スポーツ
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スポーツ 2018年12月31日 16時15分
さらば2014年!時代の節目を迎えた2018年のオリックス・バファローズ
オリックスは2015年シーズンから優勝はおろかクライマックスシリーズへの進出も果たしていない。2014年に僅差で2位に終わって、球団は中島宏之、小谷野栄一、トニ・ブランコ、ブライアン・バリントンを補強し、最後にFA権を行使していたエース金子千尋が大型契約で残留するなど、球団創設以来最高の補強を断行。野球評論家は軒並みオリックスを優勝候補の筆頭に挙げていた。 しかし、2015年シーズンは交流戦の広島3連戦(5月末、京セラドーム)で3連敗すると、遠征先・東京に移動した翌朝に森脇浩司監督が会見を開くとのリリースが送られてきた。巨人戦の練習前、都内のホテルで森脇監督の口から「私が退くことでチームがクライマックスシリーズ争いに加わることができたら」と、成績不振の責任を取って休養することを発表。福良淳一ヘッドコーチが監督代行に就任した。 森脇監督は2014年に優勝争いした手腕が評価され、2年契約を結んだばかり。衝撃の休養劇だった。補強した戦力が怪我や不調で機能しない中、福良監督代行はヘッドコーチとして若手選手とコミュニケーションを図ってきた。福良代行の奮闘や西武の不調もあって一時は2位を狙える位置まで追い上げたが、結果は5位に。シーズン終盤、福良監督代行が2016年シーズンから監督に昇格すると発表され、メジャー経験もあるOB・田口壮氏が二軍監督に就任した。 2016年は前年の一軍に続いて二軍もキャンプ地を宮古島から、宮崎市の清武に移動。一軍と二軍が同じ場所で春季キャンプを行うことになった。清武SOKKENスタジアムを中心としたキャンプ地一帯は「バファローズタウン」と命名され、来場するファンも激増した。怪我人も戻り「今年こそ」と臨んだ2016年シーズンだったが、この年も怪我人と打線の不調に悩まされ、なんと最下位に転落してしまう。2017年は、ジェットコースターのような連勝と連敗の連続。中島や小谷野や新外国人ロメロ、マレーロが活躍したものの、3位も5位も遠い4位というもどかしい成績に。守護神だった平野佳寿はメジャーへと移籍した。 そして迎えた今シーズンは、計算していた先発投手陣がなかなか勝てなかった。前半戦はルーキーの田嶋大樹と、新外国人左腕アルバースがチームを引っ張った。また、プロ入りから2シーズンは腰痛でフル出場できなかった吉田正尚が、不調のロメロに代わって4番を任されるなど活躍。交流戦ではパ・リーグ勝率1位の成績を残した。夏まではクライマックスシリーズを狙える位置にいたものの、またもや大型連敗を喫してしまいソフトバンク、日本ハムに突き放されてしまう。最後のチャンスだった9月決戦にも敗れ、2年連続の4位に。福良監督は球団からの慰留を固辞。責任を取って監督から退き、来シーズンは育成統括GMとしてチームを支えていく。 今シーズン限りで小谷野栄一は引退。契約が満了し大幅な減俸提示を受けた中島宏之とエース金子千尋は自由契約を選択し退団。次のエースと期待されていた西勇輝もFA権を行使。結果、中島は巨人に、金子は日本ハムに、西は阪神にそれぞれ移籍した。チームの長年の顔だった金子、精神的な支柱だった中島、若い選手たちのリーダー格だった西に加えて、シーズン中には正捕手だった伊藤光をトレードでDeNAに放出した。T-岡田と安達了一、岸田護は残っているが、オリックス・バファローズは2018年になって一つの節目を迎えたと言ってもいいだろう。 宮内義彦オーナーは「おそらく私が一番優勝から遠ざかっているオーナーだと思います」と自虐。「確かに記憶の中では優勝したこともあるんですけど、思い起こせば前世紀の話でしてね。そんなことを言ってたらいけないんで。新しい歴史を作らなきゃいけない。私もそんなに若くありませんから」としみじみ話す。「3年先、5年先という話はあまりしたくない。強いチームを本当に作って、優勝争いするシーズンをぜひ作りたいなと思っています」と話していた。 オリックスを日本一に導いた故・仰木彬氏は晩年、福良前監督ら教え子たちに対して「宮内さんにいい思いをさせなきゃダメだぞ」と話していたという。福良前監督と同じくヘッドコーチから昇格した西村徳文新監督は、“下克上”でロッテを日本一に導いた経験を持つ。宮内オーナーは「現役時代はやられたイメージがある」と笑顔で西村新監督に期待を寄せていた。 最後まで優勝争いを繰り広げた2014年に掲げた「さらに、ひとつになろう。」の時代は2018年で役目を終えた。来シーズンからはロゴも「Bs」から「B」に変わり、新時代に突入、チームも若返る。少し時間はかかるかもしれないが、12球団ナンバーワンの可能性を秘めた球団であることは間違いない。大きな期待を胸に年を越したいと思う。さらば2014年!2019年からの新時代で、“叶うべき夢の先”が見られることを信じたい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年12月31日 15時00分
「12球団ワースト」に転落?西武にFA退団者が尽きない理由は…
渡辺久信シニアディレクター(以下=SD)は、寝業師・根本陸夫氏になれるのか…。 「おかわり君」こと、中村剛也(35)が契約交渉に臨み、現状維持の年俸2億8000万円でサインした(金額は推定/12月4日)。前半戦で苦しんだが、本塁打28、打点74。チームの精神的支柱でもある和製大砲への評価について、見方が別れる。前半戦の不振を理由に「現状維持は御の字」とする向きもあれば、「28本塁打は立派。優勝したのだから微増でも昇給させるべき」と批判的な声も聞かれた。 この賛否両論な中村の契約更改と前後して、菊池雄星のポスティングシステムが正式な手続きに入ったことも発表された。菊池、浅村、炭谷、そして、松井稼頭央の引退。高額年俸の主力選手が同時期にチームを去ることになった。これに“シビアな査定”も重なって、埼玉西武ライオンズは優勝チームでありながら、「チーム総年俸額」で12球団ワーストに転落する可能性も出てきたのだ。 「一般的に優勝した年は査定も甘くなります。チーム功労者に対してはなおのこと」(プロ野球解説者) だが、Vチーム・西武はバラ色のオフとはいかないようだ。浅村、炭谷のFA退団でお祝いムードも吹っ飛んでしまった。しかも、この2人が退団したことで、西武はFA史上、退団選手数トップのワースト記録を更新。94年の制度導入以降、のべ18人が新天地を求めて行った。 ベテランが復活すれば、西武も主力流出の痛手を補えるだろう。 それにしても、なぜ、主力選手は西武を去ってしまうのか。元西武選手によれば、「お互いに欠点を指摘し合い、結果で勝負しようという雰囲気。ライバルの揚げ足取りはしないし、チームの風通しも良い」とのこと。しかし、トップレベルのレギュラー陣は違う印象も抱いているようだ。「年俸査定が厳しいというか…。3年続けて活躍しないと一人前として評価してくれない」(球界関係者) 源田、外崎などはまだレギュラーに定着して3年が経過していない。12月上旬時点で、彼らの昇給幅は小さいと見られていた。高額年俸の菊池たちは新天地を求めたので、西武の総年俸が激減すると予想された根拠はここにある。 「3年務めて一人前」の方針は当たり前かもしれないが、プロの世界では「誠意、評価」とはカネである。契約更改においての衝突もあるのだろう。 「80年代の黄金期の西武には故・根本氏もいて、チーム全体に睨みが利いていて、一方で選手の私生活でのミスまでケアしてくれたそうです」(前出・球界関係者) 根本氏には寝業師の異名もあった。水面下で懸案事項を全て解決し、ドラフトでも意中の選手を囲い込んでいたからだ。また、選手の面倒見も良く、当時を知る選手たちからも慕われていた。 渡辺SDはスカウト方面で敏腕ぶりを発揮している。浅村、炭谷の説得にもあたっていた。根本氏の後任的立場にあるわけだが、その方面ではまだ成果は上げていない。FA退団者を増やさないためにも、渡辺SDに頑張ってもらうしかないようだ。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2018年12月30日 17時40分
「これが立ち技最強のシュートボクシングです!」“若きエース”海人の止まらぬ勢い
今年の終盤、両国国技館という大舞台で、わずか2カ月の間に4試合を行い4KO勝利を収めたイケメン格闘家が注目されている。その男は“シュートボクシングの若きエース”海人(かいと/TEAM F.O.D)である。 海人は11月18日に2年に一度のシュートボクシング(以下SB)の祭典『SHOOT BOXING S-cup 65kg 世界 TOURNAMENT 2018』(両国国技館)で世界の強豪が集まったS-cup‐65kg世界トーナメントに出場。1回戦(対チョ・ギョンジェ)、準決勝(対健太)、決勝戦(対UMA)の3試合でKO勝利し完全優勝を果たすと、今月9日にはキックボクシングイベントKNOCK OUTに初登場。激闘型ファイターである“KNOCK OUTの番人”水落洋祐の勢い、粘りに対応し、3RにTKO勝ちを収めた。 大阪を練習拠点としている海人だが、シュートボクシングへの愛と誇りは強い。今年は7大会に出場し、10試合を行った。これは格闘技の世界としては試合数が多い。RIZIN初出場となった7.29『RIZIN.11』さいたまスーパーアリーナ大会から、8.12『RIZIN.12』愛知県体育館大会までは、2週間しかなかったが、しっかりと連勝。「シュートボクシングここにあり」をエースとして証明している。 KNOCK OUTで対戦した水落は「うまかったです。でも必ずリベンジします」と完敗を認めた。“Mr.KNOCK OUT”こと前KING OF KNOCK OUTライト級王者の森井洋介もこの試合を見ていたいい「海人選手は肘を当てるテクニックがすごい。しっかりと戦略を練らないと肘ありのルールでは勝てない」と解説していた。 KNOCK OUTは昨年ライト級、今年はスーパーライト級のトーナメントを開催しており、海人と同じ、もしくはそれに近い階級の選手が数多く参戦している。現スーパーライト級王者の不可思には、今年4月にSBのリングでTKO勝ちを記録している。普段は負けても「同じ相手とはやりたいと思わない」と話す不可思だが、もう一度やりたい相手として海人の名前を挙げている。この1年の活躍で、海人を取り巻く包囲網ができつつあるのは確かなようだ。 KNOCK OUTの小野寺力プロデューサーも「これから海人クンがどんな相手と、どういう試合をしてくれるのか楽しみ」と期待を寄せている。ただ、海人本人はその前に「まだ倒さなアカン選手がいる」という。その選手とは昨年敗れたザカリア・ゾウガリーと、今年唯一の黒星を与えたチャムアトーン・ファイタームエタイである。特にチャムアトーン戦は「今年は全勝すると思ってたので悔しい」という。「来年は2人にリベンジして、世界のトップに立ちたい。他の選手のことはその後に(頭の中に)出てくるんじゃないですかね」。今年最後の試合を終えた海人は安堵の表情を浮かべながら、早くも来年の目標を掲げていた。 「これが立ち技最強のシュートボクシングです!」 21歳の若さエースは来年も歩みを止めることなく、こう叫び続けるはず。急成長を遂げた2018年の海人には、来年さらに進化した姿を見せてもらいたい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年12月30日 17時30分
あの“神の子”が3冠?プロ野球投手6部門の“平成”記録
平成のプロ野球において、トップの数字を記録したタイトルホルダーは一体誰なのか。本稿では防御率、勝利数、勝率、セーブ、ホールドポイント、奪三振の6部門を対象に、平成記録を打ち立てた選手たちを以下に見ていきたい。■防御率:田中将大(楽天/1.272/2011年) 現在はメジャーリーグでも活躍する右腕が、マークしたこの記録。2位の自身の記録(1.274/2013年)、3位の前田健太(広島/1.53/2012年)を上回り、平成最高記録となっている。■勝利数:田中将大(楽天/24勝/2013年) 江夏豊(阪神/1973年)以来、40年ぶりに24勝をマークしたこの年の田中。当時と違い、投手分業制が浸透した現代のプロ野球では、ある意味限界点の数字であるといえるのかもしれない。■勝率:田中将大(楽天/1.000/2013年) 前述の通り24勝をマークしながら、レギュラーシーズンではただの一度も負け投手にはならなかった田中。なお、田中の他に勝率10割を記録したのは、景浦将(タイガース/1936年秋)、御園生崇男(タイガース/1937年秋)、間柴茂有(日本ハム/1981年)の3名のみである。■セーブ:デニス・サファテ(ソフトバンク/54セーブ/2017年) 昨年に樹立されたばかりということで、打撃部門を含め最も記憶に新しいと思われるこの記録。同年のチームはリーグ優勝及びに日本一を達成したが、獅子奮迅の働きを見せたクローザーの存在も大きかったことだろう。■ホールドポイント:浅尾拓也(中日/59ホールドポイント/2010年) 今季限りで現役を引退した浅尾が、8年前に残したこの大記録。ちなみに、同年の浅尾はホールドポイントだけでなく、ホールド(47ホールド)でも平成記録、プロ野球記録を樹立してもいる。■奪三振:野茂英雄(近鉄/287個/1990年・1991年) 「トルネード投法」で名を馳せた右腕が、2年連続で記録したこの数字。なお、野茂はこの2年を含め奪三振のタイトルを4年連続(1990年〜1993年)で獲得しているが、1995年から参戦したメジャーでも1995年(ドジャース/236個)、2001年(レッドソックス/220個)にタイトルを獲得している。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年12月30日 17時00分
非業の死を遂げた名力士 最終回「板井(小結)」
死ぬときは誰でも独りぼっち。とはいえ、多くの人が家族や友人知人に見守られながら逝くが、本当に周りには誰もいない孤独の中で、ひっそりと亡くなった力士もいる。昭和50年代後半から平成の始めにかけ、激しい突き押し相撲で活躍した板井(本名・板井圭介、大鳴戸部屋)のことだ。板井は現役引退後、横綱千代の富士の八百長を告発して注目を浴びた力士でもある。 板井は、昭和31年3月21日、大分県臼杵市で生まれている。中学までは野球少年だったが、大分県立水産高校に入学後、173センチ、80キロの体を見込まれて相撲部に入り、メキメキと頭角を現した。力士には様々なタイプがあり、多彩なワザを駆使する相撲巧者も多いが、板井が徹底的に叩き込まれたのは突き、押し。それに、それを利したはたきの3つだけだった。 しかし、板井はたったこれだけで高校3年時に国体で3位入賞、黒崎窯業に就職後はやはり国体青年の部で優勝。大相撲入りすると幕内を54場所も務め、小結までのぼり詰めたのだから、脇目も振らずに一つのことを追求することがいかに大事か、よく分かる。 高校卒業時も相撲部屋や大学相撲部から声がかかったが、就職して4年目の昭和53年秋場所、大鳴戸部屋に入門。22歳だった。 幕下に付け出されてもおかしくない実績を残していたが、板井のスタートは一番下の前相撲。だが、そこから目覚ましい記録を作る。序ノ口、序二段、三段目と3場所連続して全勝優勝。4場所目の幕下の6番相撲で元小結大錦に敗れるまで、なんと26連勝したのだ。 これは当時のデビューからの最多連勝記録だった。デビュー1年後の昭和54年秋場所で早くも十両に昇進。これもまた、スピード昇進の新記録だった。 この十両昇進を機に、四股名を本名の「板井」から師匠の大鳴戸親方(元関脇高鐵山)が名乗っていた「高鐵山」に改めた。しかし、けがなどで低迷したため、1年半後に再び「板井」に戻している。 その1年後の昭和55年秋場所、24歳で入幕を果たしたが、間もなく左ひざのけがなどで幕下45枚目まで降下した。スピード昇進の反動が出たのだ。この試練は2年あまり続いたが、昭和58年春場所、4度目となる入幕を果たすとようやく成績も安定し、前頭上位で活躍するようになる。 板井のヒールぶりを強く印象付けたのは、横綱大乃国戦だった。板井は両手にウレタンなどのパットを入れてその上を包帯で分厚く巻き、さらにたっぷり水を含ませてパンパンの状態にして、大乃国の顔面めがけて張り手、というよりもパンチを浴びせたのだ。この容赦のないパンチ攻撃を磨くため、ひそかにボクシングジムに通っていたという話もある。 こんな反則まがいの攻撃をされては、いくら横綱でもたまったものではない。生涯3個の金星をあげた板井だが、そのすべてが大乃国からあげたもの。一発KOされたこともある大乃国は、後にこう語っている。「あまりにも腹が立ったので、腕をへし折ってやろうかと思ったこともある」★引退後、親方不適格の報復 板井のピークは、平成元年春場所。大関小錦や、すっかりカモにしていた大乃国などを相次いで破って自己最多の11勝をあげ、初三賞となる殊勲賞、技能賞をダブル受賞。翌場所、自己最高位の小結に昇進した。「気分いいス」 我が世の春の到来に板井はご機嫌だったが、ほどなくして次第に下降線を辿ることになる。得意の突き、押しが徐々に通じなくなったのだ。 もはやここまで、と強く痛感させられたのが、平成元年名古屋場所。幕尻近くの東前頭14枚目まで落ちていた板井は、なんと初日から千秋楽までオール黒星を記録、全敗したのだ。幕内力士としては史上4人目の屈辱だった。 この翌場所、十両に転落した板井は3日目に引退。すでに35歳になっていた。 この引退するとき、板井は好き放題ですごした現役生活のしっぺ返しを受けることになる。年寄「春日山」を襲名すべく準備を整えていたにもかかわらず、当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)に拒否されたのだ。こんなことは前代未聞のことだった。 なぜ板井は親方になれなかったのか。理由は明らかにされなかったが、思い当たるフシはいくつもあった。その一つが「八百長疑惑」だった。 当時の大相撲界は八百長の蔓延が噂され、その仲介役、いわゆる“中盆”として板井の名前が挙がっていた。 さらに素行の悪さも影響した。大乃国に対して反則すれすれの攻撃を仕掛けたほか、巡業にも左ひざの不調を訴えてほとんど参加せず、参加してもまったくと言っていいほど稽古しなかったりしたため、協会首脳に睨まれていたのだ。 15戦全敗も影響したと見られている。こんなことが積もり積もって「親方不適格」の烙印を押されてしまったのである。 このため、大相撲界を去らざるを得なくなった板井は、一時、東京都江戸川区内でちゃんこ店を開業したが、すぐ潰れた。あまりにも出世が早かったため、ちゃんこ番の経験が少なく、うまく味付けができなかったのだ。 こうして表舞台から消えた板井だったが、平成12年、意外な形でマスコミに再登場することになる。日本外国特派員協会で講演を行い、31回優勝し、国民栄誉賞も受賞している大横綱、千代の富士の八百長を告発したのだ。 その中で、昭和63年の夏場所から九州場所にかけて達成した当時史上2位(現在は3位)の53連勝についても詳述している。「3分の1がガチンコで、残りの3分の2は事前に星を譲ってもらう約束ができていた八百長だった。横綱、大関はその場で清算する買い取りが多かった」 記者たちに「証拠はあるか」と問われると、板井はこう言って胸を張った。「証拠はこの私です」 つまり、自ら中盆だったことを明かしたのだ。★仕事もできず最後は孤独死 さらに、八百長を克明に書いた暴露本も出版。これらの記事、証言を巡る裁判にも証人として出廷し、八百長の存在を認めるなど、大相撲界に大きな揺さぶりをかけた。板井はかつての古巣に真っ向から戦いを挑んだのだ。 ただ、こういう行為が命がけであることも、誰より分かっていた。というのも、板井が告発する4年前、元師匠の大鳴戸親方こと菅孝之進さんも、やはり横綱北の富士の八百長などを週刊誌上で告発。板井と同じように日本外国特派員協会で講演しすべてを明らかにする予定だったが、その直前に息苦しさを訴えて愛知県豊明市の病院に緊急入院し、3日後に急死したのだ。病名は「重症肺炎」だった。 このとき、同じ症状を見せた後援者と一緒に入院しているが、奇妙なことに、この15時間後に後援者も同じように死亡。2人とも解剖もされずにすぐさま荼毘に付された。 こんな謎だらけの物騒な前例に怖れをなしたのか、板井は自ら騒ぎに火を付けながら深追いはせず、ほどなくしてまた市井に身を潜めた。自分1人では、どうにもならないことを知っていたのかもしれない。 板井が三たび、マスコミの前に姿を現したのは、今年の夏の真っ盛り、8月15日のことだ。それは新聞の死亡欄だった。 現役時代の食生活の乱れから重度の糖尿病を患い、人工透析を受けていた板井。心臓にはペースメーカーも埋め込まれていたという。 この日、予約を入れていた人工透析の病院に現れず、親族から依頼された元付け人が自宅を訪ねたところ、床に倒れている板井を発見。急いで救急車を呼んだが、すでに息を引き取っていたという。享年62。絵に描いたような孤独死だった。 発見時、水道の蛇口は開けっ放しだったというから、止める暇もなく急に倒れた可能性が高い。死因は特定されなかった。「現役時代に結婚し、子供もいたが、その後に離婚。体が悪かったこともあって働くこともできず、独り暮らしだった。愛犬をかわいがり、一緒に散歩するのが日課で、現役時代に左ひざを痛めていたが、自力で歩いていた」 引退後もずっと交流を続けていたという、板井を発見した元付け人はこう話している。 これらの言葉の向こうに、板井の寂しかった晩年が透けて見える。栄光は束の間。板井がどんな思いで息を引き取ったか、今となっては誰も分からない――。相撲ライター・大川光太郎
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スポーツ 2018年12月30日 15時00分
数多くの名選手、関係者が亡くなった2018年のマット界
来年の4月30日で、約30年3カ月に渡った時代を終える平成。その平成の終わりを感じるかのように、今年も数多くの芸能人、著名人が亡くなった。プロレス・格闘技界でも歴史に名を刻んだ名選手や、記憶に残る選手、そしてマット界に貢献した関係者が天国へ旅立っていった。 今年亡くなられたプロレスラー、格闘家、関係者(OB、OGを含む)の方々を振り返りたい。※12月6日現在、敬称略4月7日 KOICHI(格闘家)4月14日 馬場元子(元全日本プロレス社長)4月18日 ブルーノ・サンマルチノ(元プロレスラー)4月20日 渡辺えりか(プロレスラー)6月18日 ビックバン・ベイダー(プロレスラー)7月14日 マサ斎藤(プロレスラー)7月29日 ニコライ・ボルコフ(プロレスラー)8月13日 ジム・ナイドハート(プロレスラー)8月27日 亜利弥(プロレスラー)8月30日 Ray(プロレスラー)9月18日 山本“KID”徳郁(格闘家)10月8日 輪島大士(大相撲元横綱・プロレスラー)10月18日 ディック・スレーター(プロレスラー)11月3日 ビクトル古賀(サンボ)12月5日 ダイナマイト・キッド(プロレスラー) KOICHIさんは元K-1ファイター。馬場元子さんは故・ジャイアント馬場さんの夫人として、全日本プロレスをサポート。故・三沢光晴さんが退団に伴い社長を辞任した際には、元子さんがオーナー兼社長として全日本の看板を守り抜いた。 “人間発電所”として強さを発揮していたサンマルチノさんは、馬場さんの長年のライバルであり友人。WWEのスーパーレジェンドとして殿堂入りを果たしている。渡辺えりかさんは元JWPで人気があった選手。パーキンソン病と闘病していたマサさんは、最後までプロレスラーとして諦めない気持ちを貫いた。ボルコフさんと、ナイドハートさんはWWEで活躍した。 亜利弥さんとRayさんは、女子団体には欠かせないフリーの選手だったが、若くしてこの世を去った。KIDさんの早すぎる死は格闘技界全体に衝撃を与え、現在もショックを受けている関係者や選手は多い。輪島さんの死は角界、プロレス界ともに惜しむ声が多く、輪島さんのイズムは現在も角界やプロレス界に受け継がれていることが証明されている。 “喧嘩番長”スレーターさんは、日本では全日本プロレス、IWAジャパンで活躍。“右利きのテリー”として、テリー・ファンクやファンクスファミリーとタッグを組むことが多かった。ビクトル投げで有名な古賀さんは、プロレスラーや格闘家が出稽古に通っていたことをプロレスファンは知っている。そして、12月に入りキッドさんが死去。ライバルだった藤波辰爾や初代タイガーマスクだけでなく、キッドさんに影響を受けた選手からも惜しむ声が相次いだ。 マット界にとって大切な人材を多く失った2018年。もっと話を聞いてみたかった方ばかりだが、本当に悔やまれる。訃報記事ほど書いていて辛いものはない。 レスラーや格闘家はマサさんのように長年の激闘による蓄積からパーキンソン病のような難病を患うリスクも背負っている。元プロボクシングヘビー級王者の故・モハメド・アリ氏もパーキンソン病を患っていた。輪島さんも晩年は声を失うなど、厳しい生活を送っていた。現役選手には偉大な先輩たちが残してくれたものを受け継ぎつつ、しっかり体をケアして長生きしてもらいたい。命には限りがあるので仕方ないことではあるが、来年は訃報記事が少なくなることを願いたい。今年亡くなられた方々に改めて感謝の言葉を送りたい。文 / どら増田写真 / ©2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2018年12月30日 06時00分
炎上発言で世間をにぎわせる張本勲氏 2018年最も視聴者をヒートアップさせた発言は
2018年も数多くの炎上発言で人々を「ヒートアップ」させた『サンデーモーニング』(TBS系)の張本勲氏。数多くの炎上の中で、2018年に最も人々を「怒らせた発言」は何だったのだろうか? 今年、張本氏が『週刊御意見番』コーナーで最も批判を浴びたのが、北海道日本ハムファイターズからエンゼルスに移籍した大谷翔平選手の件。渡米直後から厳しい見方を示した張本氏は、オープン戦で投打ともに精彩を欠く大谷選手を見て、「走り込みが足らない」「四分六で成功しない」とバッサリ切り捨てたのだ。 シーズンが開幕し、大谷選手が打者として3試合連続ホームランを放つと、「まぐれなのか、アメリカの投手のレベルが落ちたのか。両方だと思うけどね」と「打てたのはまぐれかアメリカ投手のレベルが落ちたため」と自分の発言をフォロー。こちらも大炎上した。 この発言に対する怒りはすさまじく、「老害」「嫉妬しているのか」と批判が殺到。おそらく、これが「今年最も怒らせた」発言だと思われる。 その後も大谷選手に対し厳しい発言を繰り返した。右肘を故障し試合出場を見合わせた際には、「走り込んでない」と猛批判。「肘の故障なのになぜ走り込みが必要なの?」「考え方が古い」と、ネットユーザーは呆れていた。 しかし大谷選手が野手として復帰し、22本塁打を放ち新人王に輝くと、態度は一変。「マナーが良い」などと評価し、「あっぱれ」を送った。この見事な手のひら返しにも批判が集中することになる。 今やイチローに代わる日本人メジャー選手のトップスターとなった大谷選手について猛批判を浴びせながら、最後に称賛する「ブレブレ」発言は、視聴者をまたもや激怒させることとなった。 このほかにも新興スポーツを軽視し、サッカーを下に見る発言で炎上することが多かった張本氏。「降板しろ」などの声もあるが、視聴率が高く楽しみにしている人が多いこともまた事実。今後もコーナーは続いていくものと思われる。 来年も張本氏がスポーツ界を盛り上げてくれることだろう。
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スポーツ 2018年12月29日 17時40分
1位の称号は誰の手に?プロ野球打撃6部門の“平成”記録
平成30年間のプロ野球において、数多の選手が獲得してきたタイトル。その中で平成最高の数字を残したのは一体誰なのか、今回は打率、本塁打、打点、盗塁、安打、出塁率の打撃6部門を対象に、平成記録をマークしたタイトルホルダーを以下に見ていこう。■打率:イチロー(オリックス/.387/2000年) 翌2001年にメジャーに旅立つ安打製造機が、現時点では日本最後となるシーズンで残したこの記録。2位のウォーレン・クロマティ(巨人/.378/1989年)をわずかに上回り、見事に平成トップの数字となった。■本塁打::ウラディミール・バレンティン(ヤクルト/60本/2013年) 今なおヤクルトの主軸を務めるオランダ王国・キュラソー島出身の大砲は、2013年に平成記録、プロ野球記録をいずれも更新する60本の本塁打をマーク。この記録は新元号の時代に入っても、しばらくはトップの座に君臨し続けることになるかもしれない。■打点:ロバート・ローズ(横浜/153打点/1999年) 球団史上最高との呼び声も高い助っ人は、この年“マシンガン打線”の中心として打点を荒稼ぎ。その結果、2位の今岡誠(阪神/147打点/2005年)を6打点差でかわし、平成最高の打点王となった。■盗塁:赤星憲広(阪神/64個/2004年) 前年に球団記録を更新する61個の盗塁を決めていた“レッドスター”は、翌2004年も変わらず盗塁を量産。ちなみにこの「64」という数字は、同年のセ4球団(ヤクルト、巨人、広島、横浜)、パ3球団(日本ハム、ロッテ、近鉄)のチーム記録を上回ってもいる。■安打:秋山翔吾(埼玉西武/216本/2015年) 柳田悠岐との首位打者争いには惜しくも敗れたものの、安打数では圧勝を収めた秋山。稀代のヒットメーカーであることは改めて言うまでもないが、この2年は共に20本塁打以上をマークするなど、長打力も兼ね備えた打者へと進化を遂げている。■出塁率:落合博満(中日/.4728/1991年)2位の小笠原道大(日本ハム/.4725/2003年)を3毛差で上回り、平成トップとなったのは落合。なお、落合は1986年(昭和61年)に、「.487」というプロ野球記録をマークしてもいる。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年12月29日 17時30分
『格闘技記者が選ぶプロレス・格闘技大賞2018』第1回目のMVPは棚橋弘至と那須川天心!
今年ネットには、新日本プロレスの躍進や、アメリカWWEでの日本人スーパースターの活躍、RIZINやK-1、KNOCK OUT、RISEなど、格闘技ブームの再来から、プロレスや格闘技のニュースが溢れていた。そこで、『格闘技記者が選ぶプロレス・格闘技大賞』を発表したいと思う。昨年の12月1日から今年の11月31日までに開催された大会が対象。 今年は、MVP、年間ベストバウト、殊勲賞、敢闘賞、技能賞、最優秀タッグ・ユニット賞(プロレスのみ)、新人賞、最優秀外国人選手、最優秀女子選手、年間ベスト興行の8部門をプロレス・格闘技の取材班で制定した。◎MVP賞プロレス部門棚橋弘至(新日本プロレス)格闘技部門那須川天心(TARGET / Cygames) MVPはプロレス、格闘技ともに満場一致で決まった。プロレス部門は、新日本プロレス真夏の最強戦士決定戦『G1クライマックス28』を制し、映画『パパはわるものチャンピオン』で主演を務め、1000本を超える取材を受けるなど、メディアへの露出も目立っていた棚橋弘至が受賞。来年1月4日の東京ドーム大会ではケニー・オメガが保持するIWGPヘビー級王座への挑戦が決定し、3年ぶりに東京ドームのメインに返り咲くなど、怪我に悩まされながらも見事な復活劇は多くのファンの心を掴んだ。格闘技部門は、デビュー以降、33戦無敗と連勝街道を突き進んでいる格闘技界の“神童”那須川天心が受賞。2月にスアキム、6月にロッタン、そして9月には堀口恭司(キックルール)といった国内外の強豪選手を相手に勝利を収めたのはスゴイの一言。「日本のキックや格闘技を広めるため」今年はバラエティ番組などメディアへの露出も一気に増えた。31日には元プロボクシング5階級制覇のレジェンド、フロイド・メイウェザーとのスーパーマッチが控えている。棚橋、天心ともに、年末年始の大一番を終えた2019年はどんな闘いを見せてくれるのか期待したい。◎年間ベストバウト賞プロレス部門新日本プロレス『G1クライマックス28』Bブロック公式戦、ケニー・オメガ 対 内藤哲也(7月15日 大田区総合体育館)格闘技部門KNOCK OUT『KNOCK OUT FIRST IMPACT』那須川天心 対 スアキム・シットソートーテーウ(2月12日 大田区総合体育館) ベストバウトは奇しくもプロレス、格闘技ともに大田区総合体育館での一戦が選ばれた。プロレス部門は、昨年の『G1クライマックス27』決勝戦のカードが、Bブロック公式戦の開幕カードで実現。昨年はケニーを破りG1を制した内藤だったが、「この試合を超えるような試合はないんじゃないか」という声が多く聞かれるほどのベストバウトだった。しかし、今年の再戦で2人は昨年をさらに上回る好勝負を展開し、ファンを大熱狂させた。結果はケニーが激戦の末、昨年のリベンジを果たしている。格闘技部門は、連勝中の天心に深刻な「相手不足」が叫ばれる中、「今まで対戦した選手で一番強い」対戦相手としてタイの強豪スアキムが参戦し、天心と対戦した。格闘技通の間で「今度こそ天心が負けるかもしれない」という声も少なくなく、当日の会場はいつにも増して緊張感が漂っていた。尋常じゃないプレッシャーの中、天心は「本当に一番強かった」スアキムに判定ながらも勝利を収め、試合後は珍しく疲労困憊の表情を浮かべていたのが印象的。RIZINでの堀口恭司戦を推す声もあったが、高田延彦対ヒクソン・グレイシーの時と同じような観客が固唾を飲むような緊張感を出していたこの試合が選ばれた。その他の賞は以下の通り。◎殊勲賞プロレス部門中邑真輔(WWE / スマックダウン)格闘技部門森井洋介(ゴールデングローブ)◎敢闘賞プロレス部門ケニー・オメガ(新日本プロレス / バレットクラブELITE)格闘技部門不可思(クロスポイント吉祥寺)◎技能賞プロレス部門ザック・セイバーJr.(鈴木軍)格闘技部門堀口恭司(アメリカン・トップチーム)◎最優秀タッグ・ユニット賞ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(新日本プロレス)◎新人賞プロレス部門井土徹也(プロレスリングHEAT-UP)格闘技部門田丸辰(平井道場)◎最優秀外国人選手賞プロレス部門クリス・ジェリコ(フリー)格闘技部門ヨードレックペット・オー・ピティサック(T-Ded 99 Muay Thai Gym)◎最優秀女子選手賞プロレス部門アスカ(WWE / スマックダウン)格闘技部門浅倉カンナ(パラエストラ松戸)◎最優秀興行プロレス部門新日本プロレス『G1クライマックス28』8月12日日本武道館格闘技部門RIZIN『RIZIN.13』9月30日さいたまスーパーアリーナ MVPの次点とも言える殊勲賞は、WWEの中邑真輔と、初代KING OF KNOCK OUTライト級王者の森井洋介が受賞。今年の中邑は、新日本プロレス時代からのライバルであるAJスタイルズと、世界最大のプロレスの祭典『レッスルマニア』でAJが保持していたWWE王座を賭けて対戦することが、フジテレビ系『ワイドナショー』でも取り上げられるなど、プロレス版日本人メジャーリーガーとしてお茶の間でも度々紹介された。東京公演では怪我により試合には出場出来なかったものの、挨拶をしただけでも大きな声援を送られるなど日本での人気はさらに増えたように感じる。リアルライブでも記事として取り上げる回数が多かった。森井はライト級のみならず、キックボクサー全般に天心とは違った意味で良い影響を与えた功績は大きい。ベルトは初防衛戦でヨードレックペットに落としてしまったが、この試合も「ベルトの価値を上げたい」とワンマッチを自ら直訴する形で、タイトルマッチに変更させている。敢闘賞は、絶対王者と化したオカダ・カズチカからIWGPヘビー級王座を奪取したケニーと、初代KING OF KNOCK OUTスーパーライト級王者の不可思が、技能賞には、想像がつかない関節技の数々を披露しているザックと、RIZINでUFCファイターとして強さを発揮しながらも、天心とキックルールでドリームマッチを行うなど、引き出しの多さでファンを魅了した堀口がそれぞれ選ばれた。 最優秀タッグ・ユニット賞は、タッグチームを優先して選出したかったのだが、全国どこに行ってもロスインゴグッズを身につけている人を見かける。これは90年代終盤に巻き起こったnWoブームと同じような現象だ。内藤が出場しない大会でもメンバーへの会場人気が凄まじいこともあり、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンが選ばれた。新人賞は、インディー団体ながら、18歳にしてとどろきアリーナのメインを務めるなど将来が有望視されている井土と、16歳にして初代RISEスーパーフライ級王者になった田丸辰(とき)が選ばれた。田丸は8戦8勝と連勝街道を走っており、“天心二世”と言われているスーパー高校2年生。本人は天心戦を熱望しており、こちらも楽しみな逸材である。最優秀外国人選手は、それぞれインパクトを残したジェリコとヨードレックペットが、最優秀女子選手は、WWEのアスカと、RENAに2連勝した浅倉カンナが満場一致で選ばれている。ちなみにカンナは三賞の候補にも挙がっていただけに、来年もさらに飛躍してもらいたい。 最優秀興行は、G1決勝が行われた新日本の武道館3連戦の最終戦と、台風接近により、試合順を変更するなど選手や裏方が苦労する中、開催され神興行となった『RIZIN.13』が選ばれている。どちらの大会も話題性が多く、チケットが完売した点が大きなポイントとなった。 2019年も記事にしなきゃいけないと思うような大会や選手が数多く現れることを、プロレス・格闘技取材班一同、心から願っている。文 / どら増田(選定メンバー代表)写真 / 萩原孝弘
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スポーツ 2018年12月29日 15時00分
故・三沢光晴さんの思いを胸に、ノア潮崎豪が越中詩郎40周年記念興行に参戦!
来年1月30日に開かれる越中詩郎デビュー40周年記念興行『祭り〜平成最後の平成維震軍〜』(後楽園ホール)にプロレスリング・ノアから潮崎豪が参戦することが決定した。 全日本プロレス時代、越中とプロレスリング・ノアを創設した故・三沢光晴さんは、若手のライバルとしてしのぎを削っていた。当時、全日本の若手にとって登竜門だった『ルー・テーズ杯』の決勝でも両者は対決し、先輩の越中が勝利。その後一緒に海外武者修行のためメキシコ遠征へ。三沢さんは2代目タイガーマスクとして先に日本に呼び戻されるも、越中には帰国命令が出ず、新日本プロレスへの移籍を決めた経緯がある。 三沢さんが全日本を退団し、ノアを旗揚げすると、全日本時代の「鎖国政策」から方針を変えて、新日本をはじめ他団体やフリーの選手も積極的に上がれるリングにした。特に全日本時代に苦楽をともにし、袂を分かっていた天龍源一郎氏や、故・冬木弘道さん、川田利明、そして越中と三沢さんはノアのリングでシングルを行っている。潮崎は不慮の死を遂げた三沢さんの最後のパートナーだった。三沢さんは最後となったシリーズに潮崎とのタッグで臨むことについて「俺の仕事はシオ(のステータス)を上げること」と話していた。 「この度、越中さんの40周年記念大会に出場させていただきます。今大会に指名していただきすごく光栄です。今回は対戦するカードではないですが、越中さんの『侍魂』をしっかりと受けていきたいです。よろしくお願いします」 潮崎は参戦にあたり、このようなコメントを寄せた。越中と三沢さんの“つながり”は、越中の40年に渡るプロレスラー人生において欠かせない。もし三沢さんがいれば真っ先に駆けつけただろう。天国の三沢さんも潮崎の参戦を喜んでいるはずだ。潮崎の出番はセミファイナル。藤波辰爾、佐藤耕平と越境トリオを結成し、NOSAWA論外&MAZADA&KAZMA SAKAMOTOと6人タッグで対戦する。藤波と潮崎は2007年、三沢さんとのタッグで対戦した。あの頃はまだ大型ルーキーだっただけに、同じコーナーに立ち、成長した姿を見せたいところだ。取材・文・写真 / どら増田
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