スポーツ
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スポーツ 2017年06月12日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND53 〈今も輝く珠玉の名勝負〉 “タイガーvs爆弾小僧”黄金対決
初代タイガーマスクのデビュー戦で対戦して以降、幾多の名勝負を繰り広げた好敵手のダイナマイト・キッド。対戦成績ではタイガーの圧勝ながら、カミソリのように研ぎ澄まされたキッドの闘い模様と佇まいは、今なおプロレスファンの胸に刻み込まれている。 初代タイガーが新日本プロレスに在籍した2年4カ月のシングルマッチ戦績は155勝1敗9分。その唯一の敗戦もキッド戦でのフェンスアウト(当時は場外鉄柵の外に相手を出すと即敗戦のルール)で、フォールやギブアップでの負けは1度もない。 厳密に言えば、メキシコ遠征時、3本勝負のうちの1本を奪われたことが3試合あるものの(相手はビジャノ3号、ペロ・アグアヨ、フィッシュマン)、いずれも最後はタイガーの勝利に終わっている。 「タッグマッチまで広げても確認できる敗戦記録は10試合程度で、それも全部パートナーがやられたものです」(プロレスライター) シングル唯一の黒星をつけたキッドも、トータルでは6勝1敗1分とタイガーが大きく勝ち越し。ライバルとされた選手との対戦でも、ブラック・タイガーとは4勝5分。小林邦昭には7戦全勝と、やはり圧倒している。 ちなみに、他のライバル関係といわれる顔合わせでは、アントニオ猪木とタイガー・ジェット・シンは猪木の23勝7敗7分だが、完全決着勝利は9試合のみ。2度のフォール負けも喫している。ジャイアント馬場とアブドーラ・ザ・ブッチャーも30戦以上闘って、半分近くが引き分けとなっている。 「プロレスの常識からすれば、ライバル関係とは勝ったり負けたりしながら、つくられていくもの。そうでなければ観客の興味が続かないですからね。しかし、初代タイガーに限っては、勝ちっぱなしでいながらライバル関係を構築し、ファンからも高い支持を得ていた。それほどまでにセンスが飛び抜けていたということでしょう」(同) もちろん、これはタイガーだけの功績ではなく、相手もあってのことだ。 「やはり1番はキッドでしょう。ブラック・タイガーは両者リングアウトで次に興味をつないでいたし、小林もマスク剥ぎの反則アングルがあった。しかし、キッドは常に真っ向勝負、試合内容だけでファンを魅了したわけですから」(同) 1979年7月、国際プロレスへ初来日を果たしたキッドは、当時、スター候補とされた阿修羅・原と抗争を展開するも、カナダ・カルガリーで藤波辰爾(当時は辰巳)と闘ったのをきっかけに、新日のリングへ闘いの舞台を移す。 しかし、'80年の新日初参戦から1年後、藤波のジュニアタイトルに挑戦した試合では、当時、すでに藤波がヘビー級転向を見据えて肉体改造中だったこともあり、パワーの差を見せつけられてアルゼンチン・バックブリーカーに敗れる。 さらに、その敗戦から2週間後に、キッドはタイガーのデビュー戦の相手を務めることとなる。 「短期間のうちに藤波とタイガー、それぞれの踏み台にされてしまったわけで、並のレスラーならこれでお払い箱となっても不思議はない。そうならなかったのは、ひとえにキッドの実力とファンの支持があったからこそです」(同) 古舘伊知郎が“肉体の表面張力の限界”と表現したパンパンの筋肉から繰り出される、スピーディーかつパワフルな攻撃の数々。 「高速ブレーンバスター、トップロープからのスープレックスやドロップキック、相手を寝かせて離れたコーナーポストから放つダイビング・ヘッドバットなどは、いずれもキッドが元祖ではなかったか。攻めだけでなく受けに回っても、相手の技を最大限に活かす過剰なほどに激しい受け身を見せる。キッドの功績はタイガー本人も認めるところで、そんなキッドのスタイルに憧れてレスラーを志した選手が多数います」(同) タイガーとキッド、2人の才能の化学反応が以後のプロレスを一変させたとも言えようか。そんな両者の対戦は、いずれ劣らぬ名勝負ぞろい。中でも'82年1月28日の新春黄金シリーズにおける一戦は、両者のその後の闘い模様を決定付けるターニングポイントとなった。 '81年4月のデビュー戦で勝利を飾ったタイガーは、翌年1月1日、同じキッドを相手に迎えたWWFジュニアヘビー級王座決定戦に回転エビ固めで勝利。その同月28日、やはりキッドを相手に初防衛戦が行われる。 試合開始から激しく攻守が入れ替わり、両者スープレックスの応酬。コーナーからのダイビングヘッドバットとボディーアタックはともに自爆となるも、キッドを場外に落としたところでタイガーのプランチャーが炸裂する。 最後はバックの取り合いを制したタイガーのジャーマン・スープレックスが決まり、タイトル初防衛となった。 「この試合を見ていたWWF(現WWE)首脳は、MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)のリングでの同一カード実施を即決。8月30日の試合では、当初、タイガーを色もの扱いしたニューヨークのファンからブーイングが飛んだものの、試合が進むにつれて徐々に会場がザワつき始め、フィニッシュでは満場のスタンディングオベーションとなりました」(同) 両者の試合は本場ファンのハートも、ガッチリつかんだのであった。
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スポーツ 2017年06月11日 16時00分
熱き侍たちが躍動!! メジャーリーグ Times ヤンキース田中将大の現状と今後の展望
ヤンキースのエース田中将大が危機的状況に陥っている。5月14日のアストロズ戦で2回途中までに8失点してKOされ、さらに、20日のレイズ戦でも3回までに7失点して降板したのだ。その結果、防御率は6.56まで上昇。これはメジャーの規定投球回数に達している107投手の中で102位となる数字だ。 大量失点の最大の要因は、一番の武器であるスプリッターが落ちなくなり、浮いたところで一発を食うケースが頻発したからだ。それでも、右打者に対する武器のスライダーが機能していれば何とかしのげるが、これもストライクゾーンからボールゾーンに外れる軌道に制球できず、抜けて痛打されるケースが多くなった。 この2つの武器が機能しなくなった原因は特定されていない。米国のアナリストやプロスカウト(他球団の選手を評価するスカウト)の多くは、投げる時、左肩が早く開くのが原因と指摘する。さらに、ヤ軍のロスチャイルド投手コーチは、田中が研究熱心なあまり、投球フォームに過剰な修正を加え、本来の姿を見失ったのが原因と見ている。 田中の突然の大乱調をいちばん深刻に受け止めているのはジラーディ監督だ。同監督は冷静沈着な知将として知られる。だが、2試合連続でKOされた20日のレイズ戦では田中に対するフラストレーションが主審に対する激しい抗議という形で表れてしまい、意固地になって審判に食ってかかった結果、退場処分を受けた。 同監督が現在頭を痛めているのは、田中が早い回にKOされるようになったことでリリーフ陣の酷使に拍車がかかり、故障者が続出する恐れが出てきたことだ。 ヤンキースのローテは1番手田中将大、2番手サバシア、3番手ピネダ、4番手セベリーノ、5番手モンゴメリーという布陣。しかし、2番手以降はスタミナに問題がある投手や中盤に球威が落ちる投手が揃っている。監督は6回の頭、ないし6回の途中からリリーフ投手を登板させるケースが多く、そのため、ゲーム終了までにつぎ込むリリーフ投手は3人ないし4人になり、今季、ヤ軍リリーフ陣の登板数は異常に多くなっている。田中が早い回にKOされることが続けばリリーフ陣の出番がさらに増え、故障者が続出するのは確実だ。ゆえに、ジラーディ監督は田中の乱調を苦々しい思いで見ているのだ。 今後考えられるのは、以下の3つのシナリオだ。 (1)自分で修正点を見い出して復調し、またエースとして機能するようになる。 (2)スプリッターとスライダーが機能しない状態が続き、6月に入っても防御率が5点台に停滞。しばらくDL入りして投球フォームのオーバーホールを行い、シーズン後半の活躍を期す。 (3)何らかの故障が乱調の原因になっていることが判明し、長期間DL入りする事態となる。古傷であるヒジの靭帯に損傷が見られる場合は根本的な治療が必要になるので、トミージョン手術が不可避となる。 この3つのシナリオの中で可能性が高いのは(1)である。(2)のシナリオが現実のものになる可能性は2割ないし3割程度で、(3)のシナリオになる可能性はさらに低い。昨年までは、田中が不調になると米国のスポーツメディアはヒジの状態が悪いのではないかと勘繰っていたが、今回は乱調とヒジの故障を関連付けて報じているメディアはほとんどない。速球のスピードが、前年より1、2キロ上昇しているからだ。 今季開幕時、田中将大はサイヤング賞候補の5、6番手に名が挙がっていたが、今回の大乱調でその可能性は完全になくなった。同賞を受賞するには最低でもシーズン終了までに防御率を2点台にキープする必要があるが、それを実現するには、これから登板する22ないし23試合を防御率1.80前後で行く必要がある。これは実現不可能な数字と言える。 現実的に考えれば、田中は今季終了までに防御率を3点台にすることが精一杯だろう。なぜなら、今後登板する22、23試合の登板を防御率3.10に収めても、シーズン防御率は4.00をかろうじて切るレベルにしかならないからだ。 しかし、最多勝の望みは多少残っている。ヤンキースは、今季、スケールの大きい若手の台頭で得点力が格段にアップ。先発投手はそこそこのピッチングを見せれば勝ち星が付くようになった。田中は今後登板する22、23試合を防御率3.00前後で乗り切れば15勝前後はできるだろう。そうなればシーズンの勝利数は20の大台に乗り最多勝投手になる可能性が高くなる。米国では勝ち星が重視されないので4.00前後の防御率で20勝しても評価されない。しかし、日本では依然、勝ち星に価値を置く人が多いので、日本のマー君ファンは大いに沸くだろう。これからシーズン終了までの4カ月間は、勝ち星にこだわったピッチングを期待したい。スポーツジャーナリスト・友成那智(ともなり・なち)今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2017」(廣済堂出版)が発売中。
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スポーツ 2017年06月11日 12時00分
「大阪城でもウェーブやります!」KUSHIDAから感じる90年代の新日本プロレス
「3年越しでここ代々木(競技場・第二体育館)がチケット完売になりました!優勝したら、やりたいことがあるんですけれども…。ご協力をいただいてもよろしいでしょうか?僕が新日本プロレスファンだったころ、東京ドーム、両国国技館で客席からウェーブが発生していました。ベタですけど、ここ代々木で復活させてもよろしいでしょうか?」 今年の『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr. 24』の決勝戦(6.3代々木第二大会)で、ウィル・オスプレイを破り、2年ぶり2度目の優勝を果たしたKUSHIDAはマイクを握ると、観客にウェーブを促した。 新日本プロレスで初めてウェーブが発生したのは、木谷高明オーナーが「90年代新日本プロレス東京ドーム大会のベスト興行」と話している90年2月10日に開催された『スーパーファイトIN闘強導夢』。休憩前にマサ斎藤がラリー・ズビスコを破り、AWA世界ヘビー級王座を戴冠したことで東京ドームの熱が一気に上がり、休憩明けにラインナップされた当時は画期的だった、新日本プロレスと全日本プロレスの対抗戦を待ちきれない一部のファンがドームを走り回ってファンに呼びかけて実現したのが始まりとなっている。 その後しばらくの間、ドーム大会では恒例となっていたが、『G1クライマックス』の両国国技館大会にも飛び火し、前代未聞のマス席ウェーブが発生。会場でのウェーブは90年代の新日本では見慣れた光景である。恐らく当時のKUSHIDA少年もその輪の中にいたのだろう。KUSHIDAはプロレス会場でのウェーブを知らないファンに対して、しっかりとレクチャーすると、3,454人(札止め)に埋まった代々木第二体育館をファンのウェーブが綺麗に2周した。 「やっぱり、『G1クライマックス』には負けたくないし、『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.』というブランドを上に上げていきたい。まぁ、バック・トゥ・ザ・フューチャーじゃないですけど、新日本プロレス90年代の時代を見て、ファンとして育ってきましたので、そこの勢いにいま近づけている、その勢いを加速する意味でも、一発ウェーブをやることによって、なんか会場が一体になれるかなと思って、ずっとやりたかったことでした」 5日に行われた2夜明け会見でファンにウェーブを促したことについて、改めてこう話したKUSHIDAが次に臨む舞台は『DOMINION』6.11大阪城ホール大会。今年、1.4東京ドーム大会で王座を奪われ、リターンマッチに臨んだ4.9両国大会では僅か116秒で敗れたIWGPジュニアヘビー級王者、高橋ヒロムとの対戦が決定した。 「今回の大会は休憩がないと聞きました。KUSHIDAが勝てば、大阪城ホールの1万人オーバーの観客席で、ウェーブやりたいですね!どうでしょうか?勝てばウェーブをやります!」 KUSHIDAのコメントを聞いていると「スーパーJr.の決勝をまた両国国技館でやりたい」など、90年代の新日本プロレスを意識する発言が多い。そんな中からでてきた今回のウェーブ復活という発想は、観客参加型のムーブメントであり、KUSHIDAの勝利を願うファンがより増えるのではないだろうか。代々木第二大会で嬉しそうにウェーブをしているファンを見ていると、時代は変われども90年代の新日本プロレスと同じ熱さを感じることができた。 KUSHIDAの良いところは、ファン時代に自身が感じた感動を今のファンにも味わって欲しいと思っていること。KUSHIDAのプロレス脳は90年代の新日本プロレスがベースになっている。KUSHIDAというレスラーを紐解く意味でも『新日本プロレスワールド』などで90年代の新日本プロレスを視聴してみるのも面白いかもしれない。90年代を知らないファンが見ても新たな発見があるはずだ。(どら増田)【新日Times vol.71】
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スポーツ 2017年06月10日 16時00分
本田圭佑 豪州or中国移籍のウラで進めるイタリア“副業”計画
サッカー日本代表の本田圭佑(30)は、どこへ向かうのか…。所属するACミランのファンに向けた“惜別メッセージ”が様々な波紋を呼んでいる。 《また会えるのを楽しみにしている。その時はサッカー選手とは違う形になるかもしれない》 今季最終戦終了後、ファンにツイッターで退団を報告したのだが、そのためにわざわざアカウントを新設。「選手とは違う形」というセリフも意味シンなのだ。 「現地でさほど話題にはなっていませんが、日本のファンの間では、『引退を示唆しているのではないか』と見る向きもあります」(現地特派記者) 引退は行き過ぎかもしれないが、“副業”をいぶかる声も多く聞かれた。その根拠だが、新設されたアカウントのユーザー名が「@kskgroup2017」となっていた。「KSK」とは昨年4月、本田が立ち上げた企業名である。 「'15年6月、本田はオーストリアのクラブの経営に参入しています。その前には日本国内でサッカースクールも立ち上げている。KSKとして、何かイタリアに進出する計画があると予想されます」(専門誌記者) 本田はACミランでは“お荷物”状態だった。今季最終戦、久々に出場機会を得てゴールを決めたが、それも今季初。なんと昨年2月以来、462日ぶりのゴールだった。日本代表のハリルホジッチ監督は、このように出番がなく、試合勘が鈍るこの現状を憂いて、何度も移籍を勧めたが、本田は聞く耳を持たなかった。 今季終了の契約満了時点まで待ち、移籍に向けてようやく動き始めたというのは、ビジネスの下準備のためだとすれば合点がいく。 「本田は5月25日に発表されたロシアW杯最終予選のイラク戦メンバーに招集されましたが、ここが正念場。豪州、中国、米国のクラブが興味を示しているようですが、活躍できなければ、移籍交渉に影響するのは必至です」(同) 代表には若いライバルが多い。ここでハリル監督の期待も裏切ると、「選手とは違う形」発言は“引退報告”にすり替わりかねない。
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スポーツ 2017年06月09日 16時00分
首位戦線生き残りで導入する超高額「戦力分析ソフト」
球団がついに、固い財布の紐を緩めた。この決断は、金本知憲監督が目指す世代交代を加速させるかもしれないが、首脳陣を混乱に陥れる危険性も高い。 5月末、球団スタッフ数名が渡米。表向きは東海岸のメジャーリーグ数球団の視察というが、重大な目的も秘めていた。 「キャンベルに代わる外国人野手の補強? 違います。編成やスカウティング、育成に関する分析技術を学ぶためです」(球界関係者) 阪神には金本監督を招聘した頃から、棚上げしていた問題がある。「データ解析で他球団よりも遅れている」――。ようやく、改善に乗り出したのだ。 「金本監督も2年目に入り、選手個々の能力、性格をしっかりと把握してきたようです。選手を鍛える、鍛え直すという観点からチームを改革してきたので、それを補うデータ解析のシステムが導入されます」(同) データ解析はMLBが最先端を進んでいる。昨今では「スタットキャスト」と呼ばれる選手の能力分析ソフトなどが定着しているため、阪神はそれを導入する。渡米の目的は、そのソフトの使い方を学ぶためだ。 「たとえば、選手の特徴を伝える際、肩が強いとか、守備範囲が広いなどと言いますよね。導入するソフトを使えば、本当に肩が強いのか、その強さはどれくらいを指すのか、すべて数値化できるんです」(同) 最先端のソフト導入となれば、それなりの出費も覚悟する必要がある。データ解析で他球団に遅れを取った事情はこのへんにありそうだが、渋チン球団を決心させた理由は他にあった。 「北條史也を打撃不振でスタメンから外した際、適任の遊撃手をすぐに決められませんでした。ベテランの福留孝介を休養で休ませた際も心象論で代役を選びました。伊藤隼太など二軍で頑張ってきた若手の話を聞かされれば…」(担当記者) 「肩が強い」などの特徴もそうだが、現場は心象論で動くことが多い。若手や中堅が必死になっていれば、「何とかしてやりたい」と思うのがアニキ金本監督だ。また、指揮官就任から金本監督が口にしてきたのが、「本当に変えたいのは選手の意識」という言葉。諦めない姿勢を植え付けようと、選手を鼓舞してきた。データ解析の最新鋭ソフトも必要だが、それは、金本イズムを否定することになる。 「最新鋭のソフトをどう活かしていくかが問題。阪神が首位戦線から転落すれば、ファンの好意的な金本監督への今の見方も変わってくるかも。球団は優勝を祈りつつも、甲子園で大ブーイングが起きたときに備えようとしているでは? そのための最新ソフト導入かもしれない」(ベテラン記者) 鳥谷敬(35)が鼻骨骨折した時、ベンチは騒然となった。長くチームを支えてきたベテランの重大事だからだ。その後、フェイスガードを付けて出続けたのは決して連続出場の記録のためではなくチームのためだ。 データだけで判断すれば、出場困難となる。阪神の野球は善くも悪くも心象論で動いているのだ。
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スポーツ 2017年06月08日 18時00分
東京六大学史上最強 法政三羽ガラス裏面史(3)
「勝ちゃん! 起きろ!」 田淵幸一は棺桶の中で花に囲まれた富田勝の顔を何度もひっぱたき、人目もはばからず号泣した。なかなか棺桶の蓋を閉めさせようとしない田淵の落胆ぶりは、見ていられないほどだった。 人と話すとき、田淵は富田勝を「トミ」と呼び捨てにしていたが、2人だけの会話になると、「勝(まさる)ちゃん」と呼んでいた。2人は特別な絆で結ばれた親友だった。 2015年5月、肺がんで死去した富田勝(享年68)の通夜と告別式が大阪市阿倍野区のやすらぎ天空館でしめやかに執り行われた。 私も参列したが、300人を超える弔問の列には、とうとう法政三羽ガラスの一羽が欠けてしまったという無念さが漂っていた。 式前の控え室では、明治大学のライバルだった星野仙一や、法政で同期だった山本浩二、1学年下の江本孟紀、山中正竹たちが、田淵を囲んで富田の思い出話をしみじみ語り合っていた。 田淵と浩二は、亡くなる半年前に抗がん剤治療を続けていた富田を最後に見舞っていた。余命宣告を受けたと聞いて大阪市内の病院を訪ねたのだ。2人はやせ細った富田を見て絶句した。 すでに腹を決めていたのだろう。富田は「ブチ! 浩二! ありがとう!」と笑ってみせた。心配させないように気を遣う富田に何も言うことができず、2人は肩を落として病院を出るしかなかったという。 監督時代は選手から“鬼”と呼ばれていた松永怜一監督も、葬儀で弔辞を読みながら号泣した。優勝しても涙ひとつ見せず、翌日から練習を再開し、豪雨の日でも「こんな日も試合があるんだ!」と、決して練習を休まなかった鬼監督が泣いていた。 松永監督は「ノックができなくなったら監督を辞める」という信念を持っていた。腰痛で選手として現役を引退した松永監督は、マッサージを受けながら毎日ノックを打ち続けていた。 そのノックを最も多く受けた選手が富田だった。他人から見れば理不尽なスパルタに見えたかもしれない。しかし、闘志をふり絞って球に食らいつく富田と監督の間には、言葉にはできない信頼関係のようなものがあった。 「おやじ(松永監督)をあそこまで泣かせたのは、トミしかいないよな」 松永監督の弔辞を聞きながら、改めて富田の大きさを感じたように、田淵がポツリとつぶやいた。 霊柩車を見送る最前列には、星野仙一が寂しそうに下を向いて涙していた。明治大学野球部のエースだった星野が富田と親しくなったのは「打倒早稲田大学」の共通点があったからだ。 酒好きだった富田は毎晩のように飲み歩いていたが、そんな男が飲みにも行かず、合宿所の小さな裏庭で深夜に素振りをする時があった。それは決まって対早稲田大学戦の前夜だった。 当時の早大は油に浸して真っ黒にしたバットを使っており、これが相手に威圧感を与えていた。富田は負けじと自分のバットをドス黒く染め、そのバットを握って深夜の素振りを続けていた。 「早稲田にだけは負けたくない」 富田の口癖だった。 「法政の黄金時代を築いたのは、田淵でも浩二でもない。あの2人を陰で命を張って守った男(富田)がいたからだ。あいつには本当によく打たれたよ」 星野はそうつぶやいた。星野の後ろでは、浩二が同期の投手だった小林郁夫と並んで思い出を語っていた。 「トミと俺は、洲本(兵庫・淡路島)でやった法大の新人セレクションで一緒になったんだ。意気投合して、テストが終わった後も大阪でトミの自宅に泊めてもらった。2年の春に合宿所に入ったのも一緒だった。投手から外野に転向して、うまくいかずに落ち込んでいたときはトミがいつも激励してくれよった。初めて『HOSEI』のユニホームをもらったときは、2人でユニホームを抱き締めたよ」 法政一高時代から田淵とバッテリーを組んでいた小林も「トミは田淵をいじめる上級生にも食って掛かって、人のいい田淵を守っていた。キャプテン田淵に逆らう下級生がいたら、全員整列させて往復ビンタを食らわすようなこともあったけど、不思議と下級生にも慕われていたな」と述懐している。 この葬儀を裏方として仕切っていたのは、1年下の後輩たちだった。 富田の武勇伝は三羽ガラスの中でも飛び抜けて熱いエピソードが多い。 ある日、田淵と富田が例の如く飲み歩いて朝帰りしたところ、部屋には誰もおらず合宿所全体がシンと静まり返っていた。 2人がほかの部屋を覗き込んでいくと、同級生や下級生が風呂場で正座させられていた。田淵と富田がいないことがバレてしまい、連帯責任として説教を食らっていたのだ。 覗き込んだ2人もすぐに見つかり、上級生から「お前たちもここで正座しろ!」と命令が下ったが、これに富田が猛反発した。自分の門限破りを棚に上げ、頑として正座を拒み、上級生に食って掛かった。 「全員を許して正座から解放しなければ、俺は絶対に座らない!」 富田の態度には理由があった。実は以前から、1年生の江本孟紀や山中正竹らが上級生から理不尽ないじめを受けていたことを知っていたからだ。中でも、特に目をつけられていた江本などは、富田にこんな相談もしていたという。 「富田さん、4年生は酷いですよ。買い出しとかはしょうがないですけど、1度で済むことをわざと3回に分けて『買ってこい』とか言うんです。あれじゃあ、ただの嫌がらせです」 もっとも、江本も黙ってやられているタマではない。「コーラ瓶に水を入れてこい!」と命令されると、そのコーラ瓶の飲み口にこっそり自分のションベンを入れていたのだ。富田もこの復讐を打ち明けられたときは、さすがに絶句した。 「富田さん、これくらいしてもいいでしょ!」 「おい、この間、俺が頼んだラーメンにはまさか入れてないだろうな」 「富田さんには、そんなことしてませんよ。黙っていてくださいね」 富田も暴君のようにふるまう上級生には辟易していたので、江本の話を笑って許したそうだ。 「理不尽なことは上級生にも食って掛かる――。あれが富田さんのすごいところで、優しいところですよ!」 後輩たちからは、よくそんな話を聞かされた。 もちろん、富田も上級生として締める所は締めていたが、それでも江本や山中たちの後輩から慕われたのは、こんな男気あふれるところがあったからだろう。 三羽ガラスの絆が目に見える形で表れたのが、「富田の暴行事件」だった。 3人が4年生になった1968年の春、リーグ戦を優勝した法政大学は、日本一を決める全日本大学野球選手権大会に臨んでいた。迎えた準決勝の対愛知学院大学戦(神宮球場)。富田は試合前から「負ける気がしない!」と気合いが入っていた。 ところが、試合は法政に形勢不利のムードで進み、リードされた中盤に一死満塁のピンチを迎える。相手打者の打ったゴロが、三塁を守る富田の前に来た。ホームゲッツーのチャンスだ。富田はゴロを捕り素早く捕手の田淵に送球した。その瞬間、三塁ランナーがスパイクの刃を田淵に向けたまま猛烈な勢いで滑り込んだ。 このラフプレーに富田がブチ切れたのだ。 「ブチに何するんだ!」 「バカヤロー! 許せねえ!」 富田はネット裏の観客席まで聞こえる怒声を上げると、脱兎のごとく駆け出し、スライディングした相手選手を捕まえてボコボコに引きずり回した。 今思えば、あれでよく退場にならなかったと思うのだが、殺気立った空気を帯びたまま試合は続いた。終盤の7回を迎え、相手の先頭打者が浩二の守る右中間を深々と破る当たりを放つ。打球を追いかけてボールを拾った浩二が振り向くと、走者は二塁ベースを蹴って三塁を狙うところだった。 浩二の渾身の返球は、三塁を守る富田のグラブにストライク。走者はまだ三塁ベースの手前だったが、イチかバチかでヘッドスライディングを敢行した。富田は待ってましたとばかりに身構えると、走者の顔面めがけてパンチと見まがうような強烈なタッチを食らわせた。相手は数メートルも吹っ飛んだ。 明らかに先ほどの田淵へのラフプレーの仕返しだった。この富田のプレーに愛知学院大学の応援団は爆発寸前となり、スタンドからは、ヤジとすらも呼べないほど露骨な怒声が富田に向けて浴びせられた。 「テメエ、このまま帰れると思うな!」 「ぶっ殺す!」 試合は法政が9対4で勝利したが、球場はこれ以上ないほど険悪なムードに包まれたまま終了した。 「あのスライディングは許せん! 田淵に怪我させようとしてたじゃないか。俺はどうなってもかまわん。田淵は宝なんだ。許せなかったから、わざと顔面にタッチした。反省してない」 試合後のロッカーでは富田が1人、吼えていた。 「俺1人だけでも、愛知学院大の応援団とケンカする。殺されたっていい!」 外の様子を見に行っていた池田周弘マネージャーが戻り、球場の外に相手校の応援団が待ち伏せしていることを伝え、「トミ、頼むからユニホームを脱いで学生服に着替えて裏門から出てくれ」と頼み込んだが、富田は「逃げるのは卑怯だ。何人でも相手してやる」と聞かなかった。 富田は法政大野球部の藤田信男部長からも呼び出され、「法政大学野球部の品位をお前1人で潰すな! これから一切暴力行為は許さない」と説教されたが、「野球部をクビになっても俺は逃げたくない!」と拒んだ。 富田はケンカにかけては負けたことがない。退部してでもケンカする腹を固めていたようだ。 それでも、「次は決勝だ。トミがいなかったら勝てない。頼む!」という池田マネージャーの必死の説得に、田淵や浩二も加わり、ようやく矛を収めた富田は、法政の学生に囲まれて合宿所へ戻っていった。 今の風潮なら、決して褒められた話ではないのかもしれない。しかし、チームメートにとっては、これほど頼れる男はいなかった。 富田勝は、そんな闘志あふれる男だった。(次号最終章)【スポーツジャーナリスト:吉見健明】1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高では田淵幸一と正捕手を争い、法政三羽ガラスとは同期で苦楽を共にした。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書に『ON対決初戦 工藤公康86球にこめた戦い!』(三省堂スポーツソフト)等がある。
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スポーツ 2017年06月08日 16時00分
早実・清宮幸太郎獲得の切り札となる父親と早稲田閥
エンジのロゴカラーからタテジマへ。怪物・清宮を口説けるのは、早稲田閥の阪神だけかもしれない。 早稲田実業高3年、清宮幸太郎が関東大会準々決勝で散った(5月22日)。昨夏の甲子園大会の覇者・作新学院との一戦で、早実が終始追い掛ける展開となり、清宮は最終の第4打席で通算95号アーチを放ったが、チームは敗退した。 清宮の目標は「日本一」。その目的を果たすには、最後の夏に懸けるしかなくなったが、95号アーチはその先の野球人生の分岐点ともなったようだ。 「熊本RKK招待試合で、秀岳館と対戦しました。地元ファンに見せるため、そして、夏の甲子園での対戦を想定し、秀岳館は清宮の前打者を敬遠する作戦に出ました。力の入り過ぎた清宮は凡打に倒れましたが、これを機に、清宮の顔つきが変わりつつあります」(在京スカウト) 前打者敬遠の意図は知るよしもない。敬遠されることはあっても、敬遠後の打席は野球人生で初めてのはずだ。「屈辱」と解したのだろう。清宮は試合後の整列でも相手選手たちに向ける目はうつろだった。 「進路に関する予想は二分しています。かつて松井秀喜氏が甲子園で5打席連続敬遠され、プロで勝負したいと思ったように、清宮も高いレベルを意識するようになったと見る声。そして、進学ルートから逃げられないと諦める声です」(同) 早実の学生は、387人中377人と、およそ97%が早大に進学している(昨年度)。しかし、その鉄板ルートを壊せるのは、阪神だけかもしれないのだ。 「故中村勝広GM、そして、元監督の岡田彰布氏。阪神は早稲田の核心部に通じるルートを持っています。'04年ドラフト自由枠で鳥谷敬を獲得するなど、他球団にはないパイプが確保されていると見ていいでしょう」(球界関係者) 岡田氏も阪神を離れて久しいが、敵対はしていない。 「前任の和田豊氏が監督を退くとき、チームが優勝から遠ざかっているということで、優勝指揮官である岡田氏も『後任候補』に挙がっていました。関西系メディアでは厳しい発言もしていますが、金本体制には敵意、悪意はない」(在阪記者) また、沈黙を貫いている幸太郎の父・克幸氏は阪神ファンである。競技こそ異なるが、ラグビーのプロチーム指揮官として、大学を経由して伸びる選手も見てきたが、「素質に恵まれた者」が進学で遠回りするリスクも知っている。 「最近の早実には関西出身の野球部員が多いんですよ。幸太郎も阪神ファンなので、大阪には親近感を深めていると思う」(同) 清宮の最終目標はメジャー挑戦だが、日本一のほかにもう一つ、直近の目標がある。東京五輪出場だ。野球競技について、今のところ、「アマ枠」は保証されていない。五輪の夢を果たすにはプロに入り、1年目から活躍するしかないのだ。 岡田氏が早大に話を付ける…。古巣のためなら“最後の優勝監督”もひと肌脱いでくれるはずだ。
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スポーツ 2017年06月07日 16時00分
巨人、オリックス、千葉ロッテ… 阪神・掛布二軍監督の争奪戦
阪神首脳にとって今年も悩ましい季節がやってきた。6月13日に大阪で開かれる阪急阪神ホールディングスの株主総会である。質疑応答では経営に関する質問が大半を占めるが、「阪神タイガース」もいつも通り議題に上がり、虎キチ株主からの容赦ない追及がお約束になっている。 例年、「一言物申す!」と球団にとって耳の痛い苦言を呈するのだが、2シーズン目を迎えた金本阪神は大方の予想を覆して首位に立つ(5月27日現在)。4月に10連勝を飾り、独走態勢に入ろうかという広島を6日の試合で0対9から逆転勝利したのが分岐点となって、セ界の主役に躍り出た。 そこで、今回の株主総会は何事もなくシャンシャンシャン…事実上のタイガース壮行会になるものと思われたのだが、ここへ来て思わぬ難題が浮上してきた。金本知憲監督(49)とタッグを組む、ミスタータイガース掛布雅之二軍監督(62)の処遇である。 今季の躍進の原動力になっているのが、若トラたちの台頭だ。掛布氏は若手選手を次々一軍に送り出すとともに、二軍で西岡剛内野手などベテランを腐らせず、リフレッシュに努めさせている。金本監督が就任以来推進する「超変革」の戦力補給の場となっているのだ。 今季の阪神は、投手陣ではメッセンジャー、秋山拓巳、藤浪晋太郎らの先発陣がけん引。抑えはマテオ、ドリスという、ともに防御率1点台の“勝利の方程式”が機能し、中継ぎの桑原謙太朗を加え、リーグ一のリリーフ陣と言われている。 一方の打線では、オリックスからFAで糸井嘉男を獲得し、3番打者を固定することができたことが大きい。4番の福留孝介と主軸を構築し、その後ろを捕手からコンバートした一塁手の原口文仁や中谷将大が固め、高山俊と上本博紀の1、2番も機能している。捕手は梅野隆太郎で固定し、ゴメスの抜けた三塁は鳥谷敬を遊撃からコンバート。その後釜には北條史也とドラフト5位ルーキーの糸原健斗を競わせている。 これら打撃陣の高素材の才能を開花させ、結実させたのが掛布氏だ。ミスタータイガースの金看板は伊達ではなかった。 その掛布氏との契約は、今季終了時まで。年俸は金本監督の3分の1の4000万円(推定)と言われ、極めてお買い得な物件とばかり、数球団がオフを待たず、水面下で青田刈りを開始したという。 むろん阪神は掛布氏との契約延長を望んではいるが、現在は金本政権が長期間続くのは確実な状況だ。よほどのアクシデントがない限り、掛布氏が阪神の一軍監督に就くことはない。 そこで横恋慕のごとく乗り出したのが、阪神と人的交流の盛んなオリックス、さらにロッテ、巨人という。 「阪神タイガースからは、故中村勝広氏、岡田彰布氏がオリックス監督に転じた過去があります。宮内義彦オーナーは掛布氏の手腕と人気を高く評価しており、1億円の年俸は惜しまない。これまで大型補強をしながら結果を出せず、忸怩たる思いを抱えています。最後の仕掛けとして掛布氏の神通力に期待しているのです」(オリックス担当記者) 身売り説が流れ、最下位に沈むロッテも秋波を送る。掛布氏は千葉市で育ち、習志野高校出身。長嶋茂雄氏とともに千葉県を代表するプロ野球選手である。 ロッテの球団買収を画策するオンライン通販サイト『ゾゾタウン(ZOZOTOWN)』を運営するスタートトゥデイ社やリクシル(LIXIL)社はともに、これまでの球団イメージを刷新するに相応しい監督像を描いている。一軍監督未経験ではあるが、スーパースター掛布氏はそれに十分当てはまる。 一方、巨人も掛布氏とは極めて良好な関係にある。評論家時代は報知新聞、日本テレビの解説者を務め、常に巨人サイドに立って論を振るってきた。中でも江川卓氏とは昵懇で、江川政権誕生の暁にはヘッドコーチ就任が確実視された経緯もある。 「掛布氏は長嶋氏を敬愛し、長嶋氏もまた機会があるたびに巨人ヘッドコーチや打撃コーチに推奨してきた。また、阿部慎之助の父親は掛布氏の習志野高時代の同級生で、今でも阿部家とは家族同様の付き合いをしている。それゆえ、巨人には阿部人脈ですんなり入っていける。巨人の二軍には高額年俸選手がゴロゴロおり、コーチ陣が手を焼いているのが実情。カリスマ性のある掛布氏の二軍監督は願ったり、叶ったりだ」(巨人OBの野球解説者) 巨人の次期監督には松井秀喜氏が有力視されているが、いかんせん監督は未経験。それだけに、二軍監督の果たす役割は大きい。松井氏が固辞したり就任を先延ばしした場合、ポスト高橋由伸監督が江川氏や阿部にスイッチの可能性もある。 巨人においては、外様の一軍監督就任はあり得ない。寝首を掻かれる心配がないため、掛布氏は誰が監督になってもありがたい存在だ。 掛布氏周辺の動き…。これを阪神サイドはさばけるか。来シーズンはどうなる?
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スポーツ 2017年06月06日 16時00分
「名古屋場所は全休すべき!」手負いの獅子、稀勢の里に異例の“休場勧告”
5月29日、横綱審議委員会が東京・両国国技館で開かれ、左上腕付近の負傷で夏場所11日目から途中休場した横綱・稀勢の里に対し、名古屋場所は全休すべきという意見が出た。 「稽古十分とは言えない状態で、痛みが残っていると見られる中で頑張って出場したが、無理だったのかなと。委員の中には名古屋を休場しても治してもらわないと、という意見もあった」(北村正任委員長) 横審は成績不振の横綱に対し「激励」「注意」「引退勧告」を行うことができるが、今回の“休場勧告”は異例と言える。 それにしても、五月場所の終盤は完全なトーンダウン状態だった。 新横綱人気で沸きに沸いた大相撲夏場所(東京・両国国技館)だったが、さあこれから、という5月24日の11日目。話題の中心だった横綱稀勢の里(30)が先場所で痛めた左肩などが完治していないことを理由に休場。まるで冷水を浴びせられたようにしぼんだ、後味の悪い場所になった。 「まあ、やむを得ない判断でしたね。相手のレベルが上がった9、10日目はまったく相撲にならず、連敗して4敗目。あれ以上、土俵に上がり続けていたら何敗するか分からない感じでした。これまで横綱が皆勤して負け越したのは、大乃国、若乃花(3代目)の2例があるのみ。もし稀勢の里もそうなったら、せっかくの大相撲人気に水を差しかねないところでした。協会関係者も休場の報にホッとしていましたよ」(担当記者) 先場所、ケガを押して奇跡的な逆転優勝をやってのけ、日本中を熱狂させた稀勢の里だったが、その代償は決して小さくはなかった。場所後の春巡業を全休し、治療やリハビリに専念したが、いかんせん、時間が足りなかった。もともと出場するのが無理だったのだ。 「まだ始めたばかりだし、本調子じゃないので」 番付発表後も、そう言って稽古は非公開。初日の8日前から5日連続の出稽古で仕上げたが、見るからに付け焼刃的で、普段の力強さは戻らなかった。 「左を全然使っていない。万全にはほど遠い状態だ」 稽古を取材した元横綱でNHK解説者の北の富士さんも、そう言ってクビをひねり休場を勧めていた。 しかし、稀勢の里は初日の3日前、「出ます。休みません」と慌ただしく出場を宣言。周囲の異常な盛り上がりを潰すようなマネはできなかったのだ。 「先場所も優勝できたのだから、今場所もなんとかやれるのでは…」 そんな安易な考えがあったのかもしれない。 だが、それはなんとも甘い判断だったことが証明された。2連覇して自分の力を過信したのかもしれない。これで来場所は一段と厳しくなった。同じ失敗はできないので、プレッシャーも大きくなるからだ。 果たして、来場所までにちゃんとケガは治るのか。名古屋場所の初日は7月9日。春場所から夏場所までよりも間隔は短い。稀勢の里が早くも窮地に陥った。 この様子だと、4横綱時代は長くは続きそうにない。鶴竜、稀勢の里と2横綱が休場し、日馬富士も安定していない。全勝優勝した白鵬もかつての“鉄板の強さ”は見られないし、名古屋場所の4横綱の序盤戦が心配だ。
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スポーツ 2017年06月05日 18時00分
Bリーグ盛況でも川淵EAを悩ませる“東京五輪アドバンテージなし”
日本のバスケが東京五輪に出場できない? バスケットボールのプロ組織『Bリーグ』が盛況だ。初代優勝チームを決めるプレーオフはもちろん、B1(1部)生き残りを賭けた入れ替え戦も、チケットはほぼ完売だという。 「一番の功労者は何と言っても、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー(EA)の川淵三郎氏(80)。就任当初は“バスケの素人”とバカにされていましたが、敵対していたスタッフもシンパになったことで状況が変わったのです」(体協詰め記者) 日本バスケ界と言えば、「“一国1リーグ”の原則に反する」と、国際バスケットボール連盟(FIBA)から警告を受けた過去があり、JBLとbjリーグ分裂の溝は深かった。その“手打ち”をさせたのが川淵氏。しかし、積み残した難題もあった。 「東京五輪への出場権です。そもそも五輪ホスト国は自動的に出場できたのですが、FIBAから警告を受けた際に命じられた“'14年10月までの統合”に関して、川淵氏はその期限を守れなかった。さらに、五輪開催国のアドバンテージについても、“W杯で実力を見ての判断”と、突き放されている状態なのです」(同) その東京五輪出場権もかかった'19年W杯のアジア地区予選は、11月に始まる。先頃発表された組み合わせで、日本は世界ランク10位の豪州、同27位のフィリピン、48位の台湾と戦い、3位以内に入らないと二次予選に進めない。日本のランクは台湾と並ぶ48位タイで、一次予選での苦戦は必至だ。 「リオ五輪では、ブラジル女子のフィールドホッケーが出場できなかった。つまり“一定以上のレベルになければホスト国でも出場できない”という前例ができてしまったのです。そんな中、協会の要人が2月に極秘渡米し、アドバンテージが認められなかった場合の戦力補強のために日系人選手の発掘を試みている。ただ、W杯の成績いかんによっては、川淵氏が功労者でありながら追い詰められるかもしれません」(JOC関係者) W杯に注目だ。
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