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一度は使ってみたいプロレスの言霊 「俺の人生にも一度くらい、こんなことがあってもいいだろう」発言者・長州力

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提供:週刊実話

 決して饒舌ではないものの印象深い発言が多い長州力。引退後の昨今はツイッターにおける“迷言”でも話題になっているが、今回紹介するのは正真正銘の名言である。

 長州のプロレスラー人生を決めたといっても過言ではないほど、深い意味と重みを持つ言葉だ。

※ ※ ※

 昨年6月の正式引退に合わせて、テレビ朝日系『お願い!ランキング』で「長州力総選挙」なる企画が放送された。その内容はファン100人の投票による長州力名勝負ベスト5というものだった。

 第5位は1984年のIWGP第2回大会で、アンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げた試合(結果は長州の負け)。

 第4位は’93年の天龍源一郎戦(パワーボムで長州の負け)で、同年のプロレス大賞でも年間ベストバウトに選ばれている。

 第3位は’95年の東京ドーム、UWFインターナショナルとの対抗戦での安生洋二戦(長州圧勝)。

 第2位は’85年、ジャンボ鶴田との60分フルタイムドロー戦。

 そして堂々の第1位に輝いたのが、’83年に藤波辰巳(現・辰爾)を破り、WWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得した一戦であった。

★現状を悲観して引退も視野に…

 リキラリアットから藤波の頭をマットに押し付けるようにして、全身で抑え込み3カウントを奪ったフィニッシュも印象的であったが、それ以上に試合後の会見における「俺の人生にも一度くらい、こんなことがあってもいいだろう」という言葉によって記憶しているファンも多いだろう。

 今から振り返ってみると、その後の長州の躍進もあって「人生に一度くらい」という表現はやや大げさに感じるかもしれないが、当時としては実感のこもった本心から発せられたものだった。

 ミュンヘン五輪にレスリング韓国代表として出場した長州は、新日本プロレスに入団した当初からスポーツエリートとして将来を嘱望されていた。だが、地味なルックスのせいもあってか人気は振るわず、坂口征二のパートナーとして北米タッグ王座を獲得したものの、しばらく中堅どころの域を出ることはなかった。

 一方、2つ年下の先輩である藤波は、ジュニアヘビー級でドラゴンブームを巻き起こすと、’81年にヘビー級転向を表明。翌年1月にはボブ・バックランドの持つWWFヘビー級王座に挑戦し、この大舞台で善戦するなど着実に次期エースへの道を歩んでいた。

 また、長州と同じくミュンヘン五輪に出場したジャンボ鶴田も、全日本プロレスでUNヘビー級王座に就き、’80年のチャンピオン・カーニバルで初優勝を果たすなど実績を残していた。

 そんな同年代のライバルたちに比べて、一向にうだつの上がらない現状を悲観した長州は、遠征先のメキシコから引退を示唆する手紙を日本へ送ったともいわれる。帰国して藤波に噛み付いたのは、長州としてはまさにラストチャンスの気持ちであったのだ。

 そもそも、古舘伊知郎による「俺は藤波のかませ犬じゃない」との実況から始まった長州と藤波の抗争だが、実のところ、会社としては“長州を藤波のかませ犬にする”との意図はあったように見受けられる。

 なぜなら、長州反乱後に初めて組まれた’82年10月、広島県立体育館でのシングル戦において、藤波はその前日の試合で国際軍団に襲われ、額を縫うケガを負っていたからだ。

★猪木の思惑が長州を後押し

 大事な試合の前にハンデを負うのは格上のほうというのが、プロレス興行のセオリーであり、この時点では“1戦目は長州が優勢でもそれは藤波のケガのせいで、最終的には藤波が巻き返す”というストーリーが用意されていたものと思われる。

 さらに、ノーコンテストに終わった試合後にテレビ朝日の朝岡聡アナが、藤波にだけ「大変な試合になってしまいましたけど、これはどういうふうに…」と、リング上でマイクを向けている。

 これに対して興奮状態の藤波は「こんなところでインタビューしてる場合じゃないよ! なんだこの試合は!」とマイクをぶん投げたのだが、そんな一幕からも藤波が主役の扱いであったことが見て取れる。

 また、この試合で長州のセコンドに小林邦昭が付いていたのが象徴的で、つまりタイガー・マスクに対する小林のようなポジションを、藤波に対する長州に与えようというのが、当初の予定であった可能性は高い。

 それを覆したのはもちろん、長州の地力があってのことには違いないが、加えて、試合後に起きた観客からの長州コールや、古館による「下克上」「革命戦士」などの名フレーズ、さらには総帥のアントニオ猪木がまだ元気で、早急に次期エースを決める必要がなかったことも大きい。

 また、猪木自身も、藤波の毒気のない優等生ぶりに次期エースとしての力不足を感じており、そんな思惑も長州の躍進を後押しする一因となったようだ。のちの藤原喜明による“雪の札幌テロリスト事件”も、藤波に一皮むけてもらいたいとの意図があってのことだろう。

 まさしく“人生に一度”のチャンスをものにして、長州は藤波に勝利し、トップクラス入りの通行手形を手に入れたわけである。

長州力
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PROFILE●1951年12月3日生まれ。山口県徳山市(現・周南市)出身。身長184㎝、体重120㎏。得意技/サソリ固め、リキラリアット、バックドロップ、ブレーンバスター、ストンピング、ヘッドロック。

文・脇本深八

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