特に際立ったのが献身的な走り。新シーズン開幕まで約1カ月あり、多くの選手がスローペースでプレーする中、俊輔だけは本気だった。予想に反して左MFで使われたにもかかわらず、彼は前線からプレスをかけ、果敢にボールを奪いに行った。ルイス・ガルシアへの先制弾をお膳立てしたスルーパスも見事だったが、それ以上にハードワークと激しい守備が見る者の目を引いた。
トルシエ元監督が日本代表を率いていた頃の中村はトップ下以外のポジションを嫌がった。左サイドで起用するフランス人指揮官への不満を前面に押し出すなど、10番のプライドは誰よりも高かった。が、7年が経過した今はどんな役割でも喜んで受け入れ、全力を尽くす。そんな変化こそ、欧州3チームを渡り歩いた経験の賜物だ。
中村俊輔が最も大きく変化したのは、2002年から3シーズンを過ごしたレッジーナ時代だろう。ここではムッティ、マッツァーリなど5人の指揮官の下でプレー。ボランチからアウトサイド、FWまで多彩な仕事を求められた。「守備ができない」とバッサリ切り捨てる監督もいて、試合に出られない時も多かった。
そこで彼が思ったのは「ボールが頭の上を超えて行くだけと諦めたら何も始まらない。どうすべきか考えないと進歩しない」ということ。自分自身を見直し、守備力向上に努めたのだ。Jリーグ時代には見せたこともないスライディングタックルもお見舞いするようになるなど、確実にタフさを増していった。
イタリア時代の試練に加え、セルティックで右MFとして新境地を開拓したことも今に生きている。「ポジションはどこでもいい。チームに貢献できれば」と31歳になった中村はさらりと言う。この献身的な姿勢があればどんな指揮官にも使われるはず。今季のエスパニョールでも活躍を期待してよさそうだ。