スポーツ
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スポーツ 2010年06月09日 11時30分
田中正直のウェブランニングクリニック 「第10回、ロング ディスタンスに挑戦」
今回は、ロングディスタンスに挑戦です!!これからの時期は、暑くて走りにくい日が続きますが、シリアスランナーは秋のマラソンに向けて是非挑戦して下さい。 ビギナーの方も、60分間ジョギングができたら挑戦していきましょう。一人で走るのに自信がない人は、仲間を誘ったり、数キロの周回コースで行うと良いと思います。 私が長い距離を走るときは、3つの走り方に分けています。 (1)時間のみ決めてペースはその日の体調に合わせて走る。(例120分ジョギング) (2)距離を決めてペースは気にしない。(例30km走) (3)タイム、距離を決めて行うペース走。(例1km3分30秒で30km) 目的やレベルに合わせて使い分けていきます。シリアスランナー向けのお話になりますが、 (1)は、体作りの時期によく行います。 (2)は(1)の次のステップとして行い、(3)はレース3か月前からくらいから始めます。 ビギナーの方や、長い距離に自信のない方は、ウォーキングとジョギングを合わせて90分くらいから始めるといいでしょう! 私は北海道生まれのせいか、暑さに弱いので、長い距離を走る時は、朝や夜、時間ができたら避暑地に行ったり、東京都にある高尾山などで3〜4時間走ることもあります。疲れたら歩いてもいいので、挑戦してみて下さい。 ロングディスタンスを取り入れることで、持久力もアップの他に足も強くなりますし、精神的にも自信がつきます。長く走り続けることはきついことですが、自然を楽しんだり、仲間と目的地を設定して走ってみるのも楽しいですよ。 この時期は、こまめな給水を忘れずにしましょう! 【Air Run TOKYO】では、神奈川県の相模原市でサマーキャンプを開催し、少しでも涼しいところでのトレーニングを入れています。ビギナーの方向けの練習会も開催していますのでお問合せ下さい。(http://airruntokyo.syncl.jp/) 【Air Run TOKYO】監修・ランニングアカデミー 第11回は、『Air Run TOKYO練習風景』
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スポーツ 2010年06月09日 08時00分
「パ高セ低」元凶は粗製濫造本塁打野球の巨人
ロッテ、オリックスが同じ日に「打者10人連続ヒット」の日本新記録を作るなど、交流戦でのパ・リーグ球団上位はますます強まっている。裏返せば、セ・リーグ球団の弱さが完全に露呈している。巨人びいきの評論家ですら「これでは、たとえ日本シリーズでセ・リーグが勝っても『実力のパ』は変わらない」と脱帽している。 パが68勝45敗3分と23も貯金。セで一番勝っている巨人でさえ11勝9敗で6位、パ球団でその下にいるのは9勝9敗1分(成績はすべて8日現在)のソフトバンクだけだ。こういう情実抜きの数字を突きつけられれば、いくら巨人ヨイショの評論家でも弱いセ・リーグを認めざるを得ないだろう。 そのダメなセ・リーグの元凶は、巨人のお家芸、東京ドームでの粗製濫造本塁打野球だ。楽天が球団史上初の1試合6本塁打記録を作ったように、東京ドームでのホームランなど、インチキに近い。打った楽天の選手が「マジッ? 入ったの?」と驚いているのだから、どれほどひどいか、わかるだろう。阿部に左翼席最前列に3ランを打たれた、マー君こと楽天・田中将大は、「阿部さんの打球がスタンドに入るのは東京ドームの特徴ですから」と冷静に語っている。狭い球場と飛ぶボールによる、東京ドーム特製の本塁打を見下しているのだ。だからショックを受けることもなく、その後はピタリと抑え、勝ち投手になっている。 巨人の東京ドームでの粗製濫造本塁打野球に戦々恐々とするセ・リーグ5球団とは大違いだ。強いパ・リーグを象徴するような田中の名言だろう。が、このまま巨人の一発野球を放置しておけば、「パ高セ低」格差が進むだけで、「メジャーリーグ・パ、マイナーリーグ・セ」になってしまう。早急に巨人の粗製濫造本塁打野球を改善する必要がある。事は簡単だ。 来季から「1つのメーカーによるボール統一を」目指しているプロ野球界なのだから、大リーグ球のような飛ばないボールに統一すればいい。今さら東京ドームはじめセの狭い球場を広くできるわけがないのだから、飛ばないボールでインチキホームランを激減させればいいのだ。 日米野球や五輪、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)など国際試合で大リーグのボールを使用してきた際には必ず選手から「ボールが重くて飛ばない」という声が出ている。世界の王さん、ソフトバンク・王貞治球団会長も、監督時代から東京ドームホームランの弊害と、大リーグボール使用の効用を説いてきている。 「東京ドームでは、こすってもホームランになってしまう。これでは良い投手は育たない。一回り大きく、重くて飛ばない大リーグのボールを使えば、国際試合でも違和感がなくなり、一石二鳥だろう」と。 コスタリカで作っている大リーグボールに関しては、粗製濫造で1球1球にバラツキがあり、滑ると悪評紛々だ。「大リーグ球仕様にするということは、優秀な日本のボールをやめて、悪いボールを作れということか」と反論する球界関係者がいるが、そんなことを言っているワケではない。 日本最大のスポーツ・メーカーは、これまで「飛ぶボール」をセールスポイントにして、ほとんどの球団とボール契約をしている。が、今は飛ばないボールを作ることが求められている時代なのだ。「ボールの反発係数は決まっており、厳しい検査をしているので、飛ぶボールなどない」というのが、日本プロ野球組織(NPB)の公式見解だが、建前に過ぎない。 実際のどの球団もその時々のチーム事情で飛ぶボールと、飛ばないボールを使い分けてきている。狭いナゴヤ球場から広いナゴヤドームに変わった時の中日なども「球場が広くなったのだから、守りの野球をやる」という方針の下に、飛ばないボールを導入した。当時の巨人・長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)は、「本当にここのボールは飛ばないね。鉛でも入っているんじゃないの?」という名言を残しているほどだ。が、あまりにも飛ばないボールの影響で恐竜打線がピストルに成り下がり、嫌気のさした中日・星野仙一監督が数年で元の飛ぶボールに戻したという後日談まである。 福岡ドーム、札幌ドーム、仙台など広い球場のパ・リーグならば、飛ぶボールでもさほど投手には被害がない。が、東京ドーム、神宮、横浜スタジアムなど狭い、箱庭のような球場では、飛ぶボールは投手にとって致命傷になる。だからパ・リーグのようなダルビッシュ、岩隈、田中、杉内、涌井のような日本代表エースクラスの実力派投手が出てこない。4年目の広島・前田がようやく出てきたが、狭い広島市民球場から広いマツダスタジアムに本拠地が変わったのと無関係ではないだろう。
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スポーツ 2010年06月08日 17時00分
『内野5人シフト』はいらない? 奇襲好きのブラウン監督に采配批判が…
マーティ・ブラウン監督(47)の采配が裏目に出た。対巨人戦(6月8日/東京ドーム)の延長10回裏、高橋由伸にライト前ヒットが飛び出した。一死満塁、3番・小笠原道大が打席に向かう。ここで、ブラウン監督がベンチを出た。途中から左翼の守備に入っていた内村賢介(24)を呼び寄せ、『内野5人シフト』を敷いた。同監督が広島時代から用いていた奇襲戦法である。しかし、結果は“5人の内野手”の頭上を越え、センターへのサヨナラ犠飛に…。このブラウン監督の奇襲シフトを巡り、チーム首脳陣、及びナインの意見が衝突している。 「絶体絶命の場面での攻撃的な守備だった。勉強になった」 試合後、敵陣の原辰徳監督はそう称賛した。 「原監督は正直な人です。『勉強になった』の言葉は本当でしょう。もし批判的に捉えたのなら、表情に出たはずです」(関係者) ブラウン監督を知る者たちは、必ずしもそうは思っていないようだ。 広島の指揮官時代のことである。 昨年6月14日(対西武戦)、同点で迎えた延長12回裏、無死満塁という窮地で、ブラウン監督は左翼手と交代させた小窪哲也をセカンドとショートの中間に置く『5人シフト』を指示した。打球はその小窪の正面に飛び、「7-2-3の変則併殺プレー」が成立。このとき、マウンドにいた青木高広投手は「5人でなければ(外野に)抜けていましたね」とブラウン采配に“賛同”したものの、守っていた野手陣からは「これから先、どんどんいろんなサインが出そうですね」と、複雑な表情を浮かべていた。 楽天が同監督を招聘にするに当たり、実は広島時代の評判もネックになっていた。 「ブラウン監督の采配は難しいんですよ」 チーム関係者の1人がそう言う。その難しさは前任者・野村克也名誉監督(74)の比ではないそうだ。 「サインが出そうな場面でフリーだったり、何でもない場面で奇襲サインが出たり…。なぜ、そういう奇襲が必要なのかよく分からないんです」 この意味不明な奇襲作戦は『5人シフト』だけではない。今季、楽天打線は『フェイクバント・スチール』を用いるときがある。打者がバントの構えからバットを引く。その間に走者が盗塁をするというものだが、バントの構えを引くだけでは、相手捕手の送球を遅らせることはできない。「それだったら、空振りでもした方が送球を遅らすことになるのではないか?」なる疑問も、楽天ナインから出ているのだ。セ・リーグ球団のスコアラーがこう続ける。 「ブラウン監督の『フェイクバント・スチール』? 広島時代も何回か見られましたよ。広島ナインは否定的でした。私の記憶では成功した場面はなかったはず。ブラウン監督は『奇襲作戦』が好きなんでしょうね。これは性格だから…」 しかし、こうした同監督の奇襲好きな采配に否定的な楽天ナインも必ず言う最後のセリフが「でもね…」である。 「あの人はオレたちが失敗した場面でも、絶対に庇ってくれるんです。監督のためにも今年は勝ちたいと思う」(同) 人望が厚いのは間違いないようだ。 ブラウン監督の契約任期は「2年」と伝えられたが、1年目の成績次第では途中解雇できる内容になっているという。チームの雰囲気が良いのは三木谷浩史・球団会長にも報告されているはずだが、任期全うのためのノルマが「前年の2位以上」となれば、『優勝』しかない。クライマックスシリーズ進出で“合格点ギリギリ”だとすれば、『内野5人シフト』でサヨナラ負けした黒星は痛い。この一敗で、楽天は交流戦首位から転落した。ブラウン監督は奇襲戦法の狙いをナインに説明する必要もありそうだ。
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スポーツ 2010年06月08日 14時30分
球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(11) 「オヤジさん三大伝説」
偉大なV9監督川上さん。オレなんかは「オヤジさん」と呼ぶんだけど、「オヤジさん三大伝説」に関して語ろう。『哲のカーテン』、『長嶋さんにも容赦なしの名指しのミーティング』『石橋を叩いても渡らない川上野球』。この三大伝説についての秘話だ。 まずは『哲のカーテン』だ。世の東西冷戦時代の『鉄のカーテン』にひっかけ、川上さんの「哲治」という名前をとって『哲のカーテン』と呼ばれ、マスコミには散々の評判だった。取材する側からすれば当然の話だが、でも、当時の事情を考えれば、仕方なかったと思うよ。 新聞記者と選手は本当に近い関係だったからね。キャンプや遠征先宿舎の選手の部屋に、新聞記者は自由に出入りしていたんだよ。今のプライバシー尊重の時代からは考えられないだろう? 取材する側とされる側の選手の距離が信じられないほど近かった。それなりのケジメをつけるために、巨人が広報担当システムというものを導入したんだ。が、これは、川上さんの考えたものではない。巨人に協力的かどうかで、新聞社にABCDなどのランクがあったとかいろいろ言われているが、これは球団広報の仕事だった。 入団して二軍にいたオレなんかにも、新聞社系の雑誌と出版社系の雑誌に対する区別、誘導尋問的な質問に関する対応のとか、広報からいろいろなレクチャーがあったよ。川上さんの本当の哲のカーテンは、牧野さんと2人で導入しようとしていたドジャース戦法に関するミーティングや、公にしたくない秘密練習などのためだった。 球団の広報の仕事としてのマスコミ対策と、現場の監督である川上さんの秘密保持が一緒くたにされ、哲のカーテンと呼ばれ、混同されているところがあるよね。サッカーなんか秘密練習が当たり前になっている。あの当時、川上さんがやった時は珍しかったから、大騒ぎされたんだろうと思うよ。 まあ、今の巨人と違って、人気絶大だっただけに、スポーツ紙は連日1面、マスコミの扱いは大変だったからね。マスコミに踊らされないように、選手を守るためには、広報を通すというやり方はある程度必要だったと思うよ。選手が何気なく言ったことが首脳陣批判という形で書かれ、大騒動になったりするからね。 実は、哲のカーテンの陰では、当時としては斬新ないろいろなことも行われていたよ。読売のベテラン記者が講師となって「現在はボール4つで四球だが、その昔は違った」などという、野球に関する歴史的な勉強。大学の先生による栄養学的なもの。国立競技場でのウエートトレーニングもあったね。 マスコミ的には、巨人軍の秘密主義の象徴として大バッシングされた哲のカーテンだが、負の遺産だけでは片づけられない。プライバシー尊重で何でも秘密扱いにされがちな現在を考えてみれば、時代の先取りとも言えるよね。<関本四十四氏の略歴> 1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。 引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。
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スポーツ 2010年06月08日 11時30分
楽天・田中将大、日の丸エースへの道
交流戦初優勝を目指す楽天の新エースとして大活躍しているのが田中将大(22)だ。交流戦MVP争いでもトップに立っているが、狙いはもっと大きい。最大のターゲットは、先輩エース・岩隈久志、日本ハムの大黒柱・ダルビッシュ有を押しのけての日の丸エースの座だ。 交流戦で4勝、今季通算8勝、完投5を記録している田中にとっては、初の投手タイトル、最多勝獲得最大のチャンスだ。ダルビッシュ、岩隈の調子が今ひとつで勝ち星が伸びてこないからだ。最多勝のタイトルの先にあるのが、投手の最高の栄誉である沢村賞だ。 「今季は沢村賞を取りたい」。田中はこう明言している。「セ、パ両リーグの優秀な先発、完投型の本格的な投手を対象とする。15勝以上、奪三振150以上、完投試合10以上、防御率2・50以下、投球回数200イニング以上、登板回数25以上、勝率6割以上を基準とする」という、数々の高いハードルのある、栄光の沢村賞にはダルビッシュ、岩隈もこだわりを持っている。 07年にダルビッシュ、08年には岩隈が受賞しているが、08年の時には一騒動起こっている。「沢村賞の条件をすべてクリアしたのは、息子だけなのに、なぜ選ばれないのか」と、ダルビッシュの父・ファルサさんが選考委員会に噛みついたからだ。 「5年ぶりの20勝投手で、21勝したことと、年間で3本しかホームランを打たれていないことを高く評価した。完投数が5試合しかないのは、継投を得意とするノムさん(野村監督)のサイ配によるものだし、岩隈に責任はない。ダルビッシュとのダブル受賞の意見も一部にあったが、その年のナンバーワン投手を選ぼうということで、1人にした」。選考委員長の土橋正幸氏が、発表の席でこう経緯を説明したが、ファルサ氏が納得しなかったからだ。 そんな騒動もあった翌年の沢村賞には、西武のエース・涌井秀章が初めて選ばれている。岩隈を押しのけ、楽天の新エースとなった田中とすれば、沢村賞獲得は、ダルビッシュ超えの日の丸エースに君臨するには、欠かせない勲章といえるだろう。 もう一つ、今季の沢村賞獲得にこだわる理由がある。甲子園での最大のライバル、早実のエースとしてハンカチ王子旋風を巻き起こし、神宮でも4年間、佑ちゃんブームで主役を務めた、早大・斎藤佑樹が10月28日のドラフト会議で1位指名され、入団してくるからだ。昨年11月、セ、パ60周年記念イベントとして東京ドームで大学日本代表対26歳以下のプロ選抜の初のメモリアルゲームがあったが、周囲の「甲子園以来のマー君vs佑ちゃん対決再現」の期待に、田中は背を向け、出場を辞退している。 「プロに入って新人王を取り、ローテーション投手として活躍しているのに、今さら斎藤との甲子園対決の再現でもないだろう」という、当然といえる田中のプライドがあったからだ。今季、沢村賞を獲得すれば、2人の立場の差はさらに決定的になる。ライバルどころではない。甲子園時代に「ハンカチ世代」と呼ばれたのは過去の話で「マー君世代」の1人として、来季、ルーキー・斎藤佑樹がプロデビューすることになるのだ。田中の沢村賞狙いの裏には、ダルビッシュ超えの日の丸エースの座と、かつてのライバル・斎藤への三行半が隠されている。
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スポーツ 2010年06月08日 08時00分
決めた!? 中田英寿復帰!
先日のテレ朝で「王位継承」と称して本田選手と対談した中田英寿氏。 2代目キング(実際、初代は三浦カズだと思っていますので)は、どんな言葉を本田選手に投げかけるのか、筆者はとても興味深くテレビ朝日の「中田英寿×本田圭佑」を観ていた。(個人的には中田×中村俊輔の方が面白いんじゃないか、と勝手に思っていたのですが…) 初出場のフランス大会から前回のドイツ大会までの気持ちや、技術的な事も含め、とても内容の濃い対談であった。 対談の中で中田氏は、本田選手に「自分のプレーが出来なかった事にとても後悔している」「本田選手もヒールになろうが自分を出しきって欲しい」と言っていた。 現役引退後も多方面で活動している中田氏は、チャリティー活動家として引退した選手等を集めて試合などを行ったりしている。その試合では、実戦とは程遠いフレンドリーマッチなのでそんなに厳しい動きはしないが、ここぞという一瞬の場面では現役時代を彷彿させる華麗なプレーを垣間見ることが出来る。 TVCM等で見られるその肉体も変わらずシェイプアップされていて、とても引退して既に4年も経過したとは思えない。今直ぐにでも現役復帰が出来るのではないかと思えるのは筆者だけではないはずだ。 対談の最後に本田選手から「復帰しないんですか?」と問われ、「こんな老体に…」(笑)の後に「今回の(南ア杯)終わったら考えます!」と答えた。 リップサービスの一環だったかも知れないが、既に引退をした通常の選手であれば、即答で「それはない」と応えると思うのだが…4年後は37歳…色々とサプライズを見せてくれた中田氏にだからこそ、余計にもありそうな可能性を求めてしまうのだ。 妥協しない彼が、サッカーで唯一後悔した「自分のプレー」を魅せるために2014年ブラジルでのW杯出場を狙ってもおかしくはない。今後の中田氏の去就に大注目をしたいのは筆者だけではないだろう。<タケルー>
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スポーツ 2010年06月07日 13時30分
お先真っ暗の岡田ジャパン
終わった。南ア杯に向けてのテストマッチが先日のコートジボアール戦で終わった。結果は2戦続けて闘莉王のオウンゴールという珍しい記録も作り、0対2で負けた。岡田監督は韓国戦の結果も踏まえ、イングランド戦でアンカーに阿部を置き、多少なりともそれが機能したことで、最後のテストマッチでどのように修正をするのかを注意して見ていたが、阿部をダブルボランチの片方に置き、長谷部をトップ下、本田を本人が得意だと言っていた本来の右サイドに置いた。 練習ではテストしていたのかもしれないが、最後のテストマッチという実戦でこれを試したのだ。 結果は、ゴールには程遠く、連係プレイも見られずに前回の2戦以上にたいへんお寒い内容であった。 バイタルエリアにさえボールを運べず、シュートらしいシュートは本田の1本のみだった。 特にFW岡崎は完全に孤立してしまい、前半はほとんど消えていた。後半に入ってからどのように修正するのかと思って見ていたが、中村俊輔・中村憲剛・稲本を投入、後半10分と言う時間で岡崎に代えて玉田を投入というとても不可解なメンバー交代があった。なぜ後半の頭から代えなかったのだろうか? そして中心選手でもある遠藤、本田、そしてアンカーに使おうとした阿部を下げたのはなぜだろうか? もし仮に後半のメンバーがうまく機能したらこのままで本戦を戦おうとしたのだろうか? 内容は同じように酷く、指揮官も余計に悩むことになったのではなかろうか? 試合後の選手たちのコメントを見ても「サイドに張っていてもボールが来なかった」「自分は裏に抜けるタイプなのでポストプレーはできない」「1対1の局面では9割負けていた」とチームもバラバラであった。 肝心の岡田監督と言えば、試合後のコメントで「戦える選手、戦えない選手がはっきりした」と、この最終テストマッチという局面で言い放つ始末だった。岡田監督は一体「何をしたかった」のであろうか。「思い切ってメンバーやシステムを変えることはない」と言った岡田監督であるが、これでは「今までやることはすべてやってきましたが、本番ではもしかして負けるかもしれません」と示唆しているようにしか思えないのだ。 今回のテストマッチで本戦を戦っていくベストのメンバーとベストのシステムを本当に見つけられたのであろうか。W杯出場32カ国中この1か月間で勝ち星がないのは、唯一日本だけである。過去3回のW杯前のテストマッチと比べても完全に失敗であったことは間違いない。 いずれにせよもうW杯本番である。サポーターからも「全く得点の気配すらない」「いやそれ以前の問題だ!」とも揶揄されている。「戦える選手、戦えない選手がはっきりした」と放言した岡田監督が率いるチーム、どの場面を見て少しでも「希望」を確信させてくれるのか。 後はただ「祈る」ことでしか「希望」は見えないのだろうか。<タケルー>
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スポーツ 2010年06月05日 17時30分
不況下でFA市場の様変わり
今季FAの資格を取得する各球団の主力選手が相次いでいる。ロッテ・渡辺俊介、ソフトバンク・川崎宗則、日本ハム・田中賢介、横浜・内川聖一、村田修一。が、かつてのように大争奪戦が起こることはない。世の中の出口の見えない不況を反映したプロ野球界のFA市場は冷え込んでいるからだ。 川崎に関しては、ソフトバンクが長期契約を提示して引き留める方針を明かし、内川に対しても横浜はシーズン中にもかかわらず、残留工作を始めている。球界バブル全盛のころならば、水面下では巨人を筆頭に他球団も獲得に動き出すところだろう。しかし、今は好条件を手にして残留か、メジャー行きの二者択一しかなくなっているのが現実だ。 巨人、阪神、中日が金満御三家と言われた時代もあったが、この3球団も例外的な存在ではなくなっている。一昨年、山口鉄也、昨年も松本哲也と2年連続して育成枠から新人王を出した巨人フロント首脳が「育成の巨人軍」を強調しているが、その実体は金欠病だ。「ウチの金庫にだっていつまでもお金が有り余ってあるわけじゃない」という、球団トップの言葉が、嘘偽りのない本音だろう。 財政状態に余裕があれば、アストロズを解雇され、古巣・ロッキーズとマイナー契約した松井稼頭央、パイレースで出場機会が減り、ピンチを迎えている岩村明憲に食指を動かしているだろう。巨人の最大のウイークポイントは二塁手だからだ。が、ノドから手が出るほど欲しくてもお金がなければ手を出せない。 何より痛いのはテレビマネーの消失だ。ひとケタの視聴率しか取れないような巨人戦には身内の日本テレビさえ背を向けているのだから、放映権料など全く当てに出来ない。巨人人気全盛時には主催試合にはもちろんすべて1試合1億円を超す放映権料が入ってきた。130試合時代ならば、半分の65試合が主催だから、65億円を超えるテレビマネーが転がり込んできたのだ。それが今は20数試合しか地上波のテレビ中継はしてもらえない。 当然、他球団主催の巨人戦も同じ運命で、「巨人戦さえあれば、テレビマネーが入るから大丈夫」と左うちわだったセ5球団も財政がひっ迫して青息吐息になっている。巨人戦のテレビマネーを当て込んで交流戦実現を強く迫ったパ6球団も大誤算で頭を抱えている。 こういう現状では、FA市場が活性化するわけがないだろう。かつて西武からFAした清原和博を巡り、巨人と阪神が大争奪戦を展開。巨人・長嶋茂雄監督の「この胸に飛び込んでこい」と、阪神・吉田義男監督の「縦じまのユニホームを横じまにしてもいい」の名ぜりふは伝説になっている。が、それも球界バブル時代の昔話になってしまった。 「日本のFAはおかしい。争奪戦で一部選手の年俸を高騰させるだけの制度になってしまっている。本来のFAは出番の少ない選手に対し、他球団に移籍して働き場を与えるのが目的だったはずだ」。FA全盛時代にこう怒ったのは、ソフトバンク・王貞治監督(現球団会長)だが、そういう意味では今のFA市場は正常化されたといえるのかもしれない。 昨年のFA国内移籍を見ても、阪神で控えだった藤本敦士がヤクルトへ。日本ハムからFA宣言した藤井秀悟は、なかなか買い手が付かず、最後に年俸1000万円ダウンの6000万円で巨人に拾ってもらった。ロッテの控え捕手の橋本も横浜へ働き場を求め、移籍した。王氏の言うとおりの本来のFA市場になっている。ただ問題なのは、球団側の現状認識がまだ甘いことだ。他球団が争奪戦を仕掛ける金銭的な余裕がないのに、引き留めに必要以上の高額な条件を提示するのはばかげているだろう。メジャーへ行く選手は条件に関係なく行くのだから。
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スポーツ 2010年06月04日 18時05分
田中正直のウェブランニングクリニック 「第9回、Air Run TOKYO 5kマラソン大会報告」
今回は、先月30日に開催しましたAir Run TOKYO 5kマラソンの大会報告です。 この大会は、皇居桜田門を発着とした5kmのマラソン大会です。 種目は、タイムを競うシリアスの部と時計などを持たずに走り、宣言タイムに近い人が優勝のポタランの部の2種目です。ポタランという言葉は、私が造った言葉です。ポタリング(自転車散歩)をヒントにビギナーの方でも、皇居の回りの風景を楽しみながら走れるマラソン大会を目指し部門を作ってみました。 宣言タイムのレースは、トリムランと通常は言うようですがAir Run TOKYO ではポタランとしました。ヘッドコーチの西田隆維が、大会の細かなところはプロデュースしランナーに喜ばれる大会を作りました。具体的なポイントは、(1)制限時間を通常の大会より長くし、女性やビギナーも参加しやすい(2)入賞者以外にも賞を設ける(3)応援の方も参加できる、景品争奪じゃんけん大会を開催(4)大会終了後には、アフターランとして親睦会(食事&飲み)を開催(5)もちづきる美さんデザインの参加賞Tシャツなどです。 ランナーのみなさんと応援のみなさんは楽しんで頂けたのではないでしょうか。この大会にエントリーして下った方は、シリアス210名、ポタラン75名の計285人でした。 当初は200名で開催を予定していましたが、大幅に上回ってしまいました。このようなところからも昨今のマラソンブームがわかります。 先程(1)にあげた制限時間を緩和した成果か、女性の参加率が約30%と、他の大会よりも高かったのが大会主催者としてはうれしく思いました。 我々主催する側は、この大会を計画した頃から、マラソン大会で少しでも社会貢献したいと話し合ってきました。世界平和やエコといったこともとても大切なことです。しかし、今回の第1回大会は、色々な社会問題がある中で、ランナーがランナーを応援することを、西田や大会プロデュースにご協力して頂いた「もちづきる美」さんと決めました。 我々ランナー仲間にも、視覚障害などで1人で走ることが出来ないハンディキャップを持った方がいるのです。そこで、ハンディキャップを持った方々をサポートしている団体に寄付することにしました。シリアス女子の部の優勝者は、視覚障害のハンディキャップをものともせずに好タイムで5kmを走っていました。 とても頼もしく見えたことと、伴走の方との信頼関係の強さが印象に残っています。また、ゴール後のさわやかな笑顔は素晴らしかったです。 シリアスの部は、マラソン日和だったため自己新記録を出された方が大勢いました。自己新記録を出されたランナーには、表彰式で前に出て頂き会場全員から拍手のプレゼントを送らせて頂きました。 賞品はお渡しできませんでしたが、他の大会にはない表彰式になりました。 ポタランの部の優勝は、何と誤差1秒!! 5km走って誤差1秒はとても素晴らしい記録です。マラソンブームで人数が増え拡大する大会が多い中ですが、このようなアットホームな大会を今後も開催していきランナーのために、そして歩行者などに迷惑をかけないマナーの良いランニング社会づくりに貢献したいと考えています。 是非、次の大会にはみなさんもご参加下さい。【Air Run TOKYO】ランニングクラブはビギナーの方向けの練習会も開催していますのでお問合せ下さい。(http://airruntokyo.syncl.jp/)【Air Run TOKYO】監修・ランニングアカデミー第10回は、『ロング スロー ディスタンスに挑戦』写真:シリアスの部のスタート(写真提供 株式会社STK)
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スポーツ 2010年06月04日 17時00分
球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(10)
V9の陰のヒーロー、鬼の寮長・武宮さんを全面的に支えたのが、V9監督の川上さん、球団フロント首脳だった。「寮は武宮の治外法権」と認め、寮に関しては、すべてを武宮さんに一任した。 門限破り、朝帰りの常習犯、悪太郎ことホリさんに対して竹刀でバシバシ叩く武宮さんの処罰以外に、球団から特別なペナルティーは科されない。「寮長の武宮が決めた処罰だから、それで十分だ」と、川上さんも球団も認める。 今だったら、大変な騒ぎだろう。トップの顔色をうかがう球団フロントが右往左往してつまらない追加処分を出すだろう。V9のすごさは、鬼の寮長を全面サポートした組織のあり方にもよく現れているよね。 選手の方にも「寮は武宮さんの治外法権」というのが浸透していた。だから、悪いことをする時にも他の人に迷惑をかけずに堂々と武宮さんにぶつかるべしという、気概があった。 いくら鬼の武宮さんとはいえ、365日、寮に寝泊まりしていたわけではない。時に代わりの人が泊まりになる。が、「どうせ門限破りするのなら、武宮さんのいる時に正々堂々とやれ。留守にやるのはひきよう者だ」。オレたち選手にはこんな意識まであったのだ。 我らの先輩、柴田さんが、まだ寮が多摩川グラウンド近くの丸子橋にあった時に、その厳しい寮生活を嘆き、「多摩川ブルース」という替え歌を作ったのは有名な話だ。元歌は少年鑑別所の生活を歌ったものだ。 が、年に3回は鬼の武宮さんが仏の武宮さんになった。一軍のリーグ優勝、二軍の優勝、一軍の日本一。門限なしのどんちゃん騒ぎだ。明け方まで寮で祝杯をあげて、それから街に出て行くのを許してくれた。 そんな時に、誰からともなく、「きょう問題を起こしたら、武宮さんに悪いと思う」という声が出て、つまらないトラブルを起こさないように、互いに注意したもんだよ。 それにしても、武宮さんの寮長伝説の思い出は尽きないね。柴田さんが「多摩川ブルース」を歌っていた、丸子橋の寮のころの話だ。王さんが門限破って夜の銀座へ出かけようと、外から雨戸を閉めようとしていたら、「きょうはお前が点呼してこい」と言われた武宮さんの奥さんに見つかり、大あわて。「今、雨戸を直しているところです」だって。外から雨戸を直すなんてね。これは、武宮さんの奥さんから直接聞いた話だよ。世界の王さんも若かりし頃は、ホリさん同様に、よく学び、よく遊べで、鬼の寮長の武宮さんの目を盗もうとしていたんだ。 竹刀が怖いだけではない。未成年者が喫煙すると、「わたしは満20歳になるまでタバコを吸いません」という反省文を100回も書かされるという罰則もあったよ。できなければできるまで、もちろん外出禁止。V9を語るのに、王さん、柴田さん、ホリさんらを寮で鍛え上げた「寮は武宮の治外法権」伝説は欠かせない。<関本四十四氏の略歴> 1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。 引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。
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