全日本プロレス時代、越中とプロレスリング・ノアを創設した故・三沢光晴さんは、若手のライバルとしてしのぎを削っていた。当時、全日本の若手にとって登竜門だった『ルー・テーズ杯』の決勝でも両者は対決し、先輩の越中が勝利。その後一緒に海外武者修行のためメキシコ遠征へ。三沢さんは2代目タイガーマスクとして先に日本に呼び戻されるも、越中には帰国命令が出ず、新日本プロレスへの移籍を決めた経緯がある。
三沢さんが全日本を退団し、ノアを旗揚げすると、全日本時代の「鎖国政策」から方針を変えて、新日本をはじめ他団体やフリーの選手も積極的に上がれるリングにした。特に全日本時代に苦楽をともにし、袂を分かっていた天龍源一郎氏や、故・冬木弘道さん、川田利明、そして越中と三沢さんはノアのリングでシングルを行っている。潮崎は不慮の死を遂げた三沢さんの最後のパートナーだった。三沢さんは最後となったシリーズに潮崎とのタッグで臨むことについて「俺の仕事はシオ(のステータス)を上げること」と話していた。
「この度、越中さんの40周年記念大会に出場させていただきます。今大会に指名していただきすごく光栄です。今回は対戦するカードではないですが、越中さんの『侍魂』をしっかりと受けていきたいです。よろしくお願いします」
潮崎は参戦にあたり、このようなコメントを寄せた。越中と三沢さんの“つながり”は、越中の40年に渡るプロレスラー人生において欠かせない。もし三沢さんがいれば真っ先に駆けつけただろう。天国の三沢さんも潮崎の参戦を喜んでいるはずだ。潮崎の出番はセミファイナル。藤波辰爾、佐藤耕平と越境トリオを結成し、NOSAWA論外&MAZADA&KAZMA SAKAMOTOと6人タッグで対戦する。藤波と潮崎は2007年、三沢さんとのタッグで対戦した。あの頃はまだ大型ルーキーだっただけに、同じコーナーに立ち、成長した姿を見せたいところだ。
取材・文・写真 / どら増田