09年の三沢光晴さんの死が教訓として生かされていないのは、実に残念なことです」(プロレスライター) 三沢の死因としては、社長業との兼務によるコンディション不備も言われたが、それ以上に年々高まる技の危険性の問題があった。 「頭から落とす技を進化させてきた競技は、プロレスだけ。それに対応する受け身の技術も発達して、例えば、四天王プロレスの頃は投げっぱなしのスープレックスに、額と前腕で受け身を取ったりしていたが、一つ間違えればたちまち選手生命の危険に瀕することに違いはない。その意味では新日が“過激なプロレス”と称された時代の方が、よほど安全でした」(同) 藤波辰爾に対する評価が、ファンからよりも選手間で高いのは、そうした昨今の事情と無縁ではない。 ジュニアで一時代を築いた藤波だが、ヘビー転向後は“アントニオ猪木に憧れてプロレス入りした”という経緯もあってか、これを押し退けてトップに立とうという気概に乏しかった。 一方で同世代のライバルには、自己主張の塊のような長州力や前田日明がいたため、ファンの関心はそちらに集まりがちだった。 「のちにミスター高橋の著書などで〈長州らに比べて弱い〉とされたことも、藤波の評価を下げる一因となりました。しかし、それはあくまでも格闘技的な視点でのこと。格闘技経験のなかった藤波が、五輪経験者の長州らに劣るのは仕方がない。それでもプロレスに限れば、若手の頃にゴッチ道場に住み込んで修行した藤波の技術力は、猪木やUWF勢にも決して負けていない」(同) それでいて技術をむやみにひけらかさず、また、相手の技を最大限に受け切ることで見せ場をつくる。受け身が取れないと恐れられたドラゴン・スープレックスこそは、昨今の危険技の端緒といえそうだが、それも対戦相手の故障を機に封印。以後はここぞという大一番でしか、使用することはなかった。 自己主張よりもリング上を大切にした藤波の姿勢は、今の選手からもリスペクトされているというわけだ。そんな藤波がただ一度、トップ獲りへの強い意思を見せたのが、'88年4月のいわゆる“飛龍革命”であった。 沖縄県那覇市におけるタッグマッチでビッグバン・ベイダーにフォール負けを喫した藤波は、控室に戻ると積もりに積もっていた思いを爆発させ、ベイダーとのシングル2連戦が決まっていた猪木にカード変更を迫る。 自ら髪を切る場面と藤波の滑舌の悪さばかりがクローズアップされ、現在は笑いのネタとなることも多いが、結果的に藤波はそのベイダー戦(初代王者・猪木のタイトル返上に伴う2代目王座決定戦)に勝利し、IWGP王座を獲得。長州の挑戦も退けると、次に師匠・猪木の挑戦を受けることになる。 「ジャンボ鶴田が、シングルの王座戦でジャイアント馬場の挑戦を受けたことはないし、もちろん馬場や猪木が、力道山の挑戦を受けたこともない。つまり、この藤波vs猪木は日本プロレス史上初めて、愛弟子に師匠が挑んだ試合であり、その意味で飛龍革命は、同時期にファンの支持を得た天龍革命以上に画期的だったともいえます」(スポーツ紙記者) そうして迎えた運命の8月8日の月曜日。同年春より土曜日夕方になっていたテレビ中継も、夜8時からの生中継特番とされた。 藤波34歳、猪木45歳。猪木がこの一戦に進退を懸けるとの前評判もあって、満員の横浜文化体育館は試合開始前から悲壮なまでの猪木コールに包まれた。 これを背に受けた猪木は、ゴングと同時に浴びせ蹴りからスリーパー。藤波も初披露のジャイアントスイングや4の字固めで対抗する。 「生中継は試合開始から20分を過ぎたあたり、両者グラウンドの攻防のところで終わったため、もし最後まで見ていない人がいるなら実にもったいない話。延髄斬りに卍固め、バックドロップなど持てる技のすべてを繰り出し、終盤にはスタミナ切れしながらも藤波に食らいついていった猪木の執念。そして、それらをすべて受け切ってみせた藤波。両者の神髄が詰まった名勝負でした」(同) 結果は60分フルタイム引き分け(試合後半は土曜日に録画放送)。猪木は自ら藤波の腰にベルトを巻くことで、エース伝承を明確に示してみせたのだった。 惜しむらくは藤波政権を築こうという道半ばに、ベイダー戦で腰を負傷して長期休場を余儀なくされたこと。それがなければ、プロレス史はきっと大きく変わっていたに違いない。
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スポーツ 2017年05月28日 12時00分
打倒、WWE!「新日本プロレスは米国に本格進出します!」木谷オーナーが戦略発表会で断言
今週は前回に引き続き、5月16日に都内で行われた『新日本プロレス戦略発表会』から、グローバル戦略について書いてみたい。 新日本プロレスの木谷高明オーナーは、ライブ戦略、デジタル戦略、グローバル戦略と、戦略発表会で3つの基本成長戦略について言及している。 最後に発表したグローバル戦略では「新日本プロレスはアメリカ進出します!」と高らかに宣言。 すでにチケットが完売している7月1日、2日のロサンゼルス大会は、2日間のチケットが2時間で、追加分のチケットは2分で完売したことを明らかにした。 「今回の会場は、けっして小さな会場ではないんですよ。日本で言うと大田区総合体育館くらいのサイズ。自分は、この倍くらいの会場もいけると思ってます」 木谷オーナーは、約3000人規模の会場(しかも2DAYS)を、アメリカで即日完売させたことに関して、大きな手応えを感じたようだ。 さらにアメリカ本格進出の一環として、米国現地法人の設立、アメリカでの道場設立を次々と発表。SNSではTwitterグローバルアカウントを開設し、約3万人のフォロワーを獲得している。ストリーミングサイト『新日本プロレスワールド』の海外会員登録数約1万人とともに、新日本プロレスの英語圏進出を後押しするツールになるのは間違いない。 またIWGPインターコンチネンタル王者、内藤哲也が異を唱えているIWGP USヘビー級王座の新設に関しては「ロサンゼルス大会2日間のトーナメントで初代王者を決めます」と語るに留めていた木谷オーナーだが、内藤哲也の“ご乱心”を知るとTwitterで以下のように語った。 「新日オーナー木谷の見解。先日の内藤選手によるIWGPインターコンチネンタル王座のベルトへの暴挙、許される物ではない。あのベルトは2012年に10円玉と揶揄されていた物を中邑選手がチャンピオンになったのをきっかけに、新日の更なる飛躍を祈願して新調したもの(ブシロードも費用分担)。私自身も思い入れが有るベルトです。ただ今回の内藤選手の主張にも一理あると思います。IWGP USヘビーのベルトの運営は慎重にお願いしたい。勿論ベルト新設には大賛成です。しかしベルトには目的と存在意義が大切であり権威を作り上げて行かなければなりません。USを名乗るのなら防衛戦は少なくとも70%は米国で開催して欲しいし、日本でやる場合はなるべく米国人同士での試合にして欲しい。だって米国で日本ヘビー級王座を米国人同士で争ってたら可笑しいですよね。とにかく、それぞれのタイトルがしっかり存在意義を持ち、切磋琢磨して獲得を目指すレスラー達の姿に期待します」と持論を展開した。 木谷オーナーはもともと『ワールドリーグ戦』(国別対抗のリーグ戦)の復活を掲げていただけに、『US』の冠がついたこのベルトと他のベルトとの差別化については、かなりこだわりがあるように見える。 そして、アメリカ進出するうえで新日本の現状をまとめた。■強み「リング上の試合は世界一」「高い技術と歴史の長さ」「他にはないオリジナリティがある」■チャンス「アメリカでの人気が上昇」「外国人選手の比率が高い」「提携先とも良い関係性」「コードカット/デジタルシフト」■弱み「言葉の壁」「アメリカでの投資実績がない」「アメリカでの知名度不足」■脅威「ライバル団体(WWE)からの引き抜き」「WWEによるアメリカ市場一社独占」「グローバリゼーション」 上記のようにSWOT分析をした上で解説。 中でも「コードカット/デジタルシフト」に関しては、アメリカのケーブルテレビ事情の変化から、「新日本プロレスの映像ライブラリーをアメリカのケーブルTVに売り込みたい」とコメント。まずは映像を売り込んでいくことで、アメリカでの知名度を上げ興行や収益に繋げていきたい考えを示している。 またライバル団体としているWWEに関しては「黒字なのはアメリカ、カナダ、イギリスだけだと考えているので、我々にも勝機はある」と語気を強めた。 アメリカ進出への基本戦略として、まず新日本プロレスの試合をアメリカにそのまま持ちこむことを明言。「きっとアメリカのファンもそれを望んでいる」と述べた。そうすることで、アメリカのファンに新しい体験をしてもらい、さらに「今はデジタルになったら、グローバルになる時代。どこかでスターが生まれれば、一瞬で広まる時代」とアメリカで選手やスターを育成していくことも必要になってくるので、道場を設立する意義について説明。興行形態に関しては、「アメリカに合った興行形態を目指す」と語り、提携団体への選手派遣なども行いながら、「日本風の巡業スタイルも持ち込んでみたい」とプランを明かした。 戦略発表会でも述べていたが、木谷オーナーのグローバル戦略に関するモチベーションの高さは、昨年1月5日に味わった悔しさにある。あの日の悔しさがバネとなり、新日本のグローバル戦略は“光の速さ”で走り始めたのだ。新日本プロレスには、プロレスは日本が世界に誇れるジャンルのひとつであることを、アメリカの舞台で立証してもらいたい。(どら増田)【新日Times vol.69】
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スポーツ 2017年05月26日 14時00分
「11日目休場」稀勢の里を委縮させた3447万円の懸賞金の行方
大相撲5月場所、東京・両国は連日、異様な興奮と熱気に包まれているが、横綱2場所目の稀勢の里(30)がついに、「11日目で休場」した。 日馬富士も1敗(24日現在)で全勝は白鵬一人。果たして賜杯を抱くのは誰か? 途中休場となったが、稀勢の里は人気のバロメーターである懸賞の数もダントツ。場所前の時点で、わざわざ稀勢の里の取組を指定した懸賞の申し込み数が608本にも上った。1本につき56700円だから、もし全勝していたら優勝賞金1000万円の3倍以上、3447万円あまりにもなるところだった。 「初日の申し込みも70本以上になり、取組の進行に差し支えが出るため、協会が複数懸けていたところを減らすように要請するなどして53本(このほかに、その日のファンの投票で決まる森永賞がある)に抑えました。まさに異例尽くめです」(担当記者) かつて平幕の懸賞王と呼ばれた高見盛の師匠、先代東関(元関脇高見山)が、「みんな、うちの高見盛の懸賞を目当てに目の色を変えて向かってくる。かわいそうだよ」と、こぼしたことがあったが、ただでさえ注目を集めているのに、こんなありがたい副賞までつけば、ターゲットとなるのは必至。逆に、先場所痛めた左上腕部がまだ十分に回復していない稀勢の里にとっては、二重、三重の足枷となっていたのは察するに余りある。 「案の定、初日、ベテランの嘉風に痛めている左腕を攻められて完敗し、勝った嘉風は54本(手取り162万円)の懸賞を手にしました。嘉風は『今日は母の日なので、妻にカーネーションを500本買って帰る』とニコニコ顔。今場所はツキもないようで、4日目には遠藤が足を滑らしたところをはたき、逆につけいられて押し出されてしまいました」(協会関係者) まさかの稀勢の里の途中休場で、すでに懸けられた懸賞はどうなってしまうのか? 途中休場の場合は、協会が懸賞金を掛けている企業に連絡して他の取り組みに変更するか、休止するか選んでもらうようになっている。そのあと始末で協会がてんやわんや状態になっているのだ。 「相撲が取れるなら出ないとダメ。それが横綱の責任。全部勝て、とは誰も思っていない」 横審の北村正任委員長は、このように後押しした。 初めて直面した横綱の試練。稀勢の里よ、怪我を完治させて次の7月場所(名古屋場所)で無念を晴らせ。
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スポーツ 2017年05月24日 18時00分
石川遼がまた予選落ちで“強制帰還”カウントダウン
米国男子ツアーに参戦しているプロゴルファー・石川遼(25)が、また予選落ち。この調子では、日本に“強制帰還”なんてことにもなりかねない。 「石川は悩んでいます。パットで苦しんでいた時期もあれば、昨今はドライバーの使い方で迷走している。ツアー上位選手との力の差は明らか」(専門誌記者) ウェルズ・ファーゴ選手権の第2ラウンド(現地時間5月6日)、石川は12オーバーの149位タイで予選落ち。棄権した選手を除けば、「下から3番目」という体たらくぶりだ。 石川は今季、昨年の怪我による公傷制度を使い、米ツアーに参戦している。ルール上、メジャー大会以外の20試合に無条件で出場できるが、今後も出場を続けるには“勝利ポイント”を積み上げていかなければならず、すでに石川が参戦できるのは6戦のみの状況。 そのポイントだが、石川は昨年稼いだ分の55ポイントを持ち、現時点で計236。ツアー参戦したいのであれば454ポイント以上に達しなければならない。つまり、残り6戦すべてで30位台をキープしなければジ・エンドということになる。 「優勝すれば問題はすべて解消されますが、その兆しは見られない。ウェルズ・ファーゴ選手権直前、石川はドライバーで組み立てるのが自分のゴルフとし、練習場でもドライバーを使っていた。練習ではクラブの“弧”を意識して振れるのに、本番だとボールを当てに行ってしまうというのです。本番で練習通りにいかないということは、当然、完全に身についていないということ」(同) 石川は“ビリから3番目”となった直後、2週間後のAT&Tバイロン・ネルソン大会の出場を明言。記者団の悲観的な声に、「僕は米ツアーでやっていきたい!」などと反論した。 「しかし、上位進出でポイントを稼げなければ、日本に帰る以外にゴルフを続けることができない現実が待っている。そんな中、すでに周囲からは“日本で仕切り直したほうがキズも浅い”との見方も出ているのです」(関係者) 潔さも必要か。
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スポーツ 2017年05月23日 18時00分
熱き侍たちが躍動!! メジャーリーグ Times ダルビッシュ有に緊急トレード説浮上
メジャーリーグでは毎年7月末のトレード期限になると、成績不振で優勝を諦めた球団から、地区優勝を争う球団に大物選手が多数移籍する現象が見られる。 トレードで出されるのは契約最終年の選手だ。そうした選手を球団が何のためらいもなく放出してしまうのは、再建モードに入ったチームにとって、あと2カ月ほどしか在籍しない選手をチームに置いておくより、即戦力を欲しがっている優勝を争う球団にトレードし、その見返りに、近い将来、主力選手になりそうな有望株2、3人を獲得した方が得策だからだ。 米国では、この「7月末トレード」に対する関心がひときわ高い。大物獲得に成功したチームが急に勢いづいて地区優勝を果たし、さらにプレーオフでも快進撃を見せるケースがしばしばあるからだ。 今シーズンの「7月末トレード市場」で最大の目玉になると予測されているのが、レンジャーズのダルビッシュ有である。 ダルビッシュにとって今年は6年契約の最終年になるが、トミージョン手術から丸2年が経過したこともあって序盤から好調。5月11日時点の防御率は2.96だ。得点援護に恵まれないため勝ち星こそ3つだが、エースの名にふさわしい投球内容と言える。 7月末トレードで移籍の可能性が高いと見られているのは、ダルビッシュ本人は好調でも、チームは主力に故障者が続出し大きく負け越しているため、このままいくと7月に再建モードに入ることが確実だからだ。★本命はカブスとヤンキース 7月末に、ダルビッシュ獲得に乗り出す可能性が高いのは、上原浩治が所属するカブスと、田中将大がエースを務めるヤンキースだ。 カブスは昨年のワールドシリーズの覇者だが、今季は新加入の先発4番手B・アンダーソンが使い物にならない上、2番手のアリエタが球速の低下に見舞われ先発陣が機能していない。計算できるのはエースのレスターと、昨年防御率1位の技巧派ヘンドリックスだけだ。地区優勝を果たすには、もう1人、計算できる先発投手が必要なので、ダルビッシュ獲得に走ると思われているのだ。 カブスの編成責任者、セオ・エプスタインはレッドソックスのGM時代、松坂大輔、岡島秀樹、斎藤隆らを次々に入団させた日本人びいきの人物だ。資金力も十分ある球団なので、7月末トレードで首尾よくダルビッシュ獲得に成功すれば、シーズン終了後に総額1億3000万〜1億5000万ドルの5年契約を提示して引き留めにかかるだろう。カブスは、オフに先発2番手のアリエタ(一昨年のサイヤング賞投手)がFAでチームを去る可能性が高く、後釜に据える投手の獲得が急務になっているのだ。 ヤンキースはこれまで不良債権化していたベテランが一掃され、若手主体のチームに生まれ変わった。そのため今季は出だしから好調で、21勝10敗(5月11日時点)と大きく勝ち越している。しかし、同地区のライバル、オリオールズとレッドソックスも好調のため、混戦を抜け出して地区優勝するには唯一の弱点である先発ローテーションの補強が不可欠である。 ヤンキースが必要としているのは、お手頃な費用で調達できる先発5番手ではなく、田中とともに投手陣を引っ張るエース級の投手だ。そのニーズを満たすのはダルビッシュしかいない。 もしダルビッシュのヤンキース入りが実現すれば、先発投手の慢性的なコマ不足に悩むチーム首脳は、総額1億3000万〜1億5000万ドル規模の5年契約をオファーして引き留めにかかるだろう。そうなるとメジャーきっての人気球団のエースが2人とも日本人になる。その光景を想像しただけでワクワクしてくる。★球団は5年契約に難色 ただ、勘違いしないでほしいのは、まだレンジャーズ残留の可能性も十分あるということ。ダルビッシュ側と球団の契約延長に関する話し合いはすでに始まっている。だが、ダルビッシュの代理人が5年契約を希望しているのに対し、球団は4年契約を主張。総額も1億ドル未満に抑えたい意向だ。 ダニエルズGMがその程度に抑えたいと思っているのは、同GMが手がけたアンドルス、秋信守、フィルダーとのメガコントラクト(総額1億ドル=110億円以上の超大型契約)が、すべて惨めな結果になっているため、再度、同じ失敗をすれば地位が危うくなるからだ。 今後は、5年契約を巡る攻防がしばらく続いた後、7月にトレードか、5年契約かの判断を同GMが下すことになる。トレードされる可能性はフィフティ・フィフティ。レンジャーズの負け越しがどんどんかさんでいく現状を見ていると、このまま7月になって再建モードになり、トレードは不可避と思える。だが、レンジャーズの本拠地があるダラスは夏場、高温と乾燥でボールが飛び過ぎるため、投手に不人気で、エース級の投手はレンジャーズに来たがらない。それを考慮してGMが折れ、最後の最後で5年契約が成立する可能性もあるのだ。スポーツジャーナリスト・友成那智(ともなり・なち)今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2017」(廣済堂出版)が発売中。
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スポーツ 2017年05月22日 11時30分
「格闘技界のイチローになりたい!」那須川天心、底なしの強さに武蔵唖然!高田感動!
▽『RISE 117』20日 後楽園ホール観衆 1,758人(超満員札止め) 全国がボクシングに沸いた土曜の夜、東京・後楽園ホールはキックボクシング熱で溢れかえっていた。チケットは前売り券完売、当日若干数発売された立見券もあっという間に売り切れ。オープニングファイト2試合を終えて、本戦がはじまる18時には、指定席はもちろん、南側最上部と東西バルコニーの立見エリアがギッシリと埋まり、日中夏日を記録した外の気温を遥かに超える暑さが充満。Tシャツやタオルなど、ファンが身につけているグッズの大半は“天心グッズ”。“神童”那須川天心が一人で後楽園ホールを埋めてしまったと言っても過言ではない。 また今大会では、“天心需要”で集まった超満員のファンの前で名前を売ろうと、他の出場選手の気迫も凄まじいものがあった。 後半戦最初の試合に出場した、ハニかむ笑顔と闘う姿のギャップをフォーカスした煽り映像でインパクトを残した“ハニカミクラッシャー”優吾・FLYSKYGYM(FLYSKYGYM)は、同階級である“天心の対抗馬”として関係者が期待している注目選手。この日はWMC日本バンタム級王者の知花デビット(エイワスポーツジム)を相手に、大苦戦の末判定勝ち。デビットのレッドカード2枚がなければ危ない試合内容に「負けたと思った」という優吾は、コメントブースに現れるとひと筋の悔し涙を流した。「満員のお客さんに飲まれたことはないです。ただ相手がチャンピオンだということを意識し過ぎたのかもしれません。反省点と課題が見えた試合でしたが、結果的に勝ててホッとしています」とぬいぐるみを抱えながら話すと、少し落ちついたのか持ち前のハニカミ笑顔を取り戻していた。人気が出る要素を備えているだけに、近い目標としている天心戦が実現すればブレイクするかもしれない。 試合内容という意味で今大会のベストバウトは、セミファイナルで行われた、森本“狂犬”義久(BRING IT ONパラエストラ葛西)と工藤政英(新宿レフティージム)のフェザー級マッチ。両選手は1Rから3Rまでほぼノンストップの打ち合いでファンを大熱狂させる。判定の結果はジャッジ1人が森本、その他の2人がドローだったため、1Rの延長戦へ。この延長ラウンドでも3分間2人の動きは止まらず、試合終了を告げるゴングが鳴ると、2人は抱き合うように同時にマットに倒れた。大きな拍手に包まれる中、再度行われた判定はジャッジ全員がドロー裁定。勝敗をつけられないという言葉がこんなに当てはまる試合もない。試合後、両選手ともに「楽しかった」とコメントしていたが、再戦への意欲も忘れなかった。“天心目当て”で超満員になった後楽園ホールで、このカードが残したインパクトは、RISEマットにとっても、キック界にとっても大きいのではないだろうか。 こうして今大会のバトンはいろんな選手の手にわたりながら、最高の形でメインの那須川天心に渡された。 すっかり定着した入場テーマ曲「止まらないHa〜Ha」(矢沢永吉)に乗って、天心が南側の最上部に現れると、場内は真っ赤な天心タオルを掲げるファンが大歓声で出迎えた。エプロンにあがり、振り向いて客席を見渡す姿は、天心が大ファンである新日本プロレスのオカダ・カズチカ(IWGPヘビー級王者)と通じるオーラがあった。父、弘幸氏には「まだまだだ。もっと入場に力を入れろ」と口酸っぱく言われているそうだが、RIZINマットで、さいたまスーパーアリーナや、横浜アリーナといった大会場を経験したことで、入場だけでも満足できる選手に成長したのは間違いない。 世界タイトル初防衛戦の相手ライアン・シェーハンの戦績は20勝(7KO)4敗1分。19歳と、18歳の天心と年齢も近いヨーロッパムエタイ界のトップ選手。昨年5月に新日本キックボクシングに初来日した際には、ISKAムエタイ世界バンタム級王者の志朗と対戦。ヒジ打ち、ヒザ蹴りで志朗を苦しめ、ドローに持ち込んでいる強豪だ。 しかし、試合開始のゴングからわずか72秒のできごとだった。 1R、ここまで17戦全勝(13KO)の天心だが、序盤からライアンがラッシュ。しかしこれを冷静に読み切ると、パンチの連打を出して敢えて前に出ることで、ライアンの“隙”を誘い、ライアンがローを出した直後に左ボディストレートが炸裂。ライアンはまるで孫悟空(ドラゴンボール)のカメハメ波を喰らったかのように、後ろ正面に吹っ飛びダウン。セコンドの「立て!」という声にも首を振り、自らマウスピースを取ってしまった。またもや衝撃の6試合連続KO劇にファンは大いに酔いしれた。 天心がマイクを掴み、集まったファンに「こんなに応援してもらったのも初めてで嬉しいです」と謝意を述べると、「みんなで頑張っていけば格闘技が素晴らしい世界になり、メジャーな競技になると思います」と話していたところに、タレントあびる優の夫で、現在はRIZINを中心に活動している才賀紀左衛門(才賀紀左衛門道場/Me ,We)がリングイン。マイクを掴むと、「天心、天才やな、お前は。スゲエよ!武尊(K-1)もいねぇし、誰も日本人が試合してくれなくてかわいそうだから、次のRIZIN(7.30さいたまスーパーアリーナ)で俺とやろう」と挑戦表明。さらに「俺はK-1でやってたからルールは何でもいい」と続けると、天心は「やっちゃいます。どんなルールでも強い人が本当に強い人なので、受けて立ちます」と対戦を受諾。これに対して才賀は「俺も男とくっつくのは嫌いやから、立ち技でド突き合おう」と話すと、2人は握手をして1枚の写真に収まった。リングサイドには拍手を送る高田延彦RIZIN統括本部長の姿もあり、7.30RIZINさいたま大会での対戦は決定したと言ってもいいだろう。 コメントブースには、かつてK-1のヘビー級戦線で活躍し、この試合のゲスト解説を務めた武蔵の姿が。武蔵は唖然とした表情を浮かべながら、「(テレビでは)『いい面構えしてますね』くらいしか言ってないですよ(笑)。ムエタイの選手は正面を向いて攻撃するので、ガードがガラ空きになることがあるんですよね。天心くんはサウスポーじゃないですか。そういう練習をしてたんだと思います」と身振り手振りを交えながら話してくれた。 バックステージでは、興奮した高田本部長が約20分に渡って天心を“離さず”。高田本部長が帰ったあと、ようやくコメントブースに現れた天心は「こんなに早く勝てるとは思わなかった」と笑みを浮かべながら報道陣の質疑に応じた。試合に関しては、「最後の左ボディストレートはこの試合のために用意しました。いつもは横からボディを打つんですが、ライアン選手はガードが開いて身体が正面を向いているので真っすぐに打って倒す、練習通りのパンチでした。今まであんなに効いた顔をした選手はいなかったので、渾身の一撃でしたね」と振り返り、武蔵が指摘した通り、最後は練習が功を奏したことを明らかにした。 才賀の挑戦表明には、「才賀選手にはお世話になっていて、一緒に練習したこともあるんですよ。いつかやる時もあるなぁと思ってました。キックから総合格闘技をやるという共通したところもありますし。(体重差は苦にしない?)僕は60kgまでの選手ならやってもいいと思ってて、負ける気がしないですね!」と自信溢れる表情で話した。ちなみにバックステージで高田本部長からは決め台詞である「やれんのか?」と聞かれ、「やります!」と即答したという。 大会前に完売し、当日券もすぐに売り切れた今大会については、「僕はTDCホールとか東京ドームとかでも満員になる選手になりたいんですよ。もっと盛り上げていきたいですね」と語り、キックや格闘技をもっと広めて行く意向を改めて示した。最後に、試合前の煽り映像で『卒業まで306日』と触れられたことを伝えると、「最近、授業中に思うのは、いい意味で教科書に載るような人間になりたいなって。イチロー(マイアミ・マーリンズ)さんとか一流選手は載ってるじゃないですか。僕は格闘技界のイチローさんになります」と力強く語った天心の笑顔は実に晴れやかで、自信が満ち溢れるものだった。 神童が“神導”となり、導夢(東京ドーム)の舞台に立つ日が来るのも決して夢ではない。 那須川天心が格闘技界を未知の世界に導いてくれるだろう。▼メインイベント ISKAオリエンタルルール世界バンタム級(-55kg)タイトルマッチ 3分5R<王者・日本/TARGET>〇那須川天心 (1R 1分12秒) “アベンジャー” ライアン・シェーハン●<挑戦者・アイルランド/サイアムウォリアーズジム/WKAムエタイ世界バンタム級王者>※左ボディストレート※那須川が初防衛に成功取材/文・どら増田
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スポーツ 2017年05月21日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND50 〈“超獣”相手に闘魂復活〉 新日マットにブロディ初参戦
1985年4月18日、新設された両国国技館における新日本プロレス初の大会が開催された。メインイベントでアントニオ猪木と対するは、新日初参戦の“超獣”ブルーザー・ブロディ。暗い話題の続いた新日に明るい兆しが見えた一方で、裏では多々問題も持ち上がっていた…。 IWGP構想とタイガーマスクの登場で人気沸騰し、テレビ中継の視聴率は20%超えが当たり前だった80年代初頭の新日本プロレス。だが、その好況は長く続かなかった。 1983年、第1回のIWGP決勝では、アントニオ猪木がハルク・ホーガンに失神KO負け。雪辱を期した第2回も長州力の乱入による不透明決着となり、世界統一の夢に向けられていたファンの期待は一気に冷めていった。 また、もう一方の主役であるタイガーマスクが、猪木の事業投資に関わる金銭問題などを理由に団体を離れると、これを端緒にUWFやジャパンプロレスの旗揚げによる選手の大量離脱が相次いだ。 さらに、全日本プロレスとの引き抜き合戦の結果、スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンら猪木の好敵手が新日マットを去り、その代役たるべきアブドーラ・ザ・ブッチャーとの戦いは、どこか盛り上がりに欠けたまま'85年1月に最後のシングル対決を終えていた。 「そんな新日のさえない状況を、メディアは“燃えない闘魂”などと揶揄しました」(スポーツ紙記者) そこに登場したのがブルーザー・ブロディである。 「某新聞社の全日番記者がブロディの不満を聞きつけ、そのことを同僚の新日番記者に伝えると、即座に新日側が獲得に乗り出した。全日側もこれに気付いたようですが、ブロディの扱いに手を焼いていたこともあり、強くは引き止めなかったようです」(同) ハンセンとの超獣コンビで全日の頂点に立ち、多くの喝采を浴びてはいたが、ブロディ自身も団体側もそれぞれに不満を抱いていた。 「ブロディにしてみれば長州やロード・ウォリアーズが、自分を差し置いてトップ扱いされるのが気に食わない。体の小さい長州やパワー一辺倒のウォリアーズを、自分よりも格下と見ていたためです。しかし、現実問題としてハンセンとのタッグ以外、ブロディ単独の集客力となると長州らに遠く及ばなかった。客を呼べるようになったのは新日移籍以降のことで、そのくせ何かと口うるさいブロディは、全日にとって悩みの種だったのです」(同) 超獣のギミックから怪物扱いされてきたブロディが、劇画『プロレススーパースター列伝』で元新聞記者という知的な一面を描かれたのが'83年あたり。その頃からインタビューなどでも独自のプロレス哲学を語る姿を見せ、そうしたイメージが浸透したタイミングで新日へと移籍した。 この直前、猪木はキングコング・バンディとのボディスラムマッチ(投げたほうが賞金獲得)でお茶を濁していたような状況であり、そこにビッグネームの登場となればファンが期待を抱くのも当然のこと。ブロディは“インテリジェント・モンスター”として大歓迎を受けることになった。 しかし、それはあくまでもイメージ上のことで、本質が変わったわけではない。 「初参戦となった両国国技館で、いきなり多々の問題が露見することになりました」(プロレスライター) まず、ブロディのトレードマークでもあるチェーンを使わせないとの通達が、会場側からなされる。先立って行われた全日の両国大会において、入場の際にチェーンを振り回して会場の壁を傷付けたことに、相撲協会が激怒したためであった。 「同年1月にこけら落とししたばかりの相撲の聖地で、いきなりそれではクレームが出るのも当然。しかし、ブロディは『チェーンを使わせないなら、試合にも出ない』とゴネて、結局、いつも通りの入場パフォーマンスを強行。新日の営業社員は後で平謝りする羽目になりました」(同) 試合自体は猪木が延髄斬りにバックドロップ、卍固めと必殺技を連発すると、ブロディも日本では珍しいジャイアントスイングを披露。結果は両者リングアウトながら一進一退の好勝負となった。 久々の闘魂炸裂にファンのみならず関係者も大いに満足したが、しかし、話はそれで終わらなかった。 「この試合において、ブロディが場外で自ら脚を傷付ける場面がテレビに映されたとして、雑誌『噂の眞相』で八百長報道がなされたのです」(同) これは新日側が依頼したアングルではなく、あくまでもブロディ個人のアイデアだったという。この八百長問題について関係者は黙殺。そのまま沈静化して事なきを得たとはいえ、のちに猪木が「アイツは自分の物差ししかない」と語ったように、ブロディの独善性を示すことにもなった。 それでもブロディに頼らざるを得なかったのが、当時の新日の実情であり、これが同年末のボイコット騒動へとつながっていった。
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スポーツ 2017年05月21日 12時00分
打倒、パ・リーグTV!「新日本ワールドを日本一に」木谷オーナーが戦略発表会で明言!
新日本プロレスは16日、都内で久々となる戦略発表会を開催した。 今回も木谷高明オーナーがプレゼンテーションする形で行われ、今後に向けた様々な成長戦略が明らかになった。 「過去最高の売り上げは96年から97年頃の40億円弱。利益は既に過去最高に達している」 まず、ブシロード傘下になった2012年以来、右肩上がりを続けている新日本プロレスの売り上げに関して、今期(2017年)は37億円を見込んでおり、さらに来期(2018年)は計画として45億円、目標として50億円という史上最高の売上げを目指すことを表明。木谷オーナーは新日本プロレスを買収時に「WWE(アメリカ)が600億円なら、新日本は60億円売り上げないと話にならない」と大きな目標を語っていたが、その目標も現実味を帯びてきた。 「選手の出場回数などは減らす工夫をしながら、さらに利益を伸ばすにはどうすればいいのか?」 木谷オーナーはこう語ると、世界ナンバー1の大手であるWWEとの差についても言及。商品の売り上げは「4分の1、5分の1に肉薄している」というものの、デジタル収入やMD(マーチャンダイズ)収入は、まだ遠く及ばないとし、今後の基本戦略として、ライブ戦略、デジタル戦略、グローバル戦略と3つの基本成長戦略を打ち出した。 「今、日本でナンバーワンのサービスはパ・リーグTV。新日本プロレスワールドの会員数が10万人に達すれば日本一の専門配信サービスになる」 3つのうち、デジタル戦略の発表のなかで目を引いたのは、2014年12月からサービスを開始し、現在約5万人の会員数を誇る『新日本プロレスワールド』を、国内最大のストリーミングサイト『パ・リーグTV』(2012年シーズンよりサービス開始)の会員数を超えるサイトにすると宣言したことだ。 『パ・リーグTV』は、日本プロ野球のパ・リーグ6球団が共同で設立したパシフィックリーグマーケティング(PLM)の主力事業。米大リーグ機構(MLB)のMLBアドバンストメディア(MLBAM)が、2000年から手掛けている映像配信サービス『MLB.TV』がモデルとなっており、パ・リーグ球団主催試合の全試合を中心に配信。大谷翔平(北海道日本ハム)らスター選手の誕生による昨今のパ・リーグ人気も伴って、現在約7万人の会員を獲得している。 MLBの『MLB.TV』を意識しているという点では、WWEの『WWE NETWORK』を意識している『新日本プロレスワールド』と似た環境にあるサイトと言ってもいいだろう。また、元北海道日本ハムの台湾人選手、陽岱鋼(現・巨人)が英雄扱いされており、他にも台湾人選手がパ・リーグ球団に入団していることから、PLMは台湾でのプロモーションにも力を入れている。その結果、『パ・リーグTV』は台湾でも加入者が増加。また、中南米にも映像を売り込むなど、助っ人外国人を通じてグローバルな展開をしている点も、5万人のうち、約1万人が海外の会員が占めている『新日本プロレスワールド』と通じるものがあると言えるだろう。 日本一の専門配信サービスを目指すための戦略として、「アメリカではプロレスをケーブルTVで毎週20万人以上が観ている」ことを例に挙げ、『新日本プロレスワールド』をスマートフォンやタブレット端末、PCだけではなく、テレビでも視聴可能にし、Chromecastに続いて、amazon FireTVも近日対応可能になると明言。「自宅で24時間、新日本プロレスだけを見られるという夢のような時代」と木谷オーナー自身も待ちきれない様子だった。 「最初はG1(クライマックス)を全試合流したら会場にお客さんが来なくなるという声もあったが、僕はむしろ見たら見ただけ、会場に足を運びたくなると思っていた」 このように木谷オーナーが自信を持っていたというライブ配信に関しては、ビッグマッチの全大会・全試合の配信はもちろん、さらに増やしていくことで、さらに会場の集客にも結びつけていきたい考えだ。またアメリカ・ROHやイギリス・RPW、メキシコ・CMLLなど世界の団体と提携して海外マットのライブ配信を強化していくことも表明。また英語実況配信については「レスラーの言葉はわかりやすいので、英語の勉強にも使ってもらえたら」と述べた。 今後は「過去の試合。特に2000年代の試合がまだ薄いと思うので、ライブラリも拡充したい」と語り、オリジナル映像も含めて「ファンの皆さんからリクエストを募りたい」旨を表明した。 ライブ戦略では、2020年までに、1.4東京ドーム大会を満員にすると断言した木谷オーナー。グローバル戦略では、アメリカへの本格進出も発表している。その双方を繋ぐ意味でも、世界中から新日本プロレスの試合を気軽に見ることができる『新日本プロレスワールド』が果たす役割は大きい。『パ・リーグTV』がモデルにした『MLB.TV』は800億円規模まで売り上げを伸ばしていると言われているだけに、ストリーミングサイト事業は、ビジネスの観点からも無限の可能性を秘めている。 世界中の注目が東京に集まる2020年に向けて、新日本プロレスの快進撃は止まらない。(どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times vol.68】
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