小島は2002年に武藤敬司、ケンドー・カシンとともに新日本から全日本に移籍。2005年に川田利明を破り、第33代三冠ヘビー級王者となる。同年には新日本のIWGPヘビー級王座との史上初の4冠戦で、天山広吉を破り日本二大メジャーのトップベルトを同時に戴冠する偉業を成し遂げている。2010年に全日本を退団するまでに、三冠ヘビー級王座を2回、チャンピオンカーニバル優勝を1回、世界タッグ王座を3回、アジアタッグ王座を1回、世界最強決定リーグ戦優勝を4回経験。故・馬場元子さんから武藤敬司社長時代の全日本の顔として大活躍した。
永田は新日本所属ながら、2011年にチャンピオンカーニバルで優勝し、世界タッグ王座も奪った。最近ではライバル秋山準とのタッグでアジアタッグ王座も獲得している。新人時代は『ジャンボ鶴田二世』と呼ばれていたこともあり、全日本のリングにおいても王道プロレスにしっかりと対応していた。ここにヤングライオン(新人)時代、新日本の道場で同じ釜の飯を食っていた西村が加わるのは興味深い。大森も一時は中西学とのタッグで、新日本を主戦場にしていただけに、新鮮な絡みが見られそうだ。
また全日本プロレスOBのキム・ドク(タイガー戸口)、百田光雄の参戦も決定。MEN’Sテイオー、TARU、土方隆司、相島勇人らとジャイアント馬場追善記念バトルロイヤルに出場する。
キム・ドクは今は亡き大木金太郎との師弟タッグで1976年、当時の全日本最強タッグだったジャイアント馬場&ジャンボ鶴田(ともに故人)を破り、インターナショナルタッグ王座を奪取するなど活躍。1979年にタイガー戸口に改名し、全日本に所属すると、馬場、鶴田に続くナンバー3のポジションに。NWA世界ヘビー級王座に挑戦するなどチャンスも多く与えられたが、1981年に新日本へ電撃移籍したため、再び全日本に戻ったのは2001年。20年もの時間を要した。
“6時半の男”として馬場全日本の前座戦線に欠かせない存在だった百田は世界ジュニアヘビー級王座も獲得しており、ファンから絶大な支持を受けた。馬場さんが亡くなる前にはラッシャー木村(故人)とともに同じコーナーに立ち、永源遙(故人)&渕正信率いる悪役商会との6人タッグを名物にしていた。2000年に三沢光晴(故人)と行動をともにし、全日本を退団、プロレスリング・ノアへ移籍している。馬場さんが亡くなった際、マスコミに公式発表したのは百田だった。
少しずつカードも決まってきた平成最後のオールスター戦『ジャイアント馬場追善興行』だが、全日本にゆかりのある選手が再び集まるのは喜ばしい限り。天国の馬場さんや元子さんが喜ぶような大会が見えてきた。
取材・文・写真 / どら増田