search
とじる
トップ > スポーツ > 球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(10)

球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(10)

 V9の陰のヒーロー、鬼の寮長・武宮さんを全面的に支えたのが、V9監督の川上さん、球団フロント首脳だった。「寮は武宮の治外法権」と認め、寮に関しては、すべてを武宮さんに一任した。

 門限破り、朝帰りの常習犯、悪太郎ことホリさんに対して竹刀でバシバシ叩く武宮さんの処罰以外に、球団から特別なペナルティーは科されない。「寮長の武宮が決めた処罰だから、それで十分だ」と、川上さんも球団も認める。
 今だったら、大変な騒ぎだろう。トップの顔色をうかがう球団フロントが右往左往してつまらない追加処分を出すだろう。V9のすごさは、鬼の寮長を全面サポートした組織のあり方にもよく現れているよね。
 選手の方にも「寮は武宮さんの治外法権」というのが浸透していた。だから、悪いことをする時にも他の人に迷惑をかけずに堂々と武宮さんにぶつかるべしという、気概があった。
 いくら鬼の武宮さんとはいえ、365日、寮に寝泊まりしていたわけではない。時に代わりの人が泊まりになる。が、「どうせ門限破りするのなら、武宮さんのいる時に正々堂々とやれ。留守にやるのはひきよう者だ」。オレたち選手にはこんな意識まであったのだ。
 我らの先輩、柴田さんが、まだ寮が多摩川グラウンド近くの丸子橋にあった時に、その厳しい寮生活を嘆き、「多摩川ブルース」という替え歌を作ったのは有名な話だ。元歌は少年鑑別所の生活を歌ったものだ。
 が、年に3回は鬼の武宮さんが仏の武宮さんになった。一軍のリーグ優勝、二軍の優勝、一軍の日本一。門限なしのどんちゃん騒ぎだ。明け方まで寮で祝杯をあげて、それから街に出て行くのを許してくれた。
 そんな時に、誰からともなく、「きょう問題を起こしたら、武宮さんに悪いと思う」という声が出て、つまらないトラブルを起こさないように、互いに注意したもんだよ。
 それにしても、武宮さんの寮長伝説の思い出は尽きないね。柴田さんが「多摩川ブルース」を歌っていた、丸子橋の寮のころの話だ。王さんが門限破って夜の銀座へ出かけようと、外から雨戸を閉めようとしていたら、「きょうはお前が点呼してこい」と言われた武宮さんの奥さんに見つかり、大あわて。「今、雨戸を直しているところです」だって。外から雨戸を直すなんてね。これは、武宮さんの奥さんから直接聞いた話だよ。世界の王さんも若かりし頃は、ホリさん同様に、よく学び、よく遊べで、鬼の寮長の武宮さんの目を盗もうとしていたんだ。

 竹刀が怖いだけではない。未成年者が喫煙すると、「わたしは満20歳になるまでタバコを吸いません」という反省文を100回も書かされるという罰則もあったよ。できなければできるまで、もちろん外出禁止。V9を語るのに、王さん、柴田さん、ホリさんらを寮で鍛え上げた「寮は武宮の治外法権」伝説は欠かせない。

<関本四十四氏の略歴>
 1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。
 引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。

関連記事


スポーツ→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

スポーツ→

もっと見る→

注目タグ