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レジャー 2016年08月06日 15時35分
ドキドキスポット大全(21)〜レジャープールの楽しみ方〜
夏になると必ず遊園地のレジャープールに友達や恋人と出かけます。流れるプールで浮き輪と共にプカプカ浮かんだり、ウォータースライダーを楽しんだりと、海よりもバリエーションのある楽しみ方が出来るので好きなんです。 昨年、恋人とプールに行った時も様々なアトラクションを楽しんでいたのですが、その中に仰向けの状態でボードを持って、坂を滑るというものがありました。さっそくやってみたところ、かなりの水圧が全身を包み込みます。そして下に到着し、隣で滑っていた彼女が立ち上がってこちらにやってきたのですが、よく見ると水圧で水着が外れており、乳房が丸見えとなっていたのです。僕が注意した時には、すでに多くの周りの男たちに見られており、歓声が上がるほどでした。 どうやらアトラクションの周りにはギャラリーが多数おり、ハプニングを期待する客がそこに集まっているようでした。しかし自慢の恋人ですので、男達の歓声に悪い気もせず、その状況にドキドキしましたね。その夜は、昼間の状況を思い出し、とても盛り上がりました。 そんなわけで、思わぬハプニングが起こるかもしれないレジャープールは、やっぱり海より楽しいですね。カップルはスリルあるアトラクションにどんどん挑戦すると、マンネリ解消に繋がるかもしれません。(取材/構成・篠田エレナ)写真・Ben Sutherland
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芸能ネタ 2016年08月06日 15時25分
夫人が“シロ”を強調した西田敏行
先月末、東京・歌舞伎座で行われたディズニー映画「ジャングル・ブック」のジャパンプレミアで、闘病中に12キロやせたことを明かした俳優の西田敏行だが、西田の激やせの真相を寿子夫人が発売中の「週刊文春」(文芸春秋)に語っている。 西田は今年2月に自宅のベッドから転落し、頸椎亜脱臼。3月に「日本アカデミー賞」の授賞式で司会をつとめたが4月19日に手術を受け、都内の病院に入院。しかし、続けざまに胆のう炎を発症、5月12日に胆のう摘出手術を受けていた。 手術から1週間後、病院から仕事現場に通う形で「人生の楽園」(テレビ朝日)のナレーションで仕事復帰。6月3日には自身が局長を務める「探偵! ナイトスクープ」(同)の公開収録にも参加した。同映画のイベントは退院後、初のイベントとなったが、報道陣から体調を聞かれると、「万全です。もう大丈夫」と復調ぶりをアピールしていた。 「イベントには出席したものの、片手で杖をつきながらレッドカーペットを歩いた。入院中、いつの間にかクスリ絡みのうわさ話まで浮上していただけに、顔つきが以前よりもかなりほっそりとして、髪の毛を短くしてヒゲもキレイに剃っていたこともあって、『本当にやってんじゃないか』とあらぬ憶測を呼ぶことになってしまった」(イベントを取材した記者) 同誌は西田の激ヤセの真相について、都内の自宅で寿子夫人を直撃。すると、「痩せたのは頸椎亜脱臼、胆のう摘出手術のほかにも、糖尿の傾向があったので病院の方で制限食を摂らされていたんです」と明かしたという。痩せて膝への負担なども少なくなったため、西田本人は「身が軽くなった」と喜んでいるという。 また、クスリ説については「根も葉もない話です」と一笑に付した上で、「おかげさまで回復は順調で、すでに俳優業の方も復帰しています」と説明。 “疑惑”が払拭され、西田の関係者やファンもひと安心といったところか。
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アイドル 2016年08月06日 15時10分
NMB・須藤凜々花 インリン風M字開脚を見せるもスベる
アイドルグループのNMB48が、タワーレコード渋谷店で新曲『僕はいない』発売記念イベントを行った。 この日イベントには、同グループから太田夢莉、須藤凜々花、白間美瑠、矢倉楓子、渋谷凪咲、薮下柊の10代メンバー6人が参加。会場には400人がつめ掛け満員状態ということで、薮下は「サヤカさん(山本彩)がいなくても400人も集まってくださって、すごい勇気がわきました」とニッコリ。 同曲は、9日の大阪・難波のNMB48劇場で卒業公演が行われる渡辺美優紀が参加するラストシングルとなる。須藤によると、ミュージックビデオを撮っている際中にも、プロデューサーの秋元康氏から歌詞変更があったそう。ミュージックビデオはタイで撮影。当日、体調不良で参加できなかった矢倉は、ジャケット写真などで修学旅行や卒業アルバムの欠席者を思わせる別枠で写っているということで、「まさに『僕はいない』でした。タイの暑さにやられまして…」とコメント。しかし「逆においしかった」と心境を明かし、会場の笑いを誘っていた。 会場ではリオデジャネイロ五輪にちなみ、シンクロナイズドスイミングの演技直前の決めポーズのセクシーさを競うゲームコーナーを実施。ここで須藤は、スカートにも関わらずM字開脚風のポーズを撮り、会場を困惑させる。ポーズ披露後、須藤は「インリン先輩(インリン・オブ・ジョイトイ)をイメージしました。インリン先輩の再来」と説明するも、失笑気味の空気は変わらず、「大やけどしてしまったので、今すぐプールに入りたい気分です」と返し、会場を爆笑させた。 対決は正統派の開脚を決めた矢倉が優勝。賞品として金メダル風のチョコをもらった。なお、『僕はいない』は3日から発売中だ。(雅楽次郎)
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アイドル 2016年08月06日 15時05分
【帰ってきたアイドル親衛隊】35年も前だが、トイレの帰りに楽屋に迷い込んだらそこにはお目当ての五月みどりが…
現在76歳になり、その年齢を感じさせない五月みどり。アイドルというカテゴリーにして良いかわからないが、私にとってはアイドルなので、あえて五月みどりを紹介したいと思う。 元々は歌手として活動をしていて、1958年に『お座敷ロック』でデビューを果たす。地道な歌手活動をして、61年に『おひまなら来てね』が大ヒットした。翌年には、その曲で『紅白歌合戦』にも出場し、3年連続出場となった。63年の『紅白歌合戦』では『一週間に十日来い』を歌い、85.3%という驚異的な視聴率を記録。人気も絶頂になった頃に結婚を発表して、引退することになってしまった。 しばらく芸能界を離れていたのだが、数年後に離婚して芸能界に戻って来ることになった。これまで歌手として活躍していた頃は、まだ私が生まれる前のことなので、実際に体験していないことだが、復活した70年代の半ばの頃は、私も小学生になり、ようやく五月みどりの存在を知ることになったのだ。初めて知ったのは『クイズダービー』(TBS系)の解答者で出演していた時である。キレイでセクシーなおばさんが出ているというイメージだったが、なんとなく毎週のように番組を見ていたので、気になる存在になっていた。当時、『五月みどりのかまきり婦人の告白』(日活)というポルノ映画に主演していたのだが、小学生にとっては未知の世界で、まさか映画でヌードになっているなんて思ってもいなかった。 数年が経ち五月みどりのこともすっかり忘れていたのだが、81年に『ザ・買物ゲーム』(テレビ東京)という番組の公開収録を新宿のスタジオALTAに観に行った時に、五月みどりがゲスト出演していたことで、昔の記憶が蘇り、五月に会いたいという気持ちが芽生えていったのだ。 実はこの公開収録の時にちょっとしたハプニングに遭遇してしまった。というのは収録の直前にトイレに行かせてもらったのだが、トイレの帰りに間違って出演者の楽屋に迷い込んでしまった。その時に出演者の五月みどりと偶然に遭遇したのだ。そこでサインをもらい写真まで撮らせてもらったのだ。完全に違反行為だったが、そばにいたマネージャーも内緒でやってくれたので、これまで以上に五月みどりという存在を意識するようになってしまった。 五月といい思い出ができたことで喜んでいると、83年に新曲を発売することになった。タイトルは『熟女B』である。当時は中森明菜が『少女A』を歌っていた頃であり、そのヒット曲をもじったパロディーソングである。その直後には、ポルノ映画『ファイナル・スキャンダル 奥様はお固いのがお好き』(日活)に主演することになるのだが、中学時代の私はポルノ映画館に行く度胸もなかったので、封切り時には見ることができなかった。 それから約1年後に、池袋北口にっかつ劇場(現シネロマン池袋)という映画館でリバイバル上映をすることになったことを知って、高校生になった私は、ちょっと背伸びをした格好をして初ポルノ映画館を体験することになった。すでに45歳という年齢で完全な熟女だったが、若かった私にとっては大きな刺激があり、五月みどりの裸は常に頭の中に描かれていた感じだった。 ちょっと失礼な言い方かもしれないが、私の中ではエロいおばさんというイメージがあった。それから数年が経った90年代後半から私は『特命リサーチ200X』(日本テレビ系)でリサーチャーの仕事をするようになり、日本テレビに頻繁に行くことになった。当時は同じ日本テレビで『伊東家の食卓』の収録が行われていたことで、レギュラー出演していた五月みどりを日本テレビで頻繁に見かけていた。しかし話しかける勇気もなかったので、すれ違うだけで終わってしまった。 かなり後悔はあるが、いつかもう一度会ってみたい気持ちでイッパイだ。もう35年も前の話しだが、とりあえずサインをもらって写真を撮らしてもらったお礼を言いたいと思う。もちろん覚えているはずがないが、いつかそんな日が来ることを楽しみに待ってみたいと思う。(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。
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その他 2016年08月06日 15時00分
【不朽の名作】内容はメチャクチャだがアクションシーンが映える時代劇「里見八犬伝」
今回は深作欣二監督作品の『里見八犬伝』(1983年公開)を紹介する。『里見八犬伝』をモチーフとした作品は、本作以前にも何度も舞台化・映像化されているが、同作は、それまでとは大きく違うアプローチをした作品として有名だ。まず江戸時代からある読み物としての『南総里見八犬伝』とは作品の内容が大きく違っている。 作品形式としては、時代劇扱いなのだが、いきなり小気味良いロック調BGMで始まるなど斬新だ。その他の場面でも随所に洋楽風のBGMが使われており、当時角川春樹事務所製作の映画らしい、新しい映像作りの努力がみられる。 また、首が切られて飛ぶシーンや、老婆がムカデに変わるシーンなど若干ショッキングなシーンがあるのも、この時代の角川春樹事務所製作映画の特徴だ。 アクション面でもかなり派手になっている。JAC(ジャパンアクションエンタープライズ)全面協力による殺陣シーンは圧巻の一言。犬江親兵衛役の真田広之や犬坂毛野役の志穂美悦子など、当時JACに所属していた俳優の、全盛期のキレキレな動きが堪能できる。もちろん、千葉真一も犬山道節役で登場している。また、無駄に広いセットのおかげで、多人数で入り乱れての乱戦シーンも映える。アクションシーンだけに注目すれば、今の邦画ではなかなかお目にかかれない派手さだろう。セットのチャチさとか、微妙なモンスター描写など、そういった負のイメージが吹き飛ぶほどに。 視覚的に印象的なシーンもある。毛野と犬塚信乃(京本政樹)の初登場は、桜吹雪でのアクションシーンで、生首をもった毛野がかなり美しい。ヒロインの静姫を演じる薬師丸ひろ子も、かなりお姫様している。親兵衛とのラブシーンは、今観ても強烈だろう。当時アイドル的な扱いだった薬師丸なのに、やたらとこのシーンが長い。 敵側である闇の軍団こと蟇田一門の、わざとらしく、いかにも悪の組織らしいセットや、演者の過度なまでに悪役を意識した演じぶりなど、『仮面ライダー』のような特撮作品を思わせる楽しい仕掛けだらけだ。雑魚敵の叫び声も微妙にショッカーの戦闘員っぽい。また、玉梓役の夏木マリのキャラが印象的で、主人公サイドのキャラの印象が薄れるほど、悪の組織の女幹部感が半端ない。途中術が溶けてババァ化した際に、血の池につかり容姿を回復するシーンではプリケツまで披露するサービスぶりだ。 ストーリー的に勧善懲悪で非常に単純。自分を残して一族を皆殺しにされた静姫が、伝説にある伏姫の体から放たれた、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉を持つ、8人の仲間(八剣士)を集めて悪の軍団を倒すというものだ。伏姫の伝説についても、話の進行で明らかになるなどの、面倒なひねりは入れず、全て序盤のセリフで説明しているあたりがかなり潔い。小難しいこと抜きで、シンプルに映像を楽しむエンターテインメント映画としては完璧だろう。 が、里見の八剣士が揃うのにかなり時間がかかる、というか明らかに長い。「もう、5人くらいでいいんじゃね?」と感じるほどに。8人の剣士それぞれにスポットを当てる時間も少なく、後半に仲間になる犬飼現八(大葉健二)、犬川荘助(福原拓也)、犬田小文吾(苅谷俊介)あたりは、どんな性格のキャラかよくわからないまま最終決戦に突入してしまう。あと、味方サイドの玉にこだわりすぎな問題も、仲間がなかなか揃わないグダグダ展開に手を貸している。親兵衛は最初玉を持っていなかったので、静姫を助けても他のメンバーの反応が冷たい。いや玉にこだわるのはわかるが、その扱いはひどいだろう。親兵衛が玉を見せてからの、手のひら返しはちょっと笑ってしまう。加えて、この不毛なやり取りのおかげで、洞窟暮らしをしていた荘助、小文吾の生い立ち説明が非常に薄くなっている。玉持ってるからという理由だけで簡単に仲間になりすぎだろ、この2人は。 最終決戦は親兵衛以外の剣士の「俺に構わず先にいけ!」のセリフが印象に残る。よく『聖闘士星矢』や『キン肉マン』などで聞いたことのある一種の死亡フラグ的セリフだが、このセリフが短時間で連発されるのだ。「あ、こいつら死んだ」と思うまもなく、派手なアクションをして死んでいく。敵味方揃って、死亡シーンのバリエーションも豊かで、テンポがいいのは良いか悪いのか…。しかし、結果的にここが八剣士たちの大きな見せ場にはなっている。敵味方の因縁が薄い気もするが、まあそこは仕方ない。 話の進行は、ハッキリ言ってかなり雑で無茶苦茶な部分も多い。しかし、JACの活躍や、個性的な演出などで、面白い映像作りをしてそこを補っているのがこの作品の特徴だ。このあたりは、短期間で、無茶苦茶な設定の映画を撮る仕事に多く関わった深作監督だからこそ出せる魅力かもしれない。80年代に角川春樹事務所が製作に関わった作品の中では、かなりオススメの一作だ。(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)
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アイドル 2016年08月06日 14時38分
NMB48山本彩 「広島原爆の日」に黙祷捧げる「悲しい戦いがもう二度と繰り返されない事」
71回目の「広島原爆の日」を迎えた8月6日にNMB48の山本彩が、自身のツイッターを更新。平和を願い、先の大戦で犠牲となった人々に黙祷を捧げた。 山本は8時15分の原爆投下時刻にあわせた8時15分〜16分にツイッターを更新し、「今日、8/6は広島原爆の日でありリオオリンピックの開幕の日です」と伝えた。そして、「悲しい戦いがもう二度と繰り返されない事そして、沢山の笑顔や活力が生まれる事を願い黙祷を捧げます」と平和を願い、原爆犠牲者へ追悼の意を示した。 6日、広島市の平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和式典」が行われ、被爆者や遺族、安倍晋三首相ら約5万人が参列。原爆投下時刻の午前8時15分には1分間の黙祷も行われた。 安倍首相は「原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます」と哀悼し、「“核兵器のない世界”に向け、努力を積み重ねてまいります」と誓った。
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芸能ネタ 2016年08月06日 14時06分
猫ひろし 「リオ五輪」開会式に大興奮「ピッカピカしてた」
カンボジアの男子マラソン代表選手として「リオデジャネイロ五輪」に出場する猫ひろしが6日、自身のツイッターを更新。日本時間6日に行われた「リオ五輪」開会式の雰囲気を伝え、画像もアップした。 猫は「リオオリンピック開会式終了。楽しかった、ずっとピッカピカだった! 明日もあるしプロテイン飲んで寝よう。ピッカピカしてたなぁ、開会式」と大興奮。 また、カンボジアの代表選手とのツーショット写真もアップした。
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社会 2016年08月06日 14時00分
人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第30回
田中角栄の自民党政調会長ポストは約1年だったが、ここで田中は国家予算から地元新潟への予算分捕りでも瞠目すべき腕力を振るった。 国家予算の歳出の中に、国が都道府県にどれだけの補助金を出したかを示す「補助事業費」という項目がある。これは、国が都道府県にどれだけの公共投資配分を認めたかの目安となる。田中が政調会長になったばかりの昭和36年度予算での新潟県のそれは、46都道府県(注:まだ「沖縄県」はなかった)中の真ん中あたりだったが、政調会長を辞める1年後、すなわち37年度予算では、何と東京、北海道、大阪、愛知に次いで5位に急上昇したのであった。東京は首都、北海道は当時14支庁が集まって北海道開発庁まで置いていたことで、この二つはもともと“別格”、大阪、愛知も大都市で、その次に一気に日本海側の雪国である新潟がくるというべらぼうであった。 また、その翌38年度にはついに新潟は愛知を蹴落として4位に、それから後の45年度には大阪をも引きずり下ろして東京、北海道に次ぐ3位に躍進、これは田中が首相の座に就いても変わるところはなかったのである。 やがてその田中が首相の座を下りた後の昭和56年秋の臨時国会の衆院行政改革特別委員会で、こんなコトがあった。当時、まだ「社会民主連合(社民連)」の1年生議員だった菅直人(後に首相)が質問に立った。菅はなお「キングメーカー」「闇将軍」として影響力を保持する田中の地元新潟が、こうした膨大な「補助事業費」を獲得しているのがどうにもガマンならなかったようであった。菅は言った。「田中角栄氏の出身地である新潟県は、他県と比べて補助金が飛び抜けて多い。これは、どう見てもおかしいのではないか」と。 ところが、この委員会には田中派議員が多数出席しており、猛烈なヤジを浴びたのである。「新潟は広いんだ。もっと勉強して来いッ」「雪をどうするのか! それが政治だッ」と。菅はクチビルを噛んで、質問席を後にしたのであった。 こうした一方で、政調会長だった田中は、やがて「絶対の腹心」としてラツ腕を振るうことになる“ある男”との紐帯感、信頼感を熟成させていた。“ある男”とは、後に「カミソリ」の異名のもと、その清廉な政治姿勢と怜悧な判断力で多くの議員から畏敬を集めることになる元警察庁長官の後藤田正晴(後に官房長官)である。 田中と後藤田の出会いは、実は田中が当選3回目の昭和27年の年末にさかのぼる。田中は後藤田より4歳年下、まだ30代半ばであった。時に、田中は衆院予算委員会のメンバー、後藤田はまだ警察庁という名のもとに統合される前の国警本部の警備部警ら課長であった。 このとき後藤田は第2機動隊構想の腹案を固めており、人件費の増大が予想されることから、28年度の警察予算の増額を田中に陳情したのだった。後藤田は旧内務省の先輩で代議士だった町村金五(故・町村信孝元外相の父)から、すでに「戦後タイプのメリハリの利いた将来性ある田中角栄という代議士がいる」との評を聞かされており、それならと予算陳情で田中を頼ってみたということだったのである。 これを機にその後、時折、田中と後藤田は陳情などを通じて会う機会が増えていった。後年、筆者は後藤田にインタビュー、田中との出会いなどを質したことがあった。後藤田は言った。 「出会った当時、田中さんは自民党内での序列はまだ低かったが、先輩の政治家や官僚には気に入られていた。気さく、明るい、飲み込みが早い。一を言えば、すぐ十を知る人だった。陳情でも納得すれば、すぐ『分かった』と言う。田中さんは『分かった』と言ったことは100%実行してくれたが、他の代議士は『分かった』とは言っても大抵はそのままで何もやらないのが多かった。このあたりが他の代議士とは全く違っていた。その上、後で『あの件はキミの言う通りになったよ』と、必ず電話をくれる。物事を極めて事務的に処理し、その上で押し付けがましいことは微塵もなかったな。この頃、すでに多くの官僚は田中さんを信用していた。その後も田中さんとの関係は長かったが、そうした姿勢は、終生、何一つ変わらなかった。僕の長い官僚、政治家生活の中で、実行力、決断力、先見性、田中さんを超える人は一人としていなかった」 そうした中で、昭和37年7月、時の池田勇人首相は第2次内閣の改造を断行、政調会長の田中を大蔵大臣に大抜擢した。政調会長として党から国家予算をにらむのではなく、今度は全権を握ることになったのである。大蔵大臣から、その後、自民党幹事長をやり、首相の座に就くまでの約10年間が、田中の政治家としての最も華やかで充実した時間となるのである。(以下次号)小林吉弥(こばやしきちや)早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。
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芸能 2016年08月06日 13時48分
酒井彩名 第2子女児出産「夢のような」
L'Arc-en-cielのベーシスト・tetsuyaの妻でタレントの酒井彩名が6日、自身のブログで第2子となる女児を出産したことを報告した。 「突然のご報告になりますがこの度、元気な女の子を出産致しました」と報告し、「家族が増えたこと夢のような夢のような。。気持ちでいっぱいです」と喜びを語った。 酒井は2007年末にtetsuyaと結婚。2014年には第1子となる男児を出産していた。
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芸能ネタ 2016年08月06日 12時00分
追悼 大橋巨泉とビートたけしと仲間たちの爆笑秘話(1)
遊び心と反骨精神で昭和の“テレビ文化”を育て、石坂浩二やビートたけしらに慕われた大橋巨泉さんが7月12日、急性呼吸不全で亡くなった。享年82歳。 巨泉さんは、早稲田大学在学中に俳人として活動していた際の芸名で“野球は巨人、司会は巨泉”のキャッチフレーズでテレビ界へ進出。『11PM』(日本テレビ系)や『クイズダービー』(TBS系)、『世界まるごとHOWマッチ』(同)など、数々の番組進行役を務め上げた。 「放送作家だった巨泉さんがテレビデビューするきっかけとなった『11PM』では、当時、放送タブーだった競馬や麻雀といったギャンブルや、ゴルフ、釣り、お色気などの娯楽を取り上げ、高視聴率を連発。さらに『HOWマッチ』ではケント・デリカットやチャック・ウィルソンなど、日本語が上手い外国人を起用して“外タレ枠”の先駆けを作りました。テレビ業界に与えた影響は一言では語り尽くせません」(テレビ局関係者) その『HOWマッチ』などにも出演したたけしは、7月23日に放送された『新・情報7daysニュースキャスター』で、「テレビ創世記の代表格、今残っている巨泉さんの最初に始めたものがいまだにその流れが残っている」としのんだ。 「巨泉さんは、たけしを含め、自分の番組にレギュラー出演していたメンバーたちを自ら“巨泉ファミリー”と呼び、非常に可愛がっていたんです」 とは、巨泉さんを知る人物。そのメンバーは他に、故・森光子さん、関口宏、石坂浩二、竹下景子などだ。 「巨泉さんが勝手に“ファミリー”と言っているだけ。巨泉さんは『メンバーからしょっちゅう電話が掛かって来て困る』と言っていたけど、誰も電話をしたことがない。向こうから掛かって来て、みんな迷惑してる」 たけしは笑い話としてそう語っていたが、豪快なワンマンぶりとおちゃめな一面を表すこんなエピソードがある。 「巨泉さんは静岡県の伊豆にリゾートマンションを購入して、ファミリーのメンバーにも勧めたんです。仕方なく、関口や石坂、竹下、たけしも買うことになった。巨泉さんは1階に住んでいたのですが、実はファミリーが買った部屋には隠しカメラが備え付けてあり、部屋の様子をモニターで見ていた。それが後になってバレたんです。まあ、遊び心が旺盛な人でしたよ」(芸能関係者) ちなみに、たけしはそのマンションをほとんど利用していなかったというが、こんなオチまでついてくる。 「誰も住んでいないはずなのに、光熱費だけでなく、テレビを買った請求書も事務所宛てに送られてくる。いったい誰が使っているんだということになって調べると、たけしが隠れてお姉ちゃんを住まわせていたんです」(たけし軍団関係者)
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JCダート 古谷◎ ブルーコンコルド GI連勝中の勢いを買う
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マイルCS確定 古谷指名 大穴 ロジック
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