5日の稽古再開から1週間で土俵に入ったことに「いいんじゃないか。まずはしっかり体をつくって。焦る必要はないから、しっかり体を使った」と急ピッチで仕上げた夏場所前とは違い、まずは順調に調整が出来ているようだ。
先場所を11日目から途中休場してしまった稀勢の里。春場所に痛めた左肩付近のケガが完治しておらず、強行出場だったことは明らかだった。
「稽古不十分のままでは、夏場所の出場は無理だった。こうなったら次の名古屋場所も休場して、徹底的にケガを治すべきでは?」
場所後の横綱審議委員会でも、このような意見が多数、飛び出したという。
「(名古屋場所の出場は)本人と親方が判断しなければいけない。少しぐらい負けても仕方ないという状態で出ては、横綱としてどうかと思う。十分やれる、となったら出て欲しい」
横審の北村正任委員長も、このように自重を促した。大事な目玉力士だけに、こんなところで潰されては敵わない、とみんな思っているのだ。
そんな大事な時期だけに、きっと当の本人も治療に治療を重ね、ジッと復活のときを待っている…。そう思いきや、なんとそれから6日後の6月4日、部屋開きを行った山響部屋、茨城県鹿島市の鹿島神宮で稀勢の里は相次いで横綱土俵入りを行っていたのだ。
「こういうかたちで帰って来られて光栄です。こんな嬉しいことはない。一生懸命やってきてよかった」
鹿島神宮では、このようにご機嫌だった稀勢の里。ずっと以前から予定されていたので、断り切れなかったと言い訳するかもしれないが、この山響部屋の部屋開きは、ありていに言えば“横綱のアルバイト”といったところ。部屋の分家独立が相次いだバブル時代、この手の土俵入りを一手に引き受けた千代の富士は、1件につき100万円の謝礼を受け取っていたとも言われていた。
稀勢の里も、おそらくそれに準ずる謝礼を受け取ったはず。こんなおいしいことには手を出し、「やっぱり名古屋場所は無理なので休場します」という言い分は通らない。
このダブル土俵入りの翌日、稀勢の里は弟弟子の新大関高安(27)とともに土俵に降り、7月9日に初日を迎える名古屋場所に向けて稽古を開始した。とは言っても、相撲は取らず、ダンベルやゴムチューブを使ったトレーニングだけだった。
「1日1日を大事にして、やることをしっかりやる」
と、名古屋場所出場に前向きな姿勢を見せた。
稀勢の里は、“スー女”こと相撲女子の間で『きせのん』と親しまれているが、愛嬌キャラとは真逆の“不器用な性格”。注目の名古屋場所は発言通り、「やることは、しっかりやって」ほしいものだ。