スポーツ
-
スポーツ 2009年11月19日 15時00分
新日本 12・5名古屋でIWGP戦 永田“絶口調”
新日本プロレスIWGPヘビー級王者・中邑真輔とチャレンジャー永田裕志(12月5日、名古屋)が大舌戦だ。18日には都内の同事務所で調印式。寡黙な王者に永田が「3カウント数える必要のない決着にする」と完全決着を予告したことから、不穏なムードが漂った。 タイトル戦決定後から舌戦を繰り広げている両雄は、この日の調印式でもギスギスした雰囲気だった。中邑から近年ベルト戦線に絡んでいない体たらくぶりを指摘されていただけに、特に永田はフラストレーションがたまっていた。 「カウント1、2、3、と数える必要もないくらいノックアウトできるようもっていきたい。過去にデカイ記録や実績をつくってきたけど、いまの俺は過去の永田裕志より強い。そういうところを見せつけた上でベルトをふんだくって、僕の腰に2年2カ月ぶりに取り返す」 IWGPヘビー級王座最多の10度防衛記録を保持するミスターIWGPからしてみれば、いまの中邑だってIWGP王者としてはまだまだ満足できるレベルではないという。 「俺が連続防衛記録を作ったときは新日本プロレスの選手、社員にメシを食わせていた自負があった。そのぐらいの自負がいまの中邑クンにあるか?」 現王者の政権運営能力に疑問を呈し、挑発する永田の“口撃”はやまない。「俺がチャンピオンでチケットが売れないのがイヤだったんで、世間に注目を浴びるような記事や話題もドンドン発信すれば、自分で営業もした。それに選手会長として道場の練習も仕切っていたし、それぐらい完ぺきだった。ま、いまはそこまで役割を担う必要がないくらい会社がケアしてくれますから、いいと思いますけどね」 あたかも現王者を物足りないといわんばかり。 これに一方の中邑も応戦。まずは「チャンピオンのあり方についてはなりたてのチャンピオンなんで。つくりあげていくのは、闘って闘って、振り向いたときにそれができてればいい」と突っぱねながら「永田裕志とは四の五の適当にののしり合って盛上げるよりも、リングでやればいい」とリングでの制裁を誓っていた。
-
スポーツ 2009年11月19日 15時00分
全日本 ケア 初対戦の船木脅す
全日本プロレス世界タッグ王者の太陽ケアが「世界最強タッグ決定リーグ戦」(21日、国立台湾大学総合体育館大会で開幕)で初遭遇する船木誠勝に屈辱の絞首刑を宣告した。 左腕のケガから4カ月ぶりに戦列復帰するケア。その間、GURENTAIから三冠ヘビー、アジアタッグ王座が流出し、勢力図が大きく様変わりしていた。 正念場を迎えているとあって、是が非でもこのリーグ戦を落とすことはできない。「今は80%ぐらいだけど、大丈夫。リハビリに励んで、休んでいる間にもっとプロレスがやりたくなったよ」との思いを口にする。 中でも不在の間に全日トップ戦線に躍り出てきた船木の存在は気になるようだ。「船木とは一度も肌を合わせたことが無いから楽しみだ。2000年にヒクソンと戦って負けた時のような状態にしてやるから覚悟しておけ」。 確かにケアはヒクソンの弟子に柔術を習っており、絞め落とすことも可能。船木が引退を決意したあの時と同じように、屈辱の失神負けに追い込むという。 その前に借りを返す相手がいる。河野真幸だ。7・5金沢大会の防衛戦で欠場に追い込まれた因縁の相手。それだけに「台湾カップの1回戦で対戦できることを楽しみにしているよ。ようやくリベンジできる。お前のアゴをもっと長くしてやるからな」と言い放った。 沈んでいた太陽がこのリーグ戦でまた昇り始める。 なお、全日プロは18日に台湾へ出発した。
-
スポーツ 2009年11月19日 15時00分
浅尾&西堀 ペア解消の真相
ビーチの妖精、電撃ペア解消の真相は? 突如5年間に及ぶ活動の分断を発表したビーチバレーの人気ぺア、浅尾美和&西堀健実(共にエスワン)がそろって会見しその胸中を語った。 今年は国内外の23大会に出場。念願の優勝を1度飾るが肝心の国内ツアー優勝はなし。解消は11月のタイ遠征後に決断したという。2012年のロンドン五輪を目指す浅尾にとって「違うペアと組むことで、可能性を確かめたいし、お互いにもっと成長できるはず」円満解消と新ライバルへと西堀を見据えた。 お互いに新しいパートナーは白紙状態だが、今回の会見をもって解禁。浅尾は早期にパートナー探しに動くが、「やっぱり健さんしかいなかったら、ゴメンナサイ会見をします(笑)」と笑顔で仕切り直しを誓ったのだ。
-
-
スポーツ 2009年11月18日 15時00分
内藤 “興毅の影”に怯えた
6度目の防衛戦(29日、さいたまスーパーアリーナ)を控えたWBC世界フライ級王者内藤大助(宮田)が17日、都内の宮田ジムで練習を公開。ところが、挑戦者亀田興毅陣営が視察に訪れていることもあり警戒して手の内を明かさず。減量のイライラもあってか逆ギレする場面もみられた。 同級3位の興毅とV6戦に臨む内藤。これまで公の場には一切姿を見せなかったが、ついに報道陣の前に姿を現した。 5月の防衛戦では大苦戦を強いられたが、原因は調整不足。内藤を指導する野木丈司トレーナーによれば右足の腸脛(ちょうけい)じん帯と左足首を痛め、十分な走り込みができていなかったという。 そのため今回は試合前に北海道、長野、千葉の3カ所で走り込み合宿を敢行。1日最長40キロに及ぶこともあり、徹底的に足腰の強化を図った。その成果で「コンディションもいいですし、順調。怖いくらいです」と手応えをつかんでいる。 “世紀の一戦”を12日後に控えたこの日は、興毅対策として1階級上のサウスポーを相手に2Rのスパーリングを披露。ダウンを奪うパフォーマンスも見せた。 ところが、状況がおかしい。宮田博行会長から「それあんまり見せるなよ。そのノーガード出しちゃだめだ」と動きを制限する指示が飛んでいた。 いつもと違ったのは、亀田ジム関係者が声を潜めて内藤の動きを視察していたため。手の内をすべてさらすわけにはいかない。内藤本人も警戒するポイントについて「いろいろあるよ。けど言わない」と口を閉ざしてしまうほどだ。 それどころか、報道陣から興毅からPRが足りないと指摘されたことについて問われると「オレはオレのペースがあってやってる。あいつだって盛り上げてる方でもないじゃん」とグチをこぼす場面も見られた。 ピリピリムードに包まれている内藤陣営。「今までの防衛戦と変わらず。ここからまた盛り上がっていく」(内藤)と語っていたが、これまでで最大の強敵になるだけに不安は拭えないか。
-
スポーツ 2009年11月18日 15時00分
全日本 最強タッグへ万全 小島「6冠」狙う
逃げも隠れもしない。全日本プロレス三冠ヘビー級王者の小島聡が「世界最強タッグ決定リーグ戦」(21日、国立台湾大学総合体育館大会で開幕)でタイトル挑戦権をかけることを受諾。その一方で前人未到の“6冠王”を目指す足がかりとするという。 武藤敬司社長から次期シリーズでの挑戦者を査定する提案を受けていた小島。答えは決まっていた。 「そうなんですか? 別にいいですよ。次のシリーズ、最強タッグで自信のある人は名乗り出てきてほしい」と呼びかけた。 余裕タップリに承諾した三冠王者だが、タッグリーグ戦に自信があるからに他ならない。「実はタッグリーグっていうのは一番の得意分野なんです。最強タッグは過去7回出場して4回優勝、準優勝2回してるんですよ」。過去のパートナーは太陽ケア(2002年)、カズ・ハヤシ(03年)、天山広吉(06、08年)で実績を残してきた。 それだけに「三冠王者のまま優勝して実力を見せつけたい」と意気込む。今回の最強タッグには世界、アジアの両タッグ王者が出ていることもあり、小島は来年に向け、ある計画を練っていた。 「今回優勝したら、世界タッグなりアジアタッグのベルトに挑戦する資格はあると思う。全部のベルトを巻きたい」と野望を口にする。かつて武藤が三冠、世界タッグ、IWGPタッグを巻き、変則6冠王者となったが、小島は誰も成し遂げたことのない純6冠王を狙うという。 「すべてのベルトを巻いて“真の全日本の中心”になりたい」。小島が全日マット独占に乗り出す。◎カズ・ハヤシ 新世代をシカト 全日本プロレス世界ジュニアヘビー級王者のカズ・ハヤシが、新世代の“完全シカト”を決め込んでいる。10・25神戸大会で6度目の防衛に成功したカズ。現在のところ、有力な挑戦者候補も見あたらない。 ところが、ここにきてKAI&大和ヒロシの新世代がかみついてきた。だが、王者の反応はイマイチだ。「世代交代ってことを書かれるのが一番イヤだ。現役バリバリの自分がいるのにおかしい」と首をかしげる。 すでにカズの目は世界の未知なる強豪に向けられており「世界の強豪を探さないといけないのに彼らにかまってるヒマはない」と突き放す。 そればかりか「期待感が無かったらおもしろくならないですからね。(2人には)勝ち負けじゃなく、期待感を見せてほしい。それが見せられないんだったら僕以前の問題」と手厳しい評価を突きつけた。 もはや下の世代は眼中になしといった全日ジュニアの絶対王者。もはや誰も止められる者はいないのか。
-
-
スポーツ 2009年11月18日 15時00分
ZERO1 日高 今度こそ天下一V
今年で7回目を迎えるZERO1の「天下一ジュニア」だが、第1回大会から連続出場をしているのは日高郁人=写真=ただ一人になる。ここ数年は階級の枠を超えてヘビー級戦線でも活躍。今年もまた優勝候補に日高の名前が上がるが、実はまだ一度も優勝経験はなく、なぜ優勝できないかは七不思議の一つとされている。 「今年は期するものがある」という日高だが、トーナメント制覇は容易ではない。エントリーする10選手は、IWGPジュニア・タッグ王者のプリンス・デビィットをはじめ、強豪揃い。過去最高のメンバーが集う。 日高は11・23後楽園大会の2回戦から登場し、マグニチュード岸和田と激突するが、ヘビー級と互角に渡り合う岸和田のパワーに警戒心を強める。 トーナメントは過酷なものになりそうだが、日高は悲願の初優勝を果たすために、自身に2つの条件を課した。一つはこれまで実践してきたサイコロジーレスリングを貫き通すことだ。「技術では誰にも負けていない」という日高は、試合の際は常に何パターンものシミュレーションを練り、状況に応じて最善の選択肢をチョイスして勝利を目指している。そしてもう一つには、練習の取り組み方をあげ「あと一歩という苦しい時に力を出せるようにするには、普段から自分を追い込んでいくしかない」とした。 最大の敵は自分自身であり、「プロレスリングに解けない問題はない」というスローガンを掲げる日高は、改めて心身を鍛え上げ、優勝という難解な問題を解いてみせるつもりだ。
-
スポーツ 2009年11月18日 15時00分
みちのく 12・12ハヤト戦 拳王が勝利宣言
拳王がみちのくプロレスを自分色に染める! 拳王=写真=は9月にフジタ“Jr”ハヤトを破り、キャリア1年半にして東北ジュニアヘビー級王座を獲得。24歳にしてみちプロのトップに立った。打撃を得意とするのは、日本拳法をバックボーンに持ち、2006年、2007年には全日本学生拳法個人選手権で2連覇を達成している。 12・12後楽園ホール大会では前王者ハヤトのリターンマッチを受けるが、拳王は「余裕ですね。彼は僕に及ばない」と早くも勝利宣言。挑戦者を完全に見下す。ハヤトが上から目線に怒りを覚えていることについては「実際に僕が上なのだからしょうがない」とサラリと言ってのける。ただし、ハヤトも打撃を得意としており、2人が9月の選手権試合で見せた激しい打撃戦は、新時代の到来を告げるに相応しい内容だった。 周囲は2人をライバルと見なすが、ハヤトの存在が視界に入っていない拳王は「打撃に関しては、威力もスピードもこっちが上。競い合える強さがあればライバルといえるけど、今の時点では向こうがそこまで達していない」と断言。 理想とする王者像については「一見して強いと分かるオーラをもっと出したい。強さが伝わる王者になりたい」という拳王。強さを求めるクールな王者の出現で、みちプロのリング上の風景は確実に変わり始めている。
-
スポーツ 2009年11月18日 15時00分
大阪プロレス ビリー “義人攻略”が第一関門
大阪プロレス今年最後の東京大会となる11・23新木場1stRINGで、大日本プロレスの佐々木義人と「天王山トーナメント」1回戦で激突するビリーケン・キッド=写真=が、並々ならぬ覚悟と決意を示した。 ビリーは今年、天王山2連覇に挑むが、昨年は苦い思い出しか残っていない。決勝はルード軍が乱入する大荒れの内容で「お客さんの評判はよくなかった」と素直に喜べない優勝だった。さらに、試合中に右肩鎖関節を脱臼し、その後欠場を余儀なくされた。だからこそビリーは「今年はキッチリと優勝して、昨年の悔しさ、不完全燃焼を払拭する」と燃える。 また、絶対に優勝しなければならない理由がある。現在、大阪プロレス王座はフリーのディック東郷の手中にあるが至宝を流出させたのは他ならぬビリーである。7月に東郷に敗れて王座から転落。「負けた男が実績もあげずに挑戦させろとは言えない」という前王者は、東郷への挑戦権を得るため、天王山制覇を自分に義務付けた。 だが、1回戦は難敵が立ちはだかる。パワーと突進力のある義人を切り崩すのは至難の業だ。それでもビリーは「他団体の選手とやるのは刺激があって楽しみ」と不安よりも期待を胸に、義人攻略を目指す。
-
スポーツ 2009年11月18日 15時00分
底辺から這い上がってみせる!! ホームレス・レスラー小坂井寛
個性派ぞろいのプロレス界に、前代未聞の選手が現れた。小坂井寛(こざかい・ひろし)、27歳。海外マットではキャンピングカーなど、車を住居代わりにしている選手はいるが、野宿をしながら闘う男など聞いたことがない。この男、おそらく世界初の“ホームレス・レスラー”である。 小坂井は現在、東京・浅草の隅田(すみだ)川沿いの川縁に住んでいる。ホームレス生活を始めたのは10月末からで、それまでは草加のアパートに居を構えていたという。それがなぜ、突然すべて投げ打ってホームレスになったのか? 理由は「自分を変えるため」だった。闘いを生業(なりわい)とする者として「普通に生活すること」に疑問を抱いた小坂井は、ハングリー精神と自分を磨くために「一番下の生活から始める」ことを決意。また「無謀なことは若い時しかできない」という思いもあった。 両親は息子がホームレスになることに反対で、アパート代を肩代わりするつもりでいた。「ウチに来い」と声をかけた先輩レスラーもいた。 だが「それらの厚意に甘えてしまっては意味がない」という小坂井は、草加から浅草の川岸へと移り住んだ。場所選びについては、小坂井の体を心配する浅草の知り合いに「ホームレスをやるならウチの近くでやらないか」と言われ、「下見をしたら、あまり住んでいる人がいなくて、入りやすそうだったので決めました」と第一印象の良さが決め手となった。 お金はないわけではない。かといって持ち合わせが多いわけでもない。小坂井は週末にセキュリティーのバイトをしており、節約すれば必要最小限の生活はできる状況で、「食べることに関してはなんとかなっている」という。 むしろ困難は寒さとの闘いにあった。季節は冬になり、朝と夜は冷え込みが厳しくなる一方だ。小坂井は就寝時、厚手のジャージーを着て寝袋に入り、さらにレジャーシートにくるまっているが、「思ったより寒い」と防寒対策に頭を悩ます。ちなみに、天気のいい日は就寝場所に困らないが、雨風が強い日は高架下で眠るそうだ。 一日の過ごし方もまた難題で、「家賃の支払いなど、追われるものがないのは楽なんですが、やることがないがないのはキツイですね。さすがに一日中横になっているというわけにはいかないですから。とにかく一日が長い」と思いもよらぬ苦悩を味わっている。 本業のプロレスについては、所属するMAKEHENからフリーになるため、唯一の連絡手段となる携帯電話に試合のオファーが入ることがあるが、小坂井は「もっといろんな大変さに直面すれば、得るものも多くなるはず。まだ気付くことが少ないので、年内は自分探しの旅を優先するつもりです」と、当面はホームレス生活を続ける意向である。 それでも練習はできる範囲内で続けており、時には興行の手伝いに行き、リングで練習をさせてもらうこともあるという。 この男、プロフィールも波乱に富んでいる。小坂井は1982年2月9日、新潟県長岡市の出身。プロレス好きだった兄の影響を受け、幼いころからプロレスに興味を持ち、小学4年生の時に長岡市厚生会館でFMWを見たのが初めてのプロレス観戦となった。そして「好きな仕事に就きたい」とプロレスラーを夢見て、小学5年生から中学校卒業まで柔道を習い初段を取得している。 高校には進学せず、全日本に履歴書を送ったところ「高校を卒業してから再度送ってきてください」と断れ、17歳の時に上京。プロレスラーになるためにパンクラスP's LABに通い、総合格闘技の練習に取り組む中、2004年1月22日、DEEP後楽園ホール大会の佐藤隆平戦で、プロレスラーになるよりも先に総合格闘家としてデビューをした(腕ひしぎ十字固めに惜敗)。 その後、ディック東郷が開校したプロレス学校「スーパークルー」でプロレスの基礎を学びながら、総合2試合、キック1試合をこなしている。 新日本プロレスの入門テストは3度受けており、3度目はテストメニューをすべてこなし、合格の自信があったにもかかわらず落選。 納得のいかない小坂井は「ボコボコにされてもいいから、殴り込みにいくしかない」と決心したが、スーパークルーの関係者に止められて自重したという。 念願のプロレスデビューは06年9月12日、新木場1stRING大会で、橋本友彦と組み、ヤス・ウラノ&isamiと対戦し、ウラノに敗れている。 トンパチタイプの小坂井は、得意の打撃を中心に、思いっきりのいいファイトを身上としている。
-
-
スポーツ 2009年11月18日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元野球選手・山本和行さん
11月3日、広島カープの元監督(94年〜98年)だった三村敏之氏が亡くなった。この三村氏と同じ広島商業高時代に甲子園に出場し、その後プロ野球・阪神にドラフト1位で入団したのが、山本和行だった。 山本は高校卒業後、亜細亜大学に進学、東都大学リーグで通算33勝を挙げる活躍をした。そして4年生のシーズンには70奪三振という記録も残した。1971年のドラフトで阪神に入団。 72年の1年目から1軍で活躍した。そこには山本が独自に開発したフォークボールが武器として大きかった。それはストレートもフォークも同じフォームで投げ、握りも同じで使い分けた。 5年目の76年からリリーフ投手として起用され、6勝3敗18セーブという好成績を挙げた。その翌77年は9勝5敗9セーブで前年を上回る勝ち星を挙げたが、9セーブでリーグ最多のセーブ投手になった。78年から再び先発投手に戻ったが、最高の成績は80年の15勝11敗2セーブだった。 81年から再びリリーフに戻り、82年には15勝8敗26セーブの成績を挙げ、セーブポイントは史上初の40であった。最多セーブは逃したが最優秀救援投手に輝いた。また84年には10勝8敗24セーブ、34セーブポイントを挙げ、2回目の最優秀救援投手となり、セ・リーグを代表する守護神であった。85年は阪神が21年ぶりにリーグ優勝した年、山本は9月の試合前練習中にアキレスけんを断裂して終盤は出場できなかったが、5勝6敗11セーブを挙げて優勝に貢献した。翌年11勝3敗15セーブを挙げて復活したが、87年は2勝1敗9セーブ、88年は0勝3敗0セーブしか挙げられず現役を引退した。 引退後は野球解説者になったが、92年から95年まで広島の投手コーチを務めた。現在はNHKで野球解説を行っている。
-
スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
-
スポーツ
大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
-
スポーツ
珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
-
スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
-
スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
-
スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
-
スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
-
スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
-
岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
-
野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
-
-
豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
-
宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
-
元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分