スポーツ
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スポーツ 2016年12月09日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND30 〈王座獲得でエース襲名〉 栄光のベルトをめぐるドラマ
力道山からジャイアント馬場へと受け継がれた伝統のインターナショナル・ヘビー級王座。そのチャンピオンベルトを巻いて正統後継者となるべく、ジャンボ鶴田は王者ブルーザー・ブロディに挑み続けた。 チャンピオンベルトに強い思い入れを持つファンが多いのは、プロレスというジャンルの一つの特徴だ。ボクシングの場合、世界王座のベルトは王者それぞれが認定団体指定のものを新規に購入する形式なので、過去の王者の数だけベルトも存在している(王座交代があったときには、リング上で一時的に前王者のベルトを借りて勝ち名乗りを受け、その後に返却するのが通例)。 また、UFCなど総合格闘技では、タイトル戦ごとに新規ベルトを制作するのが一般的だ。それに比べてプロレスは歴代王者の持ち回りが基本で、ボクシングなどのように1人の王者に1本のベルトではなく、チャンピオンベルトに歴代王者の闘いの歴史が刻まれている。 「IWGPベルトといえば、まずアントニオ猪木を思い浮かべるファンもいるだろうし、別世代のファンは連続防衛の橋本真也や永田裕志に思いをはせるかもしれない。実際にはこれまで3度のデザイン変更がなされ、現在のベルトは4代目となるが、それでも闘いの歴史の連続性という点では他競技とは比較にならない」(スポーツ紙記者) プロレスのベルトは“コミッション認定”の体裁を取りながらも、実質的には各団体やプロモーターの占有物である。ありていに言えば興行を演出する小道具に過ぎないが、だからこそ団体ごとに独自の色合いが染み付いていて、そこがまたファンの思い入れを一層と深くしている。 今ではそれ自体が長い歴史を持つ全日本プロレスの三冠ヘビー級王座だが、これも統一される前はベルトそれぞれに特色があった。 PWFベルトといえばジャイアント馬場の代名詞。 全盛時には世界の強豪を相手に38連続防衛という、とてつもない記録を打ち立てながら、なぜかキラー・トーア・カマタごときに反則負けを喫した。これはビル・ロビンソンに王座を移譲するためだったが、やはり馬場でなくてはこのベルトは似合わない。 馬場が一線から退き、長州力や天龍源一郎がPWFベルトを巻くようになってから、すっかり色あせたように感じたファンも多いのではないか。 UNベルトは期待の若手の象徴。 日本プロレス時代には猪木や坂口征二、全日ではジャンボ鶴田や天龍源一郎というように、次代を担うべきホープが巻いてきた。 そして全日において最も高い価値とされてきたのが、インターナショナル・ヘビー級王座ベルトだ。 力道山がルー・テーズを破って獲得したベルトで、1965年に馬場が戴冠した際に巻いたのは4代目。以降、三冠王座に統一されてからも同じものが使われ続けた。'72年、馬場が日プロ退団に伴いインター王座を返上すると、大木金太郎が次の王者として、ベルトを腰に巻くことになる。 日プロ崩壊でコミッションがなくなった後も、大木は独自に猪木を韓国に招いて防衛戦をこなすなど大物相手に闘ってきたのだが、それでも馬場からすると、自身や力道山の過去の栄光と比べて物足りなく感じる部分があったのだろう。防衛戦が国際プロレスのリングで行われるようになると、大木にこれを返上させて、'81年には自団体で“復活トーナメント”を開催する。 復活後の“初代”王者としてベルトを巻いたのは、ドリー・ファンク・ジュニア。次の王者がブルーザー・ブロディ。いずれも馬場が認めるベビーフェースとヒールの本格派であり、さらにその防衛戦の相手も安易に選ぶことはしなかった。 「それだけ馬場にとっては、このベルトへの思い入れが深かったのでしょう。王者が外国人ということで、そもそも防衛戦自体の回数も少なく、これによって当時のファンもインター王座に対しては、PWFやUNに比べて重厚なイメージを抱くようになりました」(プロレスライター) 鶴田はブロディの持つこの王座に挑戦し、その高い壁にはね返されること4度(引き分けを含む)。5度目の挑戦となった'83年8月31日(蔵前国技館)は、奇しくもテリー・ファンクの引退試合と同日であった。 試合は場外から戻ろうとするブロディを、鶴田が後ろから引きずり下ろしてリングアウト勝ちを収める。3カウントやギブアップを奪う完全勝利ではなかったが、鶴田は何度も両手を突き上げて、リング上で感無量の表情を浮かべた。 「今日からお前がエースだ」 馬場は試合後、鶴田にそう伝えた。馬場でも外国人でもない全日トップの座は、この瞬間から伝統のインターベルトとともに鶴田へと受け継がれたのである。 なお、このベルトは'13年に新生・全日本プロレスが三冠ベルトを一新した際、馬場元子さんに寄贈されている。昭和の象徴がまた一つ表舞台から去っていった。
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スポーツ 2016年12月08日 16時00分
新番長・石川佳純が“新婚ボケ”福原愛に下す戦力外通告
“新婚ボケ”の福原愛(28)に、新番長・石川佳純(23)が引導を渡す。 「このままいけば、福原の出場はないと見て間違いない。本人も焦っていないというか、のんびりしたままですよ」(体協詰め記者) そんな福原が出場を見送るのは、来年1月の全日本選手権。同大会は'17年世界選手権の代表選考会も兼ね、出場辞退となれば自動的に世界選手権への出場権も失う。この件について、卓球女子日本代表の馬場美香監督は「例外は認めない」と明言している。 「2012年、ロンドン五輪後もそうでした。友人とディズニーランドや大阪を旅行した。今回は9月に結婚し、夫・江宏傑の生活拠点でもあるドイツで暮らしています。世界大会の会場はそのドイツなので、福原も出たいと思うのではないか、と見られていたんですが…」(関係者) 福原は公式戦から完全に遠ざかっているため、来年1月、世界ランクから消える。リオ五輪はそれでも間に合ったが、今回はそうはいかない。若手の台頭が目覚ましく、ランク上位に復帰するのは並大抵ではない。 「対照的に、下からの突き上げに危機感を持っているのが石川です。彼女もリオ後に1カ月ほど休みましたが、すぐにスウェーデンオープンに出場し、優勝している。影で相当、練習を積んでいるはずです」(前出・体協詰め記者) 馬場監督の「例外は認めない」とする強気の発言も、石川のエースとしての自覚を知ってのことだろう。さらにその石川は、福原に“牽制球”を放っていた。 「お正月特番のバラエティー番組収録で福原、伊藤美誠と再会した際、福原が結婚指輪を見せると、石川は悲鳴を上げて祝福していましたが、いかにも“どうぞお幸せに”と一線を引いている感じでした」(関係者) 伊藤を加えたこの3人は、リオ後に焼き肉を満喫している。“女子会”と言えば聞こえはいいが、1人が出し抜いて「幸せ」になってしまうことは、グループ内に亀裂を生みかねない。 新婚中の先輩を出し抜き、東京五輪の主役は新番長“かすみん”で決まりか。
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スポーツ 2016年12月08日 10時00分
稀勢の里 途中まで横綱相撲も終盤「やっぱりなあ〜」のため息土俵
日本人横綱への道は果てしなく遠い−−。 「もはや国技ではない」との辛辣な声も聞こえてくる。 九州場所(福岡国際センター)は11月27日、横綱鶴竜の優勝で幕を閉じた。だが、場所を大いに盛り上げ、大きな溜め息を誘ったのは、鶴竜でも、綱取りに挑んだ大関豪栄道でもなく、大関稀勢の里(30)だった。 先場所の稀勢の里は、3場所連続して挑んだ綱取りに失敗。同じ大関の豪栄道が初優勝を全勝で飾ったこともあって、支度部屋でこの世の不幸を1人で背負い込んだような顔をしていた。 「無理もありません。この結果、大関以上でただ1人、“優勝していない力士”という不名誉なレッテルを貼られてしまったんですから。愚痴の一つもボヤきたくなろうというものです」(担当記者) この失意のどん底から這い上がるには、基本的なことだが、稽古するしかない。事実、この秋巡業で、上位陣で最も稽古したのは稀勢の里だった。 「貴乃花巡業部長に、やりすぎるな、とブレーキをかけられる場面もあったほどでした」(同) この積もり積もったうっぷんを晴らすように、九州場所後半戦の稀勢の里の闘いぶりは、例えようのないほどすごかった。9日目の豪栄道を皮切りに、白鵬、鶴竜、日馬富士とどっちが横綱かと見紛うばかりの力強い相撲で、文字通り粉砕。優勝戦線に食い込み、九州場所を熱く盛り上げたのだ。 この“横綱3連破”は史上10人目で、過去の9人中7人が優勝している。勝ち方があまりにもすごかっただけに、ファンが逆転優勝、綱取り再挑戦を夢見たのも当然だった。 ところが、横綱3連破直後の13日目、平幕の栃ノ心に右四つに持ち込まれ、最後は右からの下手投げで思い切りたたきつけられて3敗目。これで逆転優勝も綱取りも、一瞬のうちにパー。館内には「またか」という声が充満した。 この裏切り行為に、さすがの稀勢の里も意気消沈。 「迷いはなかった。敗因は右四つになったことかって? そういうことじゃないですか」 支度部屋で呆然としていたが、八角理事長も「あれも稀勢の里、これも稀勢の里。負けられないという気持ちが強すぎたのだろう」と呆れ顔。 毎度おなじみのパターンと言ってしまえばそれまでだが、いつまでもこんなことを繰り返していては賞味期限が切れてしまう。 今の大関陣はいまひとつ信頼がおけない。角界に頭一つ抜きんでた日本人力士が出てこないものだろうか? 一発で横綱を決めてくれる猛者が…。
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スポーツ 2016年12月07日 16時00分
早実・清宮幸太郎が「巨人門前払い」3つの鬼門(2)
斎藤佑樹がドラフト候補だった'10年、巨人は早々に早大視察から退き、中央大学の澤村拓一に乗り換えた。この選択は正しかったが、斎藤の家族、関係者はもちろん、早大側には「冷たい」と見えたようだ。 「應武氏が巨人を快く思っていなかったとしても、それは早大には関係ないはず。同氏は社会人・新日鉄君津(当時)の監督だった時代に、巨人スカウトと衝突していますが…」(同) その衝突は'96年ドラフト会議前に起きた。巨人スカウトが、新日鉄君津の主砲だった松中信彦が指名リストに入っていることを伝えに行くと、應武氏は「清原(和博)をFAで獲るんだろ? 一塁守備で重複するから、松中はやれない」と、食って掛かった。松中の打撃はともかく、一塁以外の守備はプロでは厳しいとされていた。 清原の巨人入りは懸念通りになったが、「FAはドラフトの後。清原を獲る、獲らないは約束できない」と、巨人側は反論。和解できないまま應武氏も新日鉄君津を退き、早大監督に転じてしまった。同氏の巨人嫌いは、早大関係者も聞かされていたという。 「清宮は才能だけではなく、お客を呼べるスター候補。早大側も東京六大学リーグを盛り上げてほしいという思いも強いが、仮に本人がプロ志望だとしたら、『大きくはばたいてほしい』と願うはず。そんな親心もあって、巨人に預けて大丈夫なのか、と思うのでしょう」(アマチュア野球要人) プロ側は「清宮は進学しない」と読んでいる。父・克幸氏は選手、監督として早大ラグビー部を優勝に導いたカリスマだが、現在はラグビートップリーグ、ヤマハ発動機ジュビロの指揮官である。早大愛はあっても、「才能ある選手が進学で遠回りするリスク」を“プロの監督”として熟知している。巨人も「清宮はプロ入り」と見ているというが、高橋由伸監督と堤辰佳GMはライバル慶応大の出身だ。 「高橋監督は試合中、無表情なので学生たちからの好感度はイマイチ。また近年、早実は4番を打つ野村大樹を始め、関西からの越境入学者が増えています。阪神を見て野球を始めた者ばかり」(同) “元ドラ1”の存在もある。'07年1位で、3年目のオフに解雇した元巨人・村田透(31)が米マイナーリーグで揉まれ、7年ぶりにNPBに帰還する。日ハム入りした村田がローテーション入りすれば、「本当に育てる気があったのか?」と疑われてしまう。 早実のセンバツ出場が確実となり、清宮人気はさらに高まるはず。巨人も複数体制で視察するはずだが、「門前払いされる」なんてことにならないことを願う。
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スポーツ 2016年12月06日 16時00分
早実・清宮幸太郎が「巨人門前払い」3つの鬼門(1)
秋季キャンプを打ち上げ、シーズンオフに入ったプロ野球各球団だが、もう来シーズンに向けた戦いは始まっている。契約更改、戦力補強、それらにともなう背番号の変更により、来年度のドラフト会議にも大きな影響をもたらすのだ。 来年の目玉は、向こう10年、球界を背負って立つスター候補、早稲田実業・清宮幸太郎(17)だが、彼の口から「巨人だけはお断り」の言葉が出る可能性がある。 「巨人の昨年のドラ1投手が減俸での契約更改となりました。背番号まで降格となってね」(スポーツ紙記者) '15年のドラフト1位指名、桜井俊貴(23)は3月30日の横浜DeNA戦に一軍初登板。だが、5回途中までで自責点4、さらに右肘の怪我により降板し、以降はシーズンを二軍、三軍ですごした。初の契約更改の場では、“キツ〜イお説教”と大減俸をくらった。 推定1500万円から20%のダウン提示は自らの戒めとして受け入れたが、アマチュア指導者たちの眼にはそうは映らなかった。 「キャンプでのオーバーワークが怪我の原因なのに…。ドラフト1位に対し、巨人は1年も待てないのか!?」(学生指導者) しかも、桜井は準エースナンバーともいえる『背番号21』を剥奪された。新しくその背番号を背負うのは、日本ハムからトレード加入した吉川光夫である。 「桜井らが指名された'15年ドラフトですが、巨人の指名挨拶は謝罪から始まりました。賭博事件の影響です。指導者にすれば、大事な教え子を預けて大丈夫なのか、と不安だったはず。人気球団なのでチヤホヤされがちだし、同年の巨人スカウトは視察段階から苦労の連続でした」(球界関係者) '15年入団組は、大切に育てるべきという声が一般的だが、巨人の育成ビジョンに、不安の声も募り始めた。ここで思い出されるのが、早稲田大学と巨人の関係である。 「同大学グループと巨人の不仲説を唱える声も少なくない」(前出・記者) 仁志敏久、三沢興一、織田淳哉、越智大祐らの早大OBのほか、昨年も同大学から重信慎之介を指名している。本当に不仲なら重信の指名は考えられないが、斎藤佑樹が同大学に在籍していた頃、指揮官・應武篤良氏(当時)は巨人を露骨に非難する発言を繰り返していた。 「長嶋監督の時代、早大にも強い影響力を持つ人物がチームをサポートしていました。その人物と円満な別れ方ができなかったとも聞いています」(早大関係者)
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スポーツ 2016年12月05日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND29 〈最初で最後の直接対決〉 猪木が見せた前田への気遣い
新日本プロレス対UWFの闘いにおける世代交代の中で、ファンから待ち望まれながら最後まで実現しなかった、アントニオ猪木と前田日明のシングルマッチ。唯一、両者の直接対決は、前田が海外武者修業から凱旋した若手時代にさかのぼる。その試合で猪木は、意外な一面を見せていた。 かつてジャイアント馬場は「あいつは対戦相手を使い物にならなくするから困る」と、アントニオ猪木に苦言を呈していたという。 「馬場にしてみれば、全日のトップ外国人だったアブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜き、短期間で使い潰した新日への不満が相当あったのでしょう」(スポーツ紙記者) とはいえ“育成の猪木”としての一面も見逃すことはできない。 見栄えのするフィニッシュホールドのなかったタイガー・ジェット・シンに、ブレーンバスターを伝授したのみならず、実際の試合の中で猪木自ら練習台になったのがその一例。ほかにもスタン・ハンセンやハルク・ホーガンなど、粗削りな無名選手をメインイベンターにまで育てており、一概に馬場の言葉が正しいとは言い切れない。 「その一方で、手の合わない相手や不要な選手については、あきれるほどに冷淡な扱いをすることがあったのも事実です」(同) 国際プロレスなどで活躍したオックス・ベーカーは、同団体では怪奇派のトップヒールとして君臨していた。しかし、新日に参戦すると、猪木は初のシングル対決において、延髄斬りからのレッグドロップで3カウントを奪うまで、わずか3分足らずで試合を終わらせ、ベーカーに一切の見せ場を与えなかった。 この試合はテレビ生中継で、前の試合が押して残り時間がわずかとなってしまい、その枠内に収めるための処置とされる。とはいえ、その当時は試合途中での中継終了という流れもよくあり、無理に時間内で決着をつける必要もなかった。実績のあるベーカーに対して、この扱いは、さすがに“ひどい”と言われても仕方あるまい。 身内である所属選手に対しても、こうした猪木の差別的な扱いは見られた。 「長州力にはシングル対決でピンフォール負けを喫した猪木ですが、藤波辰爾にはタッグでのフォール負けはあるものの、シングル戦ではフルタイム引き分けまで。両者ともに後継候補と見られていたものの、猪木の中では明確な格付けがあったことがうかがえます」(プロレスライター) では、やはり猪木の後継者と目されていた前田日明についてはどうだったか。UWF軍として新日に参戦してからは、猪木vs前田のシングル対決が待ち望まれながらも、結局、実現には至っていない。 「これは、のちの猪木の引退試合で、小川直也との対決が実現しなかったことと似た意味があると考えられます。ラストマッチで有終の美を飾るためには、いかにファンの期待が大きいとはいえ小川とやるわけにはいかなかった」(同) つまり、“引退する自分が、将来、有望な小川に土をつけるわけにいかない”との猪木の親心により、両者の対戦が組まれなかったというわけだ。 前田に対しても同様だった。あの当時、まだ興行での集客やテレビの視聴率を考えれば、猪木がトップを張っていかねばならなかった。よって前田とやるなら猪木が勝つしかないのだが、そうすれば前田の経歴に傷をつけることになる…。 「以前から『猪木が前田を恐れて対戦を避けた』との声もありましたが、今になって振り返ればそれは違うように思います。前田はあのいわくつきのアンドレ戦でも、攻め込む前に『やっちゃっていいんですか?』と、リングサイドにうかがいを立てているし、試合中のアクシデントで藤波が大流血に至ったシングル戦でも、あえて両者KOで早めに試合を終えている。また、猪木への挑戦者決定戦でも藤原喜明に勝利を譲ったように、むしろアングルに忠実な選手であり、それが猪木戦だけ豹変するとは考えづらい」(同) 唯一、行われた猪木vs前田のシングル戦を見れば、猪木がいかに前田を大切に扱っていたかということがうかがえる。 1983年5月27日、高松市民会館で行われたIWGP決勝リーグ戦。日本勢では長州も藤波も、団体ナンバー2の坂口征二もエントリーされなかったリーグ戦に、前田は特例的な“欧州代表”なる枠で大抜擢された。 シングルマッチの連戦は選手にとって肉体的なダメージが大きく、絶対的エースの猪木としては、若手の前田が相手の地方大会での一戦となれば、軽く流して終わらせたいところ。だが、この試合で猪木は、当時の前田が武器とした“七色のスープレックス”からニールキックまで、得意技のすべてを受けきってみせた。 「猪木がジャーマンやドラゴンスープレックスを受けること自体が、めったに見られることではない。そのことだけでも、いかに前田の能力を買っていたかが分かります」(同) フィニッシュも立ち上がり際の延髄斬りという、いわば一瞬の返し技であり、そこにも前田になるべく傷を付けないように、という配慮がうかがえる。 相手を潰すばかりではない“指導者”としての猪木の一面がうかがえる、これも一種の名勝負と言えよう。
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スポーツ 2016年12月04日 12時00分
新たなスター誕生か? 新日本プロレスの“TIME BOMB”高橋ヒロムが1・4ドームに凱旋帰国
今年の「G1クライマックス26」最終戦、8・14両国大会の休憩が明けると、スクリーンに「TIME BOMB」なる映像が流れ、映し出されたカウントダウンの数字を計算すると、時限爆弾は11・5大阪大会に仕掛けられていることがわかった。大会毎に流されていくカウントダウン映像に、ファンは一体何が起こるのか気分を高まらせていたに違いない。 そして迎えた11・5大阪大会。IWGPジュニアヘビー級選手権試合で、BUSHIからKUSHIDAが王座を奪還すると、場内が暗転。最後のカウントダウン映像が流れ「0」と同時に爆音が響き、入場ゲートに無期限の海外遠征中だった高橋ヒロム(以後ヒロム)が現れた。この映像には何バージョンかあったが、大阪の街をバックにヒロムの遠征先だった、イギリスやアメリカ、そして日本の国旗がフラッシュするなど、いくつかのヒントが隠されていたと思われる。 大ヒロムコールの中、リングに上がったヒロムはマイクを持ち、「KUSHIDA、おまえに用はねえ。俺はこのベルトに用があるんだ。東京ドームでこのベルトに挑戦させてもらう。おまえはかわいそうな男だよ。ドームでおまえは終わりだ!」と叫ぶとベルトを舐め回すように見てからリングを後にした。刺激のある挑戦者の出現に、王者のKUSHIDAも断る理由がない。来年1・4東京ドーム大会での対戦が決定した。コメントブースに現れたヒロムは、「さあ、東京ドームに集まる5万人の皆さん、最高のもの、見せてやるよ。俺のIWGP初戴冠。そして! KUSHIDA! おまえの終わりの日だ!時限、TIME BOMB!」とまくし立てた。 ヒロムは、2010年8月24日に本名の高橋広夢でデビュー。身体能力の高さから将来のスター候補生として期待されており、ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.(BOSJ)に2年連続で出場するなど、ヤングライオン時代から注目されていた。2013年6月から無期限の海外遠征へ出発。イギリスからメキシコに渡ると、CMLLではマスクマンのカマイタチ(後に覆面剥ぎマッチで敗れ素顔になる)として活躍。今年1月23日の後楽園ホール大会に乱入しドラゴン・リーを急襲すると、リーが保持するCMLL世界スーパーライト級王座に挑戦表明。翌24日の後楽園大会でリーへの挑戦が急遽決定すると、ファンが大熱狂するほどの激戦を制し、王座を奪取。一気に帰国への期待値が高まったが、本人は「IWGPヘビー級王者に負けないIWGPジュニア王者になる」ことを掲げて、再び海外遠征を続けた。4月頃からはメキシコからアメリカに闘いの場を移し、新日本と提携しているROHを中心に活動し、ヘビー級の選手とも数多く対戦した。ジュニアヘビー級の祭典である、BOSJやスーパーJカップでも凱旋帰国を果たすことなく、ヒロムはヘビー級王者にも勝てるジュニア戦士になるための最終調整を、アメリカマットで仕上げたのかもしれない。 1・4ドームという大舞台での凱旋帰国。しかも新日本は時限爆弾“TIME BOMB”として、この夏からずっと煽り続けてきた。“レインメーカー”オカダ・カズチカも1・4ドームで凱旋試合を行っているが、“レインメーカー”として認知されたのは、棚橋弘至からIWGPヘビー級王座を奪取してからである。これはヒロムに対する期待の表れであり、1月の試合で強烈なインパクトを残したことで、ファンの支持を得ているのも大きい。苦労して新日ジュニアのトップに上り詰めたKUSHIDAの壁は簡単に崩せるはずもないが、もし1回で崩すようなことがあれば、KUSHIDAが築いてきたものを全て消してしまうかもしれない。この時限爆弾はそれくらいの破壊力がある。 来年の1・4ドームは、ひさびさに新たなるスター誕生の可能性を秘めた大会となった。 (どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times Vol.46】
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スポーツ 2016年12月03日 18時00分
セ・リーグMVPと流行語大賞「広島カープがリアル盟主になる」
今季の流行語大賞に「神ってる」が選ばれた。セ・リーグMVPにも新井貴浩が選出されており、広島東洋カープの快進撃を象徴するような一年だったことが改めて証明された。その広島が今度は“球界のリアル盟主”になるかもしれない。 新井には労組・プロ野球選手会会長への復帰待望論もあるという。 「性格はマジメ。マジメで大成したプロ野球選手はいないなんて皮肉もあるが、新井は違う。ひとつの課題を与えられたら、トコトンまでやるタイプで、選手会関係で会見を開くときはなるべくカンペ(カンニングペーパー)を見ないようにと、何度も読み直したり…。選手会の事務方も彼の実直さに一目置いています」(球界関係者) NPBは選手会の出方についてちょっと警戒している部分もある。来年3月の第4回WBCだが、前大会で選手会と「出る、出ない」でモメている。メジャーリーグ機構と米選手会の利益になっている運営実態に噛み付いた。主張している内容は正しいことはNPBも分かっていた。「大会前に水を差すようなことを言って…」というのが経営陣のホンネであり、今回は過密日程で衝突する危険性も秘めている。来季開幕戦はセパともに3月31日、WBCを決勝戦まで戦えば、同22日のそれから10日も経たないうちにペナントレース突入ということになる。先発タイプの投手は開幕カードから外され、救援投手のオーバーワークは必至だ。 「16年シーズン途中、選手会から来季の開幕日程を見直してほしいとの要望は出ていましたが、話し合いの途中でNPB側が一方的に発表してしまった」(ベテラン記者) この件で衝突することになれば、選手会との窓口を務めるNPB役員は、選手関係委員会委員長・鈴木清明氏だ。鈴木氏は広島の球団本部長でもある。 「NPBは第4回大会後、侍ジャパンの次期監督人事について検討します。前巨人監督の原辰徳氏が有力視されていますが、小久保裕紀監督の続投だってゼロではない。NPB内には野村謙二郎氏を推す声もあるんです」(前出・関係者) 前広島監督・野村氏は北京五輪の野球競技の解説者を務め、広島指揮官として、エルドレッドなどの外国人選手と英語でコミュニケーションをはかってきた。「米球界の事情にも精通している」と評価されているそうだ。 選手会、NPB側の交渉窓口、そして代表チームの監督が広島で固まれば、カープはリアル盟主ということになる。もっとも、選手会のほうだが、12月8日に総会が開かれるが、「現実的には嶋基宏会長の続投だろう」と予想する声のほうが多い(12月3日時点)。とはいえ、MVP獲得で元会長・新井の発言力が強まるのは確実だ。 広島カープは選手育成には定評があるが、戦力としてだけではなく、優れた「人材」も育ててきた。「神ってる」は神憑り的な活躍を表す造語だが、広島球団からすれば、その活躍は偶然ではなく、根拠のあるものと捉えているのではないだろうか。外部補強に頼らず、大切に育んできた新芽は逆境や重圧に負けない、と。
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スポーツ 2016年12月02日 17時00分
4年連続ダウン提示 斎藤佑樹の契約更改に秘められたシグナル
斎藤佑樹(28)が契約交渉を行い、300万円ダウンの2000万円(推定)で更改した。会見場に表れた斎藤の表情には覇気がなかった。今季は二軍スタート、3季ぶりに勝ち星ナシ。チームが優勝、日本一になっただけにショックは相当なはずである。 「悔しい気持ちです。先発で勝つことが出来なくて、その時から悔しい思いをしていました」 「今シーズンを振り返って」の質問にそう答えている。「クビにならないだけマシ」「2000万円はもらいすぎ」、そんな厳しい声も聞かれたが、この4年連続となるダウン提示には“球界の隠語”が秘められていたようだ。 「日本ハム球団には『慣例』があるんです。トレード放出する選手にダウン提示をし、相手球団が獲得しやすくするという…」(プロ野球解説者) その典型例とされるのが、2002年に下柳剛を阪神に放出したトレードだという。 当時の日本ハムフロントは同年不振に終わった下柳に「75パーセントダウン」を提示。受け入れられないとする下柳に対し、追い打ちを掛けるように「阪神からのトレード打診」を告げた。ダウン提示した金額なら、阪神側はこのトレードをまとめたいと…。 トレードは年俸が釣り合った選手同士でまとめられるケースが多い。日本ハムの看板選手、主力選手、功労者がダウン提示を受け、そこに「大幅」「何年連続」といったマクラが付いた場合、他11球団は「トレードに出してもいい」のシグナルが送られたと解釈しているそうだ。また近年、日本ハムから放出された選手は、そのほとんどが前年の契約更改でダウン提示を受けている。 スーパーの生鮮食品売り場が閉店時間ギリギリに値引きシールを貼るのと似ているが…。 斎藤はプロ2年目の契約更改で500万円増額の3500万円を勝ち取ったが、その後はズルズルと落ち、前年は2300万円だった。復活に疑問視が付けられて久しいが、「2000万円まで値引きされた」のなら、トレードを検討する球団も現れるのではないだろうか。 「ひと足先にまとまった巨人との複数トレードですが、巨人側は交換リストに斎藤の名前があると期待していたとの情報も聞かれます。実際に巨人は先発要員が少ないし、阪神も先発投手の補強は今のところドラフトだけです」(前出・同) 斎藤は会見でこうも語っていた。「与えられた場所で精一杯やるだけです」と。先発投手としての再起を目指していたが、これからは中継ぎでもなんでもやってチームに貢献していきたいと言ったのだが、水面下でのトレード打診を聞かされていたとすれば、その意味合いは違ってくる。FAでローテーション投手を喪失したDeNA、埼玉西武の出方も気になる。 日本ハムは「4番中田と二刀流・大谷」のチームとなり、3年目で新人王を獲得した高梨裕稔も先発ローテーションに定着した。救援陣の頭数も揃っている。斎藤にとっては気の休まらないオフになりそうだ。(一部敬称略)
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スポーツ 2016年12月02日 16時00分
浅田真央 平昌五輪「落選」の可能性が高まり崖っぷち
最悪の結末も見えてきた。先頃、女子フィギュアスケート・グランプリシリーズ(GPS)フランス大会が行われ、浅田真央(26)が自己ワーストの9位に沈んだ。今シーズンの成績では、あと1年3カ月後に迫った'18年平昌五輪出場権に直結する。“代表漏れ”という最悪の結末が関係者の脳裏をよぎった。 「演技後、浅田は『滑りもジャンプもすべてがしっくりはまっていない感じがした』と語るのが精一杯でした。フリーの演技で3回転ジャンプをことごとく失敗しましたからね」(体協詰め記者) 今シーズン、浅田はまだ表彰台に上がっていない。10月に行われたGPSアメリカ大会でも、代名詞である3回転半ジャンプを封印し、無難に演技をまとめてきた。フランス大会で3回転半ジャンプを披露するために調整してきただけに、そのショックは相当なものだ。 「GPSファイナルに出場できるのは、シーズンの上位成績者だけ。結果、浅田は出られません。また来年3月の世界選手権に出場するには、12月の全日本選手権で最低3位に食い込まなければならない」(同) 世界選手権出場を逃せば、平昌五輪も絶望的となる。もっとも“裏口出場”の方法はある。同選手権の選考基準だが、全日本1位は自動的に出場。2〜3位の選手と、GPSファイナル出場の日本人選手の上位2人から2枠を選ぶことになっている。今季は15歳以下のジュニア選手が活躍しているが、年齢的に出場できない女子選手も多い。そこで、浅田の名前が再浮上してくるというのだ。 「全日本ジュニア選手権の大会期間中、スケート連盟の役員が緊急会合を開き、15歳以下の世界選手権出場を認めるかどうか話し合われたそうです」(関係者) 裏を返せば、「ジュニア選手を世界選手権に送り出そう」と思っているのだろう。スケート連盟も浅田抜きで平昌大会を戦う下地作りに入ったということか…。 来月の全日本選手権で優勝すれば、五輪出場の可能性は残る。だが、優勝できないと…。“引退”!?
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スポーツ
三沢に負のスパイラル
2007年03月07日 15時00分
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スポーツ
新日本プチシルマ争奪戦勃発
2007年03月07日 15時00分
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スポーツ
大日本 関本が破天荒トレ
2007年03月07日 15時00分
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スポーツ
K-1 シュルト初防衛戦に サップ浮上
2007年03月05日 15時00分
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スポーツ
K-1新遺恨 魔裟斗vsTBS
2007年02月27日 15時00分
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スポーツ
棚橋時代到来
2007年02月19日 15時00分
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スポーツ
アングル 永田 新日制圧へ IWGPヘビー級タッグ王者中西、大森組への挑戦急浮上
2007年02月19日 15時00分
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スポーツ
ポスト魔裟斗ヘ アンディ・オロゴン 帰化計画
2007年02月06日 15時00分
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輪島氏 自爆テロ
2007年01月24日 15時00分
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スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
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大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
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珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
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生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
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猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
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1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
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復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
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来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
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大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分