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底辺から這い上がってみせる!! ホームレス・レスラー小坂井寛

 個性派ぞろいのプロレス界に、前代未聞の選手が現れた。小坂井寛(こざかい・ひろし)、27歳。海外マットではキャンピングカーなど、車を住居代わりにしている選手はいるが、野宿をしながら闘う男など聞いたことがない。この男、おそらく世界初の“ホームレス・レスラー”である。

 小坂井は現在、東京・浅草の隅田(すみだ)川沿いの川縁に住んでいる。ホームレス生活を始めたのは10月末からで、それまでは草加のアパートに居を構えていたという。それがなぜ、突然すべて投げ打ってホームレスになったのか? 理由は「自分を変えるため」だった。闘いを生業(なりわい)とする者として「普通に生活すること」に疑問を抱いた小坂井は、ハングリー精神と自分を磨くために「一番下の生活から始める」ことを決意。また「無謀なことは若い時しかできない」という思いもあった。
 両親は息子がホームレスになることに反対で、アパート代を肩代わりするつもりでいた。「ウチに来い」と声をかけた先輩レスラーもいた。
 だが「それらの厚意に甘えてしまっては意味がない」という小坂井は、草加から浅草の川岸へと移り住んだ。場所選びについては、小坂井の体を心配する浅草の知り合いに「ホームレスをやるならウチの近くでやらないか」と言われ、「下見をしたら、あまり住んでいる人がいなくて、入りやすそうだったので決めました」と第一印象の良さが決め手となった。
 お金はないわけではない。かといって持ち合わせが多いわけでもない。小坂井は週末にセキュリティーのバイトをしており、節約すれば必要最小限の生活はできる状況で、「食べることに関してはなんとかなっている」という。

 むしろ困難は寒さとの闘いにあった。季節は冬になり、朝と夜は冷え込みが厳しくなる一方だ。小坂井は就寝時、厚手のジャージーを着て寝袋に入り、さらにレジャーシートにくるまっているが、「思ったより寒い」と防寒対策に頭を悩ます。ちなみに、天気のいい日は就寝場所に困らないが、雨風が強い日は高架下で眠るそうだ。
 一日の過ごし方もまた難題で、「家賃の支払いなど、追われるものがないのは楽なんですが、やることがないがないのはキツイですね。さすがに一日中横になっているというわけにはいかないですから。とにかく一日が長い」と思いもよらぬ苦悩を味わっている。
 本業のプロレスについては、所属するMAKEHENからフリーになるため、唯一の連絡手段となる携帯電話に試合のオファーが入ることがあるが、小坂井は「もっといろんな大変さに直面すれば、得るものも多くなるはず。まだ気付くことが少ないので、年内は自分探しの旅を優先するつもりです」と、当面はホームレス生活を続ける意向である。
 それでも練習はできる範囲内で続けており、時には興行の手伝いに行き、リングで練習をさせてもらうこともあるという。

 この男、プロフィールも波乱に富んでいる。小坂井は1982年2月9日、新潟県長岡市の出身。プロレス好きだった兄の影響を受け、幼いころからプロレスに興味を持ち、小学4年生の時に長岡市厚生会館でFMWを見たのが初めてのプロレス観戦となった。そして「好きな仕事に就きたい」とプロレスラーを夢見て、小学5年生から中学校卒業まで柔道を習い初段を取得している。
 高校には進学せず、全日本に履歴書を送ったところ「高校を卒業してから再度送ってきてください」と断れ、17歳の時に上京。プロレスラーになるためにパンクラスP's LABに通い、総合格闘技の練習に取り組む中、2004年1月22日、DEEP後楽園ホール大会の佐藤隆平戦で、プロレスラーになるよりも先に総合格闘家としてデビューをした(腕ひしぎ十字固めに惜敗)。
 その後、ディック東郷が開校したプロレス学校「スーパークルー」でプロレスの基礎を学びながら、総合2試合、キック1試合をこなしている。
 新日本プロレスの入門テストは3度受けており、3度目はテストメニューをすべてこなし、合格の自信があったにもかかわらず落選。
 納得のいかない小坂井は「ボコボコにされてもいいから、殴り込みにいくしかない」と決心したが、スーパークルーの関係者に止められて自重したという。
 念願のプロレスデビューは06年9月12日、新木場1stRING大会で、橋本友彦と組み、ヤス・ウラノ&isamiと対戦し、ウラノに敗れている。
 トンパチタイプの小坂井は、得意の打撃を中心に、思いっきりのいいファイトを身上としている。

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