新日本
-
社会 2020年06月07日 18時00分
蝶野正洋の黒の履歴書 ★検察庁法改正案&意見する芸能人
「検察庁法改正案」の成立が見送られることになった。この改正案は、政権が必要と判断すれば検事総長などの定年を延長できるという「特例」が盛り込まれていて、それに反対意見が続出した。 確かにこれは問題があったけど、俺は単純に「国家公務員の定年延長」ということに対してはアリだと思ってる。やっぱり有能な経験者に、もう少し長く現場で働いてもらうことは今の日本で必要なことだからね。 昔と違い60代はまだ元気だし、バリバリ働ける。そういう人材を、リタイアさせるんじゃなくて、その業種の中で培った経験を活かしてもらったほうが有意義だと思う。 新型コロナで役所も保健所も人が足りないところはたくさんあるし、それは警察や消防も一緒。だから、ベテランの人たちがあと5年長くいてくれたら、全然違ってくるはずなんだよ。 言い方を変えると、公務員でも上のほうまでいったお偉いさんなんて、60歳で定年になっても天下りでどこかの団体に移るだけ。だったら、そんな人材をもっと必要とされる組織の中で、バリバリ仕事をさせたほうがいい。 だけど、それを今この時期に急いで通そうとするのは怪しいし、そりゃ、見送りになるよ。誰が考えたのかは分からないけど、カードの出し方がおかしいし、焦りすぎだよね。 こういうことを言ってると、俺もいろいろ突っ込まれそうだけど、今回の問題で芸能人やスポーツ選手がツイッターで意見を述べたり反対の立場を表明すると、ファンから「芸能人は政治の話をしないほうがいい」と避難されることがあったようだ。それで実際に意見を引っ込めた人もいるみたいだけど、俺は政治でもなんでも、関心があることだったら、それに対して意見を積極的に述べるできだと思う。 そりゃあ、ファンの中には意見が違う人もいるだろうし、それで嫌いになることもあるかもしれない。でも、それで芸能人側が黙ることはないと思う。 俺も消防について話したりしていると、反対意見が来ることがある。かつて消防団員だった人から「今の消防団は、蝶野さんが応援しているような組織じゃないです」とかね。 俺は「俺が知っている消防団員の方々は、みんな一所懸命で社会のために頑張っている。そこは世間に伝えないといけないから協力しています」と。その時は「分かりました」って返事が返ってきた。ただ、俺は彼が言っていた批判も分かる。その点は協会なり組織が変えていかなきゃいけない。でも、現場で一所懸命にやっている消防団員が同じように見られるのは間違っているし、俺はこれからもそういう人たちを応援したい。 これは俺が実際に思っていることだから、どう捉えてもらってもかまわない。もしかしたら「蝶野が言ってることは間違っている!」という意見が出てくるかもしれない。ただ、俺の意見をきっかけに消防団について考えてくれれば、それはそれでいいと思っているんだよ。「芸能人が政治の話をする」のも一緒で、もし間違ったことを言っていたとしても議論が活性化するはず。ならば、社会全体がいい方向に行くんじゃねーかな。***************************************1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。
-
スポーツ 2020年06月07日 08時00分
一度は使っってみたいプロレスの言霊 「1年半、UWFとしてやってきたことがなんであるか確かめに来ました」発言者・前田日明
今もなおカリスマ的人気を誇る前田日明。現役時代にはファイトぶりはもちろんのこと、強固な信念から発せられる数々の言葉においても、多くのファンの心を鷲づかみにしてきた。今回取り上げるのは新日復帰時のあの言葉だ。※ ※ ※ 前田日明が「UWF軍」として新日本プロレスに参戦していた当時、実況の古舘伊知郎が「黒髪のロベスピエール」と連呼するのを、意味も分からず聞いていた人も多いのではないか。 正式な名前はマクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール。フランス革命における代表的な革命家の1人であるが、世界史の授業でようやく名前が教科書に出てくるくらいだから、少年ファンなどは「何が何やら」となっても仕方のないところだ。「ロープに飛ばない」「場外乱闘をしない」「打撃から入って関節技で極める」というUWF流のファイトスタイルが、従来のプロレスと比べて革命的だということで古舘はロベスピエールと形容したわけである。それもあってか前田は、時代の改革者として熱狂的な支持を集めることになり、現役引退から20年以上がすぎた今もなお、「前田信者」と呼ばれるファンを中心に高い人気を誇っている。★理想を追求するより現実を重視 では、前田は本当にプロレス界の革命家だったのか。 1985年12月、業務提携の名目で新日マットに復帰した前田は、「1年半、UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」とリング上であいさつしている。 これまでにやってきたスタイルが新日や観客に受け入れられるのかどうかを試しにきたという言葉自体は、極めて常識的なものであり、ここに「体制をぶっ壊す」「プロレスを変革する」というような過激な意図は感じられない。 そもそもUWFスタイルからして、そのすべてを前田が発想したものではない。遅れて加わった佐山聡が新日退団後に試行錯誤していた新たな格闘術と、UWFの主流を占めたカール・ゴッチ門下生たちによるゴッチ流プロレス、この2つが融合したものがUWFスタイルの原点で、前田にしてみれば意識してこれを採用したというよりも、自然の流れということであろう。 新日からUWFへ移籍したのも何か理想を追い求めて独立したわけではなく、実際は実母がケガで入院してまとまった費用が必要だったときに新間寿から声をかけられ、移籍金目当てのことだったと、のちに前田自身が語っている。 そのUWFの旗揚げ前にはWWFのリングに上がり、WWFインターナショナルヘビー級王座を獲得(藤波辰爾がMSGで獲得したのとは別物の新設タイトル。フィニッシュはコブラツイスト)。ベルトには大きくUWFの文字が刻まれていたことからも、新間の仕込みであったことに疑いはなく、前田は新間の描くストーリーにそのまま乗っかってUWFに参加したわけである。 師匠アントニオ猪木のように夢を追いかけるよりも、現実主義の色が濃いのが前田の特徴だ。 第1次UWFで佐山と対立したのは、佐山が「格闘競技としての試合を月1回の開催」という意向を示したのに対して、前田が「選手やスタッフ、その家族の生活を考えればもっと試合を増やすべき」と引かなかったことが原因だった。 団体継続が困難となったときには、ジャイアント馬場が前田と髙田延彦だけを好待遇で獲得しようとしたものの、前田は「仲間全員でなければ受けられない」として新日との業務提携に舵を切った。★前田こそ生まれながらの革命家 また、団体の長となったプロレスラーの多くは、団体運営において多かれ少なかれ金銭トラブルを抱えるものだが、前田に限ってはそうした噂が聞かれず(第2次UWFの金銭問題は前田とは関係のないフロントによるもの)、引退後の’09年に民主党から参院選への出馬の要請があったときにも、当初は選挙活動費について、党が援助するといっていたものが覆されたことを主な理由として出馬辞退している。 基本的には堅実かつ常識的なのだ。 ところが、試合においては特に相手を傷つけるような意図がなくとも、打撃の当たり具合や関節の極めの強さのせいで、対戦相手から「シュートを仕掛けているのではないか」と思われてしまう。 その思想信条が常識的なところから発したものであっても、これを曲げることなく徹底するから周囲との軋轢を生むことになる。 新日との提携時の試合を改めて見直してみても、UWF代表者決定戦での藤原喜明との首と脚の取り合いや、藤波とのダブルKOなど調和を意識した結果も多く、伝説のアンドレ・ザ・ジャイアント戦も最初に仕掛けたのはアンドレのほうである。また、新日離脱の原因となった長州への蹴撃は、あくまでも事故的なものだった。 本人としては特別な意識のないままに自然と革命が起こってしまったわけで、ということは、既存の革命家をも上回る「生まれながらの革命家」というのが前田の実像だったのかもしれない。 今もなおカリスマ的人気を誇る前田日明。現役時代にはファイトぶりはもちろんのこと、強固な信念から発せられる数々の言葉においても、多くのファンの心を鷲づかみにしてきた。今回取り上げるのは新日復帰時のあの言葉だ。※ ※ ※ 前田日明が「UWF軍」として新日本プロレスに参戦していた当時、実況の古舘伊知郎が「黒髪のロベスピエール」と連呼するのを、意味も分からず聞いていた人も多いのではないか。 正式な名前はマクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール。フランス革命における代表的な革命家の1人であるが、世界史の授業でようやく名前が教科書に出てくるくらいだから、少年ファンなどは「何が何やら」となっても仕方のないところだ。「ロープに飛ばない」「場外乱闘をしない」「打撃から入って関節技で極める」というUWF流のファイトスタイルが、従来のプロレスと比べて革命的だということで古舘はロベスピエールと形容したわけである。それもあってか前田は、時代の改革者として熱狂的な支持を集めることになり、現役引退から20年以上がすぎた今もなお、「前田信者」と呼ばれるファンを中心に高い人気を誇っている。★理想を追求するより現実を重視 では、前田は本当にプロレス界の革命家だったのか。 1985年12月、業務提携の名目で新日マットに復帰した前田は、「1年半、UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」とリング上であいさつしている。 これまでにやってきたスタイルが新日や観客に受け入れられるのかどうかを試しにきたという言葉自体は、極めて常識的なものであり、ここに「体制をぶっ壊す」「プロレスを変革する」というような過激な意図は感じられない。 そもそもUWFスタイルからして、そのすべてを前田が発想したものではない。遅れて加わった佐山聡が新日退団後に試行錯誤していた新たな格闘術と、UWFの主流を占めたカール・ゴッチ門下生たちによるゴッチ流プロレス、この2つが融合したものがUWFスタイルの原点で、前田にしてみれば意識してこれを採用したというよりも、自然の流れということであろう。 新日からUWFへ移籍したのも何か理想を追い求めて独立したわけではなく、実際は実母がケガで入院してまとまった費用が必要だったときに新間寿から声をかけられ、移籍金目当てのことだったと、のちに前田自身が語っている。 そのUWFの旗揚げ前にはWWFのリングに上がり、WWFインターナショナルヘビー級王座を獲得(藤波辰爾がMSGで獲得したのとは別物の新設タイトル。フィニッシュはコブラツイスト)。ベルトには大きくUWFの文字が刻まれていたことからも、新間の仕込みであったことに疑いはなく、前田は新間の描くストーリーにそのまま乗っかってUWFに参加したわけである。 師匠アントニオ猪木のように夢を追いかけるよりも、現実主義の色が濃いのが前田の特徴だ。 第1次UWFで佐山と対立したのは、佐山が「格闘競技としての試合を月1回の開催」という意向を示したのに対して、前田が「選手やスタッフ、その家族の生活を考えればもっと試合を増やすべき」と引かなかったことが原因だった。 団体継続が困難となったときには、ジャイアント馬場が前田と髙田延彦だけを好待遇で獲得しようとしたものの、前田は「仲間全員でなければ受けられない」として新日との業務提携に舵を切った。★前田こそ生まれながらの革命家 また、団体の長となったプロレスラーの多くは、団体運営において多かれ少なかれ金銭トラブルを抱えるものだが、前田に限ってはそうした噂が聞かれず(第2次UWFの金銭問題は前田とは関係のないフロントによるもの)、引退後の’09年に民主党から参院選への出馬の要請があったときにも、当初は選挙活動費について、党が援助するといっていたものが覆されたことを主な理由として出馬辞退している。 基本的には堅実かつ常識的なのだ。 ところが、試合においては特に相手を傷つけるような意図がなくとも、打撃の当たり具合や関節の極めの強さのせいで、対戦相手から「シュートを仕掛けているのではないか」と思われてしまう。 その思想信条が常識的なところから発したものであっても、これを曲げることなく徹底するから周囲との軋轢を生むことになる。 新日との提携時の試合を改めて見直してみても、UWF代表者決定戦での藤原喜明との首と脚の取り合いや、藤波とのダブルKOなど調和を意識した結果も多く、伝説のアンドレ・ザ・ジャイアント戦も最初に仕掛けたのはアンドレのほうである。また、新日離脱の原因となった長州への蹴撃は、あくまでも事故的なものだった。 本人としては特別な意識のないままに自然と革命が起こってしまったわけで、ということは、既存の革命家をも上回る「生まれながらの革命家」というのが前田の実像だったのかもしれない。前田日明***************************************PROFILE●1959年1月24日生まれ。大阪府大阪市出身。身長192㎝、体重115㎏。得意技/キャプチュード、フライング・ニールキック。文・脇本深八***************************************PROFILE●1959年1月24日生まれ。大阪府大阪市出身。身長192㎝、体重115㎏。得意技/キャプチュード、フライング・ニールキック。文・脇本深八
-
社会 2020年05月31日 18時00分
蝶野正洋の黒の履歴書 ★「蝶野正洋35周年フォーラム」の所感
5月10日に「蝶野正洋35周年フォーラム〜新型コロナウイルス感染予防啓発〜」を開催させてもらった。このイベントは何カ月も前から準備してきたものなんだけど、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が発令されたこともあって、無観客で開催することになった。 第1部は、俺も関わっているNWHスポーツ救命協会で相談役を務めている中島敏彦さんと「感染予防・地域防災・AED救急救命」というテーマで対談させてもらった。 中島さんは、東京消防庁の職員をしていた方で、防災に対する知識や経験が豊富。聞けばいろんな話が出てくる。俺も啓発活動をしているなかで知識が足りないところがあるし、ちょっとズレてくるところがあったりするんだけど、そういうときに「蝶野さん、それは違いますよ」と、いつも正してくれる人なので本当にためになっている。 いまは新型コロナで大変だけど、だからこそ防災についても考えておかなきゃいけないよね。例えば、今までは地震がきたら決められた場所に避難すればいいって決められていたけど、コロナで3密がダメってことになると、避難所に集まることが根本から変わってくる可能性がある。 感染のことを考えたら、すぐに避難所に行くのではなく、安全確保をした上でできるだけ家で凌ぐということも考えなきゃいけなくなるかもしれない。 中島さんも「防災は正しい情報を得ることが大事」と言っていた。今回の新型コロナはまだ不明確な部分が多く、情報がどんどんアップデートされるから、より正しくて最新の情報を見極めなければいけない。 第2部は、プロレスの大先輩である長州(力)さんをゲストに招いた。長州さんは小さめの“アベノマスク”を着けてきて、コロナ自粛でどうすごしているとか、2月に開催された「プロレスリング・マスターズ」のリングで、俺が猪木さんにビンタされたときの裏話なんかをしてくれた。 長州さんは、会う度に砕けてきたなと感じるよね。昔はいつもピリピリしていたけど、リングを降りてそろそろ1年経つから、レスラー時の緊張感というのが薄れてきたのかもしれない。 長州さんは独特なツイッターが話題で、俺はどこかで狙ってやってるのかと思ってたけど、あの様子だと違うね。もう喋ったまんまだよ。長州さんは、まず言葉が最初にバッと出てきて、それを文章として整える前につぶやいてしまうんだと思う。武藤さんもそういうタイプ。先に結論だけ言うから、聞いてるほうは意味が分からないんだよ(笑)。 最後の第3部は俺のユーチューブの師匠であるカジサックさんとリモート会議をした。ネットを使えば、それぞれが離れた場所でもトークショーができてしまうんだから、すごい時代になったな。視聴者数をアップする秘策をいろいろ教わったので、これから俺のユーチューブチャンネルもパワーアップしていくと思う。 結果的に今回のイベントは、防災、プロレス、ユーチューブという分野において、俺の師匠格の3人とトークさせてもらった。35周年記念ということだけど、新たなスタートラインに立った気持ちになったし、まだまだこれから成長させてもらえればと思ってるよ。***************************************1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。
-
-
スポーツ 2020年05月31日 08時00分
一度は使ってみたいプロレスの言霊 「テキサスの化石になれ!」発言者・スタン・ハンセン
かつてスタン・ハンセンがテリー・ファンクに向かって放った言葉は、人気漫画『キン肉マン』においても悪魔超人の1人、ザ・魔雲天のテリーマンへのセリフ「テキサスの化石にしてやるぜ」に引用されたことでも知られる。 印象深いだけでなく、世代交代の第一歩を告げる歴史的名言であった。※ ※ ※ スタン・ハンセンの言葉の前提として、まず、当時のテリー・ファンクが置かれていた状況を押さえておく必要がある。 テリーは1980年(昭和55年)、主に膝の具合が悪化したことを理由として「3年後の誕生日に引退」を表明していた。実際問題として長年の激闘により、膝だけでなく体のあちこちが傷んでいた。 それでも引退までに3年という長めの期間設定をしたのは、その間の全日本プロレスと、試合を中継する日本テレビのビジネスを考慮したからであろう。 ’77年の世界オープンタッグ選手権に端を発したアブドーラ・ザ・ブッチャーとの抗争は、ブッチャーが割れたビール瓶でテリーの胸を突き刺すという、テレビ放送不可の状況にまで至ってしまった。そのため“テリー引退”というアングルを用意することで、新たな展開を期したという部分もあったに違いない。★入場時に発する雄たけびの意味 ところが’81年、引退までの抗争相手となるはずだったブッチャーが、新日本プロレスに引き抜かれてしまう。それでもテリーの引退期日はすでに設定されていたため、何かしらのストーリーをつくり出さなければならない。そこに登場したのがハンセンだった。 新日からハンセンを引き抜いた直接の当事者はテリーである。言うなればテリー自らが、引退ロードのライバルとしてハンセンを指名したわけで、それにハンセンが応じたのが掲出の言葉である。 さかのぼって’72年頃、ハンセンがNFLを解雇されて中学校の教師を務めていたとき、プロレスにスカウトしたのもテリーであった。そこからテキサス州アマリロの“ファンク道場”において、ハンセンはジャンボ鶴田やボブ・バックランドらとともに、プロレスの基礎を学びデビューを果たしている。 このようにハンセンにとってテリーは、プロレス界においての師匠であり、最大の恩人であって、それに対して遠慮会釈なく牙をむくというのは、その後、全日一筋で尽くしたハンセンの義理堅さからしても考えにくい。 この「テキサスの化石になれ!」というのが、ハンセン自ら考え出したものなのか、全日なりテリーなりが用意したものなのか、はたまた報道陣の創作物なのかは定かではないが、いずれにしてもテリー引退というストーリーの中のワンピースであった。 ところが、話がそこで収まらないのがプロレスの面白いところである。 新日時代からお決まりになっていたハンセン入場時の雄たけびは、実況アナもファンも「ウィー」と叫んでいると思っていたが、実のところ「ユース!」であったということは、後年になってハンセン自らが明かしている。ユース=若い、若者。「俺は若い」「年寄り連中には負けない」という思いは、早い時期からハンセンが抱いていたものであった。 つまりハンセンは、長州力や前田日明がアントニオ猪木に迫ったよりもずっと前から、1人で世代抗争を仕掛けていたわけで、引退後には「トップチームのポジションを得るためにはリアルな競争に挑むしかなかった」とも語っている。★日本マット界の世代交代を実現 そうした信条に基づいた暴走ファイトは、テリー引退ロードにおいても爆発する。’81年、世界最強タッグ決定リーグ戦での突然の乱入から、いったんはジャイアント馬場との抗争に踏み込んだハンセンだったが、これがひと段落するとテリーに照準を合わせる。 ’82年の同大会にブルーザー・ブロディとの超獣コンビで参加を果たすと、優勝の栄冠こそはザ・ファンクスに譲ったものの(ブロディの反則負け)、試合内容では終始圧倒。 翌年4月、大阪府立体育館(現在のエディオンアリーナ大阪)で行われたシングルマッチでは、ハンセンがテリーの首にブルロープを巻き付けて場外を引きずり回し、揚げ句にはチアガール姿のテリー応援団の悲鳴が上がる中、エプロンから絞首刑状態で吊り下げて完全失神にまで追い込んでみせた(ドリーが止めに入ってハンセンの反則勝ち)。 引退戦となった’83年8月のタッグマッチも、結果こそはテリーがハンセンのパートナーを務めたテリー・ゴディに、トップロープからの回転エビ固めを決めて勝利したが、テリーのボロボロ状態からして、ハンセンとの地力の差は歴然としていた(ちなみにテリーは1年後、現役復帰)。 その後、全日においてはハンセンを中心とした新勢力が台頭し、ファンクスのみならず旧世代のレジェンド外国人レスラーたちの活躍は、めっきり減っていくことになる。 外国人陣営とはいえ、日本のマット界で初ともいえる完全世代交代をハンセンは実現したわけで、その意味からも「テキサスの化石になれ!」は歴史的名セリフと言えるだろう。スタン・ハンセン***************************************PROFILE●1949年8月29日生まれ。米国テキサス州出身。身長195㎝、体重140㎏。得意技/ウエスタン・ラリアット、エルボー・ドロップ。文・脇本深八
-
芸能ネタ 2020年05月30日 20時00分
『テラスハウス』木村花さんの死に沈痛…業界関係者が語った“演出”の中身
女子プロレスの人気団体『スターダム』に所属していた木村花さん(22)が、5月23日に急死。自殺したとみられている。木村さんは、Netflixでも全世界に配信されているフジテレビ系の人気番組『テラスハウス』に出演し、トラブルに巻き込まれていた。「複数の見知らぬ男女が、一つ屋根の下で共同生活しながら恋人を見つけるという“恋愛リアリティー番組”なのですが、木村さんは、一時いい関係になっていたコメディアン志望の男性とモメた際、厳しく詰め寄ったのです」(芸能記者) これを見た視聴者から、木村さんに対してネット上でバッシングが起こり、彼女のSNSには《死ね、気持ち悪い、消えろ》など、毎日100件を超える誹謗中傷が書き込まれ、精神的に追い詰められていたというのだ。「木村さんは、JWP女子プロレスなどで活躍した木村響子さんを母に持つ二世レスラー。今年1月には新日本プロレスの東京ドーム大会にも呼ばれたほどの注目株でした。本業でもヒール(悪役)でしたが、プロレスファンは“役割”だと分かっているので個人攻撃などしません。番組出演の動機も『女子プロレスの知名度を上げるため』だったのですが、視聴者は容赦なかった。彼女はまだ若く、繊細な部分があったため、耐えられなかったのかもしれない」(プロレス雑誌記者) 番組作りに問題はなかったのか。他局幹部が言う。「あの番組は以前からヤラセや“演出”を疑われているけど、今のご時世、それはないと思う。ただ、出演者たちはほとんどモデルやタレントだから、カメラが回れば意識はするよね。結果、大げさになったりね。そもそも同世代の視聴者たちが感情移入することで成り立つ番組だから、出演者に対する好き嫌いもハッキリ出てしまう。それに対し、コロナの影響で人との接触を制限され、プロレスの試合も中止になっていた彼女は、誰かに相談することもできず、1人で抱え込んでしまったのかもしれない」 同じ女子レスラーとして活躍する安納サオリ選手は、ツイッターにこう記した。《会う度に、笑顔で来てくれて嬉しい連絡をいつもしてきてくれて、可愛くて優しくて大好きでした。今も信じられないです》 ネットリンチによる有名人の自殺は、韓国では数例あるが、もし彼女が自殺をしたのならば、日本では初めてのケースと思われる。同番組の打ち切りが27日に発表されたが、とにもかくにも、決して同じ悲劇を繰り返してはならない。
-
-
スポーツ 2020年05月27日 06時30分
ノア清宮海斗の次なる相手は稲村愛輝!6.14潮崎豪対齋藤彰俊のGHCヘビー戦も正式決定
プロレスリング・ノアは25日、31日にABEMAスタジオで開催する清宮海斗を中心とした新企画TVマッチ『NOAH NEW HOPE Day2』の全対戦カードと、6月14日にノア特設アリーナから中継されるTVマッチの一部対戦カードを発表した。『NOAH NEW HOPE Day2』5月31日 ABEMAスタジオ▼シングルマッチ清宮海斗 対 稲村愛輝▼シングルマッチ谷口周平 対 レネ・デュプリ▼シングルマッチモハメド・ヨネ 対 岡田欣也▼タッグマッチ小峠篤司&大原はじめ 対 覇王&仁王『タイトル未定』6月14日 ノア特設アリーナ▼GHCヘビー級選手権試合<王者>潮崎豪 対 齋藤彰俊<挑戦者>※第33代王者2度目の防衛戦 両日ともにABEMAでの中継が決定している。 24日に初めて開催され好評だった『NOAH NEW HOPE』。メインイベントで、レネ・デュプリを破った清宮海斗が、かねてから希望していた武藤敬司戦に続いて、「レインメーカーを体感したい」とレインメーカーポーズを披露。新日本プロレスのオカダ・カズチカとの対戦も視野に入れた大会だった。この企画は、清宮、稲村愛輝、岡田欣也の若い3選手を中心に、ジュニアヘビー級の試合などを4試合提供する新企画で、今回もオープニングマッチでは、新ユニット、フルスロットルの小峠篤司&大原はじめと、金剛の覇王&仁王のジュニアタッグ対決で幕が開ける。24日に大原と対戦し敗れた岡田は、ベテランのモハメド・ヨネと、稲村を破っている谷口周平は、清宮に敗れたデュプリとそれぞれシングルで対戦する。そしてメインイベントでは、清宮が後輩の稲村と対戦。金剛のメンバーとして急成長を見せている稲村とのシングルは注目だ。 また、24日のTVマッチでやり取りがあった潮崎豪と齋藤彰俊によるGHCヘビー級選手権試合も正式決定。6月14日の前日、13日はノアの創設者である故・三沢光晴さんの命日であり、2人は三沢さんのラストマッチで対戦している。この日は欠場していた潮崎にとって復帰戦になることもあり、見逃せない闘いになるのは必至である。(どら増田)
-
社会 2020年05月24日 18時00分
蝶野正洋の黒の履歴書 ★新型コロナ禍のスポーツ業界
緊急事態宣言が5月31日まで延長されることになった。最初は、期限とされた5月6日までなんとかしのごうという気持ちが強くて、お互いに「ウチもヤバいよ」なんて言い合うくらいの余裕はあったけど、延長が決まったらそんな声すら聞かなくなるくらいシビアな状況になってしまった。 プロレス業界は、興行を打たないとカネがまわらないのは明確だから、これは本当にピンチだと思う。2月後半から試合がなくなって、3月、4月、5月もまるまる興行が打てないということは、四半期ぶんの売上が立たないってことだから、会社も選手も危なくなってくるよね。 業界最大手の新日本プロレスだって、選手は年間契約で社員じゃない。雇用という意味では守られないから、これからどんどん切られていくんじゃないかなって思うよ。実際、アメリカのWWEは会社を残すために、一部の選手やコーチの契約を解除した。「景気が戻ってきたらまた集まってもらうから、それまでなんとか個人でしのいでくれ」っていう前向きな人員整理なんだけど、新日本プロレスもそうなるかもしれない。 会社側はトップクラスの選手ほど契約で縛って、かなりの金額を払っている。ただ、興行としての収益がまったく立たなくなってくると態度を変えるしかない。要は、カネがかかる所から切っていくというパターンもあるからね。 プロ野球も、いまはまだスポンサーが付いてるからなんとかなるけど、運営している親会社が倒れそうになったら球団自体を手放すしかなくなってくる。 日本のプロ野球に加盟するには、30億円の供託金が必要で、経済的にある程度の余裕のある会社じゃないとダメみたいだから、少しくらいの損失ならなんとかなると思うけど、今後はそれも危なくなってくるかもしれない。例えば、ソフトバンクもいま大赤字で、株主から「配当もないのに球団をキープするのか」みたいな文句が出てくる可能性だってある。 野球はまだしも、サッカー、ゴルフ、バスケ、テニスといった、ほとんどのプロスポーツは試合の興行だけじゃ黒字になってないから、運営会社やスポンサーが手を引くと継続できなくなる。特に広告効果の薄いマイナースポーツや、人気のないチームは消滅したり、合併するみたいな話がこれから出てくるだろうね。 しかもこのご時世、新たにスポンサーになってくれる企業がなかなか出てこないかもしれない。プロスポーツというのは、常に開催できるものではないし、リスクがあるというのが分かってしまったからね。 スポーツは、もともと個人の健康維持だったり、体力を付けるためにする訓練みたいなものだった。それが発展して、娯楽になって、やるのも見るのも楽しむようになった。だから、ビール飲みながら試合を見るなんていうのは平和な時の話で、社会情勢が変わってしまうと今までのようにはいかなくなる。 無観客でやればいいとか、そういう小手先のことじゃなくて、もっと抜本的な対策をしないとプロスポーツの市場は小さくなってしまう。いまをしのぐことも大事だけど、コロナ収束後にどうするのか、という具体的なプランを考えておかないとダメだよね。********************************************蝶野正洋1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。
-
スポーツ 2020年05月24日 08時00分
一度は使ってみたいプロレスの言霊 発言者・ジャンボ鶴田 「全日本プロレスに就職します」
80年代中盤以降、全日本プロレスの絶対的エースとして君臨し、今なお「歴代最強日本人レスラー」とも称されるジャンボ鶴田。 しかし、デビュー当初には「やる気や闘志が感じられない」など批判的な声も多く、これは入団会見での印象的な発言に起因するものであった。※ ※ ※ ジャンボ鶴田(当時は本名の鶴田友美)が全日本プロレス入団会見に臨んで発した言葉は、「僕のように体のでっかい人間が就職するには、全日本プロレスが一番適した会社かなぁと思って、尊敬する馬場さんの会社を選びました」というもの。これが報道の際には「全日本プロレスに就職します」と簡略化され、世に広まってしまった。 実際のコメントがどこか謙遜気味であるのに比べて、後者のほうは“就職”の部分が強調されたような印象があり、一部ファンからは「就職って、サラリーマンじゃあるまいし」「プロレスはもっと厳しい世界だ」などと反感を招くことにもなった。★悲壮な決意とは無縁の入団会見 ただし、鶴田に就職の意識があったのも確かで、五輪代表となったアマレスからして「オリンピックに出たいがために、重量級の選手層が薄いこの競技を選んだ」のであって、特にプロレスへの思い入れがあったわけではない。 力道山が亡くなったのは鶴田が12歳の頃で、その全盛期の記憶は薄く、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が人気だった当時も、高校でバスケットボールに打ち込んでいたため、馬場からスカウトされて初めてプロレス界入りを具体的に考えたというのが実際であった。 鶴田がアマレスを選んだ経緯を見ても、実利的かつ合理的な思考をするタイプであり、プロレスに対する世間の偏見もあって当初は入団を相当迷ったという。 また、当時の中央大学法学部(文系私大では偏差値上位)を卒業しているように、鶴田は学歴においても優れており、本人が望めば元五輪代表の肩書もあって、一般企業から引く手あまたであったに違いない。 しかし、スカウトを受けた後に父親が亡くなったことで「自分で稼がなければならない」という意識が高まり、また、当時の日本レスリング協会の八田一朗会長は、プロレスへの理解が深く、鶴田の全日入団を強く勧めたことがプロレス入りへの後押しとなった。ちなみに八田会長は、鶴田と同学年だった長州力の新日本プロレス入りにも関わっている。 中学時代には見学に行っただけのつもりだった相撲部屋で、なぜか新弟子検査に合格してしまい(親族の働きかけで合格を取り消し)、高校から始めたバスケットボールではインターハイに出場。そして大学からレスリングを始めれば、わずか1年あまりでグレコローマン、フリーともに全日本選手権2連覇という、まさに才能の塊。常に成功体験に恵まれてきた鶴田にしてみれば、プロレス入りにおいても悲壮な決意など一切なかったであろう。 それゆえにサラリーマン気分というよりも、「就職先として考えたときにプロレス界が一番稼げそう」との意識はおそらくあったはずで、それが会見での就職という言葉につながったのかもしれない。★いまだ謎が多いクーデター事件 入団からしばらくは大物相手に好勝負をしながらも勝ちきれないことで、ファンからは“善戦マン”などとも揶揄されたが、これも鶴田に“仕事”という意識が強かったために「社員の自分は社長の馬場に従うのが当然」と、与えられた役割を素直にこなしていたことが原因であった。 そんな鶴田にとって唯一、若気の至りとでもいうべきものが、いわゆる“幻のクーデター事件”である。 1977年、全日所属のサムソン・クツワダが、鶴田をエースに担いで、新団体の旗揚げを画策したこの一件。クツワダは仲のよかった鶴田を口説いて了解を得た上で、テレビ局や大口スポンサーとも交渉を重ねていたという。 クツワダは大相撲の朝日山部屋出身で、鶴田が中学時代に見学に行ったとき、手違いで角界入りしそうになったのも、同じ朝日山部屋という縁があった。 結局、途中でこの動きが全日側に露呈し、クツワダは即時解雇。「あくまでも首謀者はクツワダ。鶴田はそそのかされただけで、それもクツワダの話に相づちを打った程度のこと」として、おとがめなしに終わったが、果たして、本心はどうであったか。 この事件の前年に鶴田はUN王座を獲得し、若手の域を出て一本立ちしていた。一方の馬場は40歳の手前で、そろそろ下り坂になってきた頃である。鶴田としても世間一般の会社員たちと同じく、ここが“転職のチャンス”と考えたとしても不思議ではない。 のちに鶴田が、全日と縁のなかったWWE王者時代のハルク・ホーガンや、新日の藤波辰爾との対戦を希望するコメントをした際には、単なるファンサービスと受け止められたが、実はその内側には強い独立心を秘めていたのかもしれない。ジャンボ鶴田***************************************PROFILE●1951年3月25日生まれ。山梨県出身。身長196㎝、体重127㎏。得意技/バックドロップ、ジャンピング・ニー・バット、フライング・ボディシザース・ドロップ、ジャンボ・ラリアット。文・脇本深八
-
社会 2020年05月17日 18時00分
蝶野正洋の黒の履歴書 ★新型コロナを収束させる自助精神
新型コロナウイルスの感染拡大によって先の見えない状況が続いているけど、みんな頑張って外出を自粛して耐え忍んでいると思う。俺も家にいる時間が増えたから、気になったことは調べたりしてるよ。 そもそも「ウイルス」って何なんだろうってことを調べてると、世界的な感染なんてのは今に始まったことじゃなくて、100年前、200年前…いや、生命が生まれた頃からずっと人類はウイルスと闘ってきたということが分かる。 ウイルス対策は文明の発展と共に進化しているが、政府が呼びかけている「手洗い、咳エチケットの徹底」「3密(密閉、密集、密接)を避ける」「不要不急の外出自粛」という対策は昔からそんなに変わらないし、「誰でもできる行動」ばかりだ。 俺が関わっている防災・救命活動には「自助」「共助」「公助」という考え方があるんだけど、基本となるのはやっぱり「自助」。今回の呼びかけで、災害時は「自分の身は自分で守る(自助)」ってことの重要性を改めて認識したよ。 あと、自分の身は自分で守るということは正しい知識が必要になってくるから、デマには騙されないように注意しないといけないな。 実は、俺のところに、コロナ関連ビジネスの話が持ち込まれた。アルコールに代わる新しい消毒剤があるから一緒に売らないかとか、免疫力を高めるサプリはどうですかとか。ホントかどうかも分からないから俺は断ったが、多くの企業は新型コロナで経済的な影響を受けているし、個人で見ても、収入が減って、儲け話に飛びついてしまう人も出てくると思う。コロナ対策にしたって、いろんな情報が飛び交っていて、いまは何が正しくて、何が間違っているのか判断できない。 安易に信じてしまうと、被害が広がる危険性があるから気をつけたいが、逆に情報を信じないというのも問題だ。いまだに新型コロナを甘く見て平気で外を出歩く人がいる。ウチの近くでも、家族連れやお年寄りが普通の休日の感じで買い物に出てたりするからね。「国の対策(公助)」が悪いという意見もあるが、どんな災害でも「正しい自助が公助に繋がる」ということは共通しているんだよ。だから、ウイルスから自分の身を守る姿を、俺ら世代が先頭に立って見せなきゃいけないと思うよ。 まぁ、家にずっといると気が滅入ってしまうのも分かるけどな。そういう意味では、若い人のほうが家でのすごし方が上手だよ。うちの子どもなんか、ずっと家に居て、学校に1カ月以上行ってないからストレスが溜まってるのかと思ったけど、友達とLINEをやったり、タブレットを使ったリモート授業をやったり、いろんなコミュニケーションを取って楽しんでる。 とにかく、コロナ対策として「不要不急の外出自粛」は誰でもできる。自助精神が、この事態を収束させる早道ということを肝に銘じて、不要不急の外出は控えてほしい。***************************************1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。
-
-
スポーツ 2020年05月17日 08時00分
一度は使ってみたいプロレスの言霊 「俺の人生にも一度くらい、こんなことがあってもいいだろう」発言者・長州力
決して饒舌ではないものの印象深い発言が多い長州力。引退後の昨今はツイッターにおける“迷言”でも話題になっているが、今回紹介するのは正真正銘の名言である。 長州のプロレスラー人生を決めたといっても過言ではないほど、深い意味と重みを持つ言葉だ。※ ※ ※ 昨年6月の正式引退に合わせて、テレビ朝日系『お願い!ランキング』で「長州力総選挙」なる企画が放送された。その内容はファン100人の投票による長州力名勝負ベスト5というものだった。 第5位は1984年のIWGP第2回大会で、アンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げた試合(結果は長州の負け)。 第4位は’93年の天龍源一郎戦(パワーボムで長州の負け)で、同年のプロレス大賞でも年間ベストバウトに選ばれている。 第3位は’95年の東京ドーム、UWFインターナショナルとの対抗戦での安生洋二戦(長州圧勝)。 第2位は’85年、ジャンボ鶴田との60分フルタイムドロー戦。 そして堂々の第1位に輝いたのが、’83年に藤波辰巳(現・辰爾)を破り、WWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得した一戦であった。★現状を悲観して引退も視野に… リキラリアットから藤波の頭をマットに押し付けるようにして、全身で抑え込み3カウントを奪ったフィニッシュも印象的であったが、それ以上に試合後の会見における「俺の人生にも一度くらい、こんなことがあってもいいだろう」という言葉によって記憶しているファンも多いだろう。 今から振り返ってみると、その後の長州の躍進もあって「人生に一度くらい」という表現はやや大げさに感じるかもしれないが、当時としては実感のこもった本心から発せられたものだった。 ミュンヘン五輪にレスリング韓国代表として出場した長州は、新日本プロレスに入団した当初からスポーツエリートとして将来を嘱望されていた。だが、地味なルックスのせいもあってか人気は振るわず、坂口征二のパートナーとして北米タッグ王座を獲得したものの、しばらく中堅どころの域を出ることはなかった。 一方、2つ年下の先輩である藤波は、ジュニアヘビー級でドラゴンブームを巻き起こすと、’81年にヘビー級転向を表明。翌年1月にはボブ・バックランドの持つWWFヘビー級王座に挑戦し、この大舞台で善戦するなど着実に次期エースへの道を歩んでいた。 また、長州と同じくミュンヘン五輪に出場したジャンボ鶴田も、全日本プロレスでUNヘビー級王座に就き、’80年のチャンピオン・カーニバルで初優勝を果たすなど実績を残していた。 そんな同年代のライバルたちに比べて、一向にうだつの上がらない現状を悲観した長州は、遠征先のメキシコから引退を示唆する手紙を日本へ送ったともいわれる。帰国して藤波に噛み付いたのは、長州としてはまさにラストチャンスの気持ちであったのだ。 そもそも、古舘伊知郎による「俺は藤波のかませ犬じゃない」との実況から始まった長州と藤波の抗争だが、実のところ、会社としては“長州を藤波のかませ犬にする”との意図はあったように見受けられる。 なぜなら、長州反乱後に初めて組まれた’82年10月、広島県立体育館でのシングル戦において、藤波はその前日の試合で国際軍団に襲われ、額を縫うケガを負っていたからだ。★猪木の思惑が長州を後押し 大事な試合の前にハンデを負うのは格上のほうというのが、プロレス興行のセオリーであり、この時点では“1戦目は長州が優勢でもそれは藤波のケガのせいで、最終的には藤波が巻き返す”というストーリーが用意されていたものと思われる。 さらに、ノーコンテストに終わった試合後にテレビ朝日の朝岡聡アナが、藤波にだけ「大変な試合になってしまいましたけど、これはどういうふうに…」と、リング上でマイクを向けている。 これに対して興奮状態の藤波は「こんなところでインタビューしてる場合じゃないよ! なんだこの試合は!」とマイクをぶん投げたのだが、そんな一幕からも藤波が主役の扱いであったことが見て取れる。 また、この試合で長州のセコンドに小林邦昭が付いていたのが象徴的で、つまりタイガー・マスクに対する小林のようなポジションを、藤波に対する長州に与えようというのが、当初の予定であった可能性は高い。 それを覆したのはもちろん、長州の地力があってのことには違いないが、加えて、試合後に起きた観客からの長州コールや、古館による「下克上」「革命戦士」などの名フレーズ、さらには総帥のアントニオ猪木がまだ元気で、早急に次期エースを決める必要がなかったことも大きい。 また、猪木自身も、藤波の毒気のない優等生ぶりに次期エースとしての力不足を感じており、そんな思惑も長州の躍進を後押しする一因となったようだ。のちの藤原喜明による“雪の札幌テロリスト事件”も、藤波に一皮むけてもらいたいとの意図があってのことだろう。 まさしく“人生に一度”のチャンスをものにして、長州は藤波に勝利し、トップクラス入りの通行手形を手に入れたわけである。長州力***************************************PROFILE●1951年12月3日生まれ。山口県徳山市(現・周南市)出身。身長184㎝、体重120㎏。得意技/サソリ固め、リキラリアット、バックドロップ、ブレーンバスター、ストンピング、ヘッドロック。文・脇本深八
-
スポーツ
新日本退団のKUSHIDAがWWE入りでNXT所属へ! カイリ&イオ王座奪取失敗!
2019年04月09日 10時20分
-
スポーツ
元新日本“過激な仕掛け人”新間寿氏、ブルーザー・ブロディがWWE殿堂入り!
2019年04月09日 06時00分
-
スポーツ
新日本がマイケル・エルガンと金光輝明の退団を発表。エルガンは世界で争奪戦か?
2019年04月03日 22時30分
-
スポーツ
「MSGのリングに立って何を感じるか?」藤波辰爾が新日本の後輩達に熱いエール!
2019年04月03日 20時30分
-
スポーツ
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「大木金太郎」“韓国の猛虎”波瀾万丈の頭突き人生
2019年04月02日 22時30分
-
スポーツ
ハルク・ホーガンの弟分、“ザ・バーバー”ブルータス・ビーフケーキがWWE殿堂入り!
2019年04月02日 17時40分
-
スポーツ
【追悼】「北尾さんがいなければ僕は…」“プロレスラー”北尾光司さん逝去に弟子の望月成晃、高田延彦氏が悼む
2019年04月01日 21時10分
-
スポーツ
技論争を伝える側から考える 80年代「延髄斬り」を猪木氏以外に使わなかった古舘アナ
2019年03月27日 21時40分
-
スポーツ
新日本初のMSG大会全カード決定! 内藤対飯伏、ザック対棚橋、スターダム岩谷も参戦
2019年03月27日 06時00分
-
スポーツ
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「アドリアン・アドニス」日米で異なった “暴走狼”のキャラ設定
2019年03月26日 22時30分
-
スポーツ
ハート・ファウンデーションが殿堂入り!今年のレッスルマニアは女子が初メイン
2019年03月26日 21時10分
-
スポーツ
新日本NJCはオカダ・カズチカが優勝!MSG大会でジェイ・ホワイトのIWGP王座に挑戦
2019年03月26日 06時00分
-
スポーツ
新日本プロレスが3年振りに新卒採用説明会を実施!約500人の学生が試合に熱狂!
2019年03月24日 06時00分
-
スポーツ
新日本NJC、棚橋対SANADA、オカダ対石井が準決勝!MSGのメインまであと3試合
2019年03月23日 06時00分
-
スポーツ
ニュージャパンカップベスト8が決定!棚橋弘至対ザック、CHAOS対決がポイントか?
2019年03月20日 06時00分
-
スポーツ
カート・アングルが引退試合の相手を指名!ブロック・レスナーが登場!
2019年03月19日 21時10分
-
スポーツ
棚橋弘至がMSGを感じるアノ技で『パパわる』対決を制す!飯伏幸太がザックに完敗!
2019年03月19日 06時00分
-
スポーツ
「イメージできるだろ?」SANADAが鈴木みのるとの激戦制し、NJC優勝を予言!
2019年03月18日 21時30分
-
スポーツ
ユーミンに刺激!藤波辰爾が語る「生涯ネバーギブアップ」の真意とライバルたち
2019年03月13日 21時10分
特集
-

あかつ、アメリカ・アポロシアターでの「動きで笑わせるネタ」は世界にも テレビに年数回でも出られる自分は「持ってる」
芸能
2025年10月03日 12時00分
-

TKO・木下、篠宮との一件を明かす 目標は「タイと日本のハブ」 挑戦に対する厳しい声には「どうでもいい」
芸能
2025年09月26日 18時00分
-
-

元ボーイフレンド・宮川英二、最大の挫折は「M-1グランプリ」 セカンドキャリアは、芸人やお笑いサークルの学生の就職支援 芸人の給料も赤裸々に語る
芸能
2025年09月18日 17時00分
-

岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
-

misono、家族について「マジで気持ち悪い家族」 「⼦ども⾃然にできると思っていたけど……」と不妊治療の再開、明かす
芸能
2025年09月16日 11時00分
