スポーツ
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スポーツ 2019年02月21日 17時00分
中日・根尾 日ハム・吉田 「高卒ルーキー」プロの壁
期待の星たちもプロの洗礼を頂戴したようだ。 中日・根尾昂(18)が2月9日、ファンイベントに駆り出され、こんな質問を受けた。「京田選手に勝てますか?」。これには黄金ルーキーもタジタジだった。「根尾はけがで出遅れ、キャンプは二軍スタートとなりました。ドラフト指名当初は中日のレジェンド、立浪和義以来となる高卒野手の開幕スタメンも期待されましたが、体が付いていかなかったのでしょう。今は無理をさせず、オープン戦中盤に一軍合流を目指すしかない」(スポーツ紙記者) ショートの定位置を争うライバルの京田陽太は、3月9日から始まるメキシコとの強化試合で侍ジャパン入りが有力視されている。大卒の3年目、根尾が遅れを取るのは当然だが、「吉田輝星(18)よりはマシ」との気になる声も聞かれた。「吉田は入団交渉時から二軍スタートを通達され、闘争心に火が点いたのでしょう。二軍組の中では、そのストレートの威力は群を抜いていて、仕上がりも早く、先発投手のコマ不足に悩む日本ハムなら開幕一軍もあると見られた」(担当記者) 「負けて元々」の環境を与えてやれば一軍でも好スタートを切るかもしれないが、実際は違った。「二軍だからよく見えるんです。一軍に合流し、対外試合を経験すれば、プロの怖さが分かるでしょう。昨年夏の甲子園から時間も経ちましたが、ストレート勝負、力でねじ伏せようとする投球スタイルは変わっていない。今のままではダメ」(球界関係者) もっと言えばオープン戦中盤までは全体的に打者の調整が遅れているため、新人投手は“錯覚”しやすい。「吉田にはスライダーもありますが、まだまだ。楽天の松井裕樹は入団時、『スライダーの曲がり幅が大きく、プロでも手こずる』という評価でしたが、一人前になるまで時間が掛かった。吉田のスライダーは松井裕以下。今季後半に一軍登板できたら御の字」(同) 根尾、吉田とも目標を下降修正しなければならないようだ。 だが、2人とも「大切に育てる」という猶予を与えられない可能性もある。観客数アップに貢献してもらわなければならないからだ。 中日は昨季、「松坂効果」の恩恵があったが、2年連続は考えにくい。お膝元の岐阜県出身である“スター候補”根尾に活躍してもらわなければ困るのだ。 また、日ハムも本拠地移転を発表しているため、見送る側の札幌市民がどんな反応を示すのか、警戒しているのだ。マイナス要素を払拭するには、“甲子園の星”吉田の快投劇を演出しなければならない。「2人とも将来性は十分なんですが、即戦力かと聞かれると難しいと思います。中日は内野陣も揃っているので、根尾を途中出場にまわすことも可能ですが、日ハムは昨季4勝に終わったオリックスの金子弌大を獲得したことからも分かるように、先発投手が不足しています。清宮幸太郎も育てなければなりませんし、『実力以外の理由』で選手起用する場面もありそう」(前出・球界関係者) 日ハム・栗山英樹監督、中日・与田剛新監督ともに、スタメン編成で悩む場面が出てきそうだ。 根尾、吉田は、ともにマジメな性格だ。「コメントが面白くない」なる声も聞かれるのは、余裕のない証拠。フィーバーに沸くのはキャンプ中だけとならなければいいが…。
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スポーツ 2019年02月21日 11時50分
高野連、球数制限を決定した新潟県連盟にNO その理由に「意味不明」の声
20日、日本高等学校野球連盟(以下・高野連)が大阪市西区で理事会を開き、新潟県高等学校野球連盟が春の県大会で投手に対し、1試合100球の「球数制限」システムを導入することについて、見直しを申し入れる決定をした。 決定について、竹中雅彦事務局長は「認めないということではなく、猶予を考えてほしいということ」と説明。再考の根拠については「勝敗に影響を及ぼす規則については、全国で足並みを揃えて検討するべき」などとしている。要約すると「勝手に決めるな」ということである。 今後、新潟県高野連がどのように対処するか注目されるが、「親方」である高野連が早期導入に「NO」を突きつけた以上、従わざるを得ないのではないかとの見方が有力だ。 この件についての考え方は様々で、横浜高校前監督の渡辺元智氏は「足並みを揃えるべき」と全面的に支持するコメントを発表。一方、ロサンゼルスドジャースの前田健太投手やシカゴ・カブスのダルビッシュ有投手は、自身もエースとして甲子園で酷使されてきただけに、球数制限に肯定的な意見を示した。 高校野球投手の酷使はここ数年というレベルではなく、昭和の時代から問題視されていた。甲子園の優勝投手でプロ入り後200勝を達成した選手は、野口二郎投手(中京商業)と平松政次投手(岡山東商業)のみで、100勝を挙げることも難しいのが現状。愛甲猛投手(横浜高校)や金村義明投手(報徳学園)のようにプロ入り後、野手に転向する選手も多い。 また、プロに行けなかった選手でも、大学・社会人で疲労の影響からパフォーマンスを出せず、野手転向や通用せずキャリアを終えるケースがある。 これだけ問題があるにもかかわらず、長年その問題を放置し、利権だけを貪ってきた高野連。そのような流れにストップをかけようと新潟県高野連が立ち上がったことは大英断だったが、残念ながら本部のお偉方には届かなかった。 この決定にネットユーザーも怒りの声を次々と上げており、「意味不明」「旧態然」「どうしようもない組織」と批判が。一方、高校野球ファンは「当然。勝手にやられてもらっては困る」「つまらないルールを入れるな」「勝敗を競う高校野球にそんな物はいらない」「連投に耐える投手を見るのが高校野球の醍醐味」と高野連の決定を支持する声も。やはり、ファンと非ファンの意識の差は歴然としている。 「高野連は今後、専門家を交えた有識者会議を開き検討していくとしていますが、参加者は未定で、結局、高野連の主張を後押しするための組織になるだけでしょう。 甲子園大会は残酷ショーであるところが最大のウリで、日本の若者が苦渋に顔を歪める姿を冷房の効いた部屋で楽しむのが通例。それでガッポリ収入も得られるわけですから、利権が離れるようなことはしませんよ。 主催は『国民の代表』と名高い新聞社の記者さんたち。高野連の決定が、国民の決定とでも思っているのでは」(野球ライター) その旧態然とした運営に批判が集まる高野連だが、収益が上がっているだけに、現在のレギュレーションを変更されては困ると感じているようだ。文・櫻井哲夫
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スポーツ 2019年02月21日 06時00分
猪木氏が登場!『炎のファイター』に始まり『王者の魂』で終わった馬場さん追善興行
『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』▽19日 東京・両国国技館 観衆8.800人(超満員札止め) ジャイアント馬場さんの追善興行にアントニオ猪木氏が来場すると聞いたとき、耳を疑ったのは私だけではないはずだ。 1972年から反目し合っていた2人が公の場で会ったのは、東京スポーツのプロレス大賞授賞式や、1978年のプロレス夢のオールスター戦、外国人引き抜き戦争の際に紳士協定を締結したとき。そして2人の師匠である故・力道山関係のイベントの数回のみだった。 ただ、実は2人が頻繁に会っていたというのは事実のようで、レストランなどにその“足あと”が残されていることが確認されている。しかし、猪木氏の引退試合に馬場さんが電報を送ったにもかかわらず、それが意図的に読まれなかったとされた。公の場での接近感は避けていたように見える。同日にデビューした2人であるだけに、実際に会えば「馬場さん」「寛至(猪木氏の本名)」と呼び合う兄弟のような仲だったと話す関係者もいる。 この日、オープニング映像が終わると『炎のファイター』が場内に鳴り響く。地鳴りのような大猪木コールの中、猪木氏はリングに上がらず、リングの下から挨拶を始めた。 「元気ですかー!元気があればなんでもできる。元気があれば、送り人もできるということで、馬場さんの20周年…20年ですかね。早いもので、あの、だいたい20年経つと忘れられてしまうんですが、きょうはこのように会場にたくさんの方が駆けつけてくれてありがとうございます。ジャイアント馬場に成り代わってお礼を申し上げます(場内爆笑)」といつもの調子で語り始めた。 「最後に入院される前によくあるホテルのロビーで顔を合わせたんですが、すれ違って立ち話した時『お前はいいよなぁ』と。何がいいのか分かりませんけどね、私がいつも挑戦し続けたんで馬場さんも困ったろうなと思うんですよね」と馬場さんとのエピソードを語る。 「最後に来た手紙が『三途の川で待ってるぞ』と。挑戦を受けるべきかどうか、逆に私が悩みましたけどね。でもだんだん歳をとるのは仕方がないなと。私もそろそろ、送られ人になりそうかなと。その時は、せめて10年ぐらいたっても覚えていてほしいと思いますけどね」とポツリ。 「何はともあれ若い選手が控室に挨拶に来てくれましたが、知らない選手たちも(場内爆笑)」と嘆いたが、「でもやはり格闘技、プロレスというのは永遠だと思うんで、形は変われどこれから50年、100年、何百年先にも続いていくと思いますから、ひとつ伝統芸、スピリットというか…」と、プロレス界のさらなる発展に期待した。 最後の合図ももちろん忘れていない。「久しぶりに上着を取ってやります(場内大拍手)。ほんとはね、リング上に上がろうと思ったんですが、上がったら挑戦状を受けたということになりそうなんで、下からご挨拶させてもらってますけどね。ますます元気にプロレスは、師匠・力道山から始まり戦後の復興に元気をつけてくれた。そんな思いを込めて、若い選手にメッセージとして送り、ファンの人たちもよろしくお願いします。行くぞー!1、2、3、ダァー!」 プロレスファンの前では久々に「ダァー」を披露すると再び『炎のファイター』が流れ、大猪木コールの中、猪木は控室に戻っていった。猪木氏は待ち構えていた報道陣の質問に少しだけ答えると、そのまま試合は見ずに国技館を後にしたという。 猪木がリングに上がらなかったのは「腰の手術が影響しているのか」と心配する声もあった。ただ、関係者の話によると、会場入りから猪木氏の足取りはしっかりしており、異変は感じられなかったそうだ。この日のリングが全日本プロレス仕様だったこと、そして馬場さんの興行だったことから、「このリングに上がるべきではない」と猪木氏が配慮したものと思われる。 エンディングでは、馬場さんに向けた10カウントの後に、馬場さんのテーマ曲『王者の魂』が流された。猪木氏のテーマ曲『炎のファイター』に始まり、『王者の風』で終わった平成最後のプロレスオールスター戦。これで昭和も完全に終わったのかもしれない。そう思うととても感慨深い興行だった。取材・文 / どや増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2019年02月20日 21時30分
ブッチャー引退に昭和のレジェンドが集結!ラストメッセージは「親を大事にしろ!」
『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』▽19日 東京・両国国技館 観衆8,800人(超満員札止め) 昭和の日本マット界を恐怖に陥れていた悪役レスラー“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーが19日、東京・両国国技館で開催された。 第3試合終了後に組み込まれたセレモニーだが、第3試合に出場した大仁田厚と、出番待ちをしていたブッチャーが再会。両者は大仁田が全日本時代にブッチャーが全日本の外国人エースで、2001年に東京ドームで行われたジャイアント馬場さんの3回忌興行ではタッグで対戦もしている。 入場テーマ曲『吹けよ風、呼べよ嵐』が流れる中、ブッチャーは車椅子に乗り、ジョー・ディートンが押す形でリング上へ。花束贈呈では、『マシンガン』のテーマが流れる中、懐かしの元日本テレビアナウンサーで『全日本プロレス中継』のメインアナウンサーだった倉持隆夫さん(松永二三男さんも来場)、日本プロレス時代から実況をしていた徳光和夫アナウンサーら関係者が先に贈呈。続いて、『スカイハイ』が流れると、ミル・マスカラス&ドス・カラスのマスカラス兄弟が、古舘伊知郎アナウンサーが歌う『燃えろ!吠えろ!タイガーマスク」とともに初代タイガーマスク&新間寿氏、秋山準、武藤敬司、坂口征二氏、スタン・ハンセン氏、ドリー・ファンク・Jr.が登場。武藤がファイティングポーズを取ると、ブッチャーが立ち上がる場面も。また、ドリーはブッチャーの凶器攻撃に散々悩まされてきただけに、一瞬睨み合ったが和解の握手。このセレモニーはオールドファンを大いに喜ばせた。 さらに、かつての宿敵、ザ・デストロイヤー氏、世界最強タッグリーグ戦でタッグを結成した鈴木みのるからのビデオメッセージが寄せられ、ブッチャーとの思い出を話し、ブッチャーも笑顔でこれを見ていた。 ブッチャーは「ファンの皆さん、東京に帰ってきました。ひとつだけ足りないことがあります。ジャイアント馬場がここにいてくれれば完璧だった。若い人たちに言いたい。自分の親が歳を取っても決して老人ホームにぶち込んで忘れるようなことはするな。いずれは歳を取ってとってそういう事になるんだから親を大事にしろ。それだけは言いたい。忘れるんじゃないぞ。みなさん本当にありがとうございました」 ブッチャーはこのように挨拶をすると、引退の10カウントゴングが叩かれ、58年に渡るプロレス人生の幕を閉じた。フォークを中心とした凶器攻撃と流血のイメージが強いブッチャーだが、実はかなりの実力者。全盛期のダイビングエルボー(毒針エルボー)は今見ても迫力満点の威力を誇っている。 バックステージに引き上げると、キム・ドクがブッチャーを迎え入れ談笑。インタビューブースに現れると、「最高でした。残念ながら昔のレジェンドたちでもうこの世にいなくて、天国に旅立った人がいっぱいいる。でも、みんないつしかあの世に行くわけですから、僕もいつかは行きます。でも、近い将来というのは嫌ですね。もうちょっとここにいたいです。長年のマネージャーと長年の友人であったジョンが他界しました。僕の一番の親友でした。彼の告別式が明日で、彼の奥さんが教会の牧師さんなんですね。みなさん彼のために祈ってあげてください。お願いします。みなさん今日はありがとうございました。リング上でも言いましたが、自分の親を大事にしてください。決して施設にブチ込んだりすることはしないでください。以上です」ブッチャーのラストメッセージは、本来持ち合わせていた優しさだった。 フォークを持ってブッチャーの横でコメントを聞いていた大日本プロレスのアブドーラ小林は、付き人時代のことを振り返り、「言われたことで印象に残っているのは、日本人は目が細いから目を見開けと。じゃないと優しく見えると言ってて、そういうプロレスの所作を教えてくれましたね。酒を飲むと駐車場代を払ってくれなくて、20万ぐらい立て替えて返ってきてないんですけど(笑)。きょうで全部チャラですね。区切りをつけることが出来て良かったです」と数多く存在すると言われているブッチャーとのエピソードを小林は嬉しそうに話してくれた。大会終了後、22時半になってもブッチャーの現役ラストサインを求める列は途切れず。昭和の外国人スター選手はやはり偉大なのだ。取材・文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2019年02月20日 17時40分
棚橋弘至、宮原健斗を絶賛!「本当に宝」関本大介には「新日本vs関本」に期待!
『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』▽19日 東京・両国国技館 観衆8.800人(超満員札止め) 『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』が19日、東京・両国国技館で開催された。平成最後のプロレスオールスター戦という裏テーマはあったものの、馬場さんの追善興行とあって、全日本プロレス出身者が多く出場した。 メインイベントには新日本プロレスの前IWGPヘビー級王者の棚橋弘至が登場。現在は全日本を主戦場にしているヨシタツとの「ザ・ワールド」を4年3カ月と11日ぶりに復活させた。対戦相手は、かねてから棚橋との対戦を熱望していた全日本の三冠ヘビー級王者の宮原健斗と、世界タッグ&BJW認定世界ストロングヘビー&ZERO1の世界ヘビーの三冠を持つ関本大介(大日本プロレス)。初対決が実現した。 棚橋は、宮原のテクニック、関本のパワーある技を浴びると、場外戦も含めて白熱とした展開に。初対決とは思えないほど、棚橋と宮原&関本の絡みには見応えがあった。またヨシタツのパートナーである宮原と対戦するのもレアだ。WWEから新日本に復帰した後は苦しんだ時期もあったヨシタツだが、全日本に活動拠点を移して正解だったようだ。 最後は宮原がヨシタツをシャットダウンスープレックスで下し、24分を超える激闘に終止符が打たれた。宮原は全日本プロレスの代表として面目を保つとともに、天国の馬場さん夫妻に向けて、現在の全日本をしっかりとアピールしたと言ってもいいだろう。 試合後は、毎回恒例となっている宮原がマイクパフォーマンスで、観客を煽った。最後に「プロレスを最高に〜」と言うと、棚橋にマイクを向けて「愛してま〜す!」と夢のコラボレーションが実現。ファンを大いに喜ばせた。 入場直前、通路に展示されていた馬場さんの写真に一礼してから入場した棚橋は、試合後ヨシタツとともにインタビューブースに登場した。 「僕は大学4年生のとき、新日本プロレスに入る直前に、ジャイアント馬場さんの訃報を知りました」と棚橋は切り出す。「せっかくプロレスラーになったのに、プロレス界に馬場さんがいないんだっていう寂しさはありましたね。新日本プロレスでプロレスラーになりましたけど、こうして馬場さんの興行に呼んでいただけて嬉しかったです」と笑顔を見せた。 棚橋は出番待ちの際、マスカラス兄弟の試合を“観戦”。「凄いっすね」と往年のスーパースターのオーラを空気で感じていた。全日本プロレスに関しては「(プロレスに)熱中してた高校生のときは、新日本が闘魂三銃士、全日本が四天王で、特に小橋(建太氏)が好きだったというね。きょう実況席にいらして、武藤(敬司)さんも見られてましたし、リングサイドには馳(浩氏)さんもいらしてました。そうそうたる大先輩の前で試合をするというのは貴重な経験でした」とコメントしている。 対戦相手の宮原&関本については「宮原選手は本当に宝だと思いました。ハートの部分が屈託がないというか、明るい光を放っているので、昔の棚橋…。いや、僕を超える素材になると思います。これからのプロレス界は宮原選手が語ればいい」と宮原をたたえた。「関本選手とは初めてやりまして、関係者やファンの間からは関本選手はいいと伝え聞いてましたので、やってみてラリアット、逆水平…関本選手vs新日本の選手、関本vs(マイケル)エルガンとかね。ぜひまた関本選手とはつながっていけたらと思います」と関本と新日本勢との対戦にも期待を寄せていた。 一方の宮原は「きょうは棚橋弘至さんと輝き対決というところにテーマを置いていた」と棚橋を意識していたことを明らかに。「帰ったら入場からチェックしようかなと思ってるんですけど、負けてないんじゃないかな。こうやってリングで会って、身体を触れ合って、やっぱりカリスマ性がちょっと違いますね」と刺激を受けた様子だ。 「僕はあの輝きに負けるつもりはないし、ああいうカッコいい背中がプロレス業界にいる。僕としては唯一追いかけたい背中。きょう当たれたというのは、プロレスの神様も何か意味があると思う。その意味を確かめながらレスラーとして生きていく」と話すと、関本は「大日本プロレスを大きくするため、チャンスがあれば新日本プロレスに乗り込みたい」と、棚橋のリクエストに応えている。 「メインの選手は馬場さんとゆかりがない」 そんな声がファンだけでなく、タイチからも出ていたが、棚橋のプロレスはどちらかと言えば“全日本向き”。馬場さんが好むかつてのNWA世界ヘビー級王者のようなファイトスタイルだ。試合後のやり取りから、宮原との再戦や、関本の『G1クライマックス』参戦などの可能性が高くなったのは事実。これがあるからオールスター戦は面白い。 今回は馬場さんの追善興行だったが、オールスター戦として4年に一度のペースで定期開催し、プロレス熱を底上げしてもらいたいと思う。取材・文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2019年02月20日 17時30分
巨人・原監督が敵チームに「丸の情報」を提供する理由は
貫禄か、それとも単なる強がりか? 原辰徳監督(60)がまた一つ、“マルヒ”を明かした。2月19日、翌20日のKIA戦(韓国)で、丸佳浩(29)をセンターではなく、ライトの守備に就かせると宣言したのだ。指揮官の宣言通り、丸は2番・ライトでスタメン出場した。 調べ直してみたが、丸が公式戦でライトを守ったのは、14年5月の埼玉西武戦が最後。以後、ライトの守備には就いていない。丸は13年から6年連続でゴールデングラブ賞に選ばれた名手だ。普段はセンターであっても、「やれ」と言われれば、ライトでもそつなくこなすのだろうが、原監督の目的が分からない。 「試合の流れ、他選手との関連でそういうこともシーズン中に『起こりうるから』と説明していましたが。ライト、レフトにはライン際に曲がりながら飛んでくる打球も少なくありません。シーズン中に急きょライトに回したときに慌てないように、ということでしょう」(スポーツ紙記者) しかし、原監督の丸に関する話題提供は、これが初めてではない。阪神OBの掛布雅之氏(63)が巨人キャンプを視察したとき(14日)も、「2番・丸」の打順構想をアッサリと明かしている。 丸の打順に関する話は、他の選手にも影響するという。 「坂本勇人が何番を打つのか、セ5球団のスコアラー間で議論されていたんです。今年の坂本は、キャンプ初日からフルスイングをしていました。1番を任せたシーズンでは『出塁』を意識したのか、コンパクトなスイングで調整していました。オフの間、攻撃的な野球を好む原監督は3番タイプのバッターを2番に置く構想も明かしていた。その新しい2番バッターとして予想されていたのが坂本でした」(前出・同) 坂本がフルスイングをしていた。ここに、2番・丸の構想を明かされたことで、「3番・坂本」など他選手の起用法も明らかになった。 ここまでの原監督を見ていると、こうしたヒミツをあっさりと明かしている。 打順を明かすことが優勝を争う上で致命的なマイナスになることはない。ただ、開幕カードでぶつかる広島、第2節で対戦する阪神は対策を立てやすくなる。手の内をあっさり明かせるのは、余裕か? 「今年の巨人キャンプは順調です。天候に恵まれたせいもありますが、それがむしろ不安材料に変わりつつあるというか…。雨天による練習中止、練習時間短縮がないので、チーム全体が『お疲れモード』です。疲労が大きな怪我につながることもあるので」(プロ野球解説者) その中で、変わらずハツラツと練習をこなしているのが、丸だという。 丸が元気で、他選手はややスタミナ切れ。そう聞かせられると、「広島カープ出身の選手は強い、タフネス」ということも分かる。案外、原監督が丸に関する情報を公表しているのは、生え抜きのGナインに目が行かないようにするためかもしれない。 その通りだとすれば、原監督が丸の話題を提供するのは、弱点に目を向けさせないためなのかもしれない。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2019年02月20日 17時00分
阪神 矢部監督vs虎OB 丁々発止 お家芸ベンチ裏
阪神のキャンプ地・沖縄県宜野座が張りつめた空気でいっぱいになったのは、掛布雅之シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(63/以下=SEA)が同地を訪れた2月9日のことだ。 矢野燿大監督(50)ら首脳陣と挨拶を交わし、打撃ゲージ後方に陣取る。そこへ新人の近本光司と木浪聖也が駆け寄り、直立不動で自己紹介をする。掛布SEAは笑顔で対応した。 有力OBの訪問は、キャンプには珍しい光景ではない。しかし、この空気…。今春の阪神キャンプは、ひと波乱起こりそうである。「矢野監督の脇を固めているコーチスタッフは、二軍からの昇格者も多いので、掛布氏ともツーカーの関係です。その掛布氏が存在感を示したことで、阪神OBは溜飲を下げたのでは」(ベテラン記者) 掛布SEAの表敬訪問よりも4日早い同5日、トラ史上初のシーンが見られた。山本昌、川上憲伸、山﨑武司の中日OB3氏が揃って現れ、若トラたちを指導したのである。「表向きは取材です。山本氏は関西のテレビ局に解説者の席も持っているのです。川上、山﨑両氏は山本氏のスケジュールに合わせての宜野座入りでした」(在阪記者) 中日の有名OBが日程を合わせた理由は、矢野監督にある。タテジマを着て現役生活にピリオドを打ったが、もともとはトレードで中日から移籍してきた“外様”だ。中日出身の清水雅治コーチをヘッドコーチとして招聘したように、今も中日OBとは強い関係で結ばれている。 山本昌氏は才木浩人、飯田優也、小野泰己にスクリューボールを伝授し、川上氏も浜地真澄にカットボールを教えていた。伸び盛りの彼らが今季活躍すれば、「2人のおかげ」ということになる。「フロントやコーチたちは、ありがたいと言っていましたが、山本氏らは自分たちが“出すぎたらどうなるか”分かっているはずです」(前出・ベテラン記者) 掛布SEAの訪問は中日カラーが強まることへの危機意識もあったのか、いつも以上にメディアにリップサービスもしていた。「前任から数えて2代続けての外様監督ですからね。金本知憲前監督が就任した4年前、関西メディアの力関係が変わったんです。どのテレビ局も阪神OBを抱えていますが、金本前監督と親しい下柳剛氏がナンバー1の売れっ子となり、タテジマ一筋のOBに取って代わるようになりました。矢野監督を取材するにあたって、年齢も近く、現役当時を知っている人となると、中日OBにお願いすることになりそうです」(TV局スポーツ部員) 解説の仕事も減ったとなれば、阪神OBたちの機嫌を損ねるのは必至だ。「阪神OBたちが気にしているのは、将来の幹部候補と目される鳥谷敬の復活です。矢野監督は鳥谷を気にかけているので問題はないが、あとは藤浪晋太郎次第でしょう」(前出・ベテラン記者) 鳥谷はショート帰還の直訴が叶い、ヤル気になっている。しかし、藤浪晋太郎は今年も心配の種だ。ただ、どこを指して「復活」というのか、そのノルマは人によって異なる。「先発ローテーション入りも怪しいですが、2ケタ勝利で合格とする声もある。また、実力からして15勝、フル活動しなければダメだとする向きもある」(同) 矢野監督も“Aクラス復帰”だけでは許されない。トラOBは存在感を発揮するために激励と称し、現場首脳陣と藤浪に厳しいノルマを課していくようだ。
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スポーツ 2019年02月20日 06時00分
WWEフィン・ベイラー&リコシェの元新日本プロレスコンビが衝撃発進!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間19日、ルイジアナ州ラファイエットのケイジャンドームで主力ブランドのロウを開催した。前夜にはPPV『エリミネーション・チェンバー』が開催された。4月に開催される世界最大のプロレスイベント『レッスルマニア』に向け、さまざまなドラマが一気に加速し始めている。 『エリミネーション・チェンバー』で新インターコンチネンタル(IC)王者となったフィン・ベイラーがリングに登場。「IC王座は夢だったんだ。このベルトのレガシーを引き継いでいく」と意気込んだ。ここで「IC王者としてふさわしくない」とリオ・ラッシュが話をさえぎるように登場。さらに背後からボビー・ラシュリーがベイラーを襲撃し、2人がベイラーに暴行を加えていると、そこへファームブランドNXTのスーパースター、リコシェが救出に入ってきた。 そのまま4人によるタッグマッチが始まった。すると、リコシェがハリケーンラナからのドロップキックでラッシュを翻弄。ロウの会場に集まったファンの心をつかむ。しかし、ベイラーがラシュリーのパワーファイトに捕まり苦戦。何とかリコシェにタッチすると、トペ・コンヒーロでラッシュを蹴散らした。ベイラーはジョン・ウーでラシュリーをバリケードまで吹っ飛ばし、叩き付けるという2人ならではのチームワークを発揮すると、最後はリコシェが必殺の630°スプラッシュでラッシュから3カウント。リコシェがベイラーとのタッグでロウデビューを勝利で飾った。 ベイラーはプリンス・デヴィットのリングネームで、新日本ジュニアの絶対王者にまで上り詰め、現在も新日本マットを荒らしている外国人ユニット、バレットクラブの創設者であり、初代リーダーを務めた。リコシェもドラゴンゲートを経て、新日本ジュニアを引っ張っていただけに、リコシェが今後ロウに昇格するようなことがあれば、このタッグは日本のファンにとっても魅力的。日本公演でも見てみたいという声が出るのは間違いない。 リコシェのさらなる飛躍に期待したい。文 / どら増田写真 / ©2019 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2019年02月19日 22時10分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「藤原喜明」一筋縄ではいかない“関節技の鬼”
2007年には胃がんのため胃の半分を切除する大手術を受けながら、わずか半年後には復帰を果たした藤原喜明。今も不定期ながらさまざまな団体のリングに上がり続け、一昨年には大仁田厚との電流爆破マッチまで行っている。※ ※ ※ コンプライアンスだ、なんだと口うるさい昨今、少し際どい表現をすれば、すぐに「問題発言だ」「差別だ」などと批判を受けてしまう。 プロレスの世界でもこれは同じで、例えば、ジャーマン・スープレックス・ホールドが「原爆固め」と呼ばれることは、今ではすっかりなくなってしまった。被爆者差別の意図はないのだが、強烈な破壊力=原爆と表現することが問題だというわけだ。 ならば、アトミック・ドロップ(原爆落とし)はどうなるのかという話なのだが、最近は「尾てい骨割り」などという和名もあまり聞かれない。そもそも、この技を使う選手自体を見かけなくなったのは、やはりそうした昨今の事情を鑑みてのことなのだろうか? これ以外でも昭和のプロレス界においては、今の基準ではとても通用しないような表現が頻繁に使われてきた。 全日本プロレスがアブドーラ・ザ・ブッチャーらを主役に迎えて開催していた『ブラックパワー・シリーズ』などは、今なら即座に開催中止に追い込まれるだろう。 蝶野正洋のケンカキックにしても、使い始めの頃には「ヤクザキック」と呼ばれていたはずだが、この名称変更も暴対法などへの配慮からと思われる(アメリカでは今でも「マフィアキック」と呼ばれているそうだが…)。 そんな時代にあって、そのものズバリ、いまだ“組長”を通り名としているのが藤原喜明だ。 かつて『プロフェッショナルレスリング藤原組』を主宰していたから、その組長ということで問題ないという判断なのだろうが、そもそも藤原組という命名の時点でヤクザチックなムードを醸し出している。しかし、それでも問題視されることはなかった。「さすがに長州力を花道で襲って藤波辰爾との名勝負数え唄をぶち壊したときの“テロリスト”は、今では使えないでしょうが、それでも組長が許されるのは、とにかく藤原の人柄によるところが大きい」(プロレスライター)「寡黙な関節技職人」「練習好きで若手の面倒見もいい親分肌」「リングを下りれば酒と冗談が好きなオジサン」「陶芸やイラスト、浪曲などもたしなむ多芸な粋人」「がんを克服してリングに復帰した努力の人」など、藤原の人間性に対する多くのイメージはこんなところだろう。 いずれも日本人の多くが好みそうな性質で、だからこそ批判的な声が起こらないというのはあるだろう。そうは言いながら、藤原の実像となるとまた話は違ってきて、単純な好人物にとどまらない面もあるようだ。「意外ときちんと計算しているところがあって、例えば、プロレス界入りに際して新日本プロレスを選んだのは、『全日や国際と比べて大型選手が少ないから、身長185センチある自分は出世しやすい』との考えたからだったと、のちに自ら語っています」(同)★ヒールにも似た特異な試合運び 前座時代も、格上相手の試合においてはたっぷり関節技でいたぶっておきながら、最後だけはキッチリと負けて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてリングを下りる姿がたびたび見られたものだった。 人のよさと計算高さ、その両面を兼ね備えたところが藤原の魅力とも言えそうだ。試合ではシビアな攻めに徹しながら、いったんリングを離れればテレビのバラエティー番組でチャック・ウィルソンと相撲も取るし、それどころかアダルトビデオの監督&出演もやってのける。 そんな藤原の名勝負といえば、「第一次UWFにおけるその戦いの方向性を示すことになった佐山聡戦」「新日復帰時にアントニオ猪木への挑戦権を懸けた前田日明戦」「猪木引退に向けたファイナルカウントダウン」「G1クライマックスで長州力を破った一戦」といったあたりになろうか。 おもしろいのは、いずれの試合においても相手の方が主役であるところだ。「長州戦も藤原が勝ったということより、長州が負けたということに対するインパクトが強かったですからね」(同) まずはねちっこい“関節地獄”で先手を奪うのが定番スタイルで、実はこれ、ヒールの試合運びに通じるものがある。 関節技と反則攻撃を入れ替えると分かりやすいが、関節技(反則)に手をこまねく相手が逆転して、喝采を浴びるというケースだ。もしくは、相手がなすすべもなく押し切られてしまうこともある。 いまだに教えを乞う後進も多いという極め付きの技術を持ちながら、試合自体はヒール風という、これもまた藤原の持つ二面性であろう。 単純明快が好まれる昨今とは違い、昭和のプロレスは何かにつけて奥深い。藤原喜明***************************************PROFILE●1949年4月27日生まれ、岩手県出身。身長185㎝、体重102㎏。得意技/脇固め、アキレス腱固め。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2019年02月19日 21時10分
楽天・オコエ「なんで二重国籍ダメなの?」 大坂なおみも直面、ダルビッシュも本音を漏らし話題
「国籍選択しなきゃ。なんで二重国籍ダメなの?」。 18日深夜に配信されたインスタライブの中で、このような言葉を口にしたのはプロ野球楽天のオコエ瑠偉。自身の妹であるバスケットボール選手・オコエ桃仁花の配信に登場した21歳は、迫り来るその時を憂いていた。 日本とナイジェリアのハーフであるオコエ兄妹をはじめとした二重国籍者は、国籍法の関係上22歳までに「国籍選択」をしなければならない。日米両国の国籍を持つテニス・大坂なおみの活躍をきっかけにこの決まりを知ったという人も多いだろう。 二重国籍として生まれた人のほとんどは、両親のルーツを分け隔てることなく尊重している。しかし、現在の日本においては、いずれは“二者択一”の選択を強いられることになる。 どちらかのルーツを捨てさせる“無情の法”が、二重国籍者に大きな苦悩をもたらすことは想像に難くない。しかも、実に悲しいことに、昨今はどちらの国籍を選んでも多難な前途が待ち受けている。 例えば、日本国籍以外を選ぶとする。この場合「日本を捨てた」、「裏切り者」、「二度と帰ってくるな」といった的外れな批判が殺到することはほぼ確実。先に書いた大坂なおみが仮に米国籍を選べば、それまで応援してきた世間は一斉に手のひらを返すかもしれない。 こうした状況も危惧した上で、日本国籍を選んだとする。それでも、鼻高々に“純血主義”を掲げる残念な人も多い今の日本では、肌の色や顔立ち、さらにはもう片方のルーツを理由に差別を受けることも多いだろう。 現に、日本とイランのハーフであるダルビッシュ有は、自身のツイッターで「ずっと日本で育ってきてるから、冗談でも日本人じゃない的な言い方をされるとうれしくはないよなあ」と本音を漏らしている。おそらくこれは氷山の一角で、他にも心ない言葉を浴びせられている人は多数存在するだろう。 二重国籍が容認されればこのようなデメリットもなくなるのだろうが、現状ではそれが実現する見通しはない。それならばせめて、どちらの国籍を選んだとしても、当人の決断を尊重する寛容な人が増えてほしいものだが…文 / 柴田雅人記事内の引用についてダルビッシュ有の公式ツイッターより https://twitter.com/faridyu
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