メインイベントでは藤波の師匠で、参院議員の“燃える闘魂”アントニオ猪木氏と藤波による“対決”が決定している。藤波は、詳細はまだ決まっていないとしながらも「1988年8月8日、横浜文化体育館で僕とやった60分フルタイムドローの試合について聞いてみたい。猪木さんは過去を振り返るのは嫌いな人だけど、あえてぶつけてみたい」とコメント。例年8月8日にはファンがこの試合を記念したイベントを開いており、藤波も顔を出すことがあるという。いずれそこに猪木氏を連れていきたいと話していた藤波だが、今大会でその野望を果たしたい考えだ。
試合では越中詩郎、獣神サンダー・ライガーとのドラゴンボンバーズが復活。藤原喜明&ヒロ斎藤&ブラック・タイガーと対戦する。
ドラゴンボンバーズは1990年9月、腰痛で長期欠場していた藤波が、越中、ライガー、飯塚孝之(高史・引退)、ブラック・キャット(故人)、練習生の南海流、高見州とともに立ち上げた新日本内のユニット。巨大資金をバックにメガネスーパーが設立した新興団体SWSのショックに揺れる中、相撲の部屋別制度を参考に、日本マット界を活性化させようと藤波が作ったものだ。
結果的に自然消滅してしまったが、当時の藤波は全日本プロレスのエース、ジャンボ鶴田(故人)と復帰後に対戦する機運が高まっていただけに、注目された。藤波は当時のことを「ジャンボとやりたい気持ちが(ドラゴンボンバーズ設立につながって)ないと言うと嘘になる」と振り返り、鶴田さんの存在が影響していたと認めた。
越中は「平成2年に結成したドラゴンボンバーズを平成最後に復活させるなんて、藤波さんも粋なこと考えるね。ライガー選手と組むのも久しぶりだし、自分もまだまだ元気なところを見せますよ」と抱負。ライガーは「プロレスラーになるきっかけが藤波さんでした。その藤波さんと元ドラゴンボンバーズの越中さんとのタッグマッチ!相手が誰であれ負ける気がしません。ぜひ会場で応援よろしくお願いいたします!」とメッセージを寄せた。
「僕が新日本プロレスを辞めたのが平成6年ですから。あれから13年経ってドラディションのリングに新日本の選手が上がることになりました。ライガーとはいろんなところで組んでますが、自分の団体は初めて。ドラディションに新日本の選手に上がってもらいたいと思っていたので、喜びを感じている。好意を無駄にしないように、恩返しをしていきたい」
“古巣”新日本にオファーを出したのは年明けで、まだライガーの引退は明らかになっていなかった。先日の引退発表会見を見たという藤波は「早々にリングを降りると聞いてビックリしたけど、このタイミングで組めるのは意味深い。自分のリングでライガーと組めるのは思い入れが強いですね」と感慨深げに語った。藤波は現在も新日本の試合をテレビ中継で見ているそうで、新日本からオファーが来た場合は「断る理由はない」と即答した。
「生涯ネバーギブアップ」
4.21大阪南港ATCホール Cホール大会では永遠のライバル長州力と6人タッグで激突する。おそらく大阪では最後の対戦になるだろう。6.26後楽園大会で長州のファイナルマッチの相手に逆指名されている藤波の胸中は「複雑」だという。「長州は自分を変えてくれた。そういう人間がリングを去るのは寂しい。前田も同じ。彼ももうひと花咲かせることができる」と、前田日明氏の復帰も諦めていない。
先日、藤波は同い年のシンガー・ソングライター松任谷由実(ユーミン)の日本武道館公演を訪れ「刺激を受けた」という。ユーミンの最新ツアーのパンフレットには、藤波からのメッセージが掲載されている。
「『もう藤波いいじゃないか?』という声もあると思うけど、ユーミンがああやって頑張っているのを見ると、俺もまだまだ負けられないというか、パワーをもらえますよね。僕が試合をすることで『同世代にパワーを与えられたら』と思うし、ネバーギブアップの気持ちを持って、プロレスをもっと広めていきたい」。最後は藤波の代名詞である「ネバーギブアップ」という言葉が飛び出した。
生涯現役を貫く藤波は、生涯ネバーギブアップの精神で「ゴールデンタイムでやっていたあのころ」を過ごした一人としてプロレスを広めていく。
取材・文・写真 / どら増田