スポーツ
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スポーツ 2017年02月07日 16時00分
「心・技・体」新横綱・稀勢の里の“心”を惑わす“内憂外患”
稀勢の里(30)が初優勝を果たした初場所千秋楽の翌日、『ユアタイム〜あなたの時間〜』(フジテレビ系)で、メーンキャスター・市川紗椰によるインタビューコーナーが設けられた。市川は胸元が開いた真っ赤なノースリーブのドレスで、ヤル気満々。「まるで公開お見合いみたいなインタビュー」との非難の声すら上がった。市川だけではなく、全国民が待ちに待った19年ぶりの日本人横綱の誕生だった。 1月25日に行われた日本相撲協会からの使者を迎えての伝達式も、部屋が狭いということで帝国ホテルに会場を移して行われ、詰めかけた報道陣も150人以上。若貴フィーバー以来の盛り上がり。 その一挙手一投足に熱い視線が集まった稀勢の里とは対照的に、影が薄かったのが師匠の田子ノ浦親方(40)だ。 使者を迎えての伝達式では、稀勢の里の隣でカメラに一応収まりはしたものの、その後の記者会見などではほとんど発言することもなく、存在感ゼロ。 「それも仕方ありません。現師匠は、稀勢の里を育てた先代師匠(元横綱隆の里)が6年前に急逝したため、急遽、祭り上げられたも同然ですから。現役時代の最高位は前頭8枚目。幕内在位も5場所だけ。相撲部屋には師匠がいなくちゃいけませんから、ただそのためだけにいるようなもので、これまでもアドバイスしたりすることはまったくありませんでした。稀勢の里も、師匠とは思っていないんじゃないですか」(担当記者) もう一つ、晴れの場面で姿を見せなかった人たちがいる。稀勢の里が今でも「心の師匠」と呼び、昇進会見で、「あの人と出会わなかったら今の自分はない。感謝以外にない」と話した、先代師匠のファミリーだ。 田子ノ浦親方と先代師匠ファミリーとは折り合いが悪く、先代師匠が亡くなった翌年の2月、「鳴戸」の名跡を返上して「田子ノ浦」を取得し、弟子たちを連れて千葉県松戸市にあった部屋を飛び出して以来、絶縁状態が続いているのだ。 「横綱になった稀勢の里が土俵入りに使用した化粧まわしは、元横綱初代若乃花が持っていた鬼のデザインの化粧まわし。この社会では、こういうときには先代師匠が使っていたものを借りるのが普通です。遺族も親族と同じ思いのはずなんですが、いまだに会話もできないぐらい、こじれてしまっているのでしょう」(大相撲関係者) 横綱ともなれば、これまでより責任は段違いに重く、大事な決断をしなければいけない場面も増えてくる。しかし、稀勢の里に仲のいい力士仲間はいないし、師匠も、先代師匠ファミリーも、頼りにはならない。まさに“内憂外患”だ。 相撲は心・技・体と言われる。その“心”の曇天をスッキリさせたいのが稀勢の里の本心だろう。 孤独とも思える稀勢の里だが、部屋の稽古始めは2月に入って「(まわしを)明日つけてもいいし、今でもいいし」と語り、実際に1日には稽古に入っている。「お祝いムードは昨日まで」と3月の大阪場所に向けて標準を合わせている。“内憂外患”孤高の新横綱は果たしてモンゴル3横綱にくさびを打ち込むことができるか。
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スポーツ 2017年02月06日 16時00分
イ・ボミ ゴルフ女王が魅せるセクシーボディーの秘密
昨年、2年連続の賞金女王を達成した人気女子ゴルファーのイ・ボミ(28)。プロゴルファーのオフといえば、フォームやスイングスピードといったメンテナンスに余念がないが、彼女の場合、ボディーの“修正”も怠りないという。 「女子ツアーは3月開始なので、かなりの時間を韓国で過ごしているはず。彼女といえば、その華麗なるプレーに加えて、ルックスでも注目される存在だけに、オフを使ってビジュアルの修正をしていると噂されているんです。担当記者の間では、休みが明けるたびに、美人度がアップしていると言われています」(ゴルフ雑誌記者) 韓国が整形大国なのは周知のとおり。ほとんどの芸能人は、目元、口元といった顔だけでなく、ボディーにもメスを入れていると言われるほど。もちろんイ・ボミも、例外ではないようだ。 「1回のオフでは、どこが変わったのか分かりませんが、長い期間をもって見ると、その変化は明らか。むろん、整形大国ではあるが、露骨に変えるのはイメージダウンに繋がる。極端に修正しないのが、彼女流だと囁かれているのです」(同) その修正疑惑の一つが鼻だ。かつては傷があったという。 「本人は写真撮影を嫌がるほど気にしていたそうですが、ある日を境に、突然、傷が消えていたのです。その噂は瞬く間にネットで広がり、“鼻が高くなった”“目元もパッチリ二重になった”と、さまざまな怪情報が飛び交っています」(スポーツ紙記者) そして、彼女の修正疑惑は、とうとうオッパイにまで波及。彼女は身長158センチと小柄だが、グラドル並みのFカップに進化したというのだ。 「当初は、ゴルファーに多い下半身太りの体型で、バストもCカップでした。ところが、今の彼女の胸といえば、谷間を見せつけるようなドレスを着るほど進化しているのです。なんでも、男性ファンからの注目を集めるため、オフになると、修正のメディア作戦を練っているなんて話まであります」(同) その疑惑を裏付けるかのように、昨年、フォトブック『イ・ボミ STYLE』を出版。写真嫌いの彼女が、見せたがりになった。 「彼女の美貌に惹かれるファンは多いのですが、何事もやり過ぎはよくないという声も多数あります」(ゴルフライター) 狙うは、セクシー女王。
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スポーツ 2017年02月05日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND37 〈究極の外国人頂上対決〉 東京ドームが揺れた喧嘩マッチ
アンドレ・ザ・ジャイアントvsスタン・ハンセンと並び、外国人対決の最高峰と称されるのが“皇帝戦士”ビッグバン・ベイダーと“不沈艦”スタン・ハンセンの一戦である。 片や新日本プロレス、片や全日本プロレスで、共に外国人トップを張っていた両雄。互いのプライドと団体の看板を懸けた“絶対に負けられない闘い”が東京ドームを揺るがせた。 昨年12月、ビッグバン・ベイダーが「医者から余命2年を宣告された」と、米国のテレビ番組内で告白した。うっ血性心不全との診断で、これは心臓から血液を送り出す働きが低下して、むくみや息苦しさなどが生じるもの。病状が進行すると、肺水腫による呼吸困難などの危険があるという。 今後はヨガによるダイエットで症状の改善を目指すとされ、減量で延命がかなうのならば、ぜひともそう願いたいものである。 1987年12月、ベイダーの日本初登場は、観客の暴動騒ぎというマイナスイメージから始まった。試合に至るまでのドタバタや3分ほどでの決着というしょっぱい試合内容も、すべては対戦相手のアントニオ猪木とアングルをつくった団体側の責任であり、ベイダーに一切の非はなかったが、当初の“たけしプロレス軍団の刺客”という、うさんくさい触れ込みのせいでファンからは色眼鏡で見られていた。 それでも常連外国人として定着すると、徐々にそのポジションを高めていく。 「身長190センチ、体重170キロの巨体から繰り出すド迫力のパワーファイトと、時にムーンサルトプレスも繰り出すほどの軽快な身のこなし。そうした身体能力の高さに加えて、甲冑からスモークを噴き上げるパフォーマンスも秀逸でした。さらに団体の意向を理解した上で、しっかり自分に与えられた役割を果たすだけの“プロレス頭”のよさまで備わっているのだから、人気が出たのも当然です」(プロレスライター) 日米でトップを張りながら、プロレスの隠語でいう“セル(技を派手に受けるなど対戦相手を引き立てて見せ場を作ること)”もいとわない。 「有名なところでは'96年、東京ドームでの猪木戦が挙げられます。ベイダーの投げっぱなしジャーマンで意識の飛んだ猪木に対し『ガンバッテーガンバッテー』と檄を飛ばしながらベイダーハンマーの連打で試合をつなぐと、最後は背中に当たった延髄斬りで一回転してのフォール負け。引退を間近に控えた猪木に対する、ベイダーの心遣いがうかがえた試合でした」(同) 全般的な能力の高さがあったからこそ、新日本に始まりUWFインターナショナル、全日本、ノア、さらには米国でもWCWにWWFとさまざまな団体を渡り歩き、いずれも頂点に君臨することとなった。 「引く手あまたの中、契約違反まがいのことも何度かあったようですが、それでも団体側が使いたくなる価値が高い選手だったわけです」(スポーツ紙記者) 晩年にはハッスルなどのエンタメ系や、一般には誰も知らないような“どインディー団体”にも精力的に参戦した。 そんな幅広いキャリアを誇るベイダーが、自ら『男と男の闘いだった』とベストバウトに挙げるのが、'90年2月10日、新日本の東京ドーム大会『'90スーパーファイトIN闘強導夢』におけるスタン・ハンセン戦である。“ベルリンの壁崩壊”とも称された全日本勢の参戦や、大相撲から転向した北尾光司のデビュー、橋本真也の「時は来た!」発言など…話題山盛りだった同大会の中にあっても、ベイダーとハンセンによる外国人頂上決戦はひときわ熱い闘いとなった。 ベイダーの持つIWGP王座に、ハンセンが挑戦する形で組まれたこの試合。すでにベテランの域にあったハンセンだが、挑戦者らしくゴング前から猛然と突っかかっていく。これにベイダーも応じると、試合序盤から激しい肉弾戦が繰り広げられた。 ベイダーハンマーがラリアット気味にヒットすると、お株を奪われたハンセンは目の色を変えてパンチ、エルボーを乱れ打ち。そんなハンセンをグラウンドに捕らえたベイダーだが、そこで異変が起こる。 やにわに立ち上がったベイダーはコーナーにもたれかかると、かぶっていたマスクを脱ぎ捨てたのだ。その右目はドス黒く腫れ上がり、ほとんどふさがった状態。マスクを脱いだのは視界を確保するための緊急措置だった。 会場内のオーロラビジョンにベイダーの姿が大映しされると、そのただならぬ様子を察した観衆からどよめきが起こった。だが、そんなアクシデントさえも2人は意に介することなく、さらに試合は激しさを増していく。 驚愕に値するドロップキックまで披露して、むしろいつも以上の動きを見せるベイダーに対し、ハンセンもついに“伝家の宝刀”ウエスタン・ラリアットを抜くが、これは勢いを欠いて倒すまでに至らない。 闘いの場をリングの外に移しても、互いのプライドと団体の看板を懸けた殴り合いは収まることなく、ついに両者リングアウトの裁定が下された。 完全決着ならずとも観客に不満の声はなく、それどころか逆に大歓声が送られたのであった。なお、この試合の評判は本場の米国にまで届き、のちになってWCWのリングで両者の対戦が再現されている。
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スポーツ 2017年02月05日 12時00分
IWGPジュニア王者高橋ヒロム、最初の旅のお相手は“ライバル”ドラゴン・リー
「(質問は)終わりですか? 終わりなら帰りますよ。早く休みたいんで。これだけ記者の人がいるのに、寂しいですね。もっと強くなった、質問してください」 1.4東京ドーム大会で、チャンピオンKUSHIDAの厳しい攻めを耐えしのぎ、悲願のIWGPジュニア王座を獲得した高橋ヒロム。試合後、インタビュースペースに現れると、ベルトへの思いを一方的にまくし立て、集まった報道陣から質問が出ないと見るや、冒頭のコメントを残し控室に引きあげた。 大会前には、KUSHIDAを圧倒するとかなり強気な発言が出ていたが、約3年半に渡り新日ジュニアの中心選手として、内部だけではなく他団体(ジュニア)のトップ相手でも、底知れぬ強さを誇示してきたKUSHIDAの壁は、ヒロムが想像したよりも高く厚かったのかもしれない。 この会見でヒロムは「俺はこのIWGPジュニアのベルトと一緒にこれから旅をしていく」と話していたが、「IWGPヘビー級王者にも負けないIWGPジュニア王者になりたいから、その自信がつくまでは帰らない」と昨年の1月に語っていたヒロムの実力は、どこまで本当なのか。これからはじまる旅(防衛ロード)で、真価が問われることになる。 そして早速敵が現れた。 ドームでの戴冠に喜んだのも束の間、翌5日の後楽園ホール大会に、メキシコCMLLのドラゴン・リーが乱入したのである。リーは試合を終えたヒロムを急襲し、ブレーンバスターボムでKOすると、ヒロムが持っていたIWGPジュニア王座のベルトを掲げて、挑戦をアピールした。 「俺はナンバー1になりたいんだ。去年、ファンタスティカマニアで、ヴィールスと闘っていた時に、カマイタチが突然やってきた。だから、今回は、俺が日本にやってきたんだ。カマイタチとは、日本でもメキシコでも、ROHでも闘ってる。今日は、カマイタチのタイトルに挑戦するためだけに、俺は日本に来た。明日もうメキシコに帰る」 インタビュースペースでリーは、とても興奮した口調で改めて挑戦表明をした。リーは新日本プロレスとCMLLの合同興行「ファンタスティカマニア」シリーズでのタイトル戦を望んでいたようだが、新日本はビッグマッチである、2.11エディオンアリーナ大阪大会での対戦を発表。「ファンタスティカマニア」では幾度か前哨戦を行っている。 この2人はヒロムがCMLLに、カマイタチというマスクマンで参戦してから因縁が勃発。2015年3月には、敗者覆面剥ぎマッチを行いカマイタチが敗れたため、カマイタチの正体がヒロム(リングネームはカマイタチのまま)であることが明らかになってしまった。その後も抗争を繰り広げた2人だが、リーも話しているように、昨年1月23日の後楽園ホール大会にカマイタチが乱入。リーを急襲すると、リーが保持するCMLL世界スーパーライト級王座に挑戦表明。翌24日の後楽園大会でリーへの挑戦が急遽決定した。その試合で2人はファンの心を掴む試合をやってみせたのは、記憶に新しいところ。その試合はカマイタチが勝利を収め、王座を奪取している。今回のタイトル戦は、2人の立場を入れ替えるかたちで行われるのが面白い。 ヒロムが「オマエ(リー)は、俺のこと、もっと! もっと!! もっと!!! もっと!!!! もっと!!!!! もっとー!!!!!! 楽しませてくれる相手」と言えば、リーも「俺とアイツの試合は、どこへ行っても、必ず満足してもらえるような試合になる」と語るなど、お互いを認め合っているのは間違いない。海外遠征時代に抗争を繰り広げていた選手と、帰国後もライバル関係を継続し、IWGPジュニア王座というジュニア最高峰のベルトを懸けて試合ができるというのは、これから旅をはじめるヒロムにとって、大きな財産ではないだろうか。恐らくこれからも、ヒロムの前にはリーが節々に現れるはず。まだまだ伸びしろがあるだけに、成長とともに試合も進化していくだろう。 2.11大阪大会はまたもや事前完売をしている。メキシコやアメリカのファンを唸らせた黄金カードは、目の肥えたなにわのファンも唸らせるのは間違いない。(どら増田)写真:ジョー・オアンコ【新日Times Vol.54】
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スポーツ 2017年02月04日 16時00分
テニス・大坂なおみは「東京五輪」で開花する! “雑草魂”が栄冠を勝ち取る日
女子テニス界の新鋭、大坂なおみ(19)の“雑草魂”が開花した! コーチはお金のかかるプロは頼めず父親ひとりだ。ライバルがアカデミーに通う中、お金が掛からない公営のコートや公園で黙々とラケットをひたすら振り続けた。大坂が、世界四大大会の一つ、全豪オープンで大健闘。2回戦で敗れたものの、世界ランキング9位の強豪相手にサービスキープをするなど、一時は互角以上のプレーも見せた。 大坂の持ち味は、日本人離れした体格とパワー、そしてスピードだ。いずれも中南米・ハイチ共和国出身の父親譲りのものだが、実は彼女、“清貧のナニワ節”で這い上がってきた選手。 「彼女はアカデミー出身のエリートではありません。ジュニア大会にも出場せず、下部の無名大会でコツコツとやってきた叩き上げの選手です」(特派記者) テニスに限らず、近年のスポーツ組織は、幼少期から英才教育が行われ、全国から有望な人材をアカデミーに集めてふるいにかける。そこで生き残った者が“世界のステージ”へ上がる図式だ。しかし、大坂はそのエリートコースを歩んではいない。 「父親もテニス経験者ですが、一流プレーヤーではない。彼女も年上ばかりを相手に、ボロ負けを繰り返してきました」(関係者) また、テニス界では14歳以下のプロ宣言が認められていない。大きな国際試合では、17歳まで出場できない大会もある。 「そのためテニス界では、15歳から17歳を対象に、次世代の有望株の発掘も行われる。そこで、“アカデミー出身のエリートを打ち負かす骨太な選手がいる”と目を付けられ、大坂にもやっと光が当たった。年上相手に戦ってきたことでパワーとスタミナはピカイチでしたからね」(同) サーブは女子では最速レベルの200キロ超えも計測する。あの錦織圭以上のスピードだ。 「今では協賛企業の援助も受けられるまでになりましたが、公園での練習も続けています」(同) アメリカでの生活が長かったため、まだ日本語は片言の大坂。公園で培われた雑草魂には好感が持てるが、大観衆を前にすると緊張してしまう一面もあるという。 大坂は、「東京オリンピック」に出場するのが夢と語っている。これから2020年に向かって確実にランキングを上げてくるはずだ。褐色のクイーン・大阪が“雑草魂”で栄冠を掴み取る可能性は限りなく高い。
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スポーツ 2017年02月03日 16時00分
イチロー、松井秀喜、黒田博樹 東京五輪野球代表「トロイカ体制」(2)
万年Bクラスだったベイスターズを立て直した中畑清氏、イチロー、ゴジラ松井、そして「北京五輪の汚名返上の機会を与えてやりたい」と、星野仙一氏の名前を挙げる要人もいないわけではない。 「WBCが今回で消滅するとの米報道もありましたが、その話はNPB内ではタブーです。新しい常設侍ジャパンのお披露目は今年11月の国際試合ということでNPBは動いています。4月にポスト小久保を発表して、その新監督が東京五輪も指揮するかどうかの点に関しては曖昧にしておき、オリンピックイヤーの2020年前半に正式発表するつもり。まずは常設侍ジャパンの監督を決め、そのあとで五輪監督の交渉を水面下でスタートさせます」(同) NPBには、東京五輪で金メダルを獲得するという絶対的な使命がある。また、「本当の成功」とは、次のオリンピックに野球・ソフト競技を繋ぐことと考えている。そのためにも、「野球はこんなに盛り上がる」ということを世界中にアピールしなければならないわけだが、まずはアメリカの野球メディアを東京五輪に向けさせることが前提となる。 メジャーリーグは五輪期間がシーズン中であることを理由に、東京五輪への参加を拒んだ。それ以上にNPBが懸念しているのはアメリカ国民のオリンピック熱で、ここ3大会連続でテレビ視聴率がダウンしているという事実だ。東京の次の五輪開催地は今年9月のIOC総会で決まるが、米ロサンゼルスが選ばれるのならまだしも、他地域では野球・ソフトの「次大会継承」の可能性は極めて低い。 「米野球メディアが東京五輪に関心を持てば、『五輪の野球にビジネスチャンスがある』という風潮につながります。だから、米球界に影響力を持つ大物OBに東京五輪の指揮権を託したい」(前出・関係者) トコトン現役を続ける意向のイチローだが、'20年には47歳になる。現時点で第4回WBCを戦う侍ジャパンへの再合流についても不透明のままだ。 「招集メンバーには好外野手が多く、1番タイプ、3番タイプの打者も多い。そのことはイチロー本人も分かっており、NPB幹部と話をしてから最終結論を出す予定」(前出・ベテラン記者) トロイカ体制の両翼となるゴジラ松井と男気・黒田は、引退後の現在も米国を生活拠点としている。米メディアの関心も高い。 「松井は春季キャンプでの臨時コーチを断りましたが、巨人、NPB要人には季節の挨拶は欠かしていません。黒田も広島球団からの臨時コーチ要請を辞退したが、某TV局のWBCでの解説は引き受ける方向で話が進んでいます。黒田の解説招聘にはNPBの意向も含まれています」(前出・関係者) この3人がトロイカ体制を組めば、日本中は歓喜し、米メディアも扱わざるを得ない。イチローが現侍ジャパンに再合流したとき、このビッグプロジェクトの交渉が前倒しで動き出す――。
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スポーツ 2017年02月02日 16時00分
イチロー、松井秀喜、黒田博樹 東京五輪野球代表「トロイカ体制」(1)
2020年東京オリンピックの野球・ソフトボールは、是が非でも成功させなければならない。「こんなに盛り上がったんだ」と、世界中にアピールしなければ、NPBの将来に大きな影響を及ぼしかねないからだ。 「ポイントは、アメリカの野球メディアをこちらに向けることができるかどうか。米球界にも影響力を持つイチロー、松井、黒田にも一役買ってもらうことになる」(NPB関係者) 東京五輪を戦う侍ジャパンは、イチロー(43)、松井秀喜(42)、黒田博樹(41)の“トロイカ体制”で戦うことになるというのだ。 1月5日、NPBの仕事始めでのことだった。熊崎勝彦コミッショナーは3月開催のWBCを指し、世界一奪還の号令をかけた。所信挨拶の後、記者団に囲まれ、こんな質問を受けた。 「世界一を奪還したら、小久保(裕紀)監督の続投はあるのか?」 熊崎コミッショナーは後任の有力候補者の名前こそ口にしなかったが、間髪入れず、こう答えたという。 「WBCが終わった後、3年半後のオリンピックを見据え、監督人事を含めて、新しい体制作りをする」 新しい体制作り。額面通りに受け止めれば、侍ジャパンの指揮官は交代となる。 これまでも、熊崎コミッショナーは東京五輪における基本方針を語ってきた。 「WBCもプロ野球ファンが大きな関心を寄せる国際大会だが、オリンピックは国民的関心事だから別物」 本誌既報通り、4月以降の常設侍ジャパンの指揮官と、東京五輪の監督は“別人物”になるようだ。 「原辰徳氏が常設侍ジャパンの有力候補と報じられてきました。指揮官としてリーグ優勝7回、日本一3回、第2回WBCでは世界一に導いた経歴からしても、原ジャパンが想定されるのは当然の流れです。でも、女性スキャンダルで暴力団関係者に大金を支払っていた件に加え、野球殿堂のエキスパート部門で落選してしまいました。次期侍ジャパンの監督もスンナリとは決まらない」(ベテラン記者) 前出のNPB関係者によれば、熊崎コミッショナーは東京五輪の指揮官について、こうも語ったという。 「国民的な支持のある大物OBでなければ…」
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スポーツ 2017年02月01日 16時00分
原辰徳・前巨人監督が東海大総監督に転身サプライズ情報
プロ野球経験者にとって最高の名誉とされる今年の「野球殿堂入り」メンバーが1月16日に発表され、前巨人監督の原辰徳氏(58)が落選した。その報を受け、球界に「原氏はプロ野球と決別し、東海大総監督に転身する」との怪情報が流れている。 今回、原氏がノミネートされたのはエキスパート表彰の部門。監督・コーチ、もしくは現役引退から21年が経過した選手が対象で、監督として輝かしいキャリアを持つ原氏は、当選確実とみられていた。しかし、受賞したのは、星野仙一楽天球団副会長と大洋のエースとして活躍した平松政次氏。プレーヤー表彰は伊東勤ロッテ監督だった。 「既に殿堂入りしている球界の有力OBと30年以上の取材キャリアを持つプロ野球記者による選考でしたが、球界の重鎮たちが原氏にノーを突きつけたのは、野球以外のところに理由があります。女性スキャンダルをもとに暴力団関係者に恐喝され、1億円を支払っていた事件がまだ尾を引いているのです。この結果の持つ意味は重く、GMや球団幹部としての巨人への復帰は言うに及ばず、東京五輪日本代表監督就任も難しくなりました。巨額のスポンサーマネーに支えられている五輪では、何よりクリーンさが求められるからです」(スポーツ紙デスク) 原氏には、東京五輪の代表監督に特別な思いがある。五輪のメーン球場は、相模原市出身の原氏と縁の深い横浜スタジアム。監督だった父・貢氏との父子鷹で東海大相模高、東海大時代、同スタジアムを何度も沸かせた。その貢氏は'14年5月に死去し、同大学野球部名誉総監督の称号が追贈されたが、原氏は父との思い出が詰まった球場で開かれる東京五輪で有終の美を飾ろうとしているのだ。 「このまま引き下がれない」 そんな思いが、原氏に大きな決断をさせたのだろう。プロ球界を離れることでアマ資格を獲得する、それが原家とゆかりが深く、自身の出身母校でもある東海大の総監督就任だ。 「東海大は12月22日、リーグ優勝15回の実績を持つ横井人輝監督を電撃解任すると発表、現社会人日本代表監督の安藤強氏が次期監督に内定しました。この人事には、山下泰裕副学長と昨年12月に東海大客員教授になった原氏が関わったと噂されているのです。山下氏の1年後輩にあたる原氏は今回の殿堂入りの落選も視野に入れ、新たな進路を模索していたのかもしれません」(スポーツ紙記者) 大学野球の監督に就いた球界OBは数多い。古葉竹識氏(広島)が東京国際大、江藤省三氏(巨人)が慶応大、高橋善正氏(巨人)が中央大の監督を務めている。中でも古葉氏は、カープで4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた名将だ。 「東京五輪を目指す原氏は“プロ野球ルート”を断念、神奈川と東海大を拠点にアマ球界との関わりを強め、侍ジャパンの指揮権を掌握する“コペルニクス的大転回”を図ると見られています」(同) 大物が降臨するアマ球界から目が離せない。
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スポーツ 2017年01月31日 19時19分
ガンを相手に戦う女子プロレスラー亜利弥' 賛否両論の中ラストゴング決行「絶対に自分の2本足でリングを降ります」
「私がいま闘っているのは、最強の相手。その名は、ガンです」。キャリア21年の現役女子プロレスラー・亜利弥'(ありや)が、ありのままを口にした――。 15年2月、乳ガンで「ステージIV」と宣告され、担当医からは「桜が散るまでもたない」といわれた。同年末には、頚椎、胸骨、背骨への骨転移も発覚。両肺への転移も見受けられた。 それでも、現役選手であることにこだわり、「プロレスラーとしての体作りができなくなるのは困る」という理由で、免疫力が下がる可能性がある抗がん剤治療を拒否。この間、定期検診、薬やサプリメントの服用、食事、緩和ケアなどの免疫療法を駆使。自己の治癒力を高めつつ、いまも身体の痛み、薬の副作用と闘っている。 そんな彼女が4月7日(金)、東京・新宿FACEで開催する自主興行で、ついにラストゴングを鳴らす。昨年1月には、デビュー20周年を祝した自主興行を開催して、タッグマッチながらも試合に出場。最後まで自分の足で立ち、リングを降りている。そのころから今も変わらずステージIVで、“末期”に相当。転移箇所は7か所に及ぶが、昨年から腫瘍マーカーの数値は下降。すでに、“余命宣告”は撤回されている。 それでも、ファイナルリングを迎えるにあたっては、賛否両論ある。「20年好き勝手にやってきたんだから、最後まで貫き通せという、賛成の声はあります。でも、お医者さまからは、“なぜそんな危険を冒すのか。リスクと自分の想いを天秤にかけるのか”と、否の意見をいわれました」。 医師としては当然、GOサインを出せない。大きな理由としては、頚椎への転移が見受けられるため、衝撃によって動き、呼吸中枢が停止すると、最悪の場合は即死・半身不随も考えられるからだ。さらに、肺への転移もあるため、過剰な呼吸にどれだけ耐えられるかという難題も抱える。 「そういうアクシデントも考えつつの試合ですが、起こさないのがプロ。対戦相手に遠慮されるのは恥ずかしいので、大丈夫といえる体作りをして、信頼してもらえるように練習します。絶対に自分の2本足でリングを降ります!」と、力強く約束する。「1日2時間まで」と決めて、すでに毎日ジム通い。温浴療法で身体を温めることを中心に歩行、ランニング、有酸素運動ができるまで、身体能力を高めている。 「自分なんか平々凡々なレスラーでした。でも、すべてのジャンルで挑戦する場を与えてくださった方、応援してくださったみなさんに、感謝の気持ちを伝えたい。“ステージIVなのにあんなにがんばっちゃって、バカだねぇ”なんて笑ってもらえたら、うれしい」 吉本興業(当時)が女子プロ界に初進出した96年4月、新団体「吉本女子プロレスJd'」(解散)でデビューした小山亜矢(本名)。その後、“デスマッチの盟主”大日本プロレス、神取忍率いるLLPW(現LLPW-X)などに属したいっぽうで、闘いの幅を総合格闘技、ボクシング、キックボクシングに拡充。マット界に大きく貢献した。 ガンという人生最大の難敵を相手に、苦渋の引退。しかし、愛情と心血を注いだリングに別れを告げる最後のときまで、“現役ファイター・亜利弥'”は健在だ。(伊藤雅奈子)
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スポーツ 2017年01月31日 16時00分
稀勢の里 19年振り日本人横綱誕生でも全員30歳代4横綱に「大丈夫か」の声
2016年の年間最多勝を勝ち取った大関稀勢の里(30)ではあったが、大相撲初場所は、まさに「棚からぼたもち」だった。2横綱1大関が対戦前に休場してしまい、さらに、豪栄道に至っては対戦当日の13日目の休場で、大きな不戦勝。これは、『稀勢の里さん、優勝してください』と言わんばかりの展開だった。涙の初優勝と同時に悲願だった横綱昇進も成し遂げ、記憶に残る場所となった。だが、追い風もこんなに強いと返って心配だ。 「この場所は、稀勢の里のためにあった場所と言っても過言ではありません。前半で日馬富士、鶴竜が、そして中盤以降、白鵬までがバタバタと負けたばかりか、申し合わせたように上位陣の休場と、ここまで条件が整って、優勝を逃していたらどんなヒドいことを言われるか、冷や冷やものでした」(担当記者) 横綱昇進も、この相次ぐ休場者とファンの熱い声援が強く後押しした。今の力士たちの年齢構成はひどく偏っており、横綱・大関陣は照ノ富士1人を除いて全員30歳代。その高齢力士たちに、一斉に衰えが見られるようになったのだ。 日馬富士、鶴竜ばかりか、これまで大相撲界の屋台骨を支えてきた白鵬も例外ではない。明らかに肌に張りがなくなり、ギラギラしていた気力も低下。7日目の荒鷲、14日目の貴ノ岩と1場所に二つも金星を配給するなど、これまでの白鵬には考えられないことだった。 とりわけ、力の限界を感じさせたのが、千秋楽の稀勢の里戦だ。長引かせては不利と見たのか、左を差して一気に土俵際まで寄って出たが、そこからガブり寄っても寄り切れず。最後は軽々と投げられてしまったのだ。 「まっすぐ行って勝敗は運命、宿命に任せた」 取組後、そう語った白鵬だが、こうも頼りない横綱・大関陣では早急に新しい後釜を作らざるを得ない。 「それに乗じたのが同じ二所ノ関一門の総帥、二所ノ関審判部長(元大関若島津)。琴奨菊の大関陥落が決まり、二所ノ関一門はもちろんのこと、大相撲界としても集客力のある目玉が欲しいところ。稀勢の里は2場所連続優勝という昇進条件は満たしていませんでしたが、これを逃したら2度とチャンスはないとばかり、千秋楽の白鵬戦の前にさっさと横綱昇進を取りまとめてしまいました。つまりは土俵の内外で、とてもラッキーだったと言えます」(協会関係者) とはいえ、新横綱も30代。これから、春場所、夏場所…と続くが、4人の高齢横綱たちに今年いっぱい「大丈夫か?」の声が聞こえてくる。
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ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
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大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
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珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
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生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
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スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
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スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
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スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
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スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
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スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
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岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
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野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
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豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
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宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
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元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分