▽19日 東京・両国国技館 観衆8,800人(超満員札止め)
昭和の日本マット界を恐怖に陥れていた悪役レスラー“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーが19日、東京・両国国技館で開催された。
第3試合終了後に組み込まれたセレモニーだが、第3試合に出場した大仁田厚と、出番待ちをしていたブッチャーが再会。両者は大仁田が全日本時代にブッチャーが全日本の外国人エースで、2001年に東京ドームで行われたジャイアント馬場さんの3回忌興行ではタッグで対戦もしている。
入場テーマ曲『吹けよ風、呼べよ嵐』が流れる中、ブッチャーは車椅子に乗り、ジョー・ディートンが押す形でリング上へ。花束贈呈では、『マシンガン』のテーマが流れる中、懐かしの元日本テレビアナウンサーで『全日本プロレス中継』のメインアナウンサーだった倉持隆夫さん(松永二三男さんも来場)、日本プロレス時代から実況をしていた徳光和夫アナウンサーら関係者が先に贈呈。続いて、『スカイハイ』が流れると、ミル・マスカラス&ドス・カラスのマスカラス兄弟が、古舘伊知郎アナウンサーが歌う『燃えろ!吠えろ!タイガーマスク」とともに初代タイガーマスク&新間寿氏、秋山準、武藤敬司、坂口征二氏、スタン・ハンセン氏、ドリー・ファンク・Jr.が登場。武藤がファイティングポーズを取ると、ブッチャーが立ち上がる場面も。また、ドリーはブッチャーの凶器攻撃に散々悩まされてきただけに、一瞬睨み合ったが和解の握手。このセレモニーはオールドファンを大いに喜ばせた。
さらに、かつての宿敵、ザ・デストロイヤー氏、世界最強タッグリーグ戦でタッグを結成した鈴木みのるからのビデオメッセージが寄せられ、ブッチャーとの思い出を話し、ブッチャーも笑顔でこれを見ていた。
ブッチャーは「ファンの皆さん、東京に帰ってきました。ひとつだけ足りないことがあります。ジャイアント馬場がここにいてくれれば完璧だった。若い人たちに言いたい。自分の親が歳を取っても決して老人ホームにぶち込んで忘れるようなことはするな。いずれは歳を取ってとってそういう事になるんだから親を大事にしろ。それだけは言いたい。忘れるんじゃないぞ。みなさん本当にありがとうございました」
ブッチャーはこのように挨拶をすると、引退の10カウントゴングが叩かれ、58年に渡るプロレス人生の幕を閉じた。フォークを中心とした凶器攻撃と流血のイメージが強いブッチャーだが、実はかなりの実力者。全盛期のダイビングエルボー(毒針エルボー)は今見ても迫力満点の威力を誇っている。
バックステージに引き上げると、キム・ドクがブッチャーを迎え入れ談笑。インタビューブースに現れると、「最高でした。残念ながら昔のレジェンドたちでもうこの世にいなくて、天国に旅立った人がいっぱいいる。でも、みんないつしかあの世に行くわけですから、僕もいつかは行きます。でも、近い将来というのは嫌ですね。もうちょっとここにいたいです。長年のマネージャーと長年の友人であったジョンが他界しました。僕の一番の親友でした。彼の告別式が明日で、彼の奥さんが教会の牧師さんなんですね。みなさん彼のために祈ってあげてください。お願いします。みなさん今日はありがとうございました。リング上でも言いましたが、自分の親を大事にしてください。決して施設にブチ込んだりすることはしないでください。以上です」ブッチャーのラストメッセージは、本来持ち合わせていた優しさだった。
フォークを持ってブッチャーの横でコメントを聞いていた大日本プロレスのアブドーラ小林は、付き人時代のことを振り返り、「言われたことで印象に残っているのは、日本人は目が細いから目を見開けと。じゃないと優しく見えると言ってて、そういうプロレスの所作を教えてくれましたね。酒を飲むと駐車場代を払ってくれなくて、20万ぐらい立て替えて返ってきてないんですけど(笑)。きょうで全部チャラですね。区切りをつけることが出来て良かったです」と数多く存在すると言われているブッチャーとのエピソードを小林は嬉しそうに話してくれた。大会終了後、22時半になってもブッチャーの現役ラストサインを求める列は途切れず。昭和の外国人スター選手はやはり偉大なのだ。
取材・文 / どら増田
写真 / 舩橋諄