スポーツ
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
イチロー2000安打達成 次の“獲物”は夢の4割
米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(35)が7日(日本時間)オークランドコロシアムで行われたアスレチックス戦でメジャー通算2000本安打を達成した。前日あと一本と迫っていたが、この日の初回、2球目をライトに弾き返し、デビュー9年目での達成は史上最速記録となる。こうなると来季、日本球界復帰が有力(本紙既報)といわれるイチローだけに、日本で狙う夢の大記録が期待されることとなった。 イチローは6日(日本時間)のアスレチックス戦で内野安打を含む3安打の固め打ちで2000本安打まであと「1」とする“イチロー・ショー”を展開、敵地オークランドコロシアムを沸かせた。 4連戦の最後の試合でイチローはいきなりヒットを打ちメジャーデビューから9年目で達成というメジャー最速記録を打ち立てた。この2000本安打は試合数でいくと2位だったG・シスラー(元ブラウンズ)の1414試合を上回った。 イチローが狙っている、もう一つの大記録、9年連続200安打もあと5本となり、時間の問題である。イチローには、メジャーには敵なしといえる。 そのイチローに、ここへ来て来季は日本球界に復帰するという爆弾情報が米シアトルを中心として飛び交っている。イチローに近い情報通は、今回の記録を達成したことで、その根拠をこう証言する。「イチローにとって2000本安打は通過点とは考えていないでしょう。その年齢(35)を考えれば、ここら辺りがメジャー挑戦へのケジメと思っていますよ。“そろそろ日本に帰ってきてもいいかな”とつぶやいた通り、イチローの心中では腹を決めていると思いますよ」。 本紙特捜班では、その情報に基づき取材を進めていくと、日本球界復帰の第1候補は恩師の故仰木さんがいたパ・リーグのオリックスが有力であるとの結論に達した。 ではイチローが日本球界復帰して狙う”獲物”は何かが注目されることになる。首位打者とか年間最多安打数は、もはや世界のイチローには目標が低すぎるのではないか。もちろん、それらの記録も大変な偉業ではあるが、それよりいかにもイチローらしい「夢の記録」を狙ってしかるべきだろう。 それは夢の4割打者への挑戦である。これまでR・バース(当時阪神)の0.389が最高でイチローは0.387どまりで打率0.400を達成した選手はいない。これこそイチローが日本球界復帰して狙う獲物にふさわしいのではないか。「イチローなら日本で十分に狙える記録でしょうね。打率4割打者は野球人としてのドリームです。もしかするとイチローは狙って日本球界に帰るんじゃないですかね」(前述の情報通)。 さらに、もう一つのドリームは年間サイクル安打(単打、2塁打、3塁打、本塁打を1試合で記録すること)を2回以上達成することだ。ホームラン数が少ないことがネックとなるとの声もあるだろうが、イチローの場合は「メジャーでも狙って打つホームランが結構多い。その集中力は並のモノではない」(日本プロ野球関係者)であり狙う夢としては実現不可能な記録ではない。 日本球界の記録では年間1回は多数いるがイチローなら2回以上を狙う力量は十分である。日本プロ野球担当記者は「もしイチローが日本に復帰するなら彼の性格としても、人が成し得ない夢の記録達成を狙うだろうね。その可能性は十分ある。試合数もメジャーと比べると少ないのも味方するはず」と語る。 メジャーの記録を次々に塗り替えてきたイチローは全世界に“凄い日本人”をアピールしてきた。 いまこそイチローに国民栄誉賞の声は当然上がるはず。前回は辞退したが、さて今回は? 世界のイチローが数多く“世界記録”を引っ下げて日本球界に復帰する日が待ち遠しい限りではある。
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
“変態”記者を撃退した風香に密着24時
アイドルレスラー風香の一日密着は新聞名を変えたばかりのリアルスポーツ編集局への表敬訪問から始まった。 「おはようございまーす」。憧れの風香サマは青白のボーダーシャツにデニムのホットパンツ姿で颯爽と編集局にやってきた。 訪問を終えると、秋服を買いに一路お台場へショッピングに。洋服を選ぶ時はなるべくステージなどでも着られる派手めなものを選ぶ。 ショッピングをしていると携帯から着信音が。「さては男か」と一瞬勘ぐったが相手は引越業者。「今度引越するんですよ」。是非新居に記者も連れてって! その後、昼食。おいしい食事に話が弾む。最近は仙台に温泉旅行に行ってきたのが思い出だという。「忙しい日常から解放されました。ずっと寝てました(笑)」。その時の旅館で食べたカツオのたたきが絶品だったんだとか。 腹ごしらえも済んだところで気合を入れて浜辺で特訓開始。現地時間26日にメキシコで行われる『ルチャ・ファンフェスタ』に向けての走りこみを敢行した。メキシコシティは標高2240メートルに位置する高地のためトレーニングが欠かせない。 熱が入るのも無理はない。往年のスター選手であるテリー・ファンクとミル・マスカラスとの3ショットのポスターがこのほど完成。現地のファンに注目されること間違いなしなのだ。 2時間ほどの特訓が終了。着替えシーンを想像し、ムラムラしてしまった記者は風香の背後から覗き込もうとするも…。そこはレスラー、しっかりと持っていたカバンで撃退されてしまった。あぁ、無念。 失態もなんとか許してもらい、気を取り直して新小岩のシーザージムへ移動。ここではシュートボクシングの練習をするかたわら、子供達に指導もしている。 この日指導したのは熊谷春香ちゃんという小学1年生の女の子。風香の大ファンで「大会で優勝すればタッグを組めると思っている」とお母さん。シャドーボクシング、ミット打ち、そしてスパーリングと本格的な練習メニューだ。 そして、リングアナウンサーのRICAさんと「風香祭11」(10・25新木場1stRING)の打ち合わせ。今回のテーマはハロウィン。元気のない日本にエールを送りたいという。他のパフォーマーと共に4人でチアリーディングも披露する予定だ。 打ち合わせで今回の密着は終了。風香と別れた直後、聞き忘れたことがあったため、後を追いかけることに。背後から忍び寄る記者。 2007年2月に帰宅途中に痴漢被害に遭っている風香。背後からの嫌な空気を察知したのか、記者が近寄るやいなや虫除けスプレーを発射し、記者を撃退。その後、気持ちを切り替えた風香は悠々と帰宅の途に着いた。そして、記者は複雑な胸中のまま撤退した。 風香追跡・後記 アイドル女子レスラーだけあって、風香の行く先々で人垣が出来るのはさすが! 最近ではキックの特訓を連日行っており、強さも備わってきたのは頼もしい。最後はまったく下心はなかったのに、カン違いされ、スプレー攻撃にあった。これは私の不覚。それにしても動きが素早いのは風香らしい。これからも私は風香の“追っかけ”をしそうな気になってしまった。
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
ノア 三沢さんの追悼興行 田上社長が天龍・川田・健介に懇願
プロレスリング・ノア田上明社長の凱旋興行が6日、つくばカピオで行われ、故・三沢光晴さん追悼興行(27日、日本武道館)のカードが発表された。さらにハッスルで活躍する天龍源一郎、川田利明など、三沢さんにゆかりのある他団体の選手にオファーを出していることが判明。三沢さんの死後、多くを語らなかった2人が沈黙を破る可能性が出てきた。 この日のメーンで、小橋建太&秋山準と組み、杉浦貴&森嶋猛&平柳玄藩と対戦した田上。最後は、オレが田上で平柳を仕留め、「田上祭りinつくば」を締めた。 試合後には、リング上で自ら武道館大会のカードを発表。全日本プロレスの武藤敬司と社長タッグを結成し、小橋&高山善廣と対戦することが決定した。 「武藤選手と小橋選手と絡んだこと無かったみたいだからね。それにお互いの社長同士が組むということでこれから全日本と何かあるかもしれない」と経緯を説明。武藤との初タッグに向けてLOVEポーズまで披露した。 だが、サプライズはそれだけではなかった。西永秀一渉外部長によれば、他団体の参戦選手として武道館大会に天龍、佐々木健介、鈴木みのる、10・3大阪府立体育会館大会に川田、蝶野正洋の5選手にも参戦オファーを出しているという。 いずれの選手もノアに参戦経験があり、三沢さんともゆかりのある選手ばかりだが、中でも注目なのは天龍、川田の参戦の有無だ。 天龍、川田といえば、接点は全日プロ時代までさかのぼる。三沢さんの死後は、あまりのショックの大きさに多くを語ってはいないが、今回参戦が実現すれば初めて口を開く可能性もあり得る。 いずれにせよ、リストアップされている全選手が参戦すれば、豪華なラインナップとなる。
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
ボクシング 亀田興毅 内藤戦へ秘密兵器
2階級制覇を狙うWBAフライ級1位の“浪速乃闘拳”亀田興毅が6日、都内の亀田ジムで会見。WBC同級王者・内藤大助とのタイトルマッチに向けて、無期限セコンドライセンス停止中の父・史郎氏の処分解除をあらためて要望した。復帰させた暁には、2年ぶりとなる名物パフォーマンスを復活させるという。 5日の世界前哨戦でウンベルト・プールに5回KO勝ちした興毅は一夜明け会見に臨み、2階級制覇に向けて「(内藤戦の)イメージはもう出来上がっている。ビデオを見るのはあと1回くらいやな」とすでに研究済み。試合のダメージもほとんど残っておらず、8日からは奄美大島での合宿をスタートさせる予定だ。 2年ぶりのタイトル奪取に向けてぬかりはないが、その前にどうしてもやらなければならないことがある。2007年10月の次男・大毅の世界戦以来、無期限のライセンス停止となっている史郎氏のセコンド復帰だ。 「この2年間オレひとりで戦ってきた。セコンドのチームワークも必要やし、1分間のインターバルでのアドバイスも聞ける」(興毅)と訴えた。亀田ジムも興毅の意見をふまえ、JBCに復帰を要望する方針だという。 史郎氏のセコンド復帰の重要性を説く興毅だが、狙いはそれだけではない。「亀田トレインの復活や。あれはオレの原点やし、デビューした時からずっとやってきてた。もちろん復活させる」と本紙だけに明かした。 亀田トレインといえば、史郎氏を先頭に3兄弟が肩に手をかけて1列になって入場してくる亀田流パフォーマンスの原点。それをいま一度復活させるというのだ。史郎氏も以前から「亀田トレインを復活させる」と宣言しているだけに問題はない。 史郎氏によれば「興毅は本調子やない。いまのままやったら内藤に勝てない」という。どうやら2階級制覇を狙う興毅に必要なのは、技術や精神力ではなく、父親の“神の声”なのかもしれない。
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
健介オフィス 史上最年少コンビが旋風を巻き起こす
健介オフィスの中嶋勝彦(21歳)&宮原健斗(20歳)の史上最年少コンビが、プロレス界に風穴を開ける。 6日、健介オフィスは埼玉・吉川の道場でホームタウンマッチを開催。ノアの次期シリーズ開幕戦の9・12後楽園大会で、GHCジュニアヘビー級タッグ王者の金丸義信&鈴木鼓太郎に挑む2人が、メーンに出場。橋誠&梶ヤマトを撃破した中嶋は「僕と健斗の年を足すと41。プロレス界で一番若いチームだと思う。自分たちが後楽園でベルトを獲って業界を活性化させます」と力強く宣言した。 自信はある。ノアが7月に開催したジュニアヘビー級タッグリーグ戦において、中嶋組は優勝を飾った金丸組と引き分けに終わっている。今回の選手権試合は、決着戦としては最高の舞台であり、合体技で勝利を目指す。 「まだ出していないものがある。最終調整をして、完成度を高めて決めたい」という中嶋。“切り札”の新たな合体技に関しては「186センチというジュニアヘビー級では長身の宮原の高さをいかしたものになる」と明かすことはなかった。 金丸組がGHCジュニアタッグ王者になったのは昨年7月のことで、1年以上の長期政権が続くが、挑戦者組はむしろ、そこに切り崩す方法を見い出してもいる。 中嶋が「長く王座に就いているので、変な安心感を持っているはず。そこがポイント」と言えば、宮原は「長く組んでいて勝ちパターンが決まっているので、一つ崩れれば全部崩れるはず」と呼応。中嶋&宮原は、若さと勢い、そして健介オフィスで培ってきたきずなを武器に“世代交代”を狙う。(吉川)
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
「ナゼホント?」 サッカー日本代表の禁句とは?
サッカー日本代表内で決して口にしてはならない禁句があるらしい。それが「ハゲ」の2文字。2006年ドイツW杯に出場したジーコジャパンからのタブーだという。 そもそもJリーガーはほかのプロスポーツとは違い、角刈りやスポーツ刈りではなく、茶髪やロンゲ、今風の髪型の選手が大半。だが、A代表内では、そんなヘアースタイルの話すらご法度というから驚き。 某サッカーライターの話。「ハゲネタがNGだったのは、ジーコのとき。もちろん当時薄くなってきていた監督に、代表選手たちが気をつかったのもあるでしょうが、実はあのときほかにも薄毛の話題をできない選手がいました」 薄毛を気にしていた選手とは。前出ライターが続ける。「キャプテンのツネ様(宮本恒靖)。彼は写真を下から撮られるのを嫌ってるってウワサがあって、それでみんなが自然と髪の話題をしなくなったと言われてます。当時は自慢のミディアムヘアーを束ねるためにヘアバンドをしてましたが、あれは前からハゲてきてるのを隠しているためだったとか…」 岡田ジャパンに宮本は選ばれていない。「現代表ではどうかはわかりませんが、闘莉王の額があがってきてるのはみんな思っていることでしょうから、いまだにハゲネタNGのムードはあるかもしれません」(前出ライター)。フサフサの“ボンバーヘッド”中澤佑二の傍ら、いまだに「ハゲ」がNGワードだというなら、誠に皮肉な話だ。
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
OZアカデミー AKINOと輝優優 初防衛に成功
OZアカデミーのタッグ王者・AKINO&輝優優組が6日、新宿FACE大会で尾崎魔弓&KAORUの挑戦者組を破り、初防衛に成功した。 王者組の意向で凶器とセコンド介入ありの特別ルールで行われた一戦は15分、KAORUのボード攻撃が2度に渡って誤爆。完全に仲間割れした挑戦者チームを最後は輝が孤立したKAORUをファイアーバレーで仕留めた。 試合後、AKINOは「記憶と記録を残したい」と長期防衛に意欲をみせ、次期挑戦者にも「そろそろ外ともやってみたい」と語った。
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
大相撲 早くもアキらめた朝青龍
もはや、いるだけで弊害だ。いよいよ13日から始まる秋場所(東京・両国国技館)に向けて稽古(けいこ)が始まったが、どうも力士たちの士気があがらない。 本格的な稽古初日の2日、千葉県松戸市の佐渡ケ嶽部屋の稽古場に出現し、いきなり琴欧洲や琴光喜らと30番の申し合いをした大関・日馬富士は「初日みたいな感じでやったんだけど、どうもいつものような元気がない感じがする」としきりにクビをひねった。 双葉山と肩を並べる12回目の優勝を目指す横綱・白鵬も、出稽古にやってきた十両・旭南海に波離間(はりま)投げの大ワザを仕掛けたり、総合格闘家のミノワマン(33=フリー)に胸を貸すなど、終始リラックス、というよりはお遊び半分。先場所に続いて好調さは垣間見えたものの、とても10日後に闘いが始まるという雰囲気ではなかった。 どうしてこんなことになったのか。元凶はやはり朝青龍だ。先場所、10勝5敗と大崩れし、今場所に汚名返上、雪辱を期しているのは紛れもない事実。それを裏付けるように、稽古再開初日の1日には真面目に稽古場におり、朝赤龍を相手に8戦して全勝。師匠・高砂親方(元大関・朝潮)に立ち合いについてアドバイスされると、「やはり長い間、相撲を見ている人は、言うことが違うね」と素直にうなずくなど、これまでの反抗的な態度を一変させた。 しかし、8月の夏巡業では左ひじ、右肩に加えて新たに右ひざの痛みを訴えてほとんど稽古しなかったりなど、これまでの悪行や稽古不足のツケはこれでは消えない。 2日は春日野部屋で行われた出羽一門の連合稽古に押しかけたが、なんと格下の栃ノ心に3敗(3勝)。そのうちの1敗はなんと上手投げで土俵上に転がされる完敗ショーだった。これにはさすがに朝青龍もバツが悪かったようだ。 「今日は(調子が)よくなかった」とため息交じりにつぶやいたが、この稽古をつぶさに見ていた春日野親方(元関脇栃乃和歌)は「誰でも(年を取ると)力は落ちるけど、なだらかに落ちるもの。(朝青龍の場合は)急だからね。完全な右肩下がり。(稽古を)やらなきゃ強くならないってことだよ」と冷ややかに切り捨てた。 この3場所、優勝から遠ざかっているものの、まだカリスマ的な影響力を誇る朝青龍がこれでは他の力士たちも緊張感に欠けるのは仕方ない。腐ったリンゴはさっさと取り除かないと箱全体が腐る。追い詰められる朝青龍、こんなところから引退論がだんだん声高になってきた。 「朝青龍引退」という文字が新聞紙面などに躍るのは果たして秋場所の何日目からだろうか。先の名古屋場所は、7日目まで順当に白星を上げていたが、8日目、稀勢の里に土を付けられると、9日目も千代大海に土を付けられ2連敗となった。 その後、11日目に魁皇、14日目に琴欧洲、千秋楽に白鵬にそれぞれ土を付けられ、結果的に10勝5敗という成績で名古屋場所を終えた。 場所前の出稽古で一部評論家や解説者から朝青龍の体の張りや艶のなさが指摘されていたが、それがそのまま相撲に表われ、先の結果になった。 そのため、秋場所も前半の7日間で朝青龍に土が2つ付いた時点で、引退の声とともに進退が問われてくるはずである。正に正念場の秋場所だ
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
「あの人は今 “時代”を彩った男と女」元広島監督の古葉竹識さん
4月10日、広島VS中日でこけら落としになった広島の新本拠地のマツダスタジアム。かつて解説者をしていた名古屋の東海ラジオで、赤ヘル軍団を築き上げた古葉竹識氏が広島時代の思い出話を語った。久々に肉声を聞いたファンも多かっただろう。 古葉氏は栄光と挫折の連続でもあった。1975年5月12日、シーズン途中に退団したジョー・ルーツ監督の後を受け、広島監督に就任。球団創設以来、初めてリーグ優勝を達成した古葉氏は、その後も79、80、84年と3度も日本一監督になっている。バットケースの後ろに陣取り、顔はにこやかながら、外部から見えないようにボーンヘッドした選手を蹴り上げたり、鉄拳制裁したりの熱血指導。ミスター赤ヘル・山本浩二、衣笠祥雄らスター選手を育て上げている。 だが、華やかな監督人生は赤ヘル軍団の広島時代で終わりだった。「ぬるま湯のチームを大改造するには名将・古葉監督しかいない」という大きな期待を背にして87年から3年間、横浜大洋ホエールズの監督を務めたが、5位、4位、最下位の成績で解任されている。 横浜大洋退団の後に、もう一度復権のチャンスがあったものの、球界の寝業師といわれた根本陸夫氏(故人=元ダイエー球団社長)がまさかの王監督の招請に成功して、古葉監督は消滅してしまったのだ。 99年に広島監督時代の手腕を評価され、殿堂入りして久々に晴れ舞台に立ったが、その後も波乱続き。政界入りを狙ったものの、失敗の繰り返しだった。03年に広島市長選、04年には自民党から比例代表で参議院議員選挙に出馬したが、いずれも落選している。 現在、東京国際大学監督というポストに就いているわけだが、ここでも一騒動あった。当初07年に就任予定が1年間延期になったからだ。プロ野球マスターズリーグの札幌アンビシャス監督を務めていたことがプロ活動と見なされ、アマチュア登録できず、三男の古葉隆明氏が監督、古葉氏はベンチ入りしないアドバイザーで1年間耐えたのだ。『耐えて勝つ』というのが、広島監督時代からの古葉氏の座右の銘だが、73歳の今、改めて噛みしめているだろう。 ミスター・ジャイアンツ・長嶋茂雄氏とは58年のプロ入り同期生。63年に激しい首位打者争いを演じ、最後にわずか2厘差で涙をのんだ古葉氏だが、75年に新監督同士の対決で雪辱している。 「クリーンベースボール」を標ぼうして華々しくデビューした巨人・長嶋監督に対し、ルーツ監督の電撃退団で突如、コーチから監督に昇格した古葉氏。対照的な監督就任劇だったが、結果は古葉氏の完勝だった。 巨人球団史上初の最下位に沈んだ長嶋監督。広島球団創設以来初のリーグ優勝の古葉監督。しかも、優勝決定の瞬間が最高の舞台だった。巨人の本拠地の後楽園球場で古葉監督の胴上げが行われたのだ。 「この屈辱を来年晴らすために広島の胴上げを目に焼き付けろ」。長嶋監督は巨人ナインにこう厳命して、一塁側ベンチ前にコーチ、選手全員を整列させ、古葉監督の胴上げを見守らせた。古葉監督にとって偉大なプロ同期生に初めて勝った歓喜の一瞬は生涯忘れられないだろう。
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スポーツ 2009年09月07日 15時00分
大相撲 双子のハーフが角界に意欲満々
大相撲秋場所の新弟子検査が3日、東京・両国国技館で行われ、米国人の父をもつ二卵性双生児のハーフ、斎藤順、礼(宮城県出身、出羽海部屋)ら受検した5人全員が体格基準(173センチ、75キロ以上)を満たした。 兄の順は190センチ、123キロ、弟の礼は189センチ、139キロ。基準値を大幅に上回る堂々たる体格で検査をパスした双子の斎藤兄弟は「緊張した」と口をそろえた。 高校から大学までの約7年間を米モンタナ州で過ごし、高校時代はアメリカンフットボールの州大会で優勝。相撲経験はないが、大相撲という日本文化に興味をもって入門した。兄の順は「浴衣やげたも格好いい。早くまげを結いたい」と言い、昨年10月に体験入門した弟の礼は「こんな経験は若いうちにしかできない」と意欲満々だった。 ともに甘いマスクの22歳。目標の力士を「白鵬関」と答えた順に対し、礼は「朝青龍関」。この時だけは対照的だった。
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