スポーツ
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スポーツ 2014年09月06日 17時59分
練習の鬼、親心、情熱、『上甲スマイル』
春のセンバツ大会で2校を『初出場優勝』に導いた上甲正典監督が胆管ガンのため、永眠した。67歳だった。宇和島東高校(愛媛県)、済美(同)の両校を優勝に導いた経歴は説明するまでもないだろう。 関係者によれば、今夏の甲子園大会中に症状が悪化。入院先の病院で「(明徳義塾の)馬淵(史郎)監督に会いたい」と伝えたという。馬淵氏も多忙なスケジュールを調整し、8月26日に駆けつけたそうだ。甲子園の素晴らしさ、高校野球の苦楽を熟知した2人は、どんな会話を交わしたのだろうか。日本中の高校野球関係者は1日も早い回復を願っていたが、9月2日午前、名将は帰らぬ人となってしまった(同4日の葬儀・告別式)。 2005年12月だった。筆者は名将・上甲正典監督に叱られた。 済美高校野球部を創設3年目で全国制覇に導いた翌年のことで、その練習内容や教育方針について取材を申し込んだ。 「いいよ。グラウンドに直接おいで。いつ来るの?」 電話で取材主旨を伝えるなり、名将は驚くくらい気さくに応じてくれた。「高校野球ファンを魅了した、あの名将が会ってくださる」−−。興奮してしまい、思わず、「明日行きます!」と返した。 出張取材の準備なんかしていなかった。こんな急展開で取材が決まるとは思っても見なかったからだ。大急ぎで愛媛行きの飛行機とビジネスホテルを抑えたものの、直前での手配だったため、割安サービスを利用できず、手痛い出費となった。だが、お金には変えられない『貴重な取材機会だ』と自分に言い聞かせていた。 「珍しい記者さんだね。皆、大会前とか実戦練習をやっているときに来るんだけど」 優しく出迎えてくださった。穏やかな口調だったが、TV中継で見た『上甲スマイル』とは違う威厳が漂っていた。 上甲監督の練習は「冬場のトレーニングにも特徴がある」と紹介されていた。何十種類にも及ぶ基礎体力系のトレーニングメニューをはじめ、ボート漕ぎ運動のマシンやジムマシンなど最新機具も取り揃えられ、その一方で、冬場とは思えないようなノックの雨も降らせるという。 最新式と昔ながらの練習の両方を、かつレパートリー豊富な練習メニューの組み合わせを毎日変えながら、球児たちを鍛え上げていく−−。そんな“上甲野球”を見たかったのが、野球シーズン外の取材理由だった。 「高校野球は実質2年半しかない。その2年半、どれだけたくさんの有意義な練習をするか…」 「練習にはそれぞれ目的がある。なぜ、こういう練習をさせたのか、子供たち(教え子)が自分で考え、理解しなければ」 そんなことを話してくださった。 ブルペンを見ると、プレートとホームベースの間に芝を植えられているところもあった。芝はベースの幅でマウンドまで伸びており、この芝生を見れば、自身の投球がストライク・ゾーンに入っているのかどうか一目で分かるよう、工夫したのだという。グラウンドには同監督ならではのエッセンスも散りばめられていた。 予定の2日間の取材を終え、筆者は練習終了を待って、上甲監督にお礼を伝えた。 「駅まで送っていくから待っていなさい。タクシーを呼んである? 断りなさい。話があるから」 車に乗せていただくなり、私は素晴らしい訓示をいただいた。「マジメで大人しい教え子がいちばん心配なんだ」と切り出すなり、 「マジメすぎると、どうなると思う?」 と、こちらに聞いてきた。 こちらがしどろもどろしていると、こう諭してくださった。 「何でも『はい、はい』と返事をするだけだと、自分が損をするんだよ。自分ができることとできないこと、必要以上の、必要でないことで無理をしようとすると、自分が窮屈な思いをしたり、辛い思いをしたり…。結局、自分が損をするんだよ」 上甲監督は筆者のぎこちない質問ぶりから、慌てて東京からやってきたことを見抜いていたのだ。「ちゃんと準備をして、また来なさい」−−。 筆者は自分をマジメで大人しい性格だとは思っていないが、自分の意思を相手に伝えること、準備することの大切さを教えられた。冬場の厳しい練習とは、春の野球シーズン到来に備えた準備なのである。 興奮して「明日行きます」なんて言わず、きちんと準備をして臨めば、もっと有意義な取材ができたはずだ。私は貴重な取材機会を台無しにし、「損」をしてしまったのだ。 プロ注目の右腕・安楽智大投手が昨春の甲子園で772球を投げ、右肘を痛めた。米メディアは愛媛県の済美高校までやってきて、『投球過多』だと批判したそうだ。 だが、筆者はこんな光景も目の当たりにしている。捻挫、炎症などの故障を抱えた教え子が「今日は練習を休みます」と申し出れば、「分かった」のひと言で全て認めていた。 指導者として、これ以上続けさせるべきではないと判断すれば、「今日は辞めておけ」とも伝えていた。 「練習できるかどうかも、自分で判断しなければダメなんだ」 肉体的な限界を、気持ちで乗り越えなければならないときもある。だが、安楽投手に限らず、教え子の将来を考えながら、無理をさせてもいいときなのか否かも見極めていた。 練習の責任者は監督、試合は厳しい練習を乗り越えた教え子たちが主役。『上甲スマイル』には、そんな意味も込められていたように思う。夏の予選後に部内イジメも発覚した。心労はもちろん、無念な思いも強かったのではないだろうか。冬場の厳しい練習は、シーズン到来に向けた準備期間。準備を怠らないことの大切さ…。心からご冥福をお祈り申し上げます。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2014年09月06日 15時00分
巨人・ナベツネ最後の野望「松井監督・1番イチロー」動く!(1)
逃げる巨人、猛追の阪神−−。プロ野球界、特にセ・リーグはこれ以上ない展開で終盤を迎えるが、その一方で密かに進行している計画がある。ナベツネ巨人の最終章『松井監督、1番イチロー』の新政権作りだ。 見事に優勝した交流戦で首位に立ち、2位阪神に3.5ゲーム差をつけて後半戦を迎えた巨人。順風満帆のはずが、夏の甲子園大会が始まり“死のロード”に出た阪神に、あっという間に追いつかれてしまった。おかげで慌ただしさを増したのが、次期巨人監督が約束されている松井秀喜氏の周辺だ。 ニューヨークに滞在している松井氏は8月23日、ヤンキースでワールドシリーズを4度制したジョー・トーリ前監督の背番号6を永久欠番とする記念式典に出席した後、秋以降の予定を白紙に戻したという。 「長嶋茂雄終身名誉監督が『帰ってこい』の指令を出し、秋季キャンプでの臨時コーチをあらためて要請したからです。日本球界を離れて米国で静観していた松井氏も、後輩の星陵高校ナインが石川県大会の決勝で9回に8点差を逆転し、サヨナラ勝ちしたことが全米でも話題となり、野球の虫が騒ぎだした。心境が変わり、巨人のユニホームを着る準備を進めているようなのです」(ベテラン巨人担当記者) 巨人の急失速は、阿部をはじめとする主力の不振や故障によるものだが、巨人上層部の不穏な動きも見逃せない。いや、こちらの方がGナインを迷走させているといった方がいい。 巨人は今年6月、読売新聞グループ本社の株主総会を前に球団人事を一新した。渡辺恒雄球団会長が球団最高顧問に退き、後任に桃井恒和球団社長が就いた。新たな球団社長には久保博読売新聞東京本社常務取締役事業局長が抜てきされ、就任の席で新球団社長は「アメリカでの自己研鑽の時期は終わった。時期が合えば希望したい」と松井氏に真正面から復帰オーダーを発信したのである。 「ナベツネさん自らが一歩退いた形の今回の人事に対し、高齢に伴う健康面という理由を前面に出していましたが、真の狙いは松井政権を一気に進めることにある。自分がトップにいては原監督に遠慮があり、肩をたたくのは難しい。そこで新社長にその役を、というわけです」(巨人関係者) さすがの球界のドンも御年88歳。松井氏の監督就任を余裕で待てる時間はない。それは松井氏の師匠でもある長嶋茂雄氏も同じ。巨人が優勝を逃せば、それを機に監督交代というわけだ。
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スポーツ 2014年09月05日 15時00分
俺達のプロレスTHEレジェンド 第36R 選手としても凄かったAWAの帝王〈バーン・ガニア〉
バーン・ガニアを“AWAの帝王”と呼ぶとき、多くの日本のファンが思い浮かべるのは、そのプロモーターとしての顔であろう。 北米地区からカナダにかけてをテリトリーとし、一時はNWAにも比肩する大プロモーションとして隆盛を誇ったAWA。その基礎を作ったのは、紛れもなくガニアであった。 では、レスラーとしてはどうだったか−−。初来日時には既に40代後半とすっかり全盛を過ぎていたこともあり、日本においての評価は決して高くない。最初が国際プロレスへの参戦だったことも、ファンからの印象を薄くしている。 その後、AWAが国際から全日本プロレスへと提携先を変えても、ガニアは国際の吉原功社長との個人的な関係から単発的に国際へ参戦し、全日の常連外国人となることはなかった。 「それでも、全日においてはジャンボ鶴田“試練の十番勝負”の初戦や、ジャイアント馬場“3000試合連続出場突破記念試合”の相手を務めています(両試合とも引き分け)。これは、馬場がいかにガニアを高く評価していたかの証拠でしょう」(プロレスライター) いずれも節目にあたる重要な試合であり、そこにガニアを起用した裏には“AWAのトップに対する配慮”という面もあっただろうが、それ以上に“ガニアのレスリング技量に対する信頼”があったことは想像に難くない。 馬場のアメリカ修業時代には既にガニアはNWAを離脱してAWAを立ち上げていたため、その当時に直接の交流はなかったが(馬場の初渡米は1961年、AWA創設は'60年)、それでもアメリカにおけるガニアの実力や実績は見聞きしていたはずだ。 あらためてガニアの来歴を見れば、鉄人ルー・テーズにも匹敵する大スターであったことがわかる。'48年にはレスリングのロンドン五輪代表に選ばれ(ちなみに同大会には日系レスラーのハロルド坂田も米代表として重量挙げで出場し、銀メダルを獲得している)、その前年にはアメリカンフットボールのNFLでプレーもした万能アスリート。五輪の翌年に、熱心なスカウトを受けてのプロレス界入りとなった。 身長182センチと、当時の米国レスラーの規格からするとやや小柄ではあったが、すぐにテーズと並ぶメーンイベンターとして遇されることになる。 「昔の試合映像を見ると“剛”のテーズに対して“柔”のガニア、といった印象です。流れるようなグラウンドの動きや下から突き上げるようなドロップキックは、よどみなく実に美しいものでした」(同ライター) そんな往年の面影は、50歳を過ぎてからの来日時にもなお、うかがえた。 「すっかりハゲ上がったガニアの外見から、馬場との記念試合も最初こそは老レスラー同士の慣れ合いぐらいに思っていましたが、互いに動きが良くて見応えある試合になりましたからね」(同) とりわけ3本勝負の1本目を奪ったガニアの必殺技スリーパーホールドは、極めるまでの流れもスムーズで説得力十分。猪木が“魔性のスリーパー”を極め技として使い出す以前のことであり、当時の日本マット界では単なるつなぎ技とされていたこの技に、新たな息吹を与えることにもなった。 馬場との試合のときには58歳。今年の時点で同年齢の日本人レスラーとなると小林邦明(引退)やスーパーストロングマシン(半引退)がこれにあたり、単純比較はできないものの、その年で王座戴冠していたガニアの壮健ぶりが際立つ。 引退後はAWAの運営に専念するが、こちらは時代の流れに乗り切れず、WWF(現WWE)の隆盛に押される形で徐々に衰退していく。実子のグレッグ・ガニアも偉大な父の七光りから脱することはできず、AWA王座こそは獲得したものの、人気面からすると大成したとは言い難い。 結局'91年にAWAは破綻し、ガニアも自己破産してしまった。しかしそうした中でも、ガニアは直弟子ともいえるブラッド・レイガンスのレスリングスクール、通称“レイガンス道場”においてトレーナー役を買って出るなど、新人育成を手掛けている。 新日本プロレスのトップ外国人として活躍したスコット・ノートンなどもこの出身で、結果、日本マット界に多大な影響を残したのだった。〈バーン・ガニア〉 1923年、アメリカ出身。'49年デビュー。'60年にAWAを設立し以後選手兼オーナー兼プロモーターとして活躍。初来日は'70年の国際プロ。全日プロではG馬場の3000試合連続出場記念試合の相手を務めた。'81年引退。
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スポーツ 2014年09月04日 15時30分
ヤンキース・黒田が偉業達成! 日本人初の5年連続2ケタ勝利
黒田博樹投手(39=ヤンキース)が、日本人メジャー初となる5年連続2ケタ勝利の偉業を達成した。 9月3日(日本時間4日)、レッドソックス戦に先発した黒田は、7回を投げ、4安打1死球1失点に抑え、8三振を奪う好投で10勝目(8敗)をマークした。 これで、黒田はドジャース時代の10年以降、5年連続2ケタ勝利。過去、野茂英雄(ドジャースなど)が95〜97年、01〜03年の2度、ダルビッシュ有投手(レンジャーズ)が12〜14年に3年連続2ケタを挙げているが、黒田は自身がもつ4年連続2ケタの記録を更新した。 広島東洋カープから、海外FA権を行使してドジャースに移籍した黒田は、1年目の08年は9勝(10敗)、09年は8勝(7敗)に終わったが、3年目の10年に初の2ケタ勝利(11勝13敗)をマーク。11年は13勝(16敗)を挙げた。 ヤンキースに移籍した12年は自己最多の16勝(11敗)をマーク。13年は11勝(13敗)だった。 メジャー通算78勝(78敗)となり、野茂(123勝109敗)以来、日本人2人目となるメジャー100勝も見えてきた。 黒田は年俸1600万ドル(約16億7700万円)プラス出来高の単年契約であるため、来季の去就は未定。来年2月で40歳となる年齢はネックとなりそうだが、ほとんど故障がないタフさが魅力。 11年から3年連続で200投球回をクリア。今季も、ローテーションから離脱することなく、ここまで日本人投手最多の174回を投げており、“計算が立つ投手”として、貴重な選手。それだけに、ヤンキースのみならず、食指を動かす他球団も現れそうだ。 こうなったら、なんとしても、野茂でも達成していない史上初の日米両方で100勝を成し遂げてほしいものだ。(落合一郎)
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スポーツ 2014年09月04日 15時00分
テレビ界注目でもスポンサー付かないプロ野球16球団構想の前途多難
テレビ界が密かに注目しているのが、自民党の日本経済再生本部がまとめた日本再生ビジョン。静岡、北信越、四国、沖縄などプロ野球のない地域に新たに球団を創設し、現行の12球団から16球団にするという『プロ野球16球団構想』だ。 「セ・リーグとパ・リーグを東西二つの地域に分け、4地域の勝者によるディビジョンシリーズを行い、勝ち上がった球団が日本シリーズで対決するという構想。安部首相もアベノミクスの“第三の矢”に直結する成長戦略の一環として重要視しているほどです」(民放スポーツ番組プロデューサー) しかし、実現へのハードルは低くはない。まずは政財界から反発する声が上がっているのだ。 「アベノミクスの旗振り役である甘利明経済再生担当相が『政府が強引にかじ切りをする案件ではない』と否定的な意見を示唆した。安倍政権の『後見人』である渡辺恒雄読売新聞グループ会長を慮っての発言だといわれている。渡辺会長は以前から現在の12球団を維持しながらの『1リーグ制』を唱えていますからね」(関係者) さらに球団経営に乗り出す企業が出てくるのか、どこのテレビ局が放映するのかという根本的な問題も浮上している。 「球界の革命団体として注目された『関西独立リーグ』は昨年消滅した。さらに『四国アイランドリーグplus』『BCリーグ』といった独立リーグの経営が危ういことは説明するまでもない。当然、スポンサーも付かず、併せてテレビ局も紐づかない。野球の中継は技術料で5000万円。これに球団に支払う放映権料が出てきますが、それもスポンサーが付いたらの話。地方の準キー局が主幹局になるでしょうが、一試合の放映権料が1000万でも採算は厳しい。これに選手の年棒の問題も加わってきます」(関係者) 絵に描いたモチに終わるのだろうか。
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スポーツ 2014年09月03日 15時30分
2年間マイナーで終えたアスレチックス中島裕之 米国残留か? 日本復帰か?
12年オフ、海外FA権を行使して、総額650万ドル(約6億8400万円)の2年契約でアスレチックスに移籍した元西武の中島裕之内野手(32)が、ただの一度もメジャー出場がかなわず、契約が満了する。 中島は遊撃のレギュラー候補として、アスレチックスに入団したものの、昨季はオープン戦で左足を負傷したこともあり、1度もメジャーに上がれず、傘下3Aサクラメントでシーズンを終えた。3Aで残した成績は、90試合出場で打率.283、4本塁打、34打点。 今季はスプリングキャンプに招待されることもなく、マイナーで開幕を迎え、4月30日(日本時間5月1日)には、2Aミッドランドに降格させられる屈辱を味わった。2Aのレギュラーシーズンは終了したが、チームはプレーオフ進出を決めており、9月中旬までに全日程を終える予定。 9月1日(日本時間2日)から、メジャーでは登録枠が25人から40人に拡大したが、中島は昇格が可能となる40人枠から外れているため、今季もマイナーでシーズンを終了することが決まっており、2年間で1度もメジャーでプレーすることはできなかった。 今季、中島は3Aで12試合に出場し、打率.128、0本塁打、4打点。2Aでは、73試合で打率.266、6本塁打、31打点の成績の成績を残している。 3年目は年俸550万ドル(約5億7800万円)で、球団が契約更新の選択権を持つが、実績を残せなかったため、行使される可能性は極めて低い。 夢をもって、米国へ渡った中島だけに、メジャーでプレーしたい意向はあるだろうが、守備面での評価が低く、メジャー契約でオファーする他球団が出てくるとは考え難く、米国に残れたとしても、マイナー契約となりそう。 そうなると、年俸は大幅に下がり、メジャーに上がれる保障はない。これまで同様、マイナーで泥水をすすらなければならなくなる可能性も十分。 アスレチックスとの契約が切れることで、古巣の西武や阪神など、国内の球団が熱視線を送り、獲得に向け調査を開始している。日本球界に復帰する場合、FA宣言した翌々年(14年)の11月30日までは西武に保留権があるため、それまでに西武以外の国内球団が中島を獲得するためには、最終年俸(12年)2億8000万円を基準とした補償金を旧球団に払うことが必要となり、古巣の優勢は揺るがない。 2Aのレギュラーシーズンを終えた中島は、プレーオフ後に、「まだ、時間があるんで、じっくり考えたい」と話している。 日本球界に復帰すれば、2億5000万円〜3億円程度の年俸はもらえるだろう。薄給でも、メジャーへの夢を追って、米国に残るか、はたまた現実を取って、日本に戻るか、究極の選択を迫られることになる。(落合一郎)
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スポーツ 2014年09月03日 15時00分
日米野球“本気モード”のまやかしで早くも暗雲の小久保ジャパン
11月に開催される『2014 SUZUKI 日米野球』の詳細が発表された。侍ジャパンは12球団合同の経営会社を立ち上げたように、日本野球機構(NPB)の新たな収入源として大きな期待が寄せられている。その“目玉商品”が日米野球である。 「アメリカ選抜チームをどうやって本気にさせるかが重要なテーマとなりました」(NPB関係者) 投手に球数制限を設けること、タイブレーク(延長十回以降は無死一、二塁から攻撃をスタート)を導入することを決めたのも、その一環だという。しかし、こんなことでアメリカチームは本気になるのだろうか。 「米国の投手の大半は『肩は消耗品。オフに投げたくない』と考えている。制限を設けたから参加してくれというメッセージを込めたのだろう」(ベテラン記者) 過去の日米野球を思い出してみると、米国チームは家族連れで来日し、観光を楽しんでいた。タイブレーク制になったのも、「早く試合を終わらせてやろう」という、家族に向けたサービスでもあるようだ。 「米国側の会見出席者は“WBCで2回優勝している日本”への敬意を口にしていましたが、リップサービスにすぎません。米国側を臨戦態勢の本気モードにさせる苦労はわかっているはず。米国は野球を含む4大スポーツが季節ごとに上手にすみ分けし、野球選手は『ワールドシリーズが終わったらオフ』と認識しています。若手中心の米チームを編成するとしても、有望な人材はプエルトリコのウインターリーグに派遣されてしまう…。帰還を恐れ、黒田、田中、ダルビッシュも派遣してくれないでしょう」(前出・記者) NPB側も米国側の本心はわかっているという。今年は小久保ジャパンの初陣なので米国選抜にこだわったが、興行面での最良のパートナーは台湾、韓国、豪州である。ただ、NPB側には「格下の国とやっても盛り上がらない」との不安があり、手抜きモードに入っていても構わないから米国選抜の方が商売になると判断したようだ。 ファンは納得できるか?
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スポーツ 2014年09月03日 11時45分
ペナントレース佳境 今オフは球界の大移動になる!? (阪神)
阪神の渉外担当がアスレチックス2A・中島裕之内野手(32)の獲得に向け、すでに動き始めていた旨が報じられた(8月26日)。中島は故障もあったが、米球界に適応できず、悶々とした日々を送っている。だが、西武時代の通算打率が3割2厘、162本塁打。その実績から、阪神以外にも、楽天、DeNA、巨人など複数の日本球団が興味を示しているとも伝えられてきた。『中島争奪戦』に参入する球団も増えそうだが、一部メディアによれば、阪神は「中島に近い関係者との接触にも成功した」という。 プロ野球解説者の1人がこの一報をこう分析する。 「一般論として、日本人メジャーリーガーの帰還、ドラフトなどで『近い関係者』というのは、実は本人のことなんですよね。推測ですが、今回もその可能性は高いと思われます」 だとすれば、阪神は『中島獲得』で楽天、DeNAなどを大きく引き離したことになる。 中島とアスレチックスの契約だが、「2年契約で3年目に更新するかどうかの選択権は球団が持つ」というもの。2Aまで降格した32歳を引き止める可能性はゼロであり、他・米球団に新天地を求めるとしても厳しいものとなるだろう。 しかし、阪神は中島を使いこなせるのだろうか。遊撃には、チームの主将も務める鳥谷敬(33)がいる。二塁には同じく米帰りの西岡剛(30)、今季活躍中の上本博紀(28)がいて、三塁には今成亮太(26)、ベテラン・新井貴浩(37)が控えている。一塁にはゴメス、二軍を見渡しても、将来の正遊撃手候補・北條史也(20)がチャンスを待っている。 「新人の陽川尚将(23)を推すOBもいます。陽川は出遅れたが、和製大砲になり得る内野手です。北條、陽川を育てる環境を整えないと…」(プロ野球OB) プロの世界である以上、競争は避けられないが、戦力のダブつきは芳しくない。まして、阪神は今年の親会社の株主総会で「日本人メジャーリーガーの厚遇」を批判されている。シーズン途中に獲得した建山義紀も“即一軍登板”とはならなかった。 この建山の途中獲得には『2つの新事実』が隠されていた。 「当時、阪神の『本命』は渡辺俊介でした。渡辺は米独立リーグまで落ちましたが、本人はそうした苦労を楽しんでいるというか、日本帰還の意思が全くなかったんです。この先、考えが変わる可能性もありますが、建山獲得のとき、阪神は他球団にはない『日本人メジャーリーガーとの接触ルート』も確保した、と」(球界関係者) 中島、鳥谷、西岡、上本、今成、新井貴、ゴメス、若手の北條…。阪神の内野レギュラー争いは球宴級となりそうだが、中島獲得を進めるには西武時代の実績に相応しい年俸はもちろん、西岡、福留の獲得時に提示された住環境のサポートも約束しなければならないはず。鳥谷と西岡の2人だけでも推定年俸は5億円に到達する。中島にも、「福留孝介(37)の1億5000万円以上」は提示しなければならないだろう。 憶測の域を出ていないが、鳥谷にも米球界挑戦の意向がある。今は封印されているが、阪神渉外が中島獲得を進めたのは“有事”に備えるためかもしれない。
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スポーツ 2014年09月02日 15時00分
在野PLのOBが集結する 宮本ヤクルト監督就任組閣構想
セ・リーグ最下位に沈む東京ヤクルトのチーム再建に、有力な派閥が注目しているという。 「小川監督が少ない戦力を上手にやり繰りしているのは間違いありません。若手では山田哲人が急成長し、(高井)雄平もクリーンアップの一角にまで育ちました。小川監督が二軍指揮官の時代から育ててきた選手がようやく一人前になってきました」(ベテラン記者) しかし、チームが勢いづかない理由は故障者続出による戦力不足だけではない。小川淳司監督(57)は“ホトケの小川さん”と称されるように、上手くチームに喝を入れることができないのだ。選手は知らず知らずのうちに負け癖が付き、いまのヤクルトは緊張感が喪失していると言っても過言ではない。 「ヤクルトの将来の監督候補は、昨年引退した宮本慎也氏(43)です。本人もその立場を分かっていますが、『3年は勉強したい』とも語っています」(前出記者) その言葉通りなら、宮本氏を監督に迎えるのは2016年オフ。あと2季、小川体制で持ち堪えられるのかどうか、疑問である。 「独立リーグでの監督経験のある高津臣吾投手コーチ、投手管理に定評のある伊藤智仁同コーチ、伊東昭光二軍監督に橋渡しを頼む選択肢もありますが、フロントは古田敦也氏のことを快く思っていない。彼との関係が深いコーチを昇格させたくないとも考えています」(球界関係者) 古田氏との関係性はともかく、昨季は二軍監督としてイースタンリーグ優勝にチームを導き、選手に活も入れられる真中満打撃コーチを評価する声もあるそうだ。 これ以上のチーム崩壊を止めるには、真中コーチの昇格か、宮本氏の3年計画を前倒しさせるしかないようだ。このヤクルトの監督問題に注目しているのは、チーム関係者だけではない。 「宮本氏に監督を要請することになれば、長期政権となります。宮本氏はPL、同志社、プリンスホテルとアマ球界のエリートコースを歩んでおり、とくにPLの関係者は宮本氏といっしょにヤクルトコーチになりたいと思っている」(前出関係者) PL学園は長く高校球界を牽引してきたが、部内暴力が発覚。一時はプロ野球に進んだOBから野球部再建の指導者が選出されるとも伝えられたが、いまだに後任は決まっていない。また、12球団を見渡してみても、11年退任の尾花孝夫前横浜監督(現巨人二軍投手総合コーチ)以来、プロ野球監督は誕生していない。宮本氏の監督招聘に伴い、主要コーチとしてヤクルトに再就職したいと思うOBも少なくないそうだ。 「日本では監督が交代すると、主要コーチも同時に入れ代わります。当然、監督の息の掛かった仲間にお声が掛かります」(同) 宮本氏はヤクルト一筋で、野村IDに鍛えられた。しかし、アテネ五輪、WBC、北京五輪に出場した関係で、ONや星野仙一楽天監督のエッセンスも受けており、早くから将来の監督候補と目されてきたのは、こうした野球経歴があったからだ。PL派閥か、古田一派か…。ヤクルトが小川監督を切れない理由はここにもあるようだ。
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スポーツ 2014年09月02日 11時45分
ペナントレース佳境 今オフは球界の大移動になる!?(埼玉西武)
8月14日、埼玉西武ライオンズの炭谷銀仁朗捕手(27)が『国内FA権』を取得した。高卒9年目での資格取得であり、有能な捕手であることが再認識された瞬間でもあった。 その炭谷は今オフ、去就が注目される目玉選手の1人である。投手の注目がオリックス・金子なら、「野手部門の主役は炭谷」と言ってもいいだろう。 8月20日、福岡ソフトバンクホークス対埼玉西武ライオンズの一戦。同点で迎えた9回表、炭谷に「代打・森友哉」が告げられた。二死一、二塁、一打出れば、勝負は決まる。森は16日の対日本ハム戦で『3試合連続アーチ』を放ち、ファンを沸かせた。福岡のファンも森の登場に拍手を送っていたが、ソフクバンク・岡島の落ちる変化球に対応できず、空振りの三振を喫した。 しかし、他球団が本当に注目したのは、その裏の西武の守備。森がマスクを被るのか−−。田辺徳雄・監督代行(48)は33歳、12年目のベテラン捕手・上本達之を送り、森を守備に付けなかった。『捕手・森』には、まだ不安要素も多いのだろう。 「将来的に森を正捕手に育てたいと思っているのは間違いないでしょう。でも、捕手は打つだけではレギュラーになれないポジションなので…」(在京球団職員) 見方を変えれば、捕手としての能力は炭谷の方が『上』であり、「正捕手交代」はまだまだ先の話というわけだ。田辺代行以下首脳陣も、そう評価しているのだろう。 だが、炭谷がチームの評価に満足しているかどうかは疑問である。 昨年12月9日、契約更改でのことだ。炭谷は仏頂面で記者団の前に現れた。交渉は2時間半に及ぶロングラン、2000万円増の7700万円に『出来高』も勝ち取ったが、明らかに不服そうだった。 「同日、同じく契約更改に臨んだ中村剛也は『4年最大20億円』の大型契約を交わしました。3年契約の途中でしたが、新たに結び直す格好となりました。対照的に、炭谷への提示は厳しく、しかも単年契約でした」(球界関係者) 西武は昨季から今季に掛け、中村、炭谷、栗山巧、岸孝之、涌井秀章(現千葉ロッテ)、片岡治大(現巨人)の6人がFA権を取得する大きな転換期を迎えていた。うち、昨年オフの契約更改で複数年契約を勝ち取ったのは、中村、岸、栗山の3人。正捕手の炭谷も、「自分にも複数年の大型契約が提示される」と期待していたはずである。 「盗塁阻止率が2割台に落ちたことや、打撃成績が悪いことなどが大幅増の見送られた理由です。球団側は炭谷の成績に満足していなかったわけです」(前出・同) 鈴木葉留彦本部長は「それなりの数字(成績)を出せば、会社も考える」と報道陣にも説明していたが、 「親会社の西武ホールディングスの上場が遅れ、資金力が乏しい球団としてはFA予備軍の全員を満足させることはできない。炭谷が犠牲になったようなもの」 と、同情する声も聞かれた。 また、捕手・炭谷を高く評価していたのは、渡辺久信前監督だった(現シニアディレクター/以下=SD)。伊原春樹・前監督は「渡辺元監督ほどは評価していなかった」(関係者)との声もあるが、西武はその伊原氏を相談役のような肩書で今もフロントに留めている。渡辺SDが慰留の説得に当たることができないかもしれない。 「近年の西武投手陣はクイックが下手だったり、コントロールも雑です。盗塁阻止率が落ちたのは炭谷のせいではありません」(前出・在京球団職員) 捕手出身のプロ野球解説者がこんな体験談を明かしてくれた。 「高卒捕手はプロでやっていくのは大変です。二軍で『リードを任せてください』と先輩投手に申し出ても、『こっちは生活が掛かっているんだ。ガキの勉強に付きあってられるか!』と怒鳴られるのがオチです。大学卒、社会人の新人捕手はそういうことはならないんですが…」 高卒捕手を育てるのは難しい。その意味でも、高卒1年目から一軍で鍛えられた炭谷の『捕手能力』は貴重であり、捕手に一抹の不安を持つ大多数の球団は炭谷の去就に注目しているわけだ。 4年前、炭谷の成長によって弾き出されたのは細川亨(現ソフトバンク)だった。森の台頭によって、炭谷が“同じ運命”を踏襲することになるかもしれない。
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