スポーツ
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スポーツ 2017年06月20日 17時00分
本拠地移転へ 日本ハムが目指すボールパーク構想(4)
札幌市が日本ハム球団に新球場候補地の提案書を届けたのは、4月14日だった。秋元克広市長自らが足を運んだが、この時点で、“ライバル”の北広島市はすでに4度目の実務者協議会を開いている。出遅れ感は否めない。秋元市長は約4か月の遅れを取り戻すように、「札幌市のネームバリュー」、「人口の多さ、集客力」を訴えていた。しかし、今後、札幌市は球団に提案した内容を大きく変更する可能性もあるようだ。 札幌市が提案した新球場の候補地は、2か所。八紘学園所有地と産業共進会場(通称:月寒ドーム)の跡地を合わせた約13ヘクタールと、北海道大学構内の北側か西側の土地約10ヘクタール。交通網の利便性では、どちらも北広島市の提案箇所よりも勝っている。札幌市が提案書を出したということは、両校が所有地の売却を了承したわけだが、ここに至るまでさまざまなことがあった。 「北広島市が提案した36ヘクタールの土地か、札幌市が提案した八紘学園側か、北大側の土地、その3択になります。選ぶのは日ハム球団ですが、札幌市提案のいずれかが選ばれた場合、札幌市がまず土地を学校側から買収し、少し割引きして、球団に買ってもらう段取りになっています」(地元メディア陣の一人) 八紘学園、北大ともにスンナリとはまとまらなかった。八紘学園・木村理事長の言葉を借りれば、「新球場建設に対する公共性」に疑問があったという。同校は理事会に諮って売却案を受け入れたのだが、札幌市が球団に提案書を届けた後、こんな発言もしている。 「札幌市が公共事業として進めるのなら…」 これは地元テレビ局の単独インタビューで出た発言。その奥歯のものの挟まったような物言いに、TVレポーターが「今後の協議次第では『NO』を突き付けることもあるのか?」と問いかけると、木村理事長は「もちろん」と言い切った。 プロ野球球団という一企業の球場建設計画に公共性があるのかどうか、改めて疑問を投げ掛けたのと同時に、札幌市行政にさらなる説明を求めたわけだ。また、北大の名和豊春総長もメディア取材でこう答えている。 「研究と教育をし、市と道民に貢献したい。球場に何が附帯してくるのか、それによって北海道が良くなるのなら積極的にやっていくが、そんな提案が(札幌市から)何もないので…」 八紘学園、北大ともに札幌市が球団に提案書を届けた後にそう発言している。 地元行政に詳しい財界人によれば、八紘学園の所有地が選ばれた場合、地下鉄福住駅までの公道を拡充する必要性も出てくるという。その公道周辺の土地所有者も八紘学園だ。 「公道の拡充がなければ、近隣住民のクルマの出し入れなど、日常生活にも影響が出ます。札幌市と八紘学園側に全ての可能性を伝えたのかどうか…」(同財界人) Jリーグがとくにそうだが、プロスポーツチームのある地元行政は、それをどう活用するかが問われる。単にスポーツ興行で人の往来が増え、近隣商店街にお金を落としていくという抽象論だけではダメなのだ。プロスポーツチームをキラーコンテンツとして活用し、公共事業や地域産業の発展契機につなげていく“行政計画”を立てなければならない。 日本ハムは、地元行政、企業との結びつきの先駆者でもあるメジャーリーグチームに職員を派遣し、スポーツマネジメントをあらゆる角度から研究している。札幌市を不甲斐ないと見ているのではないだろうか。 秋元市長は議会で「一企業を超えた地域密着の球団は公共性を持つ」と話していたが、もっと具体的な行政案を立て、学校側と話し合わなければ、北広島との開きは永遠に埋まらないだろう。(第一章了/スポーツライター・飯山満)※写真・札幌ドーム
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スポーツ 2017年06月20日 16時00分
稀勢の里 “100万円のバイト”もいいけど「名古屋場所は大丈夫?」
横綱・稀勢の里(30)が、名古屋場所に向けて6月12日、田子ノ浦部屋で稽古再開後、初めて土俵に入った。 5日の稽古再開から1週間で土俵に入ったことに「いいんじゃないか。まずはしっかり体をつくって。焦る必要はないから、しっかり体を使った」と急ピッチで仕上げた夏場所前とは違い、まずは順調に調整が出来ているようだ。 先場所を11日目から途中休場してしまった稀勢の里。春場所に痛めた左肩付近のケガが完治しておらず、強行出場だったことは明らかだった。 「稽古不十分のままでは、夏場所の出場は無理だった。こうなったら次の名古屋場所も休場して、徹底的にケガを治すべきでは?」 場所後の横綱審議委員会でも、このような意見が多数、飛び出したという。 「(名古屋場所の出場は)本人と親方が判断しなければいけない。少しぐらい負けても仕方ないという状態で出ては、横綱としてどうかと思う。十分やれる、となったら出て欲しい」 横審の北村正任委員長も、このように自重を促した。大事な目玉力士だけに、こんなところで潰されては敵わない、とみんな思っているのだ。 そんな大事な時期だけに、きっと当の本人も治療に治療を重ね、ジッと復活のときを待っている…。そう思いきや、なんとそれから6日後の6月4日、部屋開きを行った山響部屋、茨城県鹿島市の鹿島神宮で稀勢の里は相次いで横綱土俵入りを行っていたのだ。 「こういうかたちで帰って来られて光栄です。こんな嬉しいことはない。一生懸命やってきてよかった」 鹿島神宮では、このようにご機嫌だった稀勢の里。ずっと以前から予定されていたので、断り切れなかったと言い訳するかもしれないが、この山響部屋の部屋開きは、ありていに言えば“横綱のアルバイト”といったところ。部屋の分家独立が相次いだバブル時代、この手の土俵入りを一手に引き受けた千代の富士は、1件につき100万円の謝礼を受け取っていたとも言われていた。 稀勢の里も、おそらくそれに準ずる謝礼を受け取ったはず。こんなおいしいことには手を出し、「やっぱり名古屋場所は無理なので休場します」という言い分は通らない。 このダブル土俵入りの翌日、稀勢の里は弟弟子の新大関高安(27)とともに土俵に降り、7月9日に初日を迎える名古屋場所に向けて稽古を開始した。とは言っても、相撲は取らず、ダンベルやゴムチューブを使ったトレーニングだけだった。 「1日1日を大事にして、やることをしっかりやる」 と、名古屋場所出場に前向きな姿勢を見せた。 稀勢の里は、“スー女”こと相撲女子の間で『きせのん』と親しまれているが、愛嬌キャラとは真逆の“不器用な性格”。注目の名古屋場所は発言通り、「やることは、しっかりやって」ほしいものだ。
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スポーツ 2017年06月19日 12時00分
トリプルスリー山田哲人の不振が「東京五輪」にも大打撃
東京ヤクルトスワローズの山田哲人(24)が不振に喘いでいる。打率はセ・リーグワースト(6月18日時点)、2年連続で3割、30本、30盗塁を達成した去年までとは別人のようだが、打撃復調がなければ、東京五輪の野球競技を戦う侍ジャパンにも影響が及びそうだ。 6月18日の日本ハム戦、山田は第一打席で左肩直撃の死球を被った。治療でいったんベンチに下がったが、約10分後にフィールドに帰って来た。しかし、その後の3打席は快音ナシ。前日は弾丸ランナーの本塁打を含む4打点と大活躍だったが、2日連続とはいかなかった。復活までもうしばらく時間が掛かりそうだ。 「WBCの後遺症というより、まさにスランプ。でも、WBCの影響がないとは言えません。本来、キャンプでしっかり身体を作る時期に国際試合を戦ったわけですから。対戦投手も、今まで以上に内角の厳しいところを突いてくるようになった」(プロ野球解説者) 「打ち損じが目立つ」と評する声も聞かれた。自分では仕留めたつもりでも、バットを振るスピード、力加減などで微妙なズレが生じているのかもしれない。 「DeNAの筒香、巨人の小林、日ハムの中田翔なども不振で苦しみました。坂本勇人(巨人)もスタメンを外された試合もありました。国際試合による精神的な疲れが影響しているのかもしれない」(同) キャンプ、オープン戦シーズンに行われるWBCによる後遺症がペナントレースの前半戦に影響を与えた。その「国際試合による疲労感」だが、侍ジャパンが国民の期待を背負って戦う次の大舞台は東京五輪だ。オリンピックは7、8月に行われ、プロ野球各球団はペナントレースの中断も含めた協力体制を決めている。 現時点で五輪を戦う侍ジャパンはプロアマ混合チームになる可能性もあるが、12球団は金メダル獲得に向け、主力選手を派遣する。その主力選手が五輪の国際試合で調子を落とす、あるいは、国際試合による興奮の反動が出るとしたら、それはペナントレースのもっとも大切なシーズン終盤となる。優勝戦線にいるチームの監督は、主力選手の派遣を躊躇うかもしれない。 「プロ野球の選手会はWBC終了からペナントレース開幕まで十分な休養期間が取れなかったと、不満をもらしていました。WBCの熱気をそのままペナントレースに反映させたいとする経営陣の考えも理解できる。経営陣からすれば、国際試合とペナントレースとの並立について、選手会と事細かに話し合いたくないのがホンネ」(ベテラン記者) 山田の不振がこれ以上長引けば、侍ジャパンの選手招集についても影響しそうだ。(スポーツライター・飯山満)写真・セカンドを守る山田哲人
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スポーツ 2017年06月19日 11時00分
「諦めなけば夢を見られる!」小笠原瑛作、強豪タイの王者をKO葬で天心戦へ大前進!
『KNOCK OUT vol.3』▽17日 TOKYO DOME CITY HALL 観衆 2,000人(超満員) 最終の5R、小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)が左ローを放つと、ムエタイ界の中でも権威のあるルンピニースタジアム認定スーパーフライ級王者、ワンチャローンが崩れ落ちると同時に、ワンチャローン陣営がタオルを投入。見事なKO劇だった。その瞬間、顔をくしゃくしゃにした瑛作の表情からは、喜びよりも先に安堵感を覚えたように見えた。 「本当にキツかったです。何度も心が折れそうになりました」 昨年12月に行われた『KNOCK OUT vol.0』(TDCホール)で、那須川天心相手に何もさせてもらえぬまま、1R 2分23秒、スバリと決まった左バックスピンキックによりTKO負けという、ルンピニー王者としてこの上ない恥をかいたワンチャローンは「KNOCK OUTのリングでもう一度チャンスが欲しい」とアピール。今回の来日はかなり気合が入りまくっていたという。天心も「ボクはワンチャローンが強いかどうかわかる前に勝ってしまったので」と話していたが、今回の瑛作戦ではワンチャローンの強さが見られるだろうという声はとても高かった。 「僕も天心みたいに強さを出させる前に勝てたらいいんですけどね」戦前に瑛作はこんな話をしていたが、1R、パンチからローキックの連打で、ワンチャローンから先にダウンを奪うなど、瑛作は最初から飛ばすことで、ワンチャローンの強さを封じにかかっていた。しかし、1Rで一気に倒せなかったことで、「瑛作の心は折れてましたね」と山口元気会長は振り返っている。この言葉を裏づけるかのように、直後の2Rではワンチャローンのバックブローが決まり、瑛作はダウンを喫してしまう。その後は瑛作が立て直したことで、試合を優位に進めて、4Rには2度のダウンを奪うが、何度蹴られてもなかなか倒れないワンチャローンの姿からは、ルンピニー王者の強さと意地を見ることができた。それは試合後、ワンチャローンが歩いて帰れなかったことからも伺える。 強さを出させずに勝った天心も素晴らしかったが、強さを引き出した上でKOした瑛作も価値ある勝利だったのは言うまでもない。 「正直、話をいただいたときはワンチャローンかよ!リスクがデカイなって、嫌な思いしかなかったです。試合を受けるかどうか悩みましたね。でも、この試合は僕にとって勝敗以上にキャリアアップ出来る試合だと思うし、天心とやるには名のある選手と試合をして、倒さなきゃいけないって常に言ってきたので、やると決めたら気が楽になりました」 カードが発表された直後に瑛作は、ワンチャローン戦を打診されたときの心境をこのように話していた。戦前の予想ではルンピニー王者ワンチャローンの実力は、瑛作よりも遥かに上という声が非常に高かった。小野寺プロデューサーも「今回は、強い選手と対戦することで、瑛作クンが苦しみながらも乗り越えていく姿を見たかった」と述べており、あえて強敵と当てることで、瑛作の新たな一面を引き出したかったようだ。結果、“覚悟”を見せた上で勝利を収めたのだから、瑛作の潜在能力の高さを示すこととなった。 「皆さんにチャンピオンに勝つとこが見せられて嬉しいです。このKNOCK OUT、僕が引っ張っていくんで、皆さん僕についてきてください!あと天心!ミックスルールで忙しいと思うけどたまにはKNOCK OUTに帰ってきてください!」 試合後、いつもの“キラつき”を取り戻した瑛作はマイクを掴むと、リング上からは初めて「天心」の名前を出した。バックステージや一夜明け会見では「お客さんが望むなら、すぐにやりたい気持ちはあります。ただ僕も天心ももっともっと知名度を上げて、世間からもKNOCK OUTがもっと注目されるようになったときに、誰もが見たいカードと思われたいですね」と素直な気持ちを話していたが、大会終了後の総括でKNOCK OUTの小野寺力プロデューサーは、「8月(20日)の大田区総合体育館大会に天心クンの出場が決まってますけど、まだ相手は決まってません。今回、ワンチャローンにああいう勝ち方をしたことで、瑛作クンも候補に入りますね」と注目の日本人対決実現に含みを持たせた。 「ホント今まで諦めずにやってきて良かったです。昔の自分だったら(心が)折れてたと思います。強くなったな自分って思いますね。小さい頃から10年間アマチュアでやってて、なかなか勝てなくて、そんな自分がまさかタイのチャンピオンに5RをKOで倒せるとは思ってなかったので、今勝ててない弱いキッズの選手にいくら負けても頑張って続けて自分を信じ続けたら、ここまで来れるんだよって言ってあげたい。天心は天才で小さい頃から空手のチャンピオンとかになってますけど、僕は負けキャラでチビで弱かったので、キッズの子たちも諦めなければ夢を見られるよっていう言葉を送りたいですね」 会見の最後に自信に溢れた表情で話す瑛作から、“瑛ちゃん”の愛称で可愛がられていた弱いキッズファイターの頃の面影はない。“瑛ちゃん”は“キラつき”を増しながら、立派なキックボクサーに成長を遂げた。成長過程が全く違う天心戦は、瑛作がさらに進化するためにも避けては通れないスーパーバンタム級黄金カード。機を逸することなくベストなタイミングで実現してもらいたい。第3試合 55.5㎏契約 3分5R◯小笠原瑛作 【5R 1分10秒 TKO (タオル投入)】 ワンチャローン・PKセンチャイジム●取材・文/どら増田
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スポーツ 2017年06月18日 16時00分
東京六大学史上最強 法政三羽ガラス裏面史(4)
新宿の花園神社近くの路地裏に『熊の子』というスナックがあった。 青線地帯として栄えた繁華街の面影を残す小さな酒場が密集しており、決して環境がいい街ではない。 そんな場所にあった『熊の子』が法政三羽ガラスの溜まり場となっていた。他大学の選手も贔屓にしており、当時の学生野球選手たちが集い、交流し、闘志を燃やし、情報交換もする――そんな店だった。 店はアットホームで、マスターは我々を学生料金で飲ませてくれ、奥さんが作ってくれる家庭料理を目当てに通う選手も多かった。 夫妻には3人の娘さんがおり、温かい家庭的雰囲気をさらに醸し出していた。野球をするために地方から東京に出てきた多くの選手にとって、新宿は敷居が高い街だったが、『熊の子』だけは安心して自由に飲むことができた。 この店に通い始めたきっかけは、法政三羽ガラスの1学年上で明治大の主力だった高田繁(元巨人)と、2学年上だった東都リーグ駒沢大の大下剛史(元広島)だ。ちなみに、大下は同店の長女と結婚している。東京六大学と東都リーグの密かな交流の場でもあった。 法政三羽ガラスが直接のライバルだった明治大の高田やエース・星野仙一と親しくなったのは、互いに門限を破って深夜に出掛けたこの店で顔を会わせていたからだ。 中でも、話が合ったのが“打倒早稲田”に目の色を変えていた星野と富田勝で、2人は“早稲田包囲網”を作ろうと盛り上がった。 すでに東京六大学の大スターだった田淵幸一に対しては、全員が一目置く雰囲気があったが、親友である富田と仲良くなった星野は田淵、浩二とも親しくなり、その付き合いはプロ入り後もずっと続くことになる。 後に星野は「浩二のことはいろいろと助けたよ」とよく私に自慢していた。 「浩二の奥さんは、大学時代に付き合っていた頃から知っているから、夫婦ゲンカをしたときは、よく間に入って仲裁したもんや」 こんなエピソードがある。法政時代、外野手に転向した浩二がレギュラーとして右翼を守るようになると、ライトスタンドには、必ず双子の可愛い女性が観戦するようになっていた。 「おい! ライトにいる2人の女の子、可愛いなあ」 試合中にもかかわらず、目ざとく気づいた富田がそんなことを口にするほどの美女だった。現在の鏡子夫人である。 「トミ、知らんのか。あれは浩二の彼女や」 星野は同じチームの富田も知らないような話まで、浩二から打ち明けられていたのだ。 星野は学生時代から政治家のような一面を持っており、人脈も広かった。だからプロ入り後も、夫婦ゲンカの仲裁から税金対策にいたるまで、何かと仲間たちの相談に乗っていた。そんな付き合いが続いたのも、『熊の子』で結んだ友情の絆があったからだろう。 それぞれの誕生日や優勝祝賀会などの後には、誰と示し合わせたわけでもなく、自然と全員がこの店に集まっていた。「運命のドラフト」の後、この店が法政三羽ガラスらの集合場所になったのも必然だった。 1968年11月12日。東京・日比谷の日生会館で開かれたドラフト会議は、法政三羽ガラスにとって思いもよらない結果となった。 まだドラフト制度が始まって4年目のことである。名実共に球界の盟主を自認していた読売が、ドラフト制度を巧みに利用し、有望選手を独り占めにする駆け引きを自在に操っていた時代だった。 この年はドラフト史上最高ともいわれる大豊作で、阪急は1位指名・山田久志(2位加藤秀司、7位福本豊)、東京オリオンズは1位有藤通世、西鉄は1位東尾修、中日の3位指名は大島康徳と、後に名球界入りを果たす選手がゴロゴロいた。 その中でも、注目を集めていたのが法政三羽ガラスと明治大・星野の4人の動向だった。 各球団の裏の動きを追いかけてきたマスコミの見立てでは、田淵が巨人、浩二は広島、大阪出身の富田は阪神が有力。明治大の星野は中日が指名すると言われていた。ところが、蓋を開けてみると、田淵を指名したのは指名順が早かった阪神。阪神に指名されると信じていた富田は南海だった。 田淵も富田もこの結果にはショックを受けたが、それも当然だった。アマとプロの接触は禁じられていたが、当時は各球団ともあらゆる裏技を駆使して有望選手にアプローチをかけており、三羽ガラスにも幾つも声が掛かっていた。 田淵はすでにこの年の夏頃から、巨人に入団していた高田繁と極秘で会っている。『熊の子』での交遊もある。高田から「会ってくれ」と言われれば、田淵に断ることはできなかった。 違反行為のため、誰にも話すわけにはいかない。高田と食事を約束した日、田淵は当時付き合っていた彼女から「誰に会いに行くの? 私も一緒に連れてって」とせがまれ、ケンカになった。彼女も悪い予感がしたのだろうが、「男の仕事場に行きたいなんて」と田淵は失望し、その日で交際が終わった。私は2人の仲睦まじい関係をよく知っていただけに、破局したのはとても悲しかった。 ともかく、田淵は高田と会い、巨人が希望球団である意思を伝えた。高田が取り持つ形で、当時の川上哲治監督とも極秘に会って食事をしており、川上監督はその席で、「君のために背番号2を用意している」とまで約束したという。 若い田淵が信じたのも無理はない。ドラフト前日には読売系のスポーツ報知が「待ち望む巨人のくじ」と田淵を1面トップで報じ、私も友人としてツーショットで紙面を飾った。それだけ巨人が田淵を単独で指名することは確実視されていた。誰より田淵自身がそう信じて疑わなかった。 にもかかわらず、田淵を強行指名したのは阪神だった。読売のドラフト戦略なのか、まんまと利用された形となった純真な田淵はその夜、荒れ狂った。 当時、私はマスコミ取材などで何かと身辺の騒がしかった田淵を手助けするため、田淵家に泊まり込んでいたのだが、田淵はよほど悔しかったのだろう。夜中になって、こもっていた部屋から出てきた田淵は、フィリピン遠征で買ってきたという宝刀を手にしていた。 「ふざけるな! なんでだ!」 吠えるような怒りの言葉を撒き散らした。そして私を見つけると、いきなり斬りかかってきた。宝刀で斬られた私の額からは血がダラダラと流れた。大暴れして自室に戻った田淵は、開け放った部屋の窓から夜空を見上げ、いつまでも涙ぐんでいた。 田淵の苦しみを思えば、不思議と痛くも痒くもなかった。世の中の汚い部分を見たような気がした。 それから田淵が阪神入りを決断するまで、19日間かかっている。田淵の自宅前には連日、スポーツ紙の記者が張り込んだ。私も池袋の自宅に帰ることができず、田淵家に泊まり続けた。余計なことを話さないよう、田淵の父親もお調子者の私を外に出さなかった。 田淵の父親は毎日新聞系販売会社の会長をしており、読売新聞系の巨人入りを熱望する息子のため、ドラフト前には背広の内ポケットに辞表をしのばせていた。 「幸一が巨人に行くと決めたとき、会社を辞める覚悟はできている」 と話していた。息子の希望を叶えてやりたいという親心が痛いほど私に伝わってきた。社会人野球や海外での浪人を経て巨人入りを貫く選択肢もあったが、田淵は父親が会社を辞めることはどうしても避けたがっていた。 衝撃のドラフトから数日後、新宿の『熊の子』に仲間たちが集合した。 中日に指名された星野が口火を切った。 「実は、巨人からも俺を指名すると言ってきてたんだ。ブチと同じだよ。裏切られた感じだ」 田淵「えっ! 仙ちゃんも巨人から話があったんだ」 星野「それで、ブチは阪神と聞いてどうだった?」 田淵「金槌で頭の後ろから殴られた感じだ。事前のあいさつは一度もなかった球団(阪神)からだからな」 驚く田淵の横で富田がボヤく。 「俺だってあいさつのない南海だ。それに巨人は俺にも同じことを言ってたんだぞ。それにしても、よりによって阪神がブチとはなぁ〜」 「俺だけか、希望球団だったのは…」 広島に指名された浩二が、申し訳なさそうにグラスを傾ける。 どうやら、巨人は田淵だけでなく、星野と富田にも声を掛けていたことになる。 この年のドラフトは予備抽選で指名順を決め、重複指名での抽選がない、早い者勝ちのシステムだった。 実際の指名順は東映、広島、阪神、南海と続き巨人は8番目、中日は10番目だった。巨人は星野にも指名すると言っていたようだが、中日より順番が先の巨人が指名したのは武相高校のエース・島野修だった。 つい半年前までは、まさか『熊の子』でこんな話をすることになるとは、誰ひとり想像もしていなかったに違いない。 その後、浩二はもちろん、星野も富田もプロ入りを決め、田淵も「どこの球団でも、野球ができる幸せを感じなければいけない。親父に会社を辞めさせるわけにはいかないから」と阪神入りを決断した。 もっとも、阪神側は“異例の強行指名”のため、当時の規定である契約金1000万円を大幅に上回る金を田淵に用意していた。どういう名目かは分からないが、実際は手取りで7000万円。阪神のスカウトが田淵の自宅まで現金で持参し手渡している。 後に、三つの銀行に預けに行く際には、私が田淵の母親のボディーガード役として付き添ったことを覚えている。ちなみに、当時の大卒初任給は約3万円という時代だった。 とにかく、田淵は阪神入りを決めた。先に南海入りを快諾していた富田もこの決断を喜び、田淵家を訪ねてきた。田淵を挟んで両親、富田、そして私が笑顔で写る写真はその時のものだ(※本誌198P写真参照)。 残念ながら、富田勝はこの世を去ってしまった。南海に入団したトミと大阪スポニチ記者時代の私はよく難波で朝まで飲み歩いたものだ。血を吐きながらハシゴするトミの姿がいまでも脳裏に焼き付いている。 「だるま! もう1軒行くぞ!」 私は仲間から『だるま』と呼ばれていた。(了)【スポーツジャーナリスト:吉見健明】1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高では田淵幸一と正捕手を争い、法政三羽ガラスとは同期で苦楽を共にした。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書に『ON対決初戦 工藤公康86球にこめた戦い!』(三省堂スポーツソフト)等がある。
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スポーツ 2017年06月18日 12時00分
棚橋が渾身のテキサスクローバーで内藤を撃破しIC王座奪取! 今度こそ棚橋色に染め上げるか?
新日本プロレス『DOMINION』大阪城ホール大会が11日に開催され、11,756人(札止め)の大観衆を動員し、会場は終始熱気に包まれていた。 セミファイナルでは内藤哲也が持つIWGPインターコンチネンタル王座に、エース復権を掲げる棚橋弘至が1.4東京ドーム大会に続いて再挑戦。右腕の負傷により前シリーズを全休した棚橋や、7月のロサンゼルス大会から新設されるIWGP USヘビー級王座に対して怒りの内藤は、ベルトを破壊するなどの暴挙にでていただけじゃなく、勝てばインターコンチ王座の封印もしくは返上を宣言。一方の棚橋は破壊されたベルトについて「ビンテージ感がある」とファッション的な観点から評価。「内藤の土俵でケリをつける」と強い口調で言い切った。 試合は、1.4ドームを超えるハイレベルな攻防の末、終盤スリングブレイド2連発で勝機を掴んだ棚橋は一気にコーナーに登り、終生のライバル中邑真輔が乗り移ったかのように“滾る”と大阪城ホールからは大きなどよめきが…。そして必殺のハイフライフローを決めるも、内藤はギリギリでキックアウト。すると、普段であればもう1発ハイフライフローを決めにかかるところだが、テキサスクローバーホールドで内藤を締め上げた。1度はロープ際まで逃げようとした内藤だが、棚橋は再びリング中央まで引き戻し、渾身のテキサスクローバーホールドを高角度でガッチリ決めると、内藤も堪らずギブアップ。 内藤は調印式で、「棚橋選手には、結果で俺を黙らせてほしいなと思います。そして、かつてのライバルであり、IWGPインターコンチネンタル王座のかつての主である中邑真輔の気持ちも背負って、棚橋選手には大阪城ホール大会のリングに立ってほしいなと思います」と話していたが、棚橋からすればお望み通りの形で葬ったことになる。 棚橋がタイトル戦においてテキサスクローバーホールドをフィニッシュに選んだのは、2007年11月に、海外遠征から凱旋帰国し、波に乗っていた後藤洋央紀が初挑戦したIWGPヘビー級選手権が思い出される。あの時の後藤も棚橋を執拗に挑発しており、相手を黙らせるためには「ギブアップさせるしかない」という考えがあるのかもしれない。現に試合後の内藤は、今後インターコンチ王座に関わらないだろうというコメントを残しただけで、試合についての言いわけや、棚橋に対する憎まれ口を叩くことなく、会場を後にしている。内藤を黙らせるほどの説得力が、この日のテキサスクローバーホールドにはあった。 「まだ死んでなかったでしょ。棚橋は生きてるから、“Tanahashi still alive”。休場明けの横綱が強いように、故障明けのホームランバッターがいつでもホームランを打つように、少し休んでもエースはエースだから。そんなに年数経ってないのに、この貫禄。これにダメージデニムも合わせて、カッコよく着こなすから。ベルトは、腰に巻かれることによって、本来の意味をなす。今日、久しぶりにこのベルトは、“腰に巻かれる”という役目を与えられて、初めてこの世に存在します」 久々にシングル王座のベルトを腰に巻いた棚橋は、このように感情を一気にまくし立てると、少し落ち着いたのか、本音を語りはじめた。 「ホント言うとね、怪我のタイミングが最悪で、『なんでこのタイミングで、怪我なんだろ』って思ったけど、その試練を越えた。これから、どんなことがあっても、立ち向かっていけます」 と不安があったことを吐露すると、続けて中邑を意識した滾るパフォーマンスをだしたことについても語った。 「もうとっくに消化してるって言ったし、内藤に言われて、どうこう思ったところもないし。ただ、インターコンチを巻くにあたって、去年の長岡(ケニーとの王座決定戦)からずっとモヤモヤしてたものがあったから。かつて、あれほど鬱陶しいほど絡んでいったのに、急に何もなしですかっていうのは、あまりに素っ気ないし。ちょっとだけです」 昨年2月に中邑真輔の気持ちを引き継いだ形で、ケニー・オメガとの王座決定戦に臨むも敗れ、大阪城で訪れた挑戦のチャンスも怪我で失い、そして、今年の1.4ドームではマイケル・エルガンから同王座を奪取した内藤に挑戦するも、惨敗。世代交代まで言い渡されてしまった。インターコンチの神様から見放されているようにも見えるが、棚橋の頭の中には2014年1月に中邑を破り、3か月間保持していたインターコンチ王座に対して、“棚橋色”に染め上げられなかったという悔いがずっと残っている。 「前は何もしてあげられなかったから、今度あのベルトを獲ったら“棚橋色”に染めあげますよ!」 これは王座決定戦が決定した直後に棚橋がだしたコメントである。昨年の1.4ドーム大会でオカダ・カズチカのIWGPヘビー級王座に挑戦し敗れて以来、インターコンチ王座に固執し続けたのは、中邑との思い以上にこんな理由があったのだ。実に2年4か月ぶりのシングル王座戴冠となった棚橋が、ビンテージ感を増した白いベルトを今度こそエースのベルトにできるのか? その初陣は来月2日のロサンゼルス大会。元WWEスーパースターのレジェンド、ビリー・ガンを挑戦者に迎えて幕を開ける。(どら増田) 【新日Times vol.70】※写真・(C)新日本プロレス
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スポーツ 2017年06月17日 18時00分
GM更迭!「動かないヨシノブ」はクビにできない…
交流戦も苦戦、成績不振の責任を取って、堤辰佳ゼネラルマネージャー(以下=GM)が退任した。その後任には“元プレーヤー”の鹿取義隆氏(60)が選ばれたが、高橋由伸監督(42)の表情は晴れない。 「歴代の巨人GMは『サラリーマンGM』でした。堤氏は慶應大学野球部のOBで高橋監督も絶大な信頼を寄せていました。でも、プロ野球経験者を望む声がフロント内にも出ていました。高橋監督は就任2年目なので彼を庇う声も多い。ペナント低迷の責任は誰かが取らなければならないし、そうなると、大型補強を強行した堤氏が…」(球界関係者) 巨人は83年に及ぶ球団史のなかで、ワーストとなる12連敗も喫した(6月7日)。プロ野球記録は98年、千葉ロッテの18連敗。2ケタ連敗を記録したチームはほかにもある。連敗は「13」でストップさせたが、ここまで低迷したチームをどう建て直すのか、それが新GMの使命となる。 90年以降、大型連敗を喫したチームは、以下の通り。98年 千葉ロッテ=18連敗08年 現DeNA=14連敗99年 広島 =13連敗15年 埼玉西武=13連敗98年 阪神 =12連敗99年 阪神 =12連敗12年 オリックス=12連敗05年 東北楽天=11連敗(2度) 2ケタ連敗を喫した後、そのチームが優勝するまで何年を費やしたか…。 千葉ロッテはシーズン優勝こそ逃したが、日本一に輝いたのは、05年。7季を要したわけだ。広島は2016年までの長いトンネルを経験した。阪神が暗黒時代を抜け出したのは、03年。東北楽天はチーム創設から優勝まで「3251日」を費やした。 鹿取GMは今後、チームをどんな戦力補強し、どうやってチームを再建するのかを高橋監督と話し合わなければならない。しかし、GMが交代しても、当面の巨人は「沈んだまま」と見る声も多く聞かれた。その理由は、高橋采配にある。 「高橋監督は『動かない指揮官』です。失敗したときのリスクを恐れるというか、走者が出たら、エンドランを仕掛けるようなことはほとんどありません」(前出・同) その一例が『盗塁』である。 前任者・原辰徳氏のラストイヤーとなった15年、チーム総盗塁数は「99」。だが、高橋監督になって、「62」まで激減した。原監督は僅差の場面でもノーアウトで走者を出すと、代走を送り、盗塁を仕掛けた。前任者は失敗よりも、成功したときを考えていた。高橋采配の全てを否定するつもりはないが、今の戦力では今季中の首位戦線復帰は難しいだろう。 また、高橋監督はスタメンオーダーこそいじるが、走者を置いた場面では単独スチールのサインを滅多に出さない。結果、相手チームのバッテリーに「巨人は走ってこないから」とナメられ、たとえ代打が投入されても、バッターとの「一対一」の単純勝負になってしまうのだ。 こうした“采配の未熟さ”を補うのが、コーチ陣のはず。一軍コーチの顔ぶれを見ると、指導者経験の少ない40代も目立つ。二軍担当の年長コーチとの入れ替えも妙案だが、こんな声も聞かれた。 「コーチ陣の入れ替えですが、巨人に限らず、それを最終判断するのは監督です。連敗中、コーチ陣の入れ替えが進言されていましたが、高橋監督は受け付けませんでした」(ベテラン記者) 連敗中、高橋監督は「(敗戦結果を)受け止めるしかない」とも語ってきた。責任感の強い人柄がそう言わせた。コーチ陣を庇い、敗戦の責任を自分一人で抱え込むつもりでいたのだが、フロントは待てなかった。その結果が、もっとも信頼する先輩の“更迭”となってしまった。鹿取GMが最初に着手すべきは、戦力補強ではなく、高橋監督の性格を把握することではないだろうか。(スポーツライター・飯山満)※写真・高橋由伸監督(42)
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スポーツ 2017年06月17日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND54 〈魂のフルタイム三冠戦〉 “川田vs小橋”勝敗を超えた死闘
阪神淡路大震災の直後に開催された、今や“伝説”の全日本プロレス大阪府立体育館大会。メインの三冠ヘビー級王座戦、川田利明vs小橋建太(当時は健太)は震災被害も生々しい中にあって、ファンに未来への希望を抱かせるに十分の熱闘となった。 1995年1月17日未明、関西地区に甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災。全日本プロレス社長のジャイアント馬場は、2日後の19日に『新春ジャイアントシリーズ』大阪府立体育館大会を予定していたが、これを開催するか否かで大いに悩むこととなる。 各所からの情報を集めたところ、どうやら会場自体は無傷だったという。しかし、交通網は寸断され、ファンが会場まで来られるかどうかも分からない。そもそも当日のチケットを持っていたファンやその近親者に、被害が及んでいるかもしれない。 周辺では救助活動も続いている中での興行開催を、不謹慎と批判する声もあるだろう。同シリーズに参加していたメンバーは、スタン・ハンセンやアブドーラ・ザ・ブッチャーら日本通の常連外国人で、被災地入りの説得は可能だろうが、しかし、何か事が起きたときには補償の問題が生じるに違いない。 他にもテレビ中継をどうするかなど問題が山積する中で、馬場は最終的に予定通りの開催を決断する。 「その理由としては、大会を楽しみにしていたファンにとって、プロレスが希望の灯となればいいというのが一番だったでしょう。そして、その決断を後押ししたのが、試合内容に対する絶対的な自信ではなかったか」(プロレスライター) 当時の四天王を中心とした全日の試合であれば、決して不謹慎とは言わせず、会場を訪れる観客を必ず満足させることができるという選手たちへの信頼だった。 そうして当日、夢の4大カードとしてラインナップされたのは、田上明vsトミー・ドリーマーによる四天王とハードコアのシングル対決。ハンセン&カンナム・エクスプレスvsスティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エース&ジョニー・スミスの外国人ナンバーワン決定戦。馬場&ジャンボ鶴田&三沢光晴の三巨頭に“あすなろ”秋山準&大森隆男&本田多聞が挑むチャレンジマッチ。 そして、メインはもちろん三冠ヘビー級王座戦。前年10月にウィリアムスを破って王座に就いた川田利明が、小橋建太を挑戦者に迎える初防衛戦であった。 「四天王の中でも、とりわけ川田の絡む試合はこの頃から名勝負として評判が高かった。正統派の系譜を継ぐ三沢、小橋、田上の中に入って頑固さと職人気質を漂わせる川田は、いい意味でアクセントを加える存在だったのです」(同) 危険度の高い技が連発される四天王プロレスにおいては、ことさら対戦者同士の信頼関係が重要となる。相手の技量を信じなければ、大技を仕掛けることも受けることもできない。ただし、それも度が過ぎると観客からは“なれ合い”と受け取られかねない。そんな予定調和的なムードをぶち壊すことが、川田の価値となり魅力となっていた。 このときの小橋戦でも象徴的な場面があった。チョップの打ち合いの際、小橋が胸筋に力を込めて受けに備えていると、川田はそんな小橋のガラ空きになった喉元に手刀を打ち込んだのだ。思いもよらぬ攻撃に、小橋は一瞬驚いたように目を見開くと、喉を押さえてリング上をのたうち回った。 しかし、川田はそんな様子を見ても表情を変えずに追撃を与えていく。そういう相手の嫌がる攻めが瞬時に出てくるあたり、周囲が川田の性格が悪いと指摘するのもうなずけようか。 「川田自身は、寡黙で偏屈なキャラクターを“リング上の演出”と明言して、実際にリングを離れたときはよくしゃべるし冗談も飛ばします。だけど、それでもやっぱり変わった人ですよ。例えば、リングを離れた2010年頃、川田は居酒屋『麺ジャラスK』を開店しましたが、店名に麺とあるからこっちは褒めたつもりで『ラーメンがおいしい』と言うと、真顔で『ウチはラーメン屋じゃないんで』とくる」(スポーツ紙記者) 試合後のコメントで相手の悪口ばかりに終始して、結局、何一つ使えなかったとの話もある。 だが、そんな川田の毒気は、小橋の真っすぐな性格と相性が特によかったようだ。この大阪での試合とその翌年の武道館は、完全決着を基本としていたこの頃の三冠戦にあって、2度にわたっての60分フルタイムドローとなっている。 「川田のキツくて嫌らしい攻めにも、小橋は気持ちを切らさずについていく。それだから長時間の試合も成立するのでしょう。川田の試合作りのうまさはレスラー間でも定評があるだけに、単に長いだけの凡戦になる心配もない」(同) この日の試合もやはり馬場社長の期待通りの好勝負となり、試合後には川田と小橋、そして大会開催に対しての“全日本コール”が満員5600人の観客から送られたのだった。
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スポーツ 2017年06月16日 16時00分
熱き侍たちが躍動!! メジャーリーグ Times メジャーリーグ 知られざる暗黙のルール
メジャーリーグには、暗黙のルールがたくさん存在する。 その中には、現在もルールブックに書かれたルール以上に厳格に守られているものもあるが、その一方で、死文化しつつあるものも存在する。今週は、その代表的なものをいくつか書き出してみた。●味方の主砲が相手投手からデッドボールを食らったら、味方の投手は次のイニングの先頭打者か相手チームの主砲に、報復のデッドボールを食らわせないといけない。(最も厳格に守られている暗黙のルール。最近は次のイニングの先頭打者の初球に、報復死球を食らわせるケースが多くなった)●監督が捕手に「ぶつけろ」のサインを出したら、捕手は直ちにそれをサインで投手に伝え、投手は何食わぬ顔でそれを遂行しないといけない。(捕手が「ぶつけろ」のサインを出すときは、げんこつを突き出す、あるいは5本の指を全部広げる、といった見間違えようのないサインを出すことが多い。見分けがつきにくいサインを出すと、投手がすぐに識別できず、何度も見返すため、めったにないサインが出ていることがバレてしまう)●打者に故意にデッドボールを食らわせるときは、頭部を狙って投げてはいけない。(頭を狙った投球は乱闘の引き金になることが多い。最近は脳震盪の怖さが広く認識されるようになり、頭を狙った危険球に対するペナルティーも重くなった。そのため頭を狙った故意死球は損ばかり大きくて、得るものは何もないバカげた行為となった)●どの審判も独自のストライクゾーンがあるので、投手はそれを尊重しないといけない。ルールブックに書いてあるストライクゾーンだけを唯一のルールと思い込んで、ストライク・ボールの判定にいちいち顔色を変えてはいけない。(優秀な投手は、各審判の判定傾向とストライクゾーンを研究しているので、ストライク・ボールの判定に苛立つことはない。メジャー2年目の松坂大輔は18勝3敗、防御率2.90という驚異的な成績をマークしたが、キャンプ中に捕手バリテックから渡された各審判の判定傾向に関するデータを読み込んで、投球に生かしたことが成功の一つの要因になった)●敵と味方の乱闘が勃発したら、ブルペンがどんなに遠くにあっても、リリーフ投手たちは1人残らず駆けつけて加勢しないといけない。(暗黙の義務なので、投球練習中の投手でも中断して駆けつけるが、エキサイトして暴れる者はほとんどいない。ケガをしたら長期間のDL入りを強いられるからだ)●死球を食らった打者が投手に殴り掛かってきたら、捕手や内野手は身を挺して投手を守らないといけない。(打者がマウンドに突進して投手と取っ組み合いを始めた場合、駆け付けた内野陣や捕手は、両者を引き離すのではなく、次々に上に乗っかって両者を動けなくしてしまうことが多い。日本人選手では、レイズ時代の岩村明憲が、まっさきに乱闘を始めた打者に覆いかぶさって動きを封じ、男を上げたことがある)●打者はデッドボールを食らっても、当たった箇所を手でさすってはいけない。(痛がることは女々しい行為だと見なされる。そのためどんなに痛くても、やせ我慢して、涼しい顔で一塁に向かうのが大リーグ流のダンディズムだ)●ホームランを打った打者がすぐに一塁に向かわず、打席に立ったまま飛球の軌跡を目で追う、あるいは派手にバットを放り投げてから走り出す、ダイヤモンドを1周しながら大げさなジェスチャーでアピールする、といった行為は慎まないといけない。(どれも投手の気持ちに配慮しない無神経な行為と見なされる原因になるからだ)●相手投手が完全試合やノーヒットノーランをやる可能性がある場合、バントヒットのようなセコいやり方で快挙を潰してはならない。(過去に何度かバントヒットで快挙を阻んだ打者がいたが、激しい非難にさらされるため、あえてやる打者はいなくなった)●クローザーは最後のアウトを取った後、派手に勝利のアクションを行って負けた相手チームの気持ちを逆なでしてはいけない。(以前は、最後のアウトを取った守護神が派手な勝利のアクションをやると、相手チームがむかっ腹を立てて、乱闘になったこともある。しかし、最近は最後のアウトを取った後、派手なアクションで勝利をアピールするクローザーが増え、相手チームも過敏に反応しなくなった)●二塁にいる走者が捕手のサインを盗んで打者に身振りで知らせる行為は、報復を受けることを覚悟でやらないといけない。(以前は、二塁走者のサイン盗みが発覚すると投手はその走者の体めがけて牽制球を投げたり、次の打席で故意死球をやって報復した。しかし、最近は二塁に走者がいると、どのチームもサインを複雑にして容易に盗めなくしている。そのため二塁走者はサインを盗みたくても盗めなくなった)スポーツジャーナリスト・友成那智(ともなり・なち)今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2017」(廣済堂出版)が発売中。
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スポーツ 2017年06月15日 16時00分
軽自動車のナンバープレートを“黄色”から“白”に出来る ラグビーW杯日本開催の知られざる特典
一般にはあまり知られていないと思うが、軽自動車のナンバープレートは黄色と限定されているのだが、これを普通車並みに白ナンバーに替えることができる方法がある。国土交通省では、2019年に日本で開催される第9回ラグビーワールドカップを記念し、4月3日から日本初の特別仕様ナンバープレートを交付しており、そのナンバープレートを希望すると軽自動車でも、白ナンバーに替えることができるというものだ。ちなみに、プレートには記念スタンプが右上に小さくプリントしてある。 それはさておき、このワールドカップは五郎丸歩(31)にとって、ラストチャンスとなりそうだ。予選リーグ組み合わせ抽選会が5月に行われ、日本は世界ランキング4位のアイルランド代表、同5位のスコットランド代表らと対戦することが決定した。 「日本は世界ランク11位。組み合わせの結果を見る限り、日本の予選突破は非常に厳しい」(体協詰め記者) 決勝トーナメント進出には、上位2チームに入る必要がある。大方の予想は、日本はホスト国でありながら予選敗退といったところ。 しかし、手をこまねいているだけではない。組み合わせ抽選後の5月25日、薫田真広強化委員長が、日本代表で構成されているサンウルブズの合宿を視察し、今後の展望を打ち明けていた。 「海外チームで活躍しているリーチ・マイケル(日本人女性と結婚)などの選手を追加招集し、戦力強化を図る方針です。五郎丸に関する質問も出ましたが、『ジョセフ・ヘッドコーチ(の判断)次第だ』と言葉を濁しました」(スポーツ紙記者) 昨年、海外移籍を果たした五郎丸だったが、所属チームで出場機会に恵まれず、実戦感覚を鈍らせた。客観的に見れば代表復帰は厳しそうだが、チャンスはあるという。 「日本の弱点は体格差です。一時期は相手選手1人に対し、1人がタックルを仕掛けても止めることができず、2人でタックルを仕掛けなければならないほどでした。五郎丸は一対一の攻防ができる選手。前回W杯では、当時の代表選手たちは1日5試合の体力強化策もこなし、スタミナも尋常ではなかった。五郎丸がまだ1人で相手選手を止める力があるなら、代表招集の可能性は高い」(前出・専門誌記者) ラグビー協会内には若手抜擢論もあるが、それはある意味で勝負を投げたことになる。ホスト国である以上、なりふり構わずの戦法を推す意見も少なくない。であれば、ラグビー界・最大のスターである五郎丸選出は確定か? また何よりも、'19年W杯は全然盛り上がっていない。せめて、記念のナンバープレートで話題になれば良いのだが。
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