スポーツ
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スポーツ 2018年12月11日 17時40分
新日本オカダ・カズチカが“生みの親”外道と12.14後楽園で因縁のシングル対決!
新日本プロレス年間最大のビッグマッチ『レッスルキングダム13』(来年1月4日、東京ドーム)で、CHAOSからバレットクラブに寝返ったジェイ・ホワイトとのシングル制裁マッチが決定しているオカダ・カズチカ。次の試合は『Road to TOKYO DOME』(14、15日)だ。 先シリーズでは、CHAOS勢とともに棚橋弘至ら新日本本隊と“歴史的な”合体をし、ジェイ率いる新生バレットクラブとタッグで連日対決したが全敗。シリーズ最終戦だった9日(岩手産業文化センターアピオ)では、ジェイが試合後にハーフネルソンスープレックスをオカダに放ち、新たなる引き出しを見せつけてシリーズを終えている。オカダは「あの技、効いたよ」としながらも「早く出してくれてありがとう」と最後は強がってみせた。 年内最後の恒例イベント『Road to TOKYO DOME』後楽園ホール2連戦は14、15の2日間に組まれた。オカダとしてはここで巻き返しを図りたいところだったが、ジェイは参戦せず。しかし、14日には2012年1月から今年の8月までオカダのマネージャーを務め、9月23日の神戸ワールド記念ホール大会でオカダを裏切り、ジェイのマネージャーとしてまさかのバレットクラブ入りを果たした外道とのシングル対決がある。また15日には、CHAOSの矢野通、岩手大会(9日)で放送席から救出に入った新日本本隊のG.B.H、真壁刀義&本間朋晃とIWGPジュニアヘビー級王者のKUSHIDAとタッグを結成。バレットクラブ勢と10人タッグマッチを行う。 外道は、2012年の1.4東京ドーム大会で凱旋したオカダを見て試合後に「この男はCHAOSがもらった」とCHAOSにスカウト。翌月、オカダは棚橋からIWGPヘビー級王座を一発獲りした。新日本マットには“レインメーカーショック”が起こり、オカダは外道に支えられながら、スター街道を駆け上がっていった。 気がつけば連続防衛記録を塗り替える絶対王者に。オカダをスカウトした時のCHAOSはヒールユニットだったが、オカダが新日本の顔になるにつれヒール色は薄れていった。今年8月、オカダと外道は突然「マネージャー関係を解消する」と2人そろって笑顔で発表。オカダは「と言っても同じCHAOSですから、今後もタッグは組みます」と言うと、外道は「レインメーカーはもう俺がいなくても大丈夫だ」と“ひと仕事終えた”ようなコメントを残している。 外道は、9月の神戸大会でオカダを急襲したジェイから椅子を奪うと、その椅子をオカダの背中に放った。決別のフルスイングの真意は定かではないが、外道にとってオカダというレスラーは最高傑作だったのは言うまでもない。“レインメーカー”というキャラクターの生みの親である“レインテイカー”として紹介されたこともあったし、実際に2人の絆は強かった。今回のシングルでは外道とともにバレットクラブに移った邪道が竹刀を片手にセコンドとして介入する可能性が高い。オカダが外道を簡単に“制裁”できるとは思えないが、2人のシングル戦で外道の本心が少しは分かるかもしれない。 また15日にはCHAOSの前身ユニットとも言えるG.B.Hの真壁&本間とタッグを結成するのも興味深い。かつて真壁&矢野はIWGPタッグ王座を奪取するなど、G.B.Hの最強タッグだった。しかし2009年4月に中邑真輔が矢野と電撃合体。矢野が真壁を裏切ったことにより、真壁&本間以外の選手がG.B.Hを脱退。G.B.Hは新日本本隊に合流し、中邑と矢野らG.B.Hの他のメンバーが新ユニットCHAOSを結成したという歴史がある。真壁と矢野が9年8ヶ月ぶりに同じコーナーに立つというのは、ある意味、棚橋とオカダの合体よりも感慨深いものがある。やはりプロレスは“つながって”いるのだ。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年12月11日 17時30分
日本ハム入団の金子弌大、レプリカユニの先行予約販売に古巣ファンも「買いたい」
北海道日本ハムファイターズは10日、オリックスから自由契約になり、2日の公示と同時に速攻で交渉に乗り出し、わずか2日後の4日、契約合意を発表した金子千尋投手の入団発表を札幌市内のホテルで、栗山英樹監督同席のもと行った。会見で金子は、登録名を「金子弌大」(読みの「ちひろ」は同じ)に変更すると発表。背番号は先日退団が発表されたトンキンが付けていたオリックス時代と同じ19に決定した。 この会見後、日本ハム球団は、翌11日から金子のレプリカユニフォームをオンラインで先行予約販売すると発表。これには古巣のオリックスファンからも「早い」という驚きの声とともに、「羨ましい」というため息にも似た声が、ネット上に多数漏れていた。日本ハムは来シーズンもユニフォームのデザインは変更しないのが、スピード販売が可能な理由で、昨年はDeNAが阪神からFAで移籍した大和の入団に合わせて、同様の対応を見せている。しかし、トンキンの退団が発表されたのが6日であることを考えると、これは明らかに早い。日本ハムがスターを作り上げることに長けている球団というのは、こうした面からも伺えるのではないだろうか。金子の会見の表情を見ても栗山監督が同席して、記念撮影を行うことで、「スゴイ選手が北の大地にやってきた」という雰囲気を醸し出していた。日本ハムOBでメジャーリーグ・カブスのダルビッシュ有は、日本ハム球団公式アカウントの金子入団を報じるツイートを「ユニフォーム姿違和感ないなぁ!」と、引用ツイート。古巣へ金子が入団することを歓迎している。 今シーズンは3位となり、クライマックスシリーズに進出した日本ハムだが、投手では今シーズン10勝を挙げたマルティネスが、野手では2016年の本塁打王でファンにも親しまれてきたレアードが自由契約になっており、残留の可能性は流動的な情勢。そんな中、5日に前カブスのハンコック投手を、7日にプロ2年目の2016年に、台湾プロ野球史上初の年間200安打を達成と同時に歴代最高打率.414を記録し、翌17年には3冠王に輝き、今シーズンも打率.351、17本塁打、84打点を記録するなど“台湾の至宝”の異名を持つ、Lamigoモンキーズの王柏融(ワンポーロン)外野手をオリックスなどとの争奪戦を制して獲得。11日には、高梨裕稔投手、太田賢吾内野手と、ヤクルトの秋吉亮投手、谷内亮太内野手との大型トレードも発表され、日本ハムにしては珍しく、このオフは積極的に補強を行っている。特に今シーズンまで長きに渡りオリックスのエースを務めた金子と、25歳にして台湾の主砲である王柏融の獲得は目玉といってもいいだろう。 2023年3月の新球場開業に向けて、日本ハムという球団は、さらに生まれ変わろうとしている。そこに向けた過程において金子弌大という選手は、北海道移転時に新庄剛志氏を獲得したように、どうしても「必要」だったのだろう。金子は「必要とされるのはありがたいこと」と先月の25日に話していただけに、日本ハムの速攻かつ猛烈なアタックは胸に響いたはず。古巣ファンからは「こんなに早く出されたら買ってしまう」という声も多数聞かれており、贔屓球団に関係なく、昨年、中日に入団した松坂大輔のように、金子のユニフォームがヒットするのは間違いない。取材・文 / どら増田写真 / ©︎北海道日本ハムファイターズ
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スポーツ 2018年12月11日 17時10分
女子フィギュア期待の紀平梨花 韓国のライバルはあのポケモン?
女子フィギュアスケートを牽引した浅田真央とキム・ヨナのライバル物語は第2章に突入した。“後継者”が激突する図式である。 シニアデビュー戦となったグランプリシリーズのNHK杯とフランス杯で連勝して注目が集まる16歳の新星・紀平梨花を筆頭に、GP初戦スケートアメリカで大会2連覇を果たした宮原知子や、平昌五輪に出場した坂本花織、話題性抜群の本田真凜や三原舞依など、浅田引退後も「フィギュア大国」に君臨し続けている日本。一方、お隣の韓国でも、ようやく次世代を担う10代が現れたのだ。 「キム・ヨナに憧れてフィギュアを始めた15歳のイム・ウンスの人気が高まっているんです。平昌五輪は年齢制限で出場できませんでしたが、ジュニアでは有望視されており、キム・ヨナが演技使用曲を選ぶなど、後方支援しています」(スポーツ紙担当記者) 浅田ファンを公言している紀平と、キム・ヨナに憧れたイム・ウンス。韓国メディアは、早くも浅田とキム・ヨナのライバル物語を重ねているという。 イムはグランプリファイナルには進めなかったが、NHK杯、モスクワ大会と、11月の10日間で2大会に出場するタフネスぶりも見せている。まさに「これからの選手」というわけだが、彼女の人気はキム・ヨナとは少し違っているという。 「彼女の愛称は“コブキ”。これは日本のアニメ『ポケットモンスター』のキャラクター・ゼニガメの韓国名です」(フィギュア関係者) 写真を見ると、確かに似ている。クールビューティーのキム・ヨナとは違い、愛嬌のあるタイプ。羽生結弦のくまのプーさんのように、イムが演技を終えると韓国のファンはゼニガメのぬいぐるみをリンクに投げ入れているそうだ。 「韓国ではイムが紀平に勝つのを期待していますが、紀平の現実的なライバルはロシアの選手です」(同) 7日からのグランプリファイナルも、女子は日本とロシアから3人ずつ出場し、直接対決となる。来年以降、その一角にイム・ウンスなどの韓国勢が食い込んでくるのか。今から楽しみだ。
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スポーツ 2018年12月11日 06時00分
那須川天心 対 メイウェザーは3分3Rのボクシングルールに「速さを活かして思いきってやりたい」
『RIZIN.14』さいたまスーパーアリーナ大会(31日)のスーパーファイト、那須川天心対フロイド・メイヴェザーのルールが決定した。▼対戦ルール・3分3ラウンド・ボクシングルール・8オンスグローブ・体重は147ポンド=68.7キロ以下・ジャッジは存在しない・フルコンタクト競技、公式記録には残らない 今回はRIZINサイドが大幅に譲歩した結果、ボクシングルールで行われることになった。レフェリーはメイウェザー側が用意する。天心にとっては圧倒的に不利なルールとなったが、記憶に残る試合を期待したいところ。 日本時間7日には、アメリカにあるメイウェザーボクシングクラブで、両選手による2度目となる記者会見が開かれた。会見の前には天心が練習を公開。リングに上がって笑顔でバンテージを巻き、3分のシャドーを2ラウンド、ミット打ちを1ラウンド行い、世紀の一戦に向けて準備が進んでいることを、アメリカのメディアの前で示した。 会見で天心は「初めてアメリカに来ましたけど、全てが思っていたより大きい。試合は近いですがメイウェザー選手と試合をするために毎日練習しています」という。試合のオファーがあったときの感想を聞かれると「まず信じられなかった。こういうチャンスが来て、受けない選手はいないと思うのですぐに受けました」という。 「メイウェザー選手に一太刀いれるために練習をやっているので、人生を懸けてメイウェザー選手に全てぶつけていきたいと思います。まず日本人でメイウェザー選手と戦ったことのある選手がいませんので、そういう中で日本のアスリート代表として立ち向かいたいと思います。日本にも良い選手がいる事を世界に知ってもらいたいです。これを機に日本の格闘技界だけでなく世界中を巻き込んでいきたい。自分を信じてやるだけですね」と、天心は意気込んだ。改めてメイウェザー戦への意気込み語りつつ、世界的に有名なメイウェザーと対戦し、日本の格闘技を世界に知らしめたいという気持ちを示した。 一方のメイウェザーは駆け引きなのか遅れて登場。「俺が人々にエンターテインメントを届ける最高の手法だ。これはエキシビジョンマッチだが、俺に新しいことをチャレンジさせる良い機会だ。アマチュア時代のように世界中を旅してさまざまな生き様をしている選手達と拳を交えることができてうれしい。全てはエンターテインメントのためだ。9分間の究極のエンターテインメント。間違いなく素晴らしいものになる」と予言した。 続けて「俺はエンタメ業界の住人だ。俺は人々を楽しませるんだ。俺がやりたいことなんだ。3ラウンドのショーを見せるために身体を作っている。俺は当日リングに立ち、好きなことをやり、楽しむ。今も人生を楽しんで、この経験も楽しむつもりだ」と終始“上から発言”で、天心を挑発している。 天心はルールについて「3分3Rというルールをうまく使っていきたいです。メイウェザー選手も速いですが、自分にも速さはあるのでそこを活かして思いきってやりたい」と語ると「メイウェザーは完璧な選手。目が良い。反応も素晴らしい。相手に当てさせない事がうまい選手」とたたえた。 昔は「メイウェザーの試合には、あまり興味がなかった。アスリートの中で世界一のファイトマネーを稼いで豪華な生活をしている人くらいしか印象はなかった」という。戦うと決まってから試合映像を見ると、「改めてすごい選手なんだなと実感した」という。KOするチャンスがあるか問われると「メイウェザー選手をKOすることは非常に難しいと思うが、チャンスは必ずあるはず。その機会を多く作りたい」と謙虚だった。プロボクシング3階級制覇のホルヘ・リナレスのジムで取り組んでいるボクシングの練習については「ステップとかパンチのタイミングが違います。ボクシング(スタイル)で戦うつもりはない。ラスベガスでスパーリングをして手応えを感じています」と練習を通じて何かをつかんでいるようだ。 「記録には残らないが、記憶には間違いなく残る試合になる」。これはメイウェザー戦が決まってから、榊原信行実行委員長や天心がこの一戦に対してずっと思い描いていること。平成最後の大晦日、“神童”那須川天心は、フロイド・メイウェザーを相手に、日本を背負って勝負に出る。メイウェザーとの駆け引きは当日まで予断を許さない。日本の格闘技界を背負った那須川天心という20歳の若者を、1人でも多くの国民に応援してもらいたい。文・どら増田写真・©︎RIZIN FF
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スポーツ 2018年12月10日 17時40分
KNOCK OUT初代フライ級王者決定!小笠原瑛作熱望、Sバンタム級T来年開催
キックスロード「KING OF KNOCK OUT 2018」▼9日 東京・両国国技館 「KNOCK OUTの賞金はずっと貯めているので、車を買いたいですね」 初代フライ級王者に輝いた“格闘技界のプリンス”石井一成は試合後、優勝賞金の使い道を聞かれると「それ、絶対に聞かれると思ったんですよ」と照れ笑いを浮かべながら話した。まさに「1秒も気を抜けなかった」闘いから解放され、20歳の素顔に戻った瞬間である。 KNOCK OUTにはもともと軽量級・フライ級のベルトを作る構想はなかった。しかし、石井一成、能登龍也、タネ・ヨシホらの活躍により、小野寺力プロデューサーの考えが変わっていく。「フライ級の試合がここまで面白いというのは大きな収穫ですね」。大会総括会見で小野寺プロデューサーの口から「フライ級」という言葉が増えていったのだ。そして今年、石井の強い直訴もあって、6月の後楽園ホール大会から初代フライ級王座決定トーナメントの開催が決定。8人のフライ級戦士がKNOCK OUTのリングに集結した。 決勝には、石井と大崎一貴が駒を進めた。石井は1回戦で昨年秋のRIZINで敗れている政所仁にリベンジを果たし、準決勝では仲山大雅の鼻をへし折った。一方、大崎は1回戦で能登を相手に、準決勝ではヨシホを相手に大激闘の上、それぞれKO勝ちを収めた。両者は過去に2度対戦し、いずれもドローに終わっているが、最後の対戦から4年の月日が経過。お互いに成長し、“別モノ”になっているはずだが、2人は準決勝後、口をそろえて「お互いの手の内は分かっている」とコメントしていた。 そして、いざ決勝のゴングが鳴ると、2人は「分かっている」の言葉通り、1Rからお互いの攻撃をうまくかわしていく。2Rに一貴の左フックが石井を捉えて、2Rはジャッジ2名が一貴を優勢とした。石井は「ポイントは気にしてなかった」と話していたが、3Rから石井の猛攻が始まる。一貴も応戦するが、「一発ももらえない。一発もらったら二発返さなきゃいけないと思った」という石井の気持ちは最後まで切れなかった。結局、2-0の判定で石井が勝利。見事、初代フライ級王者に輝いた。悔し涙を浮かべながら退場する一貴に対して、両国国技館の観客からは大きな拍手が送られた。 「フライ級って光が当たらない階級で、そのタイトルマッチを国技館のメインでやれたのは感慨深いですね」 フライ級トーナメントの“言い出しっぺ”でもある石井にとって、フライ級が国技館のメインになったのは感無量だったようだ。「この半年間、長いようで短いような、いろんな思いがありました。1年前じゃ考えられない。でも僕が言いだしたことなんで、このベルトは僕のベルトです」ときっぱり。「でもここがスタート。アジアや世界に向けて僕がKNOCK OUTを引っ張っていきます」。石井は黒いベルトの“重み”を感じながら、来年の飛躍を誓った。 小野寺プロデューサーは「今年やった那須川天心対スアキム以来の手に汗を握る試合だった。本当に涙が出るほど感動しました。フライ級にメインを託して良かった。石井くんと大崎(一貴)くんは“名勝負数え唄”のようなカードになるんじゃないですか。4度目はタイトル戦?十分に可能性はあります」と再戦の可能性も示唆した。 石井も「このトーナメントに出た中で、もう一度やりたいのは大崎選手。もしフライ級もアジアトーナメントをやるのなら、日本代表として2人で出たい」と明言している。キック界では久々となる“名勝負数え唄”として、今後定期的に対戦することもあるかもしれない。この試合を見れば大半のファンは「また見たい」と思うはずだ。小さな2人の若者が国技館という大舞台で、2階スタンドの上まで届く試合を繰り広げ、メインにふさわしい内容で最後まで観客を熱狂させたのは、格闘技界にとっても明るい話題となった。 この日はもうひとつ来年に向けて大きな動きがあった。1年前、勝利すれば那須川天心戦が確実視されながらも高橋亮とドローに終わった小笠原瑛作が再戦に臨んだ。1Rにダウンを奪われるも、スタミナを温存し、終盤にラッシュをかけて、判定で3-0の逆転勝ちを飾った。 瑛作は「完勝じゃないけど、瑛ちゃんらしさが見せられたかな。勝てて良かった」と胸をなで下ろした。「1Rでダウンを奪われたときは去年(のこと)がよぎりました(笑)。でも2Rから諦めないで、コツコツ相手に当てられて良かった。もっと早い段階で倒そうと思ったんですけど、身長が高いのでプレッシャーがかけられなかった。試合の中でプランを変更して、ローを中心にしました。来年はKNOCK OUTでスーパーバンタム級のトーナメントをやってほしいですね」と熱望した。 続けて瑛作は「天心はメイウェザー戦があったり、なかなかやるのは難しいかもしれないけど、僕は実現させたいと思っている」と天心戦に向けた気持ちがあることを示唆。そう言いつつも、KNOCK OUTでのベルト獲りに臨む意向を明らかにした。小野寺プロデューサーは、これを伝え聞くと待ってましたとばかりに「スーパーバンタムやります!」と、“前倒し”で宣言。「あの階級は激戦区。すごいトーナメントになると思う」と、4階級目のタイトル創設に自信を見せた。果たしてどんな選手が集まるのか。そして階級ごとに違うベルトの皮の色にも注目したい。 KNOCK OUTは来年1月の渋谷、2月の大田区、4月に高田馬場、6月に横浜文体、8月に大田区でそれぞれ大会を開くことが決定している。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年12月10日 17時30分
金子と王ゲット、日本ハムの変革 初めて育成選手を獲得した理由は
北海道日本ハムのオフが例年と違う…。 日本ハムが前台湾・ラミゴの王柏融(ワン・ボーロン=25)外野手との契約合意を発表したのは、12月7日だった。「総額4億円プラス出来高、3年契約」、巨人入りした丸佳浩の争奪戦を見てきたせいか、インパクトはない。しかし、王は台湾球界で2度の打率4割超えを果たした「台湾史上最強打者」だ。また、2017年の侍ジャパン・壮行試合では台湾代表として来日し、楽天・則本からバックスクリーンへの特大アーチも放っている。 日本球界向きで、台湾からのツアー観戦などの収入増も見込める助っ人。だが、そんな王の獲得交渉に対し、正式に手を挙げたのは日本ハムだけだった。 「阪神、ソフトバンク、巨人、西武などが熱心に調査していたんですが。王には『大物代理人』がついているらしく、年俸交渉の吊り上げを恐れたようです。しかも、台湾球界は王の日本行きに対し、異例の入札制度まで実施。所属球団のラミゴに対しても移籍金が生じるため、日ハム以外の球団は引き揚げてしまいました」(スポーツ紙記者)“適正金額”でまとめてみせたのは、日ハムの交渉能力の高さによるものだろう。 とはいえ、今オフの日ハムはいつもと違う。過去、FAで主力選手を見送っても争奪戦にも参戦していなかった。ドラフトと育成のチームを自負しており、これまで育成選手を獲得しなかった。今秋のドラフト会議で育成選手を指名したが、球団史上、初めてのことである。また、35歳のベテラン、金子千尋(登録名を新たに「金子弌大」)投手も獲得した。 「ドラフトと育成、この看板を下ろしたわけではありません」 チーム関係者はそう話していた。しかし、近年、「失敗」が重なったため、軌道修正が必要になったのだという。 「投手陣ですが、計算が立つ先発投手は有原と上沢しかいません。今季10勝を挙げたマルティネスとの残留交渉も難航しており(12月10日時点)、そうなると、経験豊富な金子を獲って何とかしてもらおうと…。ドラフトの失敗、育成の遅延によるものです」(前出・同) 本来ならば、斎藤佑樹が先発陣の大黒柱となっていて、15年1位指名の上原健太、16年1位の堀瑞輝も一本立ちしているとの“予定”を立てていた。しかし、この2人が一人前になるにはもう少し時間が掛かりそうだ。 こうした「育成の遅延」について原因の究明が行われ、球団はドラフト調査の甘さとの結論を出した。スカウト陣の「2、3年で一軍戦力」なる評価は甘く、「4、5年は掛かるのを見抜けなかった点」が指摘された。2位以下で指名された野手陣に対しても、同様の指摘がされ、育成にもうしばらく時間が掛かるため、外部補強をしなければならなくなったそうだ。 これまで育成選手を持たなかった理由は、「二軍選手の出場機会が減るから」と答えてきた。初の育成選手を指名した今年のドラフト会議後、球団幹部はそう答えていた。育成枠が設けられた05年、二軍戦は100試合程度だった(雨天振り替えがないため)。現在は社会人、大学、独立リーグ等との交流戦もあり、最大144試合をこなす予定となっている。日ハム幹部の試合数増加はごもっともな説明だが、矛盾もあった。試合数が増えたのなら、最優先すべきは投手の増員だ。しかし、実際に指名された育成選手は外野手だった。先の関係者は「現有戦力の二軍投手の登板機会を奪いたくない」というが…。 「日ハムの18年シーズンの総年俸額は15億2388万円(選手会発表/外国人選手を除く)。12球団ワーストですが、それが日ハムの自慢でもありました。コストパフォーマンス、費用対効果の高いチームなんだ、と」(プロ野球解説者) 日ハムは「育成の球団」なる看板を下ろしていないが、現実的な選択を迫られたようだ。 傍目には大谷翔平をポスティングシステムにかけるのを少し遅らせれば、問題はなかったと思うのだが…。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2018年12月10日 17時10分
プロ野球「オーナー会議」新議長就任で仕掛ける“三木谷構想”
若い世代の野球離れが加速している。今ではサッカーにその座を奪われ、プロバスケットやテニスなどに後塵を拝する危機に陥っている。 巻き返しが叫ばれる中、プロ野球の「オーナー会議」の新議長に、楽天・三木谷浩史オーナー(53)の就任が決まった。 三木谷氏が真っ先に取り組むのが「外国人枠の撤廃」。現状、一軍登録は4人、そのうち出場登録選手は3人までという野球協約を見直し、最終的には「制限撤廃」まで視野に入れている。「背景にあるのが、現在は認められていない『日本のプロ野球(NPB)球団と、米メジャーリーグ(MLB)球団間の選手トレード』。これが今までなかったのは、NPBとMLBに野球協約がないのが原因。これまで日本球界は、MLBを手本としてきた手前、対等な立場での“条約締結”ができなかったんです」(スポーツ紙デスク) しかし、ハーバード大でMBAを取得し、世界で企業展開する三木谷氏は、米国球界にもパイプがあり、コペルニクス的に展開する可能性があるという。「田中将大や大谷翔平のような日本人トップクラスの米球界流出は深刻で、日本のプロ野球界の“空洞化”は止めようがない。さらに、現在のポスティングシステムは来オフにも廃止となる可能性があり、そうなれば日本の球団がこれまで得てきた最大20億円の入札金も消滅する。こうした一方的な“取られ損”を防ぐためにも、大胆な改革が必要です」(同) 日米球界が対等な立場で交渉できるようになれば、“リアル・ワールドシリーズ”の創設も夢じゃない。日米の王者が世界一を懸けて戦うわけだ。「MLBは中国のマーケットに期待しています。そのため、日本球界が外国人枠を増やし、欧州やアジアの選手にも門戸を開くとなれば、交渉のテーブルにつく可能性も大きくなる。三木谷さんは、そのあたりも計算しているはず」(同) 三木谷氏のスポーツに関する戦略は実績も十分。サッカーJ1ヴィッセル神戸に元スペイン代表のMFイニエスタを総額100億円超で招聘し、元スペイン代表FWダビド・ビジャの獲得も明らかになった。 さらに、全米プロバスケットNBAの昨季王者ウォリアーズとも3年6000万ドル(約68億4000万円)でロゴ契約を結ぶなど、米国でも話題を呼んでいる。 また、7月に「プロ野球球団を持ちたい」と願望をぶち上げ話題を呼んだファッション通販サイト『ZOZOTOWN』の経営者、前澤社長との関係も気になる。まさか、「オーナー会議」に口をはさむことなどはしないと思うのだが、急進的な2人が秘密裏に会っているとしたら、「月に新球場を…」などと言い合っているかもしれない。
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スポーツ 2018年12月10日 11時50分
“Xデー”は4か月後?引退貴ノ岩が“完全アウェー”モンゴルに帰国する日
4日に付け人を暴行していたことが5日に発覚し、その後7日に引退届を提出した貴ノ岩。日本相撲協会がこれを即日受理したことにより、渦中の人は土俵を去ることとなった。日馬富士(元横綱)に暴力を受けた“被害者”から、付け人に暴力を振るった“加害者”となった貴ノ岩。日本はともかく、以前からバッシングが過熱していた母国モンゴルでは、今後しばらくは“完全アウェー”とも呼べる厳しい状況が続くことになるだろう。ただ、現役を退いた貴ノ岩は、遅かれ早かれ時が来ればモンゴルに帰国しなければならない。今回の引退劇により、これまで自身の日本在留を保証してきた興行ビザが失われる可能性が高いからだ。 外国人力士が日本に在留するには、15日から3年の4種類がある「興行」名目のビザが必要となる。もちろん、期限が迫ればその都度更新が必要だが、基本的には力士である限りビザが失効することはない。 しかし、力士でなくなったということならば話は変わる。入国管理局公式サイト『在留資格の取消し(入管法第22条の4)』には、「入管法別表第1の上欄の在留資格(注)をもって在留する者が、当該在留資格に係る活動を継続して3か月以上行っていない場合(ただし、当該活動を行わないで在留していることにつき正当な理由がある場合を除きます)」という記載がある。 前述の「在留資格」に当たるのは「興行」であり、「当該在留資格に係る活動」というのは力士として相撲を取ることだが、冒頭の通り貴ノ岩はもはや“一般人”。また、自らの不祥事が「正当な理由」となるはずもない。このことを考えると、3か月後にビザが失効しても全くおかしくはない。 仮に在留資格が取り消されれば、30日を上限とした期間内に自主的に出国しなければならない。日馬富士のようにコーチに就任したり、3月に引退した大砂嵐(元幕内)のように格闘技に転向すれば“延命”もあり得るが、今のままでは4か月後が帰国の“Xデー”となることは濃厚だろう。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年12月09日 18時00分
非業の死を遂げた名力士 「栃赤城(関脇)」
力士たちはみんな、自分なりのこだわりを持っている。プライドと言い換えてもいい。 丸い土俵の中でも、外でも、その自分流を貫き、42歳で亡くなるときも世間を驚かせた関脇栃赤城(本名・金谷雅男)は昭和29年10月31日、群馬県沼田市の呉服店(兄弟3人の次男)に生まれている。 高校時代の体重がすでに100キロ超。この恵まれた体を活かして柔道に打ち込み、部のエースとして国体やインターハイなどに出場したが、高3のとき名人横綱と言われた春日野親方(元横綱栃錦)に勧誘されると、「どうせ勉強は嫌いなんだから」 とあっさりと方向転換し、春日野部屋に入門した。なにごとにも決断が早かった栃赤城らしい入門だった。 初土俵は昭和48年初場所。相撲経験はほとんどゼロだったが、身長180センチ、体重125キロの恵まれた体と、柔道で鍛えた勝負度胸で出世は早かった。わずか1年半で十両に昇進。その十両でも大勝ちこそしなかったが、着実に勝ち星を挙げ、たった3場所で通過。昭和52年夏場所には早くも入幕している。まだ22歳だった。 この入幕を機に、それまで本名の「金谷」で取っていた四股名を「栃赤城」に改名した。春日野部屋伝統の「栃」に郷里の赤城山をプラスしたものだった。 春日野部屋は個性豊かな技能派の力士を数多く輩出し、「技能賞部屋」とも言われているが、栃赤城の相撲にも大きな特徴があった。いわゆる真正面から攻め合う正攻法の相撲ではなく、右上手をとり、あるいは差して半身に構え、相手が前に出てくるところを小手投げ、上手投げ、下手投げ、掛け投げなど、多彩なワザで仕留める変則相撲だった。言ってみれば悪手の見本のような相撲で、勝っても、負けても、親方たちは眉をしかめた。 これは余談だが、のちに栃赤城が大関候補の一角に名を連ねたとき、師匠の春日野親方はこう言ってため息をついている。「あんな相撲で大関になれるはずがない。もしなったら、逆立ちして土俵を1周してみせるよ」 この言葉通り、栃赤城は巡ってきたチャンスをものにできず、大関昇進に失敗。春日野親方は逆立ちして恥をかくことを免れた。 ただ、まるでサーカスでも見るようにハラハラ、ドキドキさせながら土俵際で鮮やかに逆転勝ちするので、ファンは大喜び。たちまち人気力士の仲間入りを果たし、土俵に登場するたびに喝采を浴びることになった。 当時の人気大関だったあの貴ノ花も、この栃赤城のサーカス相撲の餌食になっている。 昭和54年春場所6日目、得意の右半身になった栃赤城が攻めると見せかけて左足をサッと払うすそ払いの奇襲を仕掛けた。これが、ものの見事に決まったのだ。「なんだ、大関ともあろうものがあんな無様なかっこうで引っ繰り返るとは」 仰向けにひっくり返された貴ノ花はこう非難され、すっかり面目を失ったものだ。三重ノ海も逆とったりで敗れたことがある。 こんな“土俵際の魔術師”の頂点とも言える相撲が、この貴ノ花を破って4場所後の九州場所での取組だ。なんと初日に若乃花(2代目)、7日目に三重ノ海、12日目に輪島と、3人の横綱を相次いで破ったのだ。 当時の栃赤城は西前頭筆頭だったので、いずれも金星になる。1場所3金星はいまだに4人(初代若乃花、元横綱朝潮、栃赤城、大乃国)しか記録していない大快挙だった。★「タバコを吸いまくり平幕で」 こうして昭和54年から56年にかけて三役に定着し、大関取りの声もかかったが、残念ながら失敗。足踏みしている間に、下半身のケガや持病の糖尿病の悪化に悩まされ、低迷するようになった。 昭和57年にはついに十両、3年後には幕下に落ちている。食べ物の好き嫌いが多く、酒好き、ヘビースモーカーなど、私生活でもやり放題で、自己管理がまったくできていなかったのだ。 この栃赤城の自由奔放な生活ぶりを物語るエピソードがある。あるとき、自分では最後までタバコをやめられなかった貴ノ花が、栃赤城に向かって親切にアドバイスした。「タバコはやめた方がいい。禁煙すれば、横綱も狙える」 すると、栃赤城はこう言って断ったのだ。「禁煙して横綱になるんだったら、タバコを吸いまくって平幕でいた方がいいです」 ちなみに、貴ノ花に同じことを言われた千代の富士は、そのアドバイスを守ってピタリと禁煙し、31回優勝の大横綱になっている。 しかし、幕下に落ちてぴたりと勢いが止まった栃赤城だったが、なかなか引退しようとはしなかった。過去の栄光を忘れることができなかったのだ。 無給の幕下暮らしは、実に4年半、27場所に及んだ。これは三役経験者の最長記録だ。 最後の場所となった平成2年春場所には三段目に落ちている。関脇経験者の三段目陥落は出羽ケ嶽以来、52年ぶり、史上2人目のワースト記録だった。 もっとも、ここまで落ちる前に、引退するつもりでいたとも言われている。ところがその頃、師匠の春日野親方が病気になってしまう。「もう一度、師匠に元気な姿を見てもらいたい」 栃赤城は、動かない体にムチ打って土俵に上がり続けたのだ。 春日野親方が亡くなったのは、平成2年初場所4日目の1月10日。この場所後に栃赤城は引退届を提出し、大相撲界を去った(提出が遅れたため、次の春場所まで四股名は載る)。すでに37歳になっていた。 幕内在位35場所。引退後も親方になって大相撲界に残留できる資格は十分に取得していたが、金銭的にバックアップしてくれるタニマチに取り入ることを嫌い、付き合いを敬遠していたため、年寄株を取得することができなかったのだ。 このあたりも、いかにも自分流を貫いた栃赤城らしいと言えるだろう。 こうして相撲協会と縁を切り、本名の金谷雅男に戻った栃赤城は、断髪式も故郷の群馬県前橋市のホテルで行い、実家の沼田市の呉服店の主に収まった。 まだ独身で、たまにマスコミが訪ねて行くと喜んで取材に応じ、次のように話していた。「嫁をもらいたいんだけど、こんな田舎にいるとなかなかいい出会いがなくってね。どこかにいい娘はいないかい?」★自己流を貫いた死に際 そんな栃赤城の平凡な日常が突然、断ち切られたのは、平成9年の夏の真っ盛り、8月18日のことだった。 この日、栃赤城はかつての兄弟弟子の山分親方(元幕内栃富士、本名・小暮晴男)と群馬県内のゴルフ場でプレーを楽しんでいた。異変が起きたのは午後1時半頃。18番ホールの第1打を打ち、2人で談笑しながら歩いていたときのことだ。「わき腹が痛い」 急に栃赤城がこう言って、うずくまってしまったのだ。その後、いったんは立ち上がって歩き始めたものの、またホールの真ん中付近で「苦しい」と言い出し、そのまま後ろ向きに倒れてしまった。 すぐさま山分親方がクラブハウスに連絡を入れ、また後ろの組にいた医師が応急手当を施し、救急車で群馬医大付属病院草津分院に運ばれた栃赤城。しかし、わずか1時間半後の午後3時頃、帰らぬ人となった。 急性心筋梗塞だ。引退からわずか5年、まだ42歳だった。死ぬときも自分流を貫いたのだ。 このとき一緒にゴルフを楽しみ、栃赤城のあっけない最後をそばで看取った山分親方もまた、6年後の平成15年4月28日にまったく同じ急性心筋梗塞で急逝している。56歳だった。奇しき因縁というべきか。 こちらは前日の午後4時頃、日課の散歩から自宅に帰った直後に胸の苦しさを訴え、病院に緊急搬送されたものの、翌28日の午前6時45分に息を引き取った。病院に運ばれた直後、連絡をもらってかけつけた大関栃東(現玉ノ井親方)は、こう言った。「すでに意識はなかったけど、顔を見られただけでもよかった」 この栃赤城の急死は大相撲関係者に大きなショックを与えたが、その中の1人が1歳年上の横綱北の湖だった。当時、北の湖はすでに引退し、理事になったばかりだったが、「他人事ではないよ」 と言って急に健康オタクになり、短期間ではあったが、宴会にもノンアルコールビールを持参するようになった。 大物食いで鳴らした栃赤城は、死んでまで大横綱を震えあがらせたのである。相撲ライター・大川光太郎
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スポーツ 2018年12月09日 17時49分
名球会入会に立ちはだかる「200勝」の壁 資格を「150勝」に緩和する選択肢は?
投手なら日米通算「200勝」もしくは同「250セーブ」以上、野手なら同「2000本安打」以上が入会の条件とされている「名球会」。公式サイトによると、現在はこれらの基準をクリアした選手の内、投手は16人、野手は49人が在籍しているという。 ただ、会員数の差にも表れているように、名球会への入会は投打によってその難易度が大きく異なっている。2000本安打は今季も内川聖一(ソフトバンク)、福浦和也(ロッテ)の2人が達成したが、200勝達成者は2016年の黒田博樹(元広島/日米通算)が直近例。国内記録だけとなると、2008年の山本昌(元中日)を最後に1人も出ていない。 一昔前までは主流だった“先発完投”の風潮が消え、“投手分業”の考えが浸透している現代のプロ野球。時代の流れと共に“投低打高”が進むことを憂い、名球会は投手の入会資格について総会などで話し合っているというが、なかなか結論は出ていないようである。 一方、数字上の格差を是正したいというのであれば、入会資格を200勝から「150勝」に緩和するという選択肢もある。現在までに150勝以上を達成している投手の中で、200勝達成者を除いた人数は30人だが、これに冒頭で述べた名球会の会員人数を加えると46人。あくまで単純に合算すると、49人を数える野手の会員とほぼ同等の人数となる。 もちろん、これらの選手が全て名球会に入会する意思を見せるとは限らない。また、会では故人は会員ではなく「名誉会員」となることを考えると、該当する11人を除く必要もある。しかし、これらの要素を差し引いたとしても、今よりも投手の会員人数が増加することは極めて濃厚。1978年の会の設立からちょうど40年が経過したのを機に、こうした緩和案を検討してみてもいいのではないだろうか。 ちなみに、200勝の純粋な達成者は26人だが、前述した150勝達成者を合わせると56人。2000本安打とほぼ同じ難易度となることを考えると、資格としてはむしろ150勝の方が妥当であるといえるのかもしれない。文 / 柴田雅人
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